2014年11月

ファッションの人類学Part 9:子供は子供らしい服を着るべきか?

2014 11/13 総合政策学部の皆さんへ

 この秋に初めて日光・奥日光を訪れましたが(それゆえ、もう「結構!」と嘯くこともできるわけですが)、その際、『日本奥地紀行』の著者イザベラ・バードや、オーストリー=ハンガリー二重帝国帝位継承者フランツ・フェルディナンドも訪れていることに、気づきました。

  『日本奥地紀行』はきちんと読んだはずなのに、バードが“金谷さん”のところで長逗留しているのをすっかり忘れてしまうなんて! ということで、あらためてこの二人を読み直すと、いろいろと気づくことがあります。

  例えば、ハプスブルグ家の継承者にして、「意志強固であって狷介でもあり、繊細であると同時に危うさを秘め、趣味に大きく傾き、募集欲をみなぎらせ、尊大でありながら、時に弱者への視点をもつ」「分裂したフェルディナンド、皮肉な観察者のフェルディナンド」(訳者によるあと書き)は実に様々なことに気づきますが、日本に到着して早々、こんな記述を残しています(安藤努訳『オーストリア皇太子の日本日記』講談社学術文庫)。

 「ヨーロッパ人が最初にびっくりさせられるのは、なんといっても、子供も大人も身形(みなり)がまったく同じだということだろう」、しかし、複雑な性格の持ち主フェルディナンドはすぐに付け加えます。「だが、これにもすぐに目が慣れてしまう。子供の服装が大人と同じであれば、見た目は実際より大きいのは当然だが、むしろ目の快楽を誘われ、つい、わたしたちはかわいらしい小型の大人の姿を楽しんだ

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  人類学者ならば、すぐに想起するはずです。フランスの“日曜歴史家”フィリップ・アリエスの『子供の誕生』、その第3章にアリエスは自分発見した事実=13世紀まではヨーロッパでは、

幼児の聖母をのぞいて、子供期に固有の性質にたいし示される顕著な無関心さは、たんに芸術上の形象にのみ見られるのではない。習俗という現実のなかでも、当時子供期が区別されていなかったことを、服装もまた証言している」「服装のうえで大人から子供を区別するものは何もなかった」。

 しかし、「17世紀になると、貴族であれブルジョワであれ、少なくとも上流階級の子供は、大人と同じ服装はさせられていない。本質的なことは次のことにある。すなわちそれ以後になると、子供の時期に特有の服装が洗われ、それは大人の衣服とは区別されるということである」。これが“子供服”の誕生であり、同時に“子供”という存在にヨーロッパ人が気づくきっかけともなった、と。

 すでにブルジョアジーの時代を迎え、家族と子供が誕生したヨーロッパからやってきた繊細なフェルディナンドの眼はめざとくも、日本の子供たちが「私は子供である」とのメッセージを放つべき“子供服”をまとわず、ただ大人の服がスケールダウンした身形をしていることに気づくわけですが、しかし、彼の“分裂した”主観はすぐに自らが感じた違和感を打ち消し、あるいは、ヨーロッパの宮廷にしばしば“慰みもの”として住まわされていたこびとたちの群れを見るかのように、子供たちを観察するのです。

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 それでは、その子供服、近代化に向かって突進する(たとえ、それがフェルディナンドやピエール・ロチなどには滑稽に見えようと)日本において、いつ子供服が誕生したのか? 論文検索エンジンGoogle Scolarで探してみましょう。

 すると、三友晶子(2009)「裁縫雛形にみる子供服の洋装化の過程」『東京家政大学博物館紀要』14:167 -185に、こんな記述が見つかります。「明治の開国以降、日本人は洋装化という大きな変化を経験するが、特に子供のための服には、着心地のよさや動きやすさが求められることから、機能性に富んだ洋服が積極的に取り入れられた。明治初期において、上流階級の子供が晴れ着や外出着として身につけるに限られていた洋服は、明治30 年頃から庶民の間でも着用されるようになる。そして大正・昭和を通じて、子供の洋服は学校制服等の形で、あるいは家庭洋裁の広がりによって徐々に定着していき、戦後の復興期にはほぼ完全に和服にとって代わった

 こうして日本人は、フェルディナンドの個人的な感想を軽々と飛び越え、子供服を学校の制服や“洋裁”によって受け入れていった、ということになりますね。

 三友さんは上記の問題意識のもと、日常で使われ残りにくい子供服そのものではなく、子供服を作るための裁縫雛形を調べることにします。おもしろい着想ですね。皆さんも是非、卒論作成等のご参考にして下さい。

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 それでは、どのぐらい古い時期からの雛形が残っているのか? 三友さんによると東京家政大学博物館所蔵の「裁縫雛形のうち最も古いのは、明治30 年に製作されたものである。この中に、早くも「子供洋服」が2 点、「女児服」が3 点見られる。一部飾りに緑色のメリンスを使っているほかは、ほぼ全て白い木綿製で、いかにも習作といった趣だが、以後の子供服に多くみられる形が一通り出そろっている」とのことです。

 さらに子供服に男女の差が何時できたのか? その差は何歳の子供からなのか? いくらでもテーマがわきそうですが、どうやら明治30年には、性別不明の子供服と、女子限定の「女児服」があるとのことです。この論文では、この雛形の作者は「平野よう」さん、そして明治34年作成の雛形の作者として「井上はな」さんの名前が挙げられています。

 この“子供服”がめでたくJIS規格(日本工業規格)の対象となるのは、第2次世界大戦も終わった1952 年です。この年の3月に「日本既製服中央委員会は,婦人子供服の標準寸法表を制定する」とのことですが(木下明浩(2009)「日本におけるアパレル産業の成立~ マーケティング史の視点から~―」『立命館経産営業学』48:191-215)、これが戦後の子供服メーカーの勃興につながることになるのです。 to be continued・・・・・・

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...