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マスタリー・フォー・サービス (Mastery for Service) 私論

以下は、2011年4月26日のチャペルトーク原稿です。

Mastery for Service ― 「マスタリー・フォー・サービス」

Not to be served but to serve ― 仕えられるためではなく仕えるために

第4代院長ベーツ博士に由来する関西学院のスクールモットー「マスタリー・フォー・サービス」は、どのような理想を表していたのでしょうか。今日は、単刀直入に、ベーツ博士自身の言葉(Our College Motto, Mastery for Service, 1915)に即して考えてみたいと思います。実は、ベーツ博士の mastery for service という言葉には、恐ろしい破壊力が潜んでいるのです。私たち現代人の常識を粉みじんに爆破するような恐ろしい破壊力が潜んでいるのです。

mastery は、master であること、支配する力を持った主人であること、力のあるもののような印象があります。実際、ベーツ博士も、そのようにはじめます。

We do not desire to be weaklings. We aim to be strong, to be masters – masters of knowledge, masters of opportunity …

私たちは弱虫であろうなどとは望まない。私たちは強くありたい。支配する主人でありたい。知識を支配する主人、よい機会、チャンスを掴む主人でありたい。

しかしこの後、ベーツ博士は巧妙な一句をはさみます。

masters of ourselves

自分自身を支配する主人でありたい。

もちろんだとも!と誰もが考えるでしょう。自分を支配するのはほかの人ではなく、まさにほかならぬ自分自身でなければ、知識を支配しても、機会を支配しても、何の役にも立たないではないか。自分のことは、他の人の干渉や支配を受けずに、自分で決めることができてはじめて、自分自身を支配する主人masters of ourselvesであると言えるのだ。皆さんには聞こえてきますか、あの「輝く自由、マスタリー・フォー・サービス」という歌詞が。

しかし私は、masters of ourselvesは巧妙な一句である、と申しました。

mastery of ourselves はたしかに、自分以外のほかのものに干渉や支配を受けずに、自分の道は自分で決定する、近代的な自己決定、autonomy の思想を述べたという一面があります。しかしこの言葉にはもう一つの、破壊的な意味が潜んでいます。それは、自己自身の身勝手な、自己中心的な欲望を抑えるという意味です。自己中心的な自己を否定する、という側面です。それは聖書の言葉によれば、生まれながらの古い自分を否定する、と言ってもよいでしょう。

ベーツ博士は、次のように続けます。masters of ourselves, our desires, our ambitions, our appetites, our possessions. 私たち自身を支配する主人、すなわち、私たちの欲望や功名心や食欲や所有を支配する主人でありたい。

つまり、自己を支配する、とは利己的な欲望に支配されることなく、逆にこれらの利己的な欲望を制御・支配するマスターとなる、ということなのです。

この意味での自由とは、自分のしたいことをすることではありません。自分のしたいことをする、自分がしたいからする、という尺度だけで動く人は、利己主義者となる危険をはらんでいます。自由 libertyは本来、奴隷ではない、奴隷状態から解放されている liber というラテン語の形容詞に由来します。自由であるとは、利己主義的な欲望の奴隷とならずに、それらの支配から自由である、ということなのです。すべてを、自分がしたいからする、という尺度だけで行動する限り、その行動は欲望に支配され、欲望に振り回されており、本人は自由に行動しているつもりでも、それは本当の自由ではないのです。欲望の奴隷状態から解放されて、自分とほかの人々、自分の生きている世界と自然環境のなかで、自分の置かれている位置を見きわめ、人と人の共生、人と自然の共生という理想に導かれて、いまここで自分がなすべきことはなんだろうか、と問う人こそ、自由な人なのです。したいことをする、のではなく、するべきことをする、人こそが自由な人なのだ、とベーツ博士は言うでしょう。

しかしするべきことをしろ、というのは、義務を押しつけることであり、自由ではない、と思う方もおられるでしょう。確かに、いやいや無理強いされてする人を、自由な人とは呼べません。しかし、その人が自分自身で、欲望に支配され、欲望によって生きるということは自分のことにしか関心を向けず、ほかの人を思いやらずに生きることだ、と自分自身で気づくなら ― そして、こんどは自分を人と人の共同体、人と自然の共同体の一員として、思い遣りを持って生きようとするなら、それは全く自発的な行為なのです。その選択は、ほかの人に強制されたものではありません。それは二重の意味で自由な行為です。第一に、自分の欲望の奴隷状態から解放された、という意味で、第二に、ほかの人々、更に世界と自然と共に生きようと、自分から進んで考えることによって ― 総合政策学部のモットーのひとつである人と人の共生、人と自然の共生の理想を、自由に選び取ったということによって。その理想は、キリスト教の伝統においては、「自分を愛するように汝の隣人を愛せよ」という愛の教えとして引き継がれてきました。

そのような目で、1915年ベーツ博士がmastery for service について解説したスピーチの全文を読み直すと、その全体の意味がよりよくわかると思います。

ベーツ博士は、このスピーチの冒頭で、self-culture 自己啓発という言葉を何度も使います。それは、mastery 練達に至るための方法と言ってもよいでしょう。しかし博士は同時に、self-culture はそれだけだと、利己主義に陥る危険があると警告します。self-culture は self-sacrifice自己犠牲によって裏打ちされたときに、本当のself-cultureとなる、とも言います。私たち人間は、何も考えずに行動するときは、他の人のことを思いやったりせず、自然環境を配慮せず、自己中心的にふるまいがちです。だからこそ私たちは、そのような自己中心的な傾向を常に意識し、警戒し、自己が他者や自然環境への思い遣りを失って傲慢にならないように、自発的に自己を押さえ、制御する必要があるのです。そのことをベーツ博士は、self-sacrifice自己犠牲と呼んでいるのです。

ここまで聞いて皆さんは、鎌田は暗い話をするな、と思われるかも知れません。しかし、光と影とは表裏一体です。陰のない光、陰を照らすことのない光は光ではありません。すべての楽しみには労苦が伴います。入学試験に合格するためには、遊びたいという欲望の奴隷にならずに、むしろそのような欲望を制御して、しっかりと勉強を積み上げていかなければ目的を達成することはできません。それは皆さんの今送っている大学生活でも同様です。

現代が、あたかも光だけで陰がないかのようにふるまっている場合、そのような楽観主義的なメッセージを発して喜々としているとき、それは現実に反します。それは何かを偽っているのです。嬉しい、楽しい、とはしゃいでいるとき、友だち同志で大喜びしたり大笑いするとき、ほかの人と共に喜んでいるように見えますが、実際は自分のはしゃぎに熱中しており、ほかの人の心のうちを思いやることはほとんど無いのではないでしょうか。だから、その大はしゃぎが終わったとき、ふと言いようもない孤独感や空しさが襲ってくることもあります。

人は苦しんでいる人を目の当たりにしたときに、その苦しみを軽減したい、助けたい、という気持ちになります。そのときわたしたちは、苦しんでいる人の苦しみを自分のことのように感じます。苦しみを共にすることによって、人と人との思いやりの絆は育って行きます。私はショーペンハウアーという哲学者の研究を何十年も続けてきましたが、ショーペンハウアーの倫理学の中心テーマは、「共苦(=苦しみを共にすること、共に苦しむこと)こそが愛の根源である」という主張です。ショーペンハウアーは、キリスト教における愛の本質は共苦である、とも言っています。これはかなり問題の核心を突いていると思います。

一昨日はキリスト教ではクリスマスと並んで重要な祝日、イースター、つまりキリストの復活を祝う日でした。イースターはまさに、苦しみを通り抜けた愛のできごとです。イエス・キリストの復活という悦ばしいできごとには、それに先立つ受難、十字架上の刑死、つまり死刑という苦しみが先行していたのです。そしてその苦しみは、人々の苦しみをわが身に引き受けることによって、人々の心に安らぎを与える、というイエスの生涯を象徴するものでした。病気や貧困や差別などに苦しむひとびとに寄り添い、助けるという仕方でイエスは最高の愛を示したのでした。

今回の東日本大震災にあたって、「苦しみを分かち合う」という表現が多く使われていたことに皆さんは気付いたでしょうか。実際、苦しみを分かち合うことによって人と人の共感と助け合いの心が生み出されてきます。愛するとは、単に熱狂的に好きだと思うだけのものではないと思います。そのような熱狂的な愛は時として、自分の欲望の表現、つまり自己の欲望の奴隷状態を示すに過ぎないこともあるでしょう。しかし、欲望につられて飛びつく快楽とは正反対の苦しみを、しかも、自分にとって一番大切な自分自身の苦しみではなくて、他者の苦しみを共に分かち合うときに、人は自分だけに関心を持つ自己中心的な欲望の支配から解放されて、自由な人格として人を愛するのだ、といえると思います。少なくともそれがイエス・キリストの教えにも通じる、そしてショーペンハウアー研究者鎌田としてはショーペンハウアーの倫理学に通じ、さらに関西学院のメンバーとしては、ベーツ博士による関学のモットー mastery for serviceにも通じているのだ、と思います。そのように、自分を愛するだけではなく、同様にほかの人をも愛する、ことに、ほかの人の苦しみを共に背負い、その苦しみを軽減しようとする、その心の姿勢の中に、「仕えられるためではなく、仕えるために」という言葉がより具体的なメッセージとして、私たちの心に伝わってくるのではないでしょうか。

(2011年4月26日総合政策学部チャペルトーク原稿)

国際学会出張(フランスとドイツ)

鎌田は、ショーペンハウアー哲学の研究を長らく続けてきましたが、今年はショーペンハウアー没150年という重要な年で、去年から今年にかけて世界中でショーペンハウアー関連の学会が頻繁に催されました。
昨年はブラジルのサン・パウロとリオ・デ・ジャネイロ(既報)で、それぞれショーペンハウアー国際学会がありました。今年にはいって2月末にインドで行われた学会は、日程の調整ができずお断りしなければなりませんでしたが、9月20日にドイツ・マインツで若手研究者コロキウム、9月21日~24日までは同じくドイツのフランクフルト(>>> 学会プログラム、鎌田の講演は9/23 15:00から)、さらに10月21日~22日にかけて南フランスのトゥールーズで開かれたショーペンハウアー国際学会に参加しました。そして最後が、11月27日~28日に東京で行われトゥールーズ市内ジャンヌ・ダルク広場たショーペンハウアー学会(>>> 学会プログラム)。これでようやく、没後150周年がらみの学会参加は無事終了しました。鎌田はこのうち、マインツ・ショーペンハウアー研究所主催の若手研究者コロキウムをオルガナイズ(鎌田自身はもう若くないのですが)、それ以外のすべての学会で一つずつ研究発表行いました。さらにショーペンハウアー関連以外の学会発表(3月@台北、GW@東京)もしたので、今年は計5回の学会発表となり、学会準備に追われっぱなしの、人生で一番忙しい年でした。次は2033年のショーペンハウアー生誕250周年でしょうが、鎌田はもう対象外です。

今年の学会で特に印象に残ったのは、フランス・トゥールーズ Toulouse での学会(>>> 学会プログラム)でした。上の写真は、トゥールーズのジャンヌ・ダルク広場です。この学会は10月末、総合政策学部も秋学期のただ中ということで、往復計3日の移動日を含めて1週間というタイトなスケジュールを組んで出発しました。10月21日(木)朝関空発、ソウル・フランクフルト経由、その日の現地時間夜にトゥールーズに着きました。ところがフランスは、全国ストライキの真っ最中です。学会会場となるはずだったトゥールーズ大学も閉鎖中とのことで、学会は急遽ホテルの会議場に変更となり、翌22日(金)から無事始まりました。23日(土)鎌田の発表も無事終わりました。24日(日)は疲れが出て、翌日に備えてホテルで休養。ところがストは続いており、25日(月)に予定されていたスケジュールもキャンセルに。がっかりしましたが、気持ちを切り替え、この一日をフル活用して、(実に!)20年ぶりに訪れたフランスを見て帰ることにしました。目的地は、トゥールーズから約60km離れたアルビ Albi。
ジャコバン教会外観とにかく帰りは暗くなるだろうし、翌26日(火)にはトゥールーズを発つことになっていたので、アルビに向かう前の午前中に、トゥールーズで見ておきたいところに寄っていくことにしました。それは、ジャコバン教会(ヤコブ教会)[左写真]、中世キリスト教最大の神学者トマス・アキナスの棺が置かれている教会です。ステンドグラスを通して壁に映る朝の光の不思議に柔らかな色合いは、天国からの光のようでした。
それからアルビ行きの列車に乗ろうと、トゥールーズ中央駅(マタビオ駅)に向かいました。
なぜアルビを訪ねたいと思ったのか ― アルビは画家トゥールーズ・ロートレックの故郷としても有名で、旧司教館がロートレック美術館になっています。しかし鎌田にとって訪問の一番大きな理由は、アルビはアルビジョワ十字軍1209-ジャコバン教会内部ステンドガラスの影1229年の名が由来する町だからです。このアルビジョワ十字軍は、他の十字軍と違って、エルサレムをイスラム教徒から奪回するためのものではありませんでした。当時、南フランスに勢力を持っていたキリスト教カタリ派を異端として、彼らを討伐するために組織された十字軍だったのです。もっともその背景にあるのは、宗教的理由というよりもむしろ、政治的・経済的・文化的理由であったと言えるでしょう。その当時トゥールーズはカタリ派の拠点でもありました。
カタリ派を武力制圧したカトリック教会は、本格的な異端審問を開始します。また、外観は壮大堅固、内部は華麗な大聖堂を建立して民の心をまとめようとしました。同時に、民の心を捕らえるために様々な宗教伝承の形成伝播を進めました。その中に、聖杯伝説があります。聖杯伝説とは、キリストの最後の晩餐に用いたぶどう酒の杯 ― それはまた、十字架につけられたキリストの身体から流れ落ちる血を受けるためにも使われたとされています ― を守る聖杯騎士団の伝説で、アルビジョワ十字軍の直後の時期にこの地域で成立したといわれています。これがパルチヴァール物語としてアーサー王伝説に組み込まれていったのでした。ショーペンハウアー哲学の影響を受けた作曲家リヒャルト・ワーグナーがこのパルチヴァール説話をベースにオペラ『パルジファル』を創作したという形で、トゥールーズとショーペンハウアーをめぐる輪が閉じるのです。そのような説話を産みだした時代は遙か遠くの過去に去ってしまいましたが、自然の地形や町並みなどが多くのヒントを与えてくれることもあります。それで、残り半日の持ち時間をアルビ訪問に用いる決心はすぐついたのです。
ところが、マタビオ駅に着いてみると、駅の案内所では、アルビ行きの列車はまもなく出る予定だが、帰りの列車が走るかどうか保証できない、とのことで、困ってしまいました。万一今晩トゥールーズに戻れないと、明日の飛行機で帰国できなくなります。しかしそのとき、さっき通りすがりに目にとまったレンタカーの店を思い出しました。駅を出てレンタカーショップに直行しました。生涯有効のドイツの運転免許証とクレジットカードで、手続きはスムーズに進みました。こうして、アルビへのドライブが実現することになりました。おしまいは、運転席から片手運転で撮った写真(>_<)、およびアルビ旧市街の眺望です。
トゥールーズからアルビへ向かう車より

Albi旧市街

Albi旧市街


今回、身にしみて考えさせられたのは、「国際的」の意味です。鎌田はいろいろな国際学会で発表することが多いのですが、「国際学会」というと、英語だけでする学会、というようなイメージをお持ちの方もいらっしゃると思います。しかし、私の参加した国際学会では、ブラジルでも、ドイツでも、フランスでもそうでしたが、ヨーロッパ語という制限はあるものの、何語を使ってもよいのです。通常母国語で発表・発言します。いくら何でもヨーロッパやラテンアメリカの国際学会で日本語は通じないので、鎌田の場合は講演にはドイツ語を使いました。ただし質問やコメントは発表とは異なる言葉でされることも普通です。それに対してこちらもまた何語で答えても構わない、という具合です。ドイツ語のほか、英語やフランス語も普通に使われます。ブラジルではポルトガル語で質問されて弱ったことがありますが、学術用語ほどラテン語と似ている単語が多いので、多分こんなことを聞いているのだろうと見当をつけてドイツ語で返事してみたら、それが正解だった、というような綱渡りをしたこともあります。(^^ゞ これは、すべてのコミュニケーションを英語で一元化するアメリカ型グローバル主義に対して、EU型多文化主義と言えるでしょう。一見いろいろな言語を知らなければならず、厄介なようですが、耳で聞いて分かる、ということだけなら、正しく話すのに比べてずっと学習負担は少ないし、それぞれが母国語で話すので、人文系のように言葉の表現が命、という領域では微妙なニュアンスや複雑な議論もストレスなくできるメリットは大きいです。合理的かつ公正なコミュニケーション方法ではないかと思いました。国際的コミュニケーションでもいろいろな方法があるということを知っておくのは重要だと思います。特に東アジアの共同体化が進む場合、言語をどうするのかを考えるにあたって多くの選択肢をもつことは有益だと思います。

明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願いいたします

年賀はがき2010

※年賀はがきをクリックすると、拡大画像が表示されます

近況報告リンク集

鎌田康男ブラジル出張記 ― 国際ショーペンハウアー学会、2009年10月(ブログ) この下↓

鎌田 康男・最近の刊行物リスト(関西学院大学研究業績データベース)

鎌田康男研究室ホームページ

鎌田康男個人ホームページ

新規カテゴリー「鎌田研究室便り」設置etc.

新規カテゴリー「鎌田研究室便り」を設置しました&鎌田康男ブラジル出張記

鎌田研究室ブログに、新規カテゴリー「研究室便り」を設置しました。担当教員(鎌田)、ゼミ生、院生、OB/OGなどの近況を報告シェアしあう場所にしたいと思います。

その鎌田ですが、10月11日~26日にかけて、ブラジルのサンパウロおよびリオデジャネイロで行われたショーペンハウアー学会に行ってきました。ゼミ生、および講義受講生のみなさんにはご迷惑をおかけしました。別途補講によって、みなさんの納入した授業料が無駄にならないようにいたしますので、ご安心下さい。m(__)m ブラジルと言えば日本から見て地球の反対側、地球を半周する(往復で1周する)という鎌田(および、およそ地球を旅する者)にとって最遠の旅となりました。2005年にもブラジル・サンパウロの学会に出たことがありますが、そのとき鎌田はドイツ・マインツ大学の客員教授をしていたので、地球の約4分の1周で済みました。

10月11日に関空を発って、同日フランクフルト着、思いでのマインツ(フランクフルト空港から25分)のホテルに一泊して旅の疲れを癒やし、客員教授時代の同僚たちと旧交を温め、12日にフランクフルトを発って翌13日にサンパウロに到着しました。14~16日にサンパウロ大学で行われた学会では一人一人の持ち時間が最高2時間というたっぷりの時間を使ってとことん議論しました。以前から共同研究をしている研究仲間が多く、鎌田もリラックスして講演・議論できましたが、この、思う存分、とことん、が3日つづくとさすがに疲労がたまってきました。

コルコバードよりリオの町と「砂糖パン」(右上のとがった岩山の愛称)を望む

コルコバードよりリオの町と「砂糖パン」(右上のとがった岩山の愛称)を望む

 その後、10月17日に、他の人が飛行機なのに意地を張ってバスで6時間かけてリオデジャネイロに移動。鎌田は、海外の学会に行くと(日程が許すかぎり)一度は長距離を陸路で移動することにしています。そうすることで、その土地の人や自然によりよく触れることができるからです。今回のバス旅行も、疲れたけれどもいろいろな経験をすることができました。小さな子供も乗っているバスの中で放映された映画のポルノ度が高くてびっくりしたり、貧富の違いが歴然とした町の区域割り ― 貧富の格差の存在が自由市場経済にとっての必要悪であるという側面を嫌と言うほど見せつけられる瞬間でもあります ― 、そして、水に恵まれた豊饒な森や畑、なにはともあれ人々の活気溢れた姿、なるほどこれからオリンピックを開こうという国だけあると感心しました。

リオデジャネイロは美しい町です。オリンピックのお膳立てとしてもよいと思います。ただし、鎌田自身は、リオでの講演原稿がまだ完成していなかった (^_^; ので、せっかくのフリーの週末はホテルにこもって準備にかかり切り、学会は月曜日から金曜日までぶっつづけでした。学会会場では、英語(発言していて途中でことばに詰まってドイツ語に切り替えることもあり)、ドイツ語(水を得た魚)、フランス語(相手の言っていることはなんとか分かっても、私からの発言は英語かドイツ語・・・)、ポルトガル語(全然、ただしラテン語と単語が似ているので、何を言っているかぐらいは分かることもある)などが飛び交いましたが、水曜日の午前中、ポルトガル語だけの講演がつづくことをプログラムで確認し、時を見計らってちょっと抜けだし(ご免なさい!)て、巨大なキリスト像の立つコルコヴァードの山(海抜約700m)にアプト式登山電車で登ってきました。さすがにすばらしい眺めでしたので、写真を一つご紹介しましょう。(上の写真)そのあと、地図を頼りに旧市街を、1時間でひとまわり駆けてきました。やはり、地図をもつということの威力は、知の世界だけではなく、現実世界でもすばらしいものでした。(下の写真)

旧市街の風景

旧市街の風景

メトロポリタン大聖堂

メトロポリタン大聖堂

肝心の鎌田の講演はドイツ語でしたのですが、ドイツ哲学研究の盛んなサンパウロ大学と違い、リオの学会の参加者にはドイツ語がよく分からない人もかなりいるとのことで、ドイツ語に堪能なブラジル人の若手研究者(鎌田の著作の愛読者ですと自己紹介してくれて嬉しかった)が、ドイツ語⇔ポルトガル語の通訳を買って出てくれました。しかし、講演をすべてポルトガル語に通訳したために、同じことを2カ国語で繰り返すことになり、1時間の講演予定が2時間になってしまいました。でも、ブラジルの人はおおらかに、のんびりしっかり聞いてくれました。時間が大幅にのびて一番いらいら気味だったのは、鎌田本人だったかも知れません・・・

リオの、と言うかブラジル観光は、コルコバードに登ったときの5時間だけ。あとはひたすら学会で座っておりました(立ち上がって質問や反論する時を除く)。当然、最大の楽しみは食事とスイーツでしたが、おかげで体重が猛烈に増えて、帰国したら完全にメタボ領域に入っていました。(/_;)

そうそう、もう一つの楽しみについての報告を忘れそうになりました。学会最終日23日の夜、鎌田の通訳をしてくれた若い研究者のガールフレンドが個人的に知っているミュージシャンの出演するリオ旧市街のサンバハウス TRAPICHE GAMBOA  に、同僚たちと連れて行ってもらったこと。

通訳をしてくれたチャンパイ氏とガールフレンド・パトリチアさん

通訳をしてくれたサンパイオ氏とガールフレンド・パトリチアさん

夜10時にホテルに迎えに行く、と言うので、終わるのは(何時頃)?、と聞くと肩をすくめておしまい。40年ほど前の学生時代にルンバとかジルバとか踊ったこともあるけれど、テンポが格段に速くてまったくついて行けない。しかし、熱い砂で足が地面におろせないみたいに踊るんだよという一言に開眼しました。回りから「それだ!」と叫ばれて、とそのあとは貧乏揺すりが止まらなくなる感じで踊りまくりました。歌手も楽器も、リズムがすばらしかったです。たぶん学会関係者で一番上手だったサンパウロ大学哲学教授カッチオーラ女史の秘書のマリエさんを手本にして踊っていたら、男の人がそんなに腰をゆらしてはだめ、とたしなめられました。(^^ゞ

サンバハウスの様子

サンバハウスの様子

ちなみに学会会場のリオのカトリック大学は、サンバ発祥の地(初めてのサンバのコンサートがこの大学キャンパスで行われた)だそうです。

3時、あすの朝早くホテルを出発する同僚もいたので、盛り上がっているところをしぶしぶ退散しました。翌朝、あれだけやったのだからとステップを試してみると、きれいさっぱいり忘れて、手も足もでません。さては魔法にかけられたか~

しかし、腿の痛みはしっかり残っておりました。

鎌田も24日(土)夜の飛行機に乗ってフランクフルト経由26日(月)に帰国しました。

激しい討論とサンバというアンバランスな二つの熱い想い出が強烈に焼き付いた学会出張でした。

プロフィール


鎌田 康男
現在、関西学院大学名誉教授(2016年3月定年退職) 《共生と公共性の philosophy》 ★プロフィール詳細

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