第一次世界大戦勃発から100年#2:植民地を争う戦争は、動員数も不足して、その結果、被抑圧民(=先住民)をも目覚めさせることとなります

2014 2/12 総合政策学部の皆さんへ

 第1次大戦で“国際帝国”を崩壊させ、多数の“国民国家”を誕生させることになった、“連合軍”の勝利者たちは、植民地をさらに拡大して、第2次大戦までの戦間期、世界の多くを支配します(日本もその例に漏れません)。その多くは単一民族(アングロサクソン、フランス等)の幻想のもとに統一化された民族国家が、異民族を植民地として、収奪的に支配するパターンです。つまり、真っ向からの“異民族支配”です。

 これがいわゆる帝国主義ですが、これもうまくいかない。第2次大戦後、こうした帝国主義は自ら崩壊していきます。考えてみれば、植民地体制等、永遠に持続するのも無理な話です。例えば、1913年にイギリスの人口は4563万人(ただし、これはアイルランドを含むのかな? 統計上、含むのでしょうね)、世界人口の2.47%ですが、この人口で全世界の4分の1を支配しようとするのだから、優秀な人手もたりない。かなり大変な状況であることはおわかりになるでしょうか?

 もう一つ、授業でもたまに指摘していますが、植民地経営は金もヒトもかかる。したがって、もし、被支配者が目覚めれば、とうてい押さえつけていくわけにはいかなくなる。民族自決で団結すれば、敵うわけがありません。

 こうして、第1次大戦から戦間期の混乱をへて(ガンジーが主導したインドの不服従運動や、国民国家としてのトルコの成立等、様々な要素を含みます)、第2次大戦、植民地の独立運動(アルジェリア独立からアフリカの独立、最後の植民帝国ポルトガルの崩壊等々)で、現在までに至るのが20世紀の激動でした。

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 ところで、話を少し脱線して、皆さん、人口あたり、どのぐらいの軍隊を維持できるとおもいますか? 例えば、江戸時代、1万石がざっと人口1万人を支えられるとして、この1万石の藩が幕府に提供する軍事要員は鉄砲20、鑓50但持鑓共、弓10、騎馬14、旗3、これに輜重を司る小荷駄隊や人夫もあわせると、豊臣氏による軍役「1万石に付き250人」に近くなります。つまり、総人口に占める軍事要員の割合は2.5%?

 ちなみにアメリカ合衆国では、徴兵制をとった第二次世界大戦中の1945年度は1,205万人(総人口の8.6%)、朝鮮戦争中の1952年は363万人(同2.3%)、ベトナム戦争中の1968年354万人(同1.8%)、それが冷戦終結後の1998年は147万人(同0.5%)です。
 
   平常時の徴兵率の限界は、現在絶えず戦争の危機に取り囲まれているイスラエルでは人口が717万人、イスラエル国防軍が(2004年度のデータですが)16.8万人(同2.3%)。もっとも、非常時に招集をかけると57.6万人(8.03%)。

 つまり、平時は総人口の2.5%、非常時は8%が軍事動員の一つの目安! こうしてみると、「豊臣体制での人口1万にあたり軍事要員250人」というのはそれなりに合理性がある!!」のかもしれません。権力者になりたい方は是非ご記憶を。ところで、現在の自衛隊の定員は約24万人、日本の人口1億2756万人(2012)の0.188%になります。かなり低い値ですね。

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 さて、第1次大戦直前に話を戻して、イギリスの人口4563万人、これで軍事要員を2.5%とすると114万人になりますが、実は、第1次大戦突入直前のイギリス軍は徴兵制をとっていませんでした。そのため、大戦突入時の戦力は必要を満たすにはほど遠く、(誰も予想だにしなかった)総力戦に耐えられるものではありませんでした。

 この現状に気づいた“具眼の士”も当然いるわけで、大戦前半をかずかずの直感で切り抜ける陸軍大臣ホレーショ・キッチナーは急遽、大量の志願兵を募ります。そのためのキャッチコピーが傑作“Britons wants you”であり、キッチナーほど先の見えない大衆は熱狂のあまり次々に志願します(これほど慧眼であったキッチナーにしても、徴兵制を嫌い、大戦中に不慮の戦死を遂げるまで、志願兵でなんとかなるのでは、と甘く考えていました)。

 こうして志願して(=ヨーロッパに死にわたった)者たちこそが陸軍大臣自らの名前をいただいた“キッチナー・アーミー”で、「クリスマスまでには終わる」という楽観的な見方から1回目で志願した若者は実に48万人、それでも到底たりず、1917年、ついに徴兵制に踏み切った結果、動員された兵士は計615万人(1413年の人口の13.4%)、推定志望者は72万人(総動員者の12%;8人に1人が戦死)、負傷者が167万人(28%)、20代前半のイギリス国民の16%が死亡するという事態に発展します(津田博司、2012『戦争の記憶とイギリス帝国』)。

 しかも、これでももちろん足りずに、カナダ軍63万人(6万1千人戦死、17万人負傷)、オーストラリア軍33万1千人(戦死6万人)をつぎ込み、さらに英領インド軍(5万4千人戦死)、ニュージーランド軍(1万6千人)、南アフリカ植民地軍(7千人)を注ぎ込みます。この結果、総人口に対する戦死者の比率は実は第2次大戦での比率よりも2.5倍も高いものとなりました。

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 しかも、この軍隊には多くの被支配民族(アジア・アフリカ人)がやがて混じってきます。つまり、被支配地域・民族をめぐる帝国主義者同士の戦いに、肝心の被支配者まで動員しないと勝てない。この現実を冷静に理解し、鉄の意志で東アフリカの戦いを貫徹したのが、ドイツ軍指揮官パウル・フォン・レットウ=フォルベック将軍なのですが、その対極と言えば、もちろん、アラブ独立運動を支援すると称して、対オスマン・トルコ戦にむけてアラブの反乱を指導した“アラビアのロレンス”ことT.E.ロレンス中佐でしょう。

 このロレンス中佐はハーシム家を“アラブの反乱”の主役として引き立てますが、(裏切り者フィルビーの父)セントジョン・フィルビーは逆に現在のサウディ・アラビア王家につながるサウード家を支援します。近代的武器(機関銃、迫撃砲、山砲、地雷、その他)を与えられたアラビア兵は、やがて(ドイツ軍がバックの)トルコ軍を追い詰めていきます。

 また、中国系+インド系オーストラリア移民出身のスナイパー、“ガリポリの暗殺者”ことビリー・シンは、ガリポリの橋頭堡でトルコ兵150人を射殺し、一躍英雄になりながら、戦後、不幸な人生を歩みます。

 こうして動員されたアラビア兵、アフリカ兵、インド兵をはじめとする各地の先住民出身の兵士たちは、やがて世界の潮流に気づき、自らの権利とパワーにめざめることになっていく。これこそが植民地支配の自己矛盾・自己崩壊の過程です(to be continued・・・・・・・)。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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