2015年9月

日本と東西南北Part2:地(地域)名とオリエンタリズム

2015 9/14 総合政策学部の皆さんへ

 まず、地名(地域名)のお話です。古来中国は四夷と称して、東夷、北狄、西戎、南蛮を区別していました。中国とは、皆さんもご存じのとおり、特定の地域名というよりも「中華思想基づく「文化的優越性を持った世界の中心」(Wikipedia「中国」)という思想・価値観をはらむ言葉であり、中国を“中心”とすれば、東西南北にそれぞれ夷(野蛮人ども)がいる、わけです。蔑称”ともいうべき言葉かもしれません。

 東夷は言うまでもなく、日本、琉球(17世紀初頭に薩摩藩に占領されるまでは独立国だったのをお忘れなく)、朝鮮半島(三韓、新羅等から李朝朝鮮まで)、現中国東北地方(高句麗、契丹、金等)、現中国江蘇・山東省(九夷)等ですね。北狄は中国北方の遊牧民族を中心とする方々で、白狄、赤狄、さらには匈奴、遼、元とつながっていきます。西戎は中国西部(言うまでもなく、現在、治安問題を抱える新疆ウイグル自治区を含む)の遊牧民族で、、突厥等でしょう。

 では、南蛮とは? 日本ではいまや「侮蔑語というよりは、異国風で物珍しい文物を指す語(昭和初期までの「舶来」と同義)として使われるようになった」(Wikipedia「南蛮」)とのことですが、本来は、言うまでもなく「南から来た野蛮人」というわけです。もちろん、最初はヨーロッパ系ではなく、中国南部から東南アジアにかけての少数民族だったでしょう。

 Wikipediaでは「『三国志演義』『華陽国志』で言及された南蛮は、雲南の彝族である」としています。なお、彝族とは「イ族」で、「2000年の第5次全国人口普査統計では人口は7,762,286人で、中国政府が公認する56の民族の中で8番目に多い」とあります。少数民族とは言え、イ族の人口はスイスやホンジュラスより多いようです。

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 さて、かつてアジアにおいて、価値観にもとづく世界秩序をつくりあげた中国に代わって、世界秩序をつくりあげたのが“南蛮人”の末裔、ヨーロッパの近代国家です。この近代国家は“国境”というものを持ち、地球を分割しようとします。これに対して中華思想では「世界の中心である皇帝」を核として同心円的に世界が広がり、“境”はいわば相対的なものでした。それが条約という法的取り決めにより、絶対的な境が設定される、これは中華思想としては本意ではないわけです。

 しかし、“南蛮人”あるいは“北狄”のさらに北から侵入してきたロシア(俄羅斯)人にじりじり蚕食されると、やがて“国境”を決めねばならなくなる。西暦1689年、中国[清朝]暦では康煕28年締結されたネルチンスク条約がその嚆矢となります。これが次の(沿海州をロシアに奪われる)愛琿条約北京条約とつながり、この結果、ロシア人と日本人の直接接触によって勃発するのが1904~1905年の日露戦争です。 

 その間、日本では“南蛮”はいつのまにか蔑称から、あこがれをともなうような言葉に“昇格”したわけですが(例えば、北原白秋の“南蛮文学”)、現代はそれも廃れて、今やむしろ「長ネギや唐辛子を使用した料理関連の言葉に「南蛮」の語が使われることが多い」(Wikipedia)という状態になっています。言葉の転変もなかなか著しいものがあります。

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 こうした“中華思想”はいわば中国側からの“カウンター・オリエンタリズム”とも言えます(なお、オリエンタリズムとはパレスチナ出身のアメリカの批評家、エドワード・サイードが著書『オリエンタリズム』において「西欧が自らの内部としてもたない「異質な」本質とみなしたものを「オリエント」(「東洋」)に押し付けてきたとし、「東洋」を不気味なもの、異質なものとして規定する西洋の姿勢をオリエンタリズムと呼んで批判」したものにほかなりません;Wikipedia)。

 もちろん、サイードの本意は、“オリエンタリズム”とどうじに、カウンター・オリエンタリズムとしての“オクシデンタリズム”も批判することにあり、自民族・文化中心主義(エスノセントリズム)批判であることを忘れてはなりません。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...