2010年10月

総合政策のための名言集Part5:政治的発言について#1

2010 10/31 総合政策学部のみなさんへ 今回は“政治的名言”について、紹介しましょう。すでに、アンリ4世の「パリはミサに値する」や勝海舟の政治的批評を紹介していますが、“政治的発言”をまとめてとりあげます。まずは何と言っても、アンリ4世にまけないキャッチコピーの名手、ローマ帝国の創設者ユリウス・=カエサル(英語読みでは、ジュリス・シーザー)の台詞から。 

#23:「賽は投げられた」(Alea jacta もしくはJacta alea est

 自らのガリア地域における軍事的勝利(それは、その後、数百年にわたってローマ帝国の背骨を作る事になります)を無視し、政治的に抹殺しようとする元老院派に対して背き、すべてを新しい秩序(=ローマ帝政)に向けようとするカエサルが、ローマ属州と首都ローマを隔てるルビコン川(実際は、ほんの小川だそうです。“境界”としての、象徴的な意味なんですね)を子飼いの軍団を率いて突破する時の台詞。

 より詳しく紹介すると、スエニトウスの『ローマ皇帝伝』が出典の「ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければわが破滅。 進もう、神々の待つところへ! 我々を侮辱した敵の待つところへ! 賽は投げられた」です(Wikipediaより)。

 良いですね! 自分は世界を破滅させかねない事を決行するわけだが(事実、あしかけ5年におよんでローマ人同士が殺しあうローマ内戦に突入します)、実行しなければ(ただ一人ローマを立て直す能力を持っているはずの)自分が破滅する。それならば、すでに答えは一つしかない(=ノルマンディー上陸の決断をするアイクこと、アイゼンハワー将軍の決断と同様です;「リーダーシップ、ラインアンドスタッフ、“能率”とは何か?(後半):総合政策のための名言集Part4+高畑ゼミの100冊Part20(2010/09/4投稿)」を参照)。これがヨーロッパ誕生の瞬間といっても過言ではないかもしれません。

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#24:「来た、見た、勝った」(Veni, vidi, vici

 そのカエサルは、かつての三頭政治の同僚にして、いまや宿敵となってしまったポンペイウスを追ってエジプトに遠征、かのクレオパトラ等との出会いを経て、紀元前47年8月、シリアのポントス西部のゼラで、ファルナケス2世と対戦、勝利を得た後にローマに送った手紙とのこと。簡潔にして十分な情報をふくみ、かつ、頭韻脚韻を踏んでいる。広告業界に関心がある方は、是非、この“骨子”のみのキャッチコピーの極意を学んで下さい。

 なお、カエサルは演説、文章の名手で、自らの覇業ガリア征服については『ガリア戦記』、骨肉殺しあう(長年副官だったラビエヌスが元老院派に寝返り、血で血を洗う死闘を繰り広げます)ローマ内乱については『内戦記』を著しています。政敵にして僚友でもあった哲学者キケロが「それはむき出しで、直載だ。着物を脱いだ裸体のごとく、一切の修辞的装飾をかなぐり捨てている」(スエニトウス(国原吉之助訳)『ローマ皇帝伝』)と絶賛したこれらの本を、政治を志す方々は是非お読みください。 

 ところで、宣伝文のもう一つの雄は、もちろん南極探検家シャクルトンの “Men wanted for hazardous journey. Small wages, bitter cold, long months of complete darkness, constant danger, safe return doubtful. Honor and recognition in case of success (求む男子。至難の旅。僅かな報酬。厳寒。暗黒の長い日々。耐えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には、名誉と賞賛を得る)” ですね(「高畑ゼミの100冊Part10:探検記・旅行記について;2009/12/27投稿参照)。  

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   しかし、ユリウス=クラウディウス朝は第5代皇帝ネロで滅亡、その後の大混乱(4人の皇帝が1年の間に擁立され、そして次々に失脚=殺される)4皇帝の年(紀元69年)を経て、剛腕をもってする軍人上がりの(後の軍人皇帝時代の先駆といえますが)ティトゥス・フラヴィウス・ヴェスパジアヌスが中東より攻めのぼって、覇権を握ります。いわゆるフラウィウス朝です。

 政治家としても有能であったヴェスパジアヌスが混乱の極にいたったローマ再建のため、絶対的な権力をふるっているのに対して、良心的な長男ティトゥスが諌めに来ると、以下のように言い放ちます(モンタネッリ『ローマの歴史(上)』p.293)。

#25:「まわりがきちんとしているならわしだってまっとうにやるさ。悪党相手なんで、わしもあくどくやらんとな

 ちなみに、破たんした帝国財政を立て直すため(日本では、今後、どうなるんでしょうかね?)、ウェスパシアヌスがとった施策でもっとも有名なものは公衆トイレからの税金の取り立てですが、ティトゥスがまた反対すると、儲けた金貨を鼻先につきつけて「臭うか?」(Pecunia non olet)と尋ねたそうです。 

 もっとも、この公衆トイレで回収された小便からはアンモニアを生成、毛織物染色に利用したということで、立派なリサイクルです。ウェスパシアヌスはそこに眼を付けて、税金を取り立てたわけなので、江戸の長屋の便所(=大小便を肥料として回収)を連想させる立派なエコロジー政策とも言えます。ともかくも、この施策のおかげで、ヨーロッパでは公衆トイレをウェスパシアーノあるいはその派生語で呼ぶようになったとのことです。 

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 そのカエサルから1400年あまり、ルネサンスの文化を謳歌するイタリアは、しかし、政治的には四分五裂、誰も統一できない状況が続きます。その都市国家フィレンツェで、ある男がこう諭します。 

 #26:「祈りを唱えながら国家を統治することはできないんですよ」(モンタネッリ/ジェルバーゾ[藤沢道郎訳]『ルネサンスの歴史』

 ルネサンスの華、フィレンツェの実質的な支配者、偉大な芸術家たちのパトロン(建築家のブルネレスキや彫刻家のドナテッロ)、そしてメディチ銀行の経営者でいながら民衆の支持をえて、既得権益者(=貴族)を弾圧して権力を握るコジモ・ディ・メディチが、反逆をくわだてた者を高い塔から突き落として処刑した際、その残酷さに抗議した者に穏やかに言い聞かせた言葉です。

 この商人上がりで全権力を(それとはあからさまに示さないまま)手中におさめる「祖国の父」コジモ、そして一介の傭兵隊長出身ながら、大胆なやりかたでミラノ公国を奪取するフランチェスコ・スフォルツァ、このあたりこそが、イタリア・ルネサンスの精神の真髄=「中途半端な者は生きてはいけない」世界のヒーロー達です。なお、同時代に生きたフランチェスコとコジモは、互いを認め合う友好関係を築いていたとのことです。  

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 そのコジモとフランチェスコから半世紀、強国フランスとスペインに踏みにじられるイタリアに心痛め、この蛮族たち(=フランス人とスペイン人)にどう対抗すべきか、最初の近代的政治学者ともいうべきニッコロ・マキャベッリは『君主論』を書きます、というより、書かずにはいられない。真の、そして最良な形での愛国者として、マッキャベリは「祖国にささった短剣」を抜くための方法を考えます。とは言え、その成果=『君主論』は、結局、フランス王やスペイン王たちによって利用されていくことになるのですが(思想は常にもろ刃の刃なのです)。ちなみに、君主論ではコジモやフランチェスコを高く評価しています。

#27:(君主は)人に恐れられるよりも愛せられる方が良いのか、反対に、愛されるよりも恐れられる方が良いのか。私は両方ともであってほしい、というであろう。しかし同一人で二つとも兼ねることは難しいから、両者のうちいずれかをえらばねばならぬとしたら、愛されるよりも恐れられる方がむしろはるかに安全であろう。それは、人間は恩知らずで、多弁で、虚偽で、臆病で、吝嗇であると一般にいうことができるから」(N・マキアヴェッリ『君主論』(黒田正利訳)岩波文庫版)

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 ついでに、歴史作家の著作から名台詞を。まず、塩野七生から、

  • #28:情勢判断に長じているはずの現実主義者が誤りを犯すのは、相手もまた(自分と)同じで、それゆえ馬鹿なまねはしないにちがいないと思った時である。
  •     (『神の代理人』より。チョー現実主義者であるはずのヴェネツイア政府が、これまたフツーではない法王ユリウス2世ミケランジェロ等のパトロンです]との交渉を誤り、1509年、カンブレー同盟戦争に巻き込まれたことを評して)

 というあたりで、to be continued・・・・・(#2へ)としましょう。 

食べることについてPart7+植民地が残したもの:国際援助の現場からPart11(後半)

2010 10/29 総合政策学部の学生・院生の皆さんへ

 さて、イギリス植民地が残したものは、行政機構(結果として、多くのアフリカ人を苦しめます)、港と線路と道路(多くのアフリカ人を苦役の立場に追いやります)、それからお茶(東アフリカでもっとも好まれる飲み物です)。とくにお茶はアフリカ人を“チャイ”づけにして、なけなしの金をまきあげ、イギリス=インド=アフリカの三角貿易を推進します。

 “茶”の呼び方について、イングリッシュ風の“ティー”の場合と、アラビア語風“チャイ”の場合がありますが、このティーとチャイはどちらも中国語由来だそうです。まず、ティーとは陸路づたいにつたわった福建地方のテーから由来する。それに対して、チャイは大航海時代の広東語のチャーから来ているとのこと(Wikipediaによる)。そして最後に、「博物学者の書いた本と、まずいイギリス料理」がイギリス植民地の遺産にあげられるわけです。これがフランス語圏ならどうなるでしょう?

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 ということで、1997年と1998年に旧フランス植民地のマダガスカルにでかけた時には、現地の食事に興味しんしんでした。すると、ベトナムやカンボジアでもそうですが、フランスパンが田舎でも売られている。しかも、(私の味覚を信じてもらえば)日本のフランスパンより結構美味しい(もっとも、いわゆるバゲットがほとんどで、パン・ド・カスターニュ等は見た記憶がありません)。 

 とくに、首都アンタナナリボを行き帰りによった時には(協力先のチンバザザ動植物公園のディレクターに会わなければいけないので)、昼食はいつも、首都の独立大通りのマーケットで、縦切りのバゲットに現地産のハムと野菜、マヨネーズを詰めたサンドイッチですませていました。これが1500マダガスカルフラン、当時のレートで30~40円ぐらい、結構お腹がいっぱいになります。

 ただし、フツーの皆さんはあまり手を出さない方が良いかもしれませんね。お腹を壊してしまうかもしれません。周りを見ても、マダガスカル人以外、そんなものを齧りながら散歩している外国人はほとんどいませんでした。 とは言え、まずはフランスパン恐るべし!

チンバザザ動植物公園は日本のJICAを通して仙台の八木山動物園や宮城教育大学等と「動物園を活用したマダガスカルのESDパイロットマテリアルの構築」プロジェクトをおこなっています(文科省のHPのURLはhttp://initiative.criced.tsukuba.ac.jp/kadai/h21/2-kyouiku-kenkyu-ESD/miyakyo-u-esd.html)。また、活動ブログはhttp://eeppt.exblog.jp/)。

  また、チンバザザ動植物公園で飼育されているキツネザル類の写真がNPOニホンアイアイランドのHPに載っています(http://www.ayeaye-fund.jp/photo02.html)。

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 そのフランスパン以上に、マダガスカルの少なくとも首都と南端の町フォール・ドーファンにポピュラーだった外来の食事がSupu Chinoise、“中国風スープ”と訳せばよいのでしょうが、中華風といえなくもない塩味のスープに太いうどんのようなヌードルが入っています。いったいどんな経緯で、この南国マダガスカルまでたどり着いたものやら、よくわからないのですが。

マダガスカル本来の料理は米の飯と肉か豆等のおかずの組み合わせです。知り合いの東京外国語大学深沢教授のホームページに「日本で作ろう マダガスカル料理」があります(http://www3.aa.tufs.ac.jp/~nfuka/report/ryori/index.html

他にマダガスカル料理のHPを探したら、以下のURLがありました。写真も出ています:http://www.geocities.jp/takehikokawasaki/seikatu/syokuji.html  

 あと少し不思議だったのは、フォール・ドーファンのレストランに入ると、インドネシア料理のナシ・ゴレン(焼き飯)やミー・ゴレン(焼そば)があるのです。これもどういう経緯でこの地の果てのようなマダガスカル南部まで伝わったのでしょう? 実は、首都のアンタナナリボで一番おいしかったレストランは、1軒だけあったベトナム料理屋でした(レストランといっても、完全に東南アジアの下町風でした)。もっとも、残念なことにこの店だけ、どういうわけかアルコールがなくて、せっかくのベトナム料理もビール抜きで画竜点睛を欠くという風情でした。

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 とは言え、フランス植民地が徹底的な影響を残しているのは、“フランス語”にほかなりません。首都のアンタナナリボの本屋さんに行くと、ずらっとフランス語の本が並んでいます。派手な表紙の文庫類にはラシーヌバルザックゾラ等が目白押し。かわりに、どうやら図鑑類や学術書は、結構英語本が幅をきかせている。やっぱり、という気もいたします。

 そんな本屋の書棚の前にたっていると、(私はパリに行ったことがありませんが)ふと、パリの本屋でこんなにフランス語の古典の本が並んでいるのだろうか? と疑問が湧きます。きっと、パリの“兄ちゃん、ねえちゃん”たちはこんなものなど手を出さず、パリの本屋はもっとちゃらちゃらしたものを売っている。そして、フランス文化の“古典”はむしろ、フランスにあこがれる第3世界の本屋で売れている、という構図ではないか、と想像してしまったのです。

 さらによく見ると、同じ本屋の棚の隅に、数十年前の印刷とおぼしきくすんだ表紙のラシーヌ等も残されています。この本屋は、マダガスカルの若者にずっとこうした本を販売してきたのでしょうね。そして彼ら/彼女らは学歴を進むにつれて、否応なくフランスの大学やグラン・ゼコールへ留学していく。つまり、言語を通じての植民地支配が今も続く、これが私にとっての実感です。

 言葉をおさえることで(=言語政策)、思想を支配し、最終的にはフランス文化で世界を支配する(百科全書派の夢の実現)。とはいえ、その過程でポル・ポトのような方々も育ててしまうのですが。

 さて、そこで先進各国の国際援助の方針について、ある文書を紹介しましょう。(pdfのファイルのURLは(http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g70524a04j.pdf)。『他ドナー国におけるODA 政策及びODA 政策評価の現状分析』というタイトルのこの文は、

  • まず、「国益」を明確に打ち出しているのは米国である。米国は、開発援助政策を外交政策の重要な一部分と位置づけ、国益と照らして必要な場合には、例外的に巨額の援助を行う場合があるとしている。また、米国の商業的な利益の増進のために開発援助を用いる方針も明確に打ち出している
  •  
  • また、フランスも自国の外交政策や経済政策上の利益と開発援助政策との関係を明確に意識している。フランスが重点的な援助対象国とするのは、「優先連帯国(ZSP)」といわれる、同国が外交政策の上で関係強化を重視する国である。また、フランス語教育や文化の伝播を援助の重要目標に挙げている。さらに、商業的利益の側面では、ZSP とは区別して、新興市場国を対象としたタイド援助スキームを維持する方針を示している
  •  
  • その片方で、「自国の利益よりも、途上国の貧困削減を最優先とする立場を取るのが英国である」(中略)「ドイツも、近年、ミレニアム開発目標の達成が自国の開発援助目標であるとの立場を立っており、英国に近い政策姿勢になってきていると考えられる
  •   

と指摘しています。 つまり、フランスは“フランス語”を一種の政策手段として駆使し、フランス語圏の維持と拡大をねらう。それが言語政策の一つの極端な形なのかもしれません。そのあたりは、Wikipediaのフランスの言語政策を参照して下さい。

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 なお、アンタナナリボの本屋で見かけた一番興味深かった本は、実は、池上遼一描くマンガ(劇画)のフランス語版(マンガの吹き出しがフランス語になっているのが、実に妙というか、池上遼一の描画のタッチにあっていました)でした。フィールドに行く途中だったため、購入をためらったら、帰国時にはもう売れていて、おしくも入手できなかったのですが。

リサフェへの近道番外編;ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(後半)

2010 10/24 総合政策学部の学生・院生の皆さんへ

 前編・中編に引き続き、ノーマルアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4」の後編です。リサフェもあと2週間とせまっているので、「リサフェへの近道」にも〆をつけないと。

 ということで、今回のメイン・テーマは、純粋の「統計学的事象」のはずのノーマル・アブノーマル、あるいは「自然」というごく当たり前の言葉に、いつしか、「価値観」が紛れ込む、そんなところかもしれません。

 ところで、今日(10月24日)はKSC(神戸三田キャンパス)の新月祭第2日目、昨日はなんとか天気が持ちましたが、今日はちょっと危なそうです。Yahooの「三田市の天気」では、15時頃から弱雨と出ています。どうなることか(後註:その後、2時前後から小雨、終了まじかの5時頃にはかなり本格的になって、模擬店の片づけは大変そうでした。皆さん、ご苦労様でした。それにしても、Yahooの天気予報も恐るべし)。\

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 さて、前編の「リサフェへの近道番外編:ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(前半)(2010/09/27投稿)」では、2010年現在の日本のでは、フツーが関東圏では“まあまあ良い事”というやや肯定的な意味、関西では“とりえが無くて、避けたい”=否定的なニュアンスである、とWikipediaに記載されていたと書いたのですが、あらためてWikipeidaの「普通」の項目を開けたら、なんと、記述が変わっているようです?!

 本日読んだ記述は以下の通り:

近年の若者言葉において「普通」は、「普通に良い」のように、一定基準を満たしている、または特に問題が無いことを表す肯定的な言葉としても使われる[1]。例えば、言葉のジェネレーションギャップを歌い上げる『これってホメことば?』という歌にも「フツーにおいしい」という表現が取り上げられている。また、「平然と-を行う」、「当たり前のように-を行う」という意味として、「普通に-を行う」というように「普通」を使用する者も増えている」 。

引用文献の[1]は、 加藤主税(2008)「携帯の普及に見る若者文化到来――現代若者言葉と老若共同参画の可能性」『國文學』2008年4月号、71頁だそうです。

 なお、この加藤先生とは、名古屋の椙山女学園大学人間関係学部(知り合いが2人勤めています)の先生で、「「死語」の概念を確立するなど、若者言葉評論家として活躍。手相研究家としては、占い関連で日本初の大学の正式科目として、名古屋文化短期大学にて「運命学」を1998年に開講」とのことです。面白そうな方なのでしょうか? この次、知り合いにあった時は、聞いてみましょう。

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 さて、統計学的に正規分布がなりたてば、平均値周辺の人々はもっとも多くを占め、いわゆるマジョリティとなります。そのマジョリティは「ごくよくある状態」という価値観とは無縁の状態のはずです。

 それが、いつのまにか「よくある状態 → 当たり前の状態 → 常に保つべき状態(いつもの状態でないと、不安になる) → 守らなければならない状態 → その状態からはずれる人たち(=マイノリティ)は矯正されるか、排除されるか(=フランスのポスト構造主義哲学者ミッシェル・フーコーのこだわった精神病院監獄)、抹殺されるべき存在(=魔女裁判とナチス等がひきおこしたホロコースト)」という道筋をたどる。

 これは人類の歴史でいわば定番的筋書であることは世界史を勉強された方は、よくご存じですよね?

 フーコーは生前カミングアウトしませんでしたが、どうやら同性愛者で、かつ精神的不安から自殺未遂をおこし、つまりは二重のマイノリティだったわけで、その息苦しさを研究に反映させたようです。

 最初、その事情をあまり知らずに遺作『性の歴史』を読んだ時には、「なんで、こんなに同性愛にこだわっているんだ?!」と疑問に思ったものです。その後、彼が同性愛からエイズに感染して、ごく初期の犠牲者になったということを知って、納得したことがあります)。

 こうして、ナチュラル/自然=ごくふつーに身の周りに存在するもの、アンナチュラル=ふつーには存在せず、その存在自体がなにがしか、否定的ニュアンスを持っている、という風にうけとられると、“アンナチュラル”という言葉に重い意味が課せられることがある、というわけです。

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 そこで、ご紹介するのは、アメリカの反体制的劇作家リリアン・ヘルマンの舞台劇『子供の時間』、そしてこれを映画化した邦題名『噂の二人』こと『The Children’s Hourです。

 なお、ヘルマンの作品は時々、ひりひりするぐらい悪意の潜在性を感じさせることがありますが、彼女はハードボイルドの傑作『血の収穫』の作者ダシール・ハメットの長年のパートナーでした。『血の収穫』は、「高畑ゼミの100冊Part3;ハードボイルドについて、コンティネンタル・オプ、マーロウ、アーチャー(2009/12/11 06:26投稿)」で紹介済みですよね。

 この劇は1936年いったん映画化されますが、映画コードに「同性愛」がひっかかり、修正をよぎなくされます。そのため、巨匠ウィリアム・ワイラー監督はアメリカ社会がある種の寛容さを持ちだす1960年(キング牧師の「I have a dream」がその2年後、1963年)に満を持して、再映画化を試みます。

 このワイラーはフランスにユダヤ系として生まれ(=やっぱり、マイノリティ)、遠い遠戚関係を頼って、アメリカの映画業界に18歳で身を投じ、生涯で3度アカデミー監督賞を受賞します。受賞作は『ミニヴァー夫人(私は未見)』、『我等が生涯最良の年(これも未見、第2次大戦の復員物です)』、そして『ベン・ハー(よきにつけ、あしきにつけ、アメリカのキリスト教社会の理念を高らかにうたった作品です=ユダヤ系なのに、というより、ユダヤ系だからこそできたのかもしれません)』です。

 主演はオードリー・ヘプバーンシャーリー・マクレーン、この2大女優が演じたストーリーは「17歳のときから親友同士のカレンとマーサは、今では共同で女学校を経営していた。カレンにはジョーという恋人がおり、二人はついに婚約した。しかし経営が軌道に乗りはじめた時期でもあり、マーサは嫉妬し、カレンと口論になる。 さらに、一人の生徒によって二人が同性愛関係にあるとの噂を流されたことから、平穏だった暮らしは次第に崩壊していく」というものです。

 この映画の最初のクライマックス、虚言癖のある女の子が主人公二人を中傷するシーンで、あの二人は“アンナチュラル”なのよと叫ぶシーンは一種の衝撃です。「“自然”でないという理由だけで、人が迫害されていく」怖さ。

 その言葉によって三人の人生は破たん、マーサは自死に追いやられ、そして、カレンは(二人を守ることをためらった)ジョーを捨てて、その地を去っていく。勁(つよい)い女になっていくのですね。

 Wikipediaによれば「シャーリー・マクレーンは、ドキュメンタリー映画 『セルロイド・クローゼット』 の中で当時を振り返って、「本当なら、マーサは自分のために戦わなければならなかったのに…」と語り、自分自身も撮影当時は同性愛というものについて何も考えていなかったと語った」と語っているそうです。

 つまり、アメリカ・キリスト教社会では、同性愛は完全なマイノリティであり、かつ社会から排除されるべき理由として、それは「反自然=アンナチュラル」である、という論理につながっていく。そこへの反省が、今のアメリカにはたしてあるのか? 皆さんはどう思われますか?

“就活”および“仕事”について:“総合政策学部同窓会OBG企画:リサーチ・フェア第2日”の紹介Part 2:ディズニーランド勤務の先輩も

2010 10/18 総合政策学部の学生の皆さんへ 先日は、来る11月6日に予定のリサーチ・フェア2010総合政策学部同窓会OBG企画シンポジウムのアナウンスをしましたが、さらに追加情報が寄せられていますので、以下、ご紹介します。

 まず、シンポジウムの出演者の追加です。先日お伝えしましたように、メインはMBSの三澤肇記者&大西亮記者ですが、そのほか、以下の方が登場予定です。

  • 小杉崇浩さん(総政2期生;渡部ゼミだったかと思います)。現、総合政策学部同窓会会長
  •  総合政策研究科在籍中にNPO法人WELNETさんだを設立
  •  スタッフ約70名で、誰もがあきらめなくてもよい地域の実現に向けて奔走中。
  •  
  •  ちなみにWELNETさんだのHPはhttp://welnetsanda.org/
  •  無農薬・無添加のレトルト・ビーフカレー等を販売中(私も試食させていただきましたが、美味しいです)
  •  福祉等に興味がある方はぜひ、シンポに

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  • 松下裕崇さん(3期生、Greenseゼミだったかと思います)
  •  “庭師松下”代表
  •  卒業後、単身、イギリスにわたり、独学でガーデニングを学ぶ。パティシエ・エス・コヤマを独創的に創り上げ、注目を浴びている。
  •  

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 6日当日は、小杉さんの司会で、メインを三澤&大西、そしてコメントを三本松さん&松下さんからいただく、という形で話が進む予定です。

 就活に悩む方も、また、すでに終えられて社会人になろうとしている方も必見です。

総政100本の映画Part12:旧東欧反体制映画の日々:国際政策を映画で勉強しよう(#1)

2010 10/12 総合政策学部の皆さんへ 

  今回は、私が昔、京都にいた頃に出入りしていた映画サークルの思い出もからめて、当時冷戦構造末期に、京都で紹介されていた東ヨーロッパの反体制映画の数々を紹介しましょう。と言っても、皆さん、即座に頭がまわりますか? 

 冷戦期の東欧の反体制映画? なんだ、それは? という感じでしょう。端的に言えば、社会のすべてを統制しながら、政治経済を運営しようとする社会主義政権下、その体制を批判する。と言っても、安易に資本主義にすり寄るのも、何だか、というインテリたちの希求と混迷の世界、その心象風景の映像化なのです。ということで、今回は、映画で学ぶ国際政策と銘打つことにしましょう。

 さて。1980年代の前半、私は断続的にアフリカに滞在していて、結局計3年をアフリカで暮らしましたが、その前後から90年代にかけて京都にいる間は、映画自主上映サークル“シネマ・リベルテ”で、この冷戦期の東ヨーロッパ(もちろん、西側も同じですが)の反体制映画を観たものです。会場はたいてい、東山通の東一条の日伊会館(日本イタリア京都会館の略)でした。

 主催者は当時東映の助監督だった方で、なりわいとしては『大奥マル秘シリーズ』等といったプログラム・ピクチャーものを撮っているとのことでしたが、その反動ゆえか、かなり(右にも左にも)過激な映画を上映されていました。そこで観させていただいた作品群が、今になれば、私の血肉の一部になっています。

 国際政策を志す人は、是非映画を(たとえ、それがプロパガンダ映画だとしても=レニ・リーフェンシュタールの監督作品が、ナチスを賛美すると同時に、反非ナチス派の人間にはナチスの本質を実感させたように)観ましょう。ちょっとした台詞が、ヨーロッパ2000年の歴史を、あるいは世界制覇数百年の歴史を垣間見せてくれるかもしれません。

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 さて、スペイン生まれで反フランコファランヘ党)派、亡命先のメキシコでは生活のためプログラム・ピクチャーを量産、その粗製濫造のはずの作品が映画史上に残る傑作群になってしまったルイス・ブニュエル監督がフランスで撮った『ブルジョワジーの密かな楽しみ』あたりが、シネマ・リベルテでの見始めではなかったかと思います(撮影時の1972年には、フランコはまだ健在でした[1975年没])。

 悪夢の連続、夢から覚めたと思ったら、また次の夢の中、現実と夢とが入り乱れる『ブルジョワジーの秘かな楽しみ』は、ひょっとして、コブとモルとアリアドネが入り乱れる『インセプション』の多層の夢の世界の先駆かもしれません(『ギリシア悲劇とその変奏Part4、あるいは総政の100本の映画Part12:“インセプション”と“アリアドネ”』(2010/09/1 09:28投稿を参照)。

 しかし、ブニュエルあたりで話を始めたら、永遠に東ヨーロッパの反体制映画にたどりつつけないまま、アンダルシアかメキシコの荒野をさまようほかはありません。『アンダルシアの犬』(映画#34;「総政100本の映画編Part2:#16~#36、『灰とダイヤモンド』から『シンシナティ・キッド』まで(2009/11/22 10:05投稿)で既出)、メキシコ時代の傑作『忘れられた人々』や『エル』も、『昼顔』も、『黄金時代』も今回はとりあえずおいておきましょう。

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 と言えば、当然、「総政100本の映画編Part1:#1~#15、『桜の園』から『サイダーハウス・ルール』や「総政の100本の映画Part2」ですでに名前ぐらいは紹介したポーランド映画の傑作、例えば、アンジェイ・ワイダ監督『灰とダイヤモンド』(#16)や『地下水道』から、ロマン・ポランスキー監督『水の中のナイフ』までのラインアップをまずあげるべきでしょう。

 『灰とダイヤモンド』:かつて14~17世紀に大国になりながら(たしか、ゴーゴリ作『隊長ブリーバ』では「ロシア・コサックをいじめるにっくきポーランド人」という設定だったのでは-完全にうろ覚えですが)、その後、地政学的にゲルマン民族スラブ民族(ポーランドは西スラブ人ということになるそうです)の狭間となり、政治的には(ポーランド分割を行うフリードリッヒ大王エカテリーナ2世に象徴される)ドイツとロシアの間で、また宗教的にはカトリック東方正教で常にひき裂かれてきたポーランド。19世紀にはポーランド分割で国を失い、パリに亡命して生きる目的を失った姿がバルザックの諸作品に時々出てきます(そうした亡命ポーランド人中の有名人がピアノの詩人ショパンです)。

 第2次大戦後も、ソ連によって東側に組み込まれますが、宗教上の理由(敬虔なカトリックが多い)、また伝統的な反ロシア感情も手伝い、ロンドンの亡命政府と社会主義政権が内戦的状況に突入する(同じ頃に内戦状態になり、かろうじて西側にとどまったのがギリシア。その内戦による深い傷を表現したのがアンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』です=ついでに言えば、この映画はギリシャ悲劇の『オレステス』がベースです;「ギリシア悲劇とその変奏Part1:高畑ゼミの100冊番外編(2010/05/3 1投稿)」を参照)。

 その内戦状態さなかの1948年、戦前からの筋金入りの共産主義者ポーランド労働者党県委員会書記ステファン・シチューカを暗殺しようとする亡命政府系テロリストのマーチェク・ヘウミツキが、そのさなかふと恋におち、自らの人生と暗殺者の使命の二つの重みを測りかねながら、行動に出ようとする・・・・・。それがこの映画の筋書きです(Wikipediaによれば、原作ではシチューカが主人公的存在で、マーチェクが主役の映画とはかなり異なっているようです)。

  • そう言えば、アカデミー監督賞最高齢受賞記録(74歳)保持者クリント・イーストウッドが2008年に撮った傑作『グラン・トリノ』(#29;「総政100本の映画編Part2:#16~#36、『灰とダイヤモンド』から『シンシナティ・キッド』まで;2009/11/22投稿)を参照)で、人種差別用語を連発する元フォード社自動車工&朝鮮戦争のPTSDに悩む元兵士コワルスキーもポーランド系米国人でした。
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  •  すると、コワルスキーはどんな経緯でアメリカに渡ったのか? さすがに映画でそのあたりをどう説明していたのか、覚えがありません。(ちょっと妄想をふくらまして)50年フォードに勤めたとすれば、移住が戦前か、戦後か、ちょっと微妙なところですね。イーストウッドは30年生まれとして、同年とsれば、戦後の社会主義化後、15,6歳で両親に連れられて移住、フォードで職を得て、朝鮮戦争に20歳前後に従軍することでアメリカ市民権を得て・・・という筋書きも可能かもしれません。
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  •  いやいや、ひょっとして第1次大戦後のポーランドの混乱で両親が移住、アメリカで生まれた可能性も捨てきれません。それとも、さらに以前の移住か? DVDを買って、再確認しないと・・・・(このあたりで、移民国家としての栄光と悲惨が交差するわけですね)。
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 さて、『灰とダイヤモンド』に話を戻し、コントラストが強い白黒画面に映る真面目な共産党員としてのシチューカと、暗殺者という使命に迷いをかんじはじめたマーチェクの心のゆらぎ、亡命政府、日々影響力を強めるソ連。ポーランドに残る人々の間で、思想、経歴、世代、それぞれの思惑の違いに引き裂かれる心の裂け目が、当時31才だった俳優ズビグニェフ・ツィブルスキの端正で(未来が見えない)とことん暗い横顔に象徴されて、圧倒的な印象を残します。1958年に制作されたこの映画は、「反社会主義テロリストの無意味さを訴えたものだ」と言葉巧みに社会主義政権側をごまかしたワイダ監督によってヴェネツィア国際映画祭に出品され、映画評論家連盟賞を受賞します。

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 その『灰とダイヤモンド』の4年後、1933年生まれの監督ロマン・ポランスキーは1962年、『水の中のナイフ』で鮮烈にデビュー、ポーランド国内よりも、西欧諸国で絶賛を浴び、イギリスそしてアメリカにわたって、いわば“亡命映画作家”の道を歩みます。

 1926年生まれのワイダは、父親が有名なカティンの森事件(ソ連赤軍が降伏したポーランド人将校等を大量虐殺=大戦中の確認では4234人)の犠牲者で、かつマーチェクとほぼ同じ世代(演じたズビグニェフ・ツィブルスキと1歳違い)であした。それに対して、7歳年下のポランスキーは、ユダヤ教徒のポーランド人の父親とカトリック教徒でロシア生まれのポーランド人の母親の間に生まれ、ナチス・ドイツ軍によってゲットーに閉じ込められた際、父親が有刺鉄線を切った穴からかろうじてのがれて、両親と生き別れになります。そして、大戦中も独りで逃亡を続けるという苛烈な青春を送ります。その間、母親は“負の世界遺産”ことアウシュビッツ強制収容所で殺され、父親は強制労働をかろうじて生き延びます。

 この7歳の差、そしてユダヤ系という出自が、第2次大戦後の社会主義政権下において、二人の間に立ち位置の差を生みます。何よりも、自らが戦乱に参加できた世代と、幼さ故に戦乱に翻弄され続けた世代の心の差。

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 ポランスキーの出世作『水の中のナイフ』には、冒頭、戦後ポーランドの悩み等は、なかなかあらわになりません。すでにゴムルカが権力を掌握、ある程度の自由化を保証することで(1970年代にはそれも行き詰るわけですが)、次第に豊かさを身につけ出す。その象徴たる余裕のありそうな夫婦、一見互いに不満もなく、円満そうに見える二人が週末のヨット遊びに出かけるドライブでヒッチハイクの青年をひろい、3人でヨットに乗る。そして、夫と若者の間に次第にあらわになる対立。(ゴムルカが提供する)偽りの中の豊かさ、その中で人生が持つ意味、新しい世代の現状への懐疑・・・・

 一見、平和が訪れ、社会主義政権下で順調な歩みを始めたはずのポーランドには、しかし、すでに世代の違い、価値観の違いが生じ、そして男たちの反目の中で、“大人の女”の心が揺らぎます・・・

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 ポランスキーは、この後も、波乱の人生を歩みます。ポーランドを離れ、アメリカで『ローズマリーの赤ちゃん』等で成功、女優シャロン・テートと結婚しますが、妊娠中の彼女をカルト集団に虐殺されます。さらに、自身も性犯罪の疑いで有罪を宣告され、アメリカから逃亡、ふたたび亡命監督として『戦場のピアニスト』でアカデミー監督賞を獲得するも、授賞式には当然、出席できない。この浮き沈みが激しすぎる人生をどう評価すべきなのか、ちょっと言葉もありません。

 ところで、私が観たポランスキー作品のうちでもっとも印象に残っているのは、『水の中のナイフ』以前の習作短編『タンスと二人の男』しておきましょう。(のちに送る人生のことなどまだ片りんもみせない若い監督志望者は)海からタンスを抱えた二人の男が浜にあがってきて、また海に帰っていく(!)、不条理な映像を15分間展開させます。 

 ワイダおよびポランスキーの人生と同様、ゴムルカ以後もポーランドは東側と西側に翻弄され続け、「連帯」の誕生、混乱の中でのヤルゼルスキによる戒厳令(「あれ(戒厳令の布告)は、(ソ連の介入という事態に比べれば)より小さな悪だった」ヤルゼルスキ自身の言葉、Wikipediaより)を経て、やがて“ベルリンの壁”の崩壊を迎えます。

 ということで、イェジー・カヴァレロヴィチ監督『尼僧ヨアンナ』(Part1の#11)も是非触れたかったのですが、このあたりでTo be continued・・・・(#2へ)とします。

“就活”および“仕事”について:“総合政策学部同窓会OBG企画:リサーチ・フェア第2日”の紹介Part 1

2010 10/9 総合政策学部の学生、とくに3年生と4年生の方々へ 11月6日(土)のリサーチ・フェア第2日目に、総合政策学部同窓会提供、“就職”と“仕事”についての一連の企画があります。3年生の方は、これから突入する就活に、そして卒業をひかえる4年生の方は、就職後のネットワーク作りの一歩として、卒業生(=先輩)のお話をお聴きください。今回は、まず、6日10:30~12:00にⅡ-201教室で予定のシンポジウムについてです。

 タイトルは、シンポジウム「記者の目から見た就活最前線!」~人は何故に「働く」のか?~(仮題)。パネリストは毎日放送(MBS)の三澤肇記者(関学上ケ原出身)と大西亮記者(総政出身;2期生)。ジャーナリストの眼から見た、“就活”と“仕事”! ということで、総合政策学部同窓会役員会からのメッセージを以下に貼り付けます。 なお、13:00~16:00からは、2号館各演習教室で先輩を囲んでの車座企画、IBM三菱重工三菱電機ユニリーバユニチャーム小林製薬等の超優良企業から、公務員、教員、さらには起業・自由業まで幅広いラインアップを予定しています(現在、企画進行中、Part 2等でご紹介予定)。ちなみに総合政策学部同窓会HPはhttp://member.kwangaku.net/kgspsalumni/です。こちらも、お時間があればのぞいてみて下さい。

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  • リサフェで「就職」がテーマのシンポ開催
  • リサフェで総政同窓会がシンポジウムをやります!
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  • テーマは就職活動。パネリストは関学出身で毎日放送の三澤肇記者と大西亮記者(総政出身;2期生)。バリバリ働くOBたちの話を聞いて「人は何故に働くのか?」ということを見直してみませんか?
  • 参加をお待ちしてます!
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  • 超就職氷河期と言われる近年。
  • あなたは就職活動に自信を持って取り組めますか?
  • また、将来の働き方に明確なビジョンはありますか?
  • 悩める学生のために特別シンポジウムを緊急企画!
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  • 関学が誇る名物ジャーナリスト三澤肇氏と総政出身の報道記者大西亮氏が就職氷河期の実態を鋭く分析!
    夢にチャレンジし続ける先輩達の熱いエールも送ります。こんな時代だからこそ、夢を持って生きていきたい!!
  •  
  • あなたの将来ビジョンを明確にするチャンスです。
  • ぜひとも一緒に「働く」ことについて考えてみませんか?
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  • 注:三澤 肇(みさわ はじめ)
  • 関西学院大学経済学部卒。MBS報道記者。元アナウンサー。
  • 『MBS ナウ』『VOICE 』『NEWS23』等、数々の報道番組でキャスターを務める。
  • 現在は記者業に専念し、関西を中心に取材生活を送っている。
  • 鋭い切り口で現代社会の矛盾を追及する敏腕ジャーナリスト。

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以上です。

リサフェへの近道番外編;ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(中)

2010 10/6 総合政策学部の学生・院生の皆さんへ

 前半に引き続き、ノーマルアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4」の前半に引き続き、中です。ここでは、“ナチュラル”という言葉を中心に話を進めましょう。

 リサフェも近いので、調査法の教授も多少狙いましょうかね。

 さて、今日、“自然(ナチュラル)”は大人気です。例えば、Googleを使って「ナチュラル」を検索すると、0.06 秒で約 25,400,000 件ヒットしました。

 そこで、今回の課題(=証明すべき仮説)は、これらの記事の多くが「ナチュラル=良いことである」という価値観によるバイアスがかかっているのではないか? ということにします。

 と話を始めれば、お気づきの方もいるでしょう? 社会言語学でもよい、社会倫理学でもよい、「現代社会における“ナチュラル”という言葉が持っている効果」について、いくらでもレポートなり、プレゼンテーションなりができることを。リサフェのタイトルにも十分かもしれません。

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 しかし、それではどうやって数値的データにするか? 例えば、、上記の約25,400,000件のうち、広告を選び、その最初の100件を「サンプル調査」と考えて(もちろん、件数が多いほど面白いわけですが)、それぞれの文章からにじみ出る広告主たちの“ナチュラル”観についての評価を、キーワードで分析する!

 例をあげましょう。今しらべたグーグルのリストで2番目にヒットした「雑貨 ナチュラルキッチン NATURAL KITCHEN」を見てみましょう(http://www.natural-kitchen.jp/)。

 「インテリア雑貨からキッチン用品、アロマグッズや手芸用品など、ナチュラルでぬくもりのある雑貨がすべて105円で揃う雑貨屋さん。」とあって、HPを開けると「店名の「ナチュラルキッチン」という名前には、 家族の豊かな生活がキッチンから始まるように、 みなさまの幸せな生活を、私たちのお店から始めていただけるように… という想いが込められています。」と続きます。

 なるほど、“ナチュラル”という言葉について、この広告では“ぬくもり”、“豊か”、“幸せ”というキーワードと結びつく、とこの筆者は考えているな、と判断します。それでとりあえず、これらの項目をデータベースに入れる。

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 次に、5番目にヒットした「ナチュラルハウス」というHPを見ましょう(http://www.naturalhouse.co.jp/)。これは「オーガニックライフを提案するナチュラルハウス。自然食品や自然化粧品等を取り扱っています」とのことですが、

 のっけから「オーガニックビューティーは、安心・安全であることはもちろん、つよい生命力と美容効果を実感できます」とあります。ふむふむ、ここではどうやら“安心”、“安全”、“生命力”等がキーワードでは!

  なお、この作業は複数人が別々におこない、あとで二人のデータベースを突き合わせます。一致度が高ければ、それは研究の本当らしさのひとつの証となります。必ず、複数の方が、かつ互いの評価を知らぬまま、行うこと。“科学”も、そして“民主主義”もそうですが、得られる“結果”よりもそこまでに至る“手続き”の方が重要な場合が多いのです。

 こうした作業を無作為に300ほど続ければ、すくなくとも「現代日本のWeb情報における、“ナチュラル”という言葉に含まれる含意の実態」が見えてくるかもしれません。

 そこでデータベースをもとに、“ナチュラル”ともっとも結びついている項目を分析、この場合は“因子分析”あたりがよいのですかね? 私は因子分析をほとんど使わないので、ちょっと自信がありませんが。ここまでが“リサーチ”です。

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 ここから先は、“ディスカッション”になりますが、ここまでくれば、その人によってさまざまな議論が展開されます。“ナチュラル”という言葉にまつわる印象の変遷をたんたんと記述する人もいるでしょう。

 あるいは、そうした“自然観”が実は根拠が薄いものであることを指摘する人もいるでしょう。さらに、あるべき“自然観”を主張する人もいるかもしれません。

 逆に、こうした“自然観”の操作を学ぶことで、新しい広告の方法を考える人もいるかもしれません。それはいわば“お好み”の世界です。

 こうして、リサーチが“事実”の追求であるのに対して、ディスカッションはその解釈とそれをベースにした自己主張であり、当然、同じ事実(=アフリカではみんな裸足だ)から別の結論が出てくる(=ここは靴のマーケットになる/ならない)(「リサーチ&レポート;リサフェへの近道Part2~いかにして“課題”に気がつくか?~(2010/06/29 投稿)」を参照)。

 ついでに、自然科学者として私が付け加えたいのは、自然は決して安全でもなければ、安心でもない。たしかに生命力はあるかもしれませんが、人にやさしくなんぞない(アフリカの大地で3年も暮らした者にとってはね)。

 第一、自然は毒がいっぱい、かのWikipediaにも“自然毒”の項目があります(そのあたりは、自然環境論でも触れているはずですが)。個人的には、広告で“自然”とか、“ナチュラル”等の言葉を目にしたら、まず、眉につばをつけるのが良いと思っています。

 ということで、たちまち、社会言語学、環境学、広告学等のテーマにかかわる調査が、PCを通じてだけでできてしまいます。もちろん、Webに出てくる“ナチュラル”を調べる方法はこのほかにもいっぱいあるはずです。

 その方法を考えることこそ、皆さんのオリジナリティを高めるはずです。

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 つぎに、この“自然”あるいは“ナチュラル”に関する社会言語学、環境学、広告学的調査の“深化”です。

 一つは、この言葉をめぐる歴史的経緯を探る。このあたりで、Webでの簡単なリサーチは難しくなります。一つは、新聞記事や広告を探す。Webでさがすより、例えば、新聞の縮刷版を丹念に読んで、データベースを構築されることをお奨めします。

 たとえば、10年前、20年前、30年前というように、10年ごとの刻みで新聞の広告欄を見る。そこに“自然”あるいは“ナチュラル”が使われているか? 何時から使われ出したか? どのぐらいの頻度か? 使われるとしたら、どんなキーワードと共に使われているか?

 こうして“自然”なり“ナチュラル”という言葉をめぐる、現代日本語の変遷、あるいは“自然”観(“自然観”ではなく)の変遷が浮き上がってくるかもしれません。

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 さて、こうした“ナチュラル”という言葉にまつわる話を続けていると、それでは英語で“アンナチュラル!”と言う際、どんな意味が込められている可能性があるか? という話については、To be continued・・・・・(→ 後へ)とします。

 

食べることについてPart7+植民地が残したもの:国際援助の現場からPart11(前半)

2010 10/1 総合政策学部の学生・院生の皆さんへ さて、「食べること」と「植民地」、なんのことだか、皆さん、ピンときませんよね! ということで、今回はフィールドで出会った“植民地の名残り”のなかから、とくに“食べる”こととからめながら、まとめてみましょう(うまくいくかどうか、わかりませんが)。

 私は基本的に第三世界しか行ったことがない人間ですが、まず足を踏み入れたのは1978年に訪れたシンガポール、そして(すでにブログに何度も登場の)インドネシアのメダンでした。この二つ、片方はイギリス、片方はオランダですが、旧宗主国の性格が如実にあらわれている(と私が勝手に思っている)ものがいくつも見つかります。

 それはまず、“本”です。“本”というより“学術的資料”とでも言いましょうか? イギリス人の植民地行政官は、しばしばアマチュア・コレクターであったり、プラント・ハンターだったり、立派なナチュラリストでありました。この結果、とくに旧イギリス領はどこにいっても、本屋にその土地の自然、生命、あるいは民族に関する書籍や図鑑が、きらびやかに並んでいます。

 それにしても、植民地行政官という非道な行いもやむをえない職種と、自然に対する憧憬・興味が入り混じるところが、まさにアングロサクソンの特殊なところではありますまいか? しかも、今日、この習慣が結果的に、欧米による遺伝子資源の独占をもたらしたわけですから(眞寿田先生知財につながります)、やはりアングロサクソン恐るべしとも言えるでしょう。

 自然の分類を支配することにより、知の支配を完成させる=フランス百科全書派、なかんづくディドロダランベールの夢の実現です(このあたりは、細見先生のフランス哲学につながるでしょう)。

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 そして、シンガポールとはあまりに対照的に、メダンの本屋にはきちんとした学術的本がない。このあたりこそイギリス人とオランダ人の違いというべきかもしれません。

  •   オランダ本国の政府が、いかにインドネシアの現状に無知・無関心だったのか、という小話として、スパイスニクズク(ナツメグ)とメースの話があります。
  •  
  •  この貴重なスパイス、農業革命前、冬季に与えるがないため、ドングリ林で肥らせたブタ等をと殺、来春まで食いつなぐためにハムやベーコンにするために必要な香辛料について、ある年、オランダから植民地インドネシアに指示がでます。 「今年はナツメグの価格が低いのに、メースの価格は高騰している。至急、ナツメグの木を切り倒し、メースの木を増やすように
  •  
  •  ところで、ナツメグの木(Myristica fragrans)は「アンズに似た卵形の黄色い果実をつけますが」(Wikipedia)、その種子がナツメグ、その種子を薄く覆っている仮種皮を乾かしたものがメースなのです。つまり、ナツメグの木を切れば、同時にメースも全滅する! まったく、オランダ人の考えることは! というお話です。
  •  

  ちなみに、インドネシア植民地政府が本国の経済不振のため、1830~60年代に香辛料等生産等に過酷な農業労働を強いたのが世界史でも有名な“強制栽培”です。

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  一方、イギリス人、例えばシンガポールの建設者、いまは高級ホテルである“ラッフルズ・ホテル”に名を残す東インド会社書記官トーマス・ラッフルズは、同時に世界最大の花ラフレシアの紹介者で、“ラフレシア”という名前自体が、ラッフルズから由来します(英語から学名のラテン語化)。なんでも、ラッフルズは直径1m弱の巨大な花にたじろぐ同僚をおさえ、とりあえず自ら花に触って無害であることを実証したそうです(Wikipediaによる)。

  なお、ラッフルズホテルは1887年、10室のバンガロー形式(都市政策学科の設計演習等をとられた方は、先刻ご承知ですよね)で開業、作家サマセット・モーム等が宿泊したことで、有名になります。ところで、この“バンガロー”という言葉はヒンズー語由来だそうです。また、シンガポールという町の名前は「ライオンの町=シンガがライオン;スワヒリ語ではシンバ」というサンスクリット語に由来とのこと(インターナショナルですね)。 

 こうしてイギリス(そしてその覇権の跡をつぐアメリカ)による知の独占が完結します。

 その代償と言うべきか、イギリス料理はさえません(アメリカでさえ、世界に冠たるハンバーグとホットドッグ、フライドチキン、さらにコーラにケッチャプ、タパスコもあるのに!)。特色として、大陸系の朝食(コンチネンタル・ブレックファースト)と違って、ホテルの朝食に卵や(あれば)ソーセージかベーコンがついてくることぐらいでしょうか? いわゆるイングリッシュ・ブレックファーストです(1979年にはじめて旧イギリス領のタンザニアを訪れた時は、首都のホテルで朝食についてくる卵が絶望的にまずかったのを覚えています。だいたい、黄身が黄色くないのです!)。

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 それでは、どんなものがシンガポール料理か? Wikipediaの項目を開くと「混合文化圏らしく、潮州・福建を起源とする華人料理、南インド系の料理、マレー系の料理に大別される。以下に代表的なものを挙げる」とあって、

 とあります。どうやらイギリス料理の片りんもなさそうです。Wikipediaを引用すれば、イギリス料理は

 「料理の種類が少ない。世界的に「不味い料理」というイメージが定着してしまっており、当のイギリス人たちでさえ食事の不味さをジョークとして自虐的に口にするほどである。よく「○○の料理は不味い」と言っても、その国の食習慣に外国人が馴染めないだけであり、その国の人にとっては美味しい料理であるという場合が多い。しかし「イギリス料理が不味い」というのは、本質的に異なるのである。イギリス料理が不味いのは、イギリス人自身が認める所である。他国の料理をけなすのは、その国の文化を差別するという考えがあるが、そもそもイギリスには美食文化が存在しなかったのであり、それを理解しない事は、ある意味、イギリス文化に対しての無理解であると言える

 ここまで書かれるとたまったものではありません。ただし、「これだけまずい料理に耐えられたからこそ、イギリス人は世界のどの地域でも生き延びることができ、それで世界を征服した」という小話もありますので、あまり馬鹿にもできません。

 現在NHKで放映中の『竜馬伝』にも出てくるかもしれない通訳官アーネスト・サトウのお友達、ミッドフォードの『英国外交官の見た幕末維新』には、「日本料理屋から取り寄せた米の飯と魚と豆腐の不思議な料理で、たいへん楽しい夕べを過ごした」「米の飯と魚でも十分だったが、時々、鶏肉や鴨の料理を追加させることもあった」「荒天が続いて漁師が海に出られなかった日には(中略)、竹の子と海草の夕食を運んできた。まさに徹底した精進日であった」とあります。

  ちなみに、サマセット・モームが「イギリスで美味しいものを食いたければ、三食とも朝食にすべき」と言った(Wikipedeiaより)というイングリッシュ・ブレックファーストの写真のURLはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:English_breakfast.jpgです。ちょっと圧倒されますね。007ことジェームズ・ボンドの好みはたしか、目玉焼き4つではなかったかな(うろ覚えですが)。これなら、世界征服も夢ではないかもしれません。 

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 このあたりで前半折り返しで、To be continued…..(後半へ)

 

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...