総政100本の映画Part13振り返り編:『ゴッドファーザー』そして『ワイルド・バンチ』:暴力装置を通して見るアメリカ合衆国のなりたちについて#2

2011 1/5 総合政策学部の皆さんへ

  総政100本の映画Part13振り返り編:『ゴッドファーザー』そして『ワイルド・バンチ』:暴力装置を通して見るアメリカ合衆国のなりたちについて#1」につづいての#2ですが、今回もはたして『ゴッドファーザー』まで行きつけるかどうか? 次にご紹介するのは、シカゴで展開するニュービジネス=ギャング商売についてのケース・スタディです(それは基本的に政治と暴力との結びつきの一言につきるのですが)。

 具体的には、#1で紹介したようにアイルランド系が地歩を占めていたギャングの世界に、1880年代以降に急増(ピークは1900~14年頃)したイタリア系はどのように進出したのか? そこにこそアメリカ社会の本質がでているかもしれない、これが今回のテーマです(どんなビジネススクールでも、こんなケース・スタディはないでしょうね?)。

 なお、私の種本はアル・カポネ逮捕前に出版された唯一の伝記『夜の大統領カポネ』(F・パズレー[中野五郎訳]筑摩世界ノンフィクション全集版)です。

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 さて、後世、自称「家具販売業者」こと犯罪王アル・カポネAlphonse Gabriel Capone)が継承することになるシカゴ・ギャングというビジネスは、イタリアカラブリア州生まれで1895年アメリカに渡航、シカゴに流れ着いたジェームズ・”ビッグ・ジム”・コロシモ(James “Big Jim” Colosimo、1878~1920年)に遡ります。例によって社会の最下層として、“道路清掃人”の職を得たコロシモは生来世話好きで、仲間の人気者となり、清掃人の組合を結成します(皆さんは#3で、その面影を『ゴッドファーザーPart2』の若き日のビトーに見るでしょう)。それが彼の快進撃の始まりです。

 組合とギャング、皆さん、こうした組合せに驚かないでくださいね。“遅れてきた移民”として、権利の行使も満足にできない者たちを組織して、自衛していく。それがやがて、みかじめ料等をいただくことで職業的な自衛団体に発展し、やがて自立的な組織になっていく。政府のいわゆる“暴力の独占”による暴力装置(=軍隊+警察; organization of violence?;http://d.hatena.ne.jp/skullsberry/20101123/1290508139からの引用)に対する民間暴力装置“Private organization of violence (略してPOVとでもしましょうか)”の誕生です。このあたりも、洋の東西を問いません。

 それでは、清掃人組合の元締めとしてそれなりの権力の一端をつかまえたコロシモに接近したのは誰か? それは政治家です。たとえ英語がうまく話せなくても、いったんアメリカ人になってしまえば、一票は一票。パズレーは「(コロシモは)絵に出てくるような市会議員マイケル・ヒンキー・ディンク・ケンナと、通称「湯屋」のジョン・コフリンに出会った。ヒンキー・ディンクは「労働者の両替屋」という店を経営していた。そこではわずか5セントで、まるで金魚鉢のような大きさと形の大コップでビールを飲む事ができた(略)。

 この両人はコロシーモを大いに買っていたが、それは彼が選挙の投票を集める能力を持っていたからである。彼は最初から仲間の道路清掃夫たちに人気があり、ただちにこの連中を集めて社交的な体育クラブを結成した。それは選挙のときに、まとまった票の一つとして集まられた」と説明していきます。政治と暴力の結びつきです。

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 こうしてケンナたちは組合の票を頼ってコロシモと交渉、その見返りを提供します。それが、例えば“区長”という社会的ステータスだったり、そしてシカゴの売春街での利権です。こうして、同じ移民上がりでも、(バーの持ち主から自ら政治家になり、息子を実業家にして、そして孫をアメリカ大統領にまでおしあげる)パトリック・ケネディとあまりに対照的に、コロシモはシカゴの売春王へと成長していきます。これも競争社会で必然的に生まれる、移民にとっての生き残り策の一つでしょう。

 才能がある者たちが、ある者は政治家(公的暴力装置の支配者)に、ある者はギャングになって私的暴力装置の持ち主になる(史村翔原作・池上遼一画の劇画『サンクチュアリ』を想起する方もいらっしゃるかもしれません)。

 Wikipediaによれば「新聞の推定では毎月5万ドル以上は儲けていた。この収入から自分と父親に召使を置く豪邸を建てた」というコロシモは、成功したイタリア系移民の常として、犯罪組織ブラック・ハンド(黒手組)の脅迫を受けます。しかし、コロシモはニューヨークの暗黒街ファイブ・ポインツでならしていたジョニー・トーリオを呼びよせ、トーリオはブラック・ハンドを一掃します。ついに犯罪組織=近代的犯罪ビジネスが誕生です。

 ビジネスにも有能なトーリオは「売春宿の管理を徹底し、中には8時間の3交代制で60名の娼婦が交代勤務で対応し、店を回していた所もあったという(Wikipediaより)」。時はローリング・トゥエンティーズ突入直前、ギャングたちを大金持ちにした禁酒法制定も間近です。

  禁酒法ボルステッド法)とは、1919~1933年にかけてアメリカ合衆国において施行された法律で、合衆国内での消費のためのアルコールの製造、販売、輸送を禁止した。第一次大戦後の一種の社会的熱狂状態の中で、長年にわたる禁酒運動の影響下で成立したが、その結果は期待をまったく裏切るものでした。崇高な目的で発足したはずのこの法律で生まれたのが、言うまでもなくギャングによる密造・密売組織であり、違法な酒類の製造、流通、販売は激烈をきわめます。

 当時、ニューヨークだけで数万件の違法酒場(Speakeasy)があったといわれています。コロシモ亡き後、トーリオとその組織は「彼の組織は、酒の密売から年間400万ドル、賭博からもほぼ同額、売春から200万ドルの利益を上げ、シカゴ郊外でも400万ドルの不当利益を得ていた」(Wikipediaによる)。

 こうして、禁酒法は1933年12月5日にフランクリン・ルーズベルト大統領の手で廃止されますが、その際、インサイダー情報によってケネディ大統領の父であるジョセフ・ケネディが酒類の輸入利権をおさえ、大もうけしたこともまた有名です。

  デトロイトの密造所摘発の写真のURLはhttp://en.wikipedia.org/wiki/File:Detroit_police_prohibition.jpg  

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 さて、当時40代を迎えて事業(売春業)の拡大に成功したコロシーモは、しかし、さらに新しいビジネスの開拓(禁酒法制定にともなう密造酒ビジネス)に躊躇し、29歳で野心満々だったトーリオと対立します。そして、トーリオはニューヨークのギャングフランキー・イエールの手を借りて、恩人のコロシモを暗殺します。ビジネスの開拓における世代間の対立ですね。その解決に役員会を使うのではなく、ピストルで方を付けることが違うだけです。

 このトーリオがやはりファイブ・ポインツから呼び寄せた若造こそアル・カポネです。トーリオとカポネは師弟というか、互いに良きパートナーですが、この二人のイタリア人の前に立ちはだかったのが、もう一つの移民、アイルランド系ギャングの代表ダイオン・オバニオンです。シカゴを舞台に、民族対立ともいえるギャング同士の激突が勃発、このために一般市民の眼にもブラックな社会が映ることになってしまいます。

 普段は礼儀ただしく、自らは酒も飲まず(トーリオもほとんど酒を飲まなかったと言われています)、煙草もやらず、イタリア系の売春業を軽蔑して手を出さず、花屋を隠れ蓑に(自分が殺した相手の葬式にも花を届ける)、花屋の上っ張りのなかに少なくとも3丁のピストルを隠し、両手利きでピストルを操り、少なくとも25人の殺しに責任があったというオバニオン。

 最初は、オバニオンもトーリオ=カポネ連合と密造酒ビジネスで提携しますが、やがて巧妙に裏切り始めます(例えば、手入れがあると予想される密造所を、黙って売りつける)。こうして堪忍袋の緒が切れたトーリオ=カポネは、1924年11月10日にイエールほか3名を花屋に送りつけます。店先で握手のためにさしだしたオバニオンの右手はそのまま握りしめられ、左手は右側の男に抑えられ、そして、左側の男が懐から出した6連発の拳銃から全弾たたき込む、この“握手殺人事件”でオバニオンは命を落とします。

 そして、この後、1929年2月14日に起きた“聖バレンタインデーの大虐殺”まで血で血を洗う抗争が展開します。

 ということで、やっと、イタリア系ギャングの成長ビジネスプランの説明まで終えたところで、次に進みましょう。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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