2014年10月

ある国の未来を予測する時:西徳二郎の驚くべき炯眼について

2014 10/26 総合政策学部の皆さんへ

 皆さんは西徳二郎という方を知っていますか? まずはどなたも「知らない」と答えるかと思いますが、Wikipediaでも「1847年9月4日(弘化4年7月25日)~ 1912年3月13日)、日本の外交官。外務大臣を勤めた。薩摩藩出身。枢密顧問官、男爵。子に硫黄島の戦いで戦死した西竹一陸軍大佐がいる」と割にあっさりした記述です。

  これを読んで、「おお、あのバロン西の親父さんか!」と感嘆する方がいるとすれば、その方は日本の近現代史に多少は通じているとも言えるでしょう。西は1847年、弘化4年の生まれ、「たった20年後には江戸幕府が倒れる」等とはまだ誰も予想しなかった頃、鹿児島藩士の子として生まれます。

 戊辰戦争ではまさに20歳、従軍後、開成所(東大の前身の一つ)を経て、明治3年ロシアに留学。明治8年にペテルブルグ大学法政科を卒業。ごくごく初期の留学生です。しかも、ロシアの大学卒(留学中、ブハラ、サマルカンド西トルキスタンタシケントウイグル新疆を踏破。これはスタインやヘディンの約20~30年前、現在、ちょっとホットになっている新疆ウィグル自治区のあたりではありませんか)。

 この学歴が彼を外交官としての人生に導きます。ロシア公使や枢密顧問官を経て、第2次松方・第3次伊藤内閣の外務大臣を歴任、対ロシア外交に専念して、男爵を授かる、こんなところがいわゆるキャリアになるのですね。

 その西がキャリアの頂点に達した明治32年10月11日(1898年、日清戦争終結の3年後、北清事変勃発の前年、日露戦争開戦の6年前)、元総理大臣黒田清隆のもとで、同じく薩摩閥の官僚小牧昌成とともに、シベリア鉄道満州鉄道(東清鉄道)完成後の情勢を検討しています(佐々木隆『日本の歴史21』講談社)。つまりは“未来の予想”です。

 西はまず5年程度(=日露戦争をカバーします)の短期展望として、①両鉄道完成でロシア侵略が強化され、英独仏も追随、清国分割が進む、清国人は蜂起するが(=翌年の北清事変を予想)、逆に列強の侵略・権益拡大の口実とされ、清国は土崩瓦解する(=これは外れる)、②清国政府は蜂起を押さえ込み(=これは予想がはずれる)、列強は牽制し合って現状維持が続く(=北清事変後のロシアの進出が日露激突=日露戦争に発展)の2ケースを想定、おおかたは①を説くが、自分は②だと述べています。

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 西は続いて、10~15年(第一次世界大戦前後をカバー)の中長期的展望で、①清国の独立国家としての解体(実際には、1911年の辛亥革命によって清朝は倒れますが、“中国”というナショナリティは“中華民国”の形でかろうじて存続します)、②一定の近代化・軍拡に成功(李鴻章袁世凱たちはこの路線を推進しようとしたわけですが)、「陸軍ハ独逸一カ国位ハ追払ヒ得ル程」になる(=はずれる)。③近代化・軍国化は進まないが、国家崩壊には至らず、現状維持(=内戦状態が断続的に続きながら、かろうじてこの範疇にとどまります)の3ケースを想定します。

 西はさらにロシアからの圧力が高まった場合(翌年の北清事変後、現実化)、他列強は対抗できず、清国で内乱・外患が起きて、ロシアは万里の長城以東を占領する。それが進めば、ロシアによる清国保護国化が進行、その場合、清国内陸部には「支那帝国モシクハ共和国」つまり漢民族の国家が生まれ、沿岸は列強に支配され、満州族は北京か奉天を首都としてロシアの保護下に入る、との予測を立てます。現実に、袁世凱は辛亥革命後に帝国化を夢見るわけで、全体の感想では「あたらずとも、遠からず」と言うべきかもしれません。

 西は結論として、日本のとるべき道は「福建省不割譲宣言」以上のものをもとめてはいけない(三国干渉後、「日本も防衛上最低限の要求として、新規獲得した台湾のすぐ隣にある福建省を他国に租借、割譲することがない旨の約束を取り付けた」)。なぜなら、「百年ノ後ハ、支那ハ復タ勢力ヲ得、外人ヲ一掃シ去ルノ時期至るコトアルヘキモ亦シムル」危険があり、不用意に干渉しても成果は乏しく、「支那人ニ一世不和ノ怨恨ヲ抱カシムル」危険があると指摘したとのことです。佐々木孝は「実に恐るべき炯眼である」と感嘆しています。

 その後の日本の動きは、この西の危惧をまったく踏み破ったようなものになっていったことは、皆さんもご存じの通りでしょう。

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 まったくの話、西の「百年ノ後ハ、支那ハ復タ勢力ヲ得、外人ヲ一掃シ去ルノ時期至るコトアルヘキモ亦シムル」そして「支那人ニ一世不和ノ怨恨ヲ抱カシムル」危険を、今日、誰れも否定することはできないでしょう。思えば、鄧小平とサッチャーの会談の結果、香港の返還が合意されたのが1984年12月、実際に主権が委譲されたのが1997年7月1日、実に西の予見の99年後になります。

 なお、西は6年後の日露戦争について、「我一会戦似テ彼ノ海軍ヲ覆シ得ハ、彼ニ於テハ運輸ノ便ヲ失ヒ、遼東ノ守兵ハ身体困難、満州ノ経営モ中止」と想定とした上で、対露戦に勝利した場合「露ト協商シ、汝ハ満州ヲ従ヘ北部ヲ経略セヨ、我ハ異議ヲ挟マサルヘク、共ニ手ヲ携ヘテ東方問題ヲ決セントノ協議」も可能になるとしたそうです。時代の子として、帝国主義的発想に立ちながらも、近代戦としての補給に着目、日本海海戦の結果をも見通し、かつ、日ロ戦争後の日露協商を予測した西の予測能力は恐るべきものがあると言えるでしょう。

 なお、西自身はこの翌年、自らの予言の一部が的中する北清事変勃発で、北京に籠城することとなります。

パットンの演説について(Patton’s Speech to the Third ArmyあるいはThe Speech):戦争の人類学Part1あるいは“偉大なる動機付け”

2014 10/16 総合政策学部の皆さんへ

 6/6投稿の「本日で、ノルマンディー上陸作戦から70年です」では何人かの軍人に触れました。本日はその一人、あまりの“猛烈ぶり”に謹慎処分をくらい、肝心の“一番長い日”に出場させてもらえなかったパットン将軍を紹介しましょう。

  映画好きなら知っているかもしれません。フランクリン・J・シャフナー監督(脚本はあのコッポラが絡んでいます)『パットン大戦車軍団』、アカデミー賞7部門に輝きながら(作品、監督、主演男優、脚本、編集、美術、録音)、主演男優賞に選出された名優ジョージ・C・スコットが授賞式を「肉のパレード」とののしって、受賞を拒否したことでも知られている、あの傑作です。

  なによりも、このパットンのなかにこそ、アメリカ人、とりわけWASPの強烈な個性が炸裂しています(アメリカ文明、ことにWASPを理解したければ、是非ご一見を)。ちなみに、日本で公開された際の題名は『パットン大戦車軍団』といういかにも大向こうを張ったものですが、英語の原題はただの“Patton”です。これだけでも、パットンが(兵士に向かって獅子吼した演説[The Speech!]とともに)一つのアーキタイプとしてアメリカ人の脳裏にしっかり刻み込まれている、と言っても言い過ぎではないでしょう。

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  ということで、この「戦争にしか能がない」かつ「戦争しか出番もない」(チャーチルも同様ですが)アメリカ陸軍きっての猛将ジョージ・パットンですが、彼の決めぜりふは「大胆不敵であれ!(Be audacious!)」だそうです。

  しかし、このもっともらしげな言葉よりも、彼の演説に頻出する“糞!(同じ糞でも、牛の糞ことBullshit)”こそがもっともふさわしいかもしれません。さて、その“一番長い日”の前日、すなわち1944年6月5日、翌日のD-Dayのことさえまったく知らされていないパットンは、配下の(同じように何も知らされていない待機中の)第3軍に一場の演説をおこないます。これがPatton’s Speech to the Third Army、あるいはたんにPatton’s Speech、さらにはザ・スピーチThe Speech)です。それでは、彼は部下に何を言ったのか? 

 『パットン大戦車軍団』の冒頭、Pattonが話し出します。“Men, all this stuff you hear about America not wanting to fight, wanting to stay out of the war, is a lot of bullshit. Americans love to fight. All real Americans love the sting and clash of battle. When you were kids, you all admired the champion marble shooter, the fastest runner, the big-league ball players and the toughest boxers. Americans love a winner and will not tolerate a loser. Americans play to win all the time. That’s why Americans have never lost and will never lose a war. The very thought of losing is hateful to Americans. Battle is the most significant competitions in which a man can indulge. It brings out all that is best and it removes all that is base”(英語版Wikipediaから)。

 Wikipediaでは以下のように訳しています。「諸君、アメリカについての話題で、戦いを望まないとか、戦争から逃れる事を望んでいるとか、その手のものは全てデタラメだ。アメリカ人は闘争を愛している。全ての真のアメリカ人は、戦いの痛みやぶつかり合いを愛している。諸君が子供だった頃、諸君ら誰もが賞賛したのはビー玉遊びの王者とか、一番足の速い奴、大リーグの選手、最強のボクサーだった。アメリカ人は勝者を愛し、敗者を認めない。アメリカ人は、常に勝つためにプレイする。これこそ、アメリカがこれまでも、そしてこれからも負けを知らぬ理由だ。やたらと負けを考える事はアメリカ人に対する冒涜である。戦いとは、男が熱中できる最も重要な競技と言える。戦いは素晴らしいもの全てを発揮させ、それ以外の全てを消し去るのだ」。

 わかりますか? ただひたすらすごい! とも言える、アメリカ風マッチョの神髄。

 “Americans love to fight!”、アメリカ人はひたすら戦いを愛し、そのためには、痛みさえも甘受する。アメリカ人のほとんどは、今でもこの演説を聞けば、ひたすら喝采するでしょう。そして、これを聞いた兵士たちの何人かは記録します。いや、記録せずにはいられない。こうやって、この演説は(虚空に消えることなく)後世に伝わります。

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  もちろん、戦場での猛将パットンには、現実主義者の側面も持ち合わせています(当然、現実を見据え、冷静さを保たねば、戦にも勝てません)。

 パットンは続けます。“You are not all going to die. Only two percent of you right here today would be killed in a major battle. Every man is scared in his first action. If he says he’s not, he’s a goddamn liar. But the real hero is the man who fights even though he’s scared. Some men will get over their fright in a minute under fire, some take an hour, and for some it takes days. But the real man never lets his fear of death overpower his honor, his sense of duty to his country, and his innate manhood”.

 日本語訳を続ければ、お前ら全員死ぬ訳じゃないぜ、というわけです。

 「今日この場にいる者のわずか2%が、やがて大きな戦いで殺される事になる。誰しも最初の戦いを怖れる。違うと答える奴が居るなら、そいつはとんでもないホラ吹きだ。しかし、真の英雄とは恐れながらでも戦える男のことなのだ。何人かは戦火の元で恐怖を乗り越えるだろう、数分、数時間、あるいは数日を費やして。だが、死の恐怖という奴が、真の男の名誉、祖国への使命感、そして生来の男らしさを乗り越える事は決してできない

 しかし、ある意味真実をついたこの発言での楽観的数値、2%! 完全に“勝つ”ことしか考えていないのですね。

 例えば、硫黄島の戦い、Wikipediaによればアメリカ軍の戦力11万で戦死者6821人(死亡率6.2%)、日本軍22786人のうち戦死者17,845~18,375(78.3~80.6%;8割が死ぬ、これが“玉砕”です)。

 そして、このThe Speechの翌日、1944年6月6日、ブラッディ・オマハと呼ばれたオマハ・ビーチでの米軍参加者34000人、戦死者3000人(8.8%)。パットンも、この点はヨーロッパ大陸で待ち受ける“ロクデナシども(poor bastards)”からの反撃について、軽く見積もりすぎていたのかもしれません。

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 演説の終わり、パットンは絶好調で、アメリカ人にとっては頭にびんびん響く台詞を連発です。たとえ嘘であってももよいから、男どもを奮い立たせるには、俺もいっしょにお前らとともに戦場にたつぜ、という心意気でしょう(この手の名手が、ローマ帝国創建者ユリウス・カエサル、あるいはフランス帝国建設者ナポレオンであったことは、皆さん、ご承知ですよね)。

 The Speechの最後はこう締めくくられます。

 “Then there’s one thing you men will be able to say when this war is over and you get back home. Thirty years from now when you’re sitting by your fireside with your grandson on your knee and he asks, ‘What did you do in the great World War Two?’ You won’t have to cough and say, ‘Well, your granddaddy shoveled shit in Louisiana.’ No sir, you can look him straight in the eye and say ‘Son, your granddaddy rode with the great Third Army and a son-of-a-goddamned-bitch named George Patton! All right, you sons of bitches. You know how I feel. I’ll be proud to lead you wonderful guys in battle any time, anywhere. That’s all“.

 泣ける文章です。「この戦争が終わって諸君が国に戻ったならば、やがて語れる事が1つある。今から30年後、炉辺で膝に孫を抱いて座っている時、孫が「大戦の時に何をしていたの?」と聞いたなら、こう答えたくはあるまい。「ええと、お前の爺さんはルイジアナで糞掘りをしていたんだよ」と。そうではない、諸君は彼の目をまっすぐ見てこう言えるだろう。「孫よ、お前の祖父は偉大なる第3軍にいたのだ。ジョージ・パットンという最低最悪のクソッタレの元に!」と。よし、クソッタレども。私の気持ちはわかっただろう。いつも、どこでも、諸君のような素晴らしい男たちを率いて戦えたことを私は誇りに思っている。以上

 この時、パットンは「トレードマークでもあった儀礼用ヘルメット、正装用の軍服、乗馬ズボン、騎兵用ブーツを身につけ、さらに乗馬鞭を手にして演説に臨んだ」そうですが、Wikipediaによれば「何人かの歴史家は、この演説はパットンが行なったもののうち最も偉大な1つであり、また歴史上最も偉大な動機付けの演説であったと評している」とのことです。

 

 

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...