2014年12月

総合政策学部の名言集Part16:番犬か、それとも番犬様か?

2014 12/30 総合政策学部の皆さんへ

 今年もそろそろ終わりそうですが、名言集として、タイトルは元外務大臣椎名悦三郎(1898~1979)からの引用です。

 今や、日本人の記憶から遠ざかってしまったかもしれませんが、Wikipediaでは「池田勇人内閣で、自民党政務調査会長、通商産業大臣、1964年には外務大臣に就任」「佐藤栄作内閣でも外相に留任」として、戦後の名外相としてうたわれます。

 その答弁ぶりは何よりも国会で、「日本社会党の議員から、日米安保条約で日本に駐留する米軍の存在意義を問われた佐藤内閣の椎名悦三郎外相が、「米軍は日本の番犬であります」と答弁したから、驚いた質問者が、「米国を番犬とは何事か」と詰問すると、椎名外相は平気な顔で、「失礼しました。それでは、番犬サマでございます」と言ってのけた」とのエピソードで知られています(永田町時評』NewsSUN「昔「番犬」今「ご主人」:TPPで米国の「飼い犬」になりそうだ(No.1605)」)。

 この一種痛快なやりとり!

 なお、Webを見ると、この台詞はおおかた『政治家失言集』に入れられているようです。でも、どんなものなのでしょうね?

 たしかに、今なら、あっというまにネットで拡散して「アメリカ国務省から抗議がくる」かもしれません。しかし、日米安保条約での微妙な関係を見事に言いあてた名言とみなすべきでは?

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 とは言いながら、念のため、本来原典にあたるべきかと思って、調べるとなんと議事録がWebで公開されています(第51回国会 外務委員会 第5号昭和41年3月18日)。下に再現しますが、世上に流布されている問答よりも、さらに蘊蓄に富む台詞かもしれません。

 岡(良一;日本社会党):しかし、新聞の伝えるところでは、核実験は)アメリカは公表されたものでも70回、またソ連は探知されたものでも5回以上というふうな数字が出ておる。おそらくそれは最低の数字だと思います。

 こういうわけで、この部分的核停ができても、やはり地下においては新しき核兵器の開発が進められておるという現状なんです。そのような悪循環を一体どうして断ち切るか、これが今日世界の人類に与えられた大きな使命でなければならぬ。特に唯一の被爆国である日本にとっては当然な権利ともいえる、崇高な義務ともいえる。(略)

 こういう日本が長崎やあるいは広島の大きな犠牲を払ったこの核兵器、これを日本の平和の守り神として神の座につけておる。こういう矛盾した政策、方針、態度というものが、一体、政府としての国民に納得の与え得る姿勢であるかどうか、ここが私は問題にしたいところだ。それが正しい方法だと外務大臣は言われるのですか。

椎名(外務大臣):核兵器のおかげで日本が万一にも繁盛しておりますというような、朝晩お灯明をあげて拝むというような気持では私はないと思う。

 ただ外部の圧力があった場合にこれを排撃するという、いわば番犬――と言っちゃ少し言い過ぎかもしれぬけれども、そういうようなものでありまして、日本の生きる道はおのずから崇高なものがあって、そしてみずからは核開発をしない。そして日本の政治の目標としては、人類の良識に訴えて共存共栄の道を歩むという姿勢でございます。

 ただ、たまたま不量見の者があって、危害を加えるという場合にはこれを排撃する、こういうための番犬と言ってもいいかもしれません、番犬様ということのほうが。そういう性質のものであって、何もそれを日本の国民の一つの目標として朝夕拝んで暮らすというような、そんな不量見なことは考えておらないのであります。

岡:しかし大臣の先ほど来言われたことは、核兵器を神の座につけると言ったのに対しあなたはお灯明と言われたが、核兵器に日本の安全を依存せざるを得ないということを認められておる。したがって、依存しておる、こういうことだけは間違いはないのでしょう。

椎名:遺憾ながら現実の世界においては依存せざるを得ない、こういうことであります。

 皆さん、どうお感じですか? このやりとりからほぼ50年を経て、とことんの現実主義者として日米関係(というよりも、発言からすればアメリカがもたらす「核の傘」)を「番犬様」と形容した椎名のセンスについて。

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 この椎名悦三郎は東大法学部卒業後、1923年に農商務省入省、商工省分離後は、あの“昭和の妖怪”こと岸信介(その後、第56-57代首相、安部現首相の祖父)の下で満州国統制科長・産業部鉱工司長を歴任、帰国後、商工省産業合理局長等を経て軍需省陸軍司政長官兼総動員局長として戦時下の統制経済に活躍、商工大臣・軍需次官の岸を支え「金の岸、いぶし銀の椎名」と称されたとのことです(Wikipediaより)。

 いわゆる55年体制が旧満州国以来の統制経済の末裔とすれば、まさに戦後日本の基本設計のご本家とでもいう存在です。満州では椎名の兄貴分だった岸の『岸信介の回想』では、満州産業開発5ヵ年計画に関連して登場します。

 岸は「いずれ自分が行ってやらなければいかんというのが私の考え方だった」が、とりあえず(商工省の部下だった椎名に)「君のところで連れて行きたいヤツは俺が口説いて連れて行かせるから、一つ先にいってくれないか」ということで、彼を口説いて言ってもらったようなわけです。それで、みんないいヤツを送り届けたから、全部帰ってきたでしょう。それが商工省の商工行政の首脳部になっているし、後で私も一緒だった」と説明しています(講談社学術文庫版『岸信介の回想』)。これもまた岸のリーダーシップの発揮というべきでしょう。

 ちなみに岸は椎名について「あれは事務官よりは上になるほど、その特色をあらわした。事務官じゃあ、有能な事務官じゃない(笑)」評しながら、「戦後に椎名君が外務大臣にされたでしょう。私も心配したんだ。外務大臣が務まるかとね。そういう方面をやったことはないし、身だしなみも外務大臣らしくないし外国語も得意じゃないと思っていた。だけれども、戦後の外務大臣として一番の名大臣は椎名だと言うことになっているんだ。つまりね、外務省の役人を実にうまく使ったんだなあ」「えらい人をくっていたね。ちょっとじゃないよ(笑)」と評しています。

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 その岸が満州から帰ってきて、1940年に近衛内閣で商工次官に就任、直属の小林一三商工大臣と衝突した一件について、『岸信介の回想』で「小林さんは面白い人で、私が大臣室に挨拶に行くと、いきなり、「岸君、世間では小林と岸とは似たような性格だから、必ず喧嘩をやると言っている。しかし僕は若い時から喧嘩の名人で、喧嘩をやって負けたことはない。また負けるような喧嘩はやらないんだ。第一、君と僕が喧嘩して勝ってみたところで、あんな小僧と大臣が喧嘩したと言われるだけで、ちっとも分がない。負けることはないけれど、勝ってみたところで得がない結果はやらないよ」。これが次官を呼んでの大臣就任の初対面の挨拶だった(笑)。私もそれは大変結構な話で、そういうことなら仲よくやりましょうと答えたけれど、言讖(しん)をなすというが、後に私が小林さんと喧嘩するようになってしまったことを思うと、実におかしなことですね」と回想しています。

 結局、ソ連にならって計画経済に邁進しようとするこの革新官僚岸信介と、自由経済の信奉者小林一三はあっというまに激突、岸によれば「産業統制に対する案である「経済新体制確立要綱」が企画院でできていて、(小林はその間、蘭印に出張中)それで私は帰ってこられてから小林さんのお留守にこういうことになりました、ですが、これは重大なことだからご報告しますと言ったら、小林さんは、その話は聞かんぞ、わしにはわしの考えがある、ということで私の説明を聞こうとしない。ところが数日後に工業倶楽部で、小林さんは、経済新体制の考え方、あれはアカの思想である、役人の間にアカがいるという話をしたのですね」というやりとりに続きます。

 小林から辞職を迫られた岸は、自分を次官におさめた総理大臣近衛文麿に頼ろうとしますが、「その時、近衛さんというのはやはり政治家だな、政治家とはこういうものかと思ったことがある」と続けます。

 「実はこういうことで小林さんから辞めろといわれた。しかし組閣の時に総理のお言葉もあったし、ご意見を聞かないで勝手に辞めるわけにもいかないと思う。すると、近衛さんは「そうですね、やはり大臣と次官が喧嘩をしてもらっては困りますから、そういう場合には次官に辞めてもらうほかないでしょう」(笑)。それで、「かしこまりました」ということで辞表をだしたのですよ。政治家とはこういうものか、俺はやはり若いのだなとしみじみ感じたことがある」とこの話は結ばれます。

 時に小林一三68歳、岸信介45歳(昭和の妖怪もまだ若かった!)、近衛文麿50歳、それにしてもこの4年後には敗戦を迎え、近衛はA級戦犯裁判を厭って自決、岸は収監後に不起訴、やがて政治家として復活、かつて開戦にまでいたった米国との間に日米安全保障条約を結ぶ。そして、小林は公職追放後、阪急に復帰、というそれぞれの道筋をまだ予想だにできない頃の話です。

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 それでは、最後に『岸信介の回想』から一つ。

 かつて鈴木商店をきりまわした金子直吉について、岸信介の回想談の席に同席していた矢次一夫が「戦時中、あなた(岸)が軍需省時代に椎名君が総動員局長だったでしょう。そのとき金子直吉さんに経済顧問に頼むということでどうかと僕に相談しに来たことがある。それで金子さんに会ったことがあるが、相手(金子)はよく考えていてね、私は自由経済の人間だから、この厳しい統制経済の中では手も足も動かすことはできないから、ご遠慮すると、そういわれたことを思い出した」と回想します。

 かつては日本のGNPの一割を鈴木商店一社でかせいだという金子直吉、上記の小林一三といい、皆さんやはりそれぞれに“人物”だったようです。

「ドイツ人は、この戦争に負けるだろう。なぜなら、彼らは戦争だけしかできないからである」:映画「フューリー」を観て

2014 12/7 総合政策学部の学生の皆さんへ

  本日は12/7、アメリカ時間では真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった日です(日付変更線の西側に位置する日本では12/8)。

 “時間”にすべてを支配される21世紀にふさわしく、詳しい時間経過をたどれば、真珠湾での戦闘開始はアメリカ海軍駆逐艦ワードが国籍不明の潜水艦(まちがいなく、真珠湾に潜行しようとする日本海軍特殊潜航艇「甲標的」5隻のうちの一隻)を撃沈したのが、現地時間で12月7日7時10分(日本時間8日午前2時40分)でした。

 なお、アジアでは日本帝国陸軍第18師団歩兵第56連隊がマレー作戦遂行のためコタバルに上陸、英印軍第8旅団と交戦したのが日本時間の12月8日午前1時30分で、こちらの方が1時間先行しています。

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 ということで、今日は久しぶりに戦争の話になります。実は、昨日、ブラピ主演の戦争映画『フューリー』を観てきました。スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』以来、いわば当たり前になった“戦場の現実”。飛び交う無数の弾丸に曳航弾が混じり、跳弾で火花がとびちり、そこら中に血が飛びちる。

 戦闘になれば、ほんの狭い窓から覗きながら戦車の巨軀(登場するM4AEシャーマン戦車は約30トン、対するドイツ軍のティーガーⅠ型戦車は57トン)を操縦するわけですから、うっかりすると友軍さえもひき殺しかねない(ブラッディ・オマハでは実際に、友軍を挽きつぶす事態が出来します)。

 敵軍、友軍、民間人でも、死体が行く手にころがっていれば、挽きつぶして進んでいく。そんな世界の話です。「世界で唯一動体保存されているあのティーガーⅠが映画に登場!」 (イギリスのボービントン戦車博物館でレストア)との謳い文句に惹かれて観たわけですが、皆さんにも是非観劇して欲しいところです。いや、国際政策志望の方は全員観た方が良いと思います、まったくの話。

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 ところで、この映画を観ながら私の脳裏によぎったのは、実は「総政のための名言集Part9雑編;ロンガネージ、漱石、そして中島みゆき」でご紹介済みのイタリア人ジャーナリスト、ロンガネージの台詞です。「#41:「1941年1月10日 イギリス人はこの戦争に勝つだろう。なぜなら、彼らは、戦争以外のことならばすべてできるからだ。ドイツ人は、この戦争に負けるだろう。なぜなら、彼らは戦争だけしかできないからである」(塩野七生『サイレント・マイノリティ』新潮社より)。

 “フューリー”の舞台は1945年4月、その4年前、第2次大戦が始まって1年半もたたない頃に記したこのロンガネージの日記の一節、大戦の行方を早くも見通した慧眼の一言、現代の総力戦とは何か? これぐらい的確に指摘している言葉もないでしょう。

 もっとも、戦車マニアだったら、1945年4月(翌月上旬にドイツ降伏)の設定ですから、ティーガーⅠからさらに一新され、Ⅴ号戦車パンターと同様に傾斜装甲が採用されたティーガーⅡを観たかったところかもしれません。しかし、複雑な設計故に量産が効かず(戦争以外はできないドイツ人!)、たった489両しか生産されなかったと言いますから、とても無理な話でしょう。

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 それにしてもドイツ人は、戦争だけはできる。「ティーガー1台に対して、シャーマンが5台なければ、対抗するな」と言われていたと聞いたことがありますが、大画面に映る姿はヘビー級ボクサー対ミドル級ボクサーぐらいの差です。

 ティーガ-が誇る88mm Kwk36L/56砲は、本来クルップ社が高射砲として開発した8.8 cm FlaK18/36/37砲で、射程2,000メートルで84mm、1,500メートルで92mm、1,000メートルで100mm、500メートルで111mmを貫通します。これでは、防盾76mm、前面装甲51mmのシャーマンは2000mの距離からでも破壊されてしまう! この88mm砲はドイツ語の音読みで“アハト アハト”の愛称でドイツ軍から絶大な信頼を寄せられます。

 一方で、M4A3E8の主砲である52口径76.2mm戦車砲M1A2では、特殊な高速撤甲弾(HVAP)でも使わない限り、ティーガーの前面装甲100mmを貫くことはおぼつかない。後ろに回り込んで、装甲の薄い側面、あるいは背後のエンジンを狙うか? リングでたたかうボクサーのような機動戦を、しかも4~5台でのチームワークで仕留めなければならない。

 映画の半ば、ブラピ率いる4台のシャーマンが、友軍を援護すべく、切所に急ぐ途上、突如、ティーガーⅠ型得意の待ち伏せ攻撃を仕掛けられます。まず、1台を仕留めてから、その巨軀をあらわにして、ゆっくり他の3両を仕留めに現れる。

 世界に冠たるティーガー乗員である以上、「負けるかもしれない」等とは絶対に思わない、いや、思った瞬間に負けてしまう! このヘビー級チャンピオンに必死に挑む3両、しかし、1台ずつ仕留められ、そして・・・・(ネタバレに注意して、ここではこの後は述べないことにしましょう)。

 つまりはこの映画は、北アフリカに上陸した時には、ルーキーだらけでドイツ軍にぼろ負け、イギリス軍からは「我々(連合軍)の中のイタリア軍だ」と言われていた連中が、いつしか『ヴィンランド・サガ』に登場のアシェラッドのような連中に変貌する、つまりはパットンの獅子吼に登場の「くそったれども」となり、かつてのスパルタのクサンティッポスのようなドイツ武装親衛隊と、ヘビー級対ミドル級の死闘を繰り広げる。

 その激闘シーンに間違って紛れ込んだ若造ノーマンがいつしか成長する、というにはあまりに早すぎる変貌を遂げざるをえない、そんな映画です(映画の終盤、生き残ったノーマンは救出に来た友軍に「お前は英雄だぜ」と言われます)。

 ちなみにティーガー対連合軍機甲師団の死闘では、1944年8月8日に戦死したナチスドイツ第1SS(武装親衛隊)装甲師団ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー所属のミハエル・ヴィットマンSS大尉が、同年6月13日フランスカーン南方のヴィレル・ボカージュにおいて、たった1両で戦闘車両27台(戦車12輌[クロムウェル5、スチュアート3、シャーマン4]、ハーフトラック10輌、カーデン・ロイド・キャリア4輌、スカウトカー1輌)を撃破したヴィレル・ボカージュの戦闘が有名です(もっとも、ヴィットマンのティーガーⅠも戦闘の終わり頃、イギリス軍の6ポンド対戦車砲で破壊されます)。

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 それでは、武装親衛隊(SS)とは何か? それにはまず『フューリー』を観て下さい。ブラピ演じるドン「ウォーダディー」コリアー軍曹が、ルーキーノーマンにたっぷり教え込むように、皆さんに解説してくれるでしょう。本作中でしばしば展開する戦場の現実、とくにブラピがハーグ陸戦条約を無視して、降参したSS等を殺していくシーンによって。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...