19世紀での国家の誕生と消滅 Part2:テキサスおよびハワイ後篇

2020年12月12日 総合政策学部の皆さんへ 前篇では1836~1845年という(歴史的にみれば)きわめて短期間だけ存在したテキサス共和国をめぐる(=同時に、アメリカ合衆国が旧スペイン領メキシコの実に3分の1の領土を蚕食する)歴史を紹介しましたが、次はハワイについてのお話です。

 さて、皆さんはハワイの歴史はどのぐらいご存じでしょうか? ハワイ諸島に先住民が何時たどり着いたのかについては、どうやらはっきりした証拠がなさそうで、紀元4~8世紀頃と推定されているそうです。無文字文化のために記録された“歴史”がないわけです(もちろん、記録がないからと言って、そこの人々の歴史がないわけではありません。そのあたりはちゃんと自覚して下さいね)。

 記録として残るのは、ヨーロッパ人がハワイ諸島にたどり着いた1778年、イギリスのキャプテン・クック指揮下による第3回航海の時でした。「クックはカウアイ島に上陸し、時の海軍大臣でクックの探検航海の重要な擁護者でもあったサンドウィッチ伯の名前をとり「ハワイ諸島」を「サンドウィッチ諸島」と命名した」(Wikipedia)。命名=その土地の“発見”者が名前を付けて、それが植民地支配のためのこの上もない理由となる=大航海時代から帝国主義にいたる時代につきもののエピソードです。

ちなみにこの時のサンドウィッチ伯は第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューで、「博打好きで、ゲームの最中にも食べることができるサンドウィッチを発明した」という都市伝説的エピソードが伝わっています。なお、初代サンドウィッチ伯は1660年の王政復古に貢献したエドワード・モンギューで、サミュエル・ピープスの『自伝』にも登場することで知られています。

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 次に、皆さんにはハワイ王国の成り立ちにもご関心をもっていただければと思います。ハワイ王国とは、初代国王カメハメハ1世(カメハメハ大王;1758~ 1819)がつくりあげた統一王朝で、彼の子孫によって約1世紀統治されます。

 さて、Wikipediaにはカメハメハ1世の事績として「叔父の死後、その長男のキワラオを倒して島内を掌握すると、イギリスから武器や軍事顧問などの援助を受け、マウイ島やオアフ島など周辺の島々を征服していった。政敵が火山の噴火や外敵などにより壊滅状態になったことも統一に幸いした。18世紀末までにはカウアイ島、ニイハウ島を除く全地域を支配下におさめ、1810年にこの2島もカメハメハに服属して国家統一を成し遂げた。

カメハメハ1世は火器と火薬の調達にいそしみ、火器の使用法や管理法に習熟した白人の顧問を迎え入れた。1804年には、600挺のマスケット銃、14門の大砲、40門の旋回砲、6門の小型臼砲を保有するに至った」。このように「カメハメハは優れた外交手腕でイギリスやアメリカ合衆国などの西洋諸国との友好関係を維持してハワイの独立を守り、伝統的なその文化の保護と繁栄に貢献した」(Wikipedia)とあります。カメハメハによる王国の宣言は1795年(フランス革命と同時期です)、全土統一が1810年でした。

 おわかりになりますか? 外部世界の接触により、そこからの最新兵器や体制をいち早く導入し、革新的な軍事力によって周辺を統一、近代的軍事国家を作る。実は、このパターンは17~19世紀にかけて世界各地で勃発します。例えば、イギリスからの支援によって1827年にはマダガスカルのほぼ3分の2を支配するメリナ王朝のラダマ1世(あたかもマダガスカルの織田信長という塩梅です)、17世紀西アフリカの交易ルート転換期にあって、ヨーロッパ人との奴隷貿易によって奴隷と兵器の交易によって、軍事国家化し周辺諸民族を支配したアシャンティ王国、あるいはアシャンティと同様に奴隷貿易で栄えるダホメ王国です。

 「(ダホメ王国では)歴代の王たちの主要な収入源は奴隷貿易であり、西アフリカ沿岸の奴隷商人との関係であった。ダホメ王国の王たちは戦争をして領土を広げるに伴い、ライフルや他の火器を使用するようになり、捉えた捕虜たちと火器を交換し、捕虜たちは南北アメリカ大陸に奴隷として売られていった」(Wikipedia)

 もちろん、ここで比較歴史学のセンスがある方は、これはひょっとして極東の小国=黒船来航後の日本も同じ立場だったのか、と思い至るくかもしれません。世界システムの中で、周辺部の地域には様々な政治的可能性が提示されるのですが、先進的なテクノロジーの導入による軍事国家化と、周辺地域への進出というモデルです。

 もちろん、このモデルにはさらにオチがあり、世界システムのさらなる進出はメリナ王朝アシャンティ王国ダホメ王国等をひとしく植民地化の大波に飲み込んでいくところです。江戸幕閣たちにはそうした雰囲気もまたひしひしと感じていたことでしょう。

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 話が拡散しすぎないように、とりあえずハワイに戻りましょう。このハワイ王国ははじめ白檀を経済的基盤とします(この白檀はヨーロッパ人の手により中国に輸出されたそうです;吉澤誠一郎『清朝と近代世界』)。しかし、白檀の枯渇とともに、次第にサトウキビなどのプランテーション経営が始まり、経営者=アメリカ合衆国の資本家への経済的従属が強まり、同時に清朝そして(開国後の)日本からの労働者の導入が進みます。つまり、先住民が次第に少数派になっていくわけです。

 この過程で、第5代の国王カメハメハ5世が後継者を残さず、1872年に逝去、遠縁のルナリロ王が選挙によってえらばれますが、わずか1年あまりの在位の後死亡します。その結果、第7代国王に就任したカラカウア王は、次第に増してくるアメリカ人の影響を低減すべく、1874年にワシントンに赴き、当時のグラント大統領と会談、ハワイの産品である砂糖や米の輸入自由化を認めさせます。王はさらに1881年に世界一周をおこない、日本と中国を訪問、とくに中国では当時の実力者李鴻章とも会談、ヨーロッパ人の脅威に対抗するためアジアが連帯することが重要だと説いたとのことです。

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 しかし、アメリカ系移民からの圧力は続き、1887年には逆にクーデターをおこされ、退位あるいはアメリカ合衆国への併合を求められ、交換条件として新憲法(銃剣憲法)を飲むことで、実質的な権力を失うのです。彼は1891年過度の飲酒が遠因となり、妹のリリウオカラニ(『アロハ・オエ』等の作曲者)を後継者に指名します。彼女はハワイ人からの新憲法制定の請願を受け、1893年1月14日、国王権限を強化する憲法草案を閣議に提出して否決されます。その後は、あっという間の展開になります。

 1月16日、米国公使は自国民保護を口実にアメリカ海兵隊を上陸させ宮殿を包囲、翌17日に共和制派が政庁舎を占拠し、王政廃止と臨時政府樹立を宣言します(Wikipeida「ハワイ併合」。これには当時、王国の独立を支持していた日本政府は、こちらも邦人保護の名目で軍艦を送るなど、不快感を表明します。かつ、米国政府もこの「革命」が不法なものであると認めるのですが、ハワイ臨時政府はこれを内政干渉として突っぱねた。このあたり、大国が用いる「自国民保護」とアメリカ系ハワイ人がつかう「内政干渉」の口実の使い分けなどは、ペリー来航の折、対応した幕府官僚が感じた恐れが如実に実現したものとみなすべきかもしれません。

 その後の紆余曲折、1894年7月4日の臨時政府による共和国独立宣言、女王リリウオカラニの逮捕(反乱の首謀者容疑)、1月22日の逮捕者との引き換えによる女王廃位の署名の強制などで、ハワイ王国は滅亡します。最終的に、このハワイ共和国は独立後わずか4年の1898年に米国に併合されてしまいます。このあたり、テキサス共和国をめぐる経緯とも通じますが、思えば帝国主義時代に対応することでアメリカ人の政治的テクニックも随分と向上していたとも言えるのかもしれません。

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高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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