2012年9月

言語政策についてPart3:スワヒリ語講座+東アフリカ史+人類学への招待#3~あいさつについて~

2012 9/26 総合政策学部の皆さんへ

 #2ではスワヒリ語の紹介でつい柄にもなく、小難しい文法などに手をだしてしまいましたが、今日は“一服”ということで、スワヒリ語のあいさつについて紹介しましょう。というよりも、スワヒリの世界では“あいさつ”こそ重要なコミュニケーションの手段、延々と何分にもわたって、定型的なあいさつを交わしあう、そのあたりで「私はあなたのことをこんな風に思っているのですよ」とさりげなく伝えあう文化といえるでしょう。例えば、AとBが朝ばったり出会ったとして、

  A(がBに): Fujambo?
  B:       Sijambo, na wewe?
  A:       Sijambo. Habari za Asubuhi?
  B:       Nzuri, na wewe?
  A:       Nzuri sana. Umelala Salama?
  B:       Nimelala Salama・・・・・・・・
と、こんな風に延々と会話がかわされます。これが長く続くほど、二人の関係は円満、今後も楽しいつきあいが続く(はず)。何しろ、みんな時間だけは余裕があるのだから、、近代人のようにあくせくとして、いきなり用事を切り出すなど、野暮の極みと言わねばなりません(ディドロの『ブーガンヴィル航海記補遺』あるいは『パパラギ』等を思い出して下さいね)。

 さて、挨拶文を順に説明すると、Fujamboとは、“Fu+jambo”に分解されます。冒頭の“Fu”が否定の疑問文をあらわす二人称の接頭辞で、英語にすればDon’t you have any matter? 日本語にすれば、“つつが(恙)なきや?”でしょうね。

 ついで、Sijamboは“Si+jambo”に分解できます。冒頭の“Si”は否定文を表わす一人称の接頭辞で、この場合は“所有”の否定をあらわします。つまり、I don’t have any matter. “つつがなし”となるはずです。また、“na wewe?”の“na”は、この場合、英語の“and”で、“wewe”は2人称単数の人称代名詞です。したがって、英語の“And, you?”=「そっちはどう?」そのままです。

 ことほどさように、スワヒリ語ではあいさつが重要です。もちろん、挨拶に含まれる基礎的情報の多くは実はどうでもよいことばかりです(お早うござます=朝早いことなど、いまさら言わなくてもわかり切っている)。しかし、あいさつを交わす間に伝えられる間接的情報、こそが重要です。

 クレオールとして単純化されたスワヒリ語には残念ながら欠け落ちてしまった用法ですが、本来のバンツー語には近未来(その日のうちに起こること)と遠未来(明日以降に起こること)を表わす二つの未来形があります(さらに複雑な時制の言葉もあると聞いていますが)。これが微妙な人間関係を彩る場合もある。

 例えば、スワヒリ語には“Tutaonana tena”(Tuは我々を表わす接頭辞、taは未来を表わす時制辞、onaは“see(会う)”を表わす動詞の語幹、そして最後のnaは“each other”を意味します。つまり、See you, again!)という別れの言葉があります。しかし、“leo(今日)”とか、“kesho(明日)”とか付け加えないといつ会うのか、わからない。

 しかし、遠未来と近未来がある(私がつきあっていた)トングウェ語などでは、その日のうちにまた会う機会があるとわかっていれば近未来を、今日はもう会えないとわかっていれば遠未来を使うことで、「私とあなたの関係は、今日や明日の互いの予定もちゃんと頭に入っているように、親しいのですね」と確かめ合う大事なやりとりにもなるのです。

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 さて、冒頭のやりとりでもでてきた“Habari”ですが、これは大和言葉でいえば、“たより”とも、“調子”、“塩梅”とも訳せるでしょう。英語であれば“ニュース”とも訳せます。

 例えば、相手が日本から来たばかりだと感じれば、ちょっと大気な気分で、
 “Habari ya Japan?”(最近、日本の調子は?)
 あるいは、旅を続けている最中とみれば、
 “Habari ya safari?”(道中、ご無事でしたか?)
 一方、ごくそっけなくふるまおうというおのであれば、
 “Habari gani?”(How are you?のような感じですね。調子どう? ぐらいの感じです)。

 これらの答えはすべて“Nzuri!”、「結構、結構」「何も問題はないよ!」ということになります。

 たとえ、瀕死の病人がベットで見舞いの客に“Habari ya leo?”(今日のお加減はどうですか?)と問われても、とりあえずNzuri!(大丈夫! 大丈夫!)といわなければいけないが、よほど加減が悪そうだと、そのあとにkidogo(=小さいという形容詞)を付けて、

 “Nzuri kidogo!”(あまり調子がよくないのだけれど)

と言わねばならないのだ、と先輩に習った覚えがあります。

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 挨拶に交わされるもう一つの表現に“je?”があります。これは、“How・・・・・?”という疑問文です。たとえば、早朝に出会えば、“Umelalaje?”と尋ねてもよいのですが、これは“U+me+lala+je?”に分解されます。

 “U”は2人称単数の接頭辞で、英語では“you”。“me”は現在完了を示す時制辞。“lala”は、スワヒリ語では“lie(横たわる)”という意味と、“sleep(寝る)”「」と2つの意味があって、日本語の「ねる」と同じですが、この場合は「寝る」ですね。そして“How”がつくと、要するに「ぐっすり眠れましたか?」「御寝のお具合は?」の意味になります。

 朝以外だと、例えば“Umeshindaje、leo?”と言うと、“shinda”は“pass(過ごす)”、“leo”は“today(今日)”なので、「今日はどのようにお過ごしですか?」のような具合になるのではないかと思います。

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 いずれにしても(そして、別にスワヒリ語圏でなくても)、挨拶は重要です(チンパンジーでも挨拶するのですが、これはまた別の機会にしましょう)。何よりも、「私とあなたの関係は****でしたよね」と相手にさりげなく確認する“心”こそが大切でしょう。

 そういえば、スワヒリ文化の母体の一つ、イスラームの世界(もちろん、スワヒリ社会でも)で通用する挨拶が“サラマレコン”(と日本人の耳に聞こえてまう)です。これは、正式には“アッサラムアレイコム(平和あれ)”とのことで、「おはよう」も「こんにちは」も「こんばんは」も兼ねるそうです。また、返答はマレイコム サラームです(ちなみに、Salaam=平和・平穏はスワヒリ語と共通、ヘブライ語のシャーロームと同根。セム語の語根slmに由来だそうです)。こんな一言でも覚えておくと便利かもしれません。

先輩から就職活動間近の3年生、そして卒業間近の4年生の皆さんへ:総政ラウンジ第2弾「社畜「総政Identity+シゴト」」#3:“イカダ下り”から“山登り”へ

2012 9/20 これから就職活動を始める3年生、そして卒業後に社会に出る4年生の皆さんへ

 卒業後の“仕事”について先輩(卒業生)からアドバイスシリーズです。

 #1では「総政で学んだプレゼンが入社先でなかなか評価されない」という問題に、「プレゼンもコミュニケーション。その場のTPOにあわせ、とくに相手の反応を観ながら、“相手が聞きたがっている内容”を察しつつも、そこからすこしずつ視点をずらして、“問題点を相手に悟らせる”スキルも重要」という話を紹介しました。また、#2では「“運”も“縁”も大事だけれど、運や縁を自らに呼び込むのは、自分の努力次第でもあるかもしれない」と展開しました。

 それでは、#3(最終話)は何かというと、「自分に本当にあった仕事さがしとは、初めはイカダ(筏)下りで、それから山登りになる」というお話です。

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 さてその“心”とは、おおよそこうです。まず、皆さんは就活を乗り越え、就職する。しかし、それがはじめから天職かどうかは、誰にもわからない。すでに紹介したように、就活中に聞かされた話と職場はおよそ違うかもしれない。

 リクルーターの先輩はとても話しやすくて、頼れるように思うけれど、入社したらどこに配属されるか、どんな上司と巡り合うか、そもそも仕事の内容も予想とまったく違っているかもしれない。そんなみんながとりあえず乗ったものが“急流下りのイカダ”なのです。

 あたりは水流渦巻く激流で、うっかり落ちれば死ぬしかない。となりのイカダが“よさ気”でも、飛び移るにはリスクがある。そもそも、あたりの様子も目に入らない激流で、やみくもに飛んでもケガをするだけかもしれない。それならば、とりあえず乗ってしまったイカダの上で、しばし急流を下っていくしか選択肢はない。これが、卒業後、新しい職場に巻き込まれた時の皆さんだと思ってください、というわけです。

 そしていつしか、流れが次第にゆるやかになり、イカダの上での振る舞いにもなれてくると、まわりの景色も次第に目に入ってくる。そして、今の乗っているイカダが天職か、あるいはもっと別の道があるか? 次第に、先が見えてくる・・・・・はずなのです。

 という話に先輩の皆さんは「なるほど」と、みんな納得したあたりで懇親会になりました。

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 それにしても仕事探し、あるいは転職

日本人では一介の針売りから前関白太政大臣太閤にまでなりあがった豊臣秀吉が有名ですが、明治期に“今太閤”と謳われて、長州は周防国熊毛郡の百姓の子に生まれながら、中間足軽から勤皇志士(同時にテロリストとして、一度は暗殺にも手を染め、歴代総理大臣中、戦時以外に殺人を犯した唯一人)、そして御一新後、参与、兵庫県知事、工部卿宮内卿をへて、ついに初代総理大臣となる伊藤博文もあげられます。

 また、幕府御用絵師の子供に生まれながら、仙台藩足軽に養子になり、藩命で留学したはずの先のカリフォルニアでだまされ、いったんは奴隷の身に落ちてしまう。そこからさらに這い上がり、大学予備門講師兼学生、文部省・農商務省官僚、特許局長官、退職して銀鉱山開発をめざす山師、日本銀行総裁、貴族院議員、そして大蔵大臣を経て、いったんは総理大臣に就任、その後、実に6度目の大蔵大臣在職中に(81歳)、2・26事件で暗殺された高橋是清もすさまじい転職人生です(奴隷から総理大臣まで務めた高橋是清が暗殺直前に自分の人生を振り返った『高橋是清自伝』は、彼に対抗すべきアナキスト(そして、軍部に虐殺されたことも同じ)大杉栄の『大杉栄自叙伝』とともに、傑作です)。

 しかし、ここまで激しいと、すべて“イカダ下り”の連続とも言えなくはないかもしれません。

先輩から就職活動間近の3年生、そして卒業間近の4年生の皆さんへ:総政ラウンジ第2弾「社畜「総政Identitiy+シゴト」」#2:“運”も“縁”も大事だけれど、それは自分の努力次第でもあるかもしれない

2012 9/15 これから就職活動を始める3年生、そして卒業後に社会に出る4年生の皆さんへ 卒業後の“仕事”について先輩(卒業生)からアドバイスシリーズです。先週土曜に開催の学部同窓会主催「総政ラウンジ第2回「社畜「総政Identity+シゴト」」#1に続いて、#2の報告です。さて、前回は、総政で習ったプレゼンが必ずしも評価されない、という話を枕に、プレゼンテーションとコミュニケーションの話になりましたが、次の話題は、転職等にかかわってきます。 そして、就職や転職は(今振り返ると)けっこう“運”や“縁”で決まることがある。でも、その“運”や“縁”は、日頃の付き合いを大事にして、絶えずそれを増やしていくことで、けっこう、“運”や“縁”を自分に引き寄せることもできそうだね、という話です。

まず、#1で紹介したように、「入社してみたら、社風にどうも合わないところがある」と感じる先輩も結構います。9月8日の総政ラウンジでもそうした発言が珍しくありませんでした。とくに大企業は部門も多く、どこに配属されるかどうかもわからない(それが日本型雇用=新卒一括採用終身雇用、社内での人事異動・配置転換などのセットの世界です)。就職活動の際に聞いていた説明と、現実の仕事が大きく異なることもよくあります。そこは「何年間かは修業時代と考えて・・・」とも言えるかもしれませんが、どうもあわないな、と思い始めることもある。

それで、転職してみたら、と思って転職してみると・・・・という話も、今回出てきて、(名前はとても出せませんが)世間の評判がとってもよい会社で、社長にも好印象をもって転職してみたら、なんと世評とまったく違って、社長はまったくワンマン、上層部はその社長に“ごま”をする取り巻きばかり。優秀な先輩がいることはいますが、たいていは周縁部という感じで、さらに転職を余儀なくされたという話も、実際にでてきました。

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こうして、世間でも言うように、3年目ともなれば、そろそろ転職を考えるということもめずらしくはない、という話です。実は、渡部先生と私で卒業生の皆さんにお願いしたアンケート調査がそろそろまとまりそうですが、ちょっとご紹介しましょう。

まず、「卒業後に、最初に就いた仕事を続けていらっしゃいますか?」という質問には、154名の回答者中、続けていますという人が48.7%、転職したという人が32.5%、退職した方が10.4%(ご結婚等も入っています。また、ご結婚後、配偶者の方が転勤したのでやむなく退職した方や、ご両親のご病気等、様々です)、退職して進学・留学したという方は5.8%などです。これを「結構、みんな仕事をつづけているのかな」と思うか、「意外と転職、退職が多いな」と思うか、皆さん、どちらですか? 同じ数値が目に入っても、解釈によって評価が違う、ご存じ社会調査法の世界です。

それでは、転職の理由を尋ねると、「仕事のやりがい」がトップで、「給与などの就労条件」「成長・教育の機会」、そして「社風・職場の経営方針」等と続きます。そして、転職に時間がかかったかという質問には、これは意外に82例中69例が「時間はかからなかった」と回答されました。

さらに、8割以上の方は「転職して良かった」とお答えです。「その仕事があなたの人生にとってどのぐらい重要ですか?」との設問を比較すると、やはり重要性があがっている。そして、その仕事が専門的かどうか尋ねると、「あまり専門的でない業種」から「より専門的な業種」へと変わられていく様子が伺えます。やはり総政の卒業者は、勤めていても、より専門的=スペシャリスト的立場に行こうとする人が(上記の「退職して、進学・留学する」という道もそれに入るでしょう)、結構多いのではないかなと思います。

なお、一回目の転職は卒業後平均3.6年目、二回目は平均5.7年目でした。このあたりも、世間の評判に結構近いところがあるようです。「石の上にも3年」というのも、よくできた言葉かもしれません。

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さて、総政ラウンジに話を戻せば、先輩の話の焦点は,次にそうした就職や転職は(今振り返ると)けっこう“運”や“縁”で決まることがあるということです。例えば、職をやめた時、かつての上司にばったり出会って、その上司が「いま、起業したばかりだから、手伝ってくれないか」と言われたりする。

その一方で、その“運”や“縁”はたんなる偶然ではない、とも言えそうです。それはやはり日ごろから他人との縁を大事にして、色々な絆を結んでいる人には、その絆に乗って“運”や“縁”が訪れることが多い、ということかもしれません。例えば、あなたに100人の友達がいるとする。その100人がそれぞれ100人の友達をもっているとする。そして、さらにその先に100人の知己がいるとすると、「友達の友達の友達」のレベルでごく単純に計算して100×100×100=百万人の結びつきができていることになる。

こうして日頃の付き合いを大事にして、絶えずそれを増やしていくことで、けっこう、“運”や“縁”を自分に引き寄せることもできそうだね。というあたりになりました。というより、何名かの方はそうやって転職先が見つかった。運も縁も大事だ、ということでみんな納得されていました。

今朝の朝日新聞の土曜日朝刊beのb9面の「はたらく気持ち」というコラム(田中和彦氏)にも、自分の目標にむかって“出世魚”のように近づいていく人が紹介されており、各種の知識の獲得をめざして転職を繰り返しているが、心がけるのは「周囲に自分の夢を宣言すること。すると、不思議と誰かがタイミング良く手を差し伸べてくれる。転職もすべて知人による紹介で・・・」と書いてあります。なんだか、総政ラウンジで皆さんの先輩が話していた内容と通じるところがありますね。

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というところで、今回は就活にも転職にも、運と縁が大事だが、それは自分で絆を広げていくことで、自らに運と縁を呼び寄せることでもある、というところでまとめましょう。

最後に、あらためてOBG車座企画の情宣ですが、リサーチフェア第2日目(11月10日[土]午後1時~4時頃)を予定。なお、昨年度の紹介がこのブログの「総合政策学部同窓会OBG車座企画シリーズ#1:教職を目指す方々には、是非、分科会1「教育」へ(11月26日午後開催)」から「総合政策学部同窓会OBG車座企画シリーズ#9:分科会「夢と共に働く」「公務員とは」ほかのご紹介(11月26日午後開催)」まで9回にわけて掲載しているので、ご関心がある方はそちらもご閲覧下さい。また、総合政策学部同窓会FacebookHP等も閲覧いただければと思います。

先輩から就職活動間近の3年生、そして卒業間近の4年生の皆さんへ:総政ラウンジ第2弾「社畜「総政Identitiy+シゴト」」#1+リサーチ・フェア2012OBG車座企画(11月10日開催)情宣

2012 9/10 これから就職活動を始める3年生、そして卒業後に社会に出る4年生の皆さん

 卒業後の“仕事”について先輩(卒業生)からアドバイスシリーズです。先週土曜に開催の学部同窓会主催「総政ラウンジ第2回「社畜「総政Identity+シゴト」」から報告です。

 本企画は先輩の酒井さんが、「新人(新入社員・若手社員)のみなさん! もしかして、今の職場で浮いてませんか? 「ウチの会社ここが変!」そんな気持ちありませんか? 旧人(社会人5年目以上)のみなさん! 部下の考えてることわかりますか? 学生時代と変わったと言われませんか? という主旨で、総政卒の現役キャリアカウンセラーを含むさまざまな年代の人で座談会を行い、(1)今持っている疑問や悩みを消化する (2)あるいは、新しい視点を手に入れる。そんな機会を提供することが目的」としています

 就活を控えた方、すでに就職が決まった方、それぞれ役にたつのではないでしょうか。

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 それでは、内容です。14名と少人数で、アット・ホームな感じに盛り上がりました。14名中経営者2名、キャリアカウンセラー2名、雇われている立場8名、在学生1名で、そこに場違いにも(就活も企業に就職した事もない)私がいました。

 さて、前半の話の焦点は、二つです。まず、(1)総政で習ったプレゼンテーションが受け入れられないこと(そして社内で浮いてしまうこと)のではないか? そして(2)仕事探しには運、あるいは縁(えん、えにし)が大事なことです。本日は、(1)についてご報告です。

 さて、総政出身者は“浮いてします”。これは実は、“総合政策学部”が1990年に慶応の湘南藤沢キャンパスに誕生して、最初の卒業生が出たあたりからささやかれていたことなのですね。

 そして、当日ご出席の卒業生の皆さんからも、はっきり言えば「ないわけではない」のだそうです。例えば主催者の酒井さんの発議自体が彼自身の経験で、会社でプレゼンがうまくいかない。それどころか「(ほかの方の)原稿ガッツリの棒読みプレゼンが評価される? 箇条書き程度の原稿で自分の言葉でプレゼンをすると「プレゼンが下手だ」と言われ、棒読みの人が好評価。ECから始めたプレゼン。今までの自分のスタイルはなんやったんや?」となってしまう。

 これをひきとった出席者の一人も「社風がある。うちの会社(大手家電勤務))は堅い。自分では人を引きつけたくて、ノンバーバルコミュニケーションを使うが、会社ではあまり受けない。“堅い会社”に悩んでしまう。自分でも浮いていると思う」というご発言でした。

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 しかし、考えてみればプレゼンはコミュニケーションです。そして、プレゼンを聞く人(会社では上司)は大抵年配で、かつ(ここがヒューマン・コミュニケーションのキモなのですが)「聞きたいこと=耳障りのよいこと=自分の理解できること」を聞きたがっている。

 そんな人に対してそれほど“浮か”ないように、でもほかの人とは少し視点をずらして、なんだかわからないけれど好奇心を引きつけるように、プレゼンする。「プレゼンはコミュニケーションの一つだから、相手が必ずいるわけで、相手の心をまず読み取って行うこと」が肝要ということです。だからというわけではありませんが、1年次に必ず“コミュニケーション総論”を取りましょう!

 さて、このやりとりを聞いていたキャリアカウンセラーの先輩は「プレゼンテーションは1対1の時も、1対多の時もある。1対1では「相手に話をさせるように心がける」。そして「1対多で話す時は、「まず、おもしろくさせる(ツカミ)」、そして「相手の反応をみる」ということです。「相手に話させる」、「反応を見る」、何事も相手をまず理解するのが肝心です。

 60台の方で、自分の経験だけに凝り固まっている方には、やはりそれにあわせて(そして、その方の期待から少しずらして)興味を引き付けるようにする。そんなプレゼンが大事ではないか。大学では、プレゼンを聞くのは自分のゼミの先生だったり、仲間だけだったりします(リサフェで、ゼミ以外の先生や学生の質問と“切り結ぶ”経験をつけましょう)。それが世間に出てしまうと、いろんな方に出会うわけです。

 自分よりはるかに年上、ちょっと年上、同世代、あるいは若い連中。そこで、まず、相手を理解する! そんななか、“浮いてしまう自分”に気づいたら、まず、相手を理解しましょう!

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 ということで、今回はまず、「総政で学んだプレゼンも、その場のTPOにあわせ、とくに相手の反応を観ながら、“相手が聞きたがっている内容”を察しつつ、そこから少しずらして、“問題点を相手に悟らせる”スキル、それがプレゼンテーションなのだ」で一段落したいと思います。

 こうした先輩がKSCにわざわざ来てくれて、皆さんに語りかけてくれるリサーチ・フェアOBG車座企画が11月10日(土)に予定されています。是非、予定を入れておいて下さい。なお、総合政策学部同窓会FacebookのURLはこちらです。また、総合政策学部同窓会のHPのURLはこちらです

 なお、リサフェでの車座OBG企画(11月10日[土]午後1時~4時頃を予定)の現在までに出ている企画案ですが、①教育(教員、教育関係企業)、②製薬会社(MR等も含めて)、③メーカー、④マスコミ、⑤商社、⑥SE(システム・エンジニアリング)、⑦社会人1年生(各種)、⑧経営(会社、NPO)、⑨約10年目の社会人、⑩公務員、⑪進学(大学院等)などです。企画ごとにブース(演習教室等)に分かれて、少人数で在校生の皆さんとじっくり話をする予定です。

 進行にあわせて、皆さんにまたお知らせしていきたいと思います。さらに別の卒業生企画も準備中です。ぜひ、当日足をお運び下さい。それでは、to be continued・・・・・・

ファッションの人類学Part7:“針”、“縫う”、“近代化”、そして“裁縫女”

2012 9/4 総合政策学部の皆さん

 “ファッションの人類学”、ほぼ1年以上のご無沙汰です。今日の話題はファッションにつき物なのに忘られがちなアイテム=“”にしましょう。というのも「アートについて:芸術家たちPart7:大衆むけ見世物の世界~人間ポンプについて#2~荒技編」で、“人間ポンプ”安田里見さんの荒業を紹介するうち、“畳針”が登場。これをネットで調べると、東亜ミシン針工業のとことん“針”を愛するサイトに接したからです(http://www2.ocn.ne.jp/~tooa//)。

  この縁で、“縫い針”とファッションについても論じましょう。そもそも針がなければ、裁縫もありえない! と言っても、皆さん、“針”等、ピンときますか? 日本史を勉強された方は、あるいは覚えているかもしれません。太閤豊臣秀吉が若き頃、「15歳の時亡父の遺産の一部をもらい家を出て、針売りなどしながら放浪した」(『関白素生記』)。貴重で、高価で、かつ軽くて持ち運びに便利なこの商品を生業(なりわい)に選ぶところが、太閤までに出世する秀吉の経営感覚を彷彿とさせるかもしれません。

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 さて、Wikipediaの「針」によれば、裁縫用の針は「古代の針は木や骨などで作られていた。 裁縫用の針は今から3~4万年前に東シベリアで発明されたとされる」とあります。それで英語版Wikipediaの“Sewing needle”を閲覧すると、

Even earlier Stone Age finds, such as the excavations on the island of Öland at Alby, Sweden, reveal objects such as bone needle cases dating to 6000 BC. Ivory needles were also found dated to 30,000 years ago at the Kostenki site in Russia. The oldest needle in the world was made of bone, dated to Aurignacian and discovered in Potok Cave (Slovene: Potočka zijalka) in the Eastern Karavanke, Slovenia”.とあります。Wikipediaの画像がこちらですが、フランスのマグダレニアン期(紀元前15,000~7,000年)出土のようです。

 それでは、日本で最初の針はどこから出土しているか? 縄文早期(約1万年前)の栃原岩陰遺跡から釣り針等とともに、骨製の縫い針がでてきたのがもっとも古いそうです。縄文人はすでに裁縫技術を身につけてから日本に渡来してきたのでしょう(この遺跡の出土品は北相木村考古博物館で展示)。

 それでは針についての文献は? 私の乏しい知識では、三輪神社に伝わる“大物主”についての古事記の話「スエツミミ命の娘のイクタマヨリビメの前に突然立派な男が現われて、二人は結婚した。しかしイクタマヨリビメはそれからすぐに身篭ってしまった。不審に思った父母が問いつめた所、イクタマヨリビメは、名前も知らない立派な男が夜毎にやって来ることを告白した。父母はその男の正体を知りたいと思い、糸巻きに巻いた麻糸を針に通し、針をその男の衣の裾に通すように教えた。翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており、糸をたどると三輪山の社まで続いていた。糸巻きには糸が3回りだけ残っていたので、「三輪」と呼ぶようになった(Wikipedia)」ぐらいかもしれません。

 (土偶埴輪に明らかなように)服が存在していたということは、おそらくは裁縫が前提であり、それゆえ針もあるはずですが、針はまったくの黒子=脇役としてなかなか文化の表面に現れません。

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 さて、針は骨角器から金属器に変わっていくわけですが(上記の秀吉の説話も、当然、鉄製の縫い針が前提ですよね)、広島針工業会のサイトには以下の記述があります。

 広島の手縫針は、約300年前、藩主の浅野氏が、長崎から木屋治左衛門という針職人をつれてきたことにはじまります。木屋治左衛門は、己斐村(現在の西区己斐)に住み、弟子をとって製針業を創設するとともに、浅野家の下級武士に、内職として針の製法を教えました。

 その方法は分業で、先頭は何町で、穴あけは何町でと、専門分野を分けて生産していたようです。生産高はかなり大きく、”みすや針”の名で包装され、船によって、京阪、江戸の針問屋に送られ、日本全国で販売されていましたが、以後200年間は、手工業的に製造されていた状態でしたhttp://www.nvccom.co.jp/hari/kind/index.html)。

 何しろ、江戸時代の製鉄ではかの『もののけ姫』の世界ですから、たたら吹きによって、木炭13トン、砂鉄13トンからケラ2.8トンを生産。そのうち1トン弱を日本刀等に使う玉鋼、残りの2トン弱の一部を生活用品(鋤鍬、釘、包丁、そして針等)にしたということで、超貴重品だったわけです。なお、“みすや針”という名称は“京都松原みすや忠兵衛”等の名称で今日にも伝わっています(http://www.misuyabari.co.jp/)

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  そんな和針の世界が、ご多聞に及ばず、近代化の中で近代工業化していく。上記広島県針工業協同組合のHPでは以下のような記述があります。

  明治29年、中田和一郎氏が京都からドイツ機械の一部を購入し、機械化への第一歩を踏み出しました。しかし当時は、動力の問題、故障の多発などで、なかなか順調には稼動しなかったようです。その内、他の業者も機械化に関心をよせはじめ、国内での機械調達が困難だと知ると、機械製造業者と相談して、苦心の末、自ら機械の製作に成功していったのです。これが明治末期ごろのこと。

  必要に応じて、より精巧な機械を開発していく、広島の針業者のパイオニア精神と優秀な技術力は、このころからの伝統となりました。

 大正3年、第一次世界大戦が起こると、中国では、ドイツやイギリスから針が輸入されなくなり、隣の我が国へ買いつけにくるようになりました。何しろ世界で一番需要の多い中国からの申し出です。地理的に恵まれていた広島は、それまで国内向けの針のみ生産していたのですが、輸出針の生産にのりだし、工場の数も急速に増え、殺到する注文に応えていったのです。当時は中国のみならず、東南アジア、アメリカまで輸出されました。しかしこの好況も、大正9年の世界大恐慌で、鎮静化します。 

 そうした被服関係の近代化の一コマが、「ファッションの人類学Part3:軍服、あるいは機能の追求」でもご紹介の軍服の世界なのですね。

 さて、「針」関係の団体を探すと、広島県針工業協同組合の他に、「日本縫製機械工業会」というサイトもあります。日本縫製機械工業会のメンバーにはアイシン精機株式会社、蛇の目ミシン工業株式会社、ブラザー工業株式会社等、そうそうたる会社が並んでいます。在学生の皆さんも、就職活動の対象にいかがですか?

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 裁縫の工業化=近代化は、しかし、在来の生業(なりわい)に生きていた人たちを圧迫していきます。

 フランスの女性歴史人類学者イヴォンス・ヴェルディエの傑作『女のフィジオロジー』では、フランスで19世紀以降の近代化で消滅していく伝統的な女性の3つの仕事、洗濯女、料理女、そして裁縫女をとりあげています。

 この裁縫女は様々な理由で、ふつうの村暮らしの女性の一生からはずれ、裁縫の技をたよりに、ある時は仕立物を頼まれ、ある時は15歳になった娘たちを一冬預かり、縫い物を教えて生計をたてていく女たちです(洗濯女、料理女も同様に、それぞれの“技”で生活していきます)。

 こうした立派な“技”を持って(一般の家庭、社会から)“独立”してやってい女たちは、しかし、その一方で、「日雇いで、他人の家で仕事をする」=いろんな仕事をつぎからつぎへと移ろい、定まらないと見なされ、ある意味でまわりの社会から孤立した立場においやられていく。

 その彼女らの仕事が“機械化”され、労働者として置き換わっていく過程こそが、近代化の一側面でした。なお、『女のフィジオロジー』は卒業研究のネタ本としては、テーマの宝庫です。関心がある方は、まずはご一読を!

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 そんな裁縫女たちは、市民社会のマイノリティとして“放縦”の焼き印を押しつけられ、またジェンダー論的な立場から言えば「いつの時代も、町の職人は身持ちが悪いという評判でした。この点では、裁縫女と肌着屋がトップでした。いや、それでも帽子屋にはまけていました」と決めつけられる。 

 それにしても、都会の帽子屋! そこに(帽子屋からファッションリーダーまでに出世する)ココ・ガブリエル・シャネルにそそがれた両義的な視線の理由を、探ることもあるいはできるかもしれません。

 こうしたフランス文化における裁縫女、あるいは“お針子”たち。今日、我々はその“お針子”文化の一端を、オペラ“ラ・ボエーム”に観ることができるでしょう。

  また、現代につたわる“お針子”の末裔に「祖母がお針子で洋裁の基本を幼時から遊び乍ら身に付け、デザイナーになるための教育は受けなかったという」ジャン=ポール・ゴルチエがあげられます。

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    一方、衣料産業の近代化に貢献したミシンについて、Wikipediaの記述には「1810年、ドイツの靴職人クレムスが針先端付近に針穴がついたミシン針を発明。近代ミシンの原理の基礎となる。この後、フランスのバーシレミー・シモニアが1830年に特許をとったミシンが、軍服を縫う目的で1840年に80台生産されたが、失業を恐れた他の仕立て屋によって破壊されたという有名なエピソードが伝わっている」とあります。

  また、発明家ウォルター・ハントはミシンを1833年に発明しますが、「特許取得に失敗した。これは、お針子が大勢失業するのではないかと心配して、特許申請が遅れたためである。後に独自にミシンを発明したエリアス・ハウとの間で、裁判となった」とあります。

  こうして、フランス・イギリスを筆頭に、近代繊維・衣料産業の発達は、女性の仕事を変えていくのです。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...