就職活動についてPart1:求職の際のミスマッチ、あるいは宮本武蔵とダ・ヴィンチの憂愁

2010 9/25 総合政策学部の学生・院生の皆さんへ

 今日は就職活動について、触れてみたいと思います。と言っても、理系大学院を出てから大学教員をやっている私は、皆さんが経験する/経験された就職活動をしたことがありません。それで、これまでの有名人の“就活”から始めたいと思います。

 さて、就活と聞いて私の頭に浮かぶのは、実は、宮本武蔵です。天正12年(1584年)から正保2年(1645年)にかけて生き、下剋上(一介の庶民から関白まで出世する豊臣秀吉に代表される何でもありの世界)の世に、ちょっと遅れて生まれてしまった武蔵の人生は、言ってみれば、就職活動の連続だったとも言えるでしょう。

 しかし、自書と伝えられる『五輪書』に「廿一歳にして都へ上り、天下の兵法者にあひ、数度の勝負をけつすといへども、勝利を得ざるという事なし」と豪語する天下一の剣豪が、どうして就職できなかったのか? それは彼が望んだ職種と、雇い主候補が考える職種のずれだったのかもしれません。

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 昔読んだことがある小説ともエッセイともつかぬもの(著者は司馬遼太郎だったと思うのですが、記憶が定かでありません)に、就活中の武蔵が、徳川家康の9男、尾張藩徳川義直の面前で試合をした、というのがありました。武蔵は見事勝つのですが、義直は腹心に言います。

見た! 強い! だが、教えられぬ

 さすがは義直、上泉信綱新陰流の流れをくむ神影流開祖奥平久賀に自ら剣術をならったという家康の息子として、きちんと見ぬくのですね。武蔵の技は個人技であり、彼自身の身体的ベースに支えられる部分が多く、したがって他人に教えるのは容易ではないことを(これは「野球の名選手が名監督になれるか?」という問題でもあります)。

 このギャップが、武蔵の尾張藩での就職活動を挫折させた、という筋書きだったかと思います。よくできた話です。たぶん、伝説か、創作でしょうけれど、武蔵を彷彿とさせます。

 学生の皆さんも、自分の能力(顕在化している部分も、そして自分で自覚しているか否かは別にして、潜在している能力の双方)をふまえ、相手方からの要求とこちらの要求のすりあわせを考えて下さい。

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 武蔵のその後を紹介すると(なにしろ、有名な巌流島の決闘が慶長17年(1612年)とすれば、武蔵28歳前後、彼はそのあと30年余の齢を重ねます)、最終的に熊本城主細川忠利に客分として招かれ熊本に移ります(Wikipediaによる)。

 武蔵には7人扶持18石に合力米300石が支給されますが、「客分」、わかりますか? つまり、「あなたは家臣としていてもらうわけではない。私の客として、名誉ある立場で我が藩に留まっていただければ、それだけで私どもの名誉を高めるのです」という意味ですね。

 つまり、齢50を過ぎ、いわゆる出世路線=就活からはずれて初めて、武蔵と言う超有名人を「客」として迎えることができる。さすがは、もともとは足利幕府に仕える身ながら、新興の織田信長、そして豊臣秀吉、最後は家康にトラバーユすることで、戦国期を乗り切り、かつ二条流歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受けつぐ文化人細川藤孝こと幽斎の孫です。このあたりがオーナーとしての人事の極意と言えるでしょう。

 なお、武蔵は熊本の地で『五輪書』を書き(偽書という説も有力だそうですが)、数々の書画も残します。

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 その武蔵をさかのぼることほぼ100年前、イタリア(おっと、その頃はそんな統一国家はありませんでした。都市国家フィレンツェというべきでしょうか)出身のある男が、就活すべく、ミラノ公の摂政(実質的な支配者)イル・モーロことルドヴィーコ・スフォルツァに自薦書を提出します。

  • ロドヴィコ・イル・モーロ宛
  • 名声嚇嚇たる殿下、、兵器の大家ならびに製作者をもって自任しておる人々全部の試作を十二分に吟味いたし、その発明および発明品がありきたりのものと少しも異ならないと考慮いたしましたので、いかなる他人をも顧慮することなく、閣下に私見を申し上げて、小生の秘訣を披露いたすことに努めましょう(略)。
  • (1)小生、きわめて軽く、頑丈で、携帯容易な橋梁の計画を持っています。それによって敵を追撃することもできれば、時には退却することもできます(中略)。
  • (2)ある町の攻囲にあたって、濠の水を浚え、無数の橋梁や上陸用舟艇雲梯その他かかる攻撃に付随する諸道具を製作することができます(中略)。
  • (7)同じく、堅牢で攻撃不可能な覆蓋戦車を制作しましょう。それは砲兵をのせて敵軍の間に突入しますが、いかなる大軍といえどもこれに出会って壊滅せざるはありません(中略)。
  • (8)同じく、必要とあらば、在来のものとは全然ことなる、非常に美しくかつ有用な形態をもった大砲臼砲ならびに軽火器を制作いたしましょう(中略)。
  • (10)平和な時代には、建築、公私大建築物の構築、また甲地より乙地への水道建設に、他の何びとに比べてもこの上なき御満足をいただけると信じています。
  • 同じく、大理石、青銅およびテラコッタの彫刻をいたします。絵も同様、他の何びととでも御比較あれ、いかなることでも致します(以下、略)。

 すごいですね。まさに墨子もびっくりの無敵の軍備の提案。さて、この自薦書の書き主は誰か?

言うまでもなく、イタリア・ルネッサンスの三大芸術家、ミケランジェロラファエロとならぶ巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチです(杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫より引用)。

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 もうお分かりかとおもいますが、武蔵がたんなるプレーヤーやコーチでは満足できなかったように、ダ・ヴィンチもまた、様々な現象に興味をいだき、そのため、すべてを極めようとする自らの欲望と、世間からの要求(芸術家としての才能だけ)のギャップに直面します。

 そのイル・モーロは1499年、フランス軍の侵攻でもろくも権力を失い、ダ・ヴィンチも失職します。イル・モーロがのぞんだ父フランチェスコ・スフォルツア(一介の傭兵隊長の息子として生まれ、自らの才知を駆使して、ミラノ大公までのぼりつめる立志伝中の方)の騎馬像もまた原型の石膏像の段階で挫折します(名古屋国際会議場に、FRPで復元した全高8.3mの騎馬像が飾られています)。

 イル・モーロの没落後、ダ・ヴィンチはこれまた一代の梟雄、法王アレクサンデロ6世の私生児に生まれ、一時期、イタリア中央部ロマーニャを支配、マキャベリに『君主論』のヒントを与えたチェーザレ・ボルジアに軍事技術者として使えるのですが(チェーザレについてもいずれ紹介せねばなりません)、チェーザレも父の死とともに失脚、ダ・ヴィンチにはついに画家としての立場しか残りませんでした。

 そして人生の結末を迎え、ダ・ヴィンチはフランス王フランソワ1世と出会います。フランス最初のルネサンス型君主といわれる彼は、アンリ4世(「総合政策のための名言集Part2:ポパイの名セリフほか(2010/08/22投稿)」を参照)に並んでフランス人にもっとも愛される王だそうですが、このルネサンス型巨人ダ・ヴインチにほれ込み、フランスに招きます。

  • 豪胆にして繊細、ただし、やや軽率な(それが愛される理由でもあるのでしょうが)フランソワ1世の名セリフは、1524年(ダ・ヴィンチの死の5年後)、パヴィーア包囲戦で宿命のライバル神聖ローマ帝国皇帝カール5世(スペイン王としてはカルロス1世)の軍にやぶれて捕虜になった際、母国の母と姉にあてた手紙の一文「すべてを失ないましたが、生命と名誉だけは保つことができました」とされています。

フランソワ1世の招きにダ・ヴィンチは応じますが、この時、未完の作品『モナ・リザ』を持参、この絵がルーブルに残る結果になります。「フランソアはこの百科全書的な会話の名手と一緒にいると、決して退屈しなかった。レオナルドに応えられぬような疑問はなく、解けないような謎はなく、解決が見つからぬような問題もなかった」(モンタネッリ(藤沢道郎訳)『ルネサンスの歴史』中公文庫)。こうして、1519年、ダ・ヴィンチは異郷フランスで生を終えます。

 この結末、なんとなく細川忠利と武蔵に似ていますね。

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 さて、ダ・ヴィンチの作品です。ひょっとして生涯最大の遺作は残された膨大なメモ=『レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿』かもしれませんが、私自身が実際に見た事がある絵はロンドン・ナショナルギャラリー蔵「岩窟の聖母」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Leonardo,_Felsgrottenmadonna2.JPGと、ポーランドのチャルトリスキ美術館蔵「白貂を抱く貴婦人」です。

 とくに「白貂を抱く貴婦人」は数年前、京都でチャルトリスキ美術館展が開かれた際、この一作だけのためにでかけました。モデルはイル・モーロの愛人チェチーリア・ガッレラーニ。この絵は彼女自身が持っていたと言われています。そして、ある時、彼女は他の人に見せながら「この絵が描かれた時、私はまだ若く(17歳の頃)、美しかった」と語ったとのことです。

 ということで、今回は、ちょっと変わった就活話になってしまいましたが、皆さんも、自らの希望、そして先方の要求、このマッチング、あるいはミスマッチに気をつけて下さい。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...