2013年6月

アートについて:聖堂/教会堂が建てられる時

2013 6/18 総合政策学部の皆さんへ

 イギリスのベストセラー作家ケン・フォレットの作品の一つに『大聖堂』があります。なかなか大部の、作者はおそらく力をこめての作品ですが、輻輳するテーマの一つは「大聖堂がいかに建てられたか?」というもので、建築系を目指す方々には興味深いものかもしれません。

  なお、『大聖堂』の時代的背景は、Wikipediaの記述を借りれば「ホワイトシップの遭難から始まる無政府時代からカンタベリー大司教の暗殺という半世紀」(正確には西暦1120年から1170年)で、建築史的には「ロマネスク建築からゴシック建築へ移り変わる技術的な歴史も背景としている」とのことです。

  まったくの話、『旧約聖書』にでてくる“バベルの塔”の逸話にも関わらず、というよりもその逸話故に刺激されてか、地上から天上にまでとどこうする人々の思いが、構造力学や物質工学的な発展もベースに、塔や大聖堂を次々にものにしていく、そんな時代背景です。

 ちなみに日本語の“塔”は、もともとは仏教の言葉 स्तूप (stūpa、サンスクリット語のストゥーパから来たそうですが、これはインドでは「土を盛り上げた塚」のことで、それが中国から日本に伝わるうちに、いつの間にか丈の高い建造物へと変身してしまったようです。その片方で、「ストゥーパ」はいわゆる“卒塔婆”にもなるのですから、言葉の変化にも驚かされます(Wikipedia)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 それにしても、西洋のいわゆる大聖堂は非常に長い年月をかけて立てられます。フォレットの『大聖堂』は男性主人公の一代で作るのでまだ良い方ですが、ともかく時間がかかったことで有名な例は、ドイツのケルン大聖堂でしょう。例によってWikipediaでは以下のように記述されています。ちょっと長い引用になってしまいますが。

現存の大聖堂は3代目で、初代が完成したのは4世紀のことであった。正方形の建物で、最も古い聖堂として知られていた。
 2代目は818年に完成し、12世紀後半に東方三博士の聖遺物がおかれたことで多くの巡礼者を集め、ケルンの発展に貢献した。1248年の4月30日に火災により焼失した。3代目は2代目が焼失した年である1248年に建設がはじまった。しかし、16世紀に入って宗教改革を発端とする財政難から一度工事が途絶し、正面のファサードの塔がひとつしかない状態が続いた。建設が再開されるのは19世紀に入ってからだった。
 ナポレオン戦争の影響によりドイツでナショナリズムが高揚する中、中世ドイツに自民族の伝統を探し求める動きが強まった。建築ではゴシック・リヴァイヴァルの潮流が強まり、建設途中であったケルン大聖堂に注目が集まったため、1842年に建設が再開され、もうひとつの塔の完成が急がれた。全てが完成したのは建設開始から600年以上が経過した1880年のことであり、高さが157mの大聖堂はアメリカのワシントン記念塔(高さ169m)が完成する1884年まで建築物としては世界一の高さを誇った

 1248年から1880年まで、実に652年! これで見れば、スペインはバルセロナで、ガウディが建て始めた“サグラダ・ファミリア”こと“聖家族贖罪教会”(カタルーニャ語ではTemple Expiatori de la Sagrada Famíliaとのこと)等、まだかわいいものともいえましょう。

 このサグラダ・ファミリアの着工は1882年3月19日ということで、まだ“たったの130年余”、かつては300年はかかるといわれていた工期も、どうやらあと13年後ぐらいには完成するとのことですから。

 と、ある日ふと気付いたのですが、こうした教会を建てるということは、ひょっとしたら完成したことよりも、人々が神に感謝の意をこめて黙々と立てているその行為こそが誉むべき行為であり、完成していないからと言って、決して落としめられるべきことではないのではないか、ということです。

 つまり、自らの人生を犠牲にしても教会を建てようという行為と、完成した教会で神を寿ごうという行為と、神はどちらを愛されるだろうか? もちろん、どちらも良き事ではあるにせよ・・・・・などと思ったことでした。とすれば、完成しない教会こそが(というよりも、永遠に建てられ続ける教会こそが)人々の良き意思と信仰を表しているのかもしれません。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 さて、こうした聖堂、あるいは教会堂ですが、カトリックではしばしば聖遺物が保管されていました。この聖遺物とはキリストや聖母マリア、あるいは様々な聖人にまつわる遺品、そして遺骸(あるいは其の一部)等です。そう聞くと、聖人のお墓等のようなものでもある、と言えるかもしれません。

 例えば、ベネツィアのサン・マルコ寺院(Basilica di San Marco)の由来は、「828年にヴェネツィア商人がアッバース朝のアレキサンドリアから聖マルコの聖遺物(遺骸)を盗んできたことを記念して建てられたが、恒久的なものではなく、832年にこの建物は現在の場所に建てられた新しい教会に取って代わられた」ということです。

 このあたりのいきさつは塩野七生の『海の都の物語』に詳しいので、ベネツィアという1000年以上にもわたって反映した商業主義に徹した都市国家の歴史に興味を持つ方は(もちろん、商売についてのヒントが満載です)、是非、この本をお読み下さい(なお、この本では「盗んだ」のではなく、イスラームの迫害から守るため「買い取った(ただし、イスラームに見つからぬよう、隠して国外に搬出)」となっていたかと思います。

 教会堂がお墓を兼ねる例は、プロテスタントの一部であるはずの英国国教会などでも同様で、例えば、ウェストミンスター寺院では「内部の壁と床には歴代の王や女王、政治家などが多数埋葬されている」。ただし「墓地としては既に満杯状態で、新たに埋葬するスペースはもはやなくなっている(Wikipedia)」。 

 それではどんな方が葬られているかと言えば、Wikipediaから適当に抜き出すと 、
アイザック・ニュートン (物理学)
チャールズ・ダーウィン(進化論)
デイヴィッド・リヴィングストン(アフリカ探検家、宣教師)
ウィリアム・グラッドストン(政治家、首相)
小ピット (政治家、首相)
大ピット (政治家、首相)
アルフレッド・テニスン(詩人)
ウィリアム・コングリーヴ (劇作家)
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(作曲家)
サミュエル・ジョンソン (文学者)
ジェフリー・チョーサー(詩人)
チャールズ・ディケンズ(小説家)
ラドヤード・キップリング (児童文学者、詩人)
ローレンス・オリヴィエ(俳優、映画監督)

 と言った具合で、要するにイギリス(そして国教会関係)の名だたる方々というわけです(しかし、そうすると、実際には無神論者であったというダーウィンの場合はどうなるのかな?)。もっとも、中にはトーマス・パー( 152歳まで生きたとされる男性;スコッチの“オールド・パー”で有名)などのように愉快な方もいます。

 さて、上記の聖マルコ寺院は建築的には、「ビザンティン建築を代表する記念建築物であるとされるが、その当時、コンスタンティノポリスで500年以上も前に流行した形式を採用している(Wikipedia)」ですが、ウェストミンスター寺院はゴシック式で知られています。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ということで、ずいぶん長くなってしまったので、今回はこのぐらいにしましょう。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...