高畑ゼミの100冊Part9;食について#2『江戸たべもの歳時記』そして『仰臥漫録』

2009 12/21

 食についての本を続けましょう。

書籍番号#49:浜田義一郎『江戸たべもの歳時記』:Part8で紹介した池波正太郎が愛した“江戸の味”は、しかし、時代により、また浮世の流れによって、変わってもいます。例えば、庶民の食べ物、鮨はいつからあらわれたのか? なお、あらかじめのご注意ですが、この場合は古来東南アジアから中国、日本に広く存在する熟鮓(なれずし)ではなく(ちなみに熟鮓はRuddle先生のご本職の一部です)、またバッテイラ等の関西鮓等の押し鮓の類でもなく、あくまで江戸の握り鮨です。

 こんな疑問に取り付かれ、近世文学がご専門の浜田先生が怒涛のように薀蓄をかたむけるのが、この『江戸たべもの歳時記』です。川柳や挿絵、浮世絵を駆使したその成果は、

 鮓のめし 妖術という 身でにぎり(『柳多留巻108;文政12年、1829年出版、1827年成句)』

 握られて 出来て喰付く 鮓の飯(『柳多留巻113)』

 まで遡れることを発見します。浜田先生の得意や思うべし! どうやら、1810年頃に江戸で押し鮨から握り鮨への革命が起こり、それが15年ほど後に大阪にも波及したが、そもそもの元祖は深川六間堀の“松ずし”であったということです。平戸城主松浦静山公の名著『甲子夜話(書籍番号#50)』によれば、「値の高いことも無類で五寸の器を二重に重ねたものが三両もする」とあるそうです。

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 その一方で、当時はマグロは下魚、とくにトロのところなど葱と煮込んだ葱鮪鍋等、下層階級の食べ物だった由。天麩羅もまた、一個四文でサザエ等の貝をあげる屋台物で、それゆえ、

 てんぷらの 指をぎぼしに こすりつけ(『柳多留巻98)』

という有様だったとか。以下、いくつか川柳をならべてみましょう(2、3番目の句の意味はわかりますか?)。

 生玉子 醤油の雲に きみの月(『柳多留』巻118)

 何ごとで こうお揃いと そば屋いふ(『初代川柳評万句合安永』) → ヒント

  目も耳も ただだが口は 高くつき(『初代川柳評万句合天明』) → ヒント1ヒント2

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書籍番号#51:正岡子規仰臥漫録』:公方様天朝様に敗れて、江戸が東京に変わってから、いつしか時も過ぎた明治35年、四国松山の出で短歌・俳句の改革者、ジャーナリストにして国語学研究者、東大予備門では夏目漱石南方熊楠の同級生である獺祭書屋主人こと竹の里人こと香雲こと地風升こと越智処之助(おち ところのすけ)こと正岡子規が、結核性カリエスによる長年の闘病の後、命脈が尽きます。時世の句は「糸瓜咲てのつまりし仏かな」「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」「をとゝひのへちまの水も取らざりき」。

 その子規が身体も思うに任せぬ病床で書き綴った『仰臥満録』は、この鋭い知識人が生と文学への執着を、思いつくまま書き散らした稀有の書ですが、なんといっても印象的なものは、その日その日で彼が食い尽くす食べ物です。例えば、明治34年9月4日

朝 雑炊3椀 佃煮 梅干し 牛乳一合(ココア入り) 菓子パン2個  昼 鰹のさしみ 粥3椀 みそ汁 佃煮 梨二つ 葡萄酒一杯(これは食事の例なり 前日日記にぬかす)  間食 芋坂団子を買来たらしむ(これに付き悶着あり) あん付き3本焼一本を食う 麦湯一杯  晩 粥3椀 なまり節 キャベツのひたし物 梨一つ

 ここで、我々は明治35年、子規がココアを入手していたことを知り、また、西洋野菜のキャベツが庶民の暮らしにも浸透していたことに気付きます。一方、家族(母親と彼の看病のために離縁してまで実家に戻った妹の律)をも顧みず、過食の限りをつくす子規ですが、病が進むにつれて、 生に対する執着は口腹の働きをさらに一段と亢進させるとともに、悩みはますます高じて、

6日(日曜) 朝雨戸をあけしむるよりまた激昂す 叫びもがき泣きいよいよ異常を呈す(中略) 皆帰る 眠薬をのみて寝る けろりかんとして寝られず 翌午前3時を過ぎて僅かにまどろむ

 そして、彼はついに自殺を考え、手元の小刀に手を伸ばそうとするのですが、

やはり刃物を見るとそこから恐ろしさが湧いてでるような心持もする 今日もこの小刀を見た時にむらむらとして恐ろしくなったからじっとみているとともかくもこの小刀を手に持ってみようとまで思ふた よつぽど手でとろうとしたが、いやいやここだと思うてじっとこらえた心の中は取らうと取るまいとの二つが戦っていた

という心中の迷いで、かろうじて自死を思いとどまります。その後、彼は思いのほか、平静な心に戻り、やがて死へと向かいます。10月27日、彼は日頃、自らの看病に身を呈している母と妹を思いやり、仕出しの料理をとります。料理は

  • 会席膳に5品
  • さしみ(まぐろとさより) 胡瓜 黄菊 山葵
  • 椀盛 サヤエンドウ 鶏肉 小鯛の焼いたの 松茸
  • 口取 栗のきんとき 蒲鉾 車蝦 家鴨 煮葡萄
  • 煮込 あなご 牛蒡 八つ頭 サヤエンドウ
  • 焼肴 鯛 昆布 煮杏 はじかみ

 

 そして、彼は親友夏目漱石のロンドン留学からの帰国を待つことなく、薄幸とも、実り多いともいえる30代半ばの生涯を閉じるのです。このような食べ物への執着は、日本文学史上、永井荷風の『断腸亭日乗(書籍番号#52)』を経て、武田百合子の『富士日記(書籍番号#53)』へとつながっていくかもしれません。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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