l翻訳についてPart2誤訳編:“ポケットに蠅を”?、そして“ノルウェーのネズミ”とは?

2011 6/22 総合政策学部の皆さんへ

 言語とコミュニケーションに関する話題に関連して、翻訳をめぐる問題Part2は“誤訳”です。ECでも苦労されていると思いますが、皆さん以外、専門家の人たちと言えども翻訳に苦労していると思えば、少しは気がまぎれるかもしれません(Part1をご参考)。ということで、“楽しい言語教室”として、いくつか例を挙げたいと思います。

 とは言え、専門家でも、誤訳はなかなかつらいものがあります。まず、基本的な知識が足りなかった例をあげましょう。イギリスの小説家サマセット・モームの作家の作品『作家の手帳』を読んでいた時だったと思うのですが、不意に「彼はマス釣りがすきなので、いつもポケットの中にハエをいれていた」というような文章が眼にとまりました。

 釣りに詳しくない方は、「イギリスでは、マスを釣るのにハエを使うのか!」と感心して、「でも、生きているハエかな? 死んだハエかな?」と疑問に思うでしょう。しかし、英語に詳しい方はわかりますよね。英語の“fly”には、「ハエ」以外に「毛バリ」という意味があることを。言うまでもなく、原文はおそらく後者なのです(=フライ・フィッシング)。つまりは「マス釣りがすきだから、いつもポケットに毛バリをしのばせていた」というわけです。

 そういえば、いまや国民的大作家五木寛之が無名時代、作詞家(CMソングとしては日本石油の「♪日石灯油でほっかほか・・・♪」)や翻訳者として口を糊していた頃、“domestic airport”を「家庭的空港」と訳して、不思議がられたそうですが、これも今となっては笑い話。皆さん、わかりますね。正確な意味は「国内空港(国内線のみが発着する空港)」です。 

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 似たタイプのまちがいをもう一つ。実は、私の先輩も共訳に入っているある学術書を読んでいると「ノルウェーのネズミを使った実験では・・・・」と出てきます。これもおわかりですね。英語の“Norway rat”とは、日本語では「ドブネズミ」のことです。さらに詳しく言えば、ドブネズミを実験動物化したいわゆる「ラット」のことなのです。

 では、なぜドブネズミを“Norwey rat”と言うのか? 実は、ドブネズミは、もともとクマネズミが生息していた西欧社会では新参者、中央アジア原産のいわば侵入者なのです。しかし、あっという間にクマネズミを駆逐して、ヨーロッパを席巻、ついで大西洋航路の船にアメリカまで征服する。

 このドブネズミの大遠征の過程は「衛生学」での研究対象で、1737年にドブネズミの大群がヴォルガ川を渡ってヨーロッパに侵入、以後西進し、20年後の1757年にロンドンに、1775年にアメリカに侵入します(Wikipeidaより)。つまり、1775年には大西洋航路の船に乗り込み、かつ、アメリカで下船したわけです。

 これではまるでヨーロッパ社会をおびやかしたノルウェー出身のバイキングみたいな連中みたいだ、ということでドブネズミはNorway ratと名付けられてしまいました、という話を聞いたことがあります(学名自体がRattus norvegicus)、まったく民族差別みたいなものですけれど。ちなみに英語版Wikipediaでは“Brown rat”で出ています。これは差別用語忌避なのかもしれません。

 さて、この英語版Wikipediaには“Berkenhout (この学名の命名者)gave the brown rat the binomial name Rattus norvegicus believing that it had migrated to England from Norwegian ships in 1728, although no brown rat had entered Norway at that time.” つまり、学名の命名者Berkenhoutは、このネズミが1728年にノルウェーの船からイギリスに上陸したと信じて付けたわけです。

 しかし、実際にはドブネズミはその頃はまだノルウェーに侵入していないので、基本的にまちがい。それにもかかわらず、学名はたとえまちがいであっても、いったんつけられると変更できません。そのままなのです(例えば、標本の取り違えによって、日本産のコマドリの学名はErithacus akahige、近縁のアカヒゲの学名はErithacus komadoriのままであることは有名です)。

 ちなみに、日本語では別称としてシチロウネズミ(七郎鼠)、ミゾネズミ(溝鼠)、ハトバネズミ(波止場鼠)、チャイロネズミ(茶色鼠)等があるそうです(Wikipediaより)。ハトバネズミなんて、まさに海を越えてやってきた彼らをうまく言い表していますよね。

 その一方で、ペストノミの寄主クマネズミを駆逐したことで、ヨーロッパからペストの流行が減るという大金星ももたらしてはいます。

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 それでは別種の誤訳も紹介しましょう。むかし、ドイツの小説家ヘルマン・ヘッセの小説等によく登場のチョウチョのコムラサキ、よく「ニムラサキ」と誤植されていたのですが、これはなんともっとも権威があるとされていた独和(ドイツ語⇒日本語)辞典の「コムラサキ」が「ニムラサキ」と誤植していたのを、誰も気づかず、版を重ねていたためということです。

 これは「権威といえども、盲信するな」という教訓でしょうか? よくありますよね。レポートにせっせと間違った説を書き込んで、その努力に比して惨憺たる結果になることが! 世の中、注意しましょう。

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 それでは、もう少し大変なケースを紹介しましょう。例えば、処女懐胎があります。Wikipediaでは「文字通りには処女のまま(つまり男女の交わり無しに)子を宿す、という概念を指すが、一般には特に聖母マリアによるイエス・キリストの受胎というキリスト教における概念を指す。カトリックなどマリア崇敬をする教会において処女懐胎の意義はマリアが罪を犯さずイエスを身篭ったことになり、これによりマリアの無謬性が成り立つ」とされます。

 この出典の一つ、マタイ福音書を調べてみましょう。「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、精霊によって身ごもっていることが明らかになった・・・・主の天使が(ヨセフの)夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は精霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイによる福音書』第1章18節、20~23節;新共同訳)。

  この福音書の記述は七十人訳聖書(紀元前3世紀から1世紀にかけて、ヘブライ語の旧約聖書をギリシア語に訳したもの)のイザヤ書7章14節に「それゆえ、私の主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(新共同訳)をそのまま引用したものです。

 ところが、この「おとめ」の原語であるへブライ語アルマー (עלמה, almah)は「若い娘」という意味であり、これを「おとめ=処女」と訳すことは、適訳とはいえない。(Wikipediaより)。後世に与えた影響を加味すれば、はっきり誤訳と言うべきでしょう。これは、原典による校訂を重んじ、古典学を発展させたルネサンス期のヒューマニスト(人文主義者)たちの間で持ち上がった議論なのです。

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 この論争の主人公の一人、ミゲル・セルべートの生涯をイタリアの歴史作家インドロ・モンタネッリらの傑作『ルネサンスの歴史』の「カルヴァン」の章から引用してみたいと思います。

 セルベートは「スペインの名家の生まれで、その波乱に富んだ生涯は、時代の精神的不安を如実に反映している。幼い頃から聖書とコーランを熟読し、20歳の時『三位一体異論』を著し、三位一体論は聖者崇拝と同様、巧妙に装った多神教の一形態であるというイスラム的主張を世に問うた。

 この反逆は迫害を呼び、逃亡を余儀なくされた・・・・・リヨンではプトレマイオス地理学についての評論を刊行し、次いで聖書のラテン語訳を出し、その注釈の中で、イザヤの予言、「一人の処女が孕むであろう」の中の「処女」はヘブライ語でたんに「若い女」という意味だから、その妊娠懐胎には何の奇跡も必要ないのだと説いた。

 これにはカトリックだけでなく、プロテスタント側も憤激、セルべートは両陣営から集中砲火を浴びることになったが、いっこうにひるまず、逆にいっそう論争への熱狂を燃え立たせた・・・・

 セルべートはついに、ジュネーブでいわば神権政治を展開していたプロテスタントの大物カルヴァンと大論争、「論戦は私信の形で行われたが、罵詈雑言に充ちみちていたから、カルヴァンは激怒し、「もしセルべートがジュネーブに来るなら決して生きては帰さない」と、ファレルへの手紙の中で宣言したほどである」。(藤沢道郎訳)

 その騒動のクライマックス、セルべートは何を血迷ったから、ジュネーブに登場、たちまちカルヴァンに逮捕・告発され、「告発者(カルヴァン)と被告(セルべート)は丁々発止の論戦を展開し、裁判は盛り上がった。議論は高尚な神学論の高みから、もっとも低劣な個人攻撃へと滑り落ち、そこからまた高邁な思想論争へと舞がった」、しかし「カルヴァンは、自己の意思をすべてに優先させ、死刑判決を実現させた」。

 こうして、セルべートは1553年10月27日、異郷ジュネーブで火刑に処せられます。彼はジュネーブにとっては異邦人なので、本来、死刑になるはずがない。これは宗教家カルヴァンの論争相手に対する憎悪ゆえの圧力からです。

 「新旧両教から異端者とされて死んだセルベートは、どこにも弁護者を見いだすことができなかった」と結んだモンタネッリは、カルヴァンを「かつてセネカの慈愛をたたえたかれが、どれほど慈愛に無縁な人間かを証明することになった」としています。後世、宗教家カルヴァン生涯の汚点とされているこの事件を、しかし、カルヴァンが悔いることはまったくなかったということです。

 かつては、己の言葉、翻訳さえも、自らの死を賭けた行いであったわけです。 

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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