2013年1月

高畑ゼミの100冊Part24:「それどころか真実に憎しみさえ抱いていたのさ!」スタインベック『キャナリー・ロウ』を中心に#1

2013 1/21 総合政策学部の皆さんへ

 皆さんは“真実”を愛していますか? ということで、本日のテーマは“研究”にとっては必須のはずの“真実”、そして人々はそれを愛しているか?

 この話題について、カリフォルニアモントレー湾に望むキャナリー・ロウのパシフィック・バイオロジカル・ラボラトリーズの経営者にして、ノーベル文学賞受賞者スタインベックの無二の親友、そしてキャナリー・ロウ(缶詰横町)の賢人“ドク”こと、エド・リケッツの話から始めましょう。なお、引用元はジョン・スタインベック著(吉村則子・西田美緒子訳)『コルテスの海』工作舎)です。

 ある時(それは1929年の大恐慌から1939年に始まる第2次大戦までの間かと思いますが)、キャナリー・ロウ一帯を不測の災難が襲います。エドの不幸な事故死後(1948年)、彼との共著『コルテスの海』に付け加えた長い序文で、スタインベックはこう切り出します。

 「ある晩、海岸地域全域で電流の調子がおかしくなり、普段は220ボルトのところを突然2000ボルトもの電流が流れたのだ。後に訴訟で電力会社に責任はないとの判決が下されたので神のなせる業としか言いようがない。その晩キャナリー・ロウの大部分があっという間に炎に包まれた」

 この「裁判で電力会社に責任がない・・・」とのくだりに、3・11以後の東電を重ね合わせるのも一つの考えかもしれませんが、それはさておき、当然、訴訟が起こります。

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 研究所が炎に包まれ、着の身着のまま車であわてて逃げ出したため、(ウムラウトも特殊記号もそろった)特注のタイプライターしか持ち出せず、スタインベックの筆では「ズボンはなくしたが、足とペンだけは確保できたというわけだ」というエドも、もちろん原告に参加します。実は、話はここからです。

 「エドは博学だったにもかかわらず、いや、おそらく博学だったからこそ、天真爛漫な面も持ち合わせていた
 
 エドは裁判所に赴き、原告として、事実をそのまま完璧に証言します。もちろん、科学者として真実を愛し、信じる者としてです。そして、エドは
 
裁判と陪審に心を奪われて裁判所で長い時間を過ごすようになり、海洋動物の新種に対するのと同じ多大な客観的関心を法体系にも注いだ
 
 しかし、やがて、その結果を穏やかに、かつ、ちょっと驚いたという風情でスタインベックに語ります。
 
単純な問題でいともたやすく大間違いをおかすものなんだね。人間関係や財産にまつわるあらゆる問題で真実を見つけ出すためにこそ、法体系があるんだと思い込んでいたよ。いや、そんな印象を受けていただけかもしれないなあ。ある事実を忘れていた、というより考えてみたこともなかったんだ。原告側も被告側もどっちも勝ちたいんだという当たり前のことをね。そのために本来の目的はどっかに行っちゃって、都合のいい部分だけをことさらに強調するから問題の客観的事実は影も形もなくなる。火事の一件を考えてみればよくわかるよ」「どっち側も勝ちたい一心で真実にはまったく興味がない、それどころか、真実に憎しみさえだいていたのさ

 私自身も含めて、皆さんはどう思います? 皆さんは真実を、たとえそれが自分にとっておぞましい、見たくもないものでも、愛せますか? 百歩譲って、たとえ真実を憎んだしても、それを受け入れることができますか?

 こうしてエドは自分の領分、研究室に立ち戻ります。スタインベックはこう書き添えます。

それは彼にとっては驚くべき大発見であり、考察の余地があった。真実を愛する彼は、他の人もみな真実を愛すると信じていたのだ。だがそうでないとわかっても嘆きはしなかった。ただ興味をそそられただけだっ

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 真実さえ憎む、あるいは、ひょっとして真実だからこそいっそう憎む。私にも、あなたにも、覚えのあることかもしれません。

 こうした人たちは、どうやら何時までたってもいなくならないようです。例えば、ヒトラーはその死の際にも、ナチス・ドイツが敗北したという事実は認めたとしても(なにしろ、そこらへんに爆弾は破裂し、砲弾はうなる状況下、彼の肉体を守るのはただただ総督官邸の地下壕のコンクリートの天井だけ。ただ、その天井もヒトラーの考えまでも守るわけにはいかない)、己の思想が否定されるべきものであるということは、決して認めはしなかったでしょう。

 世の権力者たちは、ある意味、何かを信じ込んでいるからこそ、政治的なパワーを得るわけですが、その埋め合わせとしてか、それが真実かどうか、問い直されることを拒否します。それは、おそらく、ラクに大量破壊兵器があるものと信じ込んでいた某国元大統領も、そして彼に倒されるフセインも、どちらも同じ事なのかもしれません。

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 さて、エドは1948年4月、ポンコツの愛車でサザン・パシフィック鉄道のデルモンテ急行と踏切で衝突、重体の状態で、駆けつけた医師に尋ねます。

  「ひどいのかい?」とエドは尋ねる。
  「なんだか、なにも感じないような気がするよ」
   医者はエドの事を知っていたし、人柄も飲み込んでいたので、「まさにショック症だな」と言った。
  「そうか!」と答えたきり、エドの目は生気を失っていった。

 こうして、死の瞬間まで真実を愛したエドは、その数日後息をひきとります。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...