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「老い」を考える3:ヒト以外の霊長類は閉経するか?

2020 8/27 総合政策学部の皆さんへ 「老い」を考える2からの続きです。自然人類学等において、とくに話題になるのは女性の「更年期/閉経」の存在です。ニホンザルのメスには、短いながらも後繁殖期(post-reproductive life span)が見つかりました。それではニホンザルなどより格段にヒトに近縁のチンパンジーではどうでしょう?

 おもしろいことに、同じような基準でチンパンジーについて手持ちの資料を調べてみると、メスたちの最長寿命はおよそ50歳ですが、最後の出産は40歳前後でした。ただし、最後の子供が母の死を乗り越えて生き残ることができるまでニホンザルよりもかなり長く、4年半ほどかかるので、残りは5.5年ほどです。すると人生に占める割合は、ミノ婆さんよりも短くなってしまいます。このように、チンパンジーのメスにとって、後繁殖期は人生にそれほど大きな位置を占めてはおらず、ヒトの老齢期に比すべき「老齢期」という印象はかなり薄という結果になりました。

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 チンパンジーの一生をもう少し詳しく説明しましょう。

 チンパンジーの社会がニホンザル等ともっとも異なる点は、メスが生まれた集団を離れて、別集団に移籍することです。したがって、娘との絆は断ち切られます。一部で生まれた集団に居残るメスもまったくいないわけではないですが、基本は生まれた集団を去る。そうだとすれば、祖母と孫が共存することはなく、Grandmother hypothesisが成り立つ余地がなくなるわけです。

 一方、息子たちも年長のオスのクラスターに組み込まれていくため、母親と息子とのつながりも目立たなくなります。これが、1980年頃に西部タンザニアのマハレ山塊国立公園でチンパンジーを感圧していた頃の私の印象です。

 結果として、老齢のメスはニホンザル以上に孤独がちに見えます。もちろん、生理学的にも明らかに老いが進行し、活動も鈍りがちに見えます。そして、他個体から孤立した存在として、いつの間にか生を終える、これがチンパンジーのメスについての印象です。

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 一方、オスはどうでしょう。彼らは出自集団に残って、オトナのオスのクラスターに入ります。その結果、「父系的」な社会集団が形成されます。そのため、オスの一生を追うことができないわけではありません。

 かつて私が観察していたマハレ山塊国立公園のMグループでは、ようやく最近になって、オスの人生の全体像が見えてきました。彼らは10代前半に母親から離れ、年長のオスたちのクラスターに近づきます。そしてオス同士の間で次第に順位をあげ、最優位の位置(αオスと呼ばれていますが)を占めるのは20~29歳頃が多いということです。その人生の絶頂期が過ぎると、オスはゆるやかな衰退期をたどります。

 例えば、1979~84年に私が観察していた若いオスのカルンデは当時20代前半と推定されましたが、ワカモノオスの筆頭でしたが、ちょっと性格が堅すぎて、果たして出世できるかどうか、私は危ぶんだものです。

 しかし、しばらく見すぎ良すぎしているうちに、やや高齢の28~29歳にαオスの座につきます。そして、いったんはその座から転落するも、しぶとく33~34歳にまた復活します。その後は緩やかに順位を下げながらも、50歳前後の老オスとし、オスのグループの中にとどまっていたのです(残念ながら、その後死去)。このように絶頂期が過ぎた後、他のオスとのつきあいを保ちながら、ゆるやかに衰退していくチンパンジーのオスの晩年こそ、生理学的にも、社会学的にもヒトの老齢期に近いものかもしれません。

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 さて、一応、まとめなければなりません。

 これまで紹介してきたように、サルに「老い」があるかと言えば、「老化」があることは間違いありません。しかし、例えばメスの出産率で見るように、「オトナ」として高い出産率を保つ時間は長く、そして、人生のかなり終わりの時期に急速に出生率を落として、短い後繁殖期を迎える。これがおおよその姿のようです。生理学的にも、ヒトの「閉経」に該当する段階まで生き残る個体は、とくに野生状態ではごくわずかです。

 さらに後繁殖期にあるメスでも、他個体との社会的交渉は少なく、陰が薄いことは否めません。ニホンザルではこのように、自らの繁殖を早めにきりあげ、娘の繁殖をサポートすることによって「包括適応度」をあげようというGrandmother hypothesisを積極的に支持する資料は少ないということになります。それはチンパンジーのメスも同様で、娘たちが他集団に移出するため、「老婆」の周りに娘がいることさえ少なく、孤独の陰が濃いのです。

 このような点から、サルの「老い」を扱う研究が少ないのも当然かもしれません。つまり、サルの「老い」は身体の諸器官の急速な老化という現象に集約されがちで、ヒトの社会における「老い」とどう結びつけるべきか、研究者自身もためらってしまうのではないでしょうか。

 その一方で、チンパンジーのオス、あるいはゴリラのオスも同じかと思いますが、人生の半ばで頂点を迎え、あとは徐々に衰えながら、他のメンバーとの社会的つながりも保ちながら、ゆっくりとした「老い」を迎えるオスたちの姿に、「老い」の萌芽を見ることもあるいは可能かもしれません。

「老い」を考える2:サルにおける「老い」

2020 7/16 総合政策学部の皆さんへ 「老い」を考える」の続きです。

 実は、サルを研究する霊長類学では、ごく初期から「老齢/老化/加齢/エイジング」という現象に興味を抱いていました。サルを研究する目的は「ヒトに近いが少し違うこの連中を調べることで、ヒトの本質を探る」ことだという原則からは当然のことでしょう(私自身は、必ずしもこの原則に全面的に賛同するわけではないのですが)。

 研究史を随分昔に遡りましょう。近代的な霊長類学の嚆矢として、1940年代にカリブ海の小島カヨ・サンティアゴにアカゲザルのコロニーを創設した心理学者カーペンターの回顧談には、以下の文章が出てきます。“Smith and Engle were interested in the old aging or senility problem in 1938. This reflected itself in the fact that I brought back 15 extremely old males which we trapped with great difficulty in central India” (Rawlins & Kessler, 1986)。

 つまり、映像フイルムの早回しを観るように、人に比べて老化が早く進むサルを観察すれば、「老い」の進行をより明瞭に理解できるかもshりえない、と考えたのです。もっとも、それでもサルの年齢も結構長い。その後の長年のデータの積み重ねでは、例えば、私が嵐山の野猿公苑で付き合っていた方々のうち、もっとも高齢だったのはミノ(Mino)と名付けられた1957年生まれのメスで、お亡くなりになったのが33歳、その頃には腰がまがり、身体も縮こまっていて、107~108歳まで生きられた双子の姉妹「成田きんさん、蟹江ぎん」を髣髴とさせていました。したがって、ニホンザルの最長寿命はヒトのほぼ3分の1ぐらいかなという塩梅です。

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 それでは、その後の霊長類学に「老い」は重要な位置を占めてきたでしょうか? 実は、一時期はあまり関心が集まりませんでした。例えば、進化生物学的視点から「老化」を論じているリクレフズ&フィンチの『老化』(日本では1995年の出版)では、例としてアカシカ、アホウドリ、アメリカカケス、イタチムシ、ショウジョウバエ、ミツバチ、メバル等が登場するものの、霊長類は皆無です。

 ここでいくつかの疑問が湧くかもしれません。まず、霊長類では「老化」の研究は無視されがちなのでしょうか? そしてそれには何か理由があるのか、それともたんなる見落とし、手落ちなのか?

 おそらく一番大きな原因は、サルの加齢が(カーペンターらの思惑を超えて)意外に長かった、ということかもしれません。確実な年齢が判明しているサルの老化を調べるためには、研究開始から20年待たねばならない。それならば、寿命が2年半のマウス(ハツカネズミ)や、さらに待ちきれなければ2か月のショウジョウバエを使った方がよほど研究が進み、論文の数も稼げるかもしれません。研究者というのは京都弁でいうところの“イラチ”、じっくりと待つのは苦手なのです。

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 冗談はさておき、私がサルを観察しだした嵐山では1954年の餌付け以来、21年が過ぎ、最初に生まれたサルたちがそろそろ老境に差し掛かりだす頃でした。つまり、ニホンザルについて「老い」をようやく扱えるようになりかけていた時期だったのです。

 以下、そこで見た“老い”を具体的に説明しようと思いますが、以下の記述はほとんどメスが中心になります。これは、ニホンザル等ではオスは生まれた群れを離れて、移籍を繰り返しながら成長するので、年齢や履歴が追いにくいためです(後で述べるように、チンパンジーでは逆ですが)。

 さて、昔、まだ大学院生だった頃、嵐山の野猿公苑で調査していると、お客さんに質問を受けることがありましたが、その中でも「何歳からオトナなんですか?」という問がありました。直球返しにすれば、「それではあなたは、ヒトは何歳からオトナとお考えですか?」というものでしょう(もちろん、そんな相手の顔をつぶすような発言をしたことはありませんが)。

 その頃は「何歳から高齢者なのですか?」と聞かれたことはありませんでしたが、現在のサル山ならば、あるかもしれませんね。それでは人は何歳から高齢者なのでしょう? というのが「老いについて考える1」ですね。

 それならば、サルはいつから老境に入るのか? それは子供を産むこと(=繁殖)から身を引いた時ということになります。もっとも、サルでもチンパンジーでも、子供が幼いうちに母親が死ぬとその子も死ぬことが多い。つまり、「最後に産んだ子供が母親から自立して生き延びれるようになる(ニホンザルならば生後1.5~2年程度)」までとなります。

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 ここでミノ婆さんに話をもどしましょう。彼女は1966年には嵐山群の分裂のきっかけをつくった「メスガシラ」でもったのですが、最後の出産は25歳です。最後の子が1.5歳に達した時点で(そこまで生き延びれば、母親が死んでも、子供が生き残る可能性が高い)繁殖が終了したとみなすと、26.5歳~33歳の6.5年間が繁殖にかかわらない「後繁殖期」(PRLS:post-reproductive life span)にあたります。これは彼女の寿命の約20%です。

 もっとも、これは人為的な餌付けによる栄養条件が影響している。可能性がある。そこで屋久島の野生の群れで調べると、やはり何頭かのメスは最後の出産後、子供を産まぬまま生きていました。もっとも、嵐山に比較するとやはり短い。そうすると、ニホンザルのメスにおいての「老い」はヒトの女性の閉経期に比べると、やはりずいぶん短いということになりそうです。

 ちなみに、嵐山のメスを見ていると、出産しなくなったメスも発情して、交尾することがよくあります。ただし、妊娠しません。これをまとめると、ニホンザルのメスの「繁殖」と「性」と「生」の終焉には、意外に複雑で、以下のような諸段階を減るようです。
(1)出産率が急減するが、性(発情)は維持する=20~25歳=老化の進行
(2)出産が停止するが、性(発情)は維持する=繁殖の停止と後繁殖期の始まり(22歳以降)
(3)性(発情)が停止する=真の閉経27歳頃)
(4)「生」が停まる=死
 たぶん、繁殖にかかわる諸機能は徐々にアナログ的に減衰していく(これが老化です)。そして、20歳前後に老化が劇的に進んで、結果として出産しない=繁殖の終了というデジタル的な結果に結びつく。しかし、ヒトの女性に比肩しうる閉経は、死の直前にならないと訪れない、ということかもしれません。
 長いようで、意外に短い。6年だと33歳の人生のうちの2割弱です。ヒトの女性では、初潮を15歳、閉経を50歳として、100歳まで生き残ると老後は50%に達します。やはり、「老い」はヒトに特有とまではいかないが、非常に目立った現象と言えるのかもしれません。

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 それでは、オスも少し紹介しましょう。コドモのDNAからどのオスが子供を作ったかはある程度わかります。すると、オスがどの年齢で子供を作っているかもわかります。すると、嵐山では12~17歳で子供をつくることが多く、高齢のオスは(高順位でも)子供を残していないようです。これはやはり「老化」のあらわれかもしれません。

 一方、「老いた」サルはどうふるまうか? これも基本的にはメスを中心にお話しましょう。大阪大学の中道さん(19999)は、(1)20歳を超えたメスは活動性が減る。(2)他個体との距離でも、独りでいる時間が長くなる。(3)毛づくろい等は一方的にうけるだけで、他個体を毛づくろいすることが少ないとしています。例えば、(4)末娘と長時間を過ごすことが多いが、(5)孫の養育への関与も少ない。したがって、Grandmother Effect(「ヒトでは、お婆さんは自分で繁殖せず、娘の子育てを支援する、という機能を発達させることで、老人が生まれたという学説)は期待薄である、というのが一般的な特徴だと言うのです。すると、後繁殖期にいるからといって、ヒトの“お婆さん”を連想させるほどではないのかもしれません。ということで、今回はこのあたりで to be continuedとします。

ツル植物をめぐる様々な関係Part 1:アフリカの森で木が倒れる時

2020 7/13 総合政策学部の皆さんへ 今日の話は“ツル植物”をめぐる生物間の関係です(つまりは生態学です)。

 今からもう35年も前のことになってしまいましたが、私が東アフリカのタンザニア連合共和国西部、タンガニイカ湖畔のマハレという場所で、国立公園建設という名目で国際協力事業団(当時、現在の国際協力機構;JICA)の派遣専門家として滞在していた頃の話です。

 マハレでは1年は5月半ばから10月半ばごろまで続く乾季と、10月半ばから5月はじめ頃まで続く雨季の二つの季節に分かれます。乾期は5か月間ほど、ほとんど雨が降りません。その間、川の水はだんだんと減り、下流から上流に向かって徐々に枯れていきます。流れがとまり、水たまりで泳ぐ小魚たちはやがて取り残されて、干からびてしまう、そんな世界です。一方、雨季は雨が降り続きます。多い年には年間2200mmほどが降ります(ちなみに、三田の降水量は1,239.9mmに過ぎません)。

 したがって、7か月間に多いとしては三田のほぼ倍の雨が降る。乾季はとことん乾ききってしまい「まるで心まで干からびる」感じなのですが、雨季は逆にとことんジメジメして「脳味噌までカビてしまう」感じです。

 そんな雨季に、チンパンジーを探して森の中を切り開いた観察路を歩いていると、毎日のように「ドスーン」という、近くで聞けば地響きのような音が聞こえてきます。それは巨木が倒れる音なのです。

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 どうしたことかというと、アフリカの雨林ではいたるところで、様々なツル植物が巨木にまとわりついています。光合成に必要な光を求めて、彼らは巨木にまとわりつき、しがみつくことで巨木の樹冠をさらに覆うように葉を広げようとしています。彼らは光を求めて、一種の“ずる”をしているとも言えるでしょう。

木本性つる植物は巻き付く、貼り付くなどして周囲の樹木等(ホスト)に取り付き、その樹木に自重支持を依存しながら成長する。樹木では自重を支えながら高く成長するため茎肥大に大きな資源投資を必要とするのに対し、つる植物の成長様式はその分の資源を茎伸長と葉量増加へと振り分け、よって資源を効率良く用いて生育空間と光合成生産を拡大する戦略である。

 この戦略は、光競争の激しい環境で優占する上で、あるいは生産性の低い林内環境で成長を維持する上で大きな利点となる一方で、常にホストを獲得する必要があり、ホストが枯死した時に巻き添えを受ける等の制約を受ける。長期的には必ずしも効率の良い個体成長を可能にするわけではなく、さらに地面まで完全に落下するリスクも内包する不安定な成長様式とも言える」(Wikipedia「つる植物」)

 こうしたツルはどんどん太くなり、かなりの直径になる場合もあります。また、葉もいっぱいに広げます。雨季、そこに雨が降ると、濡れることでツルや葉はずっしりと重くなり、何本もまとわりつかれるとそれは馬鹿にならない重さになります。また、あまりに巻き付かれると、樹冠がツル植物の葉で覆われて、せっかく、隣の巨木に負けまいとして数十mの高さまで伸びたのに、樹勢が衰えることも珍しくない。

 また、熱帯雨林の巨木の根は温帯の樹々と違って、地中にあまり深く伸びず、むしろ、地表を覆うように横に広がります。つまり、。これは熱帯雨林では物質循環が早く、地表下にあまり土ができないことも関係しているでしょう。熱帯では地層が貧弱なため、土台が必ずしもしっかりしていません。

 こうしたわけで、雨季になると樹勢の衰えやツル植物の重さの故か、巨木が突然倒れてしまうことが珍しくなるなるわけです。調査者としての私にとっては、こうした巨木がしばしば観察路にほぼ覆いかぶさるように倒れることが多いのです。その場合は、せっかく伐ったばかりの道が何十mもわたって、巨木とそれに絡みつくツル植物で完全に埋まってしまうことになります。

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 それにしても、上記のように「常にホストを獲得する必要があり、ホストが枯死した時に巻き添えを受ける等の制約を受ける」リスクにさらされる人生を“愚か”と思われるかもしれません。大昔、高校時代に、古典の文例で松平定信(実は、私はこの人が苦手ですが)が、藤か何かを例にあげて、その虚しさをたしなめている文章を読んだ記憶がかすかにあります(あまりに昔のことゆえ、他の人の文章かもしれませんが、いまは確かめる術がありません)。

 これも植物による戦略に潜むベネフィットとコスト/リスクのバランスというべきかもしれません。他の木(=ホスト)に絡みつくことで、低コストで利益を上げながら、相手の樹勢を弱らせ、まるで無理心中のように文字通り“共倒れ”になってしまう! やはり、定信君でなくても、皆さんはこんなことをしないようにね、と言いたくなるところです。

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 その一方で、こうした巨木の死は多くの生を目覚めさせます。巨木が倒れた後に、樹冠に出現する“ギャップ”によって、林床まで光が届くや、それまで数十年にもわたって隠忍自重してきた埋土種子等が一斉に成長を開始するのです。

 もちろん、その後に展開するのは成長し始めた若木同士の熾烈な競争であり、やがて生き残った少数の個体だけが光を求めてさらに成長していくことになりますが、それがいわゆるギャップダイナミクス、「森林が、部分的に壊れては遷移することを繰り返し、全体としては極相の状態を維持する」(Wikipedia)ことにつながっていくのです。

「老い」を考える1:ヒトとヒト以外の生き物を比べるとPart 1

2020 5/28 総合政策学部の皆さんへ

 今回のテーマは「老い」です。その中でも、他の生き物と比較した際にとりわけユニークなヒトの「老い」が持つ特徴、ということになります。わかっていただけますか?

 例えば、私が大学生だった頃にちょっとかじった水生昆虫の中でも、カゲロウトビケラカワゲラの仲間はいわゆる成虫期が著しく短いことで知られています。カゲロウは幼虫期を河川等の水中ですごしますが、それは半年~1年に及びます。一方、孵化して成虫になると、異性個体を探して交尾をし、産卵すると死にます。

 この成虫期のあまりの短さは学名にも反映され、カゲロウ目の学名はEphemeropteraですが、前半のephemera の「原義は epi = on, hemera = day (その日1日)で、カゲロウの寿命の短さに由来する」、つまり1日限りの命ということで(Wikipedia)。まさに“陽炎(かげろう)”に通じるはかなさです。

 しかし、よく考えてみると、成虫になるのは人生の数百分の1の間だけですから、ほとんどの人生は“幼虫期”、つまりコドモとして過ごす(この場合、コドモとは「性的に成熟していない時期」とほぼ同義)。一方で、成虫期はほとんど“性”にかかわるだけであり、かつ交尾・産卵(=次世代の再生産)が済めば、あとは死ぬしかない。彼らにとって大人とは、生と性と死が凝縮した1日になります。したがって、この世界に老いはほとんど存在しないのです。

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 もちろん、生態学の目線からは、繁殖と生を終えた彼らにも、果たすべき使命がまだ残っています。それは川の中の魚等の餌になることです。生態学でいう食物連鎖のピースとして、自分にとっても、また子供たちにとっても無用になった身体を他の生物の餌として捧げる(もちろん、意思があってそうしているわけではさらさらなく、ただそういう宿命をたんたんとこなしているだけなのですが)。

 そうした光景は、例えば、コミック『ヴィンランド・サガ』に登場する飲んだくれの修道士ヴィリバルドが、クヌート(のちのクヌート1世)に「あなたが愛と思っていたものは差別に過ぎない」と断じて、欲望の果てに戦死した者たちの死体がやがて他の生き物の糧になっていく様を指して「あれこそ[真実の愛です」と教えるくだりそのままです。

 もっとも、世の中にはさらに“悪い奴ら”がいます。そのカゲロウを模して、疑似餌(Fly)を作って、魚をだましたりします(=フライ・フィッシングのことで、もちろん、我々人間の業なのですが)。

 そういえば、昔、サマセット・モームの『作家の手帳』を読んでいたら、「彼はマス釣りが趣味なので、ポケットにいつもハエを入れていた」という一文に出くわして、よくわからなかった記憶があるのですが、もちろんこれはfly(毛バリ)をハエと誤訳していたのでした。皆さんも翻訳には注意しましょう。

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 それにしても「老い」とは何でしょう? Part2以降で詳しく説明したいと思いますが、それは「次世代の再生産が終わってもまだ生きている時期」が該当するでしょう。そうした老人が社会においてどのような処遇を受けているか? これが文化人類学が長く関心をよせたテーマの一つです。

 それでは、「老人」とは何歳からか? 皆さんはどう思いますか? (チコちゃんに叱られないように)日本では8世紀の養老律令が「61を老と為よ」と明記しています(令巻第4・戸令第8の6)。律令では近親者/近所の者に老齢者の扶養義務を課しますが、その対象は61歳以上で妻のない者、50歳以上で夫のいない者、61歳で子のない者、および66歳以上の老人(耆老)等です。律令時代、すでに老人介護が問題として取り上げられていたわけです。

 その一方で、律令での規定とまったく対照的な言説が“姥捨て伝説”です。Wikipediaでは「姥捨ての実際については、はっきりしたことは分かっていない。少なくとも古代から現代に至るまで、姥捨てやそれに類する法令などが日本国内にあったという公的記録はないが、民間伝承や姥捨て由来の地名が各地に残っている」としています。そんな言い伝えを巧みにフィクション化した作品に深沢七郎の小説『楢山節考』(1957)が有名です。近年では、ネイティブ・アメリカンの口承を小説化した『二人の老女』等があげられます(ウオーリス、1995)。

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 このように、老いは死に結び付いて考えられてきました。死をめぐる諸現象も民族・文化ごとに多様ですが、死者を社会的に「この世」から「あの世」に送り出す「社会的装置」が存在することは、全世界的に共通です。人生最後の通過儀礼としての葬制埋葬は、ネアンデルタール人から始まったと言われていますが、時代が進むにつれて儒教のような精緻な祖霊儀式を産みます。やがて死は公的色彩をおび、葬制が逆に社会を創り出すことにもなる。それが中世ヨーロッパの「兄弟団」だったり(阿部、1983)、アフリカの都市スラムでの民族共同体の形成です(松田、1996)。これらはヒトにこそ見られる特徴です。
 それでは、ヒト以外の霊長類について、こうしたヒトの「老い」や「死」に結び付く道筋をどこまでたどることができるのでしょうか? これが霊長類学の一つの課題だったのですが、to be continuedとします。

集まることの意味~ヒトとサルのマイクロ・デモグラフィー2~

2020 5/7 総合政策学部の皆さんへ

 先回の続きです。生き物が動くことと集まることについて、もう一つ気づくことがあります。リンゴは両性花をつける雌雄同体なため、子の分散に性差はあらわれません。しかし、陸上動物は雌雄異体が多く、その場合、分散に性差が生じることがあります。

 例えば、哺乳類では両性とも分散する種もいますが、オスがより遠くへ分散する種が目立ちます。対照的に、メスが分散する種はチンパンジーやリカオン等少数にとどまっているといわれています。

 この結果、“去らぬ性”同士が集まり=集団をつくるパターンが登場します。例えば、ニホンジカでは緩やかな母系的集団程度ですが、ライオンやアフリカゾウは母系で結びついた群れを形成します。そこでは相互認知にもとづき、血縁者がサポートしあいながら、次世代への子孫/遺伝子を多く残すことで包括適応度を上昇させています。これが“血縁選択”で、産仔数を減らしながら少数のコドモを世話するK戦略(=少産少死)が展開します。

 具体例をあげれば、ニホンザル等多くの狭鼻猿類(旧世界ザル)ではオスが出自集団から去る一方で、メスは出自集団にとどまることで、母系的血縁をベースに群れが形成されます。対照的に、メスが分散する傾向にあるチンパンジーは父系的集団となります。

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 ところで、ニホンザル研究の初期、オスにとって宿命的な“群れ落ち”、すなわち生まれた群れから去る(動く)という現象が理解されるのに時間を要しました。言うまでもなく、彼らの生活史の全体像をおさえていなかったため、ピースの一つとしてうまく嵌め込むことができなかったのです。

 日本の霊長類学をリードした伊谷純一郎は『霊長類の社会構造』(1972)で、霊長類学の黎明期を振り返りながら「これまでの研究の過程において、幾度か当惑すべきとしか表現しようのない幻想に出会ってきた。それは例えば、ニホンザルの孤猿であり、離合集散するチンパンジーのグルーピングであり、一つの集団から別の集団へ移籍するチンパンジーのメスであった」、「とくに初期の研究においては、「離れる」は等閑に付され、(略)集中の社会学に没頭してきたという反省があり得てよい」と述懐しています。集まることばかりに注視したため、そこから動く(離れる)ことの重みに考えが及ばなかったのかもしれません。

 ところで、こうした群れ落ち・移籍には“性”が大きく関わります。ニホンザルのオスもチンパンジーのメスも出自群/集団からの離脱するのは、性的存在になりかかるadolescence(ワカモノ)の時期にあたります。とくにチンパンジーのメスが新たな集団に入る時等などは、性が“パスポート”として機能します。屋久島のニホンザルでもオスは数年ごとに群れを移籍するが、出入りは交尾季前後に集中します。つまり、繁殖相手を求めること自体が移動のきっかけなのです。

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 それでは、彼ら/我々が動く範囲は限定されているのか、それとも無限に広がっているのでしょうか?

 生き物のなかでも、周期的に長距離移動を繰り返しながら、移動ルートが定まっている例に渡り鳥やサケの廻遊/回帰移動があげられます。彼らが移動するのは季節変化がもたらす食物資源の変動や繁殖によるのですが、そうした移動回路の閉鎖性は、遊動生活を送る狩猟採集民や牧畜民等が絶えず移動しながら、しかし、一定の範囲にとどまる様を連想させます。

 もっとも、ヒトでは農耕等で定住性が強まると、自らの周囲を行動圏や通婚圏、交易圏、領土等で区切ることで“地縁”が生まれました。同時に彼ら/我々の活動は環境を変え、耕地や二次的自然(里山等)が広がります。これが“定住革命”です(西田 1980)。

 とは言え、今度は、木地師漂海民ロマの人たちのように定住民の境界をすり抜ける者もでてきます。定住民自身も一時的に地縁から抜け、一定の(お約束ごとの)ルートを辿りながら、帰還を前提とした巡礼等に旅立ったりします。宮本常一は『忘れられた日本人』(1971)で、「日本の村々をあるいてみると、意外なほどその若い時代に、奔放な旅をした経験をもった者が多い」として、「世間師」という言葉を紹介しています。

 その一方で、二度と戻らぬ、行方も定かならぬ移動の典型がアフリカから新天地に拡散し続けた人類大移動にほかなりません。旧約聖書の「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」を思いおこしますが(皆さん、旧約聖書もきちんと読みましょうね)、そのきっかけには3つのモデルが想定されているようです。

 (1)引き寄せモデルでは、魅力的な環境・資源に引き寄せられる。対照的に、(2)押し出しモデルでは、環境変化や人口圧等で周密地から弱者が押し出される。最後に、(3)拡散モデルでは、生活場所を求めて動くうちに偶然、新天地にたどり着くことになるのです。ですから、必ずしも強者がぐいぐいと自らの欲望に促されて、新天地を目指すばかりではない、というところで、to be continued…とします。

動くことと集まることの意味 ~ヒトとサルのマイクロ・デモグラフィー1~

2020 3/17 総合政策学部の皆さんに

 最近、ヒトや動物はなぜ動き、なぜ集まるのか? というテーマで原稿を書いたので、その話をしましょう。ここでは「ヒトや生き物はそも動くのか?」がテーマです。

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 帝政ロシア末期の作家アントン・P・チェーホフが描く登場人物たちは、絶えず「ここではない、どこかへ行きたい」という衝動に駆られていることで知られています。例えば、チェーホフ38歳だった(=44歳で死没する6年前)1898年に書かれた短編小説『往診中のできごと』では、医者のコロリュフが工場の跡取り娘リーザを往診した際に、会話のなかから、彼女の病が彼女をとりまく周囲との軋轢から生じていることを推し測ります。

 恵まれた立場にいるからこそ、すべてに不安を感じてしまうリーザが「未来の子供たちはどうするのでしょう?」と問うと、コロリョフは(ここではない)どこかに行くかもしれないと答えます。

「行ってしまうって、どこへ?」
「どこへ?・・・・どこへでも行くでしょう」とコロリョフは言い、笑った。
「良い人間、知的な人間なら、行けない所は一つもありません」

 この二人のセリフを120年後の今、振り返る時、ロマノフ王朝から、レーニン、スターリン、そしてフルシチョフを経て、プーチン大統領に至るロシアの指導者たちと民衆の苦闘と苦難の歴史を考えざるをえません。ロシア人たちは、これからどこに行こうというのでしょうか?

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 それにしても、ヒトも含めて生き物はなぜ動き、なぜ集まるのでしょうか? そこにはコストがかかり、リスクも潜むにもかかわらず。その理由を皆さんは考えたことがありますか?

 例えば、“動く”こと一つを取りあげても、(1)それは自らが決めたことでしょうか? それとも周囲に押し流された他動的なものでしょうか? (2)他動的だとすれば、それは誰の影響でしょうか? (3)主体的に決めたのならば、その動機は何でしょうか?

 さらに、(4)移動は、そもそもヒトの生活史のなかに遺伝的に組み込まれているものなのでしょうか(例えば、ニホンザルのオスは思春期を迎える頃に、生まれた群れを離れ、二度と戻らないのがふつうです)。それとも、機会的なものなのでしょうか? (5)また、移動は一度きりのものなのか、繰り返すものなのか? また、(6)ヒトが移動する範囲は空間的に閉じているのでしょうか。それとも、無限に広がっているのでしょうか?

そして、(7)ヒトはいずれにもどってくるのか、それとも(ニホンザルのオスのように)二度と戻らないのか? 思いつくだけでも、様々な疑問がわいてきます。

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 それでは、生き物にとって、動くことの意味はなんでしょう?

 逆説的かもしれませんが、ふだん動かない生き物=植物から始めたるとわかりやすいかもしれません。彼らの多くは生涯で一度だけ動きます。

 例えば、種子植物は花を咲させ、実をつけるが、その種子はやがて親木から離れる=種子散布です。自力で種をとばす種もいますが、風や水、または動物等に依存する者も多く、様々な工夫を凝らしています。

 例えば、種子散布を動物に頼る場合でも、(1)刺等でひっつく付着型、(2)報酬=果肉とひきかえに、種子を糞とともに散布してもらう周食型、③リス等の貯食や採食時のこぼれ落ちによる食べ残し型等に分かれます。この周食型(被食散布)こそ、トリ等で馴染みである相利共生の世界にあたります。

 とは言え、なかには埋土種子として発芽条件が整うまで土中にとどまる者もいないわけではありません。この場合、ひたすら(親木も含めて)頭上の木々の倒壊(死)を待つわけです。このように種子が親元から離れるか、とどまるのか、いずれを選ぶにせよ、それは次世代に子孫/遺伝子を残すための繁殖戦略の一環として、生活史に組み込まれているのです。

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 この被食散布では、熟した果実は捕食者=散布者の目をひくように鮮やかな色に変わることがあります。その昔、小学校教師に一笑に付されたというエジソン少年の伝説的な問いである「リンゴの実はなぜ赤い?」ですが、その後の生態学の発展は、これが散布者への“Eat me, and take my offspring somewhere!” というシグナルにほかならないことを教えてくれます。

 もっとも、その先にさらに謎が潜みます。果肉という報酬を支払っても種を運んでもらう理由は何でしょう? いくつか仮説をあげれば、(1)親木の元に種子が落ちれば、繁った葉で太陽光が遮られ、子木が育たない=親子間の光をめぐる資源競争を回避するのかもしれません。また、(2)親木は寄生虫や病原体に汚染されているため、子は感染しないように遠くで育つ方がよいのかもしれないのです。

 一方で、(3)親子が近い場所にいると、近親交配が起きかねません。さらに(4)子を遠く様々な環境に分散することで、偶々であれ、新たな生息地で生存競争に生き残ることもあるでしょう(言うまでもなく、種子散布は分布拡大のチャンスです)。これらの仮説すべてがからみあい、様々な種子散布が発達したのだろうと思われています。

 もちろん、そこには大きなリスクが待ち構えています。捕食者の裏切りで種ごと食べられてしまう。不適な場所に散布されて発芽できない/斃死してしまう。このため、植物は多数の種子をまき散らしながら、生き残る者は少数というr戦略=多産多死を前提とした繁殖戦略をとっています。多くのコスト/リスクを負いながらも、何もしないよりは種子散布に工夫を凝らすことで進化に生き残ろうとするのです。(To be continued)

 

塩を考える-過剰と不足:食についてPart.17

2019 6/4 総合政策学部の皆さんへ

 食を考える人類学、本日の話題は“塩”です。

 “塩”についてのもっとも気が利いている逸話は、徳川家康とその側室英勝院(お勝、あるいはお梶)のやり取りかもしれません。ある日、家康が部下に「食べ物でおいしいものは何か」とご下問、答えが定まらず、そこでかたわらのお勝に尋ねると、「それは塩でございます」と断言します。塩がなければ、どのようなものも美味しくない。「それでは、食べ物でまずいものは?」と重ねて尋ねると、「それも塩でございます」、塩が多すぎればどのようなものも美味しくなくなる、と答えたという説話です。不足すれば困る、かつ、多すぎても困る。最適値がどこかにあるはずだ、というまことに蘊蓄のこもったアネクドートです。かくも賢いスタッフを身のまわりに侍らしているというところこそ、家康のすごみであり、かつ、最終的に天下をとった由縁なのかもしれません。まさに「権現様」なのです。

 このような「過ぎたるは及ばざるがごとし」の見本のような塩ですが、先日、若い頃から一度訪れてみたかったウズベキスタンサマルカンドに残されたウルグベク天文台跡を見物すべく、ツアー旅行に加わると、ウズベキスタンの大地にはところどころうっすらと白いものが。試しになめてみると、かすかに塩の味がして、これが授業でも時々口にしていた塩類集積か! とちょっと感激しました。もっとも、ソ連時代に「計画経済によって綿花栽培の役割を割り当てられた過去があり、そのため近年になって鉱産資源の開発が進むまでは綿花のモノカルチャー経済に近い状態だった。・・・・しかしウズベキスタンは元来降水量が少なく綿花の栽培には向いていない土地であったため、近年においては灌漑元であるアラル海の縮小や塩害などに悩まされている」(Wikipedia)わけで、現地の方にとっては悩みの種なのです。

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 その塩ですが、40年ほど前、JICAの派遣専門家として西部タンザニアのマハレ山塊国立公園で2年間を過ごしていた頃です。それこそ計画経済がうまくいかず(そもそも国家統計の基盤がないアフリカで、計画経済ができるはずがない)、1980年代後半にIMFの構造調整の軍門に下る前の、社会主義政策末期、135kmも離れたキゴマの市場に行こうと、まったくたまに首都のダル・エス・サラームのマーケットをのぞこうと、店の棚にはなにもない、という状態でしたが、塩はさすがに置いてありました。これがなければやっぱりやばいというところです。

 海岸からはるかに離れた、いわばアフリカのど真ん中のキゴマの市場で売っている塩(スワヒリ語ではchumbi) は海の塩ではなく、岩塩で薄茶色の大きな砂粒のようなもの、なかなか溶けないので料理には手強かったのを覚えています。ある日、ふと思いたって、住んでいた小屋の前に板をおき、そこにこんもり、岩塩を盛ってみました。その昔、ロシアでは「猟師がシカを撃つのに、森の中に塩の袋を置いて、そこで待ち伏せして捕っていたが、ある年、皇帝がさすがにそれは残酷だ、と禁止した」という話を思い出したのです。

 すると、なんと、3日後には野生のブッシュバックTragelaphus scriptus)があらわれ、それまでまったく慣れておらず、我々に近寄りさえしなかったのに、その塩をなめ始めたのには驚きました。そも、それまで塩など口にしたこともないはずなのに、さらに、どうしてそれを塩と気づいたのか? 謎だらけです。それにしても、野生動物にとって塩が貴重品であることを、あらためて思い知らされた次第です。

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 また、ある日、トイレに入って仰天したこともあります。トイレは小屋から10mほど離れた場所に、大きな穴を掘って、その穴に板を掛け渡し、中をみえないようにアシの類で囲いをつくり、屋根にトタンをかぶせた粗末なもので、しかし、誰もいないマハレの山の中ではそれで充分というものでした。

 そのトイレに掛け渡している板に、小便などがかかって、だんだん塩類がこびりついていたのですが、その“塩”を巨大なヤマアラシがなめていたのです。たぶんアフリカタテガミヤマアラシ(Hystrix cristata)だと思うのですが、そちらも私にびっくり仰天、長い棘をいっせいにたてたので、直径1mほどはあるかと思われる針山が、どうしよう!とあせりながら、トイレの中でぐるぐるまわっています。

 もちろん、こちらも「危険を察知すると、ヤマアラシはその針をぴっぴっと飛ばす」などという怪しげな噂を耳にしているので、こわいものみたさに、その囲いごしに眺めていると、ふっと思い立ったのか、その棘をさっとおさめて、囲いのすきまをするっと通り抜け、またぱっと棘をたて、月光をあびながら、さしわたし1mの針山がシャラシャラと音を立てながら、藪の中をきえていくのを見送りました。

ResearchGateでみる自分の論文の“読まれ方”について#2

2016 12/16 総合政策学部の皆さんへ

 ResearchGateでみる自分の論文の“読まれ方”について#2ですが、今度はどの論文がよく読まれているのか、自分の論文がネタではちょっとつらいところもありますが、話を続けましょう。

 さて、全部で686件の“Reads”を集めました(国別のデータと数値に差がありますが、これはResearchGateの集計に若干時間差があることに、はじめは気付かなかったためです)。文献の数にすると57編が並んでいますが、このうち上位10編で46.5%を占めます。対象(ニホンザルか、チンパンジーか、ワオキツネザルか?) とか、テーマで結構差があるようです。

 ということで調べて見ると、私が関係した論文でもっとも読まれているのは、1960年代から1980年代にかけ、西部タンザニアのマハレ山塊国立公園で起きたチンパンジーの単位集団、K-groupの消滅について、隣接集団のオス間競争という視点で捉えた1985年に発表の“Group Extinction and Female Transfer in Wild Chimpanzees in the Mahale National Park, Tanzania ”で、57回(全体の8.3%)でした。

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 この論文は長年マハレで研究されて、先年なくなられた西田(利貞)さんが筆頭で、現東大教授の長谷川寿一さんが第2著者、私は末席の第3著者ですが、30年たってもまだ読まれている! という点に感謝すべきかどうか? 霊長類学のこの30年を踏まえると、ちょっと複雑な気持ちもします(つまりは、もう忘れられてもよいかもしれない、という気もしないではない?!)。

 というのも、この論文は著者らの視点がオス間競争に偏っている、という批判もあるからです(例えば、ハート&サスマンの『ヒトは食べられて進化した』(日本語訳は 2007)等)。そんなこともあって、昨年、本当に久しぶりに私一人の単著”Disappearance of K-group male chimpanzees: re-examination of group extinction”を、30年ぶりの再考察を書きました。もっとも、こちらは雑誌ではなく単行本(“Mahale Chimpanzees: 50 Years of Research”)に掲載したこともあって、いまだ引用されていません。力足らずですね。

 もっとも、私はチンパンジーとニホンザルでそれぞれ観察対象の集団が“消滅”してしまった、というちょっと希有な体験の持ち主ということになります(なんだか、“呪われた研究者”という印象ですが)。幸い、ワオキツネザルではそういう事態がなんとか避けられたのですが。

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 それでは、2番目に読まれている論文は“ A ten-year summary of reproductive parameters for ring-tailed Lemurs at Berenty, Madagascar ”で、日本モンキーセンターから発行されている学術雑誌Primatesに2001年に掲載したものです。47回で全体の6.9%を占めています。これはワオキツネザル(原猿です)における“メスの繁殖パラメーター(出産率、幼児死亡率等)”を、母系集団における二重の競争(集団間競争と集団内競争)のバランスをベースに論じたものです。

 基本的に“人口学的データ”あるいは“繁殖データ”は、資料の蓄積自体に時間がかかりますから、作製にはそれなりに時間がかかります。したがって、本数もすくないので、結局、長い年月にわたって引用されることがある、という一例かもしれません。

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 そして、3番目が、1985年にヨーロッパで出版されているFolia Primatologicaという雑誌に載せていただいた“Adult Male Chimpanzees Kill and Eat a Male Newborn Infant: Newly Observed Intragroup Infanticide and cannibalism”です。これはタイトルを見ればおわかりの通り、上記のマハレ山塊国立公園でのチンパンジー集団内でのオトナオスによるアカンボウ殺しと共食いの記録です。ちょっとセンセーショナルな話題に受け取られるかもしれません(詳細はまた別の機会に)。

 以上、締めて上位3件はチンパンジーが2件、ワオキツネザルが1件、第4位からはニホンザルが出てくるものの、世界的な霊長類研究の相場観からすると、地域限定銘柄かもしれぬニホンザルよりも、チンパンジーと原猿類に注目が集まるということかもしれません。ということで、この項はto be continued…とします。

身体の人類学Part 3:人はくちびるをどのように彩ってきたか?

2016 7/7(本日は七夕ですが) 総合政策学部の皆さんへ

 くちびるの人類学、二回目はヒトはどうしてくちびるを彩るのか? そして、どうやってくちびるを彩ってきたのか? 話を続けたいと思います。それはまた口紅の歴史でもあります。皆さん、口紅は何時頃から始まったのか? そもそも何のためなのか? 考えたことはあるでしょうか?

 まず、そもそも唇を彩るのは何のためか? 考えてみましょう。例えば、「自分の健康状態」のアピールかもしれません。唇は「口腔内の粘膜」が外に現れたものですから、その赤い色は毛細血管を流れる血液の色であり、唇の色が“悪い”のは身体の調子が良くないことを示唆しているかもしれません。

 ある医療関係のHPでは、「粘膜でできている唇はとても薄く、血液の状態がよくわかります」として、以下のように提示しています。
◆真っ赤な唇=呼吸器のトラブル:毛細血管が異常にふくらんで、呼吸器に感染症や炎症を起こしているのです。風邪をひいたときにも赤くなることがあります。
◆白い唇=貧血状態:血流が悪く、唇まで血液がまわっていない状態です。貧血の状態にあります。
◆紫の唇=腸・肝臓・腎臓機能の衰え:主食を食べずに油っこいものやお酒などが続いて、腸や肝臓、腎臓の機能が悪くなっているのかも。

 とすれば、唇を赤く塗るのは、「自らが健康だ」というメッセージをさらに上塗りすることになる(これは健康状態を偽る=動物行動学上の“欺瞞”?!)かもしれません。もちろん、健康状態をさらにアピールする=“誇張”の意味かもしれません。

 誇張と言えば、言うまでもなくコミュニケーションにおける「メッセージ性」を強める手段かと言えましょう。先の投稿でも触れましたが、チンパンジーがケンカなどの際、弱い立場の者がグリメス(弱者の表情)をして、口の中の紅い粘膜をまくれあげ、むき出しの歯の白さと、紅い口腔の粘膜と、そして真っ黒な肌という3原色を見せつけ、「私はあなたより弱い立場です」と訴えかける際、この視覚的メッセージにおける色の対比の鮮やかさについ心を動かされてしまいます。ヒトはそうした特徴をさらにエスカレートして、唇/口紅を進化させたとも言えるでしょう。

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 それでは、ヒトはいつから口紅をつけるようになったか? これはよくわからないでしょうね。Wikipediaには「約7万年前に、悪魔などが口や耳などの穴から進入してこないよう、赤色の物を塗る習慣があったのが始まりと言われている。これは、出土した当時の人骨の口などに赤色が付着している痕跡があったため判明した。別の説では、紀元前3000年頃のエジプト人が使用したと思われる口紅が発見され、紀元前1200年頃のエジプトで、人々が目や唇に化粧している絵画も発見されている」と書かれていますが、この文章の前半はちょっと信憑性が薄いかもしれません。

 例えば、縄文人の人骨でも赤い色に着色されたものがあります(大学院生の頃、所属していた自然人類学研究室の人骨コレクションで、私も目にしたことがあります)。しかし、これは生前にも塗っていたというより、葬送儀礼の際に「生前の色と同じような肌の色にして葬ろう」と着色したものが残ったものかもしれません。

 なお、先のブログでも触れましたが、ツタンカーメンのマスクには唇が彩色されていません。一方、彼の義母のネフェルティティ胸像は「謎めいた微笑を浮かべる赤い唇」がはっきりとしており、口紅をつけていたかもしれません。なお、二人ともアイラインを施していることは確かです。

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 しかし、とりあえず言えることは、ヒトは「健康状態をカモフラージュするためか」、それとも「さらに強烈にアピールするためか」、さらには「コミュニケーションの手段としてより強力なツールとするためか」、あるいはこれらすべての理由で口紅を発明・利用することになります。

 そのために用いられたのは、顔料(ベニバナコチニールなどの天然色素と、タール系の合成色素に分けられます)、ワックスなどの油分、界面活性剤、酸化防止剤、香料などです。それにしても、コチニールとは何か、皆さんご存じですか? 実は、カイガラムシの類(コチニールカイガラムシなど)なのですね。コチニールカイガラムシはウチワサボテン等につく害虫ですが、コチニールとして利用される場合は、ヒトにとっての益虫になります。

 とは言え、こうしてみるとあのマルクス・アウレリウス自省録の次の一節を思い出さないわけにはいかないかもしれません、曰く「あの貴婦人方がまとっている高価な衣装は、実は、虫が吐いた糸(=絹糸)を貝の血(=アッキガイ類の色素)で染めたにすぎないし・・」。

 ちなみに、紅(べに)の材料である紅花は、平安時代から栽培され、その別名は源氏物語で鼻の赤さを例えられる登場人物の一人である“末摘花”とのことですが、その頃から日本の女性の唇を彩っていたのかもしれません。

身体の人類学Part2:ヒトはなぜ“毛変わり”しないのか?

2016 3/27 総合政策学部の皆さんへ

 今回の話題は“毛”というより、ヒトの“毛髪”とニホンザルの“毛”の比較、ということになるでしょうか。それでは話の“まくら”は何か? それはニホンザルが毎年“毛変わり(毛替わり、毛代わり、毛換わりとも)”することです。

 “毛変わり”はとくに局地に住む哺乳類や鳥等に顕著です。“カワリウサギ(Variable Hare)”とも呼ばれるユキウサギが典型ですが、夏毛は茶褐色ですが、冬に近づくと「ほとんどの個体が白色(もしくは大部分が白色)の毛になる。尾は一年を通して完全な白色で、このことは尾の上部が黒色であるヤブノウサギ(Lepus europaeus)との違いとなる」(Wikipedia「ユキウサギ」)。これは当然、冬に雪がつもれば、そこでの保護色として色を変えざるを得ない適応ということになります(=冬眠しない、ということでもありますね)。ユキウサギの場合は、捕食者に見つからないための換毛なのでしょうが、逆に捕食者も被食者に見つからずに忍び寄るためか、エゾオコジョ等のように白い冬毛に換毛する種もいます。

 Wikipediaの「毛(動物)」では、「全身の毛は主として防寒の役割を果たすが、四季のはっきりした地域では、季節による気候の差に対応するように、毛の生え方が変わる。夏のそれを夏毛と言い、冬のそれを冬毛という。一般に冬毛の方が細かい毛が密生している。毛皮の用途には冬毛が喜ばれる。この2つの毛は、見かけの色も大きく変化する例があり、オコジョやエチゴウサギでは、冬は真っ白の体毛になる。これは雪の多い地方での保護色として働く。この中間の季節には短い時期にこのような毛が入れ替わる時期があり、毛変わりと呼ばれる」と記載されています。

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 それでは、ニホンザルはどうでしょう。夏毛は4~6月頃に生えてきて、濃い褐色の短い毛です。その毛が冬にかけると、だんだん伸びてきて、ぼさぼさの感じになってきます。生え方が変わるというよりも、長いこと床屋にいかなかったために、ぼさぼさに伸びてしまった毛という印象で、冬毛があらたに生えてくるという印象ではありません。そして、色は次第に褪せたような、白っぽい色に変わります。その毛が春に入ると抜け出す。そして冬毛が抜けた地肌に、短い、濃い暗褐色のような夏毛がびっしりと生えてくる、という印象です。

 実は、大学院に入りたての頃、この“ニホンザルの毛替わり”を調べたことがありました。その少し前にアメリカの論文で「アカゲザルでは毛替わりが、長いしっぽや手足の先端、額などから変わり出す」という発表があり、それではニホンザルではどうだろう? と先輩で当時龍谷大学教員だった好廣眞一さんから尋ねられたからです。

 それで春学期に観察すると、一点、面白いことに気づきました。まず、毛替わりはオスやコドモが早く、メスは平均すると遅いのですが、とくに妊娠したメスが遅いというか、出産してから毛替わりするのです。妊娠で体内のホルモンバランスが変わり、それが毛替わりに影響を及ぼすらしい。この結果、4月も過ぎると、どのメスが妊娠しているのか、毛替わりを始めたかどうかで、ほぼ100%判断できるようになりました。

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 そのサルの親類である(正確に言えば、数千万年に遡れば祖先を共通にしている)人間の頭髪は、なぜ毛替わりしないのか? それも人の毛はずっと伸び続ける(Wikipediaによれば、東アジア民族でおよそ11 cm/年 = 0.3 mm/日 = 3 nm/秒)。これもちょっと不思議ですね。

 サルよりははるかにヒトと近縁のチンパンジーでもそんなに長い毛はしていないのに、人間ならばかなり長く伸びます。世界最長の髪の毛は、どうやら5~6mもあるようです。ある記事ではベトナムの男性、Tran Van Hayさんは6.8mと推定されていたそうです(2010年にお亡くなりになったようです;The Telegraphの記事より)。進化生物学的には、髪が長いことになにか意味があるのでしょうか?

 それともう一つは、ハサミもなかった古代、ヒトは長い髪をもてあまさなかったのか? ついでに長いヒゲも? 厳しい生活の仲で、髪もヒゲもすり切れて、そんなに長い髪/ヒゲになることはなかったのでしょうか? そのあたりは、毛髪に関する発生学/生理学的特徴から考えなければならず、いまのところ、私もお手上げです。少し勉強してみたいと思います。

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 それにしても、髪の毛でもう一つ思い出すことがあります。それはアフリカでまる2年間、西部タンザニアのマハレ山塊国立公園建設予定地に滞在していたときのことです(そもそも、そこに国立公園を建設するための基礎調査、というのが私のJICA(国際協力事業団、現国際協力機構)の専門家としての任務だったわけですが)

 当然、床屋もないわけですから、さすがに長い髪をパートナーに切ってもらって、その髪を捨てたところ、チンパンジーたちが異様なまでの関心を示し、まず、しげしげとのぞき込み、匂いをかぎ、しかし、なんだかわけがわからないという風情でやがて立ち去っていく姿でした。

 頭に付いている時には当たり前の髪の毛が、切られて地面に散らばっていると、チンパンジーたちに「何が起きたか、よくわからない」という疑問を引き起こす。おそらく、ヒトの髪の毛という連想がつかず、何かの生き物の毛であろうか、それがなんだか、得心がつかない、という彼らの困惑ぶりは、なかなか興味深いことでした。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...