“市”をめぐる人類学Part2:アフリカ等で市場を見ながら、経済人類学から都市・国際政策まで考える

2010 12/19 総合政策学部の皆さんへ

 Part1に引き続いて、“市”の話です。今日、紹介するのは東アフリカはタンザニア、実質的な首都ダル・エス・サラームの港の出口あたり、砂浜に忽然として出現した“魚市場”の栄枯盛衰の話です。名前は“バンダ・ビーチ”、タンザニア関係のHPを閲覧していると、この名前がそこここに出現します(日本人は魚が好きですからね)。

 一番良さげなWeb情報は、協力隊の方の「Jambo!タンザニア実習録」(http://gogotanzania.blog100.fc2.com/blog-category-2.html)かもしれません。

 ちなみに、私がJICA(国際協力機構)の専門家をしていた1980年代も同じでしたが、協力隊員はタンザニアに赴任すると、まず現地に慣れるための実習があります。その最後はたしか、独りで旅行=例えば、タンザニア中央鉄道(「国際援助の現場からPart8」で既出)に乗って、内陸部のキゴマの街までたどりつき、そこの(ドイツ植民地時代に作られた)港からタンガニイカ湖を行き来する汽船リエンバ(同じくPart10で既出)の定期航路に乗船する等のメニューをこなします。その最初の一歩に関するブログです。青年海外協力隊や海外援助に興味のある方は是非ご覧下さい。

 さて、上記の方は2007年05月22日にダレス・サラームの市内をJICA職員に案内されています。ダレス・サラームには大使館とは別にJICA事務所があります。私も、当然、何度も出入りしていました、懐かしいですね。ちょととだけ、引用させていただくと

 ダルエスサラーム湾東端のバンダ・ビーチにある魚市場を案内していただきました。(中略)写真を撮る場合は正式な許可が必要なことがあり、勝手に現地人の写真を撮ってトラブルになったケースもあるそうで、人を撮影する場合最低許可を得てから撮る必要があるそうです。(中略)当魚市場は日本の援助で建設されたそうです。親日の人が多く、いかにも売り込み上手そうな現地人が”こんにちは”と話しかけてきます。

 なんと、あのバンダ・ビーチに日本の援助でできた“市場”がある! という驚きから、とりあえず、話を始めましょう。 

 それでは、現在のバンダ・ビーチが どうなっているのか、We bで探すと、2002年に日本の援助で建物が建っているのですね(写真が見つかったので、URLを貼りつけておきます;http://members.jcom.home.ne.jp/naito6231/sub2912b.html)。

 この記事の筆者はどうやら、私と同様かつてJICAの派遣専門家でタンザニアに滞在していらして、その再訪記事のようです。ただし、この写真をみると、ちょっと「もう、世界が変わってしまったのだ」という気がします。この写真だと立派なアゴラです(Part1参照)。

 ちなみにどんな援助だったのかをJICAのHP(http://www.jica.go.jp/)で調べてみても、タンザニアでの援助実績の表がありますが、どうも突きとめられませんでした。ご参考までにタンザニア関係の援助実績についてのHPのURLは以下の通りです:http://gwweb.jica.go.jp/km/ProjDoc548.nsf/VW02040102?OpenView&ExpandView&RestrictToCategory=%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%8B%E3%82%A2

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 さて、昔(1979-1984=私のタンザニア滞在)のバンダ・ビーチは、ただの砂浜でした。要するに手こぎ、あるいはダウ船的な三角帆で小舟を操り、漁業をたつきにしている人たちが魚を荷揚げする。それを浜で待ち構えている“棒手売(ぼてふり)”行商、“仲買”の商人が魚を買取、市内に売りに行く。もうお分かりですね、Part1に述べた異なる生業=この場合は漁業と商業の人たちが境目で出会う場所、それがバンダ・ビーチと呼ばれる砂浜だったわけです。ビジネスのチャンスです。

 私の大学院時代、原子(はらこ)さんという東大人類学教室出身の方が助手で(その後、明治大学に移たのですが、60歳でお亡くなりになってしまいました)、70年代初頭にタンザニアを訪れた時のことを聞いてみると、「僕が最初に来たときは、本当に砂浜しかなくて、漁民と買い取る商人ぐらいしかいなかった」と証言いただきました。

 その7~8年後、私がタンザニアに着いた時に見かけた光景は、自力でひたすら“市場(いちば)”化への道を走る姿です=まさに、内発的発展論ですね!(内発的発展論の定義は右のURLの『マネー辞典m-Word』の記述を参照;http://m-words.jp/w/E58685E799BAE79A84E799BAE5B195E8AB96.html)。

 まず目につくのは、砂浜に並んで立っている粗末な木製の売り場です(アフリカの田舎の市場でよく見かけるタイプ)。そこで、浜からあがったばかりの魚介類を売っている(ぼてふりから常店への出世と言えましょう)。日本人とみれば「イカ、イカ・・・サヨリ、サヨリ・・・エビ、エビ、ヤスイヨ!」等と、ダレス在住の日本人から覚えたと思しき魚名を連呼、当時のさびれきったタンザニア社会主義政権下のマーケットで、随一活気のある場所だったといっても、過言ではないでしょう!

 そして、最初に訪れた1979年から1982年までの変化も顕著です。この魚市場にどんなものがつけ加わっていったと思いますか? それはまず、土産物、例えば木彫=マコンデの実演・販売所です。あきらかに、このバンダ・ビーチに魚をもとめてやってくる金持ち=外国人の旅行者や援助関係者等をめあてに、いかにも安げに(実際には、店によったら、市内の土産物店の方が安かったりするのでしたが)売りさばく、そんなビジネスです。なお、上記の協力隊の方のHPに写真で映っている貝殻も、当時からの有力土産物でした。

 マコンデとは、海岸地帯にすんでいる民族マコンデの人たちが作る木彫りの彫刻類のことをさします。材料はアフリカ黒檀(African black woods;http://www.fuchu.or.jp/~kagu/mokuzai/ab.htm)。なお、マコンデも含めてアフリカ彫刻のWikipediaのページは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E7%BE%8E%E8%A1%93です。また、三重県伊勢にマコンデ美術館があります(http://www2.ocn.ne.jp/~makonde/)。 

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 土産物屋とともに79~82年の間に広がったのが、“飯屋”です。ご飯(スワヒリ語ではWali)はジャーにいれて持参、魚市場で材料を仕入れて、エビを油であげたり、魚を焼いたりして、小屋掛けの食堂が立ち並びます。人があつまり、そこで仕事をするようになれば、当然、腹も減り、飯屋も生まれる。よくできています(日本の魚市場等も、あたりを見まわすと、結構飯屋があります。しかも朝からやってたりする-魚河岸の朝は早いので)。

 ただし、バンダ・ビーチの飯屋の油は何時換えるともしれぬ茶色の液体、フツーの人は手を出さない方がよいかと思います。私は大丈夫でしたが、一匹だけエビを口にしたパートナーはあっというまに下痢をする羽目になりました。

 売っている魚介も何時採れたものかわからぬものばかり(刺し網の場合は、夜仕掛けて、朝引き上げるので、早朝に買いに行けば、まず大丈夫ですが)、一番安全なのはカニのノコギリガザミで、こいつばかりは店頭の籠の中で生きていますから、それを79年ころは10タンザニアシリング、当時の金で300円ぐらいで買って、ホテルにもどり、ガソリンストーブとコッヘルで茹でて食べるのが、一番安全で安くて、美味しいものでした。

 ただし、そのカニにハサミはありません。ハサミは高級レストランでクラブ・カクテル(高いけれども、絶品でした)になるので、ハサミは別売りでそれが10シリング、ハサミ抜きの本体が同じ10シリング。とは言え、殻には蟹ミソがびっしりと詰まっていて、結構なものでした。

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 その誰もが幸福なバンダ・ビーチが、突然官憲の手入れを受けたのが1983年、私が一時帰国した際のことで、タンザニアに帰ってみると、浜はほとんど人気もひいて、ダレスの魅力が一気に半減というより、ほとんど亡くなった風情です。聞いていみると、やはり税金が問題。もちろん、貧しい庶民はだれも税金等はらわないので、社会主義政権としてせっかくの内発的発展の芽をつぶす=正規の商取引は(税金が課せられた)正規の市場でやれ、ということです。

 おかげで、漁師も、商人も、魚を買っていた人たちもみんな困ってしまって、もちろん、それでも税金を払う者等いない。つまり、誰も得をするものもいない。得意然としているのは、役人しかいない。それが社会主義の断面というわけです。

 その市場が、いつの間にか、立派になっている。とは言え、これですべてうまくいくとは、私にはちょっと思えません。というあたりで、to be continued・・・・・としましょう。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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