2016年7月

身体の人類学Part 3:人はくちびるをどのように彩ってきたか?

2016 7/7(本日は七夕ですが) 総合政策学部の皆さんへ

 くちびるの人類学、二回目はヒトはどうしてくちびるを彩るのか? そして、どうやってくちびるを彩ってきたのか? 話を続けたいと思います。それはまた口紅の歴史でもあります。皆さん、口紅は何時頃から始まったのか? そもそも何のためなのか? 考えたことはあるでしょうか?

 まず、そもそも唇を彩るのは何のためか? 考えてみましょう。例えば、「自分の健康状態」のアピールかもしれません。唇は「口腔内の粘膜」が外に現れたものですから、その赤い色は毛細血管を流れる血液の色であり、唇の色が“悪い”のは身体の調子が良くないことを示唆しているかもしれません。

 ある医療関係のHPでは、「粘膜でできている唇はとても薄く、血液の状態がよくわかります」として、以下のように提示しています。
◆真っ赤な唇=呼吸器のトラブル:毛細血管が異常にふくらんで、呼吸器に感染症や炎症を起こしているのです。風邪をひいたときにも赤くなることがあります。
◆白い唇=貧血状態:血流が悪く、唇まで血液がまわっていない状態です。貧血の状態にあります。
◆紫の唇=腸・肝臓・腎臓機能の衰え:主食を食べずに油っこいものやお酒などが続いて、腸や肝臓、腎臓の機能が悪くなっているのかも。

 とすれば、唇を赤く塗るのは、「自らが健康だ」というメッセージをさらに上塗りすることになる(これは健康状態を偽る=動物行動学上の“欺瞞”?!)かもしれません。もちろん、健康状態をさらにアピールする=“誇張”の意味かもしれません。

 誇張と言えば、言うまでもなくコミュニケーションにおける「メッセージ性」を強める手段かと言えましょう。先の投稿でも触れましたが、チンパンジーがケンカなどの際、弱い立場の者がグリメス(弱者の表情)をして、口の中の紅い粘膜をまくれあげ、むき出しの歯の白さと、紅い口腔の粘膜と、そして真っ黒な肌という3原色を見せつけ、「私はあなたより弱い立場です」と訴えかける際、この視覚的メッセージにおける色の対比の鮮やかさについ心を動かされてしまいます。ヒトはそうした特徴をさらにエスカレートして、唇/口紅を進化させたとも言えるでしょう。

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 それでは、ヒトはいつから口紅をつけるようになったか? これはよくわからないでしょうね。Wikipediaには「約7万年前に、悪魔などが口や耳などの穴から進入してこないよう、赤色の物を塗る習慣があったのが始まりと言われている。これは、出土した当時の人骨の口などに赤色が付着している痕跡があったため判明した。別の説では、紀元前3000年頃のエジプト人が使用したと思われる口紅が発見され、紀元前1200年頃のエジプトで、人々が目や唇に化粧している絵画も発見されている」と書かれていますが、この文章の前半はちょっと信憑性が薄いかもしれません。

 例えば、縄文人の人骨でも赤い色に着色されたものがあります(大学院生の頃、所属していた自然人類学研究室の人骨コレクションで、私も目にしたことがあります)。しかし、これは生前にも塗っていたというより、葬送儀礼の際に「生前の色と同じような肌の色にして葬ろう」と着色したものが残ったものかもしれません。

 なお、先のブログでも触れましたが、ツタンカーメンのマスクには唇が彩色されていません。一方、彼の義母のネフェルティティ胸像は「謎めいた微笑を浮かべる赤い唇」がはっきりとしており、口紅をつけていたかもしれません。なお、二人ともアイラインを施していることは確かです。

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 しかし、とりあえず言えることは、ヒトは「健康状態をカモフラージュするためか」、それとも「さらに強烈にアピールするためか」、さらには「コミュニケーションの手段としてより強力なツールとするためか」、あるいはこれらすべての理由で口紅を発明・利用することになります。

 そのために用いられたのは、顔料(ベニバナコチニールなどの天然色素と、タール系の合成色素に分けられます)、ワックスなどの油分、界面活性剤、酸化防止剤、香料などです。それにしても、コチニールとは何か、皆さんご存じですか? 実は、カイガラムシの類(コチニールカイガラムシなど)なのですね。コチニールカイガラムシはウチワサボテン等につく害虫ですが、コチニールとして利用される場合は、ヒトにとっての益虫になります。

 とは言え、こうしてみるとあのマルクス・アウレリウス自省録の次の一節を思い出さないわけにはいかないかもしれません、曰く「あの貴婦人方がまとっている高価な衣装は、実は、虫が吐いた糸(=絹糸)を貝の血(=アッキガイ類の色素)で染めたにすぎないし・・」。

 ちなみに、紅(べに)の材料である紅花は、平安時代から栽培され、その別名は源氏物語で鼻の赤さを例えられる登場人物の一人である“末摘花”とのことですが、その頃から日本の女性の唇を彩っていたのかもしれません。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...