芸術家たちPart5:マエストロとは? ジョットからミケランジェロ、そして北斎まで#2(ジョットと工房システム)

2012 1/27 総合政策学部の皆様へ

 #1に続いて、マエストロについての続編です。#1では、ルネサンス期の最初の巨匠ジョット・ディ・ボンドーネの名前を紹介したところで終わりました。

 このジョットこそ芸術家としての社会的存在を知らしめた記念碑的な方ですが、それにはイタリア各地の教会・宮殿等の壁画祭壇画の作成を一手に引き受ける巨大工房の組織化、そしてその組織の長としてのジョットの偉大さがある、と考えて下さい。

 つまり、アート・ディレクター兼プロデューサーの誕生とも言えるでしょう。そして“工房”という言葉のもつメッセージ性、皆さんにとってもっとも身近なものは、メディア情報学科の“メディア工房”ですね。そこまで脈々と続くイメージの連鎖でもあります。

 この頃ヨーロッパで巨大化した教会建築宮殿は(とくに都市政策志望の方々は、建築史の授業ですでにお聞きですよね)、絵画についての巨大な需要を産みます(当然、絵画がビジネスにもなっていきます)。

 ちなみに、Wikipediaを見ても、このジョットの作品はほとんど壁画である(つまり、動かせない絵画)ことにお気づきでしょう。この頃の壁画は基本的にフレスコ画(できたての漆喰面が乾ききる前に描くことで、保存性が良いが、ダ・ヴィンチ等は嫌います)ですから、建物と混然一体となります。

 このフレスコ画ですが、イタリア語のフレスコ(fresco)は英語のfresh、つまり乾ききらない新鮮な壁面に描く絵というわけです。

 一方、祭壇画はしばしば板のパネルの上に描かれる。これがやがて動かせる板絵となり、それがキャンバス地(画布)の油絵となって、ヨーロッパ絵画の主流となる。

 ルネサンス期、マエストロ達はそうした過程に、それぞれたちあうことになるわけです。なお、ジョットが描いたと伝えられる板絵は1枚しか確認されていないそうです。

 有名なダ・ヴィンチの“岩窟の聖母”(ナショナル・ギャラリーで観ました)や“モナ・リザ”も板絵です(モナリザはポプラ材)。

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 さて、ジョットたちの時代にいったん戻って、壁画のような巨大絵画は、とうてい一人の人間の手に負えるものではない(例外は、言うまでもなく、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画と祭壇画です)。

 そうなると、多数の弟子を指揮し、巨大プロジェクトとして仕切る巨匠(マエストロ)が出現します。狩野派が手掛ける信長、秀吉、家康たちの城を飾る障壁画(絵)も、その類かと思って下さい。

 同時に、このマエストロが率いる工房は、有能な若手の修行の場であり(例えば、ミケランジェロドメニコ・ギルランダイオの工房出身)、また巨匠からすれば、ぬきんでた弟子を探す場であります。

 そしてパトローンにとっては、自らの言うことを聞く才能ある若造を見つけて、いち早く庇護の対象として囲い込むチャンスも提供する(ギルランダイオはミケランジェロをロレンツィオ・メディチに紹介します)。

 このあたりを目の当たりにしたければ、コミック『チェーザレ-破壊の創造者』あるいは、日本版として同じくコミック『へうげもの』をご覧になればよいかと思います。

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 それでまたジョットです。生年は1267年頃とされ、1337年1月8日に70歳で没したと伝えられる中世後期(ルネサンスが本格的には始まっていない頃)のイタリア人画家、建築家です。#1でも強調したように、作家性がまだまだ重視されなかった頃、どこで何時生まれたのか、それどころかどこで絵をならったのかも定かならぬ昔です(Wikipediaによる)。

 それはローマ教皇を例にとると、1267年がクレメンス4世で、1337年はアヴィニヨン捕囚のさなか、ベネディクストス12世です。かの詩聖ダンテ・アリギエーリが1265~1321年ですから、ほとんど重なっていますね。ダンテが政治闘争に敗北して、欠席裁判でフィレンツェから追放されたのが1301年、神曲を執筆し始めたのが1307年、神曲が展開する時が1313年、そして筆を納めるのが1321年です(その直後にマラリアで死亡)。

 それにしても、フィレンツェ出身のこの2大芸術家が出会うことは果たしてあったのか? ジョットの人生の細部がほとんど伝説的なものの過ぎないため、なかなか確かめようもないようです。

 ジョットは、偉大な芸術家につきものの“伝説”の主でもあります。そうした意味でも、まさに“芸術家”の作家性を象徴している方でしょうね。

 Wikipediaでは、伝説では師と伝えられるチマブーエにからんで、「チマブーエが工房を留守にしている間に、ジョットがハエをチマブーエの作品に描いたところ、戻ってきたチマブーエが本物のハエと勘違いして何度も絵筆で追い払おうとしたというエピソードは有名である」。

 また、手書きで真円を描けたという伝説と共に「教皇がジョットに使いを出し、技量を確認するために何か描いてみるよう要求したことがある。ジョットは赤い絵の具でコンパスを使ったかのような正確な円を描き、それを持って帰って教皇に見せるよう使いに頼んだ」。

 ちなみにチマブーエの絵の画像がこちらですが、ゴシックとルネサンス期のまさに中間型。それに対して、ジョットの『カナの婚礼』がこちらですが、三次元的な表現とほのかながら使用される遠近法によって、ルネサンス期の芸術の先駆としての誉れが高いものです。

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 そして、ジョットたちが絵画技術での革新と同様に確立した“工房”システム。

 「工房(こうぼう) とは、画家・美術家・工芸家・建築家などの芸術家が仕事を行うための専用の作業場のこと。また、その工房を拠点とする芸術家集団をさしてアトリエと呼ぶこともある。フランス語でアトリエ(atelier)、英語ではスタジオ(studio)と呼ばれる。

 15世紀以降、多数の注文を受けて社会的に成功した画家や彫刻家は、弟子たちとともに作業をする大きな工房を構えた。大人数が大きな作品の制作のために働くには、作業スペース、材料・道具置場、制作中や制作後の作品置場などが必要であり、作品をよく見て作るために光のさしこむ大きな窓も必要であった」(Wikipedia)。

 このシステムの長(おさ)として、芸術家たちはたんなるアーティストではなく、ディレクター(監督)、プロデューサー(制作者)、そして経営者としての才能を発揮していくのです。そして先ほども触れたように、この工房はしばしば養成所も兼ねたのでした。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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