住まいの人類学番外編:銀座をめぐる歌謡の話:「昔、恋しい、銀座の柳・・・・・」

2011 9/24 総合政策学部の皆さんへ

 住まいの人類学番外編として、銀座をめぐる歌を紹介しましょう。すなわち、地域文化論とでもいう分野でしょうか。始めこそ、「日本の風土に合わない」と不評の的であった煉瓦街も、やがて日本随一の繁華街になっていく。そうなると、そこに生まれるのは“歌”です。と言えば、皆さんのおじいさん、おばあさんの世代なら、誰でも知っているあの歌: 

  • 昔恋しい 銀座の柳  仇な年増を 誰が知ろ
  •   ジャズで踊って リキュルで更けて 明けりゃダンサーの 涙雨
  •  
  •  恋の丸ビル あの窓あたり  泣いて文書く 人もある 
  •   ラッシュアワーに 拾った薔薇を  せめてあの子の 思い出に
  •  
  •   広い東京 恋ゆえ狭い  粋な浅草 忍び逢い
  •     あなた地下鉄 わたしはバスよ  恋のストップ ままならぬ
  •  
  •    シネマ見ましょか お茶飲みましょか いっそ小田急で 逃げましょか
  •      かわる新宿 あの武蔵野の  月もデパートの 屋根に出る
  •  

 ご存じ『東京行進曲』で、西条八十作詞、中山晋平作曲、なんと日本の映画主題歌第1号(歌は佐藤千夜子;映画自体は無声映画だそうです)。戦前の銀座の実写付きのユーチューブ映像は http://www.youtube.com/watch?v=mJwu3CX0r-4 です。 

 銀座の柳はすでに明治期、イチョウに植えかえられ、1929年でも「昔恋しい・・」と唄われる存在でした。しかし、人々の心に強く印象付けられていたのですね。

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 「歌詞検索サービス 歌ネット」という検索システムで、「銀座 柳」で検索すると、30件ヒットしました。「銀座夜曲」「東京セレナーデ」「東京ロマンス娘」・・・・、私も知らない曲ばかりです。いかにもムード歌謡Japanese Tin Pan Alley(錫鍋小路)というところです。

 それでは、つい悪乗りして、三浦洸一歌う「東京の人」の1番の歌詞も紹介しましょう(佐伯孝夫作詞、吉田正作曲;1956年):

  • 並木の雨のトレモロ
  •  テラスの椅子でききながら
  •   銀座むすめよ なに想う
  •    漏らす吐息に うるむ青い灯
  •      しのび泣く 恋に泣く 東京の人
  •                  (以下、略)
  •   

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 さて、それでは『東京行進曲』でレポートを作ってみましょう! どんなテーマが考えられるでしょうか?

 まずは“ジャズ”、1929年の歌詞だとすれば、いったい日本にジャズが何時入ってきたのか? Wikipediaによれば、日本で初めてのプロのジャズバンドは1923年、神戸での旗揚げとのことです。それが大正天皇崩御の際に、大阪のダンスホールが閉鎖になったため、多くのジャズマンが東京に拠点を移したとのこと。ちょうど『東京行進曲』の頃に合致します(1920年代、すでにジャズは滔々たる流れとなっており、「一部で言われている`ジャズは明るい戦後文化の象徴`というのは間違いである」と、Wikipediaの筆者は強調しています)。

 そして、もちろん、この流行を、当時のレコード会社はどのようにビジネス化していったか? 社会史としても、ビジネス史としても、おもしろそうです。

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  次は、“丸ビル”でしょうか? かつて長いこと「東洋一のビル」として、日本の近代的ビジネス建築の代名詞だった、このオフィスビル都市計画に興味がある方も不動産業に進みたい方も、是非是非このビルに興味をお持ち下さい。当時は地下1階、地上9階、低層階を一般客に開放してショッピングモールとし、上層階をオフィスビルにする、今やあまりに当たり前になったこの種の建築の走りです。

 竣工は1923年2月20日、その半年後の関東大震災で被災、26年まで復旧補強工事が行われますが、第二次大戦の戦災を免れて、長らく日本のビルディングの代名詞になりました。歌詞では、“恋の丸ビル”とありますが、モボ・モガ(モダン・ボーイとモダン・ガール)は、低層階のモールで出会ったのかもしれません。

 東京駅のまん前という絶好の位置取りも手伝い、現在の「東京ドーム何杯分」と同じように、「丸ビル何杯分」と例えられた傑作です。現在は、日本建築学会の保存要望書も無視され、1999年に取り壊され、地上37階、地下4階の巨大ビル“丸の内ビルディング”と化しています(所有者の三菱地所の見識を疑うところですね)。

 ところで、この丸ビル建設の話を聞くや(もちろん、初代のです)、その一角を押さえて俳人正岡子規の友人柳原極堂創刊の俳誌『ホトトギス』の発行所としたのが子規の後継者高浜虚子。1923年1月のことです(現在は、上記の建て替えのため、三菱ビルに移転)。日本最大の勢力をほこった俳諧雑誌と丸ビルの組み合わせ、近代的雑誌出版経営者としての高浜虚子の面目躍如というところです。

 それにしても、「高畑ゼミの100冊Part9;食について#2『江戸たべもの歳時記』そして『仰臥漫録』」でご紹介済みの正岡子規、早すぎる晩年に向かって疾走する如く、食べ物を食い廻しながら、壮絶に死んでいった様を思い出すと、丸ビルとホトトギス、なんとも言えない感覚に襲われます。

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 このように、日本のオフィスビルの先駆、その経営、ショッピングモール・・・・・・、いくらでもレポートのネタ等転がっている、ものですが、三番目はもちろん、地下鉄にバス、そして小田急、急激に進む東京都内の公共交通、そして、郊外の田園都市、そして観光地と都心を結ぶ私鉄、これがレポートの3番目になるでしょう。

 ちなみに東京の地下鉄開業は、1927年12月30日、『東京行進曲』の2年前、東京地下鉄道による銀座線浅草駅と上野駅だそうです(銀座まで延伸したのは、1934年3月3日)。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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