中島みゆきの歌詞考:“買いはたく”とは? そして、願い事は叶わなったか? 叶い過ぎたか?

2017 1/11 総合政策学部の皆さんへ

 ボブ・ディランがノーベル文学賞受賞という昨今、流行歌(“はやりうた”と読んで下さいね)もめでたくアートという立ち位置を占めたわけですが、皆さんはどんな“流行歌”に衝撃を受けました? “声の質”なら、私の場合、最初の衝撃を感じたのは森進一です。彼のデビュー曲「女のためいき」(1966年、猪俣公章作曲、吉川静夫作詞)が流れてきた時、当時13歳の私は「こんな声でも歌手になれるのか!!」と驚愕したものです。世間でもおおかた「ゲテモノ」あるいは「一発屋」と酷評されていたそうです(Wikipedia)。

 その次の衝撃は私より1つ年上の中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ」を深夜ラジオで聴いた時でした。1975年9月のレコード発売で私は22歳、大学4年、翌月から卒論(ニホンザルの性行動)に取りかかる頃です。しかし、彼女の場合、声質もさることながら、“言葉使い”も縦横無尽です。例えば、「サヨナラを伝えて」は以下のように展開します(アルバム「おかえりなさい」から)。

 まさかあなたが 恋の身代わりを
  あたしに紹介してくれるために
   あとでおまえの部屋をたずねる と
    耳うちしたとは 思わなかったから
 表通りの花屋に寄って
  目に映る花を買いはたいてきた
   今ならわかる 恋の花言葉
    黄色いローズマリー
      伝えてサヨウナラ

 “花を買いはたく”! Googleでこの言葉を検索してみても、同じ表現が出てきません。ということは、日本語をあやつる人たちのなかで、中島みゆきだけの表現なのか? そうなのでしょうね。この何とも言えない、言葉の浮遊感こそが彼女の魅力の一つです。

 それにしても、あなたは何かを“買いはたいた”ことはありますか? また、それはどんな時でしょう? たぶん、“買いはたいた”時には、自分がいま何をやっているのか、意識の外かもしれません。そして、“今ならわかる”時がいつか来る、それが“別れの花言葉”なのを・・・・

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 次に紹介するのは、こちらも初期の傑作「悲しいことはいつもある」から(アルバム『私の声が聞こえますか』)、

誰も悪くはないのに
 悲しいことはいつもある
  願いごとが叶わなかったり
   願いごとが叶いすぎたり
誰も悪くはないのに
 悲しいことはいつもある

 最後の2行がリフレーンで終わる、ただこれだけの歌詞・・・・感じるのは、『コヘレト書』に匹敵するような圧倒的な透徹観! 誰が悪いのでもないのに、悲しいことは必ずある、あなたにも私にも・・・・

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 最後に、アルバム『私の声が聞こえますか』から、「あぶな坂」を(この「あぶな坂」というタイトル自体が、ほとんど言葉になりませんね)。

あぶな坂を越えたところに
 あたしは住んでいる
  坂を越えてくる人たちは
   みんな けがをしてくる
橋をこわした おまえのせいと
 口をそろえて なじるけど
  遠いふるさとで 傷ついた言いわけに
   坂を 落ちてくるのが ここからは見える

 この歌詞だけで、映画が一本撮れそうな気もします。

コメント:0

この記事にはコメントすることができません。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

月別記事