2011年7月

マクロゼミテキスト批評

こんにちは、研究演習Ⅰの小林です。

6月14日(火)は、今までマクロゼミで扱った文献のテキストレヴューについて議論しました。

ブックレヴューについて詳しくご存じない方のために、書き方について説明します。

STEP1 ブックレビューのタイトル(文献のタイトルである必要はない。レビュアにとって最も重要なことをタイトルにする!)

STEP2 その文献の書誌データ(その文献を入手するのに必要十分なデータ→検証可能性を担保)

STEP3 ブックレビューの意図、展望、着眼点のキーワード

STEP4 文献の要約:マクロ読み、上記①

STEP5 文献のコメント:主張命題内容の検討や予想される議論展開や、予想される問題点等、上記②

STEP7 文献の評価:別の展開や反論を構成してみる。(a) 反対の場合、テキストへの批判点の提示と、可能な反批判の構成、(b) 賛成の場合、予想される批判の提示とその反批判による主張の妥当性の確認、上記③

このような形で、ブックレヴューを書きます。

さて、今回のブックレヴューで扱った文献は、ペスタロッチ『隠者の夕暮れ、シュタンス便り』、ミシェル・フーコー『監獄の誕生』、マルティン・ブーバー『我と汝』です。

ペスタロッチのブックレヴューでは、現状の教育(特に家庭教育)とその目的について、論じている学生が多かったです。Aさんは、ペスタロッチの主張を受けて、教育の目的とハンナ・アレントの『人間の条件』と照らし合わせて論じています。すなわち、教育の目的はアレントが主張する「活動力」は、ペスタロッチが主張する教育に目的が達成することによって可能であると、Aさんは主張します。

フーコーのブックレヴューでは、監視社会について論じている学生が多かったです。Bさんは、監視社会をインターネットとの関係について論じています。Bさんによりますと、インターネットでは、社会のように上下の繋がり(監視)はあっても、横の関係性は断たれていると言います。Bさんによりもますと、インターネットでは、一望監視方式での相互監視が成立しにくいと言います。この議論では、監視を善悪では判断しません。

最後に、ブーバーのブックレヴューでは、<われ-なんじ>を永遠の<われ-なんじ>に到達させるための人とのかかわり方について論じている学生がいました。人との関係は、<われ-なんじ>の世界です。しかし、<なんじ>が個々のなんじであるうちは、<われ-なんじ>の関係は<われ-それ>となってしまいます。<われ-なんじ>の状態を継続するには、永遠の<なんじ>が必要ですが、まず自らの意志で永遠の<なんじ>をはっきりさせる必要があると、Cさんは主張します。

以上が、マクロゼミブックレヴューの概略です。ゼミ生のほんの一部の例になりますが、このような感じでテキスト批評は行っています。

普段のミクロやマクロとは違い、問題がない分、個人の読み方が反映され、同じ文献でも読み方がそれぞれ変わってくるのが、テキスト批評の面白いところですね^^

 

以上、小林がお送りしました。

プロフィール


鎌田 康男
現在、関西学院大学名誉教授(2016年3月定年退職) 《共生と公共性の philosophy》 ★プロフィール詳細

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