日本の近代化と人々のキャリアPart 2:“学歴”あるいは学歴貴族の誕生、そしてそこからの離反

2017 1/31 総合政策学部の皆さんへ

 “学歴”の誕生などとふりかざすと、皆さんは何を想起するでしょうか? 個人的な体験で“学歴”をもっとも意識した瞬間とは、国際協力事業団(現国際協力機構)派遣専門家として滞在中の東アフリカ、タンザニア共和国の公務員資格の書類に、大卒学士(Bachelor)はとことんまで出世できず、大学院で修士号(Master)をとる必要がある、と明記されているのを見た時かもしれません。

 途上国で出世しようとすれば、一番“客観的”に見える指標は何か? それが“学歴”です。「えこひいきではない」と振る舞おうとすれば、“学歴”に頼らざるを得ない。第三世界こそが学歴がものを言う社会なのです。

 当時のタンザニアは中学校への進学者すらほんの数%、スワヒリ語での初等教育からいきなり英語での中等教育を経て大学や大学院まで突破するには、ほんの一握りの特権階級的な人々しかわずかなチャンスがないこと(つまり、一見、平等そうな学歴は、本当は平等ではない)は、皆さんにもすぐにおわかり頂けることでしょう。

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 さて、幕末から明治にかけて、日本も欧米から見れば未発展国、1853年7月8日、江戸湾に侵入したペリーは、投錨日の夜半過ぎ、夜空に出現した流星にかこつけて、以下のように記します。

 「古人ならば、この驚くべき天界の現象を、明るい前途を約束する吉兆と解しただろう。特異かつ半野蛮の国(=日本)を文明諸国の仲間に迎えようという我々の企てが、流血を見ることなく成功するという神の加護を祈りたい」(『ペリー提督日本遠征日記』より)。

 この半野蛮の国から、どうやったら文明諸国の仲間に入れてもらえるのか? それには教育が一つの道であり、その志に目覚めた者たちは“書生”と呼ばれます。例えば、当時、緒方洪庵の適々斎塾生だった福沢諭吉は、『福翁自伝』において気概をこめて「緒方の書生は学問上のことについては、ちょいとも怠ったことはない」と振り返ります。

 また、学校制度も整わぬ頃から、維新の出頭人たちは有為な人材としてこれらの“書生”を支援します。例えば、後の満鉄総裁・東京市長の後藤新平は肥後出身の安場保和によって、これもまた後の海軍大将/総理大臣の斉藤実とともに、書生として胆沢県庁に採用され、そのキャリアを開始します。仙台藩士出身の後藤・斉藤にとって、肥後出身の安場はいわば敵軍出身なのですが、その枠を越えての有為な人材への支援なのです。後藤新平は後年、「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ」と喝破していたそうですが、この言葉はおそらく自らの人生を振り返っての実感だったでしょう。

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 さて、明治期、新政府がいち早く教育に手をつけたのは、勤王の志士の多くがそれぞれに新しい学問に取り組んでいたことが預かっているに違いありません。

 例えば、伊藤博文と井上馨はいわゆる“長州ファイブ”として、 きわめて短期間ながらにロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジなどに遊学、終生、堪能な英語を自らの政治的基盤の一つとしていました(伊藤は、日本発の女子留学生津田梅子に、(かのトランプ君のような存在の出現をすでに19世紀に危惧していたかもしれぬトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』の英訳本を薦めているそうです。)。大隈重信もまた鍋島藩校弘道館の儒教を嫌い、洋学を志し、英学塾「致遠館」で宣教師フルベッキに学び、その知識をもとにイギリス公使パークスと正面から渡り合います。

 こうして明治政府は教育を国家建設への投資として、国外留学を積極的に推進しようとしてますが、当然、それはある種の迷走がともないます。例えば、各藩からの推薦を受けた若者を、“貢進生”として(東大に発展する)大学南校に入学させます。Wikipediaによれば、1871年(明治4年)に英語219名、フランス語74名、ドイツ語17名が学んでいたとのこと。このちょっと前まで“攘夷の志士”が横行し、夷人を“人斬り”していたというのに、あっというまに“外国かぶれ”になってしまう(伊藤博文自身が、一度は、人切りに手を染めています)。狂騒も良いところですが、しかし、明治政府が“教育”を新興国家にとっては未来の投資だと思い定めていたこともまたよく表しています。

 もちろん、この“藩からの推薦”が必ずしも当てにならないのはよくあること。Wikipediaでは「各藩からの推薦に問題があったケースも多く、貢進生のうち半数近くが、このようなエリートコースを辿らずに、学校を退学・脱落していった」とあります。とは言え、それでも半数がエリートコースをたどっていったわけですから、これもまた評価すべき事象として、これを“学歴貴族”の誕生とみなすことができるでしょう。

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 こうした学歴エリートのトップクラスが、なんといっても、第1回(明治8年)文部省派遣海外留学生鳩山和夫から続く鳩山家でしょう。1856年、美作勝山藩士の家に生まれた彼は、大学南校あらため開成学校卒業後、コロンビア大学で法学士、1880年イェール大学で法学博士号を取得、帰国後、東京帝国大学講師を経て、東京府会議員、外務省取締局長、東京帝国大学教授、東京専門学校(早稲田大学)校長、衆議院議員・議長、外務次官、東京弁護士会会長等を歴任するも、55歳で食道癌のため死去します。ちなみに、帰国後結婚する多賀春子ですが、彼女もまたお茶の水東京女子師範学校師範科本科在学中、フィラデルフィア府女子師範学校入学の許可がおりながら、中止になってしまい、その代わりに「鳩山と一緒になるような事になったのです」(鳩山春子『五十年前』)。

 その和夫・春子の息子長男鳩山一郎は 旧制一高を経て東京帝国大学英法科卒、東京市会議員、衆議院議員を経て、第52・53・54代内閣総理大臣として位人臣をきわめます。その長男鳩山威一郎は、1941年に東京帝国大学法学部を卒業、大蔵省入省、大蔵事務次官から参議院議員、その長男・次男が鳩山由紀夫邦夫でそれぞれ東大工学部・東大法学部卒、その後の紆余曲折の末、鳩山由紀夫は衆議院議員から、第93代内閣総理大臣となるのは、記憶に新しいところです。

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 おもしろいのは、学歴エリート層の確立と同時に、そこからの離脱もまたほぼ同時に始まっていることです。前節で紹介の鳩山家の華麗な学歴エリートぶりとは対照的に、同じ貢進生のあととりに生まれながら、エリートとしての道を踏み外し、“戯作者”として“市中の陋巷”に潜むことを願った者こそ、荷風散人こと、永井壮吉にほかなりません。

 彼の父 永井久一郎は尾張藩の豪農の家に生まれながら、幕末の乱世に尾張藩藩儒鷲津毅堂塾生となり、名古屋藩貢進生として明治4年に渡米、プリンストン大学、ラットガス大学などで修学、明治6年帰国、、工部省・文部省官僚を経て実業界に転じ、日本郵船上海・横浜支店長を勤めます。その長男たる永井壮吉は、しかし、この学歴エリートを継ぐことができません。

 東京府尋常師範学校附属小学校高等科から、高等師範学校附属尋常中学校と絵に描いたようなエリートコースをたどると思いきや、病気による休学とその間に江戸戯作の世界に惹かれたのが機縁か、一高受験に失敗(正統学歴エリートの道をはずれ)、官立高等商業学校(現一橋大学)附属外国語学校清語科に入学するも中退(スペシャリスト養成コースにも挫折)、やがて文学の道に迷い込みます。

 それでも一時は、父親久一郎の意向を汲んで実業を学ぶべく渡米・渡仏するも、その成果は『あめりか物語』や『フランス物語』に結晶、帰朝後は新進文学者として名をはせ、一時は慶応大学でフランス語も教えます。つまり、正規エリートコース、実業教育エリートコース、そして実業すべてを踏み外した上での、文学者永井荷風の誕生となります。

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 そこでひときわ興味深いことは、この間、立身出世の道に邁進・成功した出頭人の一人、なにより厳格なはずの父久一郎が(西園寺公望には息子の迷走を愚痴りながらも)この放蕩息子を絶えず支え続けます。

 さらに、すでに名をなしている文豪夏目漱石は荷風に朝日新聞での小説連載を世話し、また別の文豪森鴎外と詩人上田敏に慶応義塾大学教授に推薦してもらうなど、この“洋行帰りの新進文士”は先輩たちに大きく助けられていくのです(そして、荷風自身もまたやがて後輩谷崎潤一郎を見いだします)。

 一面では傲岸不遜・傍若無人とも受け取られかねない『断腸亭日乗』において、もっともほほえましい風景の一つはおそらく、与謝野鉄幹宅での雑誌『明星』編集相談会において、鴎外から「先生余を見て笑って言ふ。我が家の娘ども近頃君の小説を読み江戸趣味に感染せり」と言われ、恐縮のあまり答えることもできなかったというくだりかもしれません(1921年10月2日)。

 ところで、この“娘ども”とは後年の女流作家森茉莉とエッセイスト小堀杏奴と思われます(1903年と1909年生まれなので、この時18歳と12歳。それにしても、森茉莉と荷風散人そして江戸趣味、なかなか興味深い組み合わせかもしれません)。

 最後に、永井久一郎をはじめ明治初めの出頭人たちの(世間的には不出来な)子弟・後輩への暖かいまなざしは、言うまでもなく、(冒頭引用したペリーの“期待”に応えて)“文明国”としての日本の懐の暖かさ・奥行きの広がりを物語っているとも、言えなくはなさそうです。

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高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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