今年の3回生ゼミは総勢12人でスタートです。中国から3人、韓国から1人の留学生を迎え、日本からも1人がインドネシアに留学中。わがゼミもがぜん国際派となりました。観光旅行ではわからない日常の暮らしの違いを理解しあうことが、案外と大事なことではないかと思います。摩擦は理解の第一歩!にぎやかゼミを目指しましょう。(斉藤)
今年度斎藤ゼミに所属しました村田です。恐縮ながら副ゼミ長です(笑)
未熟な私ですが、ゼミの活動を通して様々なことを吸収し、成長していきたいと思います。
なかなかの人見知りな私ですが先生、先輩方はじめ同回のみなさん仲良くしてください(^^)
よろしくお願いします。
(村田)
こんにちは(^-^*)/
カキです。上海からの留学生です。趣味は旅行(探険)と音楽です。早寝が苦手です”(ノ><)ノ
(カキ)
★初めまして、くにかです!
★エスニック料理、エスニックデザインに惚れ込んでいます。
★現在インドネシアに留学中です。
★’’fun”と”繋がり”をモットーにコミュニティ政策を研究。
★どうぞよろしくお願いします^^
(くにか)
名前は、塚松 葉瑠菜です☆
すごく画数が多いので、テストではいつも出遅れます。。
はるって呼んでくれたら嬉しいです(^O^)/
趣味は、旅行です。いろんな風景を見たり、その土地のいろんなものを食べることが
大好きです★性格は、すごくマイペースですが、これからよろしくお願いします!!
(塚松)
はらだゆりです。
ゴーヤの日生まれの女の子。
お弁当のメニューが今のちょっとした悩みどころです。
すきなものと云えば、 本に映画にまんがにドラマ、挿絵に装飾に手書きの文字、ぞうさんの話と色の話と宇宙な話。ぞうさんへの想いはタイまで象使いの訓練を受けにいってしまったほど。最近はヘラジカさんが気になります。
ケェセラ〜セラ〜♪
そんな風に穏やかに軽やかに生きてゆければと思うんだけど、ぐるぐると考えすぎてどんくさ子なわたしにはちょっと難しい。だからこそ考えたこと感じたことを見落とさず、昇華させて、いちいちわたしの糧になってくれればな〜と思ってます。
はじめはシャイな感じですが打ち解ければ染み付いた大阪っ子気質が出てくると思います。笑
雰囲気のいいいいゼミにしたいです。よろしくお願いします。
(はらだ)
斉藤ゼミの新3回生の韓国人留学生の金民善です。
ゼミの自己紹介では料理が好きだと言いましたが、その他に、偶然友達がクラシックピアノ曲を聴かせてくれた後からクラシックピアノが好きになりました。
昔は退屈なものだと思っていましたけど、今は有名なピアニストの演奏を探して聞いています。
前と比べてかなり変わったなと思ったこともあります。
また、一回生のゼミではもっと頑張ったら良かったと感じたこともかなり多かったので、今年からのゼミでは後悔しないように頑張って行きたいと思います。
(金)
こんにちわ(^^) 斎藤ゼミになった石川です、つばさとか呼んでください。
ゼミ長になりました(Д)頼りないやつですが、よろしくお願いします(^^)ノシ
のんびり楽しいゼミにしましょー!
(石川)
はじめまして!
3回生のゆかりです。
少し人見知りな上にあがり症なので、初めての人と話すときははちゃめちゃな感じになってしまいますが、ゼミのみんなと仲良くなりたいと思っています!
勉強もマイペースに頑張っていきたいです。
よろしくお願いします(*^_^*)
(ゆかり)
平石千尋です。西宮市の鳴尾に大学1回生の頃から住んでいましたが、今年引っ越しました。焼肉屋でバイトをしています。趣味は旅行や音楽鑑賞です。
(平石)
こんにちは、総合政策学部3回生の孫です。
好きな色はピンクです。肉を食べるのが好きです。
自分の趣味が広いと思います。日本の漫画を読むこと、映画を見ることなどが好きです。
日本の家庭料理も好きです。特に魚煮付けは日本家庭料理のトップ1だと思います。
自分の性格について。。。
自分を見れば、自分がやさしい人だと思いますが、友達からの印象は真面目だけれども、時々躊躇いやすい、マイペースと言われます。![]()
自分はマイペースじゃなく、ただ性格は雑だけだと思います。 ![]()
日本の学生とうまく、コミュニケーションしたいです。![]()
文化が違うので、話の言い方も違うと思います。頭の中で、こう伝いたいけれども、日本語でうまく説明できない場合があるので、変な人を思われないように、皆さんのご理解をいただきたいです。![]()
(孫)
ボールです。
私は中国から来ました留学生です。
身長177cm(前年、健康診断をしたより2cmぐらい縮んでいました。原因不明)
体重72KG
好きな食べ物 やっぱり焼肉だね。
以上、これから、よろしくお願いします。
(ボール)
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初めてブログ書かせてもらいます斉藤ゼミ3回生の荒垣です(^^)
ゼミ旅行として8月28日~9月4日までインドネシアに行ってきました♪
すごく楽しかったです!
インドネシアに到着してすぐの空港での両替でぼられそうになったのもいい思い出です…
斉藤先生に助けてもらい、きちんと正規の値段頂きました。
先生にはこの旅でかなりお世話になりました。
ありがとうございましたm(__)m
両替をした時はしっかりその場で数えないといけないなと改めて感じました。
みなさんもほんとに気を付けてください!
さて今回のブログでは、バリ島にて参加したエコツアーについて書きたいと思います!
エコツアーは全て英語で行われ、理解できるか不安でしたが、ツアー案内人の優しい英語と斉藤先生の補足のおかげでなんとかなったと思います笑
エコツアーではトゥガナン村という古くからある村へ行きました。
トゥガナン村は、バリとはまた違った独特の文化を持っている村です。
トゥガナン村へはウブドから車で1時間半~2時間程かかったと思います。
村の様子はこんな感じです↓



最初は奥の森に向かい、そこらへんに生えている草がどんな病気に対して効くのかを聞きながら進んでいきました。


バナナとかパイナップルとか生えていました。
パイナップルは赤かったです。

果物の王様と言われているドリアンについても色々教えてもらいました。
ドリアンは高価なので、取り合いになるらしく、ドリアンがなる季節になったら自分たちの陣地を決めてひたすら下で落ちてくるまで待つそうです。
落ちてくるのを待つのは、木に登って採るのはだめだからだそうです。
ドリアンが落ちてくるまでここ↓で生活します。(すごい!)

ドリアンを食べさせてもらったのですが、私の口には合いませんでした…

次は、ランチです。


すごくおいしかったです!
インドネシア料理とはまた違う料理でした。
お気に入りは焼き鳥でした(^^)
ここの鳥は放し飼いになっていて自由に動き回っているからか身が引き締まっていてとってもおいしかったです!
ランチの後は、ワインを作っている所へ案内してもらいました。
ちょっとのませてもらいましたが、甘くて飲みやすかったです。

ワインはこうやって取りにいっていました。


次はトゥガナン村の伝統工芸品である“グリンシン”を作っている所へ行きました。
グリンシンとはダブルイカットと言われる世界的に珍しいとても手の込んだ工芸品です。
このダブルイカットという縦糸も横糸も染める手法をとっているのは世界でも3か所だけだと聞きました。
その1か所に日本は入っています。
“グリンシン”とは、Gring singと書きます。その意味は、
Gring=ill/sick、sing=noで“無病”で、病気にならないというパワーを持っています。


こんな感じで村の中を歩き回らせてもらいました。
他にも家を建てる時に行うセレモニーを少しみさせてもらったり、はちみつをなめたり、糸つむぎをさせてもらったり、ほんとに色々経験させていただきました。
みなさんもバリへ行ったらトゥガナン村へぜひ行ってみてください!
まだまだインドネシア旅行のブログは続きますので、ぜひまたみてくださいね!(^^)
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インドネシアに留学中の水野さんが、素敵なガプラ(gapura)の投稿をしてくれた。大学のあるサラティガの住宅地だろうか。
いい機会なので、ジャカルタのカンポンについて紹介したい。ジャカルタはインドネシアの首都であり、人口2000万を超える巨大都市圏の中心都市である。この研究室ブログに小牧君のジャカルタレポートがあるので、ご覧いただければいくらか雰囲気を感じていただけるだろう。その写真をみて、ずいぶん道路が閑散としていると思われるだろうか。これには理由がある。実は私の旅行スケジューリングの大失敗なのだが、ここでは触れない。もちろん普段の日は車とオートバイでごったがえして大渋滞だ。
カンポンは、本来は農村や漁村の集落をさす言葉である。水野さんの投稿記事の一番下に彼女の個人ブログへのリンクがある。ここに昨年9月、バリ島のレストランで撮った集合写真をのせてくれている。棚田(若い人にはライステラスといったほうがわかりよいのだろうか)の眺めが楽しめる、ちょっと洒落た雰囲気の場所だった。名前を” Kampung Cafe”という。訳せば「田舎亭」といったところだろうか。
ジャカルタは広大なカンポンの海に現代的高層ビルが林立する都市だ。なぜ巨大都市圏の真ん中に広大な「田舎」があるのか。
現在、各都市でカンポンとよばれる地域は、都市に人口が流入し都市域が拡大していく過程で形成された。村から新しい生活を求めて都市に移り住んできた人たちが、周辺の空いている土地に住み始める。そのうち地縁・血縁の人たちが集まってきて、自然発生的な住宅地がつくられてゆく。これがあたかも田舎のカンポンのようだというので、この都市の住宅地をもカンポンというようになったのである。こういうことなので、計画的に開発された住宅地、いわゆるニュータウンの類は規模の大小を問わずカンポンとはよばない。例えその住宅地開発がもっぱら低所得者を対象としたものであったとしてもだ。
今日のジャカルタはカンポンで埋め尽くされ、経済成長に伴ってかつての「周辺」も今や都心の一等地となった。ジャカルタを巨大都市圏にふさわしい都市構造とするうえで、カンポンをどのように扱っていくかは、ジャカルタのみならず国家としての都市政策上の大きな課題となっている。
さて、ジャカルタのカンポンの様子を写真でみていただきたい。場所はメンテン。メンテンにはオランダ植民地時代に開発された住宅地があり、大統領官邸からもさほど遠くない。もちろん高級住宅地である。オバマ大統領がジャカルタで通ったという小学校も、このメンテン地区にある。カンポンはこの高級住宅地に隣接している。
手前が高級住宅地区の緑地、入り口ゲートから奥がカンポンである。カンポンの家は、だいたい入口ふきんに経済的に余裕のある人が比較的大きな家をかまえる。奥に入るにつれ、建物は小さくなり住む人は貧しくなる。
「迷路のような細い通路」が、カンポン共通の特徴だ。この通路は、もとはもっと狭く、舗装などはなかったはずである。かつて、通路に面する家は少しづつ土地を提供し、土地を提供しない家は労働力を提供し、というお互いの助け合い(インドネシア語ではゴトンロヨン(gotong royong)という)、通路の拡幅や排水溝、共同の井戸・便所等を整備していった時代があった。この手法はやがて世界銀行の支援プログラムに採用され、”Kampung Improvement Program (KIP)”として世界的に知られることとなる。
確認はできなかったが、おそらくかつてKIPで整備した共同井戸の名残ではないかと思う。KIPでは、共同の井戸・便所・水浴場をセットで整備した。現在は使用していない。
こちらの共同井戸は現役である。
カンポンはスラムではない。正確に言うならば、スラムと同義語ではない。しかしこのカンポンも、かつては不衛生で粗末な家が建ち並ぶ地区だったはずである。それは、上のKIPで整備されたと思しき井戸の写真からも思い浮かべることができよう。
もちろん、現在もスラムといって差し支えない地区は存在する。特に川沿いでは、水面にせり出すようにして粗末な家が並ぶ地区がある。このような地区に表側の道路からアクセスすることは、なかなかに困難だ。スラムを見る一番いい方法は、川から見ることだ。
だいぶ旧聞に属するが、1999年か2000年ころだったかと思う。地元の新聞に、大臣とジャカルタ州知事がスラム視察のため、ゴムボートに乗ってジャカルタをつらぬくチリウン川を下る写真がのっていた。ライフジャケットを着て、バリ島での渓流下り(ラフティング)のいでたちである。お二方とも、ちょっと興奮したような表情で写っていた。
「仕事のふりして遊ぶなんて、偉い人はやっぱりズルしてる!」とお思いだろうか。羨ましがるほどのことではない。チリウンは、はっきり言ってドブ川である。穏便に言っても、ゴミと悪臭に満ちている。川にせり出している家に、仮にトイレと呼べるものがあったとして、そこからの落下物がどのような経路をたどるかを想像してみれば、おのずと顔にかかる水しぶきへの対処も決まろう。
ご両人にとっては、確かにエキサイティングな経験だったろうと思う。しかし、もう一度やってみたいと思ったかどうかは知らない。
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こんにちは(^u^)
斎藤ゼミ、新3回生の水野久仁香と申します!
私は現在、交換留学でインドネシアに留学中です。
突然ですが今回のブログ記事は、私が暮らしているインドネシアについて、
ちょっとした記事をお届けします!
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インドネシアの町中を歩いていると、ところどころ、なにやら目立った門を見つけることがあります。
音楽モチーフの門

こんなかわいらしい門も
デザインや大きさははさまざま。
さて、これは何を表す門なのでしょうか?
実はこれ、kampung(カンプン)というインドネシア特有の、「住宅街」の入口を表す門なのです。
この門、インドネシア語では「ガプラ」と呼ばれています。
インドネシアには町の中に住宅が集まった地域がいくつもあるのですが、それぞれの住宅街は路地を介して他の住宅街と分けられています。

このような感じ・・・
その住宅街ごとに、入口に門<ガプラ>があります。
kampungという住宅街は、伝統的な木造建築の家が立ち並ぶkampungもあれば、庭付きの大きな家々が集まっているkampungもあります。
kampung内の様子はさまざまです。
ですが、どのkampungも、たくさんの家が一定の地域内に納まっているという点で共通しています。
さらに、門<ガプラ>を見れば、ここからがkampungの入口なんだ!というのが分かるんです。
インドネシアのkampungの特徴は、kampung内のあらゆることが、住民たちの自治で成り立っているということです。
もちろん・・・kampungの入口、ガプラも人々の自治システムと関わっています。
それでは、そのkampungの自治システムについて少々ご紹介します。
インドネシアには(日本でいう)町内会組織が存在しており、kampungの人々にとって、とても重要ものとなっています。
というのも、kampngの地域内コミュニティはすべて、住民の取り決めで成り立っているからです。
kampungには毎月、定期的に行われる会合があります。
通常は町内の家長である男性たちが集まり、町内の政治的問題、町内イベント、宗教イベントなど、さまざまなトピックについて話し合をします。
例えば、
町内のリーダーの選出や役員決め
税金徴収について
壊れた道路の補修
独立記念日のお祝い
クリスマスの行事 (キリスト教徒向け)
断食明けの行事 (イスラム教徒向け)
など、ジャンルを問わず、町内のことはほぼ全て、町内の人々によって管理・決定が行われます。
政府の直接的な介入は普通ありません。自分の町のことは自分たちで決める。
とても自治的です!
もちろん・・・最初にあった写真、kampungの入口の門も、それぞれのkampungの人々によってデザインが決められ、建設後もきちんとkampungの人々によって管理されているのです。
ここで、先ほどのkampungの門<ガプラ>の2枚目の写真を見てください。
左側に、数字が書かれているのがお分かりでしょうか?
左側の 、
17
08
1945
これは日/月/年の順で、インドネシアの独立日を表しています。
写真が切れてしまって申し訳ないのですが、門の右側にも数字が書かれています。
右側には、
17
08
2011
これは2011年の独立記念日を表しています。
この右側の一番下の数字ですが、毎年8月17日に新しい年に更新されます。
8月17日はインドネシアの独立記念日!
kampungでは町の一大イベントとして、いろいろな催し物が開かれます。
その1つに、住民たちでkampungの門に書かれている、右下の数字を塗り替える。というイベントがあるようです。
写真(2011年撮影)の門は、2011年、8月の独立記念日に年が書きかえられたことが分かります。
インドネシアの町内組織はただ単に、地域の連絡番的な役割をするだけでなく、人々の生活に密着した、
さまざまな役割をもっています。
何気なく道端に現れるあの門、ガプラも、kampungの人々が共同で作り上げたものだということが分かるのです^^
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個人ブログで私のインドネシア生活について、不定期で更新しています(*^^)v
インドネシア、アジアの都市(kampungのような田舎も含め)国際的なトピックに興味がある方は、
ぜひ、こちらのブログにもお立ちよりください。
terima kasih…(ありがとうございました)
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話は一年前に遡る。
三田市の委員会の仕事で、「淡路風車の丘」を見ておく必要が生じた。どこにあるのかと地図で探すと、キャンパスからさほど遠くないことがわかった。近くに「アートガーデン」という場所もある。何だろう。翌日、車で行ってみることにした。
「淡路風車の丘」は三田市の公園施設である。「淡路」の由来は、戦後大陸から引き揚げてきた淡路島の人たちがこの地を開拓したことによる。「風車」で「かぜ」と読ませるようだが、なぜか南仏風の風車がここにある。前に大きな池があって、なかなかのびのびとした風景ではある。
さて、「アートガーデン」。見つからない。どうも行き過ぎたようだ。車をUターンさせて探すと、家と家のあいだに脇道がみえる。車一台がやっとの細い上り坂をグッとアクセルを踏むと、すぐに左手に林地が現れた。どうもこれらしい。草が深いが、車を入れられないこともない。Uターンできる場所がないと、自分の運転技量からして相当に困った状態に陥ってしまうが、細い道に車を停めておくわけにもいかない。突っ込む。幸い、車を停めて方向転換できそうな場所はあった。
なんと形容すればよいのだろう。文字や人物像が彫られた石とコンクリートが、冬の寒空に朽ち果てることを拒否するように存在を主張している。「ゴッホ記念碑」と彫られた碑では、ゴッホと思しきレリーフの顔がこちらを見ている。武者小路実篤、佐藤春夫、柳宗悦の文字もみえる。二階建ての住家は、窓の部分にブルーシートがかけられており、ずいぶん長く空家であることがわかる。夜に小さな子供をつれてくると、泣き叫んで肝試しどころではなかろう。
そろそろ帰ろうとしたとき、白いバンが近づいてきた。不審に思ったのだろう。若い作業着の男性が、「どうかしたのですか」と聞いてくる。確かに勝手に人の土地に車を乗り入れているのだから、怪しくないはずはない。「地図でみつけたので来てみた」というと、「心霊スポットですか」とさらに聞いてくる。「???」。怪訝な顔をしていると、男性は「自分はこの土地を管理している社会福祉法人の者だが、数年前に心霊スポットとして紹介されて以来勝手に入って悪さをする人がいて困っている」のだという。しばらく話をして、こちらが大学教員だというと一応信用してくれたのであろう。色々と説明をしてくれた。昔、基礎ゼミの学生に「斉藤先生は普通ですよね」といわれて返答に窮したことがあったが、胡散臭さも職業を名のれば剥げ落ちる程度のものであったことを感謝した。いや、むしろ職業が胡散臭くないことになっていることを感謝すべきか。
説明によれば、この土地は画家の大野輝一氏が芸術の園「アートガーデン」をつくろうとしたものという。氏はここからの眺めが敬愛するゴッホの地、南仏アルルをおもわせるといたく気に入り、人々が本来の自分を回復する場として複製名画の美術館を中心とした施設を構想した。西宮の自宅から通っては記念碑の建設などをすすめたが、美術館にとりかかる前に1972年(昭和47年)、77歳でこの世を去った。
その後、土地の半分は男性が勤める社会福祉法人の所有となる。この社会福祉法人は、重い障害をもつ子供たちが学校を卒業した後に行き場がないという問題にとりくんでいて、この土地でソーシャルファームを展開したいのだという。「三田ユニバーサルヴィレッジプロジェクト」という名前も決まっている。社会福祉法人の所有地は道路に近いほうの半分で、建物や石碑などの構造物はない。「所有していない土地についても管理は頼まれているので、学生の活動の場として有効に使ってもらえれば嬉しい」と言っていただく。「おもしろそうな土地なので、コンタクトをとらせていただくことがあるかもしれない」といって名刺を交換し、その日は別れた。
大学に戻って何人かに声をかけてみるが、具体的なイメージがはっきりしないこともあってか積極的に興味を示す学生はいなかった。こちらも授業の準備、その他で忙しくなり、アートガーデンはいつのまにかユニバースのかなたに見えなくなってしまった。
今月10日、携帯のメールをチェックしていると、”sanda”のアドレスのメールがあることに気がついた。市役所からかと思って開いてみると、転送されてきた”sanda.universal.village@”。一年前に名刺交換をしたSさんからだった。地球の引力の偉大さを思い知る。寒さに縮こまっていた脳も、頭に隕石が当たってようやく動き出した。22日に福祉法人の本拠である「はんしん自立の家」に伺うことを約した。
いわゆる「福祉施設」の固定観念があったのだろう、当日はすぐには建物をみつけることができなかった。コンビニの駐車場で地図を確認すると、近くに見える煉瓦タイルの建物のあたりになる。しかし「どこかの会社のちょっとしゃれた研修所」という雰囲気で、しかもかなり規模が大きい。「これではない」と勝手に決めつけてしまった。ところが、これこそが目的地だったのだ。後に「それらしくない」ことに意図された意味があることを悟り、自らの不明を大いに恥じることになる。
館内では、一年前にお会いしたSさんと、施設長のIさんに対応いただく。Iさんは穏やか笑みの小柄な女性で、施設長という職責に相応しい聡明さと行動力が感じられた。聞けばお二人とも関学のご出身とのこと。こういうところで卒業生とお会いできることは、とてもうれしい。アートガーデンから三田ユニバーサルヴィレッジプロジェクトに至る経緯をお聞きし、その後館内を案内いただいた。
アートガーデンの資料をみると、当時整備のために多くの大学生がボランティアとして参加したことがわかる。1962年5月27日にゴッホ記念碑の除幕式をするが、これがすごい。オランダ総領事夫妻、フランス副総領事夫妻、兵庫県知事、三田市長らが列席するなか、関西学院女子学生の炎奉典で式は始まる。写真をみるとオリンピック聖火のミニチュア版といった感じで、女子学生の服装もオリンピア神殿の巫女風と見えなくもない。京都ノートルダム女子大学生による除幕に次いで、神戸生田神社の神職が清祓式をおこないゴッホと弟テオドル、その妻ヨハンナーの霊を招く。さらに京都日仏学館館長による玉串奉典、神戸女学院学生のヴァイオリン演奏と式は進んでいく。式の最後にあいさつに立った大野画伯が、野良着の前をはだけた長靴姿というのも突き抜けている。
話を戻す。ここを開設することとなったそもそもは、若いイギリス女性がとつぜん福祉法人に乗り込んできたことだという。彼女はたまたま某所で福祉法人の募金箱を目にし、どうも自分たちの活動と福祉法人の目指す方向が一致しているのではないかと思ったらしい。やってきて、「チェシャーホームを日本でやらないか」と言ったそうだ。関係者の努力により日本でのチェシャーホーム第1号「はりま自立の家」が開設され、ここ「はんしん自立の家」はチェシャーホーム第2号ということになる。手元のパンフレットによれば、チェシャーホームはイギリスのレオナルド・チェシャー卿が、末期症状で入院していた友人に郊外の邸宅の一室を提供したことに始まる。卿は、友人が冷たい病院のベッドで死を迎えるよりは、緑の芝生をながめ、家族や友人に見守られながら余生をおくるほうが幸せだと考えたのである。後に、病院や施設に収容されていたハンディキャップをもつ人たちをも屋敷に受け入れ、友人や地域の人たち、ボランティアとともにホームを運営していった。その活動はやがて世界に広がり、現在50か国以上で卿の趣旨に共感する人々によってホームが運営されている。ちなみに「はんしん自立の家」は、チェシャーホームジャパンの本部を兼ねる。
館内で感じるのは、入居者の尊厳を尊重すべく最大限の努力がされていることである。
入居者が館内を自由に電動車いすで移動している。これは入居者の多くが重い知的障害にあることを考えれば、驚くべき英断である。事故発生のリスクと生じる責任を考えれば、安全側の判断、すなわち電動車いすの導入はあきらめる、というのが管理上の常識的判断ということになろう。それをあえて知的障害者が自らの意志で移動できることに、より高い優先順位を与えたのである。
食事の時間になった。食事はすべて陶器の食器でサーブされる。陶器は重く扱いにくいうえに破損しやすい。国際線の飛行機も、ビジネスクラス以上でないと陶器は使わない。しかし陶器とプラスチックでは、食事の楽しみに雲泥の差があろう。どこからだろうか、ドンドンと大きな音がした。待ちきれなくなってテーブルをたたいている人がいる。まわりの人がちょっと笑っている。確かにおいしそうだ。うちのキャンパスにもってくれば、きっと好評だろう。
みながくつろぐ大広間で、床がいちだん高くなった場所がある。ここは車いすに乗ることができない人のための大きなベッドだ。ベッドから離れられない人も、夜のベッドから、昼は活動の空間に移る。パジャマを着替え、夜のベッドにはベッドカバーがかかる。
浴室にはなんと各自好みのシャンプー・リンスが、名前を貼られて靴整理のシューズラックに鎮座する。
これらは、いくらかでもこの種の施設を知っている人間にとっては信じがたい光景である。いずれの施設も限られた予算のなかで経費を削減し、なんとかお金の辻褄をあわせている。雇えるスタッフの数も限られ、入居者が喜ぶとわかっていてもなかなかサービスレベルをあげることができない。「はんしん自立の家」も障害者自立支援法に定める障害者支援施設であり、その設備・運営については厚生労働省令で細かな基準が定められている。自由にやりたいようにできるわけではない。
関係する人たちの高い志が、このような優れて質の高い運営のベースにあることはまちがいない。しかし同時に、外部リソースの使い方がとても巧みであることに気がつく。バッキンガム宮殿の近衛軍楽隊のメンバーや世界的な名バイオリニストがわざわざやってきて演奏してくれるのは、チェシャーホームという世界的なネットワークにつながっている効果であろう。むろん耳目を集めるイベントだけではない。継続的に絵画教室、茶道教室、そしてなんと論語を読む会までが、外の講師がボランティアとして協力することで実現している。うたごえ喫茶(若い人にはなんのことか不明でしょうが・・・)、洋菓子教室、ガーデニングクラブなどもある。さらに関学生の太極拳や滋賀大生のキューバ紀行報告等々。自立の家が外に開かれた存在であり、地域とともに支えあいながら歩もうとする姿勢が、このような外の力を呼び寄せているのだろう。訪問したときは地域の人たちがガーデニングを学び、玄関ホールの子供たちの声に驚くと近くの施設の子の食事会だという。
理念を共有する人たちに支えられているとはいえ、もちろん十分なマンパワーがあるというわけではない。常にボランティアの場はある。特別の技能がなくとも大丈夫。海外に興味のある人には10月13日(土)から始まる東アジア・太平洋地域のチェシャーホーム国際会議がある。インドネシア、マレーシア、タイ、中国など8か国から関係者が神戸に集まる。特にこれらの国のことばができる学生には、ぜひボランティアをお願いしたいとのこと。
そして三田ユニバーサルヴィレッジプロジェクト。ユニバーサルの由縁は、福祉法人の理念「だれもが人として尊重され、ともに支えあい、分かち合ってくらしていけるユニバーサル社会」による。Sさんは竹炭やはちみつなど、いろんなことを試しながら、この地で障害のある人たちが生産者として社会に関われる可能性を探っている。地域の農家も高齢化が著しく、いっしょにやりたいとの話もあるとのこと。Sさんはアートガーデンとしての資産も生かしながら、ここを障害者も、そうでない人も、地域の人も、みんなが集まれる場所にしたいという。
何がここで可能なのか、まだよくわからない。可能性は開かれているが、条件に恵まれているというわけではない。とりかかりは、Sさんのお手伝いをしながらの小さな一歩でもよいかもしれない。アートガーデンの遺産の使いかたを提案してもよいだろう。いかがだろうか。
できれば、ここを学生の活動の場として使えないかと考えています。興味のある人は斉藤に連絡ください。
関係のホームページのURLを記載しておきます。三田ユニバーサルヴィレッジプロジェクトは「SUVP」をクリックしてください。Sさんのツイートもあります。
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採点結果を事務室に提出してからだいぶ時間が経ってしまったが、簡単に採点の感想を記しておきたい。
今年の都市経営論の授業は昨年度までとはがらりと趣を変え、UN-HABITAT(国連人間居住計画)が作成した資料を使って、「都市の持続的な経済発展のための戦略策定」というテーマでやった。具体的には用意されているケーススタディ都市を対象に、主要なステークホルダーを見つけ、SWOT分析により現状を分析し、皆が合意できるビジョンをつくり、ビジョン実現のための目標を定め、さらに目標に到達するためのアクションを・・・という一連の流れを演習的にこなしてみた。時間の関係で、アクション以降には残念ながらたどり着かなかったが。
試験は近畿圏某市を対象に、戦略策定を必要とする基本的課題の設定、対象市のSWOT分析、ビジョンの策定、目標の手段-目的ダイアグラムの作成を求めるものであった。授業で学んだ方法論は途上国に限定されるものではないことを理解してほしい、という気持ちがあって、今回の試験では実在の日本の都市を対象とした。ちなみに授業で使用したケーススタディ都市は、アフリカ大陸と思しき地のImagina共和国Fictionali市なる仮想都市である。
今期は履修者が少なく全員が授業内の作業を経験しているので、皆それなりのデキは確保していた。デキの幅はかなりあるが。SWOT分析は概ね理解されていた。しかしなお外部要因と内部要因の区分が曖昧なものがあった。「ビジョンの記述にアクションを含まない」ということを授業中に強調したが、この点は全員問題がなかった。今期試験の最大の難関はダイアグラムだろう。本来であれば、SWOT分析をもとに”issue”を拾い出し、それを構造化して目標にもっていく、という流れなのだが、”issue”の部分が解答用紙にないので、その分難易度は増す。しかし皆、悩みながらもよく善戦してくれたと思う。ごくろうさま。
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みなさん、はじめまして。都市政策学科斉藤ゼミ3回生の小牧翔と申します。
我々、斉藤ゼミは夏休み期間中の8/28~9/5の8泊9日、インドネシアのジャカルタ、バリ島、ジョグジャカルタに行って参りましたので、今回から数回にわたって、インドネシアツアーの報告をしたいと思います。第1回の今回は、わたくし小牧が、インドネシアの首都・ジャカルタの新市街の様子を報告します。
まず、インドネシア基本情報
インドネシア共和国 Republic of Indonesia
面積 約189万平方キロメートル
人口 約2.38億人
首都 ジャカルタ(約959万人)
人口の大半がマレー系。公用語はインドネシア語で、これはマレー語とかなり似ている。また、斉藤先生によると、インドネシア憲法では、インドネシア国民は、宗教の信仰が義務付けられているそうです。ちなみに、イスラム教9割、残りがヒンドゥー教、キリスト教、仏教です。
では、ここからはジャカルタ新市街の様子を報告します。
インドネシアは経済発展著しく、ジャカルタ市内でもあちこち開発が進んでいます。とくに新市街では、日本でも見られないような、近代的なデザインの超高層ビル、超巨大ショッピングモールがたくさんありました。私たちも、ジャカルタ市内のモールをいくつか訪れました。
まず、インドネシアに到着して早々、ジャカルタ南部のとあるモールに行きました。そして、モール内のスーパーで早速、インドネシアらしいものを発見しました!

ドリアンが大量に積まれていました。そして、

トマトのパックに大量のハエがくっついていました。一見、日本と変わらないスーパーですが、よく見ると、このようにインドネシアらしさが感じられました。
その後、バリ島、ジョグジャカルタを回り、日本に帰国する前日にジャカルタに戻ってきました。そして、再びモール巡りへ。。。
ところで、ジャカルタ市内の移動は、ほとんど車でしたが、車の中からまたインドネシアらしものを見つけました。

バス専用車線です。ジャカルタの主たる都市交通はバスで、このようにバス専用車線が用意されていました。といっても、インドネシアは交通ルールがあって無いようなものなので、我々の運転手も平気でこのバス専用車線を走っていましたが。。。。
そして、次のモールへ。

グランドインドネシア。
とにかく大きくて高級感が漂っていました。入口で保安検査もありました。
中には、

西武百貨店や、

無印良品などの日系店舗もあり、在留日本人らしき人もたくさん買い物していました。
インドネシアには、本当にたくさんのモールがあります。しかも、どれも超巨大です。あるモールにはスケートリンクがありました。

「ショッピングモールにスケートリンク」とは、なんとも発想がバブリー。経済発展を謳歌しているインドネシア人が羨ましくなりました。
最後に、ジャカルタにまつわる耳より情報。
ジャカルタ滞在中、タクシーを利用の際は、青い車体の“Blue Bird Group”のタクシーを。青色車体の似たようなタクシーは他にもありますが、悪徳業者である可能性大ですので、フロントガラスまたはドアの”Blue Bird Group”の文字の確認をお忘れなく!

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斎藤ゼミ3回生の松葉です。
これ
情報係という名誉あるポジションに抜擢(立候補だった気もする)されたので、
僭越ながら筆をとらせていただきます。
6月某日、府内某所にて集った我々一向はある場所に向かっていた…。
今回目指した地は
中崎町!
中崎町とは梅田・大坂駅周辺の数あるカフェ群の誘惑を振り切った猛者だけがたどりつける、奇跡的にゆったりした町である。
地下鉄谷町線からすぐ、または大阪駅から東へ徒歩10分程歩くと、昔ながらの家屋が建ち並んでいる。
第二次世界大戦の戦火を逃れた民家や築120年を超える貴重な建築物が残されており、タイムスリップさながらの体験ができる。

そんな町に新たに若い住人が住んだり、大学生がカフェに改装したりと新しい風が入ってきている。
もちろん昔から住んでおられる方々もごく普通に生活を営んでおられる。
ここ中崎町は、そういった古民家再生というツールを通して老若男女が共存している貴重なコミュニティーなのである。
特筆すべきは店舗同士の横のつながり。
天人というカフェを中心に、雑貨屋、本屋、ギャラリー等々が派生的に広がり、連携して共同イベントを開催したりとコミュニティーの活性化につくしているのだ。
民家かと思えば、本屋であったり

楽しそうなオーラむんむんのゲストハウスであったり

いきなり細い路地に入ったかと思えば行き止まりだったり、迷路のように店舗が点在している。
その迷路を案内するマップも大学生の手によってつくられたようだ。
えっ、これ建築基準法的にどうなの?いけるの?というような階段だったりもする。
まじで
地元住民も待ち合わせの場所として利用しており、
近所に住む小学生が宿題をしていたりもするらしい。

新しいものが浮くことなく、地域となじんでいる。
なんか…いいよね!
それって素敵なことだよね!
しかしそんな中崎町にも開発の手が迫っている。
この時点で旧小学校校舎の敷地に大型マンションを建設中であった。
Rカフェも7月で営業を休止するらしい。なんで。
だからみんなで中崎町に行こう!
中崎町、お勧めです!
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どうも、初めまして!! 3回生の池田愛夏(いけ)です。
今回より斉藤ゼミのブログをどんどん更新していこうと思っているので、どうか温かい目でこのブログを閲覧してください。(^_^;)
さて、5月14日に今年度初のフィールドワークでヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)に行ってきました。
このヨドコウ迎賓館は、阪急芦屋川駅より北に10分程歩いた所に位置しています。元々は灘の酒造家である山邑太左衛門の別邸としてフランク・ロイド・ライト(Frank・ Lloyd・ Wright)が設計した建築物であり、現在では国指定重要文化財となっています。建築プログラムをとっていない私個人の感想ですが、非常にデザイン性に優れており、幾何学的模様が印象に残りました。
その中でも、我々ゼミ生の多くが印象に残ったところをピックアップしたいと思います。
まず、1つ目はこの小窓。

このような小窓が応接室や和室、廊下のあらゆるところにありました。
実は、これは日本特有の湿気の対策として設けられた通風孔なんです。現在は、雨対策のためにガラスがはめ込まれています。
次に、2つ目は4階食堂。


この食堂はベランダにつながっていて、日の光を存分に取り入れられるつくりになっていました。放射線状に延びている天井が非常に綺麗でした。
最後に、ゼミ生全員が一斉に食いついたこの扉。 なんでしょうか?

実は、3階の和室にある床の間に通じている扉です。

和室は、ライトの弟子であった遠藤新・南信が考えたそうですが、この扉の意味はよくわかりませんでした。(+_+)
以上、ほんの些細ではありましたが、山邑邸での印象に残ったポイントでした。
いかがでしたか?これからも斉藤ゼミブログをどうぞよろしくお願いします!!(*^_^*)
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我が学部で、ホームページ一新プロジェクトが着々と進みつつある。各研究室からの情報発信が命、ということでホームページ上に各研究室ごとのブログスペースが用意され、今その講習会をやっている。パワーポイントの説明を聞くだけ、と思って教室に入ったところが、各自のIDとパスワードを使ってログインし、投稿までしてみるという実践的内容。学部のメディア情報学科が中心になってやっているプロジェクトなので、確かにパワーポイントを流すだけではあまりにも芸がない。ということではあるのだが、「IDとパスワードを覚えていない人は手をあげてください」といわれて、その昔、小学校で「宿題を忘れた人、手をあげなさい」といわれて、おずおずと手をあげた記憶がよみがえってしまった。当時と比べて手のあげかたが堂々としていたのは、年の功というべきか。
説明は、須川さんという昨年当学部を卒業したばかりの入社一年目の女性。昨年までと攻守ところをかえて、年をくった教員をずらっと教室に並べての説明にいささか緊張気味ではあるが、立派なものである。我が学部がこのような卒業生を社会に送り出していることを、新米教員として嬉しく思った。
このブログは、教員とゼミ生をつなぐ場でもあるとのこと。追い追いゼミの人たちにも利用してもらいながら、成長していくことができればと思う。
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斉藤憲晃
研究分野のキーワード
都市計画制度、土地利用規制、住宅供給システム
研究内容
私の主な研究は、英国の計画制度とインドネシアの住宅政策にかかわるものです。両国の住宅、都市計画制度の研究を通...
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