住まいの人類学Part5:植民都市=“街”を“植え付ける”人たち#2

2011 7/3 総合政策学部の皆さんへ

 Part1では主にシンガポールを対象に植民都市を紹介しましたが、19世紀からこっち、欧米は次々に植民都市を作ります。

 その典型は例えば、ケニアのナイロビです。1899年、インド洋沿岸の港町モンバサからウガンダへ通じる鉄道建設の中継地として、マサイ語の「冷たい水(Ewaso Nyirobi)」を語源として、まったく何もない土地に作られながら、2011年には365万5千人、世界95位の大都市です(Demographia World Urvan Areasから)。

  さて、それでは完璧な人工都市(ある人々にとっては悪夢かもしれない近代的管理都市)シンガポールからひとっ飛びして、インドネシアはスマトラのメダンにつくと、そこはまたオランダ統治時代からあまり変わらぬような植民都市でした。

 そもそも“Kampung Medan”( Kampung[カンポン]とはインドネシア語で“村”の意味)がマレー系住民によって開かれたのは1590年頃で、その名前はサウディ・アラビアのイスラームの聖地の一つメディナから来たとも、インドのヒンドゥー語で“ground/land”を意味する“Maidan”から来ているとも言われています(英語版Wikipediaから)。これらの説が正しければ、街の名前自体が外来文化に由来することを示すわけです。

 当時、スマトラ北部を支配していたアチェ王国(1493~1903年存続)のスルタン Iskandar Muda(1583?~1636)がこの町を軍事的に支配、メダンは次第に発展し始めます。しかし、その急速な発展は1860年代、すなわちオランダ領東インド全盛時、植民者たちがタバコのプランテーションを開いてからのことだそうです。

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 さて、そのメダンの街で、最初に印象深かったのはロータリー(交差点)です。その後、タンザニアでもよくお目にかかったロータリー、ヨーロッパによる植民地でしばしば目にする景観です。Wikipediaの表現を借りると「中心の “島” の一方向に周回する方式」の交差点です。第3世界の都市で、このロータリーを眼にすると、ついかつての植民地時代、あるいは都市を“植え付ける”のに必死になっていた都市計画家(Urban/City planer)たちを想い出します。

 この方式では信号はなく、ロータリーに侵入する車は自ら安全を確認しつつロータリーに進入、そして同様に安全を確認しつつ、ロータリーから脱出しなければなりません。利点としては、(1)直交しないのとスピードを落とすので、事故率が低い、(2)信号がいらない、(3)Uターンが容易。

 しかし、一方で、(1)当然、広い面積が必要、(2)交通容量が少なくなる、(3)道に迷う危険性がある等々、欠点も指摘されており、日本の主要道路ではあまり見られません。皆さんがよく目にされるのは、駅前ロータリーでしょう。

 たぶんCity Planerたちがロータリーを設計した頃は、交通手段はまだ馬車時代で、馬にひかれてゆったりとロータリーに入り、またゆったりとロータリーからでていく、そんな牧歌的な光景が展開されていたのではないでしょうか?

 なお、イギリスでは「中心が円形で道路が集まっている場所」をサーカス(Circus)と言います。構造上はロータリーですね。もっとも有名なサーカスは、ロンドンのピカデリー・サーカスでしょう。子供の頃に、シャーロック・ホームズの初登場作『緋色の研究』を読んでいて、文中に出現する“ピカデリー・サーカス”がまったく理解できませんでした(どうやら地名らしいのに、それまでは曲芸のサーカスしか知らなかったので)。

 その後、JICAの専門家時代に、標本を大英自然史博物館に預けにタンザニアからロンドンに寄ったさい、実物のピカデリー・サーカスを観るる事ができましたが。

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 次に印象に残っているのは、泊まったホテルがバンガロースタイルだったことです。現在はどうなっていることか、道路に面したホテルのファサードは近代的なホテルですが、たぶん、植民地時代の名残でしょう。ホテルの奥の方にいくつものバンガローが点在して、撮影クルーは男性陣と女性陣にわかれて泊まる事になりました。部屋というか、バンガローのドアのカギのホルダーは、たしか輪切りになった木でできた、いかにも古めかしいものだったように覚えています。

 このバンガローとはヒンドゥー語のバングル(ベンガル地方風)という意味だそうです。他にベランダも「元々はポルトガル語で、それがインドに渡り、そこから世界に広まった」Wikipedia)言葉で、イギリス帝国主義の拡大の過程で、英語に取り入れられていったものなのですね。

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 しかし、さらに印象的なのは、こうしていかにもこぎれいに作られた中心地=植民地行政そのもの、あるいはヨーロッパ系支配者と住民の中間で、かえって権力と金力をました中間支配層=スルタンが建てた宮殿の豪華さ(シャンデリア類は、イタリアから輸入したと聞きました)、あるいはイスラーム文化を象徴するモスク、それらを取り囲むように混沌と広がるアジア的世界です。

◆Great mosque in Medanの写真:http://en.wikipedia.org/wiki/File:Great_mosque_in_Medan.JPG

◆スルタンの宮殿の写真:http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Maimun_Palace

 ヨーロッパ人の支配によって、物流が起こり、金が動き、そこに労働者たちが集まる(そもそも、官庁街や白人が住む住宅街を建築するため、低賃金労働者が集められ、彼らが住みこむため簡易の掘立小屋がたてられ、それがバラックと総称される)。そこにいわゆるスラムが発展する。どこの世界も同じです(明治期の東京も=「高畑ゼミの100冊Part23&住まいの人類学:“貧民窟探険記”」をご参照)。

 まさに“アジア的混沌”の世界ですが、誰もメダンの街がどこまでなのか、わからない。道路にそって掘立小屋が延々と続く。

 そこにはもちろん、人々の生活が展開しているわけですが、毎日の食器として使い捨てにするバナナの葉っぱの腐った匂いと、香辛料たっぷりのインドネシア料理の匂い、そして彼らが好きなクローブ入り煙草クレテックの匂い、そして近代文明下(当時は産油国として安かったガソリンを浪費するように、黒煙をあげながら走るバイク等からまきちらされる)排気ガス、これらが混然いったいとなっている、これが今も心に残るメダンの印象です。 

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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