2019年10月

自らの好敵手について

2019 10/17 総合政策学部の皆さんへ

 Web記事を渉猟していると、ある台詞が目にとまりました(The Wall Street Journal 、2019 7/29掲載)。Gerard Baker氏による「トランプジョンソン両氏、仇敵が「親友」の皮肉」というタイトルの記事ですが、書き出しが以下の通りです。

  • ある老いた賢人はかつて、自身についてどう評価されたいかと尋ねられ、こう答えた。
  • 「私は人生で多くの友人と数人の敵をつくった。全体として、自分の敵を誇りに思う」

 含蓄が深い! 友よりも、なお、好敵手によって自らの評価を語らせる! 人生を生き抜くためには、こうでなければ! とつい思ってしまいます。

 とは言え、さらに上を行く人も、もちろんいます。イタリアの歴史作家モンタネッリの傑作『ローマの歴史』によれば、ローマ共和国の独裁者ルキウス・コルネリウス・スッラ(BC 138-78年)は権力の座をしりぞき、最後の生を楽しもうとしながらも病に倒れ、「死の苦しみを快活な微少と毒舌で隠し続け」ながら、息を引き取る前に自らの墓碑銘を口述しますが、それは、以下の通りです。

返礼ができぬほどよく私を助けてくれた友は一人もなかった。また、返礼ができぬほどひどく私を痛めつけた敵も一人もいなかった

 つまり、好敵手でさえも、オレよりは下だ! いや、そもそもオレには好敵手などというものは存在しない! という究極の上から目線ということでしょう。

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 そのスラがただ一人警戒した人物こそ、かのローマ帝国の実質的な創設者、ガイウス・ユリウス・カエサル(BC 100-44)です。二人の年の差は38年で、カエサルはスッラよりも1世代半ほど若いことになります。

 実は、そのカエサルの外伯父ガイウス・マリウス(BC 157-86)こそ、スラの文字通りの政敵(相手の支持者を、数万人に達するレベルで、互いに殺戮しまくります)ですが、こちらはスッラの19歳年長、ほぼ1世代離れています。

 つまり、ローマ共和国から帝政への移行にかけて、BC 133年のティベリウス・グラックスと元老院の対立、そしてグラックスの死から始まり、BC 27年にオクタウィアヌスが最終勝利を得て、実質的な帝政に移行するまでの100年(内乱の1世紀、あるいは共和政ローマの危機(Crisis of the Roman Republic))の中核をなす、マリウス → スッラ → カエサルと続く政治的抗争[民衆派 → 門閥派 → 民衆派、ただし民衆の支持を得ての帝政創立者という塩梅です]は、ほぼ、1世代~2世代を隔てての世代間抗争でもあったのですね。

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 それはともかく、38歳年下のカエサルはマリウスの甥であるということもあり、18歳の時、スッラ派の粛正の対象となり、あわや処刑されそうになります。しかし、あまりにも若輩の彼を免罪しようと助命嘆願がいくつもスッラの元に届きます。その時、スッラは、

よろしいとも、あなた方に譲歩しよう。彼をどのようにでもするがいい。けれどもただこのことだけは忘れないでもらいたい。あなた方がこんなに熱心にその無事息災を願っておられるあの男が、いつかは、私やあなた方が結束して守っている門閥派をほろぼすであろうということを。あの若者の中には多くのマリウスがいるということを」(スエトニウス『ローマ皇帝伝』国原吉之助訳)

 と言ったとされています。スッラの死(BC 86)の40年後、紆余曲折を経ながら、門閥派を圧倒、ローマの政治的権力を握り、実質的な皇帝の地位を占める(同時に、ガリア制服によってローマを国際帝国に変貌させ、今日のEUのベースを固めたとも言える)カエサルの未来を見事に予測した台詞です。

 ところで、スッラはBC 80年、突如、独裁者の地位を自ら辞退して隠退させ、世間を呆然とさせたということですが、カエサル自身は後年、スッラの行為を振り返って「独裁官を放棄したスッラは、目に一丁字なき間抜けであった」と嘲笑しています(スエトニウス)。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...