2016年6月

高畑ゼミの100冊#26:ツルゲーネフと『けむり』:故国の未来を考える

2016 6/27 総合政策学部の皆さんへ

 久しぶりの高畑ゼミの100冊、書籍番号#83は19世紀ロシアの作家ツルゲーネフの『けむり』です。おおかたのところ「恋愛小説」として受容されているようですが、私にとっては異郷の地(当時の新興国ドイツ)で、故国(ロシア)の未来を議論しあうきわめて総政向け話題という側面があるようです。

 何よりも「ロシアをどんな近代国家に変えるのが良いのか?」という議論よりも、「そもそも変わることができるのか?」という不安に打ち勝ちたい! それがロシア・インテリゲンチャの切実な想いだった、その頃の話です(しかし、これは21世紀のロシアにとっても課題でしょう)。つまり、この本の主題はロシアの未来にほかなりません。ドイツ貴族出身(現在のポーランドの生まれ)でボルテール、ディドロともつきあっった専制君主エカチェリーナ2世が亡くなった後、ロシアは西欧諸国に範をとるか(それがピョートル大帝の夢でもあったわけですが)、それともロシアの大地・文化に愛のぬくもりを求めるか、国家創成モデルをめぐる彷徨が続きます。

 こうしてエカチェリーナの直接の後継者アレクサンドル1世はからくもナポレオン戦争を勝ち残り、一時はヨーロッパの死命を決するまでの立ち場につきながら、彼がとった政治的姿勢は微妙なものとなります(思えば、ロシアの支配者が次にアレクサンドル1世の立ち位置に戻るのは、ポツダム会議でのスターリンまで待たなければなりません)。

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 Wikipediaによれば、アレクサンドル1世は「当初は自由主義的改革を志向して開明的な政策をとったが、ナポレオン戦争を経て、治世後半は強権的反動政治に転じた」、「ウィーン会議で主導的な役割を演じ、以後のヨーロッパにおける君主主義、正統主義的反動体制の確立に尽力した」、そして「歴代皇帝中、最も複雑怪奇な性格の持ち主とされ、矛盾に満ちていた」(なんとなく、今のプーチン大統領を連想させるかもしれません)。

 この複雑な皇帝に対して、フランス皇帝ナポレオンは「(アレクサンドルは)知性、優雅さ、教育を備えている。彼は魅力的だが、彼を信頼することはできない。彼は真心が無い。帝国衰退の時代のこのビザンツ人は抜け目なく、偽善的で狡猾である」と評します。

 一方、稀代の保守派外交官メッテルニッヒは「皇帝アレクサンドルの肖像を描き出すのは難しい仕事だ」としながらも、「性格には男性的な強さと女性的な弱さが奇妙に混ざり合っている」、「移り気であり、彼の考えもまた驚くべき速さで動いたので、彼が採り入れた諸体系は、彼の心の中で互いにぶつかり合うことなく、次々と連続して生起した。いっとき自分の気に入っている体系に完全に没頭しているかと思うと、じぶんでもそれと気づかぬうちに、いくつかの中間段階をへて、まったく正反対の思想体系に心がうつってしまっているということもある」と指摘します(『メッテルニッヒ』の回想録;安藤俊次他訳)。

 アレクサンドルのまだ若い48歳での突然の死は、彼の最終評価をあいまいなまま今日まで残すことになりますが、その一方で、アレクサンドルに率いられヨーロッパを見てしまった部下たちは、その社会に圧倒され、やがてロシアの改革を志します。デカブリストの乱、あるいはナロードニキエスエルボリシェヴィキ・・・

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 こうして愛するけれども直視するのは耐え難い故国の現状をなんとかすべく、外の世界を知ってしまった者たちは改革へのむなしい努力を繰り返す(それがロシア革命まで続くわけですが)。その一コマが、『けむり』の主舞台、ドイツの保養地バーデン=バーデンにつどうロシア・インテリゲンチャたちです。

 『けむり』の舞台は1825年のアレクサンドル1世の死から、27年が経過した1862年8月10日午後4時、ドイツの保養地バーデン・バーデンの『対話館』近くで、モスクワ大学卒業後、農業と工業を学びにヨーロッパに留学、4年あまりをメリレンブルク、シュレジア、カルルスルウェで学んだ主人公リトウィーノフが、たまたま同胞ロシア人の一団の議論に巻き込まれる。彼はそもそも「自分を信じ、その未来を信じ、自分の郷里の人々に、それどころか、おそらくその地方全体の人々にさえ利益をもたらすと堅く信じて」いる善良な青年です。しかも、「老ひたる父が、濃度の開放、土地の割当て、請け戻しの契約等、これを要するに、いろんな新しい制度のためにすっかり混乱してしまって、年越しの度に、絶望的な哀願祈願を持って、早く来い来いと促し建てている故郷へ帰る道すがら」なのですが、ロシア・インテリゲンチュアたちの何時終わるともしれぬ、不毛であるとも、希望に満ちているとも言える論争に巻き込まれる。

 しかし、延々と続く議論の末に、現実は何も変わらない。登場人物大蔵省勤務の休職7等官パトゥーギンの言葉を借りれば、「兎に角まあ、あの連中はみんな素晴らしい人達だ。ところが、その結果はどうでせう。何にもならないぢゃありませんか。材料は一等品なんですがね。皿へ並べて出されると、てんから口へ頬張れやしない」となってしまいます。材料が良くても、料理にならない!

 パトゥ-ギンの舌鋒はリトウィーノフの(そして200年後の我々の)心に鋭く突き刺さります。「例へばここに、英国人が十人集まったとしますね。すると、彼らは直ぐ海底電信とか紙税とか、鼠の皮の鞣し方とかいったような、つまり此の、実際的な確然とした問題に就いて語り出すに違いない。ドイツ人が十人落ち合った場合には、無論シュレズヴィッグ・ホルステインドイツ統一の問題とが出てくるにきまっています。又フランス人が十人集まった場合には、彼らの談話はどんなに方向をかへようとしたところで『色事』の上をどうどう廻りせずにはおりません。ところが、ロシヤ人が十人落ち合った場合はどうかと言ひますと、そういふ場合には-貴方も今晩成る程とお思ひになる機会をお持ちになった分けですが、まさにあの通りで-ロシヤの使命如何とか、未来如何とかいふ問題が、それも恐ろしく漠然とした姿で、ギリシヤ神話のレダの卵のあの式で、何らの論証もなく、結論もなしに、たちまち持ち上がってくるといふわけです。彼等はこの不幸な問題を、まるで子供達がゴムの切れ端を噛むようにグチャリグチャリといつまでもしゃぶっておりますが、無論何にもなりやしません」(原久一郎訳)。

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 実は、この政治的論争と平行して、リトウィーノフは二人の女への愛に心も引き裂かれてしまう。一人は、たぐいまれな美女で、少女時代にリトウィーノフを捨てて伯爵夫人となったファム・ファタールたるイリーナ、そしてリトウィーノフの許嫁、ロシアの大地が創り上げる純朴、天使のようなターニャ。貴方はどちらを選びますか? それは実際にお読みいただければよいわけですが、『けむり』は繊細な恋愛小説にもなっています。もちろん、その一方で、国家創成のモデルをどうすべきか? という問いかけも忘れてはなりません(もっとも、某ブログには「読み易いが、とくにどうということもない作品」と両断されていますけど)。

     ところで、かなり昔の話ですが、『の人類学』の大家内堀基光先生(一橋大学名誉教授・放送大学教授)とマダガスカルの上海ホテルでばったりであって、お話しているうちに「ロシアの小説家のうち誰が好きか?」という話題で、私が「ドフトエスキーももちろん、悪くはないけれど(とくに『白痴』が傑作!!)、ツルゲーネフが良いですね」と言ったら、破顔一笑、「そう、ツルゲーネフ! 僕の学生の頃は、みんなドストエフスキーかトルストイ好きばかりで、ツルゲーネフに触れると軽く見られそうで、口にも出せなかったけ!」とうれしそうに叫んでいました。

 もちろん、ツルゲーネフに詳しい方はお気づきになるでしょう。これは20歳になったばかりの1838年から1841年までベルリン大学で哲学や古典語を学び、1843年からは、夫と子のあるオペラ歌手ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドに恋して、彼女を追ってパリに移り住み、それ以来、西欧とロシアを往復する日々を続けながら、すべてに遅れた故国ロシアと文明が進んだフランス、ドイツとの対比を絶えず意識させられる日々、この二つの環境に揺れる想いが結晶化したものであるということを。「遅れた故国をどうするべきか?」というピュートル大帝以来のロシア → ソ連 → ロシアの彷徨に興味がある方は、そして「魔性の女と天使のような女性のどちらを選ぶべきなのか?」というテーマにも関心をお持ちである方は、是非、この小説をお読み下さい。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...