2014年9月

国家の成り立ち、あるいは“地域”と“国家”の関係:連合王国の場合#2:プリンス・オブ・ウェールズ

2014 9/14 総合政策学部の皆さんへ

 いまや“スコットランド独立”の投票日9/18が刻々とせまっていますが、イギリスが複数の地域から成り立っている(大まかに言えば、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)という話の続きをしましょう。

  それもスコットランドではなく、ウェールズをとりあげ、プリンス・オブ・ウェールズの話から始めることにしたいと思います。この言葉、イギリス皇太子ということですが、直訳すれば「ウェールズの王子」となりそうです。

  もっとも、実は“プリンス”は「王族・皇族の男子や、特定の領域を支配する貴人の称号」で、もともとの語源はラテン語 prīnceps (プリンケプス)とのこと(Wikipedia「プリンス」)。とすれば、「ウエ-ルズ大公」というあたりになるそうです。それでは、このウエールズとはどんな土地でしょう? 

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 ということで、思い出して下さい。「マンガ(コミック)で世界を知ろうPart3:ヴィンランド・サガを通して“国家”、“王権”、“民族”あるいは“Ethnicity”を考える」で紹介したコミック『ヴィンランド・サガ』の初期の主要人物の一人、アシェラッド。

  ウエールズの王家の血をひく女性と、ただひたすら血と財宝をめざすディーン人の間に産まれた傭兵、その一身にウエールズの悲運をにじませているのですが、Wikipediaでは「中世には小部族国家が群立し、やがてグウィネッズ、ポウィス、デヒューバースなどの地方王権が形成された。13世紀中葉にグウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズのほとんどの領域を支配下に収めるなど、幾度か一時的な政治的統一がなされるが、イングランドのような恒常的な統一王権が確立されることはなく、実態としてはリズラン法典に従うマナー家臣団による統治であった」としています。

 ちなみにアシェラッドが生きた時代は、これもヴィンランド・サガの重要人物クヌーズ1世の即位直前なので、もうじき1000年紀を迎えようとする10世紀末です。

 そのウエールズですが、 アシェラッドの死後約3世紀が過ぎた1282年、ルウェリン・アプ・グリフィズが「イングランド王エドワード1世に敗れてからは、ウェールズはイングランドに占領されその支配下に置かれることとなった。ウェールズはイングランドの一地方となり、エドワード1世は長男エドワード(エドワード2世)にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与え、ウェールズの君主としてウェールズを統治させた(これより以後、イングランド王太子は代々プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公)の称号を引き継いでいく)」(Wikipedia)。

 そうなると、プリンス・オブ・ウエールズとは日本史での「征夷大将軍」+「大兄」のあたりなるかもしれませんが、その一方で、この言葉はイングランドに対するウェールズの独自性を象徴もしているとのことです。だから、必ずしも“征服者=圧制者”というわけでもなさそうです。

 ちなみに、ウェ-ルズがイングランドからある程度独立した存在であるという名残は、例えば、ラグビー(ワールドカップならびにシックスネイションズにはウエールズ代表として登場)等にも残っています。また、ウェールズでは「ウエールズ語(ケルト語系;話者70万人)」は英語と並ぶ公用語だそうです(ウェールズの人口の21.7%がウェールズ語の読みまたは書きができ(2001年時点)、16%だけが支障をきたすが会話、読み書きできる:Wikipedia)。

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 そう言えば、子どもの頃に読んだ『トム・ソーヤーの冒険』を思い出します。子ども向けのバージョンなので、地図もついていたのですが、そこに「ウェ-ルズ人の小屋」というものが登場します。子供心にも、“ウェ-ルズ人”とは、どうやら他のアメリカ人と少し違うカテゴリーのような印象を受けたような気がします。

 それで、例によってWikipediaの「ウェールズ人」を閲覧すると、「ウェールズ人(英: Welsh people、ウェールズ語: Cymry)は、ウェールズ国民、またはウェールズを父祖の土地とする民族のこと」とこれだけです! どうやら、日本人はウエールズ人に興味がないらしい。そういう時は英語版を見る、というのが常識ですね。最後のパラグラフを読むと、アイルランド系と同様に、故地ウェールズよりも、むしろ世界に広がっているようです。

 さすがに、英語版にはびっしり言葉が並んでいます。Introduactionだけ、紹介しましょう:Welsh people (Welsh: Cymry) are an ethnic group native to, or otherwise associated with, Wales and the Welsh language. The language was historically spoken throughout Wales, with its direct ancestor Old British once spoken throughout most of the British mainland. While Welsh remains the predominant language in parts of the country, English is the predominant language in most parts of Wales.

 The names “Wales” and “Welsh” are traced to the Proto-Germanic word “Walhaz” meaning “foreigner”, “stranger”, “Roman”, “Romance-speaker”, or “Celtic-speaker” which was used by the ancient Germanic peoples to describe inhabitants of the former Roman Empire, who were largely romanised and spoke Latin or Celtic languages. The same etymological origin is shared by the names of various other Celtic or Latin peoples such as the Walloons and the Vlachs, as well as of the Swiss canton of Valais.

 John Davies argues that the origin of the “Welsh nation” can be traced to the late 4th and early 5th centuries, following the Roman departure from Britain, although Brythonic Celtic languages seem to have been spoken in Wales far longer. The term Welsh people applies to people from Wales and people of Welsh ancestry perceiving themselves or being perceived as sharing a cultural heritage and shared ancestral origins.[12] Today, Wales is a country that is part of the United Kingdom and the island of Great Britain, and the majority of people living in Wales are British citizens.

 An analysis of the geography of Welsh surnames commissioned by the Welsh Government found that 718,000 people, or nearly 35% of the Welsh population, have a family name of Welsh origin, compared with 5.3% in the rest of the United Kingdom, 4.7% in New Zealand, 4.1% in Australia, and 3.8% in the United States, with an estimated 16.3 million people in the countries studied having Welsh ancestry.

 おわかりになりましたか? アイルランドと同様、ウェールズ人も大英帝国の膨張にともない、世界に広がっているのです。

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  それでは、現代イギリス人でだれがウェールズ系かと言えば、例えば、

  • ・デビッド・ロイド・ジョージ( 第一次世界大戦中のイギリス首相)
  • ・トーマス・エドワード・ロレンス(「アラビアのロレンス)
  • ・リチャード・バートン(俳優)

 なんとなく、“癖”のある方々か、とも思えてきます。

 一方、ウェールズ系アメリカ人として

 あたりがあげられるようです。これまた、癖のある方々ですね。とくに岩をも砕くと謳われたアフリカ探検家スタンレー、そして“極悪非道の重罪人”にもかかわらず、一種カルト的人気を誇るジェッシー・ジェイムズ

 と、このあたりで今回の話をいったん打ち止めにします。

名前についての考察Part1:日本の近代化と女性の名前

2014 9/9 総合政策学部の皆さんへ

 皆さんは“名前”についてどうお考えですか? 昨年のリサフェではたしか“きらきらネーム”を扱ったものがあったかもしれませんが、人類学では名前は非常に重要なテーマです。ということで、そもそも、皆さん、以下の名前を耳にしてどう感じますか?

  シカ、エイ、カク、この、ため、ゑい

  これらは江戸末期から明治にかけての女性の名前なのです。ちなみに、“シカ”さんは野口英世のお母さん、“エイ”さんは日本資本主義の父とも言える渋沢栄一のお母さんです。

  “カク”(漢字表記ではどんな文字になるのでしょう?)の例には、明治期に外国医学校(ローラ・メモリアル・カッレジ)で学び、女医としては6番目に登録された須藤カク(保村、2013)があげられるでしょう。

 また、“この”さんは岡倉天心のお母さん、“ ため”さんは九代目団十郎のお母さんです。このように明治期の女性の名前のかなりがカタカナ/ひらがな、つまり表音文字であらわされ、男性のように漢字=表意文字でなかったことに、女性蔑視を見て取る方もいらっしゃるかもしれません。

 ちなみに九代目団十郎の父である七代目団十郎の母は“すみ”、妻は“しな”、 “こう”、“すみ”の3人で、九代目の母“ため”はいわゆるお妾さんです。そして、“ゑい”はトヨタの創業者豊田佐吉のお母さんです(これらの資料はほとんどWikipediaら)。

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 Wikipediaの『人名』では、江戸期の女性の名前の例を大田南畝(蜀山人)の随筆『半日閑話・女藝者吟味落着』から引用していますが、50音順に、(あ行)いと、いね、いよ、うた、(か行)かつ、かよ、きち、きち、きの、こと、(さ行)さと、しほ、せん、そめ、(た行)たか、たみ、たよ、ちよ、ちを、つる、でん、とき、とみ、とよ、(な行)なみ、なを、(は行)はつ、はな、はま、(ま行)まさ、みよ、みわ、みを、もよ、(や行)よし、(ら行)りうとあげているそうです。

 大田蜀山人ですから、これらはどうも、江戸の御家人層あたりの女性名かもしれません。いずれにしても、漢字を使わず、表音文字で書かれています。

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 もちろん、武士や富豪、庄屋等の女性は漢字を使った名前が当たり前ですが、私が興味を持つのは一般庶民の女性の名前です。Wikipediaもなかなか検索できないと思っていたら、数年前、相続関係の相談で従兄弟かられてきた私自身の相続関係図を思い出しました。それを引っ張り出すと、明治時代に福島県会津地方の農民の女性の名前がわかる次第です。ということで、ちょっと紹介しましょう。

 まず、私の父方の祖母はノイという名前で明治13年出生。彼女は10人の子を産み、そのうち8人が成人に達しました(ちなみに、私の父は9番目、三男にあたります)。娘は6人、そして息子の嫁さんまで含めると、順に明治30年ヨシノ(私の伯母、ノイさん満16歳時でのご出産)、明治37年キヨ(伯父の配偶者)、明治38年シブイ(伯母)、明治39年義江(同)、明治40年義井(同)、大正2年キイ子(同)、大正5年義子(同)と続きます。

 このうち、“ノイ”、“シブイ”はどんな漢字になるのか、ちょっとわかりません。それに対して、明治39年から漢字の名前が多くなり、かつ大正の二人は“子”がつきます。

 その資料には、実は、私の伯父の姻族も載っています。それによると、明治4年生まれにサキ、明治26年サイ、明治28年クマ、明治30年代トヨ、明治37年キヨ(これが伯父の妻)となります。そして、その一世代したの女性は大正2年セキ、大正14年智與子、昭和4年ヒサ子となります。上の私の父の家系とほぼ同じような傾向が読み取れるでしょう。

 それにしても、“サキ”は“佐喜/早喜/早希/早紀/沙樹/沙紀/咲樹/紗季/咲”等のどれかかもしれませんが、“サイ”となるとどうなるのでしょう? “佐井/彩”あたりかもしれません。

 このように、私の伯母たちの名前を探るだけで、日本の女性の名前の変遷(近代化)がわかってきます。おもしろいことに、この家系は女性の名前が漢字化するとともに、“義”の文字を使う傾向が出てくるようです。このあたりも、日本の近代化の一つかもしれません。

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 こうした女性の名前が、明治維新、つまり近代化とともに変わっていく、というのが実は本日の主題です。そのあたりをWikipediaを調べてみると、「1872年(明治5年)に壬申戸籍が作られると、再び女性に実名が与えられるようになります」とあります(Wikipedia『子(名)』)。

 その際、大きな変化が訪れます。一つは漢字が用いられることが多くなること、すなわち、音で表していた女性名が、漢字によって意味も出てくることです。サキを咲とするか、早希とするか、紗季とするか、沙喜とするか、当人にとっても、多少とも意味が異なるかもしれません。

 そして、もう一つは、接尾語として「子」を付けるのが一般化することがあげられます。すなわち、「明治半ばからは、庶民の間にも、従来の2音の名に「子」を付けた、3音の子型の名が広まった。当初は、本名に「子」がなくても通称として「子」を付けることもあった(ただしすでに本名に「子」があったら二重には付けない」「1900年、小泉八雲は『影 (Shadowings)』の一節「Japanese Female Names」で、上流階級で敬称として従来の「○○」の代わりに「○○子」が使われるようになったが、自称としては使わないとしている」。

 こうした変化が、上記の私の親族・姻族の女性名からも伺えるでしょう。それにしても、私の祖父あるいは曾祖父は、娘・孫娘たちに“義”という漢字で何を表したかったのでしょうか? ちなみに、長男は“恒義”、次男は“恒夫”、三男(=私の父)は“七呂”、四男は“孝”ですが、このあたりの漢字の使用法についても、ちょっと考えさせられます。

 さて、女性名にまた話を戻して、こうして増えた「子」型の名前ですが、「第二次世界大戦を挟んだ1930年代から1940年代に80%超のピークと」になりますが、その後、皆さんもよくご存じのように「子」は急激に減ります。Wikipediaでは「明治安田生命により毎年調査されている名前ランキングでは、女性名では1913年から1964年まで連続して子型が1位だったが、1965年からは他の名が混ざり、1982年が子型の1位の最後となっている」としています。

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 それにしても、日本人の庶民の女性の名前を調べるのもなかなか難しいものです。そこで、ふと思いついて筑摩書房版世界ノンフィクション全集38巻に出ている『人買い伊平治伝』を思い出しました。これは、いわゆる“からゆき(唐行き)さん”、つまり明治期に日本から中国~東南アジアに娼婦として売り飛ばされた女性たちを、現地でじかに扱った女衒村岡伊平治(1867~1945)の自伝なのですが、明治中期の主に九州地方の不幸な女性たちの名前が出てくるのです)。

 この『自伝』の明治18年12月の香港到着から始まる「南シナ時代」に登場する日本女性の名前を列挙すると、しほ、なか、つえ、トノ、ハツエ、サト、キチ、キノ、ツマ、ツヨ、トメ、ツヤ子、タメノ、カノ、シヲ子、ミチノ、フサエ等があがっています。「子」がつく女性もいますが、村岡が自伝を執筆したのは昭和12年頃なので、明治20年前後では、名前の語尾に「子」をつけるよりも、語頭に「お」を付けた呼び方をしていた可能性が高いでしょう。

 しかし、『人買い伊平治自伝』に触れた以上、村岡自身、あるいは“からゆきさん”について、また別項を立てねばならないようです。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...