2016年11月

総合政策学部の名言集No.17:“祖国は各自が各自の義務を果たすことを期待する”:ネルソン、ナポレオン、そして漱石

2016 11/15 総合政策学部の皆さんへ

 今回は、H・ネルソン提督(1758~1805)が1805年10月21日、トラファルガー海戦の直前、座乗する旗艦ヴィクトリー号に掲げた信号旗から始めましょう。

 ”England expects that every man will do his duty”:Wikipediaでは「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」と訳されています。実は、私が最初にこの言葉を目にしたのは、夏目漱石の『私の個人主義』で、うろ覚えですが、注かなにかに「祖国は各自が各自の義務を果たすことを期待する」と訳されていたようにかすかな記憶があります。そのため、私個人にとってはこの台詞を聞くと、Englandという固有名詞と祖国という一般名詞のイメージがないまぜになってしまう、と、まあ、思って下さい。

 ちなみに漱石は、この言葉を学習院輔仁会の生徒たち(当時ですから、皇族・華族の子弟を多く含んでいたはず)に以下のように説いています。

「ご存じの通り英吉利イギリスという国は大変自由を尊ぶ国であります。それほど自由を愛する国でありながら、また英吉利ほど秩序の調った国はありません。実をいうと私は英吉利を好かないのです。(略)しかし彼らはただ自由なのではありません。自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。だから彼らの自由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。 England expects every man to do his duty といった有名なネルソンの言葉はけっして当座限りの意味のものではないのです。彼らの自由と表裏して発達して来た深い根柢をもった思想に違いないのです」(青空文庫『私の個人主義』から一部略)

 漱石が、日本の支配階級養成のための宮内省外局が運営する官立学校で、この言葉で何を伝えたかったのか? あるいは、これを拝聴した生徒たちはここから何か学んだのか、学ばなかったのか? は興味深いテーマかもしれませんが、それは私の専門からはあまりにもかけ離れているので、そのことについての社会思想史的研究はここではおいておきましょう。

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 さて、18~19世紀の“イギリス軍”が果たして“国民軍”であったかどうか? つまり、民族=国民を意識した者たちであったかどうか、が今回の主要テーマであることはもうおわかりでしょう。

 例えば、トラファルガー海戦の30年前、アメリカ独立戦争においてワシントン率いる大陸軍(13植民地からなる給与付きの志願兵[これこそがボランティアなのですが)と戦ったイギリス軍では、実に3分の1がドイツからの傭兵だったと言われています。つまりは、アメリカ独立戦争での実際の戦闘hには、“国民軍(志願兵)”対“イギリス国王が雇った傭兵を含む軍隊”の争いという側面があったのです。

 この国民軍=ちょっと前までは“素人”だった“市民”による軍隊が、プロのはずの外国軍に対峙した上に、戦略的勝利をも勝ち取ったのがフランス革命が進行中の1792年9月20日、フランス軍とプロイセン軍との間で起きたヴァルミーの戦いであり、その現場に居合わせた文豪ゲーテが「ここから、そしてこの日から世界の歴史の新しい時代が始まる」と喝破したことで知られています。

 しかし、こうして出現した巨大なフランス軍(当時のフランスはヨーロッパでも随一の人口大国 → 動員数で隣接諸国を圧倒的することができる)を率いたのが、ほかならぬ“フランス革命の限定相続人”ことナポレオンなのですが、そのフランス軍が国境を越えて侵略戦争に転じた時、思わぬ出来事が起こります。

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 言うまでもなく、“ナショナリズム”という先鋭的な体制によって外国からの圧力を払いのけ、さらに“革命”の普遍性を信じて近隣諸国に侵略した時、それは近隣諸国の“ナショナリズム”も覚醒してしまう、という現実です。そして、“革命”のインターナショナリズムの光彩に彩られたはずのフランスでさえ、一つの“国民国家”に過ぎなくなる、という“ナショナリズムの相対化”の罠に囚われてしまうことになります。

 コルシカ出身で、それゆえ“フランス民族”から相対的になかば自律しているという立ち位置によって、革命の熱狂と恐怖に踊るフランス人達を冷たく見据え、フランス革命の限定相続人たりえたナポレオンも、対外的には“一人のフランス人”に過ぎない。

 その一つの象徴が、ネルソンの“England expects that every man will do his duty”かもしれません。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...