2010年3月

故天野明弘先生を追悼して

2010 3/28

総合政策学部の学生・院生の皆さんへ

本日は、3月25日にご逝去された総合政策学部初代学部長の天野明弘先生に心から追悼の意を表したいと思います。

関学をご退職されてからもう8年が過ぎ、大学院の客員教授等をお勤めいただいてきたものの、現在の学部生あるいは大学院生の方々には先生をご存じなくても仕方がないことかもしれません。しかし、創設時、学部の精神を確立することにおいて初代学部長としてのご功績は大きく、あえて、皆さんにお知りいただきたく、ここに投稿する次第です。

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私自身は、天野先生のご専門(国際経済学環境経済学)に必ずしも詳しくはありませんが、1990年代以降、すでに国際貿易関係の大家でいらっしゃたにもかかわらず、“環境経済学”というまったく新しい分野を切り開かれ、温室効果ガス排出削減目標達成への経済的手法(環境税排出権取引制度)の第一人者になられたと聞いております。70代半ばになった現在も、環境省中央環境審議会委員等で、現役で御活躍しておられました(詳しくは、Wikipedia等をご参考にして下さい)。

正直、研究者として、すでに高名を得てから、まったく海のものとも山のものともつかぬ分野に乗り出す、というのは、並大抵のことではありません。ご本人は何時もひょうひょうとして、穏やかな口ぶりで、しかし、結構厳しいことをおっしゃたりしていました。私が最後にお会いしたのは、昨年、兵庫県の環境関係の審議会の席上で、座長を勤められていました。会議が終わった後、少し言葉を交わしましたが、総政がどうなっていくか、やはり気がかりであること、最近、“政策”色が薄れてきているのではないか、初心に立ち返るのも必要ではないか、そんな意味のことをおっしゃていました。

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天野先生の訃報を聴いて、すぐに総合政策学部同窓会(卒業生)のMLに流したのですが、何人かの卒業生の方から返信をいただきました。一部、下に貼り付けます。

「昨夏、留学一年目を終えてサマーインターンのため一時帰国した際に、アメリカへ戻る直前の8月29日に天野先生とお茶をさせていただきました。ちょうど先生の新しい著書『排出取引』(中央公論新社)の出版日で、お茶の後に先生と一緒にJR住吉駅の本屋さんへ行き、記念に一冊購入して帰りの飛行機で読んだことを覚えています。

その際も、天野先生は関学総政の将来と更なる発展を切に願っていらっしゃって、(関学総政だけでなく日本全体がもっと)国際化に対応できるソフトスキルをつけてアウトプットを出していけるようにならなければいけない、と熱く語り合わせていただきました。

天野先生をはじめ関学総政の先生方から教えていただいたこと、そしてそこで得た経験を礎として学びを重ね、社会へ貢献・還元していけるように成長していかなければ、と改めて、感謝の気持ちとともに感じる次第です」(現在、アメリカの大学院に留学中の方から)

「真っ先に思い出したのは、天野先生の優しいのに説得力のあるスピーチです。

お人柄がにじみ出ていて、とても紳士な方だったので、卒業生としては自慢の学部長です。

私に何ができるというわけではないですが、関学好きはかなりなものなので、これからもその気持ちを忘れずにいたいです」(現在、上海でお仕事中の方から)

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思えば、第2代の学部長の安保則夫先生が学部長退任直後の2003年にお亡くなりになりましたが、これで学部創設初期に学部長をおつとめいただいた先生方をなくしたことになります。総合政策学部としては、常に建学時の初心に立ち返りながら、新しい分野にチャレンジし続けていくことが、安保先生、天野先生らのご遺志に応えることになるかと思います。

それでは、失礼します。

あなたにとって、“仕事”とは何か? 陰陽師から漱石、そしてトム・ソーヤーからフランクリンまで;高畑ゼミの100冊Part 13-とくに卒業生の皆様へ

2010 3/18

 皆さん大学生にとって、“仕事”とは、そして“就職”とは何でしょう?

 かつて、身分制社会では“家職”というものがありました。典型的な例としては、平安時代、特定の“家(いえ)”に公権力によって職業に関する特権が認められたものが該当します。

 夢枕獏小説岡野玲子がビジュアル化・発展させたコミック『陰陽師』(書籍番号#62)に目を通せば、律令制のもと、賀茂氏賀茂忠行の代に陰陽師を家業化(独占)し、その忠行に師事した安倍清明によって、さらに安倍氏が(天体を観測して、その変動で吉凶を判断する)天文博士を家業化する過程が読み取れます。

 こうした流れが制度的に確立されたものが、歴史学的用語では宮司請負制(かんしうけおいせい)にあたります。

 このように、特定の“家”と“職業”がむすびつく“家業”は、ある意味、安定した社会をもたらすかに見えます。

 しかし、、片方では当然、停滞と劣化、陳腐化の温床となるわけです。

 この“家職制”を大胆に否定して、“中央権力者による一元化モデル”のもとに再編成しようとしたのが、鎌倉幕府を打倒するも、足利尊氏に足をすくわれてしまう後醍醐天皇だったかもしれません(新田一郎『日本の歴史11 太平記の時代』)。

 結局、後醍醐の夢、宋学をベースにした中国皇帝やオスマン・トルコ皇帝のような人民をひとしなみに扱うようなガヴァナンスは夢と消え、日本における身分制社会は、欧米という強烈な外圧が起きるまで、日本では(インドのカースト制等からみればはるかに緩やかではありますが)存続し続けます。

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 たとえ、宮司請負制度とまでいかなくても、一定の職が、少なくとも家を継ぐべき長男には確保されている。それが家業の特徴です。

 職業選択の自由はありませんが、そのかわり、嫌いでない限り、就職に悩む事もない。また、家業では定年もない。本人次第で死ぬまでやってもよいわけです。体力的・精神的に仕事が続けられなくなった時が、仕事を退く時です。

 それでは二男、三男は,.....というと、ある者は養子となって他家に移籍して、あるものは(とくに農家等)家内労働者として日蔭の人生を歩み(江戸幕府最後の大老井伊直弼は、実に32歳まで部屋住みとして、捨扶持暮らしを続けています。それが、長兄の死により、運命が一転するわけです)、また、ある者は出家する(メディチ家の二男ジョバンニ・ディ・メディチ=後の法王レオ10世、今川氏親の5男、僧栴岳承芳こと、還俗して今川義元)。

 と、こんなふうに職を選ばざるをえなかったわけです。もちろん、姫路藩主の二男酒井抱一が法体に身をやつして、琳派の画家として生きるの等の道もありました。

 なお、相続権から外した“弟たち”を寺/修道院なりに“デポジット”しておいて、長男が死んだ際のリスク・ヘッジにする、これは洋の東西を問いません。

 フランス国王ルイ7世、イギリス国王ヘンリー8世(そして上記今川義元も)なども本来“スペア”だったのです。

 しかし、兄等の不慮の死で、俗世に舞い戻ってしまった(今川義元などは、お寺でそのまま修行を続けていれば良かったものを、とつい同情してしまいます)。だから、ちょっとインテリなんですね、とくにヘンリー君などは。 

 そのかわりに性格もそれぞれちょっと偏っていて、家庭的幸福になかなか恵まれない。

 ルイ7世など、嫁に来た一代の才女アリエノール・アキテーヌ(ルイ7世との離婚後、後のイギリス国王ヘンリー2世と結婚、一生に仏英両国の王妃になった方です)に「王と結婚したと思っていたら修道士だった」といわれ(Wikipediaより)、浮気されたあげく、離婚します。

 これでめでたしかと思ったら、アリエノールは広大なアキテーヌ公領を持参金に、なんと次のイギリス王になるヘンリー・プランタジネットことヘンリー2世と結婚してしまい、フランス王よりもイギリス王の方が直轄地が広くなってしまう(=アンジュー帝国)。  

 それが明治の秩禄処分後、家職も奪われる代わりに、職業選択の自由も与えられる。

 これが、いわゆる“近代化”と“職業”の関係の始まりです。

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 こうして近代化された後、家業に必ずしも縛られない者たちが近代教育を受けることで、新たな職を探す、あるいはそれに悩む=これが夏目漱石の小説にしばしばあらわれる明治期の学生像です。

 例えば、『坊っちゃん』(書籍番号#63)の主人公は、

  • おれは600円の使用法について寝ながら考えた・・・これを学資にして勉強してやろう。600円を3で割って1年200円ずつ使えば、3年間は勉強が出来る・・・・
  •  
  • (物理学校=現東京理科大学を3年かけて)卒業してから8日目に校長が呼びに来たから、何か用だらうと思って、出かけて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は40円だが、いてはどうかという相談である・・・あてもなかったから、此相談を受けた時、いきませうと即席に返事をした。これも親ゆずりの無鉄砲が祟ったのである」 
  •  

  また、世評に高い『こころ』(書籍番号#64)では、若い語り手の「私」が東京帝国大学を卒業後、「先生」と「奥さん」と交わすやりとりでは、(註;当時は、卒業してから、就職活動するのが通例)

  • 「君も愈卒業したが、是から何をする気ですか?」
  •  私にはただ卒業したといふ自覚がある丈で、是から何をしやうといふ目的もなかった。返事にためらっている私を見た時、奥さんは「教師?」と聞いた。それにも答へずにいると、今度は、「ぢや御役人?」と又聞かれた。私も先生も笑い出した。
  • 「本当いふと、まだ何もする考へもないくらいなんです。実は、職業といふものに就いて、全く考へた事がない位なんですから。だいち何れが善いか、何れが悪いか、自分が遣って見た上でないと解らないんだから、選択に困るわけだと思ひます」 
  •  

 漱石には、大学に「職業学」という講義を設けるべきだという主旨の講演録が残っているぐらいですから(『基礎演習ハンドブック』で紹介済みの『私の個人主義』講談社学術文庫版に「道楽と職業」という講演録が載っています)、心中、学業と仕事の関係について思いを巡らし、こうした近代化における大学の社会的機能をどこに定めるべきか、考えを深めていくのです。

 余談ですが、近代日本において、もっとも多様な職業に就いた人の一人は、ダルマ蔵相こと高橋是清でしょう。

 安政元年生まれの彼は、ヘボンのもとで英語を学んだ後、10代にしてアメリカ留学に赴くも、騙されてなんと奴隷の身におちてしまい、日本に逃げ帰ってからも、森有礼の書生を経て、大学南校(東大の前身の一つ)の教師、そこで失敗して芸者置屋の手伝い(!)、唐津藩の英語学校教師、大蔵省、そして文部省、さらに農商務省を経て、ペルーで銀山経営に失敗します。

 その後、日本銀行に入って総裁に就いてから、大蔵大臣、そして、原敬暗殺後の総理大臣まで勤めて、最後、大蔵大臣在任中に2・26事件で暗殺される、というジェット・コースターのような波乱万丈の人生です(『高橋是清自伝』書籍番号#65)。

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  さて、とりとめもなく、“仕事”についての文献にふれてきましたが、それでは、“仕事”と“娯楽”の違いは何か?

 19世紀半ばのアメリカ、ミズーリ州の田舎町セント・パーターズバーグに住むトム・ソーヤー少年こと、小説家マーク・トウェインの金言を紹介しましょう(『トム・ソーヤーの冒険』書籍番号#66)。なお、以下に引用の元は新潮文庫の大久保康雄訳です。

 ある日、トムはポリー伯母さんから、喧嘩の挙句に服をぼろぼろにした罰に、土曜の休日、家の塀のペンキ塗りを仰せつかります(第2章『栄光のペンキ塗り』より)

 もちろん、いたずら好きで手に負えない悪ガキ、トムのこと、他の仲間にあからさまに“罰”がばれて面目を失うはずの塀のペンキ塗りを前に、「板塀の大きさを見積もり、消えうせた今日の楽しみを思い、はてしもなく」滅入り込みます。「人生とは何と空虚なものか」。

 気をとりなおして、仕事に専念しようとする彼ですが、日頃の行いから見ても、とても無理なこと。黒人奴隷のジムに押しつけようとして、またもポリー伯母さんに怒られるトムですが、心は沈むばかりです。

 なにより、ほかの餓鬼どもの眼が気になる。「まもなく自由な身の子供たちが、それぞれ楽しく遊びに行く途中、ここをとおりかかるだろう。そして、こうして働かされている自分を笑い物にするだろう」と思い悩みます。

 その時、トムの頭に「ある天来の声がひびいた。まさに霊妙な天来の福音であった」。こうして、トムは「あらためて刷毛をとりあげ、神妙に仕事をします」。そして、“カモ”を待つのです。

 やがて最初のカモ、親友ベン・ロジャースがひっかかります。

「どうした、トム、仕事をいいつかったんだね」 

「なんだ、ベンだったのか。ちっとも気づかなかった」  

「どうだ、これから泳ぎに行くんだぜ・・・・だが、君は仕事があるから行けない。なあ、そうだろう? 仕事があるからな」 

「仕事だって?」「そうさ、いまやっているのは仕事にきまっているじゃないか」

「そうさな、そうかもしれない。そうでないかもしれない。とにかく、これはトム・ソーヤーでなければできないんだ」 

「ごまかすな。まさかこんなことを、すきでやっているというつもりじゃないんだろうな?」 

「すきかって? そうさ、好きではいけないという理由はないじゃないか。第一、塀にペンキを塗る機会が、そう何度もあると思うかい?・・・子供でこれをうまく仕上げられるものは、千人に一人-二千人に一人もいないと思うな」 

  こうして、トムは本来は「」である「仕事」を、「希少価値」がある「栄光ある(=トム・ソーヤーにしかできない)偉業」に掏り替え、ベンを次第にうらやましがらせ、かつ、代価(ベンが齧っていた林檎)まで支払わせて、「いそいそと、ただし、顔だけは苦りきって」ベンに刷毛を渡します。そして、木陰で涼みながら、林檎をほおばりつつ、次の犠牲者を待つのです(ライブドア(1999-2002)の株券もこの類だったのかもしれません)。

 さて、冷やかし半分に訪れる友人たちを次から次へと丸めこみ、彼らに塀を3回も重ね塗りした挙句、“栄光のおすそ分け”の代価として「弾き玉12個、口琴の一部分、望遠鏡代用の青いガラス瓶の破片、糸巻きの大砲、どの錠にもあわない鍵一本、チョークのかけら、ガラス瓶の口栓、錫の兵隊・・・・もう使えないガラクタの窓枠」等の(悪ガキどもにとっての)宝物までせしめます。結末で、

 「結局、この世界は、そうつまらないものではない、とトムは思った。ここで、自分では気づかずにいたが、彼は人間の心の動きについてのある大法則を発見していたのである-それは、大人でも子供でも、相手の欲望をそそりたてるには、その望みが容易にかなわない(=欲望の経済学、欲望のインフレーションですね!)と思い込ますにかぎる、ということである。もし、トムが、この本の著者(=マーク・トウェイン)のように賢明で偉大な哲学者であったら、仕事というものは人がしなければならないものであり、娯楽とは人がしなければならないものではないということを、さとったであろう」 

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 このように、「仕事」自体は十分に哲学的考察の対象になりうるものです。

 ということで、総合政策学部でも、たんなるキャリア教育にとどまらず、思想系の先生方、鎌田先生や細見先生等による、「仕事とは何か?」、「遊びとは何か?」、「なぜ、ある人は嬉々として仕事に励み、またある人はいやいやながら仕事をするか?」について、考察する授業を作ってもよいのかもしれません。

 もし、そんな授業を行うとすれば、私が考えつく教材はなによりもまず『トム・ソーヤーの冒険』、そしてベンジャミン・フランクリンの『フランクリン自伝』(#67)、そしてその次にあげるべきは、アメリカ人にとっての仕事を論じたS・ターケル『仕事!』(書籍番号#68)でしょう。

 『自伝』も『仕事!』も『基礎演習ハンドブック』で紹介しましたので、ここでは詳しくは説明しません。

 しかし、先の投稿で理系(生物系)フィールドワークと文系フィールドワークの違いの一つを、“退屈さ”に例えましたが、『仕事!』は文系フィールドワークでひとときも気が抜けない見事な仕事の一例として、皆さんも是非、一度、お目をお通し下さい。

 最後に、本日の第12回総合政策学部卒業式にあわせ、新卒業生の皆さんに、是非、以下のフランクリンの13徳を、(信奉するにせよ、嫌うにせよ)ささげたいと思います(Wikipediaからの引用)。悪ガキトムなら、一笑にふすかもしれませんが。

  1. 節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
  2. 沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
  3. 規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
  4. 決断 なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
  5. 節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
  6. 勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
  7. 誠実 詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまた然るべし。
  8. 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
  9. 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
  10. 清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
  11. 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
  12. 純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽(ふけ)りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
  13. 謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし。

 御卒業おめでとうございます。

生き物を紹介しましょうPart2:野生の動物を見たことはありますか?

2010 3/10

 先回は、KSCで出会った動物たちについて紹介しましたが、今回は珍しい動物の話をしてみたいと思います。と言っても、何が珍しいのか? 場所や文化で違いますね。「ミズバショウ」と言えば、“尾瀬!”という感じでしょうけど、北日本の湿地に行けば、ただの雑草になりかねません。日本では花壇や鉢植えで「ニチニチソウ」をよく見ますが、原産地のマダガスカルに行くと、(当たり前ですが)雑木として生えていて、ちょっと不思議な気がします(アロエも同様に、マダガスカルでは、そこここに生えています)。

◆ニチニチソウもアロエも、欧米のいわゆるプラントハンターが19世紀頃から、珍しそうな植物を片っ端からヨーロッパに持ち帰った成果でもあります。なお、勉強したい方は、白幡洋三郎『プラントハンター』(講談社学術文庫1735)がお薦めです。プラントハンティングから、育種産業、そしてそれを世界に販売していくワールドビジネスへ(今は、アフリカや中南米でバラを栽培して、欧米や日本に売り込んでいる世界です・・・・というように、なんでもレポートのネタになる! → 岐阜大関係のHPに資料がありました http://www1.gifu-u.ac.jp/~fukui/lecture/gazou04-2/04-2-004.pdf)。もちろん、日本の植物もプラントハンターの“毒牙(?)”の対象で、栽培種のバラは8種の原種を交配したものですが、そのうちの2種は日本原産のノイバラとテリハノイバラです!

 また、本当は珍しくないのに、夜行性だったり、人間を恐れたりすると、なかなか目に入らないものもいます。KSCでもタヌキノウサギもそうですよね。「キャンパスに住んでいる」というと、KSCはすごい田舎のようですが、京都でもイタチ等は意外に人家が立ち並ぶ中で徘徊していたりします(たいてい、帰化種のチョウセンイタチですが)。最近やかましいアライグマも、なかなか目につかないうちに、人家の周りにいつの間にか増えているというパターンです。

 ◆なお、侵入種・帰化種を含め、兵庫県の里の動物の研究をしているところに、兵庫県森林動物研究センターがあります(HPはhttp://www.wmi-hyogo.jp/F1.php?M=B5-9&F=F1)。研究者はほとんど私の知り合いです。こうした動物の害等について興味がある方は、紹介します。

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  その一方で、動物の方だって、人間などという怪しげな動物に会いたくはないのです。以前に、野生のヒグマを撮影した組写真を雑誌で見たことがありますが、それは谷の対岸からヒグマが採食しているところを撮ったものだったかと思います。そうこうしていると、山道を何も知らぬ人間が歩いてくる。気づいたヒグマは面倒くさそうに藪にひそみ、そのそばを何も知らずに歩み去ると、やれやれという感じでヒグマがまた出てくる、というものでした。だから、本当のことを言えば、「貴方が野生動物を見たことがなくても、野生動物の方は貴方を見ていますよ」というのがたぶん当たり前なのでしょう。

◆ついでに言ってしまうと、例えば、海外旅行や海外ボランティア等で、貴方々は他の国の方を珍しく見るかと思いますが、それはまったく同じことで、向こうの方もこちらを見ているわけです。それは当然のことで、かの有名な女性旅行家イザベラ・バードの明治初期(1878年6月~9月)の日本旅行を描いた『日本奥地紀行』(傑作です。是非、別の機会に紹介しなければ)で主に東北・北海道を紹介していますが(アイヌ民族を紹介した最初の英文記録の一つでもあります)では、彼女が日本人を見るよりも、物見高い群衆が東北日本に初めて現れたヨーロッパ人を見るべく、集まってくることを記述しています。

 さらに付け加えれば、アフリカの人と長く付き合っていると、向こうがこちら(日本人)をどう見ているか、結構、話のネタになります。例えば、アフリカ人が「僕の見るところ、日本人の女性はパン(Mkate;スワヒリ語)が好きだが、男性は飯(Wali)が好きだよね?」とか話しかけてきたので、こちらも「そういえば、イモ(Kiaji)やカボチャ(Maboga)は、日本じゃ女性の食い物ってことになっているけど(イモ、タコ、ナンキンですね)、そっちはどう?」と聞くと、「おう、そうそう、こちらでもそうだぜ」等と会話をしたものです。彼らは実は、好奇心満々で遠来の客を見ているのです。

 なかでも傑作は、かつて首都のダル・エス・サラームを訪れた経験がある男が、私に「ほれ、首都に行った時、日本人にすごくよく似てんだけど、男ばかり(独りで歩かず)いつも群れていて、頭を刈り上げにしている連中がいたじゃない。あれは何者なの?」と尋ねるので、「おうおう、それはきっと朝鮮民主主義人民共和国の人たちだよ(Koliya ya Kasukazini)」と応えたことがありました(1970年代、経済が悪化する前、同じ社会主義国として、タンザニアを援助していました。今から思うと、隔世の感があります)。

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 それで、珍しい動物と言えば、ちょっと渋いところで、インドネシア(スマトラ島)とアフリカ(タンガニイカ湖)の双方で野生のカワウソを見た者はそれほどいないかもしれません。

 ニホンカワウソは、1979年以降目撃されず、日本ではもう滅んでしまったみたいですね。北海道から九州まで、ほぼ全国に分布していたというのに、明治以降、あっという間に滅びます。浮世絵葛飾北斎と娘お栄を描いた杉浦日向子の傑作コミック『百日紅(さるすべり)』中の『稲妻』では、なんと江戸市中、堂々人に化けて、北斎が描き終えた作品を届けるお栄から絵を強奪した代わりに見事な鯉をおいていく、という設定になっているというのに(北斎とお栄の年恰好からすると、1810年代頃か?)。 なお、北斎の画像コレクションのHPのURLは http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/ukiyoe_artist_title.php?id=010(なんと、慶応義塾大学のデジタルライブラリーです。差をつけられていますね)、北斎の漫画のコレクションのHP → http://www.hum.pref.yamaguchi.jp/ehon/ehon.htm#3です。

 同じように瞬時に滅びたものに、ニホンオオカミニホンアシカがありますが、その一方で、ほとんど絶滅しかけたエゾジカが復活して、自然植生や畑を荒らしてしまう。また、ほんのわずかばかりが捨てられた動物(アライグマヌートリア等)がやたらに繁殖する。どうしてこうなるのか、研究者にとっては永遠の謎かもしれません。

 こんなことでは、いつまでたってもカワウソに話がたどりつきません。スマトラでは、以前にお話ししたように、ボホロクのオランウータンリハビリテーションセンターに2カ月間いたのですが、ここはセンターにつながる道以外、人跡稀、おまけに山は切り立ち(あまりの傾斜に伐採もできないので、自然が残った、というだけの話なのですが)、かろうじて動けるのはボホロク川の川原だけでした。その川沿いに、カニクイザルトーマスリーフモンキーフクロテナガザルシロテテナガザル、そしてたまにオランウータンが見れるというところです。

 そんなわけで、ある日、川原に座っていると、ものの10mも離れていな岩の上に、いきなり1頭、川の中からぽんと飛び乗り、私と目があいました。また、川に身を投じて、姿を隠すまで、互いに見つめあったのは数秒程度でしょうね。分布域からすると、たぶんコツメカワウソだと思います(日本の動物園・水族館には結構飼われていて、このあたりでは海遊館ひらかたパークにいるそうです)。

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 その数年後、タンガニイカ湖のほとりで合計3年ばかり暮らしていた時には、結構、目にすることがありました。こちらは、湖を親子で数珠つなぎになって泳いでいたりします(もっとも、どれが親で、あるいはオスで、メスで、どれが子供か、波間でなかなかわかりません)。こちらは分布域から、ツメナシカワウソだと思います(写真がのっているHPがありました→ http://www.geocities.jp/kalahari_okavango/Otter/Otter.html)。

 どちらにしても、「見た」と言っても一瞬に近い。もちろん、野生動物にとって、人間等という「愚劣な二足動物(チェーホフ)」に会いたいはずもなく、秘かに我々/皆さん方をうかがいながら、また自分の生活に戻っていくわけです(To be continued)。

人生を詠う:“馬上少年過”から“「サヨナラ」ダケガ人生ダ”まで、総政の100冊番外編

2010 3/4 総合政策学部の皆さんへ

 『総政の100冊・書評編』にいくつか詩が引用されています。その一つが「遅れてきた戦国武将」貞山公こと伊達藤次郎政宗の五言絶句『酔余口号』。以下、括弧内は私の意訳ですが、最後の五言をどちらの意味にとるか、趣は一変します。

  •    馬上少年過   (馬の背でいくさ働きするうちに、若い時を過ごしてしまった)
  •     世平白髪多   (今は、天下もおさまり、おれの髪もすっかり白くなっちまった)
  •    残躯天所許   (たまたま生き残ってしまったけれど、これも天が許してくれたものか)
  •     不楽復如何   (ここまで生き残ってしまったからには、これから楽しまなくてどうしよう!
  •                 それとも、
  •                  天下を取れず、いたずらに生き残ったこの虚しさをどうしよう!)

 戦国末期から江戸時代、「異様な風体をして大道を横行する者(『広辞苑』より)」を傾いた(かぶいた)者として、「かぶき者」と呼びましたが(これが歌舞伎の由来)、まあ、国母君の先輩のようなものですね。そのかぶき者に似た言葉で、「数寄者(すきもの)」となるとちょっと高級な趣味、例えば、今コミックで人気の『へうげもの』の主人公、茶人にして武将の古田織部等になります(渋いですね)。

 一方、似た言葉でも、「伊達者(だてもの)」では、「①ことさら侠気を示そうとすること。人目をひくように、派手に振る舞うこと。②好みがいきであること。あかぬけて洗練されていること。さばけていること。③見えを張ること。外見を飾ること(『広辞苑』)」だそうですが、一説によれば、伊達政宗がしたてた豪華絢爛たる軍勢の衣装に由来するとも言われています。

 京の町衆の耳目をあつめたこの派手さも、一方では秀吉、家康に対する政治的メッセージであり、また、片方では彼ら権力者に屈せざるを得なかった心の虚しさからくるかもしれません。とはいえ、辞世の歌は以下の通りです。

曇りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」(Wikipediaより)

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 政宗の漢詩は、いわば彼の人生(ライフ・ヒストリー)を見事に歌い込んだものですが、次の詩は人生の終盤、病気で死も間近い我が身を詠ったものです。

  •    さまよういとしき小さな魂よ、
  •     私の肉体に仮に宿った友よ、
  •      おまえは今どこへ旅立とうとしているのか
  •    蒼ざめて、冷たい、裸の、小さな魂よ、
  •      今はもう、昔のように冗談をいう力もなくて、どこへ行く・・・・・
  •               (藤沢道郎物語 イタリアの歴史Ⅱ』)

 ちなみに、作者はローマ帝国五賢帝の一人、ハドリアヌス帝にほかなりません。先帝トラヤヌスの妻=皇后の引きで皇帝となり(姦通、不倫も噂されています)、トラヤヌスの姪と結婚、齢40歳で最高権力者につきながら、同性愛の傾向もあってか、家庭的な愛には無縁で、元老院ともぎくしゃくしながら巨大なローマ帝国を経営するため文字通り東奔西走、しかも、後継者として養子に選んだ者にも先立たれ、晩年は「死ぬことばかりを考えていた」というハドリアヌス。

 この詩は亨年62歳で死去する数日前に作ったということですが、『ローマの歴史』の著者、I・モンタネッリは「偉大な皇帝であっただけではない。古今東西の歴史を通じてもっとも複雑で不気味で魅力的な人物の一人であった。ハドリアヌスはおそらく古代世界で最も近代的な人間だった」と評しています。

◆後註:なんと、最近、ハドリアヌスが副主人公のコミック『テルマエ・ロマエ』(ヤマザキマリ作)が出版されました。ハドリアヌスと建築家ルシウス、そしてローマ人がなにりより好きな“風呂”。なかなかの傑作です。

 下は首都のローマに居つけない(居つきたくない?)皇帝をからかった詩人フロルスに対する、ハドリアヌスの戯詩のやりとりです(Wikipediaより)。

  • フロルス「皇帝なんぞにゃなりたかない。ブリトン人の間をうろついて、……間に潜んで、スキュティア人の地の冬を、我慢しなきゃならぬから
  • ハドリアヌスの返答「フロルスなんぞにゃなりたかない。安料理屋の間をうろついて、居酒屋に潜んで、まるまる太った蚊の餌食になるのを、我慢しなきゃならぬから
  •  

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  ルネサンス期の都市国家フィレンツエの支配者メディチ家の当主、ロレンツィオ・デ・メディチ・イル・マニーフィコは父親の早い死により、弱冠二十歳で権力者の座に据えられるも、まわりは自分を利用しようとする者ばかりの状況下で、逆に「利用しよう」としている者を「利用する」術に長けることになりますが、詩人としてもまた有名で、以下の『バッカスの歌(謝肉祭の歌)』は現代イタリアでも愛唱されているものだそうです(『ルネサンスの歴史』)。

  •    青春はうるわし されど逃れ行く
  •     楽しみてあれ 明日は定めなきゆえ
  •  

 日本でいえば、『閑吟集』の以下の歌に通じるものがあるかもしれません。

  •     なにせうぞ くすんで      (なにをまじめくさってんのさ!)
  •     一期はゆめよ ただ狂え   (一生なんて夢みたい ひたすら狂って過ごすだけ!)  
  •    

 さらに連想すれば、信長が好んだ謡『敦盛』にもつながるでしょう(後註)

  •    人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり
  •      一度生を得て 滅せぬ者のあるべきか

 さて、ロレンツィオの祖父、コジモ・デ・メディチこそ、ルネサンス人の一つの典型、一介の商人から出発して、己の才能をもってどこまで自らの夢(=コジモの場合は、政治的権力)を実現できるかを証明した者です。反対者を高い塔から(見せしめに)突き落として処刑したコジモは、「あまりに残酷だ」と非難されると、微笑みながら「祈りを唱えながら国家を統治することはできないんですよ」と諭したそうです(モンタネッリ他『ルネサンスの歴史』より)。

 そして、ロレンツィオはルネサンス人のもう一つの典型=生まれながらの権力者として、自らの才能(政治と芸術)をどこまで発揮できるのかを追求していきます。

 「詩人と話せば詩人となり、政治家を相手にすれば自分も政治家となり、悪党と取引するときはそれに輪をかけた悪党になった」と評されるロレンツィオ。

 大芸術家達のパトローンとして、かのミケランジェロの才能を少年時に発見したのも彼だとされています(“目利き”である点では、上記の古田にも、また自ら建築までかかわったと伝えられるハドリアヌスにも相通じます)。

 善人であれ、悪人であれ、中途半端な者は生き残れなかったこの時代、ロレンツィオと「5分間も話せば、誰でもその魅力のとりこになってしまったのである。すべての証人が、かれの優雅な礼儀正しさと、相手と一体化する不思議な能力に魅せられずにはいられないと、異口同音に語っている」。そして上記の詩も、その心に時折訪れる空白を埋めるためのものかもしれません。

◆後註:『信長公記』町田本の原文pdfのURLはhttp://www.pagesannet.ne.jp/gutoku2/kouki.htmlですが、該当部分(桶狭間決戦直前)の文章は「・・・追々御注進これあり。此の時、信長、敦盛の舞を遊ぱし侯。人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきかとて、螺ふけ、具足よこせと、仰せられ、御物具めされ、たちながら御食を参り、御甲をめし侯て、御出陣なさる」とあります。

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 さて、花の都フィレンツェで青春を謳歌したロレンツィオは結局、必ずしも好きでない女性(ローマの名門オルシーニ家出身のクラリーチェ)と政略結婚し、三人の息子を得ます。メディチ銀行から出発し、様々な権謀術数を凝らして都市国家フィレンツェの実質的支配者までのし上がるメディチ家ですが、彼の結婚後は貴族化の道を歩み、数代後にはフランス王妃2名(カトリーヌ・ド・メディシス[フランスに婚出したので、名前の読みがフランス語になります]とマリー・ド・メディシス)を出すまでに至ります。

 もっとも、ロレンツィオとクラリーチェの間にできた3人の息子は、父自ら「一人は愚かでピエロ・デ・ロレンツォ・デ・メディチ;“愚昧なピエロ”とも“不運なピエロとも呼ばれ、父の死後ほどなくしてフィエンツエの支配権を失った挙句、若死にします=つまり、中途半端な人だったのです)、一人は賢く(後の法王レオ10世)、一人は心優しいジュリアーノ・デ・メディチ[ヌムール公])」と評したといわれています。

 彼らは3人とも若死に(レオ10世が46歳の誕生日を前に死ぬのが一番長生き)、結局、3世代のうちに男系の子孫を残せず、直系の家系は滅びます(フィレンツェはその後、メディチ家の別の家系が、トスカーナ大公として支配していくことになります)。これはいわば貴族化の代償でしょうか?

 なお、レオ10世はラファエロによる肖像画がもっとも有名ですが、こちらは長兄と違って中途半端なことはなく、とことん業腹に父親譲りのパトローンぶりを発揮(しかし、幼友達のミケランジェロだけは苦手で、「あいつは人生を楽しめない奴だ」と言っていたそうです。なんとなく、わかるような気がします)、ローマ法王庁の財政を傾けさせた挙句、マルティン・ルターに宗教改革の火蓋を切られることになります。

 「レオ10世は三代の教皇の収入を一人で食いつぶした。先代ユリウス2世の蓄えた財産と、レオ10世自身の収入と、次の教皇の分の三人分を」といわれてしまうのですが(Wikipediaより)、今となっては、レオ10世やその他の教皇達が集めた美術品や、大枚をはたいて作った建物でローマも、バチカンも潤っているところを見ると、その濫費もイタリア経済から見れば、十分元をとった(資金を回収した)と言えるでしょう。

 ◆ところで、レオの好敵手ルターの肖像画はこちらです。レオ10世と比較しては、あるいはイタリア・ルネサンスの若き旗手ラファエロと、ドイツ・ルネサンスの大立者ルーカス・クラナッハ(ルターの教員時代の雇い主ザクセン選帝侯フリードリッヒ賢明公に使え、ルターのお友達でもありました)の筆さばきを見比べるのも一興です。

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さて、権力者たちが作った人生の歌を紹介しましたが、最後は権力とは無縁の漢詩と、小説家井伏鱒二による日本語訳を紹介して、このブログを終わりにしましょう。

  • 勸酒 (酒を勧む)    于武陵(うぶりょう)     
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  • 勸君金屈巵 (君に勧む 金屈卮)
  •  滿酌不須辭 (満酌辞するをもちいず)
  •   花發多風雨 (花ひらいて 風雨多し)
  •    人生足別離 (人生、別離足る)
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  • コノサカヅキヲ 受ケテクレ
     ドウゾ ナミナミツガシテオクレ
       ハナニ アラシノ タトヘモアルゾ
        「サヨナラ」ダケガ 人生ダ
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 もうじきやってくる卒業式に、ちょっとふさわしいかもしれません。「サヨナラ」ダケガ人生ダ。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...