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新入生へ、リサーチで重要なこと#3:パーカー・パイン氏に「統計」を学ぶ、あるいは日本人は誰に殺されるのか?

2018 8/22 総合政策学部の皆さんへ

 キャンパスは今日から事務室が夏季休暇明けですが、以前、「統計学の奨めPart3:“賭博”と“確率論”+高畑ゼミの100冊番外編」でご紹介した、アガサ・クリスティが想像した数々のキャラの中でも、たぶん日本人に一番しられていない方、パーカー・パイン氏をご紹介しましょう。ほら、ロンドンの朝刊一面の片隅に、個人広告「あなたは幸せ? でないのならパーカー・パイン氏に相談を。リッチモンド街17 (Are you happy? If not consult Mr Parker Pyne, 17 Richmond Street」(乾進一郎訳『パーカー・パイン登場ハヤカワ・ミステリ文庫版)と掲載するパーカー・パイン氏です。この方の決めぜりふが「(あなたのお悩みを解決するのに役立つものこそ)統計です」。

 さて、皆さんは入学後、やたらに“統計”に悩まされているかもしれないからです。とは言え、統計は本来は「面白い」学問です! そして、これからグローバリズム時代、統計はビジネスや政策の必須項目として、教養(リベラル・アーツ)の一つとも言える存在です。ちなみに、中世ヨーロッパで為政者が身に付けるべき教養=リベラル・アーツは3学(文法学・修辞学・論理学)、4科(算術、幾何、天文学、音楽)です。昔から、“数学”ができなければ教養人ではない! ということをまず自覚しましょう。

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 さて、パイン氏は上記個人広告にひかれて訪れる客の説明を聞くと、おもむろに「あなたの問題はこれですか?」と指摘します。「一体どうしてそんなことがあなたにわかるのですか?」と戸惑う客に、「わたしの仕事は知るということなんですよ。なにしろ、私の人生の35年間を私はある官庁で統計収集の仕事をしておったんですから。退職した今、私は思いついたんですが、身についた経験を新しい形で使ってやろうと。それはまことに簡単です。不幸は5大群に分類できます・・・・それ以上はない、絶対に。ひとたび病根がわかりさえすれば、治療は不可能ではありません

 医学でも、生物学でも、経済・経営学でも同様です。問題を「知る」→「収集する」→「分類する」→「体系化する」→「個々のカテゴリーについて、その基本原因を探る」→「対策を考える」→「処置をほどこす」。その流れにのっとり、パイン氏は続けます「私は医師の役を務めます。医師はまず患者の悪いところを診断して、それから手当の指導忠告へと進みます。中にはどんな手当も役に立たないような病状もあります。そのような場合には、私には何もできないと率直に申し上げます

 短篇『不満軍人の事件』の中で、パイン氏は断言します「私ははっきり申しますが、いわゆる英帝国建設者の退役した人たちの96%が、不幸せなんですよ。そういう人たちは、活気ある生活、責任一杯の生活、危険があるかもしれない生活を、いったい何と引き換えにしたか? 狭められた収入、うっとうしい機構、そして全体としては陸に上がった魚のような感じですね」「あなたのいっていることはみんな本当だ

 パイン氏のセリフを、(英帝国建設者たちに抑圧された)非欧米世界の先住民の方々が聞いたら、どう感じるのか? という点は、この際とりあえず置いておきましょう。皆さんに感じ取っていただきたいのは、相手を分析・説得する時に、“統計”がまたとない“道具”になるということだけです。

 そして、パイン氏は依頼を躊躇う顧客について、スタッフにつぶやきます。「誰でもみんな、自分の事情は他にないものぐらいにおもっとるんだから、おもしろいよ」。そう、統計を使えば、みんなある程度“似てくる”。 こうして「私のケースは他と違う」という思い込みは厳しくも否定され、パイン氏によって「あなたのケースはここに分類され、このカテゴリーにはこんな解決法があるかもしれません」という提案をいただくことになるのです。

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 ところで、パイン氏の主張、「不幸は5大群に分類」とか「英帝国建設者の退役した人たちの96%が、不幸せ」が正しい指摘かどうかは、この際、別の問題です。こうした数値は、実際にはきちんと調査=データ収集・分類・体系化をしなければいけませんから。

 と言っても、統計数値を実際に自分で「調査」するとなると、個人ではなかなか難しい。学生さんではさらに至難の業かもしれません。いきおい、すでに公表されているきちんとした統計データを引用するのが一番です。もっとも、最近は様々な統計がWebでアクセスできる。ただし、信頼できる統計となると限られているので、政府の統計か、国連統計等を使って下さい。

 ということで、問題です。「日本における殺人事件において、被害者と被疑者はどんな関係にあることが多いのか、ぱっと答えられますか?そのためには犯罪統計というものがある。皆さんもすぐにアクセスできます。警察庁HPの犯罪統計から「平成28年の犯罪」(https://www.npa.go.jp/toukei/soubunkan/h28/h28hanzaitoukei.htm)の付表「56 罪種別 被疑者と被害者との関係別 検挙件数」 (H28_056.xls)。

 これによると「殺人」の項目は、殺人、嬰児殺、殺人予備、自殺関与の4種類に細分されますが、殺人予備は実際の殺人にいきません。これに強盗殺人を加えると(統計上、強盗殺人は「強盗罪」に属していて、「殺人」とまた別のカテゴリーなのです)、合計805件(殺人757件、嬰児殺13件、強盗殺人17件、自殺関与18件)となります。

 この805件のうち、被疑者と被害者が配偶者及び1親等(養子関係も含む)内のケースは373件(46.3%)、これに兄弟・親族を含むと435件(54.0%)、さらに知人・友人と職場関係者を足すと648件(80.5%)、つまり日本人の殺人被害者の8割は家族や友人、知り合いに殺されていることになります。もちろん、殺人と強盗殺人とでは多少傾向が異なり、殺人の80.2%が知り合いなのに対して、強盗殺人は64.7%に低下しますが、「強盗殺人でも、まったくの無関係者は少ない」ことがわかります。

 ちなみに、嬰児殺もあわせると実子・養子・継子を殺した例が103件(12.8%)、逆に実父母・養父母・継父母を殺した例が113件(14.0%)です。そして、配偶者間の殺人が157件(19.5%)となります。なお、配偶者間の殺人では、女性が殺されたのが86件で、男性が殺されたケースが残り71件とすると、被害者の男女比は1対1.21となり、女性(妻)が殺されることがやや多いということになるかもしれません。

 なお、こうした傾向は平成25年でも平成27年でもほとんど変わらないようです。パーカー・パインに倣って「それが統計です!」と宣言したあとで、この“事実”からあなたは何を提起できるのか?(レポートでは、事実の指摘よりも、それで何が主張できるか、が重要) そのあたりをぜひ考えてみてください。

“銭”を“升”で計る;柾屋異聞Part1

2014 5/26 総合政策学部の皆さんへ

  私は子どもの頃、母方(正確にはさらにその母方)は新潟で廻船問屋をやっていた、と今はアルツハイマーでほとんど植物状態の母から何度もきかされたものでした。

果たしてそれが本当かどうかさえ、今となっては確かめるすべもありませんが、何でも現在も新潟の繁華街である柾谷小路一帯を所有していた柾屋(Wikipediaでは柾屋四郎衛門という名がでてきます)の末裔だというのです。

 その柾屋は明治の前後、所有する船がことごとく嵐で沈んだために没落した、というのが何度も聞かされた話でした。その当時は、手広く商売をしていて、例えば、北海道から熊の皮(その一枚が祖母の子どもの頃までは残っていたよし)や鷹の羽(何に使うか、わかりますか? の後ろにつけて弾道を安定させる矢羽根です。江戸時代ですね)を仕入れ、もちろん、越後からは米、讃岐からは御影石と讃岐豆等を流通させていた、というのです。

 世間を何も知らぬガキの頃に聞いた話ゆえ、真偽さだからならぬとは思いますが、柾屋は浄土真宗でも東本願寺の門徒にあたり、明治年間に御影堂・阿弥陀堂を立て直す時に、扱っていた御影石を献納したとか、建築に使う毛綱を家中の女性が献上したとか聞いていました。

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 そうした話の一つが、「銭を升ではかる」ということです。

 聞かされたのは「毎日の商いで、銭が大量に入るけれど、1枚ずつ数え得るのは手間だから、一升マスでざくっと量れば、たいていは枚数はほぼ同じで、その升の数を数えればよいのだ」というわけです。今思うと、これはほぼ「大数の法則」というか、多少の誤差があったとしても、実用には差し支えない、という話であろう、と子ども心に納得したものでした。

 それであらためて銭を升で本当に量っていたものか、調べてみると、例えば「江戸の古民具」というHPには、「大きな商店には、必ず銭函と銭を量る銭升と呼ばれる物があった。一般の人達が使うのは銭。これを放り込んでおくのが銭箱。店を閉めてからこの箱を開け、銭勘定をするとき升が必要になる。銭は通常一枚が四文として通用した。幕末には一文通用の銭もできたが、大方は四文通用。そこで、店をしまってから今日の商い高を調べることになる(参考:道具で見る江戸時代-高橋幹夫著・芙蓉書房出版)」とでてきます(http://www.page.sannet.ne.jp/rokano28/edo/komingu.htm)。

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 その上でHPには銭升の写真も掲げられていますが、これが銭(寛永通宝)ではなくて、四角い一朱銀二朱金を数えるものなのですね。庶民が使ったとも思えないので、「銭」という言葉とちょっとイメージが狂ってしまいますね。

 と思って、さらに画像を探すと、丸い銭も数えるものもありました。一朱銀などのマス目が長方形なのに対して、こちらは正方形でちょうど丸い銭が収まる形になっているようです。

 しかし、子どもの頃に聞かされていたイメージとちょっと違います。私のイメージでは、銭の山を一升マスでざくざく量る、というイメージで、薄い銭枡でちまちま量る光景とはずいぶんかけ離れています。

 ということで、今回は話がやや中途半端になってしまいましたが、私の祖先であるという話の柾屋について、話を続けていきたいと思います。

ドナルドの数学教室(ドナルドのさんすうマジック)で、数学を学ぼう!

2013 12/28 総合政策学部の皆さんへ

 ちょっと以前の話になってしまいましたが、8月初め頃に、7大学政策系学部長懇談会という、なにやら物々しげなタイトルの集まりがありました。要するに、慶応、中央、南山、同志社、立命館、関大、そして関学、政策系学部を持っている7大学の学部長が年に一度集まって、いろいろとお話しする会合です。

 そこでお会いした慶應の総合政策学部長の方はなんと数学の先生でした。互いに理系出身者の気安さか、(向こうの総政で)数学を講義することの大変さを嘆かれるので、「リベラル・アーツの基本には数学(幾何学と代数学)が入ってるじゃないですか」と私が言うと、「こちら(慶応)では、誰もそんなことは言ってくれません」とおっしゃいます。

 それで、ついつい、「いや、そんな時こそ、“ドナルドの数学教室”を見せたら、どうですか!」とお奨めしたのが、今日のタイトル、“ドナルドの数学教室”です。ドナルド、もちろんドナルド・ダックのことです。

アヒルをモチーフにしたディズニーアニメのキャラクター」で、「人をからかうことが好き。短気な性格であり、ディズニーキャラクターの中で最も喜怒哀楽が激しい。また、自己中心的な上とても騙されやすい。そのため、短編映画などでは悲惨な目に遭って終わるオチが多く、特にチップとデールとの共演作品では、ほとんど悪役的存在として描かれ、毎回と言っていいほど散々な結末(ドナルド自身に身体的被害・財産に被害を受けるのがほとんど)で終わる。かなり短気のせいなのか、口調は子供っぽいがかなりの毒舌である

という、根っからの“悪ガキ”キャラ、言うまでもなく、“よい子”キャラのミッキーの対極です。

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 その悪ガキ、ドナルドがどうしてまた数学(さんすう)など? というわけで、例によってWikipediaを開けてみると、これまた単独の項目として掲載されているではありませんか! しかも、DVDが市販されている。ただし、Wikipediaのタイトルは現在の市販DVDのそれにのっとり、『どなるどのさんすうマジック』です。制作は1959年、ドナルドダック・シリーズの第125作(スタンダード、カラー作品)とのこと(上映時間28分)。教材として購入してもよいかもしれません。

 アメリカ公開が1959年6月26日、日本公開が翌1960年11月22日ですから、私は小学校1年か、2年の時にこれを映画館の併映短編映画で観たことになります。

粗筋ですが、Wikipediaではいたって簡単に、「ドナルドは嫌いな算数の国に迷い込むが、次第に算数が好きになっていく」とだけ書いています。しかし、40年前の記憶をたどれば、ピタゴラス学派の紹介から始まり、音楽の音の高さと数学の関係から、数学の魔宮・迷宮、ラビリンスの世界に誘い込む映像の数々、であったような記憶です。

 Wikipediaでは、「ピタゴラス教団は・・・哲学者のピタゴラスによって創設されたとされる一種の宗教結社。現在の南イタリアのロクリスに本拠を置き、数学・音楽・哲学の研究を重んじた」とあります。ピタゴラス派が、リベラル・アーツの祖であったとは、初めて知りました。

 ちなみに、「ニコニコ動画」の方では、「数学は賢い人のものだと思っていませんか? 数学は自然界のあらゆる所に存在しています。さらにはスポーツやゲームの中にも数学は溢れているのです。そんな不思議な数学の世界をドナルドと一緒に探検してみよう」というのがうたい文句です。

皆さん、興味はわきませんか? 井垣先生ならば、きっとご同意いただけるはず。

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 ということで、しばらく、ディズニーネタのシリーズもおもしろいかもしれません。 

“統計”の奨めまとめ編Part1:バクチに勝つには? 確率に関する簡単な問題集#2:SPI解答編

2012 5/6 総合政策学部の皆さんへ

  “統計”の奨めまとめ編Part1:バクチに勝つには? 確率についての簡単な問題集#1の続編です。先回の練習問題を覚えていますか? その解答編です。是非、SPIにチャレンジして教養(=自分が生きている時代を生き残るための基礎知識)を身につけましょう。

練習問題3:20本のくじのうち、5本が当たりで15本が外れである(子供の頃に味わったアイスキャンデーの棒の焼き印等をおもいだしましょう)。このくじをA~Eの5人が、A・B・・・・・・Eの順で引くとき、次の問題の答えとして正しいものを選択肢の中から選びなさい。

(1)引いたくじをもどさないとき、全員が当たる確率はいくらか?
 A 1/5   B 1/16  C 1/1024  D 1/3288  E 1/7560  F 1/15504

  • わかりますね、次のように思考して下さい。
  • (1)最初にくじをひいた人がそのまま当たる確率=5/20=1/4
  • (2)(1)の次にくじを引いた人が当たる確率=1/4×4/19(当たりくじも総くじ数も1つずつ減っているので)=1/19
  • (3)(1)(2)の次にくじを引いた人が当たる確率=1/19×3/18(同じく)=1/114
  • (4)(1)~(3)の次にくじを引いた人が当たる確率=1/114×2/17=1/969
  • (5)(1)~(4)の次にくじを引いた人が当たる確率=1/969×1/16=1/15504・・・・正解はF

 問題は、とりあえず理詰めに(=論理的に)考えていくことです。そうすれば、SPIも怖くない?!

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 続いて、

(2)引いたくじを戻すとき、全員が外れる確率はいくらか?
 A 133/561   B 225/912  C 243/1024  D 575/3072 E 393/4096 F 1013/7560

 こちらは次のような経緯をたどるはずです。

  • (1)最初にくじを引いた人がはずれる確率=15/20=3/4
  • (2)そのくじを戻して(つまりまた20本にする)、次にくじを引いた人もはずれる確率=3/4×(15/20=3/4)=9/16
  • (3)同じようにして、その次にくじを引いた人もはずれる確率=9/16×(15/20=3/4)=27/64
  • (4)同じようにして、4番目にくじを引いた人もはずれる確率=27/64×(15/20=3/4)=81/256
  • (5)同じようにして、最後の人もはずれる確率=81/256×(15/20=3/4)=243/1024

 ということで、答えはCですね。つまり、4回に1回ぐらいは、全員くじから外れることがある、ということになります。

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 こうした練習問題を試していると、要するに、(1)確率の原理を理解すること、そして(2)多様な問いかけにぱっと応えるには反復練習が必須、この2点が重要かと思えてきます。

 事実、Webで「SPI 反覆練習」で検索すると、例えば、「就職戦線を勝ち抜け!「Web-SPI講座」という広島工業大学のサイトが見つかります。そこでは「就職というゴールに向けての第一関門であるこのSPIを通過するために、Web上で反復練習できるシステム「Web-SPI」」等という紹介もありました(http://www.it-hiroshima.ac.jp/news/2010/10/web-spi.html)。

“統計”の奨めまとめ編Part1:バクチに勝つには? あるいはSPIに打ち勝ち、就職をゲットするには:確率についての簡単な問題集#1

2012 2/23 総合政策学部の皆さんへ
 これまでにブログで断続的に統計を話してきましたが、一度まとめてみたいと思います。それでは、これまでの投稿から統計に関連するものを抜き出すと、以下の通りです。

(1)“統計”とは何か? アフリカで感じたこと;国際援助の現場から#6
(2)統計学の奨めPart 1:なぜ“統計”などというものを勉強しなければならないのか?
(3)統計学の奨めPart2:近代的統計の発達:“大数”の法則=とくに、保険業界に興味がある方に
(4)統計学の奨めPart3:“賭博”と“確率論”+高畑ゼミの100冊番外編
(5)ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(前半)
(6)ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(中)
(7)ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(後半)
(8)総政をめぐるトピックPart1:“国勢調査”、“人口”、そして国家統計#1
(9)総政をめぐるトピックPart1:“国勢調査”、“人口”、そして国家統計#2
(10)総政をめぐるトピックPart1:“国勢調査”、“人口”、そして国家統計#3:ダホメ王国の冒険ほか
(11)総政をめぐるトピックPart1:“国勢調査”、“人口”、そして国家統計#4:近代のシステム

 結構、色々投稿していますね。それでは、これらの整理からはじめましょう。 まずは、(2)「統計学の奨めPart 1:なぜ“統計”などというものを勉強しなければならないのか?」から始めましょう。

 まず、なぜ、統計を勉強しなければいけないのか? はっきり言えば「就職してから必要になる」からです。そして「統計を知れば仕事も簡単に片づく」からです。皆さん、大学では勉強しているだけではつまりませんよね。 会社に入っても仕事ばかりでは、何のための人生かわからない。

 そこで、労働生産性を上げて、“遊ぶ”時間の余裕を取り戻す。それには大学では、“語学”と“統計”に限る!

 皆さんの先輩、1期生のAさん(現在、B市役所勤務)の「今思うと、哲学と国際関係とか、結構限られた分野の授業しか取ってなかったので、今本当に思うのは「データ解析」とか「社会調査法」とか。修士論文を書く時に一番困ったのが、統計と社会調査法とデータ解析をあまり知らない。アンケートでは体系立って勉強やっておかんと、今、ちょっと苦しんでいるので・・・。あれは必修でも良いんじゃないかと思っているんですけど」というご発言に注目して下さい。

 さて、それでは統計とは何か? 実は(私の個人的なイメージだと)かなり複合的な概念で、私が「統計」と聞く時に思い浮かべるものと、亀田先生が想起されるもの、宮川先生が連想するもの、そして李先生が「統計とは、これだね」と言うものは、それぞれに違う(はずです)。

 実は、それは『基礎演習ハンドブック』にちゃんと書いてあって、統計とは「バクチに勝ちたい!」というとんでもなく個人的な欲望と、「人口はどれだけで、税金はどれだけ取り立てられて、兵隊は何名徴兵できるのか?」というむき出しの国家権力のあらわれ、という二つのルーツがあることを指摘しておいたかと思います。

 皆さんも、「統計」と聞く時に、このどれに当てはまるでしょうね? というあたりをまず考えて下さい。それが(2)のテーマです。

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 ということで、皆さんの興味を引きやすい、個人的なむき出しの欲望、「バクチに勝ちたい」という欲望から話を始めるのが面白そうです。

 こうして確率論の始まりを紹介するのが、(4)「統計学の奨めPart3:“賭博”と“確率論”+高畑ゼミの100冊番外編」です。

 かの天才=神々がめでし人々の一人、数学者のパスカルが自称騎士シュバリエ・ド・メレ、実はこれは偽名で、本体は博打うちのアントワーヌ・ゴンボーという男性だったとのことですが、うぶなパスカル君はすっかり騙されて、与えられた命題に没頭、高名な数学者(ただし本業は弁護士、数学は趣味)のピエール・フェルマーと手紙でやりとりしながら、解決に向かいます(野崎昭弘『数学で未来を予測する』PHPサイエンス・ワールド新書)。

 そのテーマの一つは 「1つのサイコロを 4 回投げて、そのうち1回でも6 が出た場合は勝つ」という賭けに挑戦した場合は、勝つことができた(ゴンボー君の経験論ですね)。

 もう一つの課題が、2つのサイコロを 24 回投げる。そこで、6と6 、いわゆる“ぞろ目”が1回でも出た場合は勝つという賭けについて、「同じ確率なんだから、勝てるだろう」と思ったのに、勝てなくなった(こちらも経験論)。これはなぜか?」。

 つまり、ゴンボー君が(数限りない挑戦の結果、おぼろげに把握した)経験的事実を、数学的理論で裏打ちしてくれ! これが、自然科学における経験値理論値のすり合わせなのです!(自然環境論等の講義内容を想い出していただけましたか?

 答えですが、サイコロは6面、したがって、1回ふって、「6」が出ない確率は5/6だから、4回とも「6」が出ない確率は、5/6の4乗=(5/6)4=0.4823。この結果、4回中1回でも「6」がでる確率は、1から(5/6)4を引いた0.5177。
 つまり、何度も賭けに挑めば、一回でも「6」がでる確率はそうでない確率よりも高い(0.5177>0.4823)。だから、最終的には必ず勝つ。これをゴンボー君は“経験”的に知っていた。

 次の答は、2個のサイコロを投げて6のぞろ目にならない確率は、6×6=36の“組合せ”のうち、35の組合せとなりますから、35/36=0.9722です。これを24回やって、一度も6のぞろ目が出ない確率は(35/36)24=0.509です。

 となれば、一度でもそぞろ目がでる確率は1-(35/36)24=0.491で、「ぞろ目が出ない」確率よりも低い。だから、何度もこの勝負をやっていると、最終的には負けてしまう。

 なお、ゴンボー君はパスカルたちにさらに別の課題、「AとBという2人の間で同じ金額ずつ出し合って、勝った方が総取り、という賭けをした。2人ともギャンブルの腕は同じで、勝負は運だけで決まるものとする。さて、先に3勝した方が勝ちという勝負をしたとして、今、Aが2勝、Bが1 勝している状態で、警察に踏み込まれたとする。このとき、かけ金はどのように分配すべきか」(http://www.sic.shibaura-it.ac.jp/~yukis/Jyugyo/PDFfile/kajiyama.pdfより引用)、というかなり切実な、生々しい課題を出します。

 パスカルたちはこれに「期待値」という概念で持って答えますが、それは(4)「統計学の奨めPart3:“賭博”と“確率論”+高畑ゼミの100冊番外編」をお読みください。

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 ところで、ゴンボー君の命題は、まるで就職の際に受けるSPIテストのようですね。

 そこで、先ほどの先輩のAさんの話を思い出していただけばよいのです。つまり、大学を卒業しようと、会社に入れば、こうした知識が要求される。かつ、ひょっとしたらバクチに強くなるかもしれない(?!)。 なにより、怪しげな話に騙されなくなる(新聞やTVのニュースもしょっちゅう統計的誤りを犯している、というのが大阪商業大学学長の谷岡一郎氏の『「社会調査」のウソ リサーチ・リテラシーのすすめ』 文藝春秋〈文春新書〉』です(谷岡先生のご専門の一つがギャンブル学です)。

 それでは、SPIにはどんな問題がでるのでしょう? 白木達也著『SPI:SPI2完全突破2012年度版』(新星出版社)では、126ページから始まる「順列・組み合わせ・確立」の章に以下の例題がでてきます。皆さん、試してみましょう。

練習問題3:20本のくじのうち、5本が当たりで15本が外れである(子供の頃に味わったアイスキャンデーの棒の焼き印等をおもいだしましょう)。

 このくじをA~Eの5人が、A・B・・・・・・Eの順で引くとき、次の問題の答えとして正しいものを選択肢の中から選びなさい。

(1)引いたくじをもどさないとき、全員が当たる確率はいくらか?

 A 1/5   B 1/16  C 1/1024  D 1/3288  E 1/7560  F 1/15504

 これを何分で解けばよいのでしょうか? 皆さんとけましたか? 答えは#2で公開しましょう。続いて、

(2)引いたくじを戻すとき、全員が外れる確率はいくらか?

 A 133/561   B 225/912  C 243/1024  D 575/3072 E393/4096 F 1013/7560 

 皆さん、すぐわかりますね? ということで、#2に to be continued・・・・・といたします。

総政をめぐるトピックPart1:“国勢調査”、“人口”、そして国家統計#4:近代のシステム

2011 1/30 総合政策学部の皆さんへ

 #1#3に続いて、国勢調査について話を続けましょう。人口調査についてのセンサスは、17世紀頃からしだいに近代化します。それは、(1)たんなる人口だけではなく、社会の構造の変化を明らかにすることを目的とするようになり、(2)調査対象も特定の者からすべての人を対象とします(いわゆる悉皆調査)。

 例えば、江戸時代の資料として宗門人別改帳では、無籍者や武士、武家奉公人・従者(武家方奉公人並又者)、公家皇族は除外されていました。近代的調査では、こうした例外を許さないわけです(総務省統計局HP;「国勢調査に関する詳細な解説第4章外国の国勢調査」)。なお、Wikipediaに「規則や法則には例外がつきもの」と書いてはありますが、実のところ、自然科学を筆頭に近代科学は“例外”を嫌います。例外が存在している時は、理論がまだ未熟だ、と考えるべきなのです。

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  さて、このような状況下、1776年に独立したアメリカ合衆国では、1787年に憲法によって下院議員と直接税は各州の人口数に応じて分配すると定めます。そのため、合衆国議会の第1回の開会後3年以内に人口調査を行い、以後10年以内ごとにおこなうと規定します。これにもとづいて、1790年に第1回のセンサスがおこなわれます。

 その結果は、合計3,929,214人(1.8人/1k㎡)となっています(資料はhttp://www.census.gov/prod/www/abs/decennial/1790.html)。それが10年後の1800年には5,308,483人(同2.4人/k㎡)で、10年間の増加率35.1%。ちなみにもっとも増加率が高かったのは1800~1810年の36.4%で、もっとも低かった時期は(大恐慌後の10年間に相当する)1930~40年の7.3%ですね(U.S. Census BureauHPの資料;http://www.census.gov/population/www/censusdata/files/table-2.pdf)。

 この後、国家運営の近代化のため、各国は次々に国勢調査に着手します(つまり、己を知らない限り、近代国家を運営できない。こうしてヴァーバンの先駆的事業が形を結び始めます);1801年 イギリス、フランス、デンマーク、ポルトガル、1815年 ノルウェー、1818年 オーストリア、1829年 オランダ、1837年 スイス、1846年 ベルギー 、1851年ニュージーランド、1877年 フィリピン、1881年 インド、ミャンマー、オーストラリア、1883年 エジプトと、やがてヨーロッパ以外にも広がります。

 それにしても、例えば、1881年のインドとミャンマーは1877年のイギリスによる“インド帝国”の成立=直轄植民地化、1883年のエジプトは1879~82年のウラービー革命鎮圧後のエジプト保護領化と連動しているわけです(=植民地帝国主義の最盛期)。

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 もっとも、19世紀当時のセンサスの項目は非常に少なく、1790年のアメリカ合衆国の第1回センサスでは、16歳以上の自由白人(男子),16歳以下の自由白人(男女),その他の自由人及び奴隷という項目だけだったそうです。イギリスでも、例えば職業は農業、商業、その他の3区分しかなかったとのことです。

 なお、明治12年の「甲斐国現在人別調」の調査事項は、①住地及び住家の持借の別、②姓名(家主は華族,士族,平民など族籍も記入)、③家主及家族(世帯主との続柄)、④男女の別、⑤身上の有様(配偶の関係)、⑥年齢、⑦生国、⑧宗旨、⑨職業等からなっていました(以上は、上記総務省統計局HPより)。こうした世界の大勢のなかで、近代国家化するためには、戸籍法による人口把握だけでなく、悉皆調査による国勢調査が必要だ、というのが杉亨二らの主張であったわけです。

 しかし、その実施は明治35年(1902年)の「国勢調査ニ関スル法律」(明治35年12月2日法律第49号)を経ながら、日露戦争および第一次世界大戦の参戦で遅延し、なんと1920年(大正9年)にずれこみます;ちなみに私の亡くなった父の生年が1919年なので、この時の国勢調査に含まれていたはずです。この調査の予算案が公表されたのは1918年、杉亨二が89歳で逝去した日にあたるそうです。

 その結果、1920年の時点で日本の人口は55,963,053人と報告されます。ちなみに、国勢調査の根拠となる統計法(平成19年5月23日法律第53号)の条文は、以下の法務局HPで閲覧できます(国勢統計にかんしては第5条ですね。国民経済計算は第6条です):http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H19/H19HO053.html

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 それにしても、国勢調査以前の日本の人口統計を見ると、1905年1月1日の時点で男性23,421,000人、女性23,199,000人、総計46,620,000人。この23,421,000人の男性にはもちろん老若入り混じっているわけです。人口問題研究所のHPに出てくる資料を見ると、1898年の人口で15~64歳の人が占める割合をが61.7%、1908年で60.5%とあります。

 まさか60歳では戦争にいけないと思うので、まったく大雑把に、戦争に動員できる男性を50%として、11,700,000人が動員対象としましょう。

 そうすると、1904年2月8日~1905年9月5日におこなわれた日露戦争の総動員兵力109万人は、対象の男性のほぼ10人に一人が動員されたことになります。また、日露戦争の戦没者は88,429人(病死27192人を含む)で、負傷者が153,584人ですから、動員された者の4人に1人は戦死(あるいは戦病死)か負傷したわけです。

 これがいわゆる“総力戦”の実態です。こうした総力戦に耐えるためにも、確実な人口の把握が必要になるのです。

    総力戦は、フランス革命後半における、徴兵制度によるフランス国民軍の創設に兆し(“勝利の組織者”カルノーによる総動員体制と、それを駆使してヨーロッパを一時席巻したナポレオン)、アメリカ南北戦争で本格化します。南北戦争時のアメリカの人口は北部2200万人、南部900万人で、動員数はそれぞれ220万人(全人口の10分の1)と106万4千人(8人に一人)、戦死と戦病死が47万人と35万人にのぼります。この総力戦が日露戦争を経て、第一次大戦に突入します。

 この機微にいち早く気付くのは、例によって“危機に陥った時のリーダー”、イギリス首相をとして第2次大戦を勝ち抜くウィストン・チャーチルで、第一次大戦を回顧する書に「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーや、シーザーや、ナポレオンが兵士達と共に危険を分かち合い、馬で戦場を駆け巡り、帝国の運命を決する。そんなことはもう、なくなった」(Wikipediaより)と指摘しているそうです。

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 こうして日露戦争は、実は20世紀の近代戦としての嚆矢となります。かつ、兵力の大量投入にもかかわらず、要塞(旅順)や塹壕等の縦深陣地をなかなか抜けず、機関銃の集中使用によって攻撃側を大量殺戮できることを予言した戦いだったわけです。しかし、ヨーロッパの軍事専門家はその意味を見抜けず、日露戦争の拡大版を、とくに西部戦線で引き起こします。

 4年にわたって、無数に走る塹壕の一つ一つを奪い合う死闘で、ドイツ軍177万人、オーストリア軍120万人、イギリス軍91万に、フランス軍136万人、ロシア軍170万人等、計900万人が戦死します。

 イギリスの人口は1913年に4,560万人ですから、全人口の50人に一人が戦死、フランスは3970万人なので全人口の30人に一人が戦死したことになります。

 とくにこの時、貴族のノブレス・オブリージュとしてこぞって志願して戦地に赴いたイギリス貴族の若者が大量に戦死、あるいは負傷します。負傷したあげくに生殖能力までを失ってしまったのが、DH・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』の登場人物チャタレイ男爵にほかなりません。

 この時、「(1914年の)クリスマスまでには戦いは済むはず」と半ばピクニックにいくような気分で戦場に赴いた若者たちは、西部戦線の過酷な現実に叩きのめされます(とくに、陸軍大臣キッチナーの名コピー「Briton wants you」のポスターに魅かれて大量に従軍した、いわゆる“キッチナー・アーミー”たち)。

 その結果は、「戦後の社会に極めて大きな影響を及ぼす事になった」(Wikipedia)とされます。こうして“ロスト・ジェネレーション”世代が形成され、“狂騒の20年代(ローリング・トゥエンティーズ;Roaring Twenties)”に突入していくのです。

総政をめぐるトピックPart1:“国勢調査”、“人口”、そして国家統計#3:ダホメ王国の冒険ほか

2011 1/23 総合政策学部の皆さんへ

 “国勢調査”、“人口”、そして国家統計について、#1#2に続けて、さらに話を進めたいと思います。

 今回、まずご紹介するのはダホメ王国、と聞いたただけでダホメがどこの地域にあるのかわかる方は、テストで満点を差し上げたいところですが、どうでしょう? Wikipediaでは、「ベナン共和国、通称ベナン」「西アフリカに位置する共和制国家。南北に長く、西にトーゴ、北西にブルキナファソ、北東にニジェール、東にナイジェリアと接し、南は大西洋のギニア湾に面する。憲法上の首都はポルトノボ、事実上の首都はコトヌー」とあります。皆さん、ご存知でしたか?

  さて、この国が有名なのは、かつて白人との交易によっていくつかの王国が勃興したことがあげられます。そのうちの一つ、内陸部にダホメ王国がありました。その原動力は実は奴隷交易です。Wikipediaを引用しましょう。「1650年頃、(中略)ウェグバジャが自らをアジャ人の住む領域の王であると宣言」、王の後継者たちはアグボメ(アボメイ;世界遺産を都とした中央集権国家を築きます。国家の土地全体は国王の所有に帰し、王は徴税を行います。

 しかし、王国と歴代の王を経済的に支えた主な収入源は「奴隷貿易であり、西アフリカ沿岸の奴隷商人との関係であった。ダホメ王国の王たちは戦争をして領土を広げるに伴い、ライフルや他の火器を使用するようになり、捉えた捕虜たちと火器を交換し、捕虜たちは南北アメリカ大陸に奴隷として売られていった」とあります。

 つまり、国外勢力(ヨーロッパ諸国家、奴隷商人等)との接触によって、隣接民族を侵略して資源(この場合は奴隷)を獲得する。その資源を輸出することで、さらに侵略のツール(この場合は鉄砲)を獲得する。この連鎖の延長によって経済成長をとげ、ついに軍事国家を形成する典型的なパターンです。

 Wikipediaは続けます「(前略)ダホメ王国は膨張を続け繁栄しつづけた。この繁栄は奴隷貿易と、後に導入されたパーム栽培の農園から産するパーム油の輸出によっていた

 「ダホメ王国が最盛期を迎えたのは、1818年に即位したゲゾ王の時代である。即位したその年に、北からのソコト帝国軍の侵攻と内乱で混乱したオヨ王国からダホメは独立を果たした。ゲゾは常備軍を作り、奴隷狩りを広く行う一方、アブラヤシの農園を拡張し、奴隷交易に代わる財政基盤を確立しようとした」。

 このダホメ王国を研究対象にとりあげて、『経済と文明』を著したのがハンガリー出身の経済人類学カール・ポランニーです。 

  •    ちなみに、西欧で常備軍が最初に整えられたのは帝政ロシアの“ストレリツィ”で、16世紀のこととされています。それほど昔ではありません。
  •  

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 その『経済と文明』をひも解くと、ダホメ王国はなんと侵略のための兵士の確保のため、センサス(国勢調査)をおこなっていたとのことです! ポランニーはそれを“行政的発明センサス”と呼んできます。

 毎年、大雨季が終わり、収穫が完了すること、王国は毎年恒例の軍事遠征(=言うまでもなく、奴隷獲得)の準備を整えるため、召集(=徴兵)と徴税の資料となるセンサスを始め、それは人口、農業、手工業生産、家畜等王国のほとんどの生産物をカバーしていたというのです! 驚きですね。もっとも、本来は文字をもたない無文字文化ですから、人口を“小石”で記録していたようです。

 実際のセンサスの手続は、以下のようなものだそうです。宮殿に、女性の役人の監督下、男性用と女性用のそれぞれ13の箱が置かれます。そして、村落や地方の首長から新生児の誕生が報告されるたび、小石を加える。

 年末に、箱ごと小石が移し変えられ、第13番目の箱の中身は(14歳になった子供は成人したとみなされ)投げ捨てられ、毎年の成人の計算に加えられる。別室には、死亡を記録する箱が置かれて、同じ方法で死亡報告が処理される。とくに軍隊の長官は戦死者の数を報告しなければならない。

 奴隷と捕虜の勘定はまた別の役人にまかされる。こうして、男性、女性、少年、少女のセンサスの結果をまとめる4つの袋に集計がまとめられるわけです。さらにあと3つ、戦死者、病死者、捕虜を示す袋があったそうです。

 こうして小石の出し入れで人口を管理しつつ、軍隊を動員する10~12日ほど前に、各村の成人の数から軍団に徴収される数が計算されるのです。このセンサス結果は、(当然)国家機密であり、王だけが知っており、自分の村落等の資料を漏らした者は死刑になったと言われています。

  •     ところで、ダホメでは子安貝が貨幣として流通し、「32000個の子安貝と金1オンスという不変の交換比率を保った」とのこと(以上はポランニー『経済と文明~ダホメの経済人類学的分析』(栗本慎一郎・端信行訳)ちくま学芸文庫版より抜粋)。
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 さらに家畜等に関する経済センサスもおこなわれました。毎年、各村落の豚の頭数計算が集計されるほか、各種の措置(メス豚のと畜禁止、関所での豚の移動チェック、市場で売られた頭数チェック等)をもとに、「あまりにも多くの豚がと畜されたり売られれたりしたことが発見されると、豚肉の販売が一年間停止されるよう命令された」(『経済と文明』より)。

 こうしたセンサスは王室収入の基盤となり、脱税に対しても二重点検のシステムが存在していました。例えば、家畜については、豚の所有者には年一頭の税割り当てが、牛、羊、山羊は三年目ごとに課税されていました。同様に、蜂蜜、胡椒、ショウガ、塩なども厳しく課税されたそうです。

 さらに、製鉄、織工、きこり、商品の輸送、人頭税、相続税、農産物の税、墓堀り人には埋葬の税等がとりたてられ、国家歳入の源泉になりました(ユリウス=クラウディウス朝崩壊後にローマ帝国を立て直したウェスパシアヌスを思い出しますね;「総合政策のための名言集Part5:政治的発言について#1(2010/10/31投稿)」を参照して下さい)。 

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 無文字文化でここまでやっていたというのは、ちょっとすごいですね。欲望と必要に迫られて、他民族を犠牲(奴隷として白人奴隷商人に売り飛ばす)にして富を蓄積することで精緻なまでに築き上げられたこのシステム=ダホメ王国の冒険は、しかし、フランスによって1892年から1894年にかけて征服されます。

 同じ時期、同じように奴隷貿易による侵略王朝を作ったアシャンティ帝国も、王権の象徴たる黄金の床几(The Ashanti Royal stool)を要求するイギリスの軍隊に占領され、終焉を迎えることになります。

総政をめぐるトピックPart1:“国勢調査”、“人口”、そして国家統計#2

2011 1/16 総合政策学部の皆さんへ

  国勢調査の話題に戻りましょう。Part1でも紹介した総務省統計局のHPに掲載の「国勢調査に関する詳細な解説」には「第4章外国の国勢調査」もついています。

 このなかから、英語のセンサス(Census)の語源を紹介しましょう。センサスとは、古代ローマのCensor(観察官)が5年に一度ローマの市民権を持つ17歳以上の人数をチェックする作業=ケンススに由来するようです。

  ちなみにBC578~534年におこなわれた最初のケンススでは、80000人(ティトゥス・リヴィウスローマ建国史』)~84,700人(ハリカルナッソスのディオニュシオス『ローマ古代誌』)だったそうです。

 もっとも、ローマ市民権は男性にしか与えられていませんし、奴隷等もはいっていないので、ローマの正確な人口はさらにこの何倍もあることになります。

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 さて、ローマ市民権を持つ者は「市民集会(民会)における選挙権・被選挙権、婚姻権、所有権、裁判権とその控訴権(ローマ法の保護下に入る)」を持ち、「属州民税(収入の10%)も課されない」のですが(Wikipediaより)、同時に兵役の義務を負います。

 ローマを襲う夷敵(例えば、ハンニバル)と戦わねばならず、当然、戦死もします。戦いが長引けば(どんどん長引くようになるのですが)、家にも帰れません。

  兵役はローマというコモンズを守るための義務ですが、武具は自前で、戦争での分捕り品も私有してはならず、国庫におさめられる。それでは市民兵に個人的メリットがありません。こうして、兵役の義務はローマ市民に重くのしかかってきます(誰でも戦争に行くのはいやでしょう)。

 その一方で、ローマ共和国の拡大により敵対する民族は増え、また(ローマに蓄積された富を狙った)異民族からの襲撃もさらに増え、兵役は長期化します。長年の兵役で故郷とのきずなも薄れ、農地も荒廃し、市民=自作農が没落する。

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  つまり、コモンズを保つための戦いが、そのコモンズの構成員を破滅させていく=体制の内部崩壊です。

 こうしたシステムに内包された自己矛盾・崩壊を防ぐため、体制を鍛え直そうとしたのが、グラックス兄弟の改革、すなわち自作農の復活による市民軍の再生だったわけです。

 しかし、兄弟は伝統=自己利益を主張する保守派によって殺され、改革は挫折をよぎなくされます。

  このような経緯を経て、平民派マリウスvs.閥族派スラの死闘から始まるローマ内戦を乗り越え、カエサルがローマ帝国を創り上げていくことになります。なお、平民派といっても、所詮は上記のように社会のごく上層のローマ市民がベースですから、現在の“市民”のイメージとは随分異なります。

 グラックス兄弟の夢とは、かつての「自作農=土地所有者=市民兵士」という社会を復活させることでした。

 一方、理想よりも現実に立脚したマリウスは、もはや市民兵ではガリア人に勝てないと見切りをつけて、傭兵の全面採用を断行、市民の兵役を免除します。そして、傭兵たちは、勝てば分捕り品を自分の懐に入れることができるようになる。

 戦争は一種のビジネスになり、それが傭兵をひきつけ、優秀な将軍は傭兵たちから個人的な信頼を獲得して、やがて軍閥化して・・・・という形で、マリウス以降、パトロン=クライエント関係にベースをおく軍閥が登場します=すなわち(国家という公的なものではなく)私的な暴力装置の誕生です(Private organization of violence=PVO)。

 それでは、ローマの未来をどう見るか?

 昔の理想を追い求めるグラックス兄弟の道をとるか? 「私欲にひたり、元老院という権力機関を独占して、現体制を維持すべきか?(これが閥族派の願望)」

 「共和制等という衆愚政治を捨てて、ラテン人という民族の枠も乗り越え、ローマ法に代表される理念によってコントロールされる国際帝国を創るか?(これがカエサルの構想)」

 ポリシー・プランの鬩ぎ合いが展開します(だんだん、国勢調査から話がずれるので、このあたりで、この話題はおさめましょう)。 

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 さて、ケンススの対象であるローマ市民はいわば特権階級であり、かつラテン人という民族集団がベースのはずでしたが、やがてどんどん拡大してきます。

 例えば、新約聖書に登場の使徒パウロもユダヤ人という民族集団に属しながら、ローマ市民権をもっており、ローマ法の保護下にあります。ガリア戦役の戦友たちを従えてローマに進軍したカエサル自身が、自らの支持基盤としてガリア人のローマ市民権付与を積極的におこないます。

  ここがローマ帝国が民族の枠を超えて国際帝国として君臨した所以でもありますし、ヨーロッパ世界という概念が誕生した由来でもあります。

   こうしてローマにも、トーガの着方もおぼつかないガリア出身の元老院議員があらわれ、風呂の入り方さえ知らない始末(というシーンが、以前のブログでも紹介したヤマザキマリの傑作コミック『テルマエ・ロマエ』にも活写されています。是非、ご一読を。  

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 さて、カエサルの覇権前のBC70/6年のケンススでは90,000~910,000人まで増えていたローマ市民ですが、カエサル暗殺後の混乱から神君アウグストゥスが覇権を握るまでの間のBC28年には一気に4063,000人に増えます。さらにAD47年には590~690万人までに拡大します。

 そして、セウェルス朝最後の皇帝カラカラ(AD186~ 217年)は、212年アントニヌス勅令によってローマ属州の全自由民(=奴隷は対象外)にローマ市民権を与えます。

 もっとも、これは崇高な目的等ではなく、たんに「ローマ市民への税金を増やし、国庫収益をはかる」ことで、「軍団兵を増やして軍を強化する」という身も蓋もない政策とも言えます。そして、この思惑通りにまったく働かず、かえってローマの衰退を早めたともいわれています。

 その当否はともかく、この段階で、「古くから人口に限らず土地や財産等について調査が行われてきたが,これらは,人々の利益のためではなく,納税,徴兵,強制労働を達成するための情報収集として行われてきた」(総務省統計局のHP)という国勢調査の性格がはっきりでてきたのではないでしょうか? 

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 ではアジアではどうでしょうか? 実は、中国では世界でも最も古くからセンサスをおこなっているところとされ、史書としては、書経、周礼、礼記等に記録されているそうです(上記、総務省統計局HP)。

 まず、古代王朝周では、井田法という土地制度が整えられ、1里四方、900畝の田を「井」の形に整理、真ん中の1区画を公田として、残りの8区画を私田とします。8区画は8家族にわけられ、公田はこの8家族が共同で耕して、それを租税とする。といっても、ほとんど伝説・神話のようなものだそうです。

 儒教で理想とみなされたこの井田法の下に「人口調査は(略)紀元前2698年から紀元前246年まで続いた。井田法の廃止後,租,庸,調という税制の下に,課税基準を決めるための人口調査が1712年まで実施されている」と総務省統計局のHPに記されていますが、本当でしょうかね?

 Part1で紹介した『死せる魂』状態ではなかったかなとも思います。このあたり、どなたかご存じの先生がフォローしていただけないでしょうか?

総政をめぐるトピックPart1:“国勢調査”、“人口”、そして国家統計#1

2010 12/21 総合政策学部の皆さんへ

 今回はまたも統計です、それも国勢調査。それではまず、19世紀に生きた帝政ロシアの小説家・劇作家のゴーゴリの遺作小説『死せる魂』(1842年刊;書籍番号#79)から始めましょう。この小説の梗概は以下の通りです。

 1861年、ロシア帝国の皇帝アレクサンドル2世の時に農奴解放令を発布しますが、それまでロシアでは少数の地主が多数の農奴をかかえていました。その農奴には国家から人頭税がかかりますが、それは地主の負担です(人頭税については、「“植民地”が残したもの:国際援助の現場から#9-タンザニア編Part2(2010/08/27)」等も参照に)。

 それでは、国家は何時農奴の数を数えるのか? それは国勢調査です。

 すると、国勢調査から国勢調査までの間に農奴が死んでしまった場合、地主は次の国勢調査があるまで「次の国勢調査まで死亡した農奴の人頭税も支払わなければならなかった!」 (封建制の前近代的システムではよくあること)。それで・・・・・ 

 「彼らは何とかしてその税を逃れる方法を探していた。そこに注目したチチコフは死亡した農奴の名義を買い集めて書類を捏造し、中央政府から金を騙し取ろうと計画を練る。それを実現する為にチチコフは広大なロシア全土を旅して歩き、至る所で一癖二癖持っている人々と出会う(Wikipediaより引用)」

 こうして滑稽とも、悲惨とも、なんとも言えない筋書きが展開します。「総合政策」にぴったりですね。「総合政策の100冊」のNew versionを作るとすれば、是非、推薦しなければ。

 それにしても、人口、税金、土地問題、階級制度・・・・・ 皆さんもたまには(シミュレーションゲームとして)ロシア皇帝政治顧問の立場にたち、ロマノフ朝存続のためのロシア帝国改善案等考えてみては?

  コンピュータゲームで、政策ゲームのシリーズ化! 面白いかもしれませんね。あなたがオスマントルコ大宰相だったら、トルコ帝国は生き残れたか? たまたまルイ16世だったら、作り等の趣味に走らず、ギロチンをかわして、フランス経済を立て直せたか?  

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 しかして、国勢調査(こくせいちょうさ)とは、基本的に国家のため、国家が国民から税金を集め、徴兵制を施行して、政治的権力を保つための道具であったわけです。

 その結果として、人口も把握できる。その一方で、スキルとしての国勢調査を確立しなければ、『死せる魂』のような滑稽劇さえ生まれかねない。なかなかに面白いものです。

 ちなみに、ヨーロッパでは伝統的にキリスト教会が信者を束ねるために用いた教区簿冊が人口統計につかわれています(ヒューエコ入門で説明する人口革命/人口転換も、この教区簿冊の分析によるわけです)。

 一方、日本の歴史人口学では、資料として宗門人別改帳(=「江戸時代の日本で宗門改(宗門人別改)によって作成された民衆調査のための台帳。本来の目的は、信仰宗教を調べることであったが、現在で言う戸籍原簿や租税台帳の側面も持つ(Wikipedia)」が用いられています。

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 さて、明治初期、宗門人別改帳に頼るばかりではらちがあかず、日本の人口はどれくらいか? 流通している金貨・銀貨はいかほどか? 米はどれほど採れるのか? 江戸幕府体制を倒したばかりの新政府には頭の痛い事でした。これらをすべて国家統計の対象としなければなりません。

 その頃、人口について孤軍奮闘したのが勝海舟の最初の弟子、杉亨二(1828~1917年)と言われています。

 長崎生まれの彼は1853年、江戸で勝海舟の門人となりますが、勝の推挙ですぐに老中阿部正弘の侍講(顧問)に採用され、そこから蕃書調所教授手伝を経て、開成所教授となる。この過程で洋書の翻訳を通じ、統計の重要性に気付きます(このあたりこそが、『基礎演習ハンドブック』に亀田先生がお書きの第4章冒頭の部分[p.75]に該当します)。

 しかし、杉のキャリア・パスの展開、すさまじいですね。幕末です。やはり文化大革命だったのです。ちょっと前は小普請組でくすぶっていた勝が、老中への口利きをして、どこの馬の骨とも知れぬ者がそのまま幕臣になる。「おれは、時代が人を作るのをこの目で見たよ」という勝の述懐そのままです(なお、勝海舟については「総合政策のための名言集Part 1:勝海舟、永井荷風、そしてラ・ロシュフコー(2010/08/1 投稿)」をご参照ください)。 

 杉は御一新後の明治4年12月24日に「太政官正院政表課大主記(現在の総務省統計局長にあたる)を命じられ、ここで近代日本初の総合統計書となる「日本政表」の編成を行う」。そして1879年、国勢調査の試行として、現在の山梨県を対象に「甲斐国現在人別調」を実施し、同年の12月31日午後12時現在人数は397,416人という結果を得ます。

 なお、調査人は2,000人、調査費用は約5,760円(当時としてはかなり高額ですね=国家の運営は金がかかるものなのです)。「その後は政府で統計行政に携わる一方、統計専門家や統計学者の養成にも力を注いだ」とあります(以上、Wikipediaより)。

  この間の様々な事情について、総務省統計局のHPに「国勢調査に関する詳細な解説」があり、そこに第Ⅲ章「国勢調査の歴史」が掲載されています。pdfファイルのURLはhttp://www.stat.go.jp/data/kokusei/pdf/kaisetu3.pdfです。それによると、「甲斐国現在人別調」のコストは一人当たり1銭4厘4毛9糸、当時の欧米のとなっている費用の1/2~1/4に過ぎなかったが、戸籍局調べ(下記参照)による明治13年1月1日の全国人員で、全国調査のコストを計算すると52万5千余円が必要で、種々の理由によって、明治時代にはついに国勢調査は実施できなかったとあります。  

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 その一方で、行政機関としての明治新政府は、江戸期の宗門人別改帳から国家による人民支配のツールとして“戸籍”制度の確立をめざし、“戸”を単位に、“国民の創成(=ネーション・ビルディングですね)”とその把握をはかります。

 明治4年、戸籍法制定、明治6年(1873年)壬申戸籍を集計、全国民を33,110,825人(皇族29人、華族2666人、士族1282167人、卒659074人、地士3316人、僧211846人、旧神官102477人、尼9621人、平民30837271人、樺太人員2358人)と算定します。

 この戸籍による人口把握と国勢調査による人口把握はそれぞれ性質が異なる点、とくに前者は人々の移動や出生・死亡を追い切れないために脱漏が生じることは、上記の『死せる魂』を想起すれば、皆さん、理解できますよね。

 ちなみに、この戸籍制度は、中国・日本を中心に東アジア特有の制度で、世界の他の地域にはありません。ごぞんじでしたか? Wikipediaから該当部分を以下に引用しましょう。

 「戸籍制度は(中略)中華文明圏で成立した家族集団の認定を基礎とする、他地域には存在しない特有のものである。近代以降、国民・住民の把握は国家により、個人単位あるいは家族集団単位で行われ、欧米でもアングロサクソン系国家では個人単位、大陸系国家では家族登録制度を採用する傾向がある。中略)特にアメリカ合衆国イギリスオーストラリアでは国家による家族登録を行わない伝統を持ち、戸籍のような家族単位の国民登録制度は存在しない。社会保障番号(Social Security Number)制度はあるが、これは年金の加入・支給を管理するため、つまり日本における基礎年金番号に相当するもので、戸籍のようなものは存在せず、結婚などの登録も役所の住民登録で済まされる。多くの州では居住地でなくとも婚姻届を受理する」 

 ということで、今回はこのあたりでto be continued・・・・・としましょう。 

リサフェへの近道番外編;ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(後半)

2010 10/24 総合政策学部の学生・院生の皆さんへ

 前編・中編に引き続き、ノーマルアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4」の後編です。リサフェもあと2週間とせまっているので、「リサフェへの近道」にも〆をつけないと。

 ということで、今回のメイン・テーマは、純粋の「統計学的事象」のはずのノーマル・アブノーマル、あるいは「自然」というごく当たり前の言葉に、いつしか、「価値観」が紛れ込む、そんなところかもしれません。

 ところで、今日(10月24日)はKSC(神戸三田キャンパス)の新月祭第2日目、昨日はなんとか天気が持ちましたが、今日はちょっと危なそうです。Yahooの「三田市の天気」では、15時頃から弱雨と出ています。どうなることか(後註:その後、2時前後から小雨、終了まじかの5時頃にはかなり本格的になって、模擬店の片づけは大変そうでした。皆さん、ご苦労様でした。それにしても、Yahooの天気予報も恐るべし)。\

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 さて、前編の「リサフェへの近道番外編:ノーマルとアブノーマル、あるいはナチュラルとアンナチュラル+統計学の奨めPart4(前半)(2010/09/27投稿)」では、2010年現在の日本のでは、フツーが関東圏では“まあまあ良い事”というやや肯定的な意味、関西では“とりえが無くて、避けたい”=否定的なニュアンスである、とWikipediaに記載されていたと書いたのですが、あらためてWikipeidaの「普通」の項目を開けたら、なんと、記述が変わっているようです?!

 本日読んだ記述は以下の通り:

近年の若者言葉において「普通」は、「普通に良い」のように、一定基準を満たしている、または特に問題が無いことを表す肯定的な言葉としても使われる[1]。例えば、言葉のジェネレーションギャップを歌い上げる『これってホメことば?』という歌にも「フツーにおいしい」という表現が取り上げられている。また、「平然と-を行う」、「当たり前のように-を行う」という意味として、「普通に-を行う」というように「普通」を使用する者も増えている」 。

引用文献の[1]は、 加藤主税(2008)「携帯の普及に見る若者文化到来――現代若者言葉と老若共同参画の可能性」『國文學』2008年4月号、71頁だそうです。

 なお、この加藤先生とは、名古屋の椙山女学園大学人間関係学部(知り合いが2人勤めています)の先生で、「「死語」の概念を確立するなど、若者言葉評論家として活躍。手相研究家としては、占い関連で日本初の大学の正式科目として、名古屋文化短期大学にて「運命学」を1998年に開講」とのことです。面白そうな方なのでしょうか? この次、知り合いにあった時は、聞いてみましょう。

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 さて、統計学的に正規分布がなりたてば、平均値周辺の人々はもっとも多くを占め、いわゆるマジョリティとなります。そのマジョリティは「ごくよくある状態」という価値観とは無縁の状態のはずです。

 それが、いつのまにか「よくある状態 → 当たり前の状態 → 常に保つべき状態(いつもの状態でないと、不安になる) → 守らなければならない状態 → その状態からはずれる人たち(=マイノリティ)は矯正されるか、排除されるか(=フランスのポスト構造主義哲学者ミッシェル・フーコーのこだわった精神病院監獄)、抹殺されるべき存在(=魔女裁判とナチス等がひきおこしたホロコースト)」という道筋をたどる。

 これは人類の歴史でいわば定番的筋書であることは世界史を勉強された方は、よくご存じですよね?

 フーコーは生前カミングアウトしませんでしたが、どうやら同性愛者で、かつ精神的不安から自殺未遂をおこし、つまりは二重のマイノリティだったわけで、その息苦しさを研究に反映させたようです。

 最初、その事情をあまり知らずに遺作『性の歴史』を読んだ時には、「なんで、こんなに同性愛にこだわっているんだ?!」と疑問に思ったものです。その後、彼が同性愛からエイズに感染して、ごく初期の犠牲者になったということを知って、納得したことがあります)。

 こうして、ナチュラル/自然=ごくふつーに身の周りに存在するもの、アンナチュラル=ふつーには存在せず、その存在自体がなにがしか、否定的ニュアンスを持っている、という風にうけとられると、“アンナチュラル”という言葉に重い意味が課せられることがある、というわけです。

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 そこで、ご紹介するのは、アメリカの反体制的劇作家リリアン・ヘルマンの舞台劇『子供の時間』、そしてこれを映画化した邦題名『噂の二人』こと『The Children’s Hourです。

 なお、ヘルマンの作品は時々、ひりひりするぐらい悪意の潜在性を感じさせることがありますが、彼女はハードボイルドの傑作『血の収穫』の作者ダシール・ハメットの長年のパートナーでした。『血の収穫』は、「高畑ゼミの100冊Part3;ハードボイルドについて、コンティネンタル・オプ、マーロウ、アーチャー(2009/12/11 06:26投稿)」で紹介済みですよね。

 この劇は1936年いったん映画化されますが、映画コードに「同性愛」がひっかかり、修正をよぎなくされます。そのため、巨匠ウィリアム・ワイラー監督はアメリカ社会がある種の寛容さを持ちだす1960年(キング牧師の「I have a dream」がその2年後、1963年)に満を持して、再映画化を試みます。

 このワイラーはフランスにユダヤ系として生まれ(=やっぱり、マイノリティ)、遠い遠戚関係を頼って、アメリカの映画業界に18歳で身を投じ、生涯で3度アカデミー監督賞を受賞します。受賞作は『ミニヴァー夫人(私は未見)』、『我等が生涯最良の年(これも未見、第2次大戦の復員物です)』、そして『ベン・ハー(よきにつけ、あしきにつけ、アメリカのキリスト教社会の理念を高らかにうたった作品です=ユダヤ系なのに、というより、ユダヤ系だからこそできたのかもしれません)』です。

 主演はオードリー・ヘプバーンシャーリー・マクレーン、この2大女優が演じたストーリーは「17歳のときから親友同士のカレンとマーサは、今では共同で女学校を経営していた。カレンにはジョーという恋人がおり、二人はついに婚約した。しかし経営が軌道に乗りはじめた時期でもあり、マーサは嫉妬し、カレンと口論になる。 さらに、一人の生徒によって二人が同性愛関係にあるとの噂を流されたことから、平穏だった暮らしは次第に崩壊していく」というものです。

 この映画の最初のクライマックス、虚言癖のある女の子が主人公二人を中傷するシーンで、あの二人は“アンナチュラル”なのよと叫ぶシーンは一種の衝撃です。「“自然”でないという理由だけで、人が迫害されていく」怖さ。

 その言葉によって三人の人生は破たん、マーサは自死に追いやられ、そして、カレンは(二人を守ることをためらった)ジョーを捨てて、その地を去っていく。勁(つよい)い女になっていくのですね。

 Wikipediaによれば「シャーリー・マクレーンは、ドキュメンタリー映画 『セルロイド・クローゼット』 の中で当時を振り返って、「本当なら、マーサは自分のために戦わなければならなかったのに…」と語り、自分自身も撮影当時は同性愛というものについて何も考えていなかったと語った」と語っているそうです。

 つまり、アメリカ・キリスト教社会では、同性愛は完全なマイノリティであり、かつ社会から排除されるべき理由として、それは「反自然=アンナチュラル」である、という論理につながっていく。そこへの反省が、今のアメリカにはたしてあるのか? 皆さんはどう思われますか?

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...