時間外労働について、甘粕元大尉と残業代Part2

2018 9/16 総合政策学部の皆さんへ

 前編「時間外労働について、甘粕元大尉と残業代Part1」では、橋本毅彦・栗山茂久編『遅刻の誕生:近代日本における時間意識の形成』(2001年、三元社)第3章「近世の地域社会における時間」(森下徹)から、萩藩においては18世紀半ば頃から、仕事と時間の関係が変わり、その結果として“残業代”らしき概念がうまれてきた顛末を紹介しました。まさに“近代化”です。“遅刻”の概念と“残業代”の概念が、ほぼ同時に生まれてきます。

 こうした概念は、様々な社会階層で同時多発的に進行したようです。Part1で紹介した白木屋日本橋店ではよくわからない“残業代”ですが、実は、同時代、同じ江戸店であった三井越後屋では、労働管理の一貫として勤怠管理を施行していたとこのことです(瓦版HP「江戸時代に三井越後屋が築いた勤怠管理の方法」https://w-kawara.jp/making-efficient/attendance-management-method-made-in-the-edo-period/)。「昼夜勤仕録」という記録では、

(1)江戸時代の不定時法(季節による日照時間長の変化にあわせる)で皆勤時間を設定
(2)休んだ労働者には「朱星」が、病欠等は「黒星」が記録される。なお、公休や店舗が定めた休日、喪中はこの対象としない。
(3)残業をした場合には「朱星」を預かり扱いとする。
(4)三井家は、期間分の記録をもとに褒賞を検討:1ヵ月で「朱星」が8つほどあれば皆勤扱いとする。

 つまり、残業した場合は期間ごとに朱星を集計して、皆勤時間として評価した上で給与全体に補填するというシステムのようです。

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 こうして江戸期も進めば、雇用側も被雇用者も、労働時間と時間外手当を否応なしに意識せざるをえなくない。それでは、日本の近代化において次はどのような展開になったのか? 同じ『遅刻の誕生』の第4章「二つの時刻、三つの労働時間」(鈴木淳執筆)では、1865年(造船所元治2年)フランス人の指導のもとに創業した横須賀造船所(明治維新後は横須賀海軍工廠)に関する勘定奉行の伺いを紹介しています。

御軍艦鍛冶職等の義、御定め賃銀1日銀7匁8分づつのところ、右は朝五つ時頃より夕7時までの賃銀にて、大早出、大居残り等仕り候らえば、右賃銀の倍増相渡し候義にこれあり」

 このように労働時間を定めるとともに、早出/居残りの場合は賃銀を倍にするという施策です。鈴木はこうした状況から、「幕末の幕府は少々の残業は無償で、大幅なら日当の倍額支給というおおざっぱかつ多分に恩恵的な給与を行っていた」としています。こうしてPart1の末尾でも紹介していたように、江戸時代日本で内在的に進行していた近代化は、黒船来航を嚆矢とする外圧によってさらに加速します。

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 さて、皆さんもご存知のように明治に入ると、近代化にともない賃銀労働者は激増します。とは言え、雇用者はできるだけ安く雇用しようとします。上記の論文で鈴木は1883年から1892年にかけての富岡製糸場の年度平均1日あたりの労働時間・年度職工賃銀・生糸生産高を比較して、実労働時間が8時間40分から10時間2分に増え、生産高は3415貫から3722貫に増えたにもかかわらず、賃銀総額は8,998円から8,350円に減少しており、「賃銀の上昇なく労働時間が延長されたと考えざるを得ない」と指摘しています。

 つまり、近代的時間意識は雇用者側にも被雇用者側にも未熟であり、雇用者はそれにつけこんで低賃金労働を強いる結果となったのでしょう。こうした状況下、時間外労働あるいは残業代については具体的資料に乏しいようです。

 鈴木氏がここで持ち出すのは例によって横須賀造船所の1878年(明治11年)1月の規定で、これが現在確認可能な残業に関する最初の資料とのことです。それによると、「残業する職工に対して1時間分の賃銀を基準として残業1時間についきその1.5倍、午後10時から午前4時は2倍を支給するとある。残業に入ったとたんに支給率が上がっている」。ところが「1884年3月には海軍の工場すべてを通じて定業から午後7時までは1倍、午後7~10時・午前4時~起業時までが1.5倍、午後10時~午前4時は2倍に変更される。・・・3時間程度前の残業へは、正規の時間内と同様の賃銀しか給せられなくなった・・・・この程度の残業が常態化していたことをしめすのではないだろうか」。

 鈴木氏はさらに横須賀造船所をはじめとする陸海軍工廠での作業は、民間企業とことなり、緊急の修理作業等の比重が高く、さらに戦時ともなれば、不規則な長時間労働が生じた可能性も指摘しています。日本企業における、いわゆる“ブラック企業化”がこのあたりからはじまったのかもしれません。

 いずれにせよ、明治初期、日本における労働時間の概念の確立と時間外労働に対する手当(=残業代)をめぐり、雇用被雇用者の間に様々な駆け引きがあったようです。皆さんも、職業を選ぶとき、こうした労働時間と賃銀、さらには雇用者と被雇用者の駆け引きなどをきちんと頭に入れて置いて下さいね。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...