2013年9月

生き物を紹介しましょうPart9:害虫と雑草について#2

2013 9/24 総合政策学部の皆さんへ

 ちょっと前に学生さんと話をしていたら“エキチュウ”という言葉が通じなくて、ちょっと憮然となってしまいましたが、皆さんは大丈夫でしょうね? エキチュウ=益虫、おお、害虫の反対語か!とわかっていただければ、それでかまわないとも言えますが、それでは害虫とは何なのか? 少しまじめに考えてみましょう。

 ちなみに今、Yahooで“害虫”と入力して検索すると、なんと約18,300,000件にのぼりました。1800万件の記事に“害虫”という言葉が入力されている、というのも驚くべきことかもしれません(そこで、今度は“益虫”と入力すると、約869,000件です。“害虫”のヒット数の4.7%に過ぎません-現代社会が、いかに、「自分が好きなこと」よりも「自分が嫌いなこと」に注力しているか、それがあまりにあからさまになってしまいます)。

 それではこれの英語訳はというと、ジーニアス和英辞典では、“vermin”、“insect pest”、“halmful insect”と出てきます。後の2者はいかにも作った言葉のような感じですね。それではこの“vermin”は何か?

と今度は英和辞典を引くと、1(穀物・家畜などに害を与える)害獣<キツネ・イタチ・モグラなど>、害鳥;害虫<シラミ・ノミなど>;寄生虫、2社会の害虫、有害な人;人間のくずということで、どうもろくでもない者をヒトであろうと、ほ乳類であろうと、鳥・昆虫であろうと一くくりにしているようです。

英語のなんとおおざっぱな、と言うべきか、害獣、害鳥、害虫と繊細(?)に自らの嫌いな対象を分ける日本人に対して・・・・、とまたなにやら民族差別的な言動に走りそうですから、これはこれで文化による差ですよ、というあたりにしておきましょう。

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 さて、“害虫”とはあくまでもヒトの側の事情で決まる概念ですから、そこには様々な存在が入り交じっています。例えば、今の学生さんは、羽音がすれば「キャー」と叫び、何か動くものがあれば、逃げようとする。まったく、非論理的なまでに「嫌」なのですね、虫というものに対して。

 こうした嫌われる虫たちは、ネズミやカラスも含めて、“不快生物”と呼ばれるカテゴリーに含まれます。実際の姿を確かめる前から、とりあえず「不快」なのです。それでは、なぜ、「不快」に感じるのか? ひょっとしたら、「危険な生物」に特有のシグナルがあって、それを感じた段階でとりあえず避けようとする「予防原則」的な感覚が、遺伝子にプログラムされているか、あるいは育成時に刷り込まれているかもしれません。

 もっとも、人間にとって、虫は様々です。例えば、以下のようなパターンにおおざっぱに分けられるかもしれません。

(1)実際に、ヒトに害を及ぼすことで暮らしている連中:直接血を吸うカ、ツェツェバエ、(吸血性の)アブ、(吸血性の)サシガメ等々。しかも、常習的な連中はたいてい病原体と共生関係にある(マラリア眠り病シャーガス病、....)

 (2)次が、別に寄生するわけではないが、ハリなり毒を持っているので、近づくと害を受けかねない虫(ごぞんじ、スズメバチやチャドクガ

(3)ヒトにとってあまり近づきたい者に近い虫:こちらはハエ、ゴキブリ等のように不潔なものに関係しやすい虫ですね。つまり、こいつらは腐敗した物等から病原体等をまき散らしかねない。

 こうした実際に害がもたらす、あるいは近づけば危険な生物、これは文字通りの害虫とも言えます。

 一方、最近ではとりあえず、“不快の念”をもたらす=これも害虫だ、ということになります。つまり、ヒトからすれば「お前らの面なんか、見たくないんだよ」、さらには「目の前にでてくると、それだけでうざいから、消えてくれよな」ということになる。これが不快害虫、あるいは不快動物、さらには不快生物ということになりますね。

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 しかし、上記の(1)~(3)のような具体的に避けるべき=嫌うべき=あるいは積極的に殺すべき虫に対して(これを避けることの合理的な理由はありそう)、そんなものはないのに、「目の前から消えて欲しい」と思う。

 これは二つ可能性がある。一つは、(1)~(3)を拡大解釈して、「見知らぬ虫」は嫌った方がよい。とりあえず、安全策だとする。これは一種の「ゼロ・リスク論」にもつながるかもしれません。多少の合理性はあるかもしれない。

 もう一つは、とりあえず「知らない者」「見知らぬ者」は排除する。自らの価値観の最低層に分類する。こちらはたんなる価値観であり、ひょっとしたら「差別」などにもつながりかねない。と、考えると価値観、哲学等の問題になってきそうです。

 と、ここまで来たあたりで、今回はとりあえず、幕をひくことにいたします。

マンガ(コミック)で世界を知ろうPart5:ヴィンランド・サガ-殺戮のはてに

2013 9/3  総合政策学部の皆さんへ 「マンガで世界を知ろうPart5」は、第13巻が発売されたばかりの『ヴィンランド・サガ』に戻ります。とは言え、以前に言及したのは2011 8/23、(コミックの内容も、我々自身も)かれこれ2年が経ってしまい、ずいぶんと登場人物も変わってしまいました。

 なんといっても、主人公トルフィンの永遠の敵(かたき)であったはずのアシェラッドが、第8巻途中で、心の祖国ウェールズを守るため、デーン人の王スヴェン1世に「イヤな顔(つら)だな」「こんな顔の上に王冠が載っているなんてのは やっぱり許せんな」と思いのたけを浴びせかけてから一太刀で首をはね、自らの名を「ルキウス・アウストリス・カストゥス」と名乗って、王子のクヌートに刺されるまでのしばしの間、イングランド王位を称して、死にます。そ

 の死の直前、「一緒に逃げよう!」(=そして、回復したら「自分の手で殺す」、これだけが人生の目的だ)というトルフィンに、「いいかげんに先に進めよ」「本当の戦士になれ」と言い残して、事切れます。

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 まったくの話、ヴィンランド・サガでは人死にが多過ぎ! かつ、重要な登場人物であっても、次々にあっけなく死んでいく! 「王冠には、王を超える力がある」とうそぶくスヴェン王も、アシェッラドの一撃にあっけなく首をはねられる。

 トルフィンの忠臣ラグナルも、アシェラッドの姦計にかかってイングランドはマーシア伯領の雪の中にむなしくなる(クヌート君の成長にはその方が良かった、というよりも絶対に必要だったのですが)。そもそも、トルフィンの父トールズがアシェラッドによってだまし討ちのように死んでいく。そのアシェラッドの手下(“てか”)というよりも、たった独りの友達だったビョルンもトルフィンの身柄を争う仲間内の激闘で、思わぬ深手を負って、アシェラッドにとどめをさされる。

 このコミックの登場人物たちは、自ら幸福になろうとするよりも、むしろ不幸の淵に進んで飛びこもうとする有様なのです。

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 それにしても、アシェラッドでも、あるいは無敵の戦士“のっぽのトルケル”でも、みんないい漢(おとこ)たちなのに、現実の世の中は何も変わらない。

 それはクヌートも同様で、「女みたいだ」と言われ、女々しく、ろくに口もきけない彼が権力にめざめ、王冠の力にあこがれ、スヴェン王の亡霊と対話して、そして部下だったトールギルの「御しるし頂戴!」の豪剣をかすかにかわすまでに成長し、身を翻して逃げていくトールギルの姿に「再び 部下に欲しいな」とつぶやく。

 虚しいですね! 個人的な努力では、この世は変わらない。つまり、人柄が良くても、善きことを行なおうとしても、世の中はむしろダークになっていく。それゆえにこそ、マキャッヴェッリは祖国イタリアを救うべく、政治的スキルを学問のレベルまで高める近代政治学を確立するのです。

 マキャッヴェリが、『君主論』と対比させて、いわば“共和制論”として執筆したとも言われる大著『ディスコルシ』57章で「人間は、悪党になりきることも善良になりきることも、まずできないものである」と言いきるのも、このあたりの思いがつまっているのかもしれません。

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 それでは、このコミックの主題は何か? たぶんそれはクヌートの大儀、この世に“神が約束した土地”よりも確かな世界を確立するため、現実政治のスキルを尽くして、己の権力を振るえる国家を作ること。

 それはもちろん民族国家でもない(クヌートはデーン人という血の基盤に拠っているとは言え、もはやそれを超越しかけている)く、かといって[アシェラッドが時折感じさせる]ローマ帝国という国際帝国でもなく、“権力”というものでどこまで大きな国家の輪郭を形作ることができるか、という実験こそがそれかもしれません(これこそ、マキャヴェリの『君主論』の理想?)。これゆえに、たった数十年しか続かなかった北海帝国が、世界史にあれほどくっきり刻み込まれているのかもしれません。

 そして、もう一つは、そうした政治的スキルとは縁遠い、「誰が本当の戦士なのか?」という永遠のテーマに沿って、これからトルフィンが目指す(我々の歴史的知識は、結局は虚しい結果に終わったとは言え)理想郷=ヴィンランド(こちらは『ディスコルシ』の理想?)、この二つについて、あなたはどちらを求めますか? という問いなのかもしれません。

 最後に、第11巻の一場面から、白昼夢に登場する父親スヴェン王の生首(=もちろん、自らの心の声)と会話するクヌートの台詞から、

スヴェン王
  かつて私はあなたを憎み 死を願った
    だが 今はどうだ
      私が腹を割って 話せるのは あなただけだ
  仲良う しましょうぞ
    呪われた者同士

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...