2011年5月

芸術家たちPart3:芸を工夫するには? 仲蔵出世譚

2011 5/28 総合政策学部の皆さんへ

 Part1Part2に引き続き、今回は初代中村仲蔵をとりあげたいと思います。基本テーマは、“芸”の工夫。もちろん、これは役者だったら誰でも要求されるべきことですが、歌舞伎の世界(=“梨園”)の場合は、それぞれの“家(権門)”という家系が支配する世界でもあります。そうした“家”出身ではない場合、“芸”だけで出身するのは難しい。これが、宮司請負制(かんしうけおいせい)以来連綿と続く“家業”=特定の“家”と“職業”がむすびつく制度の現実です。

 事実、多くの役者が、青雲の志も虚しく、その“出身”ゆえに、歌舞伎の世界を去ります。

 例えば、戦後、大映で映画スターとなる八代目市川雷蔵京都の商家の生まれで、三代目市川九團次の養子として歌舞伎界に入り、市川壽海の御曹司となりますが、市川九團次も市川壽海も市井の出身で、結局、歌舞伎界では主役になれず、映画界に転身して大スターになります。しかし、ガンのため37歳で死亡)、あるいは四代目沢村國太郎(歌舞伎作者の息子で、映画に転身、息子が長門裕之津川雅彦、妹が沢村貞子、弟に加東大介)が挙げられます。

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 これが明治の頃には、市井出身者が出世した例もありますが、その多くは上記のような“養子”の形をとってのデビューです。日本文化の一つのパターン、養子縁組制度がうまく機能した例と言えるかもしれません。

 こちらも例をあげれば、明治から昭和にかけて一世を風靡した美男歌舞伎役者15代市村羽左衛門がいます。

 長らく謎とされたその出生は明治政府の外交顧問チャールズ・ルジャンドルと、福井藩主松平春嶽公の庶子池田絲(いけだいと)との間の私生児とされています。日米の血をひいた子供がまだ物ごころもつかぬうちに14代市村羽左衛門の養子に迎えられ、やがて数奇な運命をたどりながら『与話情浮名横櫛(よはなさけ うきなのよこぐし三代目瀬川如皐』の切られ与三、『雪暮夜入谷畔道』の直次郎等のように、二枚目と色悪の狭間のような役を得意とするまでに出世します。

 Wikipediaによれば、競演が決まった三代目尾上多賀之丞が緊張して「あのう、わたしは舞台でどうしたらいいのでしょうか」と尋ねると、微笑って「何にもしなくていいんだよ、どうせお客は俺しか見ないんだから」と答えたそうです。これぞ文字通りの“立役者”なのです。

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 それでは、羽左衛門を偲んで、世話物の傑作『切られ与三』源氏店の一節を御紹介しましょう。身を持ち崩した大店の養子与三郎が、地元の顔役の愛人のお富と一目ぼれ、しかし、それが発覚して、イケメンの顔もめった切りにされ、海に投げ捨てられるも、かろうじて生き残る。一方、お富も投身自殺をはかるが、こちらも助けられる。しかし、二人は互いの身の上を知らず、相手は死んだと思いこんでいて・・・・

 3年後、与三郎こと「向疵の与三」は勘当の上は、強請り・たかりを生業にする小悪党まで身を落とし、ごろつき蝙蝠安とともに、とある屋敷を強請りに訪れるが、なんと相手は亡くなったはずのお富、思いの残る相手との突然の再開に、「恨みと恋路を並べ立てる名科白」が展開します(Wikipediaより)。

  • 与三郎:え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、
  •      いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。
  • お富:そういうお前は。
  • 与三郎:与三郎だ。
  • お 富:えぇっ。
  • 与三郎:おぬしぁ、おれを見忘れたか。
  • お 富:えええ。
  • 与三郎:しがねぇ恋の情けが仇(あだ)
  •     命の綱の切れたのを
  •     どう取り留めてか 木更津から
  •     めぐる月日も三年(みとせ)越し
  •     江戸の親にやぁ勘当うけ
  •     拠所(よんどころ)なく鎌倉の
  •     谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても
  •     面(つら)に受けたる看板の
  •     疵(きず)が勿怪(もっけ)の幸いに
  •     切られ与三と異名を取り
  •     押借(おしが)り強請(ゆす)りも習おうより
  •     慣れた時代(じでえ)の源氏店(げんじだな)
  •     その白化(しらば)けか黒塀(くろべえ)に
  •     格子造りの囲いもの
  •     死んだと思ったお富たぁ
  •     お釈迦さまでも気がつくめぇ
  •     よくまぁおぬしぁ 達者でいたなぁ
  •     安やいこれじゃぁ一分(いちぶ)じゃぁ
  •     帰(けぇ)られめぇじゃねぇか。(Wikipediaより)
  •  

  思わぬ話の展開に、かつての女に怨みを述べつつ、わが身の不幸をひたすらくどく名調子、後世、歌謡歌手春日八郎の一代のヒット作『お富さん』の原型です。

 このほかにも、女形(女性を演じる役)に市井出身者が出世した例があります。例えば、明治初期の名優五代目中村歌右衛門の実父は金座役人、幕末期の社会の崩壊・変転のなか、四代目中村芝翫の養子として初舞台を踏みます(錦絵)。 そして、当代の女形5代目坂東玉三郎こそ、市井の人から見事に主役に躍り出た名優です(14代守田堪彌の部屋子から養子を経て、玉三郎を襲名)。

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 さて、江戸の商家はもとより、公家社会でも、武家社会でもよく見られた養子の典型例では、大店の主人が娘に優秀な番頭手代等を婿にとったり、あるいは子供がまったくいないために、養子として家(家業)を継がせるというパターンです。

  もっとも、かえって貴種を養子に迎えることもあります。例えば、住友家は明治23年、第12代吉左衛門友親(48歳)、ついで第13代吉左衛門友忠(19歳)が死亡、12代の母登久が14代を継ぎますが、この事態に総理事広瀬宰平東山天皇の5世孫の従一位右大臣徳大寺公純の第6子隆麿、つまりお公家さんを第15代住友吉左衛門友純として迎えます(その後、12代の長女と結婚)。

 これをきっかけに、住友本家は家業にたいして君臨すれども統治せず」の立場をとる姿勢をとり、個々の事業に口を差し挟む事はなかったといわれています(Wikipedia)。これは、ブルジョアジー社会の一種の貴族化であり、かつ、江戸から明治期に代わる時の企業統治の在り方の一つかもしれません。なお、住友友純は、徳大寺家から西園寺家にこれも養子に行った(のちの総理大臣)西園寺公望の実弟でもあります。つまり、貴族の血を介しての、企業と政治のかかわりの一例とも言えそうです。

 さて、それでは万事うまく行くかと言えば、こうした養子制度が人々の心を惑わすこともこれまたよくある話です。Part1で紹介した『女殺油地獄』では、天満の油屋主人河内屋徳兵衛は番頭上がり。先代の主人徳兵衛の内儀が夫の死後、子供の与兵衛のためにも家業を守るべく、現徳兵衛と祝儀をあげた、という設定です。そのため、徳兵衛は義父として、先代の息子与兵衛をつい甘やかし、それが悲劇につながっていくという設定です。

 また、近松の名作『冥途の飛脚(通称「梅川中兵衛」)』では、大阪の飛脚宿亀屋の跡継ぎ養子である忠兵衛が、女郎の梅川との恋と男の意地、店と養母との葛藤、そして新口村に住む実父とのからみで、破滅への道をひた走る様が展開します。 

 なお、ヨーロッパでは、たたき上げの使用人が店の主人に出世する一つの道が、夫の死後、店を守る未亡人等と結婚するというパターンだ、という記述を社会史の本で目にしたことがあります。

 その後、フランス映画界1940~50年代の二枚目俳優ジェラール・フィリップ(野心家で、かつ女たらしの美青年)とこれまた当代一の古典的美人女優ダニエル・ダリュー(女主人)競演の映画『奥様ご用心』を観た時、これがあの研究書の実例か! と感激した覚えがあります(原作はなんとエミール・ゾラの『ごった煮』なのだそうです。

 男性主人公のモデルの一人は、19世紀、パリで近代的デパートメントボン・マルシェを開業するアリスティッド・ブシコー。なお、ブシコーはゾラの原作や映画と違って、愛妻マルグリットとともに、二人三脚で一大デパートに作り上げます(ボン・マルシェの公式サイトはhttp://www.lebonmarche.com/#home,a-la-une)。

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 こんな調子で行けば、いつまでたっても幕引きになりそうもありません。そうした中で、芸の力だけでなり上がっていくのは容易なことでないことだけはお分かりになるはず。それで、初代中村仲蔵(1736~1790年)です。

 御多分にもれず、仲蔵は浪人あるいは渡し守の子とされますが(要するに、出身などわからない)、4歳の時に舞踊の師匠の養子となり、さらに役者に転向します。いわゆる大部屋俳優です。かつ、それでもなかなか芽が出ない。Wikipediaでは「4年のブランクに不振を極め、先輩同輩から「楽屋なぶりもの」にされるなどして、自殺未遂に至るほど苦しむが、奮起して一心不乱に芸を磨く。その有様を見て人々は中蔵を「芸きちがい」と呼んだ」とされます。

 明和3年、仲蔵は仮名手本忠臣蔵の五段目の斧定九郎役にあてられるも、当時の斧定九郎の格好は山賊そのもののぼろの衣装で、端役として大部屋役者に割り当てられるという始末。なにより、この場面はおもしろくもないので、枡席の観客は舞台に背を向けて弁当を食べる、という場面でした。仲蔵もがっくりです。

 ところで、築コースの人等には是非興味をもってもらいたいところですが、劇場の構造は時代によって著しく変わります。江戸時代の芝居小屋は木組みによって数人が座れるほどの四角形に仕切って、これを「一枡」=桝席とします。観客はここで、弁当や酒をつかいながら、のんびりと劇を眺める。したがって、おもしろくなさそうな場面は、みんな背を向けて弁当を平らげることになります。1760年当時は、一枡7人詰め、料金は一枡あたり25(現代では45000円ほどだそうです;Wikipedia) 

 現代の舞台は、いわば近代化された額縁舞台と呼ばれる構造に変わり、客は一方向を見るように椅子で固定されています。つまり、昔の客は、おもしろくなければ、そっぽを向く権利ももっていたのですが、現代劇では退場するしかありません (三代目歌川豊国江戸市村座の様子;上演中の舞台は、Part1でご紹介の歌舞伎十八番『暫』ではないかと思います)。なお、現代の枡席は、今や八百長の大問題にゆれる大相撲に残っています。 

 悩みに悩んだ初代中村仲蔵は、ここで発想を転換、演出をまったく変えてしまいます。娘おかるを身売りした前金50両を、おかると契った早野勘平(=典型的和事=イケメン)に届けるべく、家路をいそぐおかるの父親市兵衛を無残に殺し、金を奪う斧定九郎を、山賊のような姿から一転、一部の隙もなき黒羽二重姿の色悪の権化に変身させます。

 この意表をついた演出に、弁当を食べつつあった客たちは仰天、食べ続けることも忘れて舞台に引き寄せられ、それ以降五段目はむしろ注目すべき名場面へと変貌します。その市兵衛殺しの際の定九郎の口上は、

  • エヽ聞分けのない
  •  むごい料理をするがいやさに、
  •  手ぬるう言えば 付上る。
  •  サァ 其金ここへ蒔出せ。
  •  遅いと たつた一討ちと、
  •  二尺八寸拝み打ち
  •  なふ悲しや といふ間もなく
  •  から竹割りと切付る・・・
  •  
  •  「したりすましたりと件(くだん)の財布。
  •   くらがり耳の摑讀(つかみよみ)。
  •   ヒヤ五十両。ェヽ久しぶりのご対面。忝しと・・・
  • と続きます(『仮名手本忠臣蔵』岩波文庫版)。
  •  

 このあとの展開は、それこそネタバレになってしまいます。皆さんは是非、舞台を見るか、脚本をお読み下さい(なお、脚本は二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。1748年大阪竹本座で初演)。

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 こうして仲蔵は「門閥外から大看板となった立志伝中の人」として「立役・敵役・女形のほか舞踊を得意と」して、「名人仲蔵」と呼ばれるまでに出世していくのです。その中村仲蔵の名自体が、やがて名跡となり、5代まで続きますが、基本的には梨園外の出身の方々が継いでいるようです。

芸術家たちPart2:俳優の“我儘”と“憂鬱”後編:歌舞伎の和事、実事、荒事とは?

 2011 5/26 総合政策学部の学生の皆さんへ

 明日は上ケ原関学会館で開催されるリサーチ・コンソーシアムですが、このブログではPart1“俳優たちの我儘と憂鬱”の続編、まずは野郎歌舞伎勃興時の立役(たちやく)のことから話を始めましょう。

  「立役者」の語源ともいうべき立役は、Wikipediaによれば「歌舞伎における尋常な成年男子の役、またその役を演じる役者。ただし芯からの悪人(敵役)、滑稽を主とするもの(道化役)、老人(老役)は含まない」「多く劇中において善人方としてふるまい、白塗りのこしらえをもっぱらとする。立役役者は歌舞伎における中心的な存在であり、ほかの職掌にある役者よりも高い地位にあるものとされた。通常座頭は立役がつとめる」とあります。つまり、誰が何と言おうと、主役な人たちを指す言葉です。

 さて、歌舞伎初期、当時の文化はいまだ上方優勢でした。その上方歌舞伎では、いかにも上品な二枚目(=いわゆる和事[わごと])である坂田藤十郎と名手近松門左衛門に運命を託します。 では、和事=二枚目=イケメンとはどんなものか? 基本的には男女をめぐるストーリーで、いかにも優しげな色男、しかし、運命の歯車を逆転させる能力はなく、やがて悲劇に流されかねない。浄瑠璃で言う世話物の主人公ですね。

  美貌がゆえに(ほとんど、それしかとりえがない)悩むしかない。近松門左衛門の代表作『曽根崎心中』は、「元禄16年4月7日(1703年5月22日)早朝に大阪堂島新地天満屋の女郎・はつ(21歳)と内本町醤油商平野屋の手代である徳兵衛(25歳)が西成郡曾根崎村の露天神(つゆのてんじん)の森で情死した事件(Wikipedia)」がモデルですが、二人が心中へと向かう道行きの切々とした語りが有名です。

  •  この世の名残、夜も名残
  •  死にに行く身を譬(たと)うれば、あだしが原の道の霜、
  •   一足ずつに消えていく、夢の夢こそ哀れなれ
  •   あれ、数うれば暁(あかつき)の、七つの時が六つ鳴りて、
  •   残る一つが今生(こんじょう)の、鐘の響きの聞き納め、
  •   寂滅為楽(じゃくめついらく)と響くなり
  •   鐘ばかりかは草も木も、空も名残と見上ぐれば、
  •   雲心(くもごころ)なき水の音、北斗は冴えて影映る、星の妹背(いもせ)の天の川・・・
  •   

 いかにも名調子の道行きの果て、徳兵衛とお初が心中したという露天神社(つゆのてんじんじゃ;通称、お初天神)は、梅田の駅から曽根崎署の脇を通って数百mです。皆さんもお暇な時に参拝されてみては。こうした和事は、ギリシア悲劇ならびにそれにインスパイアされたヨーロッパ演劇では、オルペウスオレステス等があげられるかもしれません。

 なお、『曽根崎心中』は本来は人形浄瑠璃の台本で、歌舞伎用に書かれたものではありません。このように浄瑠璃本の原稿をもとに歌舞伎を演じるのを、丸本歌舞伎と呼びます。

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 もっとも、このイケメンをめぐる物語がさらに先鋭化すれば、不条理劇にもなりかねません。近松の諸作品の中でも江戸時代の観客には理解されず、1721年に書かれながら、不評にそれこそ“お蔵入り”してしまい、再演は実に20世紀に入ってからの1909年、それ以後は大絶賛をあび、繰り返し上演される“女殺油地獄(おんなころし あぶらのじごく)”が筆頭です。

 恋のもつれも、情もなく、ましてや理もない殺人劇。それゆえにこそ、当時の江戸町民には理解されなかったのかもしれません。初演時、近松、実に68歳、死まであと4年弱、老いても衰えぬ筆力だ、と現代(いま)となっては感心するほかありません。

 現代の歌舞伎界では片岡孝夫、現15代片岡仁左衛門演じる河内屋与兵衛(油屋「河内屋」の次男。放蕩の限りをつくし、遊郭に義父・徳兵衛の名前でつけを抱えている問題児。女郎を巡って喧嘩をしたはずみで通りがかりの侍に泥を浴びせ、彼に仕える伯父を浪人させ、心を砕く義父や母、更には病身の義妹にまで暴力を振るった挙句に勘当される・・・(Wikipedia)。

 その彼が金にこまって眼をつけるのが、5代坂東玉三郎演じる豊島屋お吉です(河内屋の向かいにある同業者「豊島屋」の内儀。人格者で容姿も美しい出来た妻だが、その隙を与兵衛に襲われ殺されてしまう。27歳;Wikipedia)。

 「不義になって貸してくだされ」と迫る与兵衛に、あまりのこととて言葉を失い、「ならぬと言うに、くどいくどい」と拒むお吉、しかし、その先は油まみれの大立ち回りと、観客すべてをやりきれなさに引きずり込む女(おんな)殺し。

 与兵衛とお吉のからみで知られているこの演目、孝夫と玉三郎以外の組合せはちょっと考えつきません。色男にして殺人者、しかも、どんな論理をもってしようと共感するにはほど遠く、とは言え、どんな者でも犯しかねないあまりに惨めな小悪党劇、やはり20世紀にならないと理解できなかった不条理劇の先駆です。ここまでくれば、フツーの二枚目をはみ出して“色悪”というキャラになってしまいます。

  そして、歌舞伎史上もっともクールな色悪と言えば、初世中村仲蔵演じる仮名手本忠臣蔵五段目の斧定九郎にとどめをさすでしょうが、こちらはPart3にまわしましょう。

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 では、“実事(じつごと)”とは? ギリシア悲劇にあるように、あらがいがたい運命に対して、忍び難きを忍び、たとえ他者に理解されることが難しくとも、天に命じられた己のミッションのために全力をつくす。「円満な常識をそなえ、理非分別のあるすぐれた人物。劇中の問題を解決し、ドラマのしめくくりをつける役であることが多いために「さばき役」とも呼ばれる」(Wikipedia)。仮名手本忠臣蔵の大星由良助に代表される実直な男こそが、実事のシンボルです。 

 主君塩冶判官高貞(史実では赤穂藩主浅野長矩)の恨みをはらすべく、艱難を忍び、敵方を欺き、敵役高師直(同じく吉良義央)の屋敷に打ち入るこの立て役は、どんな際にも冷静沈着にふるまいます。敵(かたき)を欺くため、京の島原で遊興のかぎりをつくすとも、基本的に彼はすべてに真面目です。そして、仮名手本忠臣蔵のクライマックス、第11段、吉良邸討ち入りにおいては、主君の敵(かたき)を討つ際もそれなりの口上を述べねばなりません。

  •  「(師直を)柴部屋に隠れしを 見付だして 生捕りしと
  •   聞より大勢 花に露 いきいき勇んで由良助
  •   ヤレでかされた 手柄々々
  •   去(さり)ながら うかつに殺すな
  •   假(かり)にも天下の執事職
  •   殺すにも禮儀(れいぎ)ありと
  •   請取って 上座にすへ
  •   われわれ倍臣(ばいしん)の身として
  •   御館へふん込 狼藉仕るも主君の怨を報じたさ
  •   慮外の程 御許し下され
  •   御尋常に 御首を給わるべしと 相述れば
  •   師直も遉のゑせ者 わろびれもせず
  •   ヲヽ尤々。覚悟は兼ねて サァ首取れと
  •   油断さして 抜き打ちにはっしと切る
  •   引はづして 腕捻上げ
  •   ハァ、 しほらしき御手向かひ
  •   サァ いづれも 日々の鬱憤 此の時と
  •   由良助の初太刀にて 四十餘人が聲々に
  •   浮木にあへる盲亀は是
  •   三千年の優曇華の花を見たりや
  •   嬉しやと 踊上がり 飛び上がり 
  •   筺の刀で首かき落とし
  •   悦びいさんで 舞も有・・・・
  •      (『仮名手本忠臣蔵』岩波文庫版)
  •  

 ◆13代守田勘弥の大星由良助の画像がこちら初代尾上菊五郎の大星由良助はこちらです。ギリシア悲劇で言えば、オィディプス王等が該当するかもしれませんね。

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 そして江戸では、和事とはあまりに対照的に隈どりもいさましく、坂田金平=金太郎こと坂田金時の息子であり、その強力ゆえに「金平牛蒡」の語源ともなったという金平というキャラで、江戸歌舞伎のスーパースター初代市川團十郎が誕生します。

 ともすれば運命に流されかねない和事、運命にあらがって悲運をものともしない実事、それに対して、怪力乱心によって運命=筋書き自体を一変させてしまう“荒事”の登場です。

 その典型は、いかにも憎々しげな悪役(清原武衡=こうしたキャラを公家悪と呼びます)が善男善女が苦しめようとするさなか、「しばらく、しばらく・・・・」と大音声で見得を切り、六方を踏みながら花道に登場する鎌倉源五郎です。舞台狭しと荒れ狂い、観客をカタルシスの極地に導く=荒事の本質です。

 ◆暫の画像:九代目団十郎(下記の七代目の二男):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Danjuro_Ichikawa_IX_as_Kamakura_Gongoro_Kagemasa_in_Shibaraku.jpg

 そして、この荒事こそ、初代団十郎が江戸歌舞伎隆盛に乗じて、家の芸としてゲットする一大キャラなのです(戸板康二『歌舞伎十八番』中公文庫版)。

 とくに 七代目団十郎が定めた“歌舞伎十八番”では、『助六』(すけろく)、『矢の根』(やのね)、『関羽』(かんう)、『不動』(ふどう)、『象引』(ぞうひき)、『毛抜』(けぬき)、『外郎売』(ういろううり)、『暫』(しばらく)、『七つ面』(ななつめん)、『解脱』(げだつ)、『嫐』(うわなり)、『蛇柳』(じゃやなぎ)、『鳴神』(なるかみ)、『鎌髭』(かまひげ)、『景清』(かげきよ)、『不破』(ふわ)、『押戻』(おしもどし)、『勧進帳』(かんじんちょう)と荒事の芸が並びます。

 このうち現代も上演されるものでは『勧進帳』の弁慶、『』の鎌倉源五郎、『毛抜き』の粂寺弾正、『鳴神』の鳴神上人等、みな荒事ばかり。『外郎売』と『助六』も、主人公は一種の貴種流離、実は曽我物語曽我五郎という設定で、イケメンであると同時に喧嘩にも強い荒事である、という当時としては新しいキャラだったようです。

 ギリシア悲劇では、なんといってもヘラクレスあたりでしょう。

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 さて、一世を風靡した七代目団十郎については、奢侈を理由に江戸を追われ、大阪に滞在中、息子の八代目が呼びに来て、そのあげく、上品でかつ愛嬌のある二枚目(イケメン=切られ与三等が持ち味だったとか)の八代目が突如自殺してしまう事件が起きます(戸板『歌舞伎十八番』)。

 その七代目の最後について戸板は、病を患って「休演をすすめられたが、舞台で死んでもいいといって、病をおして出た。しかし、鎧をふりあげて見得をきるところで、口がきけなくなったので、幕をひいたのだった」としたうえで、「なんとなくすさまじい野分の通ったあとを思わせるような晩年である」と結んでいます。

 したがって、 “かぶき”者こそ市川宗家の荒事の伝統であり、当代の海老蔵もその伝統にのっとっているとも言えるでしょう。かつ、モームが指摘するように、俳優に対して、常の人の道までも要求してはいけないのかもしれません。俳優の我が儘に大衆がカタルシスを感じれば、それはそれできちんと社会的機能を果たしたことになるはず。

 とすれば、酒の上での狼藉=かぶき者的所業が何が問題かとすれば、やはり近松が言うところの、“虚”と“実”の皮膜を自ら踏み外したという点にあるといえましょう。

 リアリズムだけでは舞台にならず、かといって、虚がいきすぎれば、大衆は白ける。俳優の人生もまたそのもので、“虚実”のあやういバランスの上でつかの間踊ってみせてこそ、大衆を満足させる“かぶき者”になれる。その点、やはり大衆を興醒めさせたのは未熟のそしりを受けざるをえない、というところでしょう。

 やはりここは、七代目、八代目、そして九代目にならって修行を重ね、荒事に徹するほかはなかろうかと思ってしまいます。

 ということで、本当は初世中村仲蔵あたりまでご紹介したかったのですが、今回はこのあたりで、幕をひくことにいたしましょう。

マンガ(コミック)で世界を知ろうPart2:ヒストリエ

2011 5/22 総合政策学部の皆さんへ

 Part1に引き続いて、マンガ(コミック)を読んで世界を知るシリーズ、今回とりあげるのはアレクサンドロス大王時代の一大叙事詩『ヒストリエ』(まったくの話、この“掲載中の作品”がいつ頃終わるのか、見当もつかない状態ですが)。作者は『寄生獣』で広く知られる岩明均、一見平明でくっきりした筆致でさりげなく描写される人々の心の揺らぎ、あっけなく展開される残酷描写、歴史上の人物から連発される警句の数々、なかなかの傑作です。

 この『ヒストリエ』(#2;岩明均作、月刊アフタヌーンに連載中)、主人公は歴史上実在の人物であるカルディアのエウメネス、そして主たる登場人物は(今のところは)アレクサンドロス大王の父ピリッポス2世というあたりでしょうか。アレクサンドロス君は後世の大王の片りんを次第に見せながら、いまだ発展途上というあたりが、私が持っている6巻までの展開です。

 なお、エウメネスは『総合政策の100冊』に尾藤先生ご推奨の『プルタルコス英雄伝(対比列伝)』では15巻「エウメネス」でどうどうの主人公です(と言っても、私がもっている『英雄伝』は抄訳で、じかには読んでいません)。

 ところで、ピリッポス2世はたしか昔はフィリップス2世と習ったかと覚えています。これは要するにスペルを英語読みにするか、フランス語読みにするか、ラテン語読みにするか、ギリシャ語読みにするか・・・・・という問題ですね。最近は、原音主義が一般ですから、マケドニア王の名前はギリシア語で読む、となればピリッポス2世になるわけです。なお、この“ピリッポス”の原意は「馬の愛する男」で、イタリア語でフィリッポ(Filippo)、ドイツ語でフィーリプ(Philipp)、英語・フランス語でフィリップ(Philippe)、スペイン語でフェリペ(Felipe)、ロシア語でフィリップとなるそうです。

  原音主義の別の例を出すと、現在のイギリス皇太子Prince of Wales)のお名前はチャールズ(Charles)ですが、これはゲルマン語系の男性名に由来し、ドイツ語ではカール(Karl)、フランス語ではシャルル(Charles)、スペイン語ではカルロス(Carlos)、女性名になると英語でシャーロット(Charlotte)等に派生します。したがって、スペイン王としてはカルロス1世が、神聖ローマ皇帝としてはカール5世になるというわけです。まあ、原音主義も凝り過ぎると、なんだか嫌味になるかもしれません。

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  さて、『ヒストリエ』の第6巻の最後ではピリッポス2世は壮年期、息子アレクサンドロスの英才教育のために設けたミエザの学園に古代ギリシャの智恵の大成者アリストテレスを迎えて、開学するところですから紀元前342年、まだ40歳。かつて名将エパメイノンダス指揮下のテーバイに人質生活をすごすことで、この名将の薫陶を得てファランクス(古代ギリシアの密集重装歩兵)と斜線陣を体得した彼は、兄の死後にマケドニアに戻ります。

 王として即位するや、エパメイノンダスの教えにあわせて、さらに長槍サリッサを採用します。加えて重装歩兵と騎兵を組み合わせることで、無敵を誇るマケドニア式ファランクスを考案します(この戦闘教義はのちにローマ軍のレギオンによる散開白兵戦術に敗れるまで、東地中海世界を支配します)。そして、主人公エウメンスの故郷カルディア(もっとも、『ヒストリエ』では、エウメネスはさらに辺境、ギリシアの敵遊牧民族スキタイの生まれ、というさらに重複したマイノリティという設定ですが)を戦わずに降服させたところです。

 やがては全ギリシアを支配した上で、いずれ長年の敵アケメネス朝ペルシアに向かおうというピリッポスの野望! そのためにも、有為の人材とあれば、エウメネスのように、すばやくスカウトしてしまう。ちょうど織田信長、毛利攻め直前の状態にも比べられるかもしれません。

 さらには、文明の周辺地の者が中心地からの影響を受けて、革新的なイノベーションによって逆に中心を支配する(例えば、コルシカ生まれの半フランス人ナポレオン)典型的パターンとも言えるでしょう。

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 このピリッポス2世という強大な個性が展開するマケドニアの隆盛というタイムラインに、ギリシア・マケドニアと敵対する遊牧民スキタイの子という設定の主人公エウメネスの物語がからみます。エウメネスは、幼児期に数奇な経緯から、いったんはカルディアの有力者ヒュエロニモスの養子に迎えられながら、これまた予想のせぬ展開で奴隷民に落とされ、その後、黒海周辺を放浪、その間、やむを得ない事情から血と戦いに目覚めます。

  吹き出しには「エウメネス私書録 ・・・・振り返って考えてみれば、私は明らかに楽しんでいた。生まれて初めての戦(いくさ)、忘れえぬあの高揚感」「そこに多くの人命がかかわっているというのに・・」と自ら述懐しています。

 その彼がやがてカルディアに戻ろうとするところでアリストテレスに出会います。そしてさらに、カルディアの町を包囲するマケドニア軍の包囲を潜り抜けたところで、商人に身をやつして自らカルディアに潜入し、裏工作を敢行するピリッポス2世の知遇を得る。

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 しかし、エウメネスは久しぶりに訪れた故郷カルディアで、初めて我が手で殺人を犯します。そして、一緒にカルディアを出ようというかつての義理の兄に「いっしょに行けば、きっと戦に明け暮れるような血なまぐさい毎日が待っている。おれはもともとそんな世界が大嫌いだと自分では思ってたんだ・・・。でも実はそうでもないらしいって事に最近気付いた。あれはちょっとワクワクする

  「壁(カルディアの町を取り囲む城壁)の外の世界はさまざま変化に富んで面白いよ・・・でも 強い覚悟を決めなきゃならない事もある」と別れを告げます。

 それを聞いていたピリッポスは「あまり夢のないことばかり言うな」とたしなめますが、エウメネスに自らの地位を明かして、マケドニアに来ないかと誘いかけます。書記官として採用されたエウメネスは、その才能を認められ、次第に「国家の要職につきつつある」。つまり今で言うテクノクラートとしての採用です。

 その過程で、美形で才能にあふれた少年アレクサンドロス、その異母兄で知的障害のあるアリダイオス(のちのピリッポス3世)、そして彼らと同世代の学友たち(下記参照)等と知り合っていくが、・・・・という状況のが第6巻の現状です。

 なお、先走って言ってしまえば、ピリッポス2世は紀元前338年、スパルタ以外の全ギリシアを征服して、やがてペルシアを、というところで、娘の結婚式の席上、暗殺されます(一説によれば、その暗殺の黒幕としはアレクサンドロスの母である元妻オリュンピアスがもっとも疑われ(彼女は『ヒストリエ』でも活躍中です。映画『アレキサンダー』ではたしかアンジェリーナ・ジョリーが演じていたのでは)、そして、アレクサンドロスがそれに関与していたかどうか古来、歴史家の謎とされています。ということで、第6巻の終わりの段階で、ピリッポスの死まであと4年! 

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 愛と憎悪がうずまくピリッポスとオリュンピアス(彼女はピリッポスの第4妻なのですが)、この完全に崩壊している夫婦からともに(異なる形の)愛情をうけ、将来の天分を予想させながら、偉大な父へのコンプレックスに抗しきれず、愛馬ブーケパロスに頼る事でかろうじて精神的均衡を保っているアレクサンドロス。ピリッポス2世は彼のため、英才教育の場、ミエザの学園を用意します。

 校長は常に冷静、すべてに善悪はかりがたき古代最大の哲学者の一人アリストレス。彼は師プラトンが失敗した「支配者を哲学者にする」という命題(哲人政治)に挑み、アレクサンドロスたちに弁論術、文学、科学、医学、そして哲学を教えます。

 アリストテレスは『ヒストリエ』では、クジラを解剖し、溺れた若者を人工呼吸と心臓マッサージで蘇生させ、旅の途中でであったエウメネスが思いついた“地球”という言葉を世界に広める-なんでもできる人なのですね。私は、巨大なアリストテレス全集のうちの2巻、しかもその一部だけ読んだことがありますが、うんざりするぐらいなんでも書き記しています。

 ところで、このミエザの学園に集(つど)っているアレクサンドロスを取り巻く若きエリートたち、後に世界史に名をはせる将軍たちでもあり、例えばエジプトにプトレマイオス朝を開くプトレマイオス(有名なクレオパトラ7世の先祖です)、同じくマケドニアにカサンドロス朝を開くカサンドロス、そしてペルディッカスレオナントス、フィロータスネアルコスのようにきら星のようにならんでいます。

 彼らは、現在(=第6巻まで)は和気藹々としていますが、その多くはやがて約20年後、アレクサンドロスの弱冠32歳での死後、後継者について「王たるにもっともふさわしき者に・・」とだけ言い残して後継者を指名しなかった大王死後の覇権をめぐって繰り広げられるディアドコイ(後継者)戦争にエウメネスともども巻き込まれ、互いに殺し合うことになるのです(大王の母、妻たち、子供たち、係累もすべて殺され、死に絶えます)。

  •  まず、ペルシア遠征中、ピリッポスの股肱の将軍パルメニオンの息子フィロータスはペルシア遠征中に反逆を疑われて、アレクサンドロスに殺されます。その父パルメニオンもやがてアレクサンドロスの命で暗殺されます。 
  •   ペルディッカスは王の死後、遺児の後見人になりますが、他のディアドコイ(後継者)と対立、エウメネスと連合して、プトレマイオスと対抗しますが、自分の部下に殺される。
  •   レオナントスはその前に、カッサンドロスの父親アンティパトロスと連合して戦うが、戦死。エウメネスは(ネタばれになりますけれど)、マケドニア生まれではないことが災いして、ペルディッカスの死後、部下に裏切られて非業の死を遂げる。
  •  そして、(心中ひそかに深くアレクサンドロスを憎んでいた)カッサンドロスは、オリュンピアスをはじめとするアレクサンドロスの遺族を殺しつくす。
  •  

 こうした20年後の彼らの人生を知っている後世の者(=我々)はつい考えこんでしまいます。ミエザの学園でかわされる言葉の端々にも、(深読みすれば)戦慄も走らないわけではなく、その一方で、エウメネスの台詞ではありませんが、「ちょっとワクワク」しないでもありません。

 結局、大王の後継者をめぐるシャッフル(ディアドコイ戦争)はエジプトのプトレマイオス朝、シリアのセレウコス朝、マケドニアのカサンドロス朝等に集約されてしまいます。しかし、このディアドコイ戦争の最後の戦いコレペディオンの戦いが終了したのが紀元前281年、その時、西からまったく別の政治体制(共和制)によって急激に成長するローマの侵略まであとわずかな時間しか残されていません。

 事実、ディアドコイの一人アンティゴノス1世(紀元前317年、部下に裏切られたエウメネスを殺すのは、友人でもあったこのアンティゴノスです)が建てたアンティゴノス朝のフィリッポス5世がかのハンニバルと同盟してローマと戦う第一次マケドニア戦争の開始が紀元前214年、そして紆余曲折の末、ユリウス・カエサルがプトレマイオス朝エジプトを軍事的に支配したのが紀元前47年です。

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 ということで、プルタルコスたちが書き記した古代ギリシア世界、最強のキャラたちを是非、コミックで目の当たりにして下さい。とりあえず、政策的課題は満載です。例えば

  • ・ギリシア人と野蛮人(バルバロス(複数形がバルバロイ)=英語のbarbarianの語源)
  • ・ナショナリズムと文化:マケドニアの風習にとまどうエウメネスは「文化が違う!」と叫びます
  • ・市民と奴隷(アリストレスは奴隷の存在を肯定します)
  • ・戦いにおける個人の能力と集団の能力:もちろん、マケドニア式ファランクスの創設者ピリッポス2世にとっては独壇場です。閲兵を観ながら、息子に「個々ではなく、全体で一つの生き物となる。それが理想だ」と教えます。「さらに言えば、統率された集団同士の戦いで、個人の突出した技量がむしろ邪魔になることがある」とも言い添えます。
  • ・戦闘能力(=軍人の仕事)と、それを最高に発揮させるための兵站(=書記官のお仕事)
  • ・データの収集・整理のための王立図書館(エウメネスの当座のお仕事です)
  • ・学問とその応用(アリストテレスとミエザの学園)
  •    

そして一見ひょうきんそうで、かつ冷静ですずやかなエウメネスの眼に、時折宿る残酷な陰、コミックといえども皆さんの教養に役に立ってくれるでしょう。

コヘレトの言葉より:日は昇り、日は沈む

  • エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉
  •  
  • コヘレトは言う。
  • なんという空しさ
  • なんという空しさ、すべては空しい
  •  
  • 太陽の下、人は労苦するが
  • すべての労苦も何になろう。
  • 一代過ぎればまた一代が起こり
  • 永遠に耐えるのは大地。
  •  
  • 日は昇り、日は沈み、
  • あえぎ戻り、また昇る。
  •  
  • 風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き
  • 風はただ巡りつつ、吹き続ける。
  •  
  • 川はみな海に注ぐが海は満ちることなく
  • どの川も、繰り返しその道程を流れる。
  •               (『旧約聖書コヘレトの言葉』第1章1~8節より)
  •   

  日は沈み、また日は昇る。1995年、関西学院大学8番目の学部として生まれた総合政策学部は、5月13日、5887日目の朝を迎えました。去る3月18日に卒業生を送り出し、この4月1日にはあたらしい学生を迎え入れ、その歩みが止まることはありません。

  しかし、時の流れは我々の心を惑わします。今日は昨日と同じであり、明日も今日と同じであろうと、目の前の景色に目くらまされ、めぐるサイクルはとこしえに変わるまいと信じ込んでしまいます。

 そして、ある日、私たちはふと気付く、今日は昔と違うことを、そして周りの景色もいつの間にか変わっていったことを。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」と、いにしえの中国の詩人が詠ったように、時の流れは誰れもとどめようがない。

  こうして我々は自らの老いに気付きます。それならば、それもよし。もし都の賢人たちがいうように、古き家が絶えず変わり続けることで成り立ち続けるのならば、私たちもまた新しい道を探しつづけなければならないはずです。

  思えば、この16年間の歳月のなかで、様々な人たちが神戸三田の地に現れ、そして去っていきました。我々が彼らに何をあたえられたのか、あるいは何をあたえられなかったのか、あるいは逆に彼らから何をうけとったのか? 

  それが問われる今こそ、我々は去っていった人たちから受け取ったものを、次の世代に伝えるべく、今一度、考えなければいけません。

 日は昇り、また日は沈む。

 5888番目の朝、我々は何に気付くべきなのか? かつて、大学は新入生たちに圧倒的な衝撃を与えました。例えば、ハンス・カロッサの『美しき惑いの年』、あるいは夏目漱石の『三四郎』、上京した主人公たちは時代に翻弄され、目覚めない者を置き去りにする。 残念ながら、現在の大学にはこうした力が落ちています。それでは、何をもって、その力を回復できるのか?

  それはたぶん、ものの見方を身につけさせることでしょう。これこそが教養なのです。同じ“もの”を見たとしても、人によって解釈は異なり、真理に気付かぬ人間は永遠にめざめない。ニュートン以前、リンゴはむなしく地に落ちていましたし、アダム・スミスがあらわれるまで、商業という人の営みは宗教からも、世間から軽視されてきました。 

 それが、ある時、“啓示”を受けたように、人々の目から鱗のようなものが落ちる。世界は謎に満ちていますが、その謎が謎だと気付くこと自体にやはり“訓練”が必要であり、その謎を解くには“知識”が要るのです。 こうして、様々な人たちと出会い/交流しながら、意識せぬうちにその教養を積む場所、あるいは教養への手がかりをつかむ場所、それが大学の姿と言えそうです。

 最後に、明日の朝、日が昇る時、学生たちもまた自らの進むべき道を見つけることができますように。また、我々も新たな出会いによって、自らの蒙が開かれることを期待しながら、新しい朝を迎えたいと思います。

(以上は、5月13日のランバス早天祈祷会での内容です)

翻訳についてPart1:To be, or not to be・・・・・・・;楽しい英語をめざして

2011 5/9 総合政策学部の皆さんへ 

  もう一つ新カテゴリー、“言語・コミュニケーションについて”をつくりました。そこで、まずとりあげたいのは“翻訳”です。とくに、英文和訳の世界から始めましょう。何に付けても、まずおもしろいことを見つけることが上達のコツ、ということで、近代日本文学史上、様々な訳が展開してきた“To be, or not to be, that is the question” から開幕です。

 ところで、皆さん、この言葉はご存知ですよね? かの劇聖ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)の4大悲劇の一つ、1600~1602年頃に執筆、上演されたという『ハムレット』第3幕1場56行で主人公が語る有名な台詞です。そして、この“be動詞(存在動詞)”をどう解釈するか? 難しいですね。

  この悲劇の筋書きを粗っぽしく紹介すると、デンマーク王子のハムレットは、父王の急逝後、そして愛する母ガートルードの叔父クローディアスとの早々の再婚、そして叔父の即位に心が乱れます。そして、突然あらわれた父王の亡霊から、実は「叔父に毒殺されたのだ」と告げられ、復讐を誓います。しかし、それで良いのか? 果たして亡霊の言葉は真実なのか?

 かつて、古代ギリシアテーバイの王子オレステスが、母クリュタイムネストラとその愛人アイギストスによって父アガメムノンを殺され、その復讐を姉エレクトラにそそのかされて、父の復讐をとげながら母殺しの罪を犯す悲劇“オレステイス”にも似て(「ギリシア悲劇とその変奏Part1:高畑ゼミの100冊番外編」を参照)、ハムレットの心は揺れます。そして、ハムレットはこの有名な独白を始めます。

  • To be, or not to be. that is the question:
  • Whether ‘tis nobler in the mind to suffer.
  • The slings and arrows of outrageous fortune,
  • Or to take arms against a sea of troubles,
  • And by opposing end them? To die, to sleep・・・・
  •  

 さて、この冒頭の台詞についての日本語による初訳は、御雇い外国人にして風刺漫画雑誌Japan Punchの発刊者チャールズ・ワーグマンによる「アリマス、アリマセン、アレハナンデスカ?」だそうです(究極の直訳というべきか、機械翻訳のようですね)。以下、年代順に並べましょう。 

  • 矢田部良吉ながらふべきか、しかしまた、ながらふべきにあらざるか これが試案のしどころぞ」(明治15)
  • 坪内逍遙世にある、世にあらぬ、それが疑問じゃ」(昭和8)
  • 久米正雄生か死か・・・・・、それが問題だ
  • 河合祥一郎生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」(英文学者で、母方の大叔父が上記坪内逍遥)
  • 小田島雄志このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ
  •  

  この“to be”の主語を己として、「世に在るべきか=生きるべきか?」と訳すか、それとも行為と考えて「復讐すべきかどうか?」とするか、さらにはより広い“世の中”ととらえて「世の中、このままでよいのか、いけないのか?」ととらえるか、be動詞は本当に難しいですね。皆さん、どう思います。翻訳では、こうしたケースがしばしば出来します。 

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  さて、To be, or not to be・・・・・について考えていくと、私など、ビートルズの名曲 “Let it be を思い出してしまいます。「そのままにしておきなさい」あるいは「あるがままでよいのです」とでも訳すべきでしょうか? アルバム名にもなっているこの曲、作詞作曲はレオン=マッカートニーですが、実質はポール・マッカートニーとのこと。その歌詞は以下の通りです。皆さん、練習に訳してみませんか。ハムレットよりは簡単そうです。

  • When I find myself in times of trouble
  • Mother Mary comes to me
  • Speaking words of wisdom,
  • “Let it be.”
  •  
  • And in my hour of darkness
  • She is standing right in front of me
  • Speaking words of wisdom,
  •  
  • Let it be.
  • Let it be.
  • Let it be.
  • Let it be.
  •  
  • Whisper words of wisdom:
  • Let it be.
  •   

 なお、Wikipediaの“Let it be”の項目によれば、「ポールは、1969年のゲット・バック・セッションでビートルズが分裂状態になりつつあるのを悲観していた頃、亡き母メアリー・マッカートニー[が降りてきて「あるがままを あるがままに (全てを)受け入れるのです」と囁いた。そのことにインスピレイションを受けて書いた」とあります。つまり、歌詞のMother Maryは本当のお母さんなのですね。うーん、とうなるしかありません。 

 ハムレットとポール、この二人の悩みはまた古今の若者たちの悩みでもあります。なお、“Let it be”のユーチューブ映像はhttp://www.youtube.com/watch?v=y-gyGiggAOI&feature=relatedです。

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 最後に一言。ここまで来ると、もう一つの言説を思い出さないわけにはいきません。いうまでもなく、赤塚不二夫原作の漫画『天才バカボン』での、バカボンのパパの決め台詞です。すなわち「これでいいのだ」。こうなると、ハムレットの悩みから随分遠いようにも思えますが、この言葉もまた、ハムレットとポールの悩みにも似て、また意外に近い真実を扱っているのかもしれません。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...