ギリシア悲劇とその変奏Part1:高畑ゼミの100冊番外編

2010 5/3

 以前投稿したブログでも演劇に触れたものがありましたが(例えば、「高畑ゼミの100冊Part14;“20世紀現代演劇”について;“うんこったれ!”から、“考えたりするには頭がよすぎるのです”まで(2010年4月9日投稿)」、ここではヨーロッパ演劇の原点の一つ、紀元前530年ころに古代ギリシアで始まり、紀元前480年ころに絶頂に達して、ヘレニズム期に衰退するギリシア悲劇(あるいはそれも包含したギリシア神話)について紹介したいと思います。

 第一厚生棟の2階の書籍売り場でも、文庫本でギリシャ悲劇が並んでいます。皆さんには是非お薦めたいところです。

  それでは、お前はギリシア悲劇(神話)のストーリーで、何が一番好きかと言われれば、まず、“カッサンドラ”の悲劇をあげなければなりません。

 現代イタリア語では「不吉、破局」を意味するという「カッサンドラ」という名の女性の物語です。彼女はいにしえの都トロイア(イリオス)の王女で、ギリシアの神々の一人アポローンに恋されます。そして、アポローンの愛に応える代償に未来がわかる能力=予知能力をねだります。

 しかし、これはあまりに人知を超えた振る舞い(皆さんは、けっして欲しがってはいけません)、予知能力を授かった彼女は同時に「いずれアポローンが自分を捨てる」ことも知ったため、アポローンの愛を拒みます。その報復に、アポローンはカッサンドラに一つの呪い、それは「彼女は確かに未来を予見できるが、それを他の者は決して信じない」という宿命を宣告します。

ソフィア・ローレンリチャード・ハリスバート・ランカスター主演の映画『カサンドラ・クロス』(1976年公開)は、細菌兵器の存在を抹殺するため、アメリカ軍情報部が、細菌に汚染された列車を1000名の乗客ごと、30年前に廃線になって老朽化した鉄橋から転落させて、事実を隠ぺいしようという筋書きのパニック映画のはしりですが、この“カサンドラ”はもちろん上記カッサンドラに由来します。“The Cassandar Crossing”という原題は、「破局を呼ぶ橋」というような大意でしょうか。

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 アポローンの呪いは凄まじく、その後ギリシアとの間で勃発したトロイ戦争では、アガメムノン率いるギリシャ軍に包囲された時も、トロイアの木馬等についての彼女の予言は何の効果もなく、トロイアは滅亡。彼女はギリシアの将小アイアースに神殿でレイプされ、アガメムノンの奴隷としてギリシアに拉致されます。

 しかし、10年にもおよぶ夫アガメムノンの不在の間、かつてアガメムノンがトロイアに勝つために神々に生贄として捧げた娘イピーゲネイアーの非業の死を怨み、アイギストスと不倫の関係を結んだアガメムノンの妻クリュタイムネーストラーは娘の復讐を誓い、アガムノンとカッサンドラを殺します。

 カッサンドラは自らの死をも予知しているのですが、もちろんアガメムノンはそれを信じることなく、彼女と一緒に妻に殺されます。

◆アガメムノンがギリシアの勝利のため、愛娘イピーゲネイアーを殺して神々にささげるストーリーは、後世の劇作家ラシーヌの『イフィジェニー(フランス語読み)』等にとりいれられています。Wikipedia では、英雄アキレウスとの婚儀という嘘で呼び出され、ギリシアの勝利のため、女神アルテミスへの生贄を宣告されて「悲嘆に暮れ、並み居る勇者たちに娘の助命を願い出るクリュタイムネーストラーに対し、イーピゲネイアは王女の務めとしてわが身を捨て国のために生贄となることを承諾する。気高い王女は婚礼の衣装を身に着けたまま、祭壇で命を落とした」とあります。

 このように筋書きを紹介していくと、(ほんの)あらすじを書きつけているだけなのに、息が切れてきそうです。とくに、イピーゲネイアーとカッサンドラの対比は! 時々思うのですが、古代ギリシア以来、芸術という点については、我々はどれほど進歩したと言えるのでしょうか? 以下は、自らの運命を悟り、死への道を進もうとするときのカサンドラとコロスのやりとりです。

  • カサンドラー:(ふたたび決然として歩を宮門のほうへ向ける)でも行きます。たとえ館の中で身のさだめ、またアガメムノーンの運命を嘆き泣くことになろうと。生きた日はもう十分でしょうもの、ねえ、皆さま方、けっして私は鳥みたように、恐ろしさから茂みを甲斐もなく怖がるのではありません。だがこの証人に、私が死んでから、立って下さい。女である私の(死の)ために、ある女が死に、悪い妻をもった男のために、他の男が死んだときには、今死のうというとき、これ、この務めを、皆さんにお願いします。
  • コロスの長:ああ気の毒な、痛ましいのはお前の予言の、死の運め(さだめ)だ。
  • カッサンドラー:もう一言だけ言いたいこと、私はけして、自分自身の挽歌を歌おうとは思いません。ただ太陽に祈るのです。この最後(いやはて)の日差しに向かって、敵を打ってくれる人らが、敵の者に、私を殺した負債(おいめ)をいっしょにはたり取れるよう、-死んでいった女奴隷への、造作もなく手にかけられたものへの負債を。
  • コロス:ああ、はかないのは人の世のわざ、幸せといわれるものさえ、
  • 影でもさせば、変わってしまう、ましてや不運とでも言われれば、
  • 濡れた布巾の一と打ち二た打ち、たちまち消える画にそっくり、
  • これこそあの人たちの運め(さだめ)よりなお、いっそうにいたましいこと。
  •           (呉茂一訳「アガメムノーン」『ギリシア悲劇全集Ⅰ』人文書院より)

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  さて、ギリシア悲劇でカッサンドラのストーリーに対応するのは、まず、三大悲劇詩人の最初の一人、アイスキュロスの『オレステイアス3部作』(紀元前458年前;現在から2500年も前!)の第1作『アガメムノーン』 です。

 この物語の筋書きは、上記で説明したとおりですが、その基本は男性原理(ギリシアの栄光を一身にになう総大将として娘も犠牲にしなければならないアガメムノン=父親)と、女性原理(戦いで娘を犠牲にすることなど想像を絶するというクリュタイムネーストラー=母親)のせめぎあいとも言えるでしょう。クリュタイムネスーストラーは、夫とカッサンドラーを手にかけてから、王の死を嘆くコロスに決然と言い放ちます。

  • コロス:ああ、ああ、われらの殿よ、殿よ、
  • どのように 御身の上を嘆き泣こうぞ、(略)
  • 謀略(たばかり)の非業に伏し、おのれの妻の
  • 手からして、両刃(もろは)の利器(えもの)に死を遂げるとは。
  • クリュタイメーストラー:いえ、この人に自由を欠いた死にざまが・・・・
  • あろうとは考えません。・・・・
  • だって、この人がまず謀略(たばかりごと)のひどい所業を
  • 家の者たちに向かってやったのではありませんか。この人と
  • 私とのあいだに育った若枝、あの嘆いてもなげききれない
  • イーピゲネイアに あれだけのことをしたからには、
  • その当然の報いを受けたからとて、けっして冥土に行ってから
  • 大きなことを言ってもらいたくないわね、剣の刃にかかって、
  • 死でもって、自分が先に犯した罪の、償いをしただけですもの。
  •                      (同上)

 こうして、3部作の第1作では、カッサンドラの予言はもちろんアガメムノンの信じるところとはならず、二人は虚しく殺されていきます。しかし、もちろん、話はこれではおさまりません。

 アガメムノンの残された子供たち、姉のエレクトラ(=精神分析の始祖フロイトが提唱した“エレクトラ・コンプレックス”の語源です)と弟のオレステイアスは、第2作『供養する女たち』で、母クリュタイムネーストラーに冷遇されたこともあり、父親の死への報復を誓います。

 ここで問題になるのは、母系原理(母親の行為を認めるか)対父系原理(父親に対して犯された犯罪を清算させるか)かもしれません。様々な思いを経て、オレステスは母親とその情夫アイギトスを殺し、「父の怨みを晴らし」ますが、それは同時に「母殺し」の大罪を犯すことであり、彼は狂気に襲われます。

◆心理学に詳しい方はもちろん先刻ご承知と思いますが、エレクトラ・コンプレックスとは「女児(=エレクトラ)が父親(=アガメムノン)に対して強い独占欲的な愛情を抱き、母親(クリュタイムネーストラー)に対して強い対抗意識を燃やす状態(Wikipedia)」を指します(もちろん、ギリシア悲劇のエレクトラは父に性的愛情を持っているわけではありません。フロイトがたとえに使っただけです)。

 それに対して、後述のエディップス・コンプレックスとは「母親(イオガステー;後述)を確保しようと思い、また父親(ライオース)に対して強い対抗心を抱いて、アンビバレントな心理を抱く状況(Wikipedia)」ですが、こちらもギリシャア悲劇はいわばたとえに使われているだけです。この二つのコンプレックスはいわば対概念で、近親相姦のタブー(インセスト・タブー)をめぐるフロイトの理論のベースをなしています。

 そして第三部『慈しみの女神たち』はいわば裁判劇(あるいは今はやりの“修復的司法”かもしれませんが)として、オレステスの母殺しについて弁護するアポローン=弁護人と、咎める神「復讐女神エリーニュース」=検察官の間の論争を、アテナーイ市民が陪審員として判断、有罪・無罪同数になります。

 そして最後にアテーナイ女神による裁定で、オレステイスの無罪が宣告され、この一連の悲劇の幕が閉じる、これがギリシア悲劇最高傑作群の開幕をつげる『オレステイアス3部作』です。どうですか、学生の皆さんは、この裁判に“裁判員”として召集された場合、どんな判決を下すでしょうか?

 なお、現代映画でもこのモチーフは、ビスコンティ監督の『熊座の淡い星影』(ソフォクレスの『エレクトラ』がベース)、アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』等に繰り返し使われています。

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 ここで、ギリシア悲劇の“構成”にも注釈を加えておきたいと思います。

 ギリシャ悲劇の初期の段階は、主役(仮面をつけています)と舞踊合唱隊(コロス=英語のコーラスの語源)のやり取りから始まります。ちょうど、日本のがシテ(為手/仕手=主人公)とワキ(=脇役)、そして囃子で構成されるようなものです。なお、このコロスが登場する場所がオルケストラ、つまりオーケストラの語源です。

◆かつて三大悲劇詩人たちが競争したアテナイのディオニューソス劇場の写真のURLは右の通りです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Theatre_of_Dionysus_01.JPG

 そして、主役は初めは一人=つまり、抒情詩を一人で語り、それに劇の背景や説明をおこなう合唱隊(コロス)が応えて、ストーリーが展開していくものだったのですが、アイスキュロスの段階で2人(能でのシテとワキ)のやり取りが加わり、さらにもう一人が加わる(能だと、シテ+ワキ+ワキツレ)となって、いわゆる“演劇”へと発展していきます。

 なお、役者を3人に増やしたのが三大劇作家の最後の一人、エウリピデスだそうです。これにともない、コロスの重要性はだんだん低下、やがて“背景”的なものになっていきます。

◆仮面を描いたモザイク図のURLは右の通りです:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:TragicComicMasksHadriansVillamosaic.jpg

   ちなみに、この仮面を“Persona(ペルソナ)”と呼びますが、それが回りまわって英語の“Personality(パーソナリティ)”になったという説が有力です。そして、このパーソナリティを明治期、哲学者の井上哲次郎が“人格”と訳します。

 つまり、人格は人が秘かにかぶっている“仮面”ということになるかもしれません?! (なんとなく、納得しますね) そのあたりに着目したのが精神科医・心理学者のカール・グスタフ・ユングで、彼は人間の外的側面をペルソナと呼ぶことを提唱します。この結果、日本では、パーソナリティとペルソナ、この二つの言葉を使い分けるのが普通です。

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  そのギリシャ悲劇の中でも、もっとも完成度が高いのはソフォクレスの『オイディップス王』(紀元前429-425年頃上演)、そしてその後日談『アンティゴネー』(紀元前441年上演)でしょう。アイスキュロスもそうですが、ソフォクレスの劇に通底するモチーフは、人間の悲劇的運命は変えられないが、その運命に悲壮にあらがい(そして、死んでいく)姿こそが、人々の心を打つというものです。

 フロイトの“エディップス・コンプレックス”の語源となった、テーバイ(テーベ)の王オイデイップスはテーバイを襲う疫病の原因を、為政者としてつきとめるべく、「先王ライオースを殺した犯人をつきとめる」べく全力を尽くします。

 その結果わかったことは、実は、その犯人とはテーベにたどりつき、スフィンクスを退治して、王に遇される前の自分自身であること、殺した王は自らの(生物学的)父親であること、そして、戴冠後にめとった先王の妻とはすなわち自分の母親(=近親相姦)であることです。つまり、意識せぬまま行ったとは言え、自らの「父親殺し」と「母親との近親相姦」こそが、今テーバイに降りかかる災難の原因であることに、気付かされるのです。

◆テーバイの町のはずれで、旅人に謎かけをして、応えられない旅人を殺して食べていたスフィンクスの謎かけこそが「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か?」というもので(Wikipedia)、オイディプスは「それは人間の赤ん坊、大人、老人を指している」と答えて、スフィンクスを自殺に追い込みます。

 最初はまったく疑わなかった自分自身の行いについて、目の前に次々に明らかにされる事実によって、事態がおぼろげながら妻にして母のイオカステーにわかりかけてきます。彼女は必死に我知らず破滅への道をたどろうとする夫にして息子のオイデイップスをとめようとします。

  • イオカステ:お願い申します、命が大切なら、この詮議はおやめなされませ。私の苦しみだけでたくさんでございます。
  • オイディプス:懸念には及ばぬ。たとえおれが三代続いた奴隷を母とする者であっても、そなたは卑しいみぶんということにはならぬわ。
  • イオカステ:いえ、どうぞわたくしの言うとおりにして下さいませ。これはおやめなされませ。
  • オイディプス:いいや、このことを突き止めぬわけにはゆかぬ。
  • イオカステ:あなたのおためを思うて、いちばん良い事をお勧めしているのでございます。
  • オイディプス:それでは、そのいちばんよいことが前からおれを苦しめているのだ・
  • イオカステ:おお、不幸なお方、ご自分の素性をけっしてお知りになりませぬように!
  • オイディプス:誰か行って、かの牧場番をここにつれて参れ! この女には勝手に貴い生れを喜ばせておくがよい。
  • イオカステ:おお、哀れなお方! わたしが申し上げられるのはこれだけ、これが最後でございます。
  •        [と宮殿内に走り入る=註:既に真実に気づいているイオカステは自死を選びます]
  •                         (高津春繁訳『ギリシア悲劇全集Ⅱ』人文書院より)

 しかし、このあとで繰り広げられる告白に、次第に“真実”に目覚めざるをえなくなった時、“現実”に耐えきれなくなったオイディプスは自らの眼をえぐりだし(=外界との情報を絶って)、王位を捨ててテーバイを去ります(イオカステーはすでに自殺しています)。

  • (オイディプス)おおすべてが明らかとなったようだな。おお、光よ、これがお前の見おさめだ、生まれるべきでない人から生まれ、交わってはならぬ人と枕を交わし、害すべきでない人の血を流したこのおれの! [宮殿内に走りこむ]

 このあとを、コロスの合唱が舞台に響きます。

  • おお、人の子の代々、
  • はかなきは命。
  • 誰かある、誰かある
  • 幸いを得し者。人みな
  • 幻の幸を得て、
  • 得し後に墜ちゆくのみ。
  • なが定めこそそのためし、
  • なれが、なれが定めこそ。おお幸薄きオイディプス
  • 人の子にはことほぐべき者なべてなし。
  •             (同)

 しかも、悲劇の連鎖はこれでは終わりません。次のストーリーとなる傑作『アンティゴネー』でも、過酷な運命に逆らう人間の姿が描かれるのですが、それはto be continued・・・・・としましょう(アンティゴネーはエディップスとイオカステーの間に生まれた娘です)。

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 ギリシャ悲劇あるいはギリシア神話は、その後、多くの劇作家にインスピレーションを与え続けます。17世紀、ルイ14世の絶対王政下に数々の傑作をものにしたラシーヌに『アンドロマック』、『フェードル』がありますが、このあたりも稿を改める必要があるでしょう。

 そこで、ここで最後に紹介するのは現代フランスの実存主義作家にして思想家、ノーベル文学賞辞退者のサルトルによる現代的ギリシア悲劇『蠅』です(1943年初演;以前「高畑ゼミの100冊Part14;“20世紀現代演劇”について;“うんこったれ!”から、“考えたりするには頭がよすぎるのです”まで」で紹介したカミュの『カリギュラ』とほぼ同時代)。

 これは、上記、アイスキュロスのオレステス3部作をベースに、人々の心まで操ろうと権謀術策を繰り広げる神ゼウスと、近代的人格を背景に、“母殺し”に“神の恩赦”など必要なく、自らの行為に対する批判・呪いはすべて一身に引き受けようとするオレステスの対決がクライマックスとなっています。

 一連のやりとりの後で、ゼウスはそういう人間=“神を必要としない者”があらわれるのはわかっていたとつぶやきます。

そうか、オレステス。そのことはみなわかっていた。ひとりの人間がわしなる神の黄昏を告げにやってくるはずであった。それがおまえか? 昨日、若い娘のようなおまえの顔を見て、いったい、だれがそれを信じようか!」(石沢秀二訳)

 しかし、彼も神々の中の神、神の力はまだ衰えきってはおらず、その呪いを受けるがよいとばかりに宣言して、退場します。

こう夢見るが良い。わしの王国はまだ終わりを告げてはいないとな。いや、終わるどころかその逆だ-わしは戦いをなげようとはせんぞ。わしにつくか、反抗するか、よく考えるがいい

 そして、エリーニュースの呪いを受けながら、オレステスがテーバイを去るところで幕が下ります。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...