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リサフェへの近道番外編;ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(後半)

2010 10/24 総合政策学部の学生・院生の皆さんへ

 前編・中編に引き続き、ノーマルアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4」の後編です。リサフェもあと2週間とせまっているので、「リサフェへの近道」にも〆をつけないと。

 ということで、今回のメイン・テーマは、純粋の「統計学的事象」のはずのノーマル・アブノーマル、あるいは「自然」というごく当たり前の言葉に、いつしか、「価値観」が紛れ込む、そんなところかもしれません。

 ところで、今日(10月24日)はKSC(神戸三田キャンパス)の新月祭第2日目、昨日はなんとか天気が持ちましたが、今日はちょっと危なそうです。Yahooの「三田市の天気」では、15時頃から弱雨と出ています。どうなることか(後註:その後、2時前後から小雨、終了まじかの5時頃にはかなり本格的になって、模擬店の片づけは大変そうでした。皆さん、ご苦労様でした。それにしても、Yahooの天気予報も恐るべし)。\

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 さて、前編の「リサフェへの近道番外編:ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(前半)(2010/09/27投稿)」では、2010年現在の日本のでは、フツーが関東圏では“まあまあ良い事”というやや肯定的な意味、関西では“とりえが無くて、避けたい”=否定的なニュアンスである、とWikipediaに記載されていたと書いたのですが、あらためてWikipeidaの「普通」の項目を開けたら、なんと、記述が変わっているようです?!

 本日読んだ記述は以下の通り:

近年の若者言葉において「普通」は、「普通に良い」のように、一定基準を満たしている、または特に問題が無いことを表す肯定的な言葉としても使われる[1]。例えば、言葉のジェネレーションギャップを歌い上げる『これってホメことば?』という歌にも「フツーにおいしい」という表現が取り上げられている。また、「平然と-を行う」、「当たり前のように-を行う」という意味として、「普通に-を行う」というように「普通」を使用する者も増えている」 。

引用文献の[1]は、 加藤主税(2008)「携帯の普及に見る若者文化到来――現代若者言葉と老若共同参画の可能性」『國文學』2008年4月号、71頁だそうです。

 なお、この加藤先生とは、名古屋の椙山女学園大学人間関係学部(知り合いが2人勤めています)の先生で、「「死語」の概念を確立するなど、若者言葉評論家として活躍。手相研究家としては、占い関連で日本初の大学の正式科目として、名古屋文化短期大学にて「運命学」を1998年に開講」とのことです。面白そうな方なのでしょうか? この次、知り合いにあった時は、聞いてみましょう。

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 さて、統計学的に正規分布がなりたてば、平均値周辺の人々はもっとも多くを占め、いわゆるマジョリティとなります。そのマジョリティは「ごくよくある状態」という価値観とは無縁の状態のはずです。

 それが、いつのまにか「よくある状態 → 当たり前の状態 → 常に保つべき状態(いつもの状態でないと、不安になる) → 守らなければならない状態 → その状態からはずれる人たち(=マイノリティ)は矯正されるか、排除されるか(=フランスのポスト構造主義哲学者ミッシェル・フーコーのこだわった精神病院監獄)、抹殺されるべき存在(=魔女裁判とナチス等がひきおこしたホロコースト)」という道筋をたどる。

 これは人類の歴史でいわば定番的筋書であることは世界史を勉強された方は、よくご存じですよね?

 フーコーは生前カミングアウトしませんでしたが、どうやら同性愛者で、かつ精神的不安から自殺未遂をおこし、つまりは二重のマイノリティだったわけで、その息苦しさを研究に反映させたようです。

 最初、その事情をあまり知らずに遺作『性の歴史』を読んだ時には、「なんで、こんなに同性愛にこだわっているんだ?!」と疑問に思ったものです。その後、彼が同性愛からエイズに感染して、ごく初期の犠牲者になったということを知って、納得したことがあります)。

 こうして、ナチュラル/自然=ごくふつーに身の周りに存在するもの、アンナチュラル=ふつーには存在せず、その存在自体がなにがしか、否定的ニュアンスを持っている、という風にうけとられると、“アンナチュラル”という言葉に重い意味が課せられることがある、というわけです。

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 そこで、ご紹介するのは、アメリカの反体制的劇作家リリアン・ヘルマンの舞台劇『子供の時間』、そしてこれを映画化した邦題名『噂の二人』こと『The Children’s Hourです。

 なお、ヘルマンの作品は時々、ひりひりするぐらい悪意の潜在性を感じさせることがありますが、彼女はハードボイルドの傑作『血の収穫』の作者ダシール・ハメットの長年のパートナーでした。『血の収穫』は、「高畑ゼミの100冊Part3;ハードボイルドについて、コンティネンタル・オプ、マーロウ、アーチャー(2009/12/11 06:26投稿)」で紹介済みですよね。

 この劇は1936年いったん映画化されますが、映画コードに「同性愛」がひっかかり、修正をよぎなくされます。そのため、巨匠ウィリアム・ワイラー監督はアメリカ社会がある種の寛容さを持ちだす1960年(キング牧師の「I have a dream」がその2年後、1963年)に満を持して、再映画化を試みます。

 このワイラーはフランスにユダヤ系として生まれ(=やっぱり、マイノリティ)、遠い遠戚関係を頼って、アメリカの映画業界に18歳で身を投じ、生涯で3度アカデミー監督賞を受賞します。受賞作は『ミニヴァー夫人(私は未見)』、『我等が生涯最良の年(これも未見、第2次大戦の復員物です)』、そして『ベン・ハー(よきにつけ、あしきにつけ、アメリカのキリスト教社会の理念を高らかにうたった作品です=ユダヤ系なのに、というより、ユダヤ系だからこそできたのかもしれません)』です。

 主演はオードリー・ヘプバーンシャーリー・マクレーン、この2大女優が演じたストーリーは「17歳のときから親友同士のカレンとマーサは、今では共同で女学校を経営していた。カレンにはジョーという恋人がおり、二人はついに婚約した。しかし経営が軌道に乗りはじめた時期でもあり、マーサは嫉妬し、カレンと口論になる。 さらに、一人の生徒によって二人が同性愛関係にあるとの噂を流されたことから、平穏だった暮らしは次第に崩壊していく」というものです。

 この映画の最初のクライマックス、虚言癖のある女の子が主人公二人を中傷するシーンで、あの二人は“アンナチュラル”なのよと叫ぶシーンは一種の衝撃です。「“自然”でないという理由だけで、人が迫害されていく」怖さ。

 その言葉によって三人の人生は破たん、マーサは自死に追いやられ、そして、カレンは(二人を守ることをためらった)ジョーを捨てて、その地を去っていく。勁(つよい)い女になっていくのですね。

 Wikipediaによれば「シャーリー・マクレーンは、ドキュメンタリー映画 『セルロイド・クローゼット』 の中で当時を振り返って、「本当なら、マーサは自分のために戦わなければならなかったのに…」と語り、自分自身も撮影当時は同性愛というものについて何も考えていなかったと語った」と語っているそうです。

 つまり、アメリカ・キリスト教社会では、同性愛は完全なマイノリティであり、かつ社会から排除されるべき理由として、それは「反自然=アンナチュラル」である、という論理につながっていく。そこへの反省が、今のアメリカにはたしてあるのか? 皆さんはどう思われますか?

リサフェへの近道番外編;ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(中)

2010 10/6 総合政策学部の学生・院生の皆さんへ

 前半に引き続き、ノーマルアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4」の前半に引き続き、中です。ここでは、“ナチュラル”という言葉を中心に話を進めましょう。

 リサフェも近いので、調査法の教授も多少狙いましょうかね。

 さて、今日、“自然(ナチュラル)”は大人気です。例えば、Googleを使って「ナチュラル」を検索すると、0.06 秒で約 25,400,000 件ヒットしました。

 そこで、今回の課題(=証明すべき仮説)は、これらの記事の多くが「ナチュラル=良いことである」という価値観によるバイアスがかかっているのではないか? ということにします。

 と話を始めれば、お気づきの方もいるでしょう? 社会言語学でもよい、社会倫理学でもよい、「現代社会における“ナチュラル”という言葉が持っている効果」について、いくらでもレポートなり、プレゼンテーションなりができることを。リサフェのタイトルにも十分かもしれません。

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 しかし、それではどうやって数値的データにするか? 例えば、、上記の約25,400,000件のうち、広告を選び、その最初の100件を「サンプル調査」と考えて(もちろん、件数が多いほど面白いわけですが)、それぞれの文章からにじみ出る広告主たちの“ナチュラル”観についての評価を、キーワードで分析する!

 例をあげましょう。今しらべたグーグルのリストで2番目にヒットした「雑貨 ナチュラルキッチン NATURAL KITCHEN」を見てみましょう(http://www.natural-kitchen.jp/)。

 「インテリア雑貨からキッチン用品、アロマグッズや手芸用品など、ナチュラルでぬくもりのある雑貨がすべて105円で揃う雑貨屋さん。」とあって、HPを開けると「店名の「ナチュラルキッチン」という名前には、 家族の豊かな生活がキッチンから始まるように、 みなさまの幸せな生活を、私たちのお店から始めていただけるように… という想いが込められています。」と続きます。

 なるほど、“ナチュラル”という言葉について、この広告では“ぬくもり”、“豊か”、“幸せ”というキーワードと結びつく、とこの筆者は考えているな、と判断します。それでとりあえず、これらの項目をデータベースに入れる。

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 次に、5番目にヒットした「ナチュラルハウス」というHPを見ましょう(http://www.naturalhouse.co.jp/)。これは「オーガニックライフを提案するナチュラルハウス。自然食品や自然化粧品等を取り扱っています」とのことですが、

 のっけから「オーガニックビューティーは、安心・安全であることはもちろん、つよい生命力と美容効果を実感できます」とあります。ふむふむ、ここではどうやら“安心”、“安全”、“生命力”等がキーワードでは!

  なお、この作業は複数人が別々におこない、あとで二人のデータベースを突き合わせます。一致度が高ければ、それは研究の本当らしさのひとつの証となります。必ず、複数の方が、かつ互いの評価を知らぬまま、行うこと。“科学”も、そして“民主主義”もそうですが、得られる“結果”よりもそこまでに至る“手続き”の方が重要な場合が多いのです。

 こうした作業を無作為に300ほど続ければ、すくなくとも「現代日本のWeb情報における、“ナチュラル”という言葉に含まれる含意の実態」が見えてくるかもしれません。

 そこでデータベースをもとに、“ナチュラル”ともっとも結びついている項目を分析、この場合は“因子分析”あたりがよいのですかね? 私は因子分析をほとんど使わないので、ちょっと自信がありませんが。ここまでが“リサーチ”です。

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 ここから先は、“ディスカッション”になりますが、ここまでくれば、その人によってさまざまな議論が展開されます。“ナチュラル”という言葉にまつわる印象の変遷をたんたんと記述する人もいるでしょう。

 あるいは、そうした“自然観”が実は根拠が薄いものであることを指摘する人もいるでしょう。さらに、あるべき“自然観”を主張する人もいるかもしれません。

 逆に、こうした“自然観”の操作を学ぶことで、新しい広告の方法を考える人もいるかもしれません。それはいわば“お好み”の世界です。

 こうして、リサーチが“事実”の追求であるのに対して、ディスカッションはその解釈とそれをベースにした自己主張であり、当然、同じ事実(=アフリカではみんな裸足だ)から別の結論が出てくる(=ここは靴のマーケットになる/ならない)(「リサーチ&レポート;リサフェへの近道Part2~いかにして“課題”に気がつくか?~(2010/06/29 投稿)」を参照)。

 ついでに、自然科学者として私が付け加えたいのは、自然は決して安全でもなければ、安心でもない。たしかに生命力はあるかもしれませんが、人にやさしくなんぞない(アフリカの大地で3年も暮らした者にとってはね)。

 第一、自然は毒がいっぱい、かのWikipediaにも“自然毒”の項目があります(そのあたりは、自然環境論でも触れているはずですが)。個人的には、広告で“自然”とか、“ナチュラル”等の言葉を目にしたら、まず、眉につばをつけるのが良いと思っています。

 ということで、たちまち、社会言語学、環境学、広告学等のテーマにかかわる調査が、PCを通じてだけでできてしまいます。もちろん、Webに出てくる“ナチュラル”を調べる方法はこのほかにもいっぱいあるはずです。

 その方法を考えることこそ、皆さんのオリジナリティを高めるはずです。

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 つぎに、この“自然”あるいは“ナチュラル”に関する社会言語学、環境学、広告学的調査の“深化”です。

 一つは、この言葉をめぐる歴史的経緯を探る。このあたりで、Webでの簡単なリサーチは難しくなります。一つは、新聞記事や広告を探す。Webでさがすより、例えば、新聞の縮刷版を丹念に読んで、データベースを構築されることをお奨めします。

 たとえば、10年前、20年前、30年前というように、10年ごとの刻みで新聞の広告欄を見る。そこに“自然”あるいは“ナチュラル”が使われているか? 何時から使われ出したか? どのぐらいの頻度か? 使われるとしたら、どんなキーワードと共に使われているか?

 こうして“自然”なり“ナチュラル”という言葉をめぐる、現代日本語の変遷、あるいは“自然”観(“自然観”ではなく)の変遷が浮き上がってくるかもしれません。

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 さて、こうした“ナチュラル”という言葉にまつわる話を続けていると、それでは英語で“アンナチュラル!”と言う際、どんな意味が込められている可能性があるか? という話については、To be continued・・・・・(→ 後へ)とします。

 

リサフェへの近道番外編:ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(前半)

2010 9/27 総合政策学部の皆さんへ

 リサフェも近いことを踏まえ、リサーチ&プレゼンテーションの例として、何が“普通”あるいは“ノーマル”で、何が“普通でない”≒“アブノーマル”なのか?

 あるいは、何が“ナチュラル”で、何が“アンナチュラル”なのか、というテーマで話したいと思います。

 思えば、ひょっとして“フツー”とか、“アブノーマル”とか考えることはかなり“哲学”的な課題かもしれません。

 例えば、あなた自身は、ご自分を「フツー」だと思っていますか? では、「フツー」とは何でしょう? そして、これらのテーマでリサーチ・プレゼン・レポートは可能でしょうか?

  • ちなみに、かのWikipediaでは、「フツー」という言葉を使う時、関東では「まあまあ良い事だ」=やや肯定的に、一方、関西ではむしろ「とりえが無くて、避けたい」=否定的にとらえる、と書いていますが、本当でしょうかね? 皆さん、どう思います。ご自分を「フツー」だと言う時、関東では「他の人とかわならい」、関西では「とりえもないなあ」ということになってしかねません。
  •  
  •  こうした話題は社会言語学、うちの学部だと陣内先生、あるいは英語ならばHEFFERNAN先生の領域でしょうね。これだけで、プレゼンができそうです。
  •   

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 まず、「ふつー」の定義です。Wikipediaでは、「普通」について、以下のようにお書きです。

  • 普通(ふつう)とは、特筆すべき属性を持たない状態の事。「特別」と対比される概念である
  •   

  しかし、これでわかりますか?  一方、『広辞苑』では「①ひろく一般に通じること。②どこにでも見受けるようなものだること。なみ。一般」とあります。こちらはなんとなくわかりやすそうな気もします。

   とりあえずWikipediaに導かれ、それでは「“特別”とは何か?」をさぐりましょう。「特別」の項は以下の通りです。

  • 「特」には抜き出るだとかほかの物より優れているという意味がある。特殊(とくしゅ)ともいう。なお、特別はほかと違うその状態、ある場合にのみ適用されており、重要であるという意味合いも強い。どうして特別であるかといえば、ある特定の人や事物にしか受け入れられないだとか、先述の通り重要であるとか、利用が他と異なるといったことがあげられる
  •   

   なんだか、読んでいても、明晰でないというか、「まあ、どうでもよい」という気になってしまうかもしれません。しかし、それでは、せっかくの話題が台無しです。 

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 それでは、自然科学にとって“フツー”とは何かと言えば、(私の個人的な見解では)ごく単純に「統計的に処理した場合に、“よくある”状態」ということになるでしょう。

 なお、自然科学においては、Wikipediaの「特別」の定義のうち「重要であるという意味合い」等、価値観にかかわるものは一切排除します。たんに、統計的事実のみ、「よくある」か、「あまりないか」の判断だけです。

 そこに価値感が加われば、応用科学なり、社会政策のレベルになってしまいます。

 ということで、統計がまたもや登場します。以前のブログ(例えば、「統計学の奨めPart 1:なぜ“統計”などというものを勉強しなければならないのか?(2010/04/26投稿)」では、何やら生きるために必要なスキルという感じでお話ししましたが、ここでは、あなたが“フツー”にお使いの言葉に、どんな意味を込めているか、それも統計でしか判断ができない、ということになります。

   さて、統計では、一つのことを調べます。例えば、人間の身長でもよい。あるいは皮膚の色でもよい。指紋のタイプでもよい。もちろん、テストの点数でもよい。何でもデータです。できれば無作為に、そして大量にデータを集める。

 こうして大量にかつ無作為にデータを集めると、大数の法則=「ある母集団から無作為抽出された標本平均はサンプルのサイズを大きくすると真の平均に近づき、経験的確率と理論的確率が一致する」(Wikipedia)が成立します。

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 次に、集めたデータを標本分布をグラフにしてみましょう。その全体の形が、「平均値の付近に集積するようなデータの分布を表した」場合、“正規分布”と呼ばれる形になる場合があります。

  Wikipediaでは、「正規分布が統計学上特別な地位を持つのは中心極限定理が存在するためである。中心極限定理は、「独立な同一の分布に従う確率変数の算術平均(確率変数の合計を変数の数で割ったもの)の分布は、もとの確率変数に標準偏差が存在するならば、もとの分布の形状に関係なく、変数の数が多数になったとき、正規分布に収束する」というものであり、大標本の平均値の統計には、正規分布が仮定されることが非常に多い」とあります。

 わかりやすく言えば、データを大量にとって、その分布形を調べると、平均値のあたりがもっとも多く、それよりはずれるにしたがって、裾野がひろがっていく分布をとることがある。それを正規分布と呼ぶ、ということぐらいをまず覚えてください。

 そして、自然科学では正規分布の平均値のあたりを「フツー」、左右の裾野の端の方を「フツーではないかもしれない(あくまでも、“しれない”ですよ。断定はできないのです)」と判断するのが“普通”です。そのうえで、標本の分布を比較して「統計的に有意である」とか、「統計的に差がない」とか計算していくのです。

  • もちろん、正規分布以外に様々な確率分布があるので、そのあたりは統計関係の講義でお勉強を。極端な場合、フタコブラクダのコブのように二山型の分布もあり得るでしょう。
  •  

 例えば、ムブティ(中央アフリカに住んでいる狩猟採集民、一般には「ピグミー」と呼ばれている人たちの一部の自称;身長は平均1.5m未満)と、東アフリカのディンカ(半砂漠地帯でウシ等を飼っている超高身長の人たち;平均1.8m以上)の身長の分布図を比較すると、(私なら、ノンパラメトリック統計ではマン・ホイットニーのU検定を使うところですが)、統計的差がありますね、ということになります。

 そして、世界中の人たちの身長をすべて測れば、この二つの民族の人たちは、それぞれ平均値からかなり離れた両裾野にあることがわかります。これで初めて、ムブティもディンカも身長という基準において、人類全体から見ると「フツー」から離れていることが立証されるのです。

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 このように数的資料から何かを読み取ろうとすれば、グラフは大切。標本の分布を見れば、自分の主張をデータが裏打ちしてくれるかどうか、一目瞭然のこともあります。

 逆にいえば、せっかく発表していても、お前はデータの読み方を知らないね、と言われるだけになるかもしれません。統計ソフトには計算結果だけでなく、グラフ機能がついているはずですから、かならず、グラフを作る事!

 そして、そのグラフの縦軸、横軸にはかならず単位を入れておくこと(あるイベントで、どこのゼミとは言いませんが、どの発表もグラフの軸に単位がついていないことがありました!!

 ありていに言えば、単位のないグラフはまったく意味がない、ただのゴミです。その場合は、リサフェの審査で点数が下がる事を御覚悟下さいね)。

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 これで進化の世界を論じれば、突然変異であらわれるミュータントはみんな、「フツー」ではないわけですね。もちろん、ブレークスルーであらわれる新たなビジネスプランも「フツー」ではないわけです。

 それがいつの間にか「フツー」のパラダイムになってしまう=これが進化あるいはパラダイムシフトです。あるいは陳腐化でもありますが。

 ただし、せっかく新しいビジネスプランを考えて、最初はブレークスルーしたはずなのに、皆が同じことをやりだし、差がなくなってしまうと、そのプランナー/会社の立場にたてばビジネスプランが“陳腐化”したことになります。

 というあたりで今回も十分長くなってしまいましたので、とりあえず前半としましょう(→ 中へ

リサーチ&レポート;リサフェへの近道Part3~“パラダイム”という魔法のメガネ~

2010 7/3 総合政策学部の皆様へ

  Part1では知識のつなぎ合わせ方を、そしてPart2パラダイムあるいはブレークスルー等の言葉を紹介しました。それで、パラダイムについてもう少し説明しましょう。

 まず、覚えたいのは“理論”と“経験”という言葉の意味です。近代の自然科学はこの二つの相克でもあり、その歴史を扱う学問領域を“科学史”と呼びます。

 また、科学史に必要な「科学に対する哲学的考察/哲学的基礎付けの作業の総称」を“科学哲学”と呼びます。

 と書いていると小難しそうですね。それでは、経験とは何か?

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  Wikipediaでは「実際に単一あるいは複数の行為に参加あるいは行動を実践することによって、物事を理解したり、技術を習得したりすること」とあります。

 これまた、小難しそうですが、以下が経験からのブレークスルー(あるいはパラダイムの変換)の実例です。要するに、貴方の眼の前で起きていることに(誰よりも早く)「気付く」ことだと考えて下さい。例をあげましょう。 

  • 実例1:イギリスが第一次大戦戦車を発明します。でも、ドイツ軍の塹壕を突破するための歩兵の支援ツールとしか考えていなかった
  •     → むしろ戦車を主体で歩兵が従の機甲師団を作って、塹壕戦等にかかわることなく、敵の前線を突破しよう!
  •     → これが第二次大戦で出来する電撃戦理論=フラー、ド・ゴールグデーリアンリデル・ハート等少数の先駆者だけがこれに気付きます
  •       しかし、権力者=ヒトラーの支持によって実現させたのはドイツ国防軍のグデーリアンだけでした
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  •  ところで、上記のド・ゴールとは第2次大戦後、フランス第5共和制において強力な大統領権を得て、アメリカを相手にフランス・ナショナリズムを振り回すことになる、あのド・ゴール将軍/大統領です。
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  • 実例2:リンゴが地面に落ちる
  •    → なぜ、落ちるのか?(どうして、どこかに飛んで行かないのか?)
  •    → 万有引力の解明(理論)=アイザック・ニュートン(「リンゴ」の話自体は後世の創作だそうですが) 
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  • 実例3:それまでの「掛け売り」商売を「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」にビジネスを変換させる
  •    → 薄利多売で高利益
  •    → 延宝元年(1673年)の三井高利による越後屋(現、三越)のビジネス・プランの変換 
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  •  ちなみに、19世紀のパリで、同じような掛け売り商売の店から、巨大店舗による「派手なショーウィンドウと大安売りの季節物」(Wikipediaより)で大成功をおさめ、百貨店という小売り業界のブレークスルーを実現したのが、現在も経営している百貨店ボン・マルシェ
  •  
  •  ボン・マルシェの経営によって、19世紀の百貨店革命をリードしたのはアリスティッド・ブシコーとマルグリット夫妻で「バーゲンセール、ショーケースによる商品の展示、値札をつけ定価販売」を打ち出します(1852年営業開始、1887年に完成)。
  •  なお、越後屋の後身「株式会社三井呉服店」が百貨店(デパートメントストーア)に変身するのは1904年です。 
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  • 実例4:ガラパゴスゾウガメや小鳥のフィンチは島や食べ物によって、少しずつ形態が違う
  •   → 祖先は1つで、それが島の環境やニッチで変わっていく

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 このように自らの経験から、従来の発想を転換して、新しい世界を発見する。また、その新しい世界を説明するのが“理論”です。

 理論で裏打ちされなければ、それは経験則として、感覚的な意見(いわゆる直感)の段階にとどまり、説得性に乏しいとみなされます。

 リンゴが落ちることは誰でも知っていますが、それを「質量をもつ物質は互いに引き合引力を持つ」と考えれば、体系的に経験を説明できる。この思考体系を形作ったのが、ニュートンなのです。

  •  上記の実例3のように、特定のビジネス・プランについて具体例を考えさせて、経験 → 理論 → 実践の過程を追体験させるのが、アメリカのビジネス・スクール(経営大学院)等で一般的なケース・スタディにあたります。このケース・スタディの分析例を豊富に持っているスクールこそ、有力校なわけです。

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 さらに、理論を応用(いわばコピー)することで、次々と新発見ができる。

 Part1で説明したフレミングによるペニシリンの発見は、同じスキルの適用で、数々の抗生物質の発見につながります;エリスロマイシンセファロスポリンテトラサイクリンストレプトマイシンバンコマイシン、etc. 

 これこそ、“現状突破”=ブレークスルーの賜物です。

 このように、“理論”あるいは“パラダイム”はみんなにとって世界が違って見える“魔法のメガネ”、なんと素晴らしい! はずですが、実は、そのメガネが知らぬ間に流行遅れになってしまえば、たちまち別のメガネに乗り換えなければいけない。

 こうなると、自然科学の世界もコメディに堕ちかねません。

 ほら、よくいるでしょう。いつもメガネを探し回っているのに、肝心の“ブツ”が見えない人たちが。

 また、いつも新しい理論を紹介してやる、と言っているのだけれど、肝心のこと=“貴方はいったい何をやっているのですか?”がはっきりしない人たちが。

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 さて、“パラダイム”について、あらためて説明しましょう。

 これは科学哲学者のクーンが提唱した言葉で、その時代に「暗黙のうちに研究の指針とする手続きや考え方の集大成」という意味です。

 なお、かなり広義に使われている言葉なので、厳密な定義はなかなか難しいようです。

 クーン自体が、あまりに拡大解釈されてしまうために、自らこの言葉を使わなくなったとも言われています。ここでは、あえてあいまいなまま使いましょう!

 例として日本の近代医学受容における、パラダイム変遷を紹介してみましょう。日本では、以下のような変遷をたどりながら、西洋医学を受容していきます。

  • 段階1:外科技術の受容:江戸時代の蘭学の世界です。当時は、内科よりもまず外科手術のスキルの導入が盛んでした。それだけ、彼我の差が大きかったともいえます。
  •  
  • 段階2:コッホ・パスツールの細菌学的パラダイム:江戸末期から明治期、当時の最新の医学的パラダイムが導入されます。光学顕微鏡細菌を発見 → 培養 → 実験動物に接種 → 発症=感染症説の確認
  •  
  • 段階3:化学療法のパラダイム:細菌学やウィルス学で病因がわかっても、病気がなおるわけではありません。薬の開発のため、1908年にノーベル生理・医学賞を受けたエールリッヒは有機ヒ素系製剤として梅毒の特効薬サルバルサンを開発します。このパラダイムが確立すると、同じような化学製剤(サルファ剤等)が次々に開発されます。
  •  
  • 段階4:ウィルス学のパラダイム:(2)の光学顕微鏡ではとらえられない小さな病原体=生物とも非生物ともとれるウィルスを、電子顕微鏡の発明まで、「そういう微小な病原体がいるに違いない」という理論に基づいて調べていきます。
  •  
  • 段階5:抗生物質のパラダイム(Part2を参照)
  •  
  • 段階6:疫学(病気の生態学)のパラダイム:高木が調査したように、病気は環境と切り離せません。まず、病気の生態を探ることが重要になってきます。
  • ・・・・・・・・・・・(これからもパラダイムシフトは続いていくでしょう) 
  •  

 経済学ならば、古典派経済学も、マルキシズムも、ケインズ経済学も、新しい古典派もパラダイムなのです。

 そして、そのパラダイムがはたして目の前の漆黒の闇をすっきり見とおす“魔法のメガネ”になるのか、それとも、時代遅れのガラクタで、貴方を地獄への道に導くことになるのか、それはあなたの選択次第です。

 こうして、経験 → 新理論 → パラダイムとして確立 → 新パラダイムによる新しい発見 → そのパラダイムで説明できない事例を経験 → 新しい理論 → さらに新しいパラダイムの確立、という向上的(あるいは下降的?)スパイラルの形をとります。

 その結果、自然・社会・人文科学とも、その歴史は“理論(思想)”と“経験(実測/観察・実験)”の果てしもないせめぎ合いです。

 科学史は、かつては一世を風靡したけれど、いまや打ち捨てられたパラダイムの墓場です。これも実例をあげましょう。

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実例1:天動説(例えば、プトレマイオス派)と地動説(コペルニクス派)

 手短に言えば、この論争は、地球から見ての恒星の動きや満ち欠け(経験)を理論(地球が中心で、太陽が回っているか? vs. 太陽が中心で、地球が回っているのか?)で説明できるか?  が主眼です。

 よく知られているように、プトレマイオスは複雑な現象を説明するため、精緻な理論を考え出します。

 彼は「周転円を取り入れつつ、離心円エカント を導入、体系化した。恒星球の中心は地球だが、惑星の従円の中心はこれとは異なる(離心円)。周転円の中心は離心円上を定速では回らないが、エカント点からこれを見ると一定の角速度で動いている。 (中略)プトレマイオスの体系は当時としては非常に優れたものであり、地球を中心と仮定して惑星や太陽の運動を説明するには、これ以上のものは無いと言ってもよい。仮に(そんな事はあり得ないが)太陽系の惑星の運動が全て円運動であったのなら、プトレマイオスの体系でほぼ完璧に説明ができたであろうWikipediaより)」。

 それに対して、コペルニクスは、プトレマイオスの理論では説明できないいくつかの経験(観察値)とのずれについて、発想の転換(パラダイムシフト)によって地動説をベースにすれば説明しうる、何よりプトレマイオスのような複雑怪奇な理論を考えなくてもすむと気づいたのです。これがいわゆるコペルニクス的転換です。

 もっとも、コペルニクスの説は理論的要素が強く、当時の観察精度では“誤差”の範疇とあって、決着はなかなかつきませんでした。

 そのため、その後のティコ・ブラーエの折衷案と精緻な観察(それを分析できずに死亡)、師ブラーエのデータを分析して、法則化(=理論化)に成功したケプラーを経て、ニュートンによって理論化が完成します。

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実例2:脚気(かっけ)”をめぐる論争:日本の近代医学における“理論”と“実行(治療)”の衝突

 まず、脚気とはなにか? 『大辞林』には「ビタミン B1 欠乏による栄養失調症の一。末梢神経が冒されて、足がしびれたり、むくんだりする。脚病(かくびよう)。あしのけ。[季]夏。《―病んで国に帰るといとまごひ/虚子》 」とあります。

 しかし、これは今だから言える事。明治初期、日本の陸軍海軍が創設された際、兵士たちに(ビタミンB1をほとんど含まない)白米を中心とした兵食を出すと、脚気患者が続出して、そもそも戦争にも入れない状態が出来したため、国家的大問題になります。

 この事態に対して、ドイツ系学派(陸軍)は当時最新だったコッホパスツールの理論(細菌学のパラダイム)をベースに、感染症説を主張します。一時期、“脚気菌”を発見したという東大教授まであらわれました。

 一方、本症を栄養障害の一種と断定したのが高木兼寛(海軍;疫学のパラダイム)です。その当時、英国系及び漢方医学派が栄養障害説を主張して、陸軍と対立します。

 高木はとくに海軍の軍医として、患者を観察(ここが重要!)、洋食を摂る士官に脚気が少なく、米食が中心の下士卒に多いことから、遠洋航海で西洋食を摂る艦と日本食の艦と比較、前者で患者が出なかったことから栄養障害説を確信します(Wikipediaより)。

 こうして海軍は麦飯導入の結果、1883年から85年にかけて、脚気患者数・死亡者数とも激減します。

 もっとも、その後の経緯をみると、必ずしも根絶したわけではなく、とくに1915年以降にふたたび増加したります(これは兵に不満があった麦飯を減らしたことも一因のようです)。

 ところが、陸軍では森林太郎(森鴎外)、石黒忠悳等を中心に、栄養障害説は科学的根拠がないとして(事実、高木が考えた理論=たんぱく質不足説は、現在では否定されています)。ビタミン自体の発見が1910年ですから、無理もないのですが)、麦飯の食用に強硬に反対します。

 この結果、陸軍は脚気の犠牲者が続出します。日露戦争では、陸軍に25万人の脚気患者がでたとされています。戦死者46,000人余に対して、27,00人余が脚気で死亡したという説があります(Wikipediaより)。

 こうして脚気をめぐる論争は、本来、病因を何に探るべきか? というパラダイム論争であったはずなのに、多くの犠牲者を生じさせる社会問題になってしまいます。

 昨今、Webを見ると、結構、高木の「たんぱく質不足説」をあげつらう説が掲載されていたりしています。

 そういう記事を見ると、ついつい「下種の後知恵」とか、「ミネルヴァの梟は夕暮れに飛び立つ」等の台詞を思い出してしまいます。

 何よりも、目の前の脚気患者をなんとかしなければいけない立場の陸軍幹部の態度だけは、自然科学の立場からは首肯しかねると言わざるをえません。 

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   ここでさらに問題になるのは、どうすれば、経験から理論が導き出されるのか、ということでしょう。それが科学史上、ずっと続く帰納法と演繹法のせめぎあいです。

  帰納法とは「個別の経験的事実から、一般的な法則を見つけよう」とするものです。例えば、上述の高木のやり方はそれにあたるかもしれません。以下のような思考の道筋です。

 (1)食べ物が違うと、脚気の発生率が異なる=仮説:脚気は環境、とくに食物に起因する → (2)実験してみると、たしかに麦食では脚気は防止できる → (3)とりあえず、麦食を導入して、脚気を予防する → (4)麦食だと脚気が防止できることから、一般的な説明を考える → (5)たんぱく質不足説を提唱=結果的にまちがいで、森鴎外らにそこを突かれる。

 Wikipediaでは、「演繹においては前提が真であれば結論も必然的に真であるが、帰納においては前提が真であるからといって結論が真であることは保証されない」と指摘しています。

 高木のたんぱく質不足説はこれに見事に該当します。ただし、(3)の実践的業績を否定するものではありません(もっとも、理論の確立に失敗したことは、後世の海軍でふたたび脚気が出来したことにつながります)。

 一方、演繹法では「一般的理論から、個々の現象を説明しよう」というものです。脚気論争にとれば、「脚気=感染症」という理論から、すべてを説明しようというわけです。

 (1)脚気は病原体から起きる病気のはずだ → (2)脚気患者から細菌類を採取する → (3)純粋培養して、他の動物に感染させる → (4)その動物が脚気にかかる=病原菌が特定できた。

 このやり方は(1)の仮説が正しい場合、非常に効力を発揮します。“魔法のメガネ”をかけると、以前は見えなかったものが見えてしまう。

 ただしそれもパラダイムがうまく適合していればこそ。パラダイムがずれていれば、悲惨なことになってしまうのです。その典型例は、コッホ・パスツール型パラダイムの最後の体現者野口英世です。

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実例3:野口英世の悲劇

 このケースは、光学顕微鏡を駆使するコッホ・パスツールのパラダイムでは解決できないはず(と、今ではわかっている)黄熱病ウィルスを、古いパラダイムで探し求めて、結局、自らも死んでしまうという悲劇です。 

 当時高名だった日本出身の細菌学者野口英世は、1918年に南米エクアドルに、黄熱病の病原体を発見するため赴きます。そして、9日後には特定に成功、ワクチンの開発に成功したと発表します。

 しかし、今日では、彼が発見したのはワイル病スピロヘータとされ、電子顕微鏡でしか確認できないはずの黄熱病病原体(ウィルス)の発見は否定されています。

 そして、1927年、イギリスの医学者が野口ワクチンはアフリカで流行している黄熱病に効かないと発表します。

 翌年、野口はガーナで研究を始めるも、自ら感染してしまい、死亡します。「私には分からない」が最後の言葉であったと伝えられています。

 この経緯について、残念ながら、後世の評価は野口に厳しく、「パラダイムの変換期に新しいパラダイムに乗り換え損ねた悲劇の科学者」、「遅れて来た天才」と評されています(Wikipediaより)。

 こうして自らがよって立つパラダイムが時代遅れになると、強者は弱者の立場へと、一気に逆転してしまう。

 例えば、テープやCD/MDを媒体としいたソニーのウオークマンが、iPod等によって圧倒的に不利な立場になってしまう、いわば現実の世界なのです=ウオークマンやフォードT型もまた、立派なケース・スタディの対象です。

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 さて、今日、リサーチでもっとも適当な方法と考えられているのは“仮説検証主義”です(統計学的に検証することを“仮説検定”と呼びます)。この作業は、以下のような手続きを踏むかもしれません。

  • 段階1:課題についての文献調査(サーベイ調査)をおこないます=「アフリカは靴のマーケットになるか?」という課題なら(Part2を参照)、とりあえずアフリカの靴についての既存の統計データを調べる。
  •  
  • 段階2:予備調査をおこないます=(かつては)船でアフリカの港にでかけ、みんなはだしであることを確認する。
  •  
  • 段階3:理論(パラダイム)にもとづき、作業仮説をたてる(作業仮説とは、研究初期の段階で、経験値をもとに、研究方針をとりあえず立てるための仮説)です。この場合、①アフリカでは靴は売れない(A社)、②アフリカでは靴は売れる(B社)、③アフリカでの靴についての需要は潜在的なものにとどまり、経済が上向かないとマーケットにはならない(C社)=この一連の代替仮説を仮説群と呼びましょう。
  •  
  • 段階4:段階3で立てた作業仮説にもとづき、調査を開始。調査はアンケート、ヒアリング、インタビュー他、仮説にあわせてさまざまな手段をとります。
  •  
  • 段階5:段階4のデータを分析します。そして、仮説群から、「どれが経験(実測/観察)値を最もうまく説明するか?」考えます。
  •  
  • 段階6:段階5にもとづいて、靴のメーカーとしての経営戦略(+戦術)をたてます。これがレポートでの“考察”にあたります。

  まず気をつけねばならないのは、段階1です。過去にどんな研究があるか? せっかく調べても、他の人がすでにやってしまっていた周知の事実ならば、オリジナリティはゼロになってしまいます。

 そして次は段階3かもしれません。

 リサフェなどでよく見かけるのですが、可能性を最初から一つに絞っている方が非常に多い。

 “総合政策”なのだから、いろんな視点で、いろんな角度で見るのが肝心!

 自分の進路や病気等についても、セカンド・オピニオンが重要であるという今の時代、やはり共同研究者とのディスカッションや、先生からのアドバイスが大事なのです。

リサーチ&レポート;リサフェへの近道番外編~“退屈”ということについて~

2010 6/12 総合政策学部の新入生の皆さんへ

 皆さんは、“退屈”とは何か、考えた事はありますか? Wikipediaによれば「なすべきことがなくて時間をもてあましその状況に嫌気がさしている様、もしくは実行中の事柄について関心を失い飽きている様、及びその感情ある」とのことですが、たとえば「退屈についてレポートを書け」と言われた場合、どうすればよいか?

 例によって、レポート作成のためのインストラクション、まずは“退屈”をどの角度からあつかうか、テーマの指導です。

 こういう場合に、まっさきに考え着くのは、「退屈の起源」あるいは「人はいつから退屈するようになったのか?」かもしれません。とりあえず、その事物がはじまった起源を考えるのは、思考のきっかけとしては正当なものです。もっとも、そのWikipediaの「退屈」の項に書かれているのは、いわば退屈の現象学であって、その起源については何も書かれておりません(ということに、気付かれましたか?)。例えば、私の専門は“サル学”ですが、それではサルは“退屈”するか? 難しいですね。

 サルにインタビューするわけにいきませんから、こうした微妙な心理学的な心の揺らぎについては、本当に印象論でしか物語れません。その上で、大胆に言ってしまえば、“野生”のサルに“退屈”はなさそうだと思います。

 ところで、上の文章でわざわざ“野生”と付け加えたのは、実は、動物園等の狭い檻に閉じ込められていると、サルや肉食獣、あるいは猛禽類等もそうですが、いわゆる拘禁反応のような症状を示したりするからです(例えば、絶えず身体を小刻みに動かす常同運動[『介護ことば辞典』のHPのhttp://www.kaigo110.co.jp/word/%E5%B8%B8%E5%90%8C%E8%A1%8C%E5%8B%95等参照]をしたり、自分の毛をむしったりします)。

 やはり、“自由”を奪われるのは、ヒト以外の動物にとっても苦痛の場合があるのです。そうした異常な(=普段は見られず、また合理的とも思えない)行動が出来しているということで、“退屈”の存在を類推する、ということも興味深いことかもしれませんが、実は、ここまでが今回の話のマクラです。

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 一方で、“退屈”をめぐる歴史、とくに文化史というテーマも面白そうです。それでは、古来、人々は“退屈”にどう接してきたのか? 少し、“名言”を発掘してみましょうか。

 “退屈”についてもっとも有名な台詞の一つは、18世紀、神聖ローマ帝国のハプスブルグ家から、長年の敵対的関係を清算するための政略結婚としてフランス王家のブルボン家に嫁ぎ、夫ルイ16世と前後してともにフランス革命で処刑されるマリー・アントワネット(正式な名はマリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ドゥ・ロレーヌ・ドートゥリシュ)にほかなりません。『ベルサイユのばら』の主人公である彼女は、ある日、ふと漏らします。

私、退屈するのが、怖いの

 この瞬間、歴史の歯車は、先王ルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人がつぶやいたという「我らの後は、大洪水」との予言が現出するカタストロフィーフランス革命へと確実に回り始めるのです。

 マリー・アントワネットの生涯については、フランスの歴史家A・カストロの『マリー・アントワネット』を推奨しておきましょう。かなりの大部ですけれど。さて、このマリー・アントワネットの自らの退屈さを紛らわそうとする行為が、仮面舞踏会や賭博等での享楽・奢侈による乱費に耽らせ、それがフランス革命に直結した(とくに、彼女にとっては完全な冤罪である“女王の首飾り事件”では)、というのが通説です。

 もっとも、フランス革命とは、マリー・アントワネットやルイ16世ばかりが個人的に責めを負わせる出来事と言うよりは、アンリ4世以来のブルボン絶対王政の矛盾が表面化、その結果として(革命からナポレオン戦争にいたる)数百万人の血の犠牲のもと、フランス国民(ネーション)が誕生して、近代的共同幻想による国民国家(ネーション・ステーツ)の誕生に至る、いわば必然の道でもあると言えます(国際政策に進む人は、きちんと勉強して下さいね)。そのあたりは是非斎藤先生ご推奨のベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』をお読みください。

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 一方、フランスの小説家・詩人・劇作家ルナールは、赤毛の少年(だから、ニンジンと呼ばれてしまう)の孤独で悲惨な生活を綴った小説『にんじん』の作者として有名ですが、警句家でもあり、いかにも皮肉っぽくこんな台詞を残しています。

人生は短い。しかし、退屈がその居場所を見つけえぬほど短い人生はない

 なお、ルナールには「樹の皮の半分は北風を知らない」(言われてみればその通り)等、秀逸な警句をいくつも作っています。

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 ところで、“天下泰平”の到来で、本来は弓矢の道で生きるはずの武士が、江戸幕府の安定政策のため、吏員としての仕事しかなくなり、ついつい“退屈”を感じる。それを紛らわすため、旗本ともあろう者が自己の存在証明として伊達者になり、かぶき者になって、さらに「旗本奴」と称して乱暴狼藉を働く!

 その象徴というべき水野十郎左右衛門成之は、「町奴」の頭領幡随院長兵衛と対立、明暦3年(1657年)、自宅に招いた上で、湯殿で暗殺してしまいます(歌舞伎『極付幡随長兵衛河竹黙阿弥作)。その後も、成之の行状は変わらず、寛文4年(1664年)、行跡怠慢で評定所に呼び出されたところ、月代も剃らず、着流しで現れたため、即座に切腹を仰せつかり、お家も断絶します。彼の祖父さんは大坂城夏の陣大和口方面の先鋒をまかされた猛将水野勝成だというのに!

 「落とすなら 地獄の釜を 突ん抜いて 阿呆羅刹に 損をさすなり」(水野成之辞世;Wikipediaより)

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 しかし、成之の祖父である水野勝成という人物、戦国最盛期の永禄7年(1564年)に徳川家の武将(その後、織田家に“とらばーゆ”します)の水野忠重の子として生まれ、16歳で初の首級をあげて信長から感状をいただくも、乱暴狼藉やまず。小牧・長久手の戦いの前後に、父忠重と感情的に対立したあげく、なんと父の部下を斬殺して、絶縁・奉公構(他家への仕官の禁止)を宣言されてしまいます。

 勝成はその後、身を寄せていた徳川家を退転、佐々成政小西行長加藤清正黒田如水等の名将の元を手柄を立てつつも、各地を転々とします。ちなみに、水野忠重は徳川家康の母親於大の方の弟ですから、水野勝成は家康の従兄にあたります。

 どこにも落ち着けなかった勝成は中国地方の各地を放浪、そこここに“勝成伝説”をふりまきながら、一時は食客にまで落ちぶれるという貴種流離が展開します。結局、豊臣秀吉の死後の政治的混乱時に、36歳で徳川家に身を寄せ、父と和解後、1615年の大阪夏の陣の大役を任されます。夏の陣最後の日には、真田信繁(一般には真田幸村で知られています)、明石全登隊を続けざまに撃破、主将自ら首級を二つあげるという活躍でした。

 もっとも、彼の性格を知っているが故に、事前に「将であるから昔のように自ら先頭に立って戦ってはならない」と言い含めていた家康は機嫌をそこね、恩賞は過小にとどまります。すると、やはり勝成は立腹、それを2代将軍秀忠がなだめたとのことです(Wikipeidaより)。上司にとっては使いにくい部下No.1というところかもしれません。

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 このように紹介してみると、祖父の水野勝成も周囲にとっては十分に“困ったちゃん”で、ただただ戦国という時代がかろうじて彼の人格に枠をかぶせ、なんとか天寿をまっとうさせたのかもしれません。亨年は88歳、初代福山藩主として10万石を与えられ、75歳で島原の乱に孫、子をともなって出陣。当時としては驚異的な高齢でありがら、最後まで“現役”だった勝成です。

 その一方で、意外にも(=失礼)平時の藩政にも多大の功績をあげる面もあったとのことです。水野十郎左右衛門にとって、“天下泰平=祖父のような活躍の場も残されていない時代”、退屈を紛らわそうと、自らを精一杯誇示しようとしての猛将の孫としてむしろふさわしい最期とも言えそうです。

 さて、こうした状況を巧みに背景にして、「退屈で仕方がない」と言いつのりながら、天下の悪人を退治する旗本のご大身、早乙女主水之介というキャラが佐々木美津三原作の『旗本退屈男』です。

 戦前から戦後、日本映画の全盛期、映画化は全30作を数え、主役はすべて市川右太衛門が演じていました。私も子供の頃、東映の2本立て映画の一本としていくつか観ていた覚えがあります。

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 ところで、やや視点を変えると、“退屈”を究極の刑罰手段としたものが“禁固刑”にほかなりません。禁固刑は法的には「自由刑」=自由を奪うことを刑罰の手段とするものに属します。なお、自由刑には、禁固の他に、懲役(拘束が続く禁固と違い、作業が課せられます)、拘留(これは短時間の拘束を指すそうです=最長29日、つまり1カ月未満)等に分かれるとのことです。皆さん、禁固と懲役とどちらが良いですか?

 こうした刑罰は、もちろん歴史的経緯があります。例えば、ルネサンス期イタリアの小国家フェラーラでは、1506年、女官をめぐる恋のさや当てから、異母兄の枢機卿イポリート・デステに眼をえぐり取られた弟のジュリオ・デステはもう一人の異母兄フェランテとともに、ローマ教皇を警戒して枢機卿に手を下さない兄のフェラーラ公アルフォンソ・デステに怨みをいただき、暗殺を計画します。それにしても凄まじい展開ですが、フェランテはアルフォンソの同父の弟なのです(塩野七生ルネサンスの女たち』より)。

 ことは破れて、二人は最初死刑を宣告されますが、姉イザベラ・デステの嘆願で、終身刑に減刑、城の塔の上下の部屋に投獄されます。食事のみが差し入れられるだけの禁固ののち、二人は大部屋に一緒に入れられますが、26歳だったフェランテは、投獄から37年後、ついに再び外界を見ることなく死にます。

 そして、25歳だったジュリオは、フェランテの死後さらに19年拘束され、その死の2年前に釈放されれますが、それは事件の56年後、アルフォンソ公はすでに亡く、孫のアルフォンソ2世の代になっていました。年代記には、釈放の際、以下のように書き遺しているそうです。

この老人が塔から出てきた時、彼の身につけていた衣服は、ちょうど半世紀前の最新流行のものだった

 また、昔は流刑がありました。いわゆる島流しも含みます。江戸時代の画人にして文化人である英一蝶(はなぶさ いっちょう;1652-1724)は、47歳の時に権力者への風刺生類憐みの令に違反して「釣りをする」(!)等の理由で幕府ににらまれ、三宅島に島流しになってしまいます。結局、5代将軍綱吉が死んだ1709年におこなわれた大赦まで、とどめられます。

 その間の一蝶の句と、それを江戸で聞いた俳人宝井其角の返句を紹介しましょう。なお、当時は、の刺身は芥子醤油で食べるのが一般的だったそうです(浜田義一郎『江戸たべもの歳時記』もご参照を;書籍番号#49)。

初鰹 芥子がなくて 涙かな (はつがつお からしがなくて なみだかな)       一蝶
その芥子 効いて涙の 鰹かな (そのからし きいてなみだの かつおかな)       其角

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 一方、フランスでは古来、徒刑地は熱帯地方、要するに「その地で死んでくれれば大変結構」ということで、南米の仏領ギアナデビルズ島(悪魔島)や、ニューカレドニアが使われます。とくにデビルズ島は、ドレフュス事件で冤罪の憂き目にあうユダヤ系将校ドレフュス大尉や、島より脱獄に成功、ハリウッド映画『パピヨン』で映画化されたアンリ・シャリエール等でつとに有名になります。

 作家サマセット・モームも1936年、仏領ギアナのサン・ロウラン・ド・マロニの監獄町をおとずれて、『作家の手帳』に記事を書き遺しています。

  • ・海には鮫が群居している。彼ら(囚人)は鮫が獄吏だと笑いながら言う。
  •  
  • ・きょうわたしは、終身刑の判決を下された囚人たちの、その殺人の動機の実際について調べてみた。そうして驚いたことは、(中略)もう少しつっこんでみると、表面のすぐかげに大部分は金銭的な動機がひそんでいると結論しないではいられないことであった。わたしが調べたうち、一人の場合をのぞいてどの殺人もみな、金の問題が根底だった。
  •  
  • ・サンジャンの老看守(中略)。彼は、だれももう一つの生を持つ権利は与えられていないという考えから、死刑には反対する。ある医者が、断頭台に行く男に首をきられたあとで、もしできるなら三度瞬きをするように言ったという話をし、そして彼はたしかに二度は瞬くのを見たと語った(中村佐喜子訳、新潮文庫版)

 それでは、死刑が良いのか、それとも終身刑(日本には無期刑[無期懲役と無期禁固]懲役はありますが、終身刑は存在しません)が良いのか? ジュリオ・デステの例と言い、“退屈”を刑罰にすることの重さが伝わってくるかも知れません。

 一方、懲役は、その昔、徒刑(日本では古来「ずけい」と呼んでいたようです)と呼ばれていました。現在ならばとても許されることではありませんが、「死んでもよい」ぐらいの感覚で、重労働を課すわけです。これが「重徒刑」です。例えば、ヨーロッパ等では、徒刑囚を軍船のガレー船漕手として、鎖でつながれながらオールを漕がせます。

 もちろん、戦いに負けて、船が沈没する場合は、鎖から解放されない限り、文字通り、海の藻屑です。ハリウッド映画の巨匠ウィリアム・ワイラー監督の快心作『ベン・ハー』でガレー船を漕ぐチャールトン・ヘストンを思い出しますね。

 話題が“退屈”そのものから、それを使った“刑罰”に移ってしまいましたが、それでは“退屈”の本質とは何か、まだまだ奥深そうです。心理学でも、哲学でも、何でも議論できそうです。

リサーチ&レポート;リサフェへの近道Part1~いかにして、いくつもの知識を“つなぎ合わせる”か?=「風が吹けば桶屋が儲かる」の実践~

2010 5/13 総合政策学部の新入生の皆さんへ

教員として、ここ近年感じるのは、皆さんの基礎的知識が“ばらばら”である=統合されていないこと、そして皆さんの勉強がかなり“不効率”な感じがすることです。このあたり、どう言えば良いのか?

例えば、「政治・経済」で“保険”の知識を習ったとして、そのベースには「統計学あるいは確率論」の“大数の法則”があり(「統計学の奨めPart 1:なぜ“統計”などというものを勉強しなければならないのか?(2010/04/26投稿))、そこで保険の掛け金を計算するために考案された“生命表”は、生態学の中でも“個体群生態学(個体群動態)”の基本です。

さらに「人口(推計)学」では生存率や死亡率平均寿命(=0歳時の平均余命)を知るための道具であり、かつ、その傾向を読み取れば、「ある地域の将来人口」もある程度把握できて、「政策決定」につながる=将来の小中学校の規模、上下水道の供給・処理能力の予測もできる。

◆大数の法則などについての参考図書『生命保険物語-助け合いの歴史』(http://www.jili.or.jp/school/book/pdf/tasukeai.pdf);“生命保険文化センター”のHP(http://www.jili.or.jp/school/book/tasukeai.html)に掲載のPDFファイルです。保険業界に興味がある方は、是非、一読を。

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このように「風が吹けば桶屋がもうかる」式に、次々と物事の結びつきを解き明かし、それを総合的に理解するのが“総合政策”の醍醐味のはず=“真の教養”。それなのに、「一つの授業」が終われば、その内容は頭から削除(あるいはフォーマット)されて、「次の授業」につながらない。

とくに“楽勝科目”だけを選ぶとこんなことになるはずです。これではあまりに効率が悪く、“楽勝”のはずなのに、結果として“遊ぶ時間”もなくなる。これでは人生楽しくありません。

てきぱき、“ホームワーク”を片づけ、遊ぶ時間を確保しましょう(ただし、そこで手を抜いてはいけません。勉強も遊びも本気でやらなければ)。

◆一言言い添えれば、大学では“遊ぶ”ことも、“学ぶ”こととならんで重要です。そのあたりは夏目漱石の『三四郎』を読んでみて下さい(『基礎演習ハンドブック』のコラムにも紹介しておきましたが)。

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ところで、最近、図書メディア館から、以下の案内がきましたので、アナウンスしておきます。

  • 4 月30 日に、KSC図書メディア館4Fに、レポート&論文の書き方に関連した図書を集中的に配架したコーナーを新設しました。レポートや論文を書く際の一助になればと思いますので、学生の皆様にも機会がございましたら是非ご紹介ください。
    「レポート&論文の書き方」コーナーの設置について   http://library.kwansei.ac.jp/ksc/index.html(図書メディア館ホームページ NEWS&TOPICSに案内を掲載しました)
    「レポート&論文の書き方」コーナーに展示している図書リスト(http://library.kwansei.ac.jp/ksc/news_and_topics/files/report.pdf
    下のような図書を配架しています。
    <レポート&論文作成のサポート>
    ・レポート論文の書き方
    <大学生としての学びについて>
    ・大学での勉強の仕方
    <理工学部向け>
    ・理系の英語論文の書き方
    ・プレゼン技術
    <総合政策学部向け>
    ・社会調査フィールドワークの方法
    ・ディベートの方法
    ・建築系論文の書き方

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さて、それではどうやってリサーチやレポートのテーマを見つけるか?

私のように生態学をやっている者からすれば、この世の中、独りで存在している“もの”(者と物を両方含みます)などありません。すべては繋がっているわけで、その“つながり”を手繰り寄せれば、芋蔓よろしく、いくらでも面白い事実が出てくるはず。

ほら、あなた方の眼の前にあるけれど、それをつい見過ごしてしまう些細な事実、その重要性に気付いた時、貴方は研究者にも、ベンチャー企業家にも、敏腕な行政マンにも、優秀なバイヤーにもなれるかもしれません。

例えば、皆さんは毎日、JRとバスを使ってKSCに来られる。その時、ちょうど今頃は、水をはった田んぼが目につくでしょう。しかし、しかし、どなたも田んぼで働いている姿を見ない! それにお気づきになりますか?

これは大都市近郊農業地帯として(=公共交通で大都市圏に通勤できる範囲)、農家の方々は第2種兼業農家(農業以外の仕事(会社勤めなど)で収入を得ている農家のうち、農業での収入が、全収入の50%以下の農家で、世帯員中に1人以上の兼業従事者がいる農家;Wikipediaより)として、月~金曜日は会社等に出勤、土日に農業をやるという形が多いからかもしれません。

そうなると、金曜日の帰りのバスで目に入った乾いた田んぼが、月曜日の登校時のバスから見ると、いつの間にか水が張ってあったりするのも、理解できるかもしれません。これを「三田市の農家」についての仮説とします。あくまでも“仮説”に過ぎません。

そしてこの仮説をなりたたせているであろう前提を考えます。それは、(1)化石燃料(=石油)を大量に消費しての機械化=現代農業によって、土日だけで稲作ができる(その結果として、稲作に特化してしまう)。そして、(2)JR福知山線の電化・複線化による大都市圏への通勤可能圏の拡大によって、第2種兼業農家が増えた。

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そう考えてから、では、本当のところ、三田の農家の実態はどうなっているのかな? と調べてみる(いや、何がなんでも、調べてみなければいけません)。

そこで便利なのはとりあえず、Webを“検索”することです。「三田 兼業農家」というたった二つのキーワードでGoogleで検索すると、「市町村の姿」-兵庫県三田市」というページが出てきます。それを開けば、三田の農家は専業農家232戸、第1種兼業農家は163戸、第2種兼業農家は1404戸とあり、つまり、78%が第2種兼業農家なのです。

ちなみに、三田市の人口で農家人口が占めるのは8.1%。大部分は非農家なのです。なお、このデータは農林水産省「2005年農林業センサス」によるものと、ページの片隅に書いてあります。かならず、何年の統計なのか、チェックして下さい。そして、レポートには明記して下さいね(それがないと、資料の意味がなくなります;なお、農林水産省の農林業センサスのHPのURLはhttp://www.maff.go.jp/j/tokei/census/afc/です)。

次に、「市町村の姿」のページの「水田率」を見ると、92.8%です。つまり、三田の耕地の大半は水田なのです。多くの農家では、上記のように、機械化が可能な稲作に特殊化しているのかもしれません? ちなみに、水稲の作付面積は1160ヘクタールで、収穫量は5890トン、ということは1ヘクタールあたりの収量は5.08トン!

講義(「自然環境論」や「ヒューマン・エコロジー入門」)で1ヘクタール当たり5トンと皆さんに教えていたのは、嘘ではなかった!と、教員としては、ちょっとほっとするところです。

その一方で、農業産出額総計31億6千万円のうち、米は14億4千万円で、45.5%を占めるにとどまります。

ということは、皆さんおわかりですね、「専業農家」の多くの方が依存しているであろう畜産=肉用牛(すなわち三田牛)と酪農がそれぞれ4億7千万円(14.9%)と3億6千万円(11.4%=意外に、生乳の生産が高い)を占めているのです。そして、都市近郊農業としての野菜が4億5千万円(14.2%)。

ということで、三田の農家はたぶん、牛や野菜も手掛けている専業農家と、米作に特化した兼業農家に分かれているのではないか、というのが1ページのWebから浮かび上がります。でも、これは本当か? ここでも、あくまでもWebの資料からでっちあげた仮説に過ぎません。そこで初めてフィールドワークになるわけですね。

実際のところは、事情を知っている地方自治体の方や、農協の方、そして肝心の農家の方にヒアリングしなければわかりません。ここでは、そこまで深入りする余裕はないわけで、あとは皆さんのお仕事になります。

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こうした日本の農業、つまり専業農家が兼業農家に変わっていくというのは、高度経済成長期からずっと進行してきたことでもあります。

例えば、「高畑ゼミの100冊Part9;食について#2『江戸たべもの歳時記』そして『仰臥漫録』(2009/12/21 投稿)」でも紹介した『富士日記(書籍番号#53)』の1967年7月11日の項には、武田家の別荘がある富士山麓の管理所の中年婦人が、筆者の武田百合子にまくしたてます(その女性自身が管理所に勤めていて、副業をしているわけですが)。

結局、一家のうち、サラリーマンとなって定収入を持っている人が一人はいて、後は野良(註;農作業のこと)をして、それも自分のうちで喰う分と、余れば出すという位作っているのが安気(あんき)だねえ」「何ていっても、サラリーマンが一番!! 能がなければ能がないように安月給をもらってくれば、それはそれなりで、やりくりして暮らせる。頭のいいもんは事務をやればいいし、悪いもんは土方だって、男は千五百円、女は千円とれる。旅館のアルバイトなら女でも千二百円で、食事付き、昼寝付き、おやつ付き、風呂付きで、大切に雇ってくれる世の中である。田畑を人に貸して雇われに言った方がいい。一日千円の日当で畑を作って、今年の野菜の安値ではなあ。雇われていった方がよい

高度成長期まっただなかで、かつて中農養成を主張して農業政策で挫折した民俗学の祖柳田國男先生の思いにも関わらず(「高畑ゼミの100冊Part4;柳田國男と宮本常一(2009年11月14日投稿)」を参照)、そして、農工間の所得格差の是正を目指した農業基本法の主旨にもかかわらず、大多数の農家が選んでいった道の本質が浮き彫りになっているようですが、それは同時に長らく自民党政権を支えた基盤でもありました。

このように『富士日記』は、かつての日本を彷彿とさせるまたとない貴重な資料です。卒業論文ぐらい、いくらでもテーマが転がっているでしょう。

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それでは、皆さんの将来を考えて、このテーマからどんなことが派生するか、考えてみましょう。

  • 仮題1:地方自治体に勤めた場合:その市町村の農業地域の将来性は? 農業から別の業態に変化させるべきか? 将来の人口動態は?
  • 仮題2:JAバンク等の)金融機関に勤めた場合:三田の農業の将来はどうか? 農業人口は今後どのように推移するか? 農家に融資する場合、どんな対象に融資すべきか?
  • 仮題3:農機具あるいは肥料農薬・種苗会社(タキイサカタ等)関係のメーカーに就職した場合:三田の農業の将来次第で、農機具メーカーとしてマーケットであり続けるか? それとも? あるいは穀物メジャー(カーギル等)に就職した場合?
  • 仮題4:小売り・卸売業界に就職した場合:農業地帯でのマーケットしての将来性は? どんな商品が今後も売れていくか?
  • 仮題5:IT系に就職した場合:こうした大都市近郊農業が生き残りをかけて、消費者と直接取引するような場合に、どのようなWebページを作るべきか?

ここまでくれば、リサーチ・レポートも形ができてきそうです。

さりげない事実 → 気付き → Webや書籍での調査 → 仮説(序=イントロダクション) → 調査・仮説検証(リサーチ、リザルツ) → 現状を改善するための具体案作成(プロボーザル、ディスカッション)

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それでは、どうすれば、物事のつながり=連関性をつかめるのか? この肝心なところが、実はもっとも難しいわけです。

その解決策の一つは、やはり“理論”の重要性に気付くことですね。ということで、Part2は、“理論”についてのお話にしたいとおもいます。to be continued・・・・・Part2Part3、さらに番外編

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...