あなたにとって、“仕事”とは何か? 陰陽師から漱石、そしてトム・ソーヤーからフランクリンまで;高畑ゼミの100冊Part 13-とくに卒業生の皆様へ

2010 3/18

 皆さん大学生にとって、“仕事”とは、そして“就職”とは何でしょう?

 かつて、身分制社会では“家職”というものがありました。典型的な例としては、平安時代、特定の“家(いえ)”に公権力によって職業に関する特権が認められたものが該当します。

 夢枕獏小説岡野玲子がビジュアル化・発展させたコミック『陰陽師』(書籍番号#62)に目を通せば、律令制のもと、賀茂氏賀茂忠行の代に陰陽師を家業化(独占)し、その忠行に師事した安倍清明によって、さらに安倍氏が(天体を観測して、その変動で吉凶を判断する)天文博士を家業化する過程が読み取れます。

 こうした流れが制度的に確立されたものが、歴史学的用語では宮司請負制(かんしうけおいせい)にあたります。

 このように、特定の“家”と“職業”がむすびつく“家業”は、ある意味、安定した社会をもたらすかに見えます。

 しかし、、片方では当然、停滞と劣化、陳腐化の温床となるわけです。

 この“家職制”を大胆に否定して、“中央権力者による一元化モデル”のもとに再編成しようとしたのが、鎌倉幕府を打倒するも、足利尊氏に足をすくわれてしまう後醍醐天皇だったかもしれません(新田一郎『日本の歴史11 太平記の時代』)。

 結局、後醍醐の夢、宋学をベースにした中国皇帝やオスマン・トルコ皇帝のような人民をひとしなみに扱うようなガヴァナンスは夢と消え、日本における身分制社会は、欧米という強烈な外圧が起きるまで、日本では(インドのカースト制等からみればはるかに緩やかではありますが)存続し続けます。

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 たとえ、宮司請負制度とまでいかなくても、一定の職が、少なくとも家を継ぐべき長男には確保されている。それが家業の特徴です。

 職業選択の自由はありませんが、そのかわり、嫌いでない限り、就職に悩む事もない。また、家業では定年もない。本人次第で死ぬまでやってもよいわけです。体力的・精神的に仕事が続けられなくなった時が、仕事を退く時です。

 それでは二男、三男は,.....というと、ある者は養子となって他家に移籍して、あるものは(とくに農家等)家内労働者として日蔭の人生を歩み(江戸幕府最後の大老井伊直弼は、実に32歳まで部屋住みとして、捨扶持暮らしを続けています。それが、長兄の死により、運命が一転するわけです)、また、ある者は出家する(メディチ家の二男ジョバンニ・ディ・メディチ=後の法王レオ10世、今川氏親の5男、僧栴岳承芳こと、還俗して今川義元)。

 と、こんなふうに職を選ばざるをえなかったわけです。もちろん、姫路藩主の二男酒井抱一が法体に身をやつして、琳派の画家として生きるの等の道もありました。

 なお、相続権から外した“弟たち”を寺/修道院なりに“デポジット”しておいて、長男が死んだ際のリスク・ヘッジにする、これは洋の東西を問いません。

 フランス国王ルイ7世、イギリス国王ヘンリー8世(そして上記今川義元も)なども本来“スペア”だったのです。

 しかし、兄等の不慮の死で、俗世に舞い戻ってしまった(今川義元などは、お寺でそのまま修行を続けていれば良かったものを、とつい同情してしまいます)。だから、ちょっとインテリなんですね、とくにヘンリー君などは。 

 そのかわりに性格もそれぞれちょっと偏っていて、家庭的幸福になかなか恵まれない。

 ルイ7世など、嫁に来た一代の才女アリエノール・アキテーヌ(ルイ7世との離婚後、後のイギリス国王ヘンリー2世と結婚、一生に仏英両国の王妃になった方です)に「王と結婚したと思っていたら修道士だった」といわれ(Wikipediaより)、浮気されたあげく、離婚します。

 これでめでたしかと思ったら、アリエノールは広大なアキテーヌ公領を持参金に、なんと次のイギリス王になるヘンリー・プランタジネットことヘンリー2世と結婚してしまい、フランス王よりもイギリス王の方が直轄地が広くなってしまう(=アンジュー帝国)。  

 それが明治の秩禄処分後、家職も奪われる代わりに、職業選択の自由も与えられる。

 これが、いわゆる“近代化”と“職業”の関係の始まりです。

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 こうして近代化された後、家業に必ずしも縛られない者たちが近代教育を受けることで、新たな職を探す、あるいはそれに悩む=これが夏目漱石の小説にしばしばあらわれる明治期の学生像です。

 例えば、『坊っちゃん』(書籍番号#63)の主人公は、

  • おれは600円の使用法について寝ながら考えた・・・これを学資にして勉強してやろう。600円を3で割って1年200円ずつ使えば、3年間は勉強が出来る・・・・
  •  
  • (物理学校=現東京理科大学を3年かけて)卒業してから8日目に校長が呼びに来たから、何か用だらうと思って、出かけて行ったら、四国辺のある中学校で数学の教師が入る。月給は40円だが、いてはどうかという相談である・・・あてもなかったから、此相談を受けた時、いきませうと即席に返事をした。これも親ゆずりの無鉄砲が祟ったのである」 
  •  

  また、世評に高い『こころ』(書籍番号#64)では、若い語り手の「私」が東京帝国大学を卒業後、「先生」と「奥さん」と交わすやりとりでは、(註;当時は、卒業してから、就職活動するのが通例)

  • 「君も愈卒業したが、是から何をする気ですか?」
  •  私にはただ卒業したといふ自覚がある丈で、是から何をしやうといふ目的もなかった。返事にためらっている私を見た時、奥さんは「教師?」と聞いた。それにも答へずにいると、今度は、「ぢや御役人?」と又聞かれた。私も先生も笑い出した。
  • 「本当いふと、まだ何もする考へもないくらいなんです。実は、職業といふものに就いて、全く考へた事がない位なんですから。だいち何れが善いか、何れが悪いか、自分が遣って見た上でないと解らないんだから、選択に困るわけだと思ひます」 
  •  

 漱石には、大学に「職業学」という講義を設けるべきだという主旨の講演録が残っているぐらいですから(『基礎演習ハンドブック』で紹介済みの『私の個人主義』講談社学術文庫版に「道楽と職業」という講演録が載っています)、心中、学業と仕事の関係について思いを巡らし、こうした近代化における大学の社会的機能をどこに定めるべきか、考えを深めていくのです。

 余談ですが、近代日本において、もっとも多様な職業に就いた人の一人は、ダルマ蔵相こと高橋是清でしょう。

 安政元年生まれの彼は、ヘボンのもとで英語を学んだ後、10代にしてアメリカ留学に赴くも、騙されてなんと奴隷の身におちてしまい、日本に逃げ帰ってからも、森有礼の書生を経て、大学南校(東大の前身の一つ)の教師、そこで失敗して芸者置屋の手伝い(!)、唐津藩の英語学校教師、大蔵省、そして文部省、さらに農商務省を経て、ペルーで銀山経営に失敗します。

 その後、日本銀行に入って総裁に就いてから、大蔵大臣、そして、原敬暗殺後の総理大臣まで勤めて、最後、大蔵大臣在任中に2・26事件で暗殺される、というジェット・コースターのような波乱万丈の人生です(『高橋是清自伝』書籍番号#65)。

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  さて、とりとめもなく、“仕事”についての文献にふれてきましたが、それでは、“仕事”と“娯楽”の違いは何か?

 19世紀半ばのアメリカ、ミズーリ州の田舎町セント・パーターズバーグに住むトム・ソーヤー少年こと、小説家マーク・トウェインの金言を紹介しましょう(『トム・ソーヤーの冒険』書籍番号#66)。なお、以下に引用の元は新潮文庫の大久保康雄訳です。

 ある日、トムはポリー伯母さんから、喧嘩の挙句に服をぼろぼろにした罰に、土曜の休日、家の塀のペンキ塗りを仰せつかります(第2章『栄光のペンキ塗り』より)

 もちろん、いたずら好きで手に負えない悪ガキ、トムのこと、他の仲間にあからさまに“罰”がばれて面目を失うはずの塀のペンキ塗りを前に、「板塀の大きさを見積もり、消えうせた今日の楽しみを思い、はてしもなく」滅入り込みます。「人生とは何と空虚なものか」。

 気をとりなおして、仕事に専念しようとする彼ですが、日頃の行いから見ても、とても無理なこと。黒人奴隷のジムに押しつけようとして、またもポリー伯母さんに怒られるトムですが、心は沈むばかりです。

 なにより、ほかの餓鬼どもの眼が気になる。「まもなく自由な身の子供たちが、それぞれ楽しく遊びに行く途中、ここをとおりかかるだろう。そして、こうして働かされている自分を笑い物にするだろう」と思い悩みます。

 その時、トムの頭に「ある天来の声がひびいた。まさに霊妙な天来の福音であった」。こうして、トムは「あらためて刷毛をとりあげ、神妙に仕事をします」。そして、“カモ”を待つのです。

 やがて最初のカモ、親友ベン・ロジャースがひっかかります。

「どうした、トム、仕事をいいつかったんだね」 

「なんだ、ベンだったのか。ちっとも気づかなかった」  

「どうだ、これから泳ぎに行くんだぜ・・・・だが、君は仕事があるから行けない。なあ、そうだろう? 仕事があるからな」 

「仕事だって?」「そうさ、いまやっているのは仕事にきまっているじゃないか」

「そうさな、そうかもしれない。そうでないかもしれない。とにかく、これはトム・ソーヤーでなければできないんだ」 

「ごまかすな。まさかこんなことを、すきでやっているというつもりじゃないんだろうな?」 

「すきかって? そうさ、好きではいけないという理由はないじゃないか。第一、塀にペンキを塗る機会が、そう何度もあると思うかい?・・・子供でこれをうまく仕上げられるものは、千人に一人-二千人に一人もいないと思うな」 

  こうして、トムは本来は「」である「仕事」を、「希少価値」がある「栄光ある(=トム・ソーヤーにしかできない)偉業」に掏り替え、ベンを次第にうらやましがらせ、かつ、代価(ベンが齧っていた林檎)まで支払わせて、「いそいそと、ただし、顔だけは苦りきって」ベンに刷毛を渡します。そして、木陰で涼みながら、林檎をほおばりつつ、次の犠牲者を待つのです(ライブドア(1999-2002)の株券もこの類だったのかもしれません)。

 さて、冷やかし半分に訪れる友人たちを次から次へと丸めこみ、彼らに塀を3回も重ね塗りした挙句、“栄光のおすそ分け”の代価として「弾き玉12個、口琴の一部分、望遠鏡代用の青いガラス瓶の破片、糸巻きの大砲、どの錠にもあわない鍵一本、チョークのかけら、ガラス瓶の口栓、錫の兵隊・・・・もう使えないガラクタの窓枠」等の(悪ガキどもにとっての)宝物までせしめます。結末で、

 「結局、この世界は、そうつまらないものではない、とトムは思った。ここで、自分では気づかずにいたが、彼は人間の心の動きについてのある大法則を発見していたのである-それは、大人でも子供でも、相手の欲望をそそりたてるには、その望みが容易にかなわない(=欲望の経済学、欲望のインフレーションですね!)と思い込ますにかぎる、ということである。もし、トムが、この本の著者(=マーク・トウェイン)のように賢明で偉大な哲学者であったら、仕事というものは人がしなければならないものであり、娯楽とは人がしなければならないものではないということを、さとったであろう」 

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 このように、「仕事」自体は十分に哲学的考察の対象になりうるものです。

 ということで、総合政策学部でも、たんなるキャリア教育にとどまらず、思想系の先生方、鎌田先生や細見先生等による、「仕事とは何か?」、「遊びとは何か?」、「なぜ、ある人は嬉々として仕事に励み、またある人はいやいやながら仕事をするか?」について、考察する授業を作ってもよいのかもしれません。

 もし、そんな授業を行うとすれば、私が考えつく教材はなによりもまず『トム・ソーヤーの冒険』、そしてベンジャミン・フランクリンの『フランクリン自伝』(#67)、そしてその次にあげるべきは、アメリカ人にとっての仕事を論じたS・ターケル『仕事!』(書籍番号#68)でしょう。

 『自伝』も『仕事!』も『基礎演習ハンドブック』で紹介しましたので、ここでは詳しくは説明しません。

 しかし、先の投稿で理系(生物系)フィールドワークと文系フィールドワークの違いの一つを、“退屈さ”に例えましたが、『仕事!』は文系フィールドワークでひとときも気が抜けない見事な仕事の一例として、皆さんも是非、一度、お目をお通し下さい。

 最後に、本日の第12回総合政策学部卒業式にあわせ、新卒業生の皆さんに、是非、以下のフランクリンの13徳を、(信奉するにせよ、嫌うにせよ)ささげたいと思います(Wikipediaからの引用)。悪ガキトムなら、一笑にふすかもしれませんが。

  1. 節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
  2. 沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
  3. 規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
  4. 決断 なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
  5. 節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
  6. 勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
  7. 誠実 詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまた然るべし。
  8. 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
  9. 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
  10. 清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
  11. 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
  12. 純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽(ふけ)りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
  13. 謙譲 イエスおよびソクラテスに見習うべし。

 御卒業おめでとうございます。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...