新年にあたって、グローバル時代の言語学part1:“我々”、またはInclusive we とExclusive weについて

2012 1/1 総合政策学部の皆さんへ

 新年あけましておめでとうございます。また、本年もよろしくお願いします。
 ということで今年最初の投稿として、ちょっと真面目なテーマをとりあげましょう。それは“我々/We”です。

 “我々”、なんだか格好が良い言葉ですよね。私の学生時代は(もう40数年前ですが)、いわゆる過激派の人たちがメガホンで「我々はーっ」と叫んでいたのを、反射的に想い出します。

 その上で、言語によっては2種類の“我々”がある言葉も存在することを御存じでしょうか? といきなり切り出されても、「えっ?」と思うかもしれませんね、何を言っているのか、さっぱりわからない。それが、今回のテーマ、“Inclusive and exclusive we”です。

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 英語版Wikipediaの“We”にはきちんと記載されていますが、英語学的には“Clusivity”にかかわるとのことです。英語あるいは言葉に関心がある方は、是非、英語版をご照覧下さい(なお、日本語版にはWe もClusivityもありません。誰か、翻訳して日本語版を充実させませんか)。

 さて、(日本語にも英語にも基本的にない)“Inclusive and exclusive we”の区別ですが、これはWikipediaのClusivitityに出ているを見れば、一目瞭然です。話し合いの最中、そこで使われる“We”はどの範疇を想定しているのか?

 話し相手が“我々”と言っても、そこには聞き手の“私”は入っていないかもしれない。例えば、上記の過激派の方々の場合、「我々はーっ」と大学当局に叫ぶ場合、その「我々」に「大学当局」は入っていませんよね。

 こうしてみると、日本語の我々、あるいは英語のWeは、会話(発話)中、どこまで“我々”なのか、文脈(コンテクスト)によって判断せざるを得ない、あいまいな(文脈依存性の強い)言語ということになります。とくに国会答弁などで、“我々!”等と叫ばれる時、「それはいったいどなたですか?」と突っ込みを入れたくなることもないわけではありません。

 ついでに言えば、それはゼミでのプレゼンテーションでも、リサフェでの発表でも、おそらくは就活の時のエントリーシートでも変わらないかもしれません。つまり、「あなたは、ここにいる全員当然のようにそれを知っている/信じている、という調子で話しているけれど、それは必ずしも通用しませんよ」というわけです。

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 それでは、Inclusive/Exclusive weを取り扱ったアネクドート(小話)の一例を紹介しましょう。往年(私の子供の頃)のアメリカ人気TV『ローン・レンジャー』について、白人に虐待されるネィティブ・アメリカンインディアン)の立場から見た、という視点(主格)逆転型の小話です。

 ある日、主人公ローン・レンジャーはいつも一緒の相棒インディアンの青年トントともに、敵であるインディアンの戦士たちに包囲されて、絶対絶命のピンチに陥ります。

ローン・レンジャーはトントにこう聞いた。“相棒よ、俺らはどうすればいいだろう?(”Now what do we do?”)” トントはこう答えた。 「おい白人、”俺ら”ってどういう意味かね?」(”What do you mean “WE”, White Man?”=”ピンチなのはお前だけだ”)”」(Wikipediaから)。

 わかりますか? ローン・レンジャーは敵であるインディアンに囲まれ、Weという言葉に無意識のうちに相棒トントを含んでいるのですが(inclusive)、トントからすれば「こんな状況では、お前の“We”にインディアンであるオレは入らないのだよ(exclusive)?”」というわけです。

なお、トントは、「ポカホンタス」とともに「インディアンからは“白人にこびへつらうインディアン”)」の代名詞・蔑称として使われているそうです。

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 ここで英語版Wikipediaの“Inclusive and exclusive we”を紹介しましょう。翻訳しなくても大丈夫ですね。

Some languages, in particular the Austronesian languages, Dravidian languages, and others such as Min Nan and some dialects of Mandarin Chinese, have a distinction in grammatical person between inclusive we, which includes the person being spoken to in the group identified as we, and exclusive we, which excludes the person being spoken to. About half of Native American languages have this grammatical distinction, regardless of the languages’ families. Cherokee, for instance, distinguishes between four forms of “we”, following an additional distinction between duality and plurality. The four Cherokee forms of “we” are: “you and I (inclusive dual)”; “another and I (exclusive dual)”; “others and I (exclusive plural)”; and “you, another (or others), and I” (inclusive plural). Fijian goes even further with six words for “we”, with three numbers — dual, small group (three or four people), and large group — and separate inclusive and exclusive forms for each number.
In English this distinction is not made through grammatically different forms of we, but rather indirectly, for example through explicitly inclusive phrasing (“we all”) or through inclusive “let’s”. The phrase “let us eat” is ambiguous: it may exclude the addressee, as a request to be left alone to eat, or it may include the addressee, as an invitation to come and eat, together. The latter usage is informal, however, and its contracted form “let’s eat” can only be inclusive.
Examples:
Inclusive “we”: We can all go to the villain’s lair today.
Exclusive “we”: We mean to stop your evil plans!

 もうおわかりでしょうけれど、私がこんなことを長々と紹介したのも、皆さんが英語を話す時、相手の“We”がInclusiveなのか、Exclusiveなのか、その判断で文脈が全く異なってしまうことです。あるいは自分が“We….”と使う時、それはどこまでを含むのか?

 ということで、皆さんも上記のローン・レンジャー的状況に陥らないように注意しましょう。これは政治でも、ビジネスでも、結構重大ではないでしょうか? リサフェ等でのプレゼンテーションでも、結構気を使うべきではないかな、そういう点でも、レポートでは“主語”が重要ですよ、と授業で強調しているわけなのですが。

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 その一方で、“Inclusive and exclusive we”が明確に区別されている言葉もある、というのも面白いものです。上記に紹介した英語版Wikipediaでは、アウストラロネシア語系の言葉もそうだと云う事で、ちょっと調べてみましょう。日本語版のアウストラロネシア語系の説明の片隅に「一人称双数・複数には、包括形と排他形(相手を含むかどうかの区別)がある!」とあります。これですね。

 実は、ここまでのお話は、昔、国立民族学博物館の教授でアウストラロネシア語の大家だった山崎理先生から、ある研究会でうかがったことのまったくの受け売りです。

 そして、山崎先生はこれを説明した後、「実は日本語にも、しいて言えばExclusive weに近い言葉がないわけでもない」とおっしゃいました。皆さん、なんだか、わかりますか?

 それは「手前ども」で、つまり、これを使う場合「あなたは“我々”には入っていませんよ」という含意を含んでいるわけです。「私ども」と言っても、良いかもしれません。ていねい語を使い、へりくだることで、自分と相手の主格の違いを示すわけです。

 ちなみに、1927年5月20日から21日にかけて、ニューヨーク→パリ無着陸飛行を成功させた弱冠25歳の青年チャールズ・リンドバーグが、その直後に執筆した本のタイトルは“We”ですが、これはリンドバーグと彼の愛機“Sprit of St. Louis”を指しているそうです。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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