マンガ(コミック)で世界を知ろうPart2:ヒストリエ

2011 5/22 総合政策学部の皆さんへ

 Part1に引き続いて、マンガ(コミック)を読んで世界を知るシリーズ、今回とりあげるのはアレクサンドロス大王時代の一大叙事詩『ヒストリエ』(まったくの話、この“掲載中の作品”がいつ頃終わるのか、見当もつかない状態ですが)。作者は『寄生獣』で広く知られる岩明均、一見平明でくっきりした筆致でさりげなく描写される人々の心の揺らぎ、あっけなく展開される残酷描写、歴史上の人物から連発される警句の数々、なかなかの傑作です。

 この『ヒストリエ』(#2;岩明均作、月刊アフタヌーンに連載中)、主人公は歴史上実在の人物であるカルディアのエウメネス、そして主たる登場人物は(今のところは)アレクサンドロス大王の父ピリッポス2世というあたりでしょうか。アレクサンドロス君は後世の大王の片りんを次第に見せながら、いまだ発展途上というあたりが、私が持っている6巻までの展開です。

 なお、エウメネスは『総合政策の100冊』に尾藤先生ご推奨の『プルタルコス英雄伝(対比列伝)』では15巻「エウメネス」でどうどうの主人公です(と言っても、私がもっている『英雄伝』は抄訳で、じかには読んでいません)。

 ところで、ピリッポス2世はたしか昔はフィリップス2世と習ったかと覚えています。これは要するにスペルを英語読みにするか、フランス語読みにするか、ラテン語読みにするか、ギリシャ語読みにするか・・・・・という問題ですね。最近は、原音主義が一般ですから、マケドニア王の名前はギリシア語で読む、となればピリッポス2世になるわけです。なお、この“ピリッポス”の原意は「馬の愛する男」で、イタリア語でフィリッポ(Filippo)、ドイツ語でフィーリプ(Philipp)、英語・フランス語でフィリップ(Philippe)、スペイン語でフェリペ(Felipe)、ロシア語でフィリップとなるそうです。

  原音主義の別の例を出すと、現在のイギリス皇太子Prince of Wales)のお名前はチャールズ(Charles)ですが、これはゲルマン語系の男性名に由来し、ドイツ語ではカール(Karl)、フランス語ではシャルル(Charles)、スペイン語ではカルロス(Carlos)、女性名になると英語でシャーロット(Charlotte)等に派生します。したがって、スペイン王としてはカルロス1世が、神聖ローマ皇帝としてはカール5世になるというわけです。まあ、原音主義も凝り過ぎると、なんだか嫌味になるかもしれません。

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  さて、『ヒストリエ』の第6巻の最後ではピリッポス2世は壮年期、息子アレクサンドロスの英才教育のために設けたミエザの学園に古代ギリシャの智恵の大成者アリストテレスを迎えて、開学するところですから紀元前342年、まだ40歳。かつて名将エパメイノンダス指揮下のテーバイに人質生活をすごすことで、この名将の薫陶を得てファランクス(古代ギリシアの密集重装歩兵)と斜線陣を体得した彼は、兄の死後にマケドニアに戻ります。

 王として即位するや、エパメイノンダスの教えにあわせて、さらに長槍サリッサを採用します。加えて重装歩兵と騎兵を組み合わせることで、無敵を誇るマケドニア式ファランクスを考案します(この戦闘教義はのちにローマ軍のレギオンによる散開白兵戦術に敗れるまで、東地中海世界を支配します)。そして、主人公エウメンスの故郷カルディア(もっとも、『ヒストリエ』では、エウメネスはさらに辺境、ギリシアの敵遊牧民族スキタイの生まれ、というさらに重複したマイノリティという設定ですが)を戦わずに降服させたところです。

 やがては全ギリシアを支配した上で、いずれ長年の敵アケメネス朝ペルシアに向かおうというピリッポスの野望! そのためにも、有為の人材とあれば、エウメネスのように、すばやくスカウトしてしまう。ちょうど織田信長、毛利攻め直前の状態にも比べられるかもしれません。

 さらには、文明の周辺地の者が中心地からの影響を受けて、革新的なイノベーションによって逆に中心を支配する(例えば、コルシカ生まれの半フランス人ナポレオン)典型的パターンとも言えるでしょう。

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 このピリッポス2世という強大な個性が展開するマケドニアの隆盛というタイムラインに、ギリシア・マケドニアと敵対する遊牧民スキタイの子という設定の主人公エウメネスの物語がからみます。エウメネスは、幼児期に数奇な経緯から、いったんはカルディアの有力者ヒュエロニモスの養子に迎えられながら、これまた予想のせぬ展開で奴隷民に落とされ、その後、黒海周辺を放浪、その間、やむを得ない事情から血と戦いに目覚めます。

  吹き出しには「エウメネス私書録 ・・・・振り返って考えてみれば、私は明らかに楽しんでいた。生まれて初めての戦(いくさ)、忘れえぬあの高揚感」「そこに多くの人命がかかわっているというのに・・」と自ら述懐しています。

 その彼がやがてカルディアに戻ろうとするところでアリストテレスに出会います。そしてさらに、カルディアの町を包囲するマケドニア軍の包囲を潜り抜けたところで、商人に身をやつして自らカルディアに潜入し、裏工作を敢行するピリッポス2世の知遇を得る。

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 しかし、エウメネスは久しぶりに訪れた故郷カルディアで、初めて我が手で殺人を犯します。そして、一緒にカルディアを出ようというかつての義理の兄に「いっしょに行けば、きっと戦に明け暮れるような血なまぐさい毎日が待っている。おれはもともとそんな世界が大嫌いだと自分では思ってたんだ・・・。でも実はそうでもないらしいって事に最近気付いた。あれはちょっとワクワクする

  「壁(カルディアの町を取り囲む城壁)の外の世界はさまざま変化に富んで面白いよ・・・でも 強い覚悟を決めなきゃならない事もある」と別れを告げます。

 それを聞いていたピリッポスは「あまり夢のないことばかり言うな」とたしなめますが、エウメネスに自らの地位を明かして、マケドニアに来ないかと誘いかけます。書記官として採用されたエウメネスは、その才能を認められ、次第に「国家の要職につきつつある」。つまり今で言うテクノクラートとしての採用です。

 その過程で、美形で才能にあふれた少年アレクサンドロス、その異母兄で知的障害のあるアリダイオス(のちのピリッポス3世)、そして彼らと同世代の学友たち(下記参照)等と知り合っていくが、・・・・という状況のが第6巻の現状です。

 なお、先走って言ってしまえば、ピリッポス2世は紀元前338年、スパルタ以外の全ギリシアを征服して、やがてペルシアを、というところで、娘の結婚式の席上、暗殺されます(一説によれば、その暗殺の黒幕としはアレクサンドロスの母である元妻オリュンピアスがもっとも疑われ(彼女は『ヒストリエ』でも活躍中です。映画『アレキサンダー』ではたしかアンジェリーナ・ジョリーが演じていたのでは)、そして、アレクサンドロスがそれに関与していたかどうか古来、歴史家の謎とされています。ということで、第6巻の終わりの段階で、ピリッポスの死まであと4年! 

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 愛と憎悪がうずまくピリッポスとオリュンピアス(彼女はピリッポスの第4妻なのですが)、この完全に崩壊している夫婦からともに(異なる形の)愛情をうけ、将来の天分を予想させながら、偉大な父へのコンプレックスに抗しきれず、愛馬ブーケパロスに頼る事でかろうじて精神的均衡を保っているアレクサンドロス。ピリッポス2世は彼のため、英才教育の場、ミエザの学園を用意します。

 校長は常に冷静、すべてに善悪はかりがたき古代最大の哲学者の一人アリストレス。彼は師プラトンが失敗した「支配者を哲学者にする」という命題(哲人政治)に挑み、アレクサンドロスたちに弁論術、文学、科学、医学、そして哲学を教えます。

 アリストテレスは『ヒストリエ』では、クジラを解剖し、溺れた若者を人工呼吸と心臓マッサージで蘇生させ、旅の途中でであったエウメネスが思いついた“地球”という言葉を世界に広める-なんでもできる人なのですね。私は、巨大なアリストテレス全集のうちの2巻、しかもその一部だけ読んだことがありますが、うんざりするぐらいなんでも書き記しています。

 ところで、このミエザの学園に集(つど)っているアレクサンドロスを取り巻く若きエリートたち、後に世界史に名をはせる将軍たちでもあり、例えばエジプトにプトレマイオス朝を開くプトレマイオス(有名なクレオパトラ7世の先祖です)、同じくマケドニアにカサンドロス朝を開くカサンドロス、そしてペルディッカスレオナントス、フィロータスネアルコスのようにきら星のようにならんでいます。

 彼らは、現在(=第6巻まで)は和気藹々としていますが、その多くはやがて約20年後、アレクサンドロスの弱冠32歳での死後、後継者について「王たるにもっともふさわしき者に・・」とだけ言い残して後継者を指名しなかった大王死後の覇権をめぐって繰り広げられるディアドコイ(後継者)戦争にエウメネスともども巻き込まれ、互いに殺し合うことになるのです(大王の母、妻たち、子供たち、係累もすべて殺され、死に絶えます)。

  •  まず、ペルシア遠征中、ピリッポスの股肱の将軍パルメニオンの息子フィロータスはペルシア遠征中に反逆を疑われて、アレクサンドロスに殺されます。その父パルメニオンもやがてアレクサンドロスの命で暗殺されます。 
  •   ペルディッカスは王の死後、遺児の後見人になりますが、他のディアドコイ(後継者)と対立、エウメネスと連合して、プトレマイオスと対抗しますが、自分の部下に殺される。
  •   レオナントスはその前に、カッサンドロスの父親アンティパトロスと連合して戦うが、戦死。エウメネスは(ネタばれになりますけれど)、マケドニア生まれではないことが災いして、ペルディッカスの死後、部下に裏切られて非業の死を遂げる。
  •  そして、(心中ひそかに深くアレクサンドロスを憎んでいた)カッサンドロスは、オリュンピアスをはじめとするアレクサンドロスの遺族を殺しつくす。
  •  

 こうした20年後の彼らの人生を知っている後世の者(=我々)はつい考えこんでしまいます。ミエザの学園でかわされる言葉の端々にも、(深読みすれば)戦慄も走らないわけではなく、その一方で、エウメネスの台詞ではありませんが、「ちょっとワクワク」しないでもありません。

 結局、大王の後継者をめぐるシャッフル(ディアドコイ戦争)はエジプトのプトレマイオス朝、シリアのセレウコス朝、マケドニアのカサンドロス朝等に集約されてしまいます。しかし、このディアドコイ戦争の最後の戦いコレペディオンの戦いが終了したのが紀元前281年、その時、西からまったく別の政治体制(共和制)によって急激に成長するローマの侵略まであとわずかな時間しか残されていません。

 事実、ディアドコイの一人アンティゴノス1世(紀元前317年、部下に裏切られたエウメネスを殺すのは、友人でもあったこのアンティゴノスです)が建てたアンティゴノス朝のフィリッポス5世がかのハンニバルと同盟してローマと戦う第一次マケドニア戦争の開始が紀元前214年、そして紆余曲折の末、ユリウス・カエサルがプトレマイオス朝エジプトを軍事的に支配したのが紀元前47年です。

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 ということで、プルタルコスたちが書き記した古代ギリシア世界、最強のキャラたちを是非、コミックで目の当たりにして下さい。とりあえず、政策的課題は満載です。例えば

  • ・ギリシア人と野蛮人(バルバロス(複数形がバルバロイ)=英語のbarbarianの語源)
  • ・ナショナリズムと文化:マケドニアの風習にとまどうエウメネスは「文化が違う!」と叫びます
  • ・市民と奴隷(アリストレスは奴隷の存在を肯定します)
  • ・戦いにおける個人の能力と集団の能力:もちろん、マケドニア式ファランクスの創設者ピリッポス2世にとっては独壇場です。閲兵を観ながら、息子に「個々ではなく、全体で一つの生き物となる。それが理想だ」と教えます。「さらに言えば、統率された集団同士の戦いで、個人の突出した技量がむしろ邪魔になることがある」とも言い添えます。
  • ・戦闘能力(=軍人の仕事)と、それを最高に発揮させるための兵站(=書記官のお仕事)
  • ・データの収集・整理のための王立図書館(エウメネスの当座のお仕事です)
  • ・学問とその応用(アリストテレスとミエザの学園)
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そして一見ひょうきんそうで、かつ冷静ですずやかなエウメネスの眼に、時折宿る残酷な陰、コミックといえども皆さんの教養に役に立ってくれるでしょう。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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