2017年3月

日本の近代化と人々のキャリアPart 3:“大学での学び”は役にたつのか? あるいは学閥の研究

2017 3/12 総合政策学の皆さんに

 タイトルから「大学での学びは役にたつのか?」と少々露骨かもしれませんが、近代化にともなう教育制度に対して、この問いがつきつけられることは、よくあること。

 例えば、教育制度の研究に詳しい天野郁夫の『学歴の社会史』に引用されている明治37年刊の『大商店会社銀行著名工場 家訓店則採用待遇法』によれば、財閥系の安田銀行(その後、富士銀行を経て現みずほ銀行)は「行員は総べて児飼(こがい)より採用する者多く、中年者は成丈(なるたけ)使はないように致して居る。採用年齢は14歳前後とし、教育は一通りの度書力あるを程度と定め、先ず最初の3ヶ月間は目見得とし、此間に人物の性行を鑑別して正式の採用を言い渡す。彼(か)の徒(いたずら)に学校を卒業したといふような、只肩書きのみを以て採用する諸多の銀行とは異なる」のだと、学歴無視をむしろ誇りとするような大企業もあった、としています。

 皆さん、どうですか? 大学を卒業する際、「いたずらに学校を卒業したというような、ただ肩書き」のみの卒業生にならないようにお願いします。

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 もう一つのケースを紹介しましょう。安田銀行同様に、現在の家庭用品の大メーカーライオンこと「ライオンはみがき本舗 小林商店」では、「使用人を番頭、手代、小僧の3つに区別」し、「採用方法は原則として、児飼養成をなし、漸時昇級して手代より番頭にさせる仕組み」であり、「時には中年者にして商業に経験あり、多少の学力と技倆ある者より採用することもある」程度だったとのこと。なお、「平日勤務後には、小僧に習字読書算術を、手代には英語を納めさせる」という社内教育の場もあったようです。

 こうした「会社は大学教育にはあまり期待しませんよ」という言説は、1980年代に京都で大学教員になったばかりの頃に、聴いたことがあります。要するに、大学でそんな細かなことを勉強しなくてもよい。“地頭(じあたま)”さえよければ、なまじ“学問”などという変な色に染まっていない方が良い、というのが企業さんの本音だ、というのです。

 こうして天野は「なまじ長く学校教育をうけた「中年者」は、学問ばかり鼻にかけてあまりものの役には立たない。それが大方の商家の、学歴や教育についての考え方だといってよいだろう」と結びます。これが御一新からそれほど離れていない頃の商売人の本音であったでしょう。

 もっとも、現代のみずほフィナンシャルグループの2016年度入社の大卒採用数は実に1920人(東洋経済ONLINE)、ライオンの2014年度採用数は、生産技術職15名程度、研究職34名、営業・スタッフ職35名とのことです。このように、高等教育と企業のリクルートは、御一新以来の150年に大きな変貌を遂げます。

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 それでは、その変貌の歴史を少し振り返りましょう。御一新前後の激動期、江戸の豪商からの生き残りをかけて、三井財閥を切り回した三野村利左衛門は1821年(文政4年)、浪人の子として生まれ、もちろん、ろくな教育も受けない「目に1丁字なき」人物ですが(ひらがなしか読めなかったと伝わっています)、中間奉公を経て両替商となり、幕臣小栗忠順に見いだされたて三井に推薦、幕末の混乱期を乗り切って三井を立て直します。

 三野村が1877年になくなった後、彼の襲った後継者たちは、しかし、“学び”の世界を経験した者が多くをしめ、急速に高学歴化していきます。例えば、1848年産まれ(三野村のほぼ1世代後)で後年、数寄者としても高名になる益田鈍翁は幕末、ヘボンの私塾でフランス語を、アメリカ領事館勤務でハリスから英語を習い、大蔵省を経て(当時、外国語ができれば、それだけで出世の糸口となった)、三野村死後の三井に入って、三井物産を設立します。その益田は三井物産の社員に、幕府騎兵隊時代の同僚矢野二郎(商法講習所所長)の関係で商法講習所の後身、現在の一橋大学出身者を採用していきます。

 その益田の(三井物産ゆえの)商業化路線に対抗したのが、1854年生まれ(三野村から30年余、益田から6年)、日本の高等教育の先駆けともなる福沢諭吉の慶応義塾で学び、工部省から山陽鉄道を経て、1891年三井銀行に入行した中上川彦次郎。不良債権の回収(伊藤博文からの借金を断り、桂太郎の邸宅を差し押さえ)、三越百貨店、王子製紙・鐘淵紡績(カネボウ)・芝浦製作所(現東芝)などを支配下において工業化路線を推し進めます。

 中上川はさらに部下に藤山雷太(大日本精糖)・武藤山治(鐘淵紡績)・藤原銀次郎王子製紙)・池田成彬(三井銀行、日銀総裁)等の慶応学閥で固めます。こうした路線は、しかし、益田等の「商業化」路線と対立、1901年の中上川の死後、三井内部の戦略としての商業化vs.工業化の対立は前者が優勢となり、三井の後継者も官学出身の団琢磨等に移行する・・・・これが明治時代にすでに全開状況にあった“学閥”の世界です。

 こうやって、日本の近代化にともない、教育制度も、企業も、その中の学閥もまた急速に変わっていく、このあたりは皆さんもある程度頭に入れておいた方がよいかもしれません。

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 ちなみにWikipediaで“学閥”を引くと、「特定の職域や組織において、ある学校の出身者同士が形成する校友組織や互助組織」と出てきます。東大は赤門閥(旧前田家の赤門に由来)、一橋は如水会等が有名ですが、私立大学ではなんと言っても慶応の三田会、これはあまりに突出しているので、特別号でも出さなければ行けないでしょう。

 ちなみに、森まゆみの『千駄木の漱石』では、東京帝国大学出身者の相互扶助を心あたたかく描いていますが、これは“学閥”というよりも、明治期にごくごく限られた高等教育を受けた者たちが自然発生的につくったコミュニティ、あるいはソサエティ(その具体的描写が漱石の出世作『我輩は猫である』)というべきものでしょう。
(to be continuded)

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...