2021年10月

総合政策学部同窓会Facebookからのお知らせ:総政の歴史を知ろう

2021 10/30 総合政策学部の皆さんへ まだ早い話かもしれませんが、総合政策学部の卒業生の皆さんで作っている総合政策学部同窓会があり、Facebookで卒業生への発信を行っています。そのFacebookで学部25周年事業などがコロナ禍でほとんどふっとんでしまったことから、総政の歴史を蔵出し画像でたどってみるというシリーズを始めました。

 1回目はKSCが荒野そのものから整地され、やがって建物が建っていく様を、2回目は1995年4月(阪神淡路大震災の数か月後)の第1期生入学式前後の新聞報道記事や写真等、3回目は初代学部長の天野先生、2代目学部長の安保先生(お二人ともお亡くなりになられました)、そしてヒューマン・エコロジー担当だったG・マーテン先生関係の画像があり、自ずから、総政の歴史がわかるという趣向です。

 これからも順次、公開していこうと思っていますので、総政の歴史、とくに卒業した先輩の皆さんの活動等にご関心がある方は、ぜひご覧ください。URLは https://www.facebook.com/kgsouseidousoukai/ です。

 高畑由起夫

名前の由来Part 2:日本人の名前について

2021 10/6 総合政策学部の皆さんへ 日本人は「名前」について語るのが好きなようです。例えば、NHKには2017年からどうどうと「日本人のおなまえ」という番組が継続中です。

 ところで、この番組ですが、どうも取り上げるのは基本的に「名字」のようです。したがって、(少なくとも私が視聴したことがある限り)いわゆるキラキラネーム等について触れられたことはないようです。

それではこの「名字」とは何か? ということ、これが結構複雑なようです。Wikipediaでは「名字(みょうじ、苗字)は、家(家系家族)の名のこと。法律上は氏と呼ばれ(民法750条、790条など)、一般には(せい)ともいう」。

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 これらの名字、苗字、家系、家族、姓等、いわば日常的にも使う言葉なのですが、一つ一つ定義を調べるとかなり面倒です。

 例えば、姓は「東アジアの漢字文化圏で用いられる血縁集団の名称。その範囲は地域や時代によって変動し、氏や名字といった他の血縁集団名と様々な階層関係にあった」とあります。かつ、日本の場合、この血縁関係を父系でたどることもあるわけですが、場合によると別の姓を名乗ることもあることもあります。例えば、来年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公、鎌倉幕府第2代執権北条義時ですが、彼は初代執権北条時政の次男だったため、長兄の宗時は北条宗時を名乗りますが(つまり父系を継ぐ)、成人後も「『吾妻鏡』で北条姓ではなく所領とした江間の姓で記される事が多く、分家の江間家の初代であったと見られる」。つまり、兄は父の姓を次いで本家筋を明示しますが、次男は「分家」としてあてがわれた土地の名前を姓に名乗るわけです。

 もっとも、義時の場合は宗時が頼朝挙兵時に戦死することで、やがて時政の後継者として、北条姓に戻ります(最終的には一種のクーデターで時政の権力を奪取して、実力で執権を勝ち取ることになります)。この結果、後世には北条義時として知られることになるわけです。

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 ところで、義時のように一時であれ、「住んでいる場所の名前」を姓にするというパターンは、実はほかにも多いことで、例えば、戦国大名として有名な毛利氏の本姓は大江氏ですが、義時も頼った頼朝側近の大江広元の4男が相模国毛利荘を領したたため、鎌倉幕府御家人毛利季光と名乗り、子孫が越後国と安芸国に分かれて、その安芸毛利氏は戦国時代に毛利元就となるというわけです。

 なお、上記大江氏は源平、藤原、橘と同じく姓(本姓)とされます。この本姓とは「日本において、古代以来の氏族名」として、名字(苗字)や家名とは異なる「本来の姓」という意味だとのことです。

 このような経緯で、Wikipediaでは毛利元就の氏族は「大江姓毛利氏」ですが、武田信玄の氏族は「清和源氏義光流河内源氏系甲斐源氏嫡流武田氏」となるわけです。

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 なお、家名(かめい)とは「父から子に父系に代々継承される永続性を持った個々の家に付けられた名称」だそうです。ちなみに、北条氏の本姓は桓武平氏もしくは伊勢平氏とのことです。

 また、姓(せい)と同じ漢字で別の読みとして姓(かばね)がありますが、この「かばね」とは「古代日本のヤマト王権において、治天下大王(天皇)から有力な氏族に与えられた、王権との関係・地位を示す称号」で、「せい」とはことなること。これでは頭がでんぐりがえりそうです。

 なお、この「かばね」は実に明治のはじめまでかろうじて存続しており、「初期の明治政府の公文書では大村益次郎は「藤原朝臣永敏」、大久保利通は「藤原朝臣利通」、大隈重信は「菅原朝臣重信」、山縣有朋は「源朝臣有朋」、伊藤博文は「越智宿禰博文」など、姓(カバネ)と諱(いみな)によって表記することを通例」としたそうです。

 しかし、これではとても近代的国家と言えません。一人の個人に明確な名前をつけて、かつそれを登録する=戸籍制度が始まります。明治4年10月12日(1871年11月24日)、姓尸不称令(明治4年太政官布告第534号)で、公文書から「姓尸」(姓とカバネ)が排除されます。明治5年(1872年)の壬申戸籍編纂で、「氏(シ、うじ)=姓(セイ、本姓)=苗字=名字」を一気に一元化することで、この面倒な状況を断ち切り、法的根拠でいわゆる「氏名」に統一したのが、明治8年(1875年)の平民苗字必称義務令(太政官布告第22号)なのだそうです。

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このあたりの姓名がややこしいのはローマ共和国・帝国時代の方々も同様で、英名のジュリアス・シーザー(あるいはたんにシーザー)で知られるガイウス・ユリウス・カエサルは「ユリウス氏族に属するカエサル家のガーイウス」という意味だそうです。なお、英語のシーザーはラテン語の「カエサル(Caesar)」は「ローマ帝国およびその継承国家で用いられた君主号」で、イエス・キリストの言葉とされる「カエサルのものはカエサルに」につながり、ドイツ語のカイザー (Kaiser) やロシア語のツァーリ (Царь, Tsar) などのように「皇帝」の称号として扱われます。

 ところで、この“皇帝”の響きがどんなに聞こえがよいか? 大英帝国(British Empire)と称されながらも、イギリス国王は皇帝ではなく、Rex)に過ぎません。19世紀、ビクトリア女王のお気に入り、首相ディズレーりは1877年、1858年に植民地として成立したインド帝国(India empire)の統治者としてヴィクトリアをインド女帝(Empress of India)に即位させるのです。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...

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