2014年5月

“銭”を“升”で計る;柾屋異聞Part1

2014 5/26 総合政策学部の皆さんへ

  私は子どもの頃、母方(正確にはさらにその母方)は新潟で廻船問屋をやっていた、と今はアルツハイマーでほとんど植物状態の母から何度もきかされたものでした。

果たしてそれが本当かどうかさえ、今となっては確かめるすべもありませんが、何でも現在も新潟の繁華街である柾谷小路一帯を所有していた柾屋(Wikipediaでは柾屋四郎衛門という名がでてきます)の末裔だというのです。

 その柾屋は明治の前後、所有する船がことごとく嵐で沈んだために没落した、というのが何度も聞かされた話でした。その当時は、手広く商売をしていて、例えば、北海道から熊の皮(その一枚が祖母の子どもの頃までは残っていたよし)や鷹の羽(何に使うか、わかりますか? の後ろにつけて弾道を安定させる矢羽根です。江戸時代ですね)を仕入れ、もちろん、越後からは米、讃岐からは御影石と讃岐豆等を流通させていた、というのです。

 世間を何も知らぬガキの頃に聞いた話ゆえ、真偽さだからならぬとは思いますが、柾屋は浄土真宗でも東本願寺の門徒にあたり、明治年間に御影堂・阿弥陀堂を立て直す時に、扱っていた御影石を献納したとか、建築に使う毛綱を家中の女性が献上したとか聞いていました。

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 そうした話の一つが、「銭を升ではかる」ということです。

 聞かされたのは「毎日の商いで、銭が大量に入るけれど、1枚ずつ数え得るのは手間だから、一升マスでざくっと量れば、たいていは枚数はほぼ同じで、その升の数を数えればよいのだ」というわけです。今思うと、これはほぼ「大数の法則」というか、多少の誤差があったとしても、実用には差し支えない、という話であろう、と子ども心に納得したものでした。

 それであらためて銭を升で本当に量っていたものか、調べてみると、例えば「江戸の古民具」というHPには、「大きな商店には、必ず銭函と銭を量る銭升と呼ばれる物があった。一般の人達が使うのは銭。これを放り込んでおくのが銭箱。店を閉めてからこの箱を開け、銭勘定をするとき升が必要になる。銭は通常一枚が四文として通用した。幕末には一文通用の銭もできたが、大方は四文通用。そこで、店をしまってから今日の商い高を調べることになる(参考:道具で見る江戸時代-高橋幹夫著・芙蓉書房出版)」とでてきます(http://www.page.sannet.ne.jp/rokano28/edo/komingu.htm)。

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 その上でHPには銭升の写真も掲げられていますが、これが銭(寛永通宝)ではなくて、四角い一朱銀二朱金を数えるものなのですね。庶民が使ったとも思えないので、「銭」という言葉とちょっとイメージが狂ってしまいますね。

 と思って、さらに画像を探すと、丸い銭も数えるものもありました。一朱銀などのマス目が長方形なのに対して、こちらは正方形でちょうど丸い銭が収まる形になっているようです。

 しかし、子どもの頃に聞かされていたイメージとちょっと違います。私のイメージでは、銭の山を一升マスでざくざく量る、というイメージで、薄い銭枡でちまちま量る光景とはずいぶんかけ離れています。

 ということで、今回は話がやや中途半端になってしまいましたが、私の祖先であるという話の柾屋について、話を続けていきたいと思います。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...