「老い」を考える1:ヒトとヒト以外の生き物を比べるとPart 1

2020 5/28 総合政策学部の皆さんへ

 今回のテーマは「老い」です。その中でも、他の生き物と比較した際にとりわけユニークなヒトの「老い」が持つ特徴、ということになります。わかっていただけますか?

 例えば、私が大学生だった頃にちょっとかじった水生昆虫の中でも、カゲロウトビケラカワゲラの仲間はいわゆる成虫期が著しく短いことで知られています。カゲロウは幼虫期を河川等の水中ですごしますが、それは半年~1年に及びます。一方、孵化して成虫になると、異性個体を探して交尾をし、産卵すると死にます。

 この成虫期のあまりの短さは学名にも反映され、カゲロウ目の学名はEphemeropteraですが、前半のephemera の「原義は epi = on, hemera = day (その日1日)で、カゲロウの寿命の短さに由来する」、つまり1日限りの命ということで(Wikipedia)。まさに“陽炎(かげろう)”に通じるはかなさです。

 しかし、よく考えてみると、成虫になるのは人生の数百分の1の間だけですから、ほとんどの人生は“幼虫期”、つまりコドモとして過ごす(この場合、コドモとは「性的に成熟していない時期」とほぼ同義)。一方で、成虫期はほとんど“性”にかかわるだけであり、かつ交尾・産卵(=次世代の再生産)が済めば、あとは死ぬしかない。彼らにとって大人とは、生と性と死が凝縮した1日になります。したがって、この世界に老いはほとんど存在しないのです。

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 もちろん、生態学の目線からは、繁殖と生を終えた彼らにも、果たすべき使命がまだ残っています。それは川の中の魚等の餌になることです。生態学でいう食物連鎖のピースとして、自分にとっても、また子供たちにとっても無用になった身体を他の生物の餌として捧げる(もちろん、意思があってそうしているわけではさらさらなく、ただそういう宿命をたんたんとこなしているだけなのですが)。

 そうした光景は、例えば、コミック『ヴィンランド・サガ』に登場する飲んだくれの修道士ヴィリバルドが、クヌート(のちのクヌート1世)に「あなたが愛と思っていたものは差別に過ぎない」と断じて、欲望の果てに戦死した者たちの死体がやがて他の生き物の糧になっていく様を指して「あれこそ[真実の愛です」と教えるくだりそのままです。

 もっとも、世の中にはさらに“悪い奴ら”がいます。そのカゲロウを模して、疑似餌(Fly)を作って、魚をだましたりします(=フライ・フィッシングのことで、もちろん、我々人間の業なのですが)。

 そういえば、昔、サマセット・モームの『作家の手帳』を読んでいたら、「彼はマス釣りが趣味なので、ポケットにいつもハエを入れていた」という一文に出くわして、よくわからなかった記憶があるのですが、もちろんこれはfly(毛バリ)をハエと誤訳していたのでした。皆さんも翻訳には注意しましょう。

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 それにしても「老い」とは何でしょう? Part2以降で詳しく説明したいと思いますが、それは「次世代の再生産が終わってもまだ生きている時期」が該当するでしょう。そうした老人が社会においてどのような処遇を受けているか? これが文化人類学が長く関心をよせたテーマの一つです。

 それでは、「老人」とは何歳からか? 皆さんはどう思いますか? (チコちゃんに叱られないように)日本では8世紀の養老律令が「61を老と為よ」と明記しています(令巻第4・戸令第8の6)。律令では近親者/近所の者に老齢者の扶養義務を課しますが、その対象は61歳以上で妻のない者、50歳以上で夫のいない者、61歳で子のない者、および66歳以上の老人(耆老)等です。律令時代、すでに老人介護が問題として取り上げられていたわけです。

 その一方で、律令での規定とまったく対照的な言説が“姥捨て伝説”です。Wikipediaでは「姥捨ての実際については、はっきりしたことは分かっていない。少なくとも古代から現代に至るまで、姥捨てやそれに類する法令などが日本国内にあったという公的記録はないが、民間伝承や姥捨て由来の地名が各地に残っている」としています。そんな言い伝えを巧みにフィクション化した作品に深沢七郎の小説『楢山節考』(1957)が有名です。近年では、ネイティブ・アメリカンの口承を小説化した『二人の老女』等があげられます(ウオーリス、1995)。

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 このように、老いは死に結び付いて考えられてきました。死をめぐる諸現象も民族・文化ごとに多様ですが、死者を社会的に「この世」から「あの世」に送り出す「社会的装置」が存在することは、全世界的に共通です。人生最後の通過儀礼としての葬制埋葬は、ネアンデルタール人から始まったと言われていますが、時代が進むにつれて儒教のような精緻な祖霊儀式を産みます。やがて死は公的色彩をおび、葬制が逆に社会を創り出すことにもなる。それが中世ヨーロッパの「兄弟団」だったり(阿部、1983)、アフリカの都市スラムでの民族共同体の形成です(松田、1996)。これらはヒトにこそ見られる特徴です。
 それでは、ヒト以外の霊長類について、こうしたヒトの「老い」や「死」に結び付く道筋をどこまでたどることができるのでしょうか? これが霊長類学の一つの課題だったのですが、to be continuedとします。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...