分けることと名を付けることPart1:アンシクロペディストたちの夢

2020 7/19  総合政策学部の皆さんへ 唐突に“アンシクロベディスト”などと言いだしても、皆さんに通じるかどうか? これは「百科全書派」と訳され、18世紀、フランスの啓蒙思想家ディドロダランベール等のもとに編集した百科全書(1751~72年刊行)に携わった一連の思想家たちを指すフランス語です。

 ちなみに私は高校の世界史等で教わったおり、「なぜ百科事典の編集者たちが教科書にのるほど“偉い”のか?」と疑問がわいたのを覚えていますが、これはもちろん当時の私の知識不足・知的能力の足りなさゆえです。以下にのべるように、実際には近代思想上の一大転換点だったのですが、それでは何がこの“転換”のキモだったのでしょう?

 その基本は「知識を握った者が権力/権威を握る」という点にありました。さらに筆を進めれば、その知識の基盤とは 「事物を認識することであり、事物を識別、分類して、そこに名前を付ける」ことです。こうして“知識人”は事実を命名することで物事を整理・理解することで知的権威=権力を握るわけです。今日、多くの国家が大学をはじめとする教育・研究機関を擁し、そこに蝟集する“研究者”、“知識人”を集めることを自らの“権威付け”の一環としていることでも明らかでしょう。

 ちなみにフランス王フランソワ一世によってコレージュ・ド・フランス(設立当時はコレージュ・ロワイヤル;Collège Royal、王立教授団)が設立されるのが1530年、さらに1635年にアカデミー・フランセーズが始まります。一方、イギリスでは1660年に王立学会が開設されます。このあたりから、“知識人”は知識によって知的権力を目指し始めるのです。

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 レヴィ=ストロース(1976)によれば、身の回りの事物を選り分け、命名しようとする欲望はどんな“未開人”にも共有されています。アフリカの熱帯雨林に生きる狩猟採集民ムブティ・ピグミーの老人でも、アルゼンチンの小説家ボルヘスが想像する中国の百科事典でも変わりません。

 しかし、なんと言っても特筆すべき試みは、すべてを分類・系統付けようとするアンシクロペディストたちの夢でした。17世紀、近世フランスにおいて既存の権威(王、貴族、そして教会)に対して、無視し得ぬ力となっていた知識人たちは「知識は力であることを悟り、知識の世界を測量してその征服に乗り出した」というのがダーントン著『猫の大虐殺』での主張です。

 ダーントンによれば、アンシクロベディストの最終的な戦略目標は「知識にはっきりとした形をあたえて、それを聖職者の顕現化から奪って、啓蒙主義にかかわる知識人の手に」委ねることでした。今日、近代科学が世界にかかわるすべての認識を支配していますが、そのはじめの一歩は「既知と未知の間に」「世界地図を書いて世界の征服を企て」たディドロやダランベールたちの試みにほかならないのです。

 さらに付け加えれば、“命名”には“標準化”が好ましい。こうして化学の世界では元素記号等が、生物学ではC・リンネが始めた“学名”等が普及します。現在のビジネスでも、結局、デファクトスタンダードを握ることで他者を征していくのです。

 もちろん、こうした知識人からの支配を嫌う者、あるいは自分の邪悪な欲望のためにそれを利用することしか考えない者もいます(それゆえ、20世紀以降、世界は科学と支配者の相克の時代にもなりました)。その筆頭はインテリを“粛清”し、ルイセンコ等の御用学者を重用したスターリン、あるいは疑似科学的にアーリア民族の優秀性を唱えたヒトラー、そしてコロナウィルス蔓延の状況にほとんど対応できない政治家たちがあげられるでしょう。彼らは生態学者エド・リケッツが気づいたように“みんな真実を憎んでいる”のです。

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 その一方で、アンシクロペディストにとって思いもよらぬ悪夢でしょうが、世界を系統づけようとする試みは、一方で、あからさまでかつ無自覚な差別を生み出してきた側面がないわけではありません。

 まずあげられるのは、“標準化されていないもの(物と者)”への軽蔑である。命名・分類された近代科学が賞揚される一方で、いかにも不確かであいまいな民族科学は蔑まれる。人類学者たちが“野生の思考(レヴィ=ストロース、1976)”を称揚したとしても、たいていは近代科学による“再発見/再評価”を必要です。

 さらに、こちらの方が重大でしょうが、自分たちが創り出した体系から“はみ出してしまう”グレーゾーンへの嫌悪と無視が首をもたげます。こうした構図のもとに、東アフリカのインド系住民、東南アジアの中国系住民、ヨーロッパの“ユダヤ人”や“ジプシー”等の周縁的な人々はしばしば追放、虐殺されてきました。

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 さて、ディドロたちが充分意識していたように、近代科学での分類は単純な“分別”ではありません。「全体を共通性でおおきく分け、分けたものをさらにまた共通性に従って細分し、これ以上分けることのできない個体の一つ手前まで順次分けていって段階付け、体系化することをいう」ことをいいます。

 もちろん、これはたやすいことではありません。ディドロ自身もすでに百科全書の『趣意書』で、「むつかしいのはその形式と構成である。多量の素材を(略)まとまった一つの全体に仕立て上げなければならない」と記しています(ダーントン、1986)。このような努力のはてに、彼らは人間知識を一つの「知識の系統樹」にまとめ上げたのです。

 この“系統”に系統に時間軸を意識する時、そこにいやおうなく“進化”の概念が顔をのぞかせます。進化は、生物に限った現象ではありません。太陽系でも、社会でも、さらには特定の商品でも、一方向への時間の流れの中で不可逆的な変化が進むのはどこでも起こりうることです。

 その一方で、ここでもまた近代に固有の問題が首をもたげます。それは進化のイメージが“偏見”という新たな要素を付け加えがちなことです。たとえば、“遅れている”とラベル付けされた者たちは、そのラベル自体が評価となります。こうした考え方の典型が“社会ダーウィニズム”にほかなりませんが、そこでは確たる保証もなしに“進歩”、“進化”、“発展”等に好意的な価値観をふりまかれます。

 ディドロ自身は、1772年に著した『ブーガンヴィル航海記補遺』でこうした構造に対して、“高貴な野蛮人”というアンチ・テーゼを唱えているが知られています。それ以来、よーろぱ文明では“未開”について“高貴さ”と“野蛮”の二つの印象のなかを揺れ動いていきました。この点、もっとも皮肉が効いた論評はおそらく、レヴィ=ストロース(1976)の“熱い社会”と“冷たい社会”でしょう。後者の社会ではそもそも“熱い社会”の成立を避けるため、人々の間に境=ボーダーを築く企てを放棄してきたというのです。

 その一方で、ヨーロッパという“熱い社会”は大航海時代以降、パワーと“デファクトスタンダード”で“冷たい社会”を飲み込んできました。その過程こそが、ウォーラーステインの言う“世界システム”かもしれません。

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 現在、命名と分類はディドロたちの思惑を乗り越え、我々の認識の世界を完全に支配するにいたりました。ダーントンが指摘するように、つまるところ、命名とラベル付けは“力の行使”にほかなりません。つまり、命名は権力の行使なのです。

 ジャーナリストの本多勝一(1967)はカナダ・エスキモーが住む地で、英語で書かれた地図を開いた時にそれに気づきます。「地図を頼りに歩くうち、私はだんだん腹がたってきた。・・・すぐ南に“ケイプ・ジャーメン”という岬がある。・・・ところが、かれらにはケイプ・ジャーメンがわからない。よくよくきいてみると、ここは“アナンギアクジュ”だという。・・・・エスキモーはエスキモーで、先祖伝来の地名を使っているのだ。従って、かれらのいう場所を地図でさがしても、絶対にわからない。・・・たとえば日本を占領した外国が、京都をニューロンドンに」したようなものです。もちろん、これは他人事ではありません。この文章はさらに「シンガポールの昭南島、チョモルンマのエベレストもこれに類する。現地人を人間と見ていないのである」と続く。

 人類学でとくに採りあげられる問題は“自称”と“他称”です。上記本多の文章では“エスキモー”という名称が使われていますが、これは「生肉を食う連中」という意味のネイティブ・アメリカン(これも他称の“インディアン”を避ける中立的な呼称)からの蔑称まがいの他称です。“エスキモー”自身の自称は“イヌック”で、現在では“イヌイット”と言い換えるのがふつうとされています。もっとも、本田はこれは承知の上で、彼ら自身が平気で「エスキモー」と使うので、この名称を用いたと断っています。

 同じように、南部アフリカに“Bush man”と呼ばれる人たちがいます。「藪の人」といういかにも蔑称的な名称の語源は、さらに「山賊/盗賊を意味するBossiesman」だったとの説もあるそそうです(また、ジェンダー論的にも“man”にも問題があります。とはいえ、ブッシュパーソンとすれば解決するような問題でもないでしょう)。

 したがって、1970年代頃から、蔑称を避けるべく“San”と呼ばれるようになった。ところが、この“San”も自称ではないことが明らかになってきました。この言葉は、隣接する民族“コイコイ”(この人たちもふつうは白人からの他称“ホッテントット”で知られています)からの他称であり、しかも差別的ニュアンスの可能性があるというのです。その一方で、10以上の言語集団に分かれているBush man全体に当てはまる自称は存在しません(たとえば、グイ、ガナなどの集団が存在する)。したがって、植民地主義の歴史をむしろ鮮明にするためにも、彼らの総称をあえて“Bush man”とするという立場も出てきているという意見もまた盛んになっています。

 このように、こうした問題は終わりがありませんが、いずれにしても自分自身の言動と認識が絶えず問われている、ことだけは忘れてはなりません、ということでto be continuedとします。

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プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...