ヒーローと悪役について:映画その他を紹介しましょう番外編&アメリカ文化についてPart2

2011 9/30 総合政策学部の皆さんへ

「ヒーローと悪役について:映画その他を紹介しましょう番外編&アメリカ文化について」のPart2“悪役編”です。“悪役”はしばしば“善人”より魅力的なはずだと思っているのですが、リストにあげられている“アメリカ人にとっての悪役”は、私のイメージとはちょっと異なるような気もします(そして、ヨーロッパ映画に出てくる悪役とも違うのでは)。

もちろん、こうした事情は時代的変遷があるのかもしれません。Wikiediaでも現代の悪役は「悪渾然としたキャラクターや善人面をして悪事を働くキャラクターも多いなど、従来の悪役像が成り立たなくなっている面もあり、現在では悪役としての表現技法は多様化している」とあります。どうやら、誰から見ても悪役というキャラはなかなか成立しない。となれば、とりあえずリストの上位を占めるのはかなりエキセントリックな造型に偏ってしまう、そんなところかもしれません。

さて、以下の悪役トップの10作中、私が観たことがある作品は『羊たちの沈黙』、『サイコ』、『スター・ウォーズ』、『オズの魔法使い』、『危険な情事』、『白雪姫』と6作ですが、『オズ』と『白雪姫』はやや子供の頃で、ぼんやりとしか思い出せません。とくに「西の魔女」がどの程度悪役だったか? まったく覚えていない体たらくです。

その“混迷”する悪役像ゆえか、ここであげられた方々はあきらかにサイコ・サスペンス的悪役に偏っています。トップは何といっても『羊たちの沈黙』でおなじみ、ご存じ人食いハンニバル。第2位が、『サイコ』での衝撃のラスト・シーンのために、俳優人生さえ終わってしまった感のあるアンソニー・ホプキンス演じるノーマン・ベイツ、そして女性ストーカー(この映画の頃は、日本ではまだストーカーなどと言う言葉さえ、流行っていませんでした)のリーガン・マクニール。

第9位の悪役は“悪霊”ですし、白雪姫の王妃もまた十分“サイコ”な印象です。つまり、アメリカ人は、“悪”というよりも、“ふつうではない、奇っ怪なヒト”が嫌いなのです。フセインも、ビン・ラディンも、そして今やカダフィもそちらの人と見られているのでしょう。そのあたり、たまには“本当かな?”と疑うことも必要では、とつい思ってしまいます。

第12位のアレックス・デラージ (『時計じかけのオレンジ』、マルコム・マクダウェル)も十二分に“あぶない”人ですし、第13位『2001年宇宙の旅』のHAL9000(ハル ナインサウザンド)もまた、かなり不気味な存在です。そういえば、この2作はスタンリー・キューブリック監督ですね。

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ところで、皆さんご存じでしたか? かのグリム兄弟が最初に出版したグリム童話初版本では、『白雪姫』の王妃は継母ではなく、実母だったということを! 民話ですから、当然様々なバリエーションがある(生物の進化でDNAが突然変異するようなものです)。たまたま採集した最初のヴァージョンは実母による実子殺しだったのに、さすがに気が引けたのか、次に継子殺しのバージョンを見つけたら、そこに乗り換える。

自然科学者としては、「そんなことで編者の勝手にされると困ったことだな」と思ってしまいますが、民話(童話)収集家、あるいは民話(童話)出版社の立場からすれば、当然かも知れません(いずれにしても、読者は本当の“真実の物語”を与えられていないのかも知れない、といつも疑うことだけは大切ですよ、と言いたいだけですが)。

しかし、実母だとすれば、結末の「その結婚披露宴で、王妃は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされた」(Wikipediaより)は、“実母殺し”にもなりかねません。因果応報とは言え、ギリシア悲劇の『オレステス』三部作等を思い出します(詳しくは「ギリシア悲劇とその変奏Part1:高畑ゼミの100冊番外編(2010/05/3)」をご参照下さい)。

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悪役第1位に話を戻して、いやまアンソニー・ホプキンスの当たり役になってしまったドクター・ハンニバルですが、実は最初の映像化は『羊たちの沈黙』ではありません。1986年、映画『Manhanter』という名で映像化され、日本では(私が覚えている題名は)『レッド・ドラゴン-レクター博士の沈黙』として上映された作品を、京都の南の端、九条のパチンコ屋の2階(なにしろ、映画狂のパチンコ屋店主が作ってしまった、と聞いている映画館)みなみ会館で、まったく予備知識もなく(他の映画を見に行ったついでに)3本立ての1本として観て、一種の衝撃を覚えた記憶があります。

その後、実は、この作品は興行的にはまったくの大コケして、制作者が映画化権を放り投げ、その結果、『羊たちの沈黙』に始まる三部作のシリーズ化が別途映画化された、という代物だと聞いた覚えがあるのですが、そこではブライアン・コックスがドクター・ハンニバルを演じていました。

しかし、個人的にはどうしてこの映画がこけたのか、当時も、そして今も、私にはわからないぐらい傑作だと思ったのですけれど。とくに、グレアム刑事が展開するプロファイリング、そして刑務所中から凶悪犯をあやつるドクター・ハンニバル、そして不気味な犯人(たしか、盲目の女性にだけ心を開くのではなかったでしょうか?)。実は、この(世評ではペケだった)第一作のイメージが強すぎて、アンソニー・ホプキンス主演の『レッド・ドラゴン』はついつい観そびれてしまいました。

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それにしてもアブノーマルな悪役がほとんどのため(歌舞伎で言えば、怨霊、公家悪の類?)、“実悪”というべき方があまり出ませんね。そこで、10位以下を見ると、組織犯罪者としてのゴッドファーザーマイケル・コルレオーネ (『ゴッドファーザー PART II』、アル・パチーノ)が第11位に食い込んでいます。

マイケルとその父ビトーについては、以前、「総政100本の映画Part13振り返り編:『ゴッドファーザー』そして『ワイルドバンチ』:暴力装置を通して見るアメリカ合衆国のなりたちについて#1(2010/12/23)」、「同#2」、「同#3」でも触れました。ダース・ベイダーが二枚目アナキンから“悪の権化”に変身したように、生まれや育ちが異なっていれば、Part1でご紹介の実事型ヒーロー(クーパー、ペック、ステュアート、フォンダ)にもなれるはずのマイケルの父ビトー。彼はイタリア系下層移民としてふるまううち、その生来の才能ゆえにいつしか“ゴッド・ファーザー”に成りあがります。そしてその息子マイケルがそこから抜け出したいと願いながらも、やはり落ち着くべき所に落ち着いてしまう、その悲しみが全面に浮き上がってくる作品です。

悪の権化であるダース・ベーダーも映画化を重ねると、だんだんその複雑な人生が明らかになり、二枚目アナキン・スカイウオーカーが「善良で純粋な心を持っていると同時に、奴隷という抑圧された境遇にあった為か、生存への欲求や上昇志向も並外れており、これが強大な力を渇望する心へと繋がっている」ため、やがて悪の存在に変わっていく様があきらかにされていきます(Wikipedia)。「大柄でがっちりとした体型に全身黒ずくめの衣装、顔を隠すマスク、不気味な呼吸音で見る者に強烈な印象を残すキャラクター・・・劇中での存在感から、威圧的・高圧的人物や悪の大ボス等の代名詞とされることも多い」この人物もやはり複雑な背景があるのです。

このように人類学者がよくでっちあげるストーリーは、ビトーそしてマイケルのように、片方で実事になりえる者が、環境やその他さまざまなことで、実は実悪にもなれる。そこに善と悪との本質があり、両者には決定的な差はないというようなお話になるのが落ちです。しかし、これまで見てきたように、現代アメリカ人にとっての“悪役”はどうもそんなタイプと違って、善とまったく断絶したタイプのようです。それでは、善と悪の境目はどこにあるのか? そのあたりは to be continuedとしましょう。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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