2020年9月

車内広告の歴史:身近なものからリサーチのテーマを探すPart1

2020 9/29 総合政策学部の皆さんへ 今回は「身近なものからリサーチのテーマを探す」というお題です。そこで取り上げるのは“車内広告”です。とくに電車通学の方は、毎日電車の車内広告を目にしているはずです。それでは、皆さんは車内広告や、駅の構内の広告をテーマにどんなリサーチ・プランを考え付きますか?

 そこで最初の質問です? 今朝、乗ったはずの電車、あるいは降りたはずの駅構内に、どんな広告があったか、覚えていますか? とっさに思い出せる人は意外と少ないかもしれません(過去、基礎演習等で突然尋ねると、たいてい明確な答えが返ってくることはありませんでした)。これでは広告の効果がない、と広告代理店の人は悩むかもしれません。

 ところで、新三田駅のホームに備えられた広告は、まず医療機関か塾・予備校関係が目につきます。これは言うまでもないことですが、ニュータウン=ベッドタウンの乗降駅として、進学を目指す若者層と医療機関に関心をもつ中高齢者をターゲットとしていることではないかと考えられます。

 もし皆さんの中に、将来のキャリアとして広告代理店(電通博報堂アサツー ディ・ケイ(ADK))等をお考えの方がいれば、なかなか興味深いテーマだと思いませんか?

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 さて、ムサシノ広告社という会社のHPに「広告代理店と交通広告の歴史」というコラムが掲載されています(https://www.musashino-ad.co.jp/column/ad_history.html)。この交通広告とは「電車広告・駅広告・バス広告」等を包括した広告カテゴリーのようです。その一部を紹介しましょう。

明治5年、東京の新橋・横浜間に鉄道が開通し、交通網の充実に反映して人々の行動範囲の拡大・移動時間が大幅に短縮されるなど、生活スタイルに大きな変革をもたらしました。 明治11年には、乗り物酔止薬「鎮嘔丹」が初の広告として掲出が許可され(鉄道広告第1号)、中吊り広告などの車内広告、駅ポスターなどの駅広告が次々と誕生してきました。 近年は駅の機能が乗降だけでなく商業施設を兼ねたりと、鉄道の利用形態も様々に進化し、より大型で訴求力の強い駅メディアの開発が続いています。 電車内では、交通広告誕生以来、紙媒体が車内広告の中心となっていましたが、JRのトレインチャンネルをはじめとする車内映像媒体が登場し、広告主からの人気を集めています」

 と少し調べただけでも、レポートのネタになるかもしれません。それにしても、日本の鉄道が新橋駅-横浜駅(現桜木町)駅間で開業したのが明治5年9月12日(西暦1872年10月14日)、その6年後には鉄道広告が登場する。誰がどのように考え付いたのでしょうか?

 次は、明治の文豪夏目漱石の前期三部作最後の作品『』の一節です(東京市電での車内広告だと思われます)。

この日も宗助はともかくもと思って電車へ乗った。(略)頭の上には広告が一面に枠にはめて掛けてあった。宗助は平生これにさえ気がつかなかった。何心なしに一番目のを読んでみると、引越は容易にできますという移転会社の引札であった。(略)宗助は約十分も掛かって凡ての広告を丁寧に三返ほど読み直した。別に行って見ようというものも、買ってみたいと思うものもなかったが(以下、略)」
(東京朝日新聞、明治43年3月4日)

 こちらもまた、現代の皆さんと同様、車内広告に対してはなはだ心もとなそうではあります。

 一方、漱石が今日の“引っ越業者”を、“移転会社”と呼んでいることにも気づきます。明治という時代は、文明開化の展開にあわせ、言葉が急激に変化する時代でもありました。そこにおのずと新旧の言葉が並ぶことも珍しくありません。上記の一節で、漱石は広告と“引札(引き札)”という言葉を使っています。この引き札こそ「江戸、明治、大正時代にかけて、商店、問屋、仲買、製造販売元などの宣伝のために作られた広告チラシ」をさすのですが、やがて「新聞広告の隆盛とともに取って代わられた」(Wikipedia「引き札」)。このように漱石は英文学者兼小説家として、いろいろな言葉を編み出し、取捨選択していく主体でもありました。

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 こうした車内広告に劇的変化をもたらすかもしれない/もたらしつつあるものこそ、ムサシノ広告社のHPにも言及されているトレインチャンネル(JR東日本が首都圏で通勤電車等に設置した液晶ディスプレイによる電子広告)等のデジタルサイネージでしょう。メディア情報学科に関心がある新入生の方には必須の知識です。

 Wikipediaではその特徴を「内蔵記憶装置に多数の表示情報を保持することで必要ならば秒単位で表示内容を切り替えたり動画表示を行うなど、多様な映像広告を展開できる。ネットワーク対応機の場合は、デジタル通信で表示内容をいつでも受信可能である」と表現します。こうした特徴を車内広告で最大限に活かし、新しい車内広告を考えることこそ、皆さんの課題かもしれません。

若い頃に読んだ本の印象が変わる時:高畑ゼミの100冊Part 29

2020 9/16 総合政策学部の皆さんへ

 今週は、「若い頃に読んだ本を年取ってから読み返すと印象が変わってしまった」という話にします。本と言うものはたいてい1度読んだら、そのまま二度と読まないもの。とくにそれが泰西文豪畢生の名作などと銘打たれたものならば、一度読んだだけで満足してしまうことでしょう。

 そして、長い年月が経ったのちのある日、よせばいいのに若かった頃紐解いた“名作”にまたつい手をのばしてしまう! そこで失望するか(=昔は、なんでこんなつまらない本に感動したのだ!)、そしてさらに失望を重ねるか(=どうして、昔はこの面白さが気づかなかったのか! なんて馬鹿だったんだろう! などと)様々な思いにふけるのです。

 まったく個人的な経験では、中学の時に読んだドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』をあげましょう。ともかく長い(たしか、私が読んだ世界文学全集では2巻か3巻あったはず)。その上、ロシア人の名前を覚えるのも大変です。フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフが父親で、その3男がアレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフでかつその愛称がアリョーシャあるいはリューシェチカであるとまず覚えておかないと、とても筋も追えません。

 その『カラマーゾフの兄弟』を50歳を過ぎてから再び手に取った理由はひとえに、亀山郁夫氏による新訳が出たからにほかなりません。そこで思い切って再読してみたら、「一風変わった、ただしあちこちで頻繁に出くわすタイプ、ろくでもない女たらしであるばかりか分別がないタイプ」「この郡きっての分別のない非常識人の一人として一生を押し通した」た父フョードルが、中学生での初読では「妖艶な美貌を持つ奔放な女性グルーシェンカを巡って長男と争っているヒヒ爺」という印象しかなかったのに、年齢は55歳で再読時の私とほぼ同じ、会話の端々にディドロ等の名前を口走りながら、周囲の人間や教会関係者をからかうトリック・スターぶりには刮目せざるをえません。

 中学の頃には単純な暴力的で頑迷、野卑な老人とばかり思いこんでいましたが、フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフはどうやらなかなか奥深そうな方であり、かつ、まぎれもなくロシア男性のアーキタイプの一つだ、という点を理解するのに、実に40年の歳月がかかってしまったようです。

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 もっと最近の経験では、高畑ゼミの100冊Part2;『退屈な話』と『緋色の研究』で触れたドストエフスキーの後輩(生年では39年、ほぼ2世代分の差があります)アントン・チェーホフの『かもめ』があげられます。これはある原稿を頼まれて、そこにチェーホフの科白を引用すべく、あれこれ記憶をたどるうち、『かもめ』と『桜の園』に深入りしてしまったためなのですが。

 さて、このチェーホフのいわゆる4大悲劇の筆頭を飾る傑作『かもめ』は、モスクワで活躍する大女優アルカジーナの息子に生まれながら、母と離れて母の兄の田舎の屋敷で育ち、自らの手で文学的栄光を手中にしようとあがく作家志望の若者コンスタンチン・ガヴリーロヴィチ・トレープレフことコスチャと、コスチャと恋仲にありながら、家や田舎を捨てても劇を演じることにあこがれるニーナ・ミハイロヴナ・ザレーチナヤことニーナの二人の関係のもつれであり、二人がそれぞれに挫折に直面しながら、コスチャは結局自死を選び、ニーナはドサ回りであっても女優の道をきわめようとする道を進む、という結末をとるのですが、当然、中学生としてはこの二人の若者の悲劇という印象が烙印のように押されたものでした。

 「かもめ」のストーリーをすべて紹介するわけにはいきませんから、あらすじをかいつまんで言うと、ニーナはやがてアルカジーナの愛人、流行作家トリゴーリンに魅かれていきます。トリゴーニンは自らを「おれはついぞ、自分の意志というものがない」と自嘲し、「わたしは作家としての自分が好きじゃない(=まぎれもなく、チェーホフ自身の独白でしょう)」とつぶやきます。ニーナは、彼らの活動の舞台であるモスクワへのあこがれもあわせ、この男に魅かれていきます。一方、コスチャはトリゴーリンに対して、母親(アルカジーナ)、恋人(ニーナ)、そして文学上の才能に関するコンプレックスに苦しみます。

 その結果は、当然、幾重もの愛情関係は綻・軋轢を生み、アルカジーナはトリゴーリンを連れてモスクワに旅立ちます(ニーナに心を残す彼に「あなたは馬鹿な真似をしたいんでしょうけれど、私は嫌です。放しません。(笑う)あなたは、わたしのものなの。私のものよ。この額もわたしのもの」と口説き落とします)。しかし、ニーナはトリゴーリンを追って出奔、かれと同棲して子供を産みますが、その子は死に、トリゴーリンはやがてアルカジーナのもとに戻ります。

 その2年後、元のさやにもどったアルカジーナとトリゴーリンがふたたび田舎を訪れると、そこには精進の結果、新進作家として世に出たばかりのコスチャが過去からの呪縛を完全には振りほどけないまま、二人を迎える。みんなが夜食をとりに退場した後、一人執筆をつづけるコスチャの前に突然、巡業の旅で時間を見つけたニーナが現れて、二人は久方ぶりでつかの間の会話をかわしますが、二人の道はすでに異なる道をたどっていることがあきらかになり、一人残されたコスチャは「信念がもてず、何が自分の使命かということを、知らずにいる」として自らの死を選ぶ。

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 少し前に、チェーホフの科白を引用したくてこの劇にしばらくぶりに目を通すと、しかし、あらわめて読んだ私に印象的だったのは若い二人の葛藤と迷いよりもむしろ、コスチャの母親、二十歳過ぎの息子がいながらも大女優ぶりを発揮しているイリーナ・ニコラーエヴナ・アルカージナでした。

 作家を目指す息子にとってはライバルとも言える流行作家ボリス・アレクセーエヴィチ・トリゴーリンと生活をともにし、息子を愛しながらもその創作劇(劇冒頭に演じられる劇中劇の主人公役はニーナです)を観ると、「ただね、若い者があんな退屈な暇つぶしをしているのが、歯がゆいだけですよ」(神崎清訳)とけなしてしまいます。とはいえ「あの子に恥をかかすつもりはなかったの」と言いながらも、しだいに「そろそろ気が咎めてきた。かわいそうに、なんだってわたし、うちの坊やに恥をかかしたのかしら?」と心配になる。自らの感性と欲望に素直なこの女性は、自分の主観ですべてを断罪し、かつ、その結果におろおろします。コスチャにとっては究極の“ダブル・バインド”でもあるし、いま流行りの“毒親”とも言えますが、さらにはアルカジーナは“美魔女”とも言えなくもありません。

 劇中、アルカジーナがみんなと話しながら「こうして並んでね、あんたは22、私はかれこそその倍よ。ね、ドールンさん、どっちが若く見えて」「あなたです、もちろん」「そうらね。で、なぜでしょう? それはね、わたしが働くからよ、物事にかんじるからよ、しょっちゅう気をつかているからよ。ところがあんたときたら、いつも一つ所にじっとして、てんで生きちゃいない。それにわたしには、主義があるの、未来をのぞき見しない、というね。私は、年のことも、死のことも、ついぞ考えたことがないわ。どうせ、なるようにしかならないのだもの」と言い放ちます。

  また、アルカジーナはプロの芸術家として、息子がトリゴーリンに(文学の上でも、そしてニーナをめぐる心の葛藤からも、そしておそらくは母との関係をめぐっても)嫉妬について、「才能のないくせに野心ばかりある人にゃ、ほんものの天才をこき下ろすほかに道はないからね。結構なお慰みですよ」とついつい真実を指摘してしまう。

 一方で、兄のソーリンから「一番の上策は、もしもお前が、あの子にすこしばかりの金を持たしてやったらどうかと思うよ。一つ外国へでも出してみるかな」と水をむけられますが、「服ぐらいはつくってやれるでしょうけど、外国まではね。いいえ、今のところは服だってだめだわ。(きっぱりと)私お金がありません!」「お金のないことはないけれど、なにせ女優ですものね。衣装代だけでも身代かぎりしちまうわ」と応じるのです。彼女の生活にとってまず重要なことは女優であること、それを中心に生活も、お金も、愛人もすべてが自分を中心に回っている。もちろん、息子を愛していることは確かなのですが、コスチャも自分の周囲を回るもろもろの一つに過ぎません。

 そのあげく、母子の言い争いでコスチャが母親を「けちんぼ」とののしれば、アルカジーナは「宿なし」と返す。同時に、彼の才能にどこか欠けている部分を本能的に感じてしまう、そしてそれを口にしてはいられない。コスチャにとってはこの「どこかに行きたいけれど、どこにも出口がない」状況を中学生で理解するのはやはり無理だったかもしれません。

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 とすれば、この『カモメ』をロシアの現状(=ツルゲーネフが嘆き、しかし、150年後の現在でも、あの剛腕のプーチンでさえ意のままに操れぬロシア)に対する希望を、コスチャに「わたしはもう本物の女優なの」と告げ、「わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか栄光とか、わたしが空想していたものではなくて、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの」と物語るニーナに託された希望をめぐる物語とも読めるわけですが、それは同時に自らの欲望と感性に忠実で、すべてを思うがままに操りながら、現実(愛する息子の自死)に直面せざるをえない大女優アルカジーナの悲劇の物語とも言えるのかもしれません。

 とくに、劇の終盤、あいかわらず大女優のまま、ニーナにいったんはなびいたトリゴーリンも取り戻し、相変わらずすべてが自らの周りをまわっているようでいながら、(コスチャが命を落とすピストルの音で)息子の自殺未遂を思い出し、ひとしきり嘆く姿には、あたかもフランス・ヴァロア朝末期を全力でささえながら結局はヴァロア朝消滅に至るマダム・セルパンことカトリーヌ・ド・メディシスの姿を思い起こすかもしれません。

 ちなみに、戯曲『かもめ』をめぐるエピソードとして語られる1896年にロシア演劇史上例をみない大失敗と伝えられるサンクトペテルブルク・アレクサンドリンスキイ劇場での初演のあと、2年後のモスクワ芸術座による再演での大成功ですが、コスチャをメイエルホリド、トリゴーリンをスタニスラフスキーというロシア演劇史上の大立者が扮しましたが、アルカージナは女優オリガ・クニッペルが演じ、チェーホフは数年後そのオリガと結婚します。

分けることと名を付けることPart3:ボーダー/カテゴリーの分け方:3つの例

2020 9/7 総合政策学部の皆さんへ 本来はアナログ的かもしれない変化/変異を、カテゴリーというデジタル的な枠で読み替え、そのカテゴリーに命名して、ラベル付けすることで社会的な枠に組み入れてしまう。近代社会は、こうした作業を組織的にそして大規模におこなってきました。それでは、その実態をいくつか見分してみましょう。

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 一つは、“人種”です。“人種”や“民族”という言葉をよく目にするものの、結論から言ってしまえば、純粋な“人種”も“民族”も存在しません。どちらも“統計的”な概念に過ぎないのです。それでは、これまで述べてきた“分類学的手法”が、“人種”にも適用可能なのか、見てみましょう。

 例えば、“ジプシー”の研究者であるA・フレーザー(2002)によれば、この“民族”は長年の間に混血を繰り返して、単一の遺伝的集団とは認めがたいとします。あたりまえのことですが、人間の集団は静的な存在ではありません。人々が移動する、そして様々な人と通婚するという事実によって、ヨーロッパ人があらわれる以前のオーストラリア先住民の人たちのように、地理的条件によって数万年間他の人々と隔離されでもしない限り、“純粋の人種”はもはやほとんど存在しません。

 ちなみに、ジプシーという呼称はいわゆる“他称”で、語源は「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」に由来するとのこと(フランス語ではジタン)。一方で、自称は多岐にわたり、最近はわりに知られている「ロマ」のほか、「シンティ(ジンティ)」や「トラヴェラーズ」など。ちなみに、アイルランドに住む漂白民で広義の“ジプシー”に含まれる人たちは“Irish Travellers”と呼ばれています。

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 またこんなことも言えるかもしれません。例えば、日本とボルトガルという大陸の東西の端にいる2集団をじかに比べてみれば、外貌も異なり、両者をデジタル的に分ける遺伝的指標も存在することでしょう。

 しかし、視点をさらに広げれば、両国の間に例えば日本からは朝鮮半島、中国東北部、モンゴルと地域を順に並べていくと、遺伝的な差異がアナログ的に移行していくことも容易に想像がつきます。この緩やかな変異のどこにボーダーを引けば、よく使われる“モンゴロイド(黄色人種)”と“コーカソイド(白色人種)”が区分できるのでしょうか?

 もちろん、こうした味もそっけもない言い方は、客観性を旨とする自然科学の視点に過ぎません。たぶん一番肝心なのは、ほんのわずかな差異であっても見つけて、誇張し、自他の差を広げよう(=ボーダーをひこう)とする我々の性癖=主観性なのかもしれません。つまり、自他をどこで区別しよう、と自分の心の中できめているのか、です。

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 もう一つは“”です。

 上記のように、近年まで、人種や民族という言葉がほとんど疑いも持たずに使われてきたように、ヒトの“性”は“男性”と“女性”にデジタル的に二分されるのがふつうでした。しかしながら、統計的には少数派であろうとも、“性”に様々な形態があること、あるいは人によって“性”が持つ意味がそれぞれ違うかもしれないことが、最近、“性同一性障害”や“ゲイ・カルチャー”等によって明らかにされてきます。

 なお、性の多様性には幾重もの階層性がひそみます。例えば、遺伝的な多様性。哺乳類では性染色体の存在によって、オス・男性vs.メス・女性とデジタル的に分かれれるはずなのに、染色体の変異が存在します。例えば、XXY、XXXY、XXXXY型(クラインフェルター症候群、クラインフェルター男性)など、X染色体が過剰なケース。あるいはXYY、XYYY、XYYYY型(超雄;スーパー男性)のように、Y染色体が過剰なタイプ。XX型男性:性染色体はXX型ながら、変異したY染色体の一部が他の染色体に結合、SRY遺伝子が働いている。発生率は数十万~数百万人に1人と見積もられている。外性器はほぼ男性であるが、尿道下裂が見られることもある。生殖能力はない。思春期には女性としての二次性徴をすることもある。性ホルモン投与により男性化を促さなければ、次第に女性化していく。XO型(ターナー症候群、ターナー女性):X染色体を1つだけ持ち、発現形質は女性など。これらの症状を“疾患”と考えれば、“性分化疾患”という名称が使われます。

 一方で、器質的な原因がなくとも自らの生物学的性に同一視できない“性同一性障害”もあります。すなわち「性同一性(心の性)と身体的性別(身体の性、解剖学的性別)が一致しない状態」です。そしてさらに同性愛の人たちもおられれば、異性装の人もいる。

 このように、一般的な生物学の教科書ではきわめてデジタル的に、遺伝的性質というボーダーで決定されるかのように見える“性”でさえ、やはり多様な性のあり方が存在しています。その多くが、しかし、きわめて近年まで抑圧されてきたわけです。

 近代社会における問題は、こうした現象をありのまま受け入れるか? それとも己の価値観にそってそこにボーダーを引いて、ある種の存在を社会から排除しようとするか? ということにほかなりません。そして、性以外の問題についても、ヒトはなぜ自らと違う者、あいまいな者、見知らぬ者に対してボーダーを引き、排除しようとするのか? その点に関する基本的な疑問が残ってしまうのです。

一方で、ヒト以外の生物では、性はあまりにも多様です。花を例にとると、①一つの花におしべとめしべを持つ両性花を咲かせる種もいれば、②同じ個体に雄花と雌花を咲かせる種もあり、③雌花だけが咲く雌株と雄花だけが咲く雄株が存在する種や、④一生の間に無性、雄性、雌性の間を性転換する種さえ認められます。動物でも、①雌雄同体の種(カタツムリ、ミミズ等)もいれば、②遺伝的に雌雄が決定されている種や③非遺伝的要因(孵卵時の気温)で性が決定されている種(ミシッシピーワニ等)、さらには④性転換する種等が存在します。さらに“性”抜きに増殖する生物も珍しいものではありません。クローン家畜の肉を食べることに怖気をふるう人でも、遺伝的に結実能力を失って挿し芽で増えるバナナを、それがクローンであるからという理由で手をつけない者はいないでしょう。

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 次にとりあげるのは、健康病気の境です。

 世界保健機構(WHO)憲章前文では「たんに病気や虚弱ではないということだけではなく、身体的・精神的・社会的に完全に具合のいい状態」とされています。とすれば、例えば、“老い”は病でしょうか? こうした簡単な問いでも、よく考えるとやはりグレーゾーンが存在していることに気づきます。

 さらに、ある種の病気は社会的な烙印をおされます。古くはハンセン氏病が、最近ではエイズもまたそうです。生物学的にはたんにある症状をさすだけなのに、そこに社会的な意味が付与され、ラベル付けされます。そしてそれが人々の幸、不幸を決めていくことも十分にかんがえらえrます。

 さて、自然科学の立場からみれば、分類とは“真実”を理解するために立てられた仮説に過ぎません。そこでは当然、“作業仮説”で掬いあげられない“ごみ箱”行きのものもあるし、いったん定まったかのように見えた分類もあっけなく否定されたりします。つまり、新しい事実がわかればどんどん更新されていくべきものに過ぎません。一方で、我々の社会に現実に進行したものはどうでしょう、むしろ、逆だったかもしれません。

 人種、民族、国家、宗教、それぞれのレベルで、ボーダーは仮説ではなく“現実”と見なされ、その“現実”で烙印をおされた(ラベリングされた)者たちが次々に“分類”されていきます。そうした“ボーダー”が果てしもなく“負のフィードバック” をもたらしているのです。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...