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若い頃に読んだ本の印象が変わる時:高畑ゼミの100冊Part 29

2020 9/16 総合政策学部の皆さんへ

 今週は、「若い頃に読んだ本を年取ってから読み返すと印象が変わってしまった」という話にします。本と言うものはたいてい1度読んだら、そのまま二度と読まないもの。とくにそれが泰西文豪畢生の名作などと銘打たれたものならば、一度読んだだけで満足してしまうことでしょう。

 そして、長い年月が経ったのちのある日、よせばいいのに若かった頃紐解いた“名作”にまたつい手をのばしてしまう! そこで失望するか(=昔は、なんでこんなつまらない本に感動したのだ!)、そしてさらに失望を重ねるか(=どうして、昔はこの面白さが気づかなかったのか! なんて馬鹿だったんだろう! などと)様々な思いにふけるのです。

 まったく個人的な経験では、中学の時に読んだドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』をあげましょう。ともかく長い(たしか、私が読んだ世界文学全集では2巻か3巻あったはず)。その上、ロシア人の名前を覚えるのも大変です。フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフが父親で、その3男がアレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフでかつその愛称がアリョーシャあるいはリューシェチカであるとまず覚えておかないと、とても筋も追えません。

 その『カラマーゾフの兄弟』を50歳を過ぎてから再び手に取った理由はひとえに、亀山郁夫氏による新訳が出たからにほかなりません。そこで思い切って再読してみたら、「一風変わった、ただしあちこちで頻繁に出くわすタイプ、ろくでもない女たらしであるばかりか分別がないタイプ」「この郡きっての分別のない非常識人の一人として一生を押し通した」た父フョードルが、中学生での初読では「妖艶な美貌を持つ奔放な女性グルーシェンカを巡って長男と争っているヒヒ爺」という印象しかなかったのに、年齢は55歳で再読時の私とほぼ同じ、会話の端々にディドロ等の名前を口走りながら、周囲の人間や教会関係者をからかうトリック・スターぶりには刮目せざるをえません。

 中学の頃には単純な暴力的で頑迷、野卑な老人とばかり思いこんでいましたが、フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフはどうやらなかなか奥深そうな方であり、かつ、まぎれもなくロシア男性のアーキタイプの一つだ、という点を理解するのに、実に40年の歳月がかかってしまったようです。

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 もっと最近の経験では、高畑ゼミの100冊Part2;『退屈な話』と『緋色の研究』で触れたドストエフスキーの後輩(生年では39年、ほぼ2世代分の差があります)アントン・チェーホフの『かもめ』があげられます。これはある原稿を頼まれて、そこにチェーホフの科白を引用すべく、あれこれ記憶をたどるうち、『かもめ』と『桜の園』に深入りしてしまったためなのですが。

 さて、このチェーホフのいわゆる4大悲劇の筆頭を飾る傑作『かもめ』は、モスクワで活躍する大女優アルカジーナの息子に生まれながら、母と離れて母の兄の田舎の屋敷で育ち、自らの手で文学的栄光を手中にしようとあがく作家志望の若者コンスタンチン・ガヴリーロヴィチ・トレープレフことコスチャと、コスチャと恋仲にありながら、家や田舎を捨てても劇を演じることにあこがれるニーナ・ミハイロヴナ・ザレーチナヤことニーナの二人の関係のもつれであり、二人がそれぞれに挫折に直面しながら、コスチャは結局自死を選び、ニーナはドサ回りであっても女優の道をきわめようとする道を進む、という結末をとるのですが、当然、中学生としてはこの二人の若者の悲劇という印象が烙印のように押されたものでした。

 「かもめ」のストーリーをすべて紹介するわけにはいきませんから、あらすじをかいつまんで言うと、ニーナはやがてアルカジーナの愛人、流行作家トリゴーリンに魅かれていきます。トリゴーニンは自らを「おれはついぞ、自分の意志というものがない」と自嘲し、「わたしは作家としての自分が好きじゃない(=まぎれもなく、チェーホフ自身の独白でしょう)」とつぶやきます。ニーナは、彼らの活動の舞台であるモスクワへのあこがれもあわせ、この男に魅かれていきます。一方、コスチャはトリゴーリンに対して、母親(アルカジーナ)、恋人(ニーナ)、そして文学上の才能に関するコンプレックスに苦しみます。

 その結果は、当然、幾重もの愛情関係は綻・軋轢を生み、アルカジーナはトリゴーリンを連れてモスクワに旅立ちます(ニーナに心を残す彼に「あなたは馬鹿な真似をしたいんでしょうけれど、私は嫌です。放しません。(笑う)あなたは、わたしのものなの。私のものよ。この額もわたしのもの」と口説き落とします)。しかし、ニーナはトリゴーリンを追って出奔、かれと同棲して子供を産みますが、その子は死に、トリゴーリンはやがてアルカジーナのもとに戻ります。

 その2年後、元のさやにもどったアルカジーナとトリゴーリンがふたたび田舎を訪れると、そこには精進の結果、新進作家として世に出たばかりのコスチャが過去からの呪縛を完全には振りほどけないまま、二人を迎える。みんなが夜食をとりに退場した後、一人執筆をつづけるコスチャの前に突然、巡業の旅で時間を見つけたニーナが現れて、二人は久方ぶりでつかの間の会話をかわしますが、二人の道はすでに異なる道をたどっていることがあきらかになり、一人残されたコスチャは「信念がもてず、何が自分の使命かということを、知らずにいる」として自らの死を選ぶ。

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 少し前に、チェーホフの科白を引用したくてこの劇にしばらくぶりに目を通すと、しかし、あらわめて読んだ私に印象的だったのは若い二人の葛藤と迷いよりもむしろ、コスチャの母親、二十歳過ぎの息子がいながらも大女優ぶりを発揮しているイリーナ・ニコラーエヴナ・アルカージナでした。

 作家を目指す息子にとってはライバルとも言える流行作家ボリス・アレクセーエヴィチ・トリゴーリンと生活をともにし、息子を愛しながらもその創作劇(劇冒頭に演じられる劇中劇の主人公役はニーナです)を観ると、「ただね、若い者があんな退屈な暇つぶしをしているのが、歯がゆいだけですよ」(神崎清訳)とけなしてしまいます。とはいえ「あの子に恥をかかすつもりはなかったの」と言いながらも、しだいに「そろそろ気が咎めてきた。かわいそうに、なんだってわたし、うちの坊やに恥をかかしたのかしら?」と心配になる。自らの感性と欲望に素直なこの女性は、自分の主観ですべてを断罪し、かつ、その結果におろおろします。コスチャにとっては究極の“ダブル・バインド”でもあるし、いま流行りの“毒親”とも言えますが、さらにはアルカジーナは“美魔女”とも言えなくもありません。

 劇中、アルカジーナがみんなと話しながら「こうして並んでね、あんたは22、私はかれこそその倍よ。ね、ドールンさん、どっちが若く見えて」「あなたです、もちろん」「そうらね。で、なぜでしょう? それはね、わたしが働くからよ、物事にかんじるからよ、しょっちゅう気をつかているからよ。ところがあんたときたら、いつも一つ所にじっとして、てんで生きちゃいない。それにわたしには、主義があるの、未来をのぞき見しない、というね。私は、年のことも、死のことも、ついぞ考えたことがないわ。どうせ、なるようにしかならないのだもの」と言い放ちます。

  また、アルカジーナはプロの芸術家として、息子がトリゴーリンに(文学の上でも、そしてニーナをめぐる心の葛藤からも、そしておそらくは母との関係をめぐっても)嫉妬について、「才能のないくせに野心ばかりある人にゃ、ほんものの天才をこき下ろすほかに道はないからね。結構なお慰みですよ」とついつい真実を指摘してしまう。

 一方で、兄のソーリンから「一番の上策は、もしもお前が、あの子にすこしばかりの金を持たしてやったらどうかと思うよ。一つ外国へでも出してみるかな」と水をむけられますが、「服ぐらいはつくってやれるでしょうけど、外国まではね。いいえ、今のところは服だってだめだわ。(きっぱりと)私お金がありません!」「お金のないことはないけれど、なにせ女優ですものね。衣装代だけでも身代かぎりしちまうわ」と応じるのです。彼女の生活にとってまず重要なことは女優であること、それを中心に生活も、お金も、愛人もすべてが自分を中心に回っている。もちろん、息子を愛していることは確かなのですが、コスチャも自分の周囲を回るもろもろの一つに過ぎません。

 そのあげく、母子の言い争いでコスチャが母親を「けちんぼ」とののしれば、アルカジーナは「宿なし」と返す。同時に、彼の才能にどこか欠けている部分を本能的に感じてしまう、そしてそれを口にしてはいられない。コスチャにとってはこの「どこかに行きたいけれど、どこにも出口がない」状況を中学生で理解するのはやはり無理だったかもしれません。

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 とすれば、この『カモメ』をロシアの現状(=ツルゲーネフが嘆き、しかし、150年後の現在でも、あの剛腕のプーチンでさえ意のままに操れぬロシア)に対する希望を、コスチャに「わたしはもう本物の女優なの」と告げ、「わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか栄光とか、わたしが空想していたものではなくて、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの」と物語るニーナに託された希望をめぐる物語とも読めるわけですが、それは同時に自らの欲望と感性に忠実で、すべてを思うがままに操りながら、現実(愛する息子の自死)に直面せざるをえない大女優アルカジーナの悲劇の物語とも言えるのかもしれません。

 とくに、劇の終盤、あいかわらず大女優のまま、ニーナにいったんはなびいたトリゴーリンも取り戻し、相変わらずすべてが自らの周りをまわっているようでいながら、(コスチャが命を落とすピストルの音で)息子の自殺未遂を思い出し、ひとしきり嘆く姿には、あたかもフランス・ヴァロア朝末期を全力でささえながら結局はヴァロア朝消滅に至るマダム・セルパンことカトリーヌ・ド・メディシスの姿を思い起こすかもしれません。

 ちなみに、戯曲『かもめ』をめぐるエピソードとして語られる1896年にロシア演劇史上例をみない大失敗と伝えられるサンクトペテルブルク・アレクサンドリンスキイ劇場での初演のあと、2年後のモスクワ芸術座による再演での大成功ですが、コスチャをメイエルホリド、トリゴーリンをスタニスラフスキーというロシア演劇史上の大立者が扮しましたが、アルカージナは女優オリガ・クニッペルが演じ、チェーホフは数年後そのオリガと結婚します。

ビゴーの絵をもとに、日本の近代化を学ぼう!

2020 5/18 総合政策学部の皆さんへ

 その昔、ジョルジュ・フェルディナン・ビゴー(Georges Ferdinand Bigot, 1860~1927)という画家がいました。生まれはフランス、1882~1889年に日本に滞在、“優れた”風刺漫画を描き残します。

 この“優れた”とは、人類学的目線=「他者からの視点で、己の真実を知る」作品を意味していると思って下さい。ノーベル賞作家スタインベックの親友にして、傑作『キャナリー・ロウ』の主人公ドックのモデルにして海洋生態学者のE・リケッツが裁判沙汰に巻き込まれ、裁判所での審判の帰りにスタインベックに言った「みんな真実を憎んでいるんだ!」というセリフにあるように、本当はみんな気づきたくない己の真実の姿(それはギリシャ悲劇の登場人物メドゥーサの顔=「宝石のように輝く目を持ち、見たものを石に変える能力を持つ」(Wikipedia)のようなものですが)、それを示してくれる傑作というべきでしょう。

 もちろん、ビゴーによって「西洋人の目線から見た日本人の姿」を突き付けられた日本人にとって、それはあまり楽しいものではないかもしれません(もちろん、我々自身も、真実が嫌いなのです。真実を突き付けられた者は、私でもあなたでも、それがまるでメデューサの首であるかのように、視線を避けてしまう。あるいは、トランプ君のように怒り出す!!)。

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 それではWebでビゴーの絵を鑑賞できる手軽なサイトを探してみましょう。

 なかなかきちんとした紹介が見つからなかったのですが、川崎市民ミュージアムの「漫画コレクション」(http://kawasaki.iri-project.org/)に「『TOBAE』トバエ(第二次)ジョルジュ・ビゴー」というページがあり、ここにビゴーの主著の一つ『TOBAE』のNo.1、No.3~18、そしてNo.21が載っています。

 なお、解説文ではTOBAEとは「1887(明治20)年2月15日、ジョルジュ・ビゴー(Georges Bigot)が、横浜居留地で創刊した月2回刊行の時局諷刺漫画雑誌。チャールズ・ワーグマンの『ジャパン・パンチ』のあとをうけて、居留外国人に人気を博した。全号の表紙にピエロ姿のビゴー像が描かれている。月2回刊行で、3年弱の間、69号まで刊行された」と紹介されています。

 ところで、居留フランス人向けに出版されたTOBAEですが、「中江兆民とその門弟も協力して日本語のキャプションを付けていた」ので(Wikipedia)、日本人に対するメッセージ性もある程度意識していたのでしょう。

例えば、TOBAE(第二次)No.1は「制作年(西暦):1887年2月15日:創刊号。 収録作品「漁夫の利」 朝鮮を釣り上げようとしている日本と清国、スキあれば横取りしようとするロシアという構図で、日清戦争直前の極東情勢を諷刺している。ビゴー作品の中で最も有名な作品で、中学校・高校の歴史教科書や参考書などで紹介されている」とあります。皆さんもどこかで眼にしたはずのビゴーのカリカチュア、URLはhttp://kawasaki.iri-project.org/content/?doi=0447544/01800000HKです。あとは、ご自分でじっくりとこのカリカチュア(戯画)の神髄を味わってください。

 TOBAE創刊から10年後の1897年を描いた『『LE JAPON EN 1897』(1897年の日本)』も公開されており、「『神戸ヘラルド』『ジャパン・デイリー・メール』などの記事から、この1年間の珍しい話を漫画風にまとめた本。「日光物語」は英文、ほかの記事は仏文で書かれている」とのこと(http://kawasaki.iri-project.org/content/?doi=0447544/01800000HF)。

 さらにもう一つ、『LES AVENTURES DU CAPITAINE goudzougoudzou』(グズグズ大尉の色事)は同じ1897年ですが、説明文によると「好色なフランス人・グズグズ大尉が退役して日本へやってくる。しかし、その好色ぶりで失敗を繰り返し、失意のうちに帰国する、という物語が描かれている」。なにやら異国に滞在している自分自身を皮肉っているようにも見えないわけではありません。

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 川崎市民ミュージアムのアーカイブには、同じビゴーの『Croquis Japonais』(1886年)も掲載されています。こちらに掲載の絵は風俗画という範疇で、歴史学的には興味深い資料ですが、その昔、服部之総等が再発見して、日本の教科書類を席巻した風刺画の類はほとんどないようです。

 このあたり、画家ビゴーとしては日本をテーマとして風俗画と、時局的な戯画とどちらに個人的な重きを置いていたのか、そのあたりが気になるところです。

 なお、ビゴーの日本滞在は1882年1月(21歳)から始まり、1899年6月(39歳)に日本で結婚した佐野マスと離婚し、フランス国籍の長男を連れてフランスに帰国しています。彼の日本滞在後半とほぼ重なる時期に、フランスを離れて異郷の地で死んだ芸術家にポール・ゴーギャンがいます。彼のタヒチ滞在は1890年に始まり、いったんフランスに帰国するものの、再度タヒチに渡り、1903年、マルキーズ諸島で客死します。

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 ビゴーの作品、とくにそのカリカチュア的に表現された日本人像は日本人には嫌われ、あるいは無視されたため、その再評価は第2次世界大戦での敗戦を経て、マルクス主義歴史学者の服部之総主催の近代史研究会が日本の近現代史を取り上げる時まで待たねばなりません。そして、この研究会以降、ビゴーの絵は外国人から見た近代日本像として、戦前での一貫した無視をちゃぶ台返しをし、日本の教科書をいまも席巻しているのです。

 こうした本人ならびにその作品の数奇な運命を意識しつつ、その作品を日本の近代化の理解にあらためて役立てることこそ、総合政策にそうテーマかもしれません。

基礎演習ハンドブック初版コラム再録Part3:音楽は「音が苦」ではなく「音を楽しむ」

2019 8/20 総合政策学部の皆さんへ

 『基礎演習ハンドブック』初版本から、改訂版ではなくなったコラム「音楽は「音が苦」ではなく「音を楽しむ」を再録したいと思います。執筆された先生は、すでにご退職されましたが、在校生の皆さんにぜひ音楽の世界からいろいろな想いや知識を得て頂きたいと、熱を込めてお書きです。ぜひ、ご一読ください。
       

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 このコラムは、ある先生から新入生の方々への、楽しい音楽紹介です・・・

 音楽は「知識人の教養」だという強迫観念で、ベートーベンやシューベルトでは“押し”が利かず、リヒャルト・シュトラウスやシェーンベルグ、少しひねってサティ武満徹をといった風潮があります。これでは「音が苦」です。もっと気楽に音楽を話しましょう。

 若い頃は、もちろん恋愛に関した曲を聴くべきです。この世に“失恋”がなければ、歌曲の二、三割は生まれなかったはず。シューベルトの『美しき水車小屋の娘』では『いやな色』で主人公が恋をあきらめて旅立ち、『小川の子守歌』で小川が死んだ男に慰めに歌うところで終わります。『しぼんだ花』は、「もし彼女が私の誠実さに思いをはせることがあったら、すべての花よ咲き出でよ。冬が終わり春が来たのだから」と何度も繰り返し、若者の思いの深さを表現しています。

 もっとも、本当に失恋した時は、これらの曲や『冬の旅』を聴くのは危険かもしれません。心を落ち着かせるにはパッヘルベルの『カノン』が良いでしょう。夜、この曲を聴きながら寝ると気持ちが落ち着き、良い夢を見ます。
       

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 ドボルザークチェロ協奏曲もお薦めです。第1楽章の第2主題は、これほど慰めに満ちたメロディはそうありません。

 また、マーラーの交響曲1番『巨人』は『さすらう若人の歌』という、これも失恋を歌ったメロディが随所に出て、若者の揺れる気持ちを熟練の技のオーケストレーションで表現しています。彼は大規模なオーケストラ曲を書きましたが、楽譜は繊細で、壊れやすいガラス細工のような人ではなかったかと感じさせられます。

 バッハは『クリスマス・オラトリオ』でその楽しさが味わえます。クリスマスにぜひバッハを。第1曲の楽しさは格別です。このオラトリオ全6部には有名な『受難のコラール』が繰り返され、美しくも沈鬱なはずのこの曲が第1曲に匹敵する楽しさを備えた最終曲で出てきます。

 一方、ヘンデルは『メサイア』で決まりです。最近、バロック時代の編成で当時の楽器を使うのがはやりですが、対極にサー・トーマス・ビーチャム版があります。有名な『ハレルヤ・コーラス』の始まりで、あろう事かシンバルとトライアングルが鳴るとんでもない代物ですが、先入観を捨てれば、なかなか楽しい演奏だと思います。
       

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 クラシックには楽しい小曲がいくつもあります。バッハのカンタータを編曲した『主よ人の望みの喜びよ』というピアノ曲は、題名を知らなくても、聴けば「ああ、あれか」という人も多いでしょう。ヘンデルの『見よ勇者は帰る』は優勝のテーマとして知られていますが、ぜひ本来の『ユダス・マカボイス』で聴いて欲しい曲です。『調子の良い鍛冶屋』で知られているクラビーア曲はピアノで良く演奏され、こんなに楽しい曲もそうありません。

 逆に、美しくて悲しい曲ではシューベルトの『楽興の時』第3があります。ただ、楽譜から読みとれる美しさと悲しさを納得させてくれる演奏に、私はまだ出会っていません。

基礎演習ハンドブック初版コラム再録Part 2:週末には映画を見よう

2019 7/23 総合政策学部の皆さんへ

 『基礎演習ハンドブック』初版本から(改訂版では削除された)コラム「週末には映画を見よう」を再録しましょう。執筆された先生は、すでにご退職されましたが、在校生の皆さんにぜひ映画からいろんなことを学んで欲しいと、熱を込めてお書きです。ぜひ、ご一読ください。
       

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 映画もまた、私たちに様々な智恵や、情報を与えてくれます。最近では、小説や音楽のように、映画も長い歴史を経た“古典”として、教養という性格を帯びてきました。チャップリンや『カサブランカ』、『ローマの休日』、『七人の侍』等の“名作”は映画評論家にまかせ、個人的な好みで「ぜひ皆さんに見てもらいたい」作品を有名、無名取り混ぜて紹介しましょう。レンタルビデオ屋にあるかどうか保証しませんが。

 まず、頭に浮かぶのが『アマデウス』。モーツアルトへの冒涜との意見もありますが、あのような奇矯な人物だったのは周知の事実。モーツアルトと対立したイタリア出身の音楽家サリエリに殺されたという当時の噂(ただし映画と違って毒殺)にもとづくこの作品、音楽好きにはたまりません。オペラ『魔笛』のシーンは、パパゲーノの服装等、初演時を彷彿とさせ、全曲上演したビデオがあったら絶対欲しい。
       

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 ミュージカル映画では『屋根の上のバイオリン弾き』をあげます。ロシアでのユダヤ人迫害の歴史を背景に、主人公テビエの3人の娘がそれぞれ恋人と出会い、結婚するまでを描いています。

 しきたりを無視しても子供の気持ちを大切にしようとする主人公や、恋によって自分の将来の夢が変えられていく娘たちに感情移入しながら、アイザック・スターンのバイオリンに耳を傾けて下さい。なお、親が自分の結婚に口出しそうな場合、その反対を封じ込める究極の名せりふがあります。
       

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 『十二人の怒れる男』が有名な“裁判物”の中から、少し変わった作品を取り上げます。ジョン・フォード監督バッファロー大隊』。被告の無実が証明される過程は似ていますが、最後に意外な事実がわかり、後味がさわやかです。もっとも、人種差別等の暗い場面もはさまり、単純に楽しめる作品ではありません。主題歌も勇壮なマーチですが、なぜか涙が止まらなくなるはずです。

 “SF”ではレイ・ブラッドベリー原作『華氏451度』。読書が許されなくなった未来社会で本を守ろうとする人たちの反逆の物語です。最近、「本を読まなくなった」、「出版業界は終わりだ」などの嘆きが聞かれますが、この映画を見ると力づけられます。本などくだらないと思っている人も見て下さい。考えが変わるかもしれません。なお、この映画を見て本の大事さを感じたら、原作もお読み下さい。
       

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 最後に“アニメ”はビートルズの『イエロー・サブマリン』。この作品のぶっ飛び加減は、その後のアニメに大きな影響を与えているはず。音楽をこよなく憎むブルー・ミーニーズの首領と部下マックスの掛け合いのおもしろさ、ビートルズ・ナンバーにヘンリー・パーセルのトランペット・ボランタリーが何の違和感もなく混じっている所、何度見てもあきません。ところで、劇中歌で「64才になっても僕を愛してくれるかい」と歌った時、自分が実際にそうなることがあると思っていたのでしょうか。ジョン・レノンはともかく、他のメンバーは確か....

基礎演習ハンドブック初版コラム再録Part1:落語を楽しもう 

2019 7/7 総合政策学部の皆さんへ

 本日は七夕ですが、『基礎演習ハンドブック』初版本に掲載され、現在の改訂版では削除されたコラムから、「落語を楽しもう」を再録しましょう。ご執筆された先生は、すでにご退職されましたが、在校生の皆さんにはぜひ落語を楽しむ余裕をもっていただきたい、と愛情を込めての力作です。ぜひ、ご一読ください。

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 このコラムでは「人生の知恵」として“落語”をとりあげましょう。娯楽とは言え、落語は庶民の生活の知恵を教える教育の場でした。例えば、下手なカラオケならぬ義太夫で、店の使用人や店子を辟易させる旦那さんを描いた『寝床』は、独りよがりに陥りやすい我々を笑わせながら、反省を求めます。

 「あの人にあれさえなければいい人なんだがね」と思うことは多々あるでしょう。とくに偉くなると、誰も注意してくれません。横暴を極めている人も、他人は自分を怖がって本当の事を言わないことに、案外気づかないのです。

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 『寝床』は「下手の横好きで自分は巧いと勘違いしている人」を意味する言葉として通用していますが、他にも有名な落語に事欠きません。『百年目』は人を使う立場にある者が部下にどう振る舞うべきか教えてくれます。堅いように見せかけて裏で遊興にふける番頭さんと、その場を偶然見てしまったご主人との対話は「人を使うものはかくあらねばならない」と感心させられます。

 一方、人情話の『芝浜』は能力はあるが気を抜くと酒におぼれる夫と、しっかり者の妻に起きる小事件です。大晦日、その年を振り返りながら聴くことをお薦めします。ところで、『芝浜』は“三題噺”として「酔っぱらい」、「芝浜」、「財布」という題をもらった三遊亭円朝が即興で作った噺と言われています。しかし、話の運びにいささかも矛盾や破綻が無く、考え尽くされたストーリー展開に感心させられます。

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 『たちぎれ』は考え尽くされたストーリー展開で、商家の純情な若旦那と芸妓小糸の恋物語を語ります。せつない恋の悲しい終末に浮かんだ涙が気恥ずかしくなった時、最後の落ちで少し笑わせてくれます。小松左京は短編小説『天神山縁糸苧環(てんじんやまえにしのおだまき)』でこの落語のすばらしさを語っていますが、この小説を読了後、下手な『たちぎれ』を聴いたら、落語家に殺意を感じるかもしれません。その点、要注意。

 そうした設定を最後にひっくり返すのが『千両ミカン』です。「夏の暑い盛りにミカンを探す」、今ならともかく、昔は不可能に近い事でした。「エッ」と驚く落ちで話は急に終わってしまいますが、「ミカンを食べたい」という思いで死にかけている若旦那以外、話の展開に無理がありません。特に、ミカン問屋の人の言葉には、浪速商人の商人哲学というか、心意気というか、風格さえ感じさせます。

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 人によって意見は様々でしょうが、落語の代表と言えば『野ざらし』、関西での『骨つり』は十分その候補たりうるでしょう。ナンセンスですが味がある話です。都築道夫が『なめくじ長屋捕り物さわぎ』シリーズで、そのまま「野ざらし」と題して、原作にある矛盾まで見事に生かした推理小説に仕立てました。また、石の森章太郎が漫画『佐武と市捕物帖』の中で、同じ趣向で描いています。そんな創作意欲をかき立てる落語です

“ボヘミアン・ラプソディ”:ベンベヌート・チェリーニあるいはカラバッジョ、そしてスタインベック

2018 12/4 総合政策学部の皆さんへ

 数週間前に、いまや巷にその名も高いロック・スター、クイーンのボーカルフレッド・マーキュリーの壮絶な人生を描く『ボヘミアン・ラブソディ』を観てきました。ネットでは毀誉褒貶がとびかっていますが、上映4週間で興業収入33億円越え、ヒットしているようです。もちろん、映画という表現スタイルとしての評価では、同じミュージシャンの人生を描くとしても、例えば『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』、『ドリームガールズ』(歌手を描くというよりも、モータウンレコードを一代で立ち上げたベリー・ゴーディの物語というべきでしょうが)などには一歩も、二歩も及ばぬところでしょう。

 とは言え、この映画は一にも二にもファルーク・バルサラことロック・バンドクイーンのリード・ボーカルだった故フレディ・マーキュリーの霊がのりうつったかのような ラミ・マレックの熱演と、「従来のヒット曲に加えて11トラックの未公開音源(1985年7月のライヴエイドからの5トラックを含む)が収録された」という、クイーンの圧倒的なオリジナル演奏を駆使した、アルバム製作現場とライブ演奏の再現に入れ込んでしまえば、それで十分というものでしょう。

 それにしても、“ボヘミアン・ラプソディ”のフレディ作の歌詞、昔ラジオで聞いていた時には、こんな歌詞だとは思ってもみませんでした(今でもそうですが、私は英語の歌詞などどうでもよくて、ただ、音と旋律を楽しんでいただけでした)。

Mama,just killed a man,                  ママ! 一人殺っちまったよ
Put a gun against his head,                そいつの頭に銃を突きつけ
Pulled my trigger,now hes dead,              引き金を引いたのさ、そいつはたったいま死んだんだ
Mama,life had just begun,               ママ! 俺の人生は始まったばかり
But now Ive gone and thrown it all away-         でも、それも終わりさ、すべて駄目にしちまった
Mama ooo,                          ママ!
Didnt mean to make you cry-               あんたを泣かせるつもりはなかったのに
If Im not back again this time tomorrow-         明日、僕がこの時間に、戻ってこなくても
Carry on,carry on,as if nothing really matters-      何もなかったのように、そのまま生きておくれ

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 この歌詞が眼にはいったとたん、想い出したのはボヘミアン=芸術家として“殺人もやっちまった”二人のアーティスト、云うまでもなく一人はルネサンスの名彫金師/彫刻家ベンヴェヌート・チェリーニ、そしてもう一人はカラバッジョです。

 もっとも、『あしながおじさん』の主人公ジルーシャ・アボットことジュディに「チェリーニってとても愉快でございますわね? 彼はいつも朝飯前にぶらりと粗手に出ていって、ふらっと人殺しをしてくるのですもの」(新潮文庫版、松本恵子訳)とからかわれているチェリーニですから、“ボヘミアン・ラプソディ”の“俺”とは違い、人生に悩みがあったとしても、それにとらわれることなどあるわけもない。破天荒な人生を刻銘に描いた『自伝』にひもとけば、以下の通りです。

「・・・(喧嘩相手の)顔面を突き刺そうとしたとき、相手が驚き、とっさに顔をそむけたため、ちょうど耳たぶの下のところを短刀は突いた。そこへ二突き見舞っただけで、その二突き目で彼は息たえ、私の腕にぐったりもたれた。私の意図せざるところであった。よく言うが、思わず殴るときは手加減できるものではない。(中略)ユーリア街の往来を引き上げながら、どこへ行けば助るかを考えた」 (『自伝』から;古賀弘人訳、岩波文庫版)

 そう言えば、この『自伝』の“自序”には、以下の詩が書き付けてあります。

    • 苦しみに満ちたこの私の<生涯>を書き記す
    •  造化の神に感謝するために、
    •   私に魂を吹き込み、ついで守って下さったことを、
    •    ゆえに私は様ざまな高き仕事を果たし、なお生きてある。
    • あの私の非常の<運命>、にもかかわらずことなきを得た
    •  それは私の命の賜であり、格別の栄光と実力、
    •   恩寵と、勇気と、美と、このような体躯の賜物である、
    •    ゆえに私は多くの者を追い越し、私を追いこす者に追いつく
    • 心は激しく痛むばかりだ、空しくもうしなわれた
    •  あのかけがえのない時を思い知るいまは。
    •   われらのはかない想いを風が運び去る。
    •    悔いても甲斐なきことだ、それゆえ満足しよう
    • この見事なトスカーナの花園に<よく来た子(ベンヴェヌート)>として
    •  降りたった私がいま昇ってゆくのだから。

(同書から)

 こちらの詞もぜひ、フレッドに曲にしてもらいたいところですが、それはいまは詮ないこと。さて、「粋で優雅なカスティリオーネ」、「陽気で不敵なアレティーノ」、「博識で内気なアリオスト」とならび、典型的ルネサンス人「乱暴で勇敢なチェリーニ」についてモンタネリはこのように結びます。

かれはルネサンス・イタリアの冒険児の典型であった。天才と異常性格、信仰とシニズム、無暴な勇気と宮廷人の卑屈さが、かれの中に共存していた。良心も理想も持たぬかれは、この世紀の知的剛胆と道徳的汚穢を誰よりもよく体現していた。この世紀は、善であれ悪であれ、中途半端な人物、中途半端な手段を許容しなかったのであるる」(『ルネサンスの歴史(上)藤原道郎訳』より)。

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 そのチェリーニ生誕から71年後に生まれ、イタリア・ルネサンスからバロック期に入った頃に活躍したミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオもまた、中途半端では生きていけなかったかもしれません。しかし、すでにルネサンス期が過ぎ、“黒”でぬりつぶされるスペイン支配が強まったイタリアでは、おなじ「人を殺める」にせよ、チェリーニのようにはいかないのも無理ありません。

2週間を絵画制作に費やすと、その後1か月か2か月のあいだ召使を引きつれて剣を腰に下げながら町を練り歩いた。舞踏会場や居酒屋を渡り歩いて喧嘩や口論に明け暮れる日々を送っていたため、カラヴァッジョとうまく付き合うことのできる友人はほとんどいなかった」。そして、「1606年5月29日におそらく故意ではないとはいえ、ウンブリア州テルニ出身のラヌッチオ・トマゾーニという若者を殺害してしまう」(Wikipediaから)。

 殺人者としてローマを逃げ出したカラバッジョは、しかし、逃亡先のナポリ、マルタでも問題を引き起こし、かつ暗殺されかけ、ナポリからローマへと向かう旅の途中で死去したとされています。

 こちらの方が、チェリーニよりいっそ“ボヘミアン・ラプソディ”に近いかもしれません。

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 フレッド、チェリーニ、カラヴァッジョと続いて、最後の締めはアメリカの現代作家スタインベックの短編集『長い谷間(The Long Valley, 1938)』所載の『逃走』にしたいと思います。

 カリフォルニアから15マイルばかり南の海岸に面した農場に住む貧しい一家の長男ぺぺ、19になりながら、おとなしくて、やさしくて、怠け者のこの青年をおっかさんは「立派で勇敢な若者だと思っていたが、面と向かってそんなことを言ったことは一度もなかった」。

 ある日、オトナになるため、母からモンテレイで「薬と塩を買いに」一人で行ってくるように言いつかった彼は母親に「これからは何度でも、おれをひとりで出してくれていいだよ。おれはもう大人なんだから」と言うと、おっかあは「お前は脳みその足りねえひよっこだよ」と送り出します。

 その晩、戻ってきたぺぺは「顎からは、あの弱々しい線が消えてしまったようだった」。そして、人を殺してしまったので、これから逃げなければいけない、と母に告げます。

 母は「おまえは大人だ、なあ、ぺぺ、こんなことになるんじゃねえかと思っていただ」と息子に銃と残った10発ばかりの弾をわたし、逃亡へと送り出します。妹がそれに気づき、ぺぺはどこへ行くのか尋ねると、「ぺぺは旅に出るだ。ぺぺはもう大人だでな。大人としてしなきゃなんねえことがあるだ」。息子に別れを告げた母は、妹たちとともに哀歌が口に出ます「我らがうるわしきもの-いさましきもの、我らを守るもの、我らの息子は逝けり

 妹と弟は母の祈りを危機ながら、会話を交わします。
ぺぺはいつおとなになったの?」「ゆうべさ、ゆうべモンテレイだよ」
ぺぺは旅にでたんだ。もう帰ってこないよ
死んだのかい? 死んだと思うのかい?
死んじゃいないわ」「まだね

ということで、この結末を知りたい方は、是非『スタインベック短編集』(大久保康男訳、新潮文庫)を御覧下さい。

故郷を離れた美術品は、異郷の地で多くの人びとの眼にふれることがよいのか、それとも故郷に再び帰ることがよいのか?

2017 9/12 総合政策学部の皆さんへ

 「海外流出美術品と日本の近代化:売立目録所収美術作品のデータベースよりアートを考える(下編)」の最後に、表題のようなテーマを掲げた手前、少しまとめてみたいと思います。総合政策のなかでは、“芸術政策”の一環にあたるかもしれません。

 さて、美術品はしばしば、“流浪”します。その流浪の過程で不正が働いた場合、その美術品は元の持ち主に、あるいは故郷に帰るべきなのか?

 近年、もっとも注目されたケースが、言うまでもなく(皆さんご存じですよね?)グスタフ・クリムトが描いた“黄金のアデーレ”(正確には『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』)。2015年制作のイギリス・アメリカ合衆国の映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』の主役です。Wikipediaから抜粋。引用すると、

 1998年のロサンゼルスで、ルイーゼと言う老女の葬儀が行われていた。(略)葬儀の帰り、ルイーゼの妹マリア・アルトマンは、オーストリアから亡命して以来、家族ぐるみの付き合いがあるバーバラ・シェーンベルクに弁護士の相談をする。(略)
オーストリアのブロッホ=バウアー家は、ユダヤ人の実業家で非常に裕福だった。ルイーゼとマリア姉妹の叔父フェルディナントとその妻アデーレには子供が無く、二人は実の子のように可愛がられていた。ルイーゼの遺品である半世紀前の手紙から、オーストリアで始まった美術品の返還請求をできないかという相談だった。請求期限まで間が無く、ランディは一度は断るが、絵画の不可解な謎と1億ドルの価値を知ると、上司に掛け合い、渡欧を決める。祖国に戻ることを頑なに拒むマリアも翻意し、二人はウィーンへ向かう。(略)

 マリアが高齢であることから、ランディはオーストリア政府との和解を進めようとする。しかし不当な収奪を認めることを譲れないマリアは、ランディが進めようとしたウィーンでの和解調停に激しく抵抗し、ランディを解雇しようとする。結局、ウィーンにはランディのみが赴き、調停に取り組むはずが、調停の席にはマリアも現れる。ランディは、かつてオーストリアがナチスを支持し、不当な迫害を行った過去と向かい合うよう訴えかける。調停の合間に、フベルトゥスが二人に協力する理由を説明する。彼の父は熱烈なナチス党員であり、父の罪を贖うとともに、何故父がナチスに肩入れしたのか歴史に向かい合おうとしていたのだった。(略)

 最終的に、「黄金のアデーレ」を含む美術品がマリアに返還されることが発表され、歴史的な発表に拍手が巻き起こる。しかし、マリアは勝利しても心は晴れることなく、両親を残して亡命したことを悔い、涙を流す。しかし、両親との別れ際の会話を思い出すと、ローダーのギャラリーに絵画を預けることにし、未来へ歩みだす。

  エンディングで、絵画、ランディ、そしてマリアのその後が紹介されるとともに、ナチスの収奪した10万点にも及ぶ美術品の多数が返還されていないことも示される。

 この映画の結末に、おそらくすべての人びとが複雑な思いをいだくかもしれません。ナチスの暴虐とそれが様々にもたらした影響、それを解決することに半世紀もかかかる。そして、多くの美術品はまだ最終的な結末をむかえていない。さらに、ナチス/戦後のオーストリア政府による不当な収奪をただすため、本来の所有者に戻す。しかし、その行為は「黄金のアデーレ」を故郷ウィーンから引き離すことにもなりました(現在は、ニューヨークにあるエステ=ローダー関連の美術館ノイエ・ガレリエに展示されている)。

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 ところで、欧米で発達した“美術館”は見方次第では、実は少なからぬ“収奪品”からなっているとも言えます。と言っても実感がわかなければ、例えば、“エルギン・マーブル”、本来アテネのパルテノン神殿を飾るはずの大理石の破風彫刻がなにゆえ、大英博物館に所蔵されているのか? Wikipediaによれば、

 1800年、イギリスの外交官であった第7代エルギン伯爵トマス・ブルースが、オスマン帝国駐在の特命全権大使としてイスタンブールに赴任すると、このパルテノン神殿の調査を始めた(当時のギリシアはオスマン帝国領である)。神殿彫刻に関心を抱いたエルギン伯は、当時のスルタン・セリム3世から許可を得て、多くの彫刻を切り取ってイギリスへ持ち帰った。当時のオスマン帝国はナポレオン率いるフランス軍のエジプト遠征を受けた直後であり、このフランス軍を撃退したイギリスと良好な関係にあった。

 19世紀前半、ロマン主義の風潮が高まる中で、エルギン・マーブルがイギリスで公開されると、多くの人々の古代ギリシアへの憧憬を高めさせた。だが一方エルギン伯の「略奪」行為を非難する声も大きく、ジョージ・ゴードン・バイロンは「チャイルド・ハロルドの巡礼」第二巻及び「ミネルヴァの呪い The Curse of Minerva」で激しく痛罵した。これらの批判が激しくなったことと、長年に渡る彫刻群の輸送で巨額の負債を抱えたため、エルギン伯は1816年にイギリス政府にエルギン・マーブルを寄贈、その後大英博物館に展示されて現在に至る。

 つまり、ギリシャ人全体の精神的遺産としてのエルギン・マーブルは、当時の支配者にして異教徒でもあるオスマン・トルコの皇帝の承認で、イギリス=トルコの友好のために譲り渡されるわけですが、ギリシャ人から見ればこの契約の正当性に異議をとなえたくなるのは、皆さんも理解できるかと言えます。とは言え、そんな調子で返還していくと、大英博物館には所蔵品がほとんどなくなってしまうかもしれない?! それに、いわゆる先進国の博物館がぶいぶい振り回す理屈=「貴重な文化財が一国に集められることで学術的な研究が進みやすいといった点や、原産国が文化財の保護や管理に熱心でない場合もあり、現所有者側が散逸や劣化を防いでいる」(Wikipedia)から、この文化財返還問題はなかなか見通しがつかない難題です。

海外流出美術品と日本の近代化:売立目録所収美術作品のデータベースよりアートを考える(下編)

2017 7/8 総合政策学部の皆さんへ

 前編に引き続き、『売立目録所収美術作品のデータベース』からもう少し探ってみましょう。売り立てには色々なパターンがあります。前編では松浦家のいわば没落にともなう売り立てを紹介しましたが、下村家が大丸再建を願って、自家の家財を売り払ったように(資本主義としては前近代的とも言えますが)、“攻め”の売り立てもあります。

 その典型は、大正10年11月5日・6日下見、同年11月7日入札の尾州徳川家御蔵品売立。政治家、植物学者、狩猟家(北海道で熊狩り、マレーで虎狩り)で、かつ現在の北海道土産の定番「木彫りのクマ」の原案をスイスから紹介したという尾張徳川家第19代当主徳川義親が「尾張家伝来の優れた美術品・文化財の永続的な保存のため、財団法人徳川黎明会を設立し、美術品の保存、公開施設としての徳川美術館を建設する資金を得るため」(報告書)、主催者の高橋箒庵に依頼したものです。これぞ「攻めの売り立て」とも言えるでしょう。ちなみに、Wikipediaではこの多才な「最後の殿様」について、他家の財政逼迫にも積極的に支援に乗り出し「理財の天才」と讃えています。

 ところで、この時、札元には山澄力蔵・中村好古堂・梅沢安蔵・川部商会・多門店・本山幽篁堂・伊丹信太郎・池田慶次郎・林新助・土橋永昌堂・服部来々堂・戸田弥七・山中吉郎兵衛・池戸宗三郎・春海商店・野崎久兵衛・米万商店・味岡由兵衛・伊藤喜兵衛・横山守雄・長谷川長宣堂と並んでいます。なお、この一人山中吉郎兵衛こそ、「(日本、そして中国等の)東アジアの秘宝を欧米人に売り込み」、戦後は其一の「朝顔図屏風」をメトロポリタン美術館に納入する山中商会中興の祖、山中定次郎(三代目山中吉郎兵衛)でしょう。

 調べてみると、古美術商としては土橋永昌堂、中村好古堂、春海商店等が現役です。古美術商もなかなか老舗ぞろいのようです。

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 さて、報告書に戻ると、この売立も「高橋箒庵が、世話方として関わっているが、その出品作品に価値の高い物が少なかったため、度々、価値のある作品の出品を尾張家に求めたが、優品を美術館で保存しようという尾張家側の意向を崩すことはできなかったという。・・・出品作に優品が少ないという当時の世評にも拘らず、第1回の総売り上げは、570,000円余に及んだ」とあります。

 義親はこの資金で、徳川美術館(運営母体は財団法人尾張徳川黎明会)の開設に邁進しますが、その間、なんと他家から流出の古美術品をさらに収集、「豊国祭礼図屏風」(蜂須賀家)、「清正公兜」(紀伊徳川家)、「侍中群要」(近衛家)から入手するなど、美術のパトロンとして八面六臂の活躍です。

 実は、義親は美術館以外にも、徳川生物学研究所(のち、ヤクルトに譲渡)、徳川林政史研究所も設立。ここまで自分が所有する資源を社会貢献に各種有効活用された方も少ないかもしれません。

 ちなみに、『売立目録所収美術作品のデータベース』では、 大正14年5月25日に前田侯爵邸で開催された“前田侯爵家御蔵器入札”でも、旧金沢藩主前田家は「入札で得た利益をもとに、所蔵品のうち重要なものを保存するための体制を固める」ため、当主前田利為が同年2月26日、公益法人育徳財団(現、前田育徳会)を設立、その資金をえることが目的のようだと記されています。

 その結果、「前田家伝来の作品の中で特に優れたものが出品されたとはいえないが、「織部餓鬼腹茶入」(現野村美術館)が57,800 円など、茶器を中心に高額落札が相次ぎ、総落札額は1,090,000 円を超えた」とありました。

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 最後に、話のそもそもの発端である其一の朝顔図屏風に話を戻すと、かつての豪商松澤家から流出後、1894年以来、ニューヨーク・ボストン・ロンドンなどで東洋美術を欧米のブルジョアジーや美術館に売り込んでいた山中商会の手を経て、1954年にメトロポリタン美術館に収蔵されます。またその前年には、光琳の「八橋図屏風」もメトロポリタン美術館に渡っています(朽木ゆり子 『ハウス・オブ・ヤマナカ 東洋の至宝を欧米に売った美術商』 )。こうして、故郷を離れた美術品自身にとって、異郷の地で多くの人びとの眼にふれることがよいのか、それとも故郷に再び帰ることがよいのか、皆さんはどう思いますか?

海外流出美術品と日本の近代化:売立目録所収美術作品のデータベースよりアートを考える(前編)

2017 1/22 総合政策学部の皆さんへ

 皆さんは鈴木其一をご存じでしょうか? 酒井抱一に師事した琳派の画家(寛政7年(1795)~安政5年(1858))、代表作に「夏秋渓流図」「群鶴図屏風」等、とくに「朝顔図屏風」はメトロポリタン美術館から久々の里帰り中。ちなみに、同美術館のHPは「Suzuki Kiitsu (Japanese, 1796–1858)、Edo period (1615–1868)、early 19th century、Medium:Pair of six-panel folding screens; ink, color, and gold leaf on paper」と紹介しています。いわゆる海外流出美術品の代表格です。

 こうした海外流失美術品は、明治初期の廃仏毀釈運動で二束三文でたたき売られたあたりから始まるということですが、この屏風ははじめ、どんな経緯で流失しいったのか? そして、その過程に日本の近代化がどうかかわったか? これが今回のテーマです。

 そもそも「朝顔図屏風」は江戸の油問屋松澤家伝来のものでした。この松澤家とは通称大孫、こと大阪屋松沢孫八商店が元禄年間に大阪から江戸日本橋本石町に進出し、薬種問屋からやがて江戸最大の油問屋として大江戸十人衆にも挙げられ,将軍家献上御用金も万両にのぼった有徳人です(油屋の歴史61 – 東京油問屋市場;http://www.abura.gr.jp/contents/shiryoukan/rekishi/rekish61.html)。この「大孫」こと「松澤家」こそ鈴木其一のパトロンで、高価だった絵の具を惜しげもなく使ったのもすべては松澤家のパトロネージゆえというわけです。

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 それでは、この松澤家からどうやって屏風が流出したか?

 Webで調べると、『売立目録所収美術作品のデータベース化とその近代日本における美術受容史研究への応用』という資料がみつかりました。静岡大学情報学部髙松良幸教授が代表の科研費報告書なのですが、「戦前の美術品の売立目録のうち100冊について、所収の作品の写真・テキストをデジタルデータとして記録し、その各種データを所蔵履歴、活用履歴などさまざまな角度から検索可能なデータベース化を試みた」とのよし、これがなかなかに面白い。

 まず、“売り立て”とは何か? 報告書の序は「戦前、日本・東洋美術の取引の主役をなしたのが入札会である。特に大正期から昭和初期においては、旧大名家などの華族層のなかで経済的苦境に陥るものが多く、その苦境から逃れることを目的に「家宝」である伝家の名品を売却することが多くなった。そして、それらの多くを購入したのが、近代以降の日本経済の牽引者となった財閥経営者などを中心とする財界人たちであった。その際に用いられたのが入札会という手法であり、入札会に関する記録は、時代の変遷とともに権力の象徴としての「家宝」がどのように移動したかを知るための資料として重要視されるものである」と説明します。

 つまり、日本の近代化での“資産家=金持ち階級”の入れ替わり、そしてその結果、一部が海外まで流出していく、この屏風はその過程の“証人”なのです。

 さて、本報告書が扱う第1回・2回の売り立ては下村正太郎氏御所蔵品で、下見を経て、1910年12月5日、そして1911年6月8日の2回にわたっての売り立てです。荷主の下村氏は実は京都の呉服店・デパート大丸の創業者、この売り立ては、1908年に個人商店「大丸呉服店」を株式合資会社に転換して経営改革に乗り出すも、失敗、東京・名古屋店を閉じて、京都・大阪・神戸店で再建するための資金作りだったのですね。その中の逸品は、祇園南海「墨竹図掻取」(現メトロポリタン美術館)で、泉州泉佐野の豪商唐金家から嫁入りの際、持参されたものだそうです。

 こうして下村家はなんとか家業を立て直しますが、その大丸も高度成長期以降のデパート業界の停滞に直面、大丸は2007年に松坂屋と経営統合、持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」を設立し、2010年には株式会社松坂屋に合併して解散、株式会社松坂屋は「株式会社大丸松坂屋百貨店」に商号変更して現在に至ります。時代の流れを感じさせますね。

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 こういう視点で売り立てを眺めていくと、まず目立つのは旧支配層・豪商の没落ですが、その典型は旧大名・旧華族等です。例えば、旧平戸藩主松浦伯爵家並某家蔵器展覧入札が 昭和9年11月5日、東京美術倶楽部で開かれています。

 この松浦家は松浦党に由来する武家の名門、とくに9代藩主松浦清は静山と号し、江戸きっての随筆『甲子夜話』を著しつつ、現大和文華館所蔵の国宝「婦女遊楽図屏風」(通称松浦屏風)を購入もしています。また、心形刀流達人としても『剣談』を残しています(ちなみに野村克也が好んで口にする「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」はこの松浦静山の言葉とのこと)。

 しかし、その松浦家も昭和の不況等で、家宝たるべき美術品を昭和2年、6年、9年等に続けざまに売立ます。報告書によれば、昭和9年(第3回)の売立が作品の質において最も高いものととして、牧谿「遠寺晩鐘図」が83,000円(現、畠山記念館)、「大江山絵巻」(現、逸翁美術館)が28350円などで落札され、総落札額は430,000円に達したとのことでした(米の価格で換算すると、当時の1円を3200円として、現在のお金で言えば13,4億円ぐらいになるのでしょうか?)。

 なお、上記畠山記念館は実業家畠山一清(号:即翁、1881 – 1971;荏原製作所創始者)、逸翁美術館は(関学にも深く関わった)阪急電鉄創始者小林一三がその収集品を納めたもので、ここに日本の近代化にともなって美術品とその持ち主の変遷(旧華族・豪商から、近代的産業資本家へ)、そして大衆への公開(美術館の誕生)という過程に、まさに文化政策論のトピックを見る思いがあります。

 ちなみに畠山一清は東京帝国大学機械工学科、小林一三は慶應義塾正科のいわば学歴エリートあがりの実業家だったことも目を引く。結果として、これらの美術品は以下の道筋をたどったわけです:旧家の私的所有(公開されず、プライベートにしか見ることができない) → 旧家の経済的苦境 → 売り立て(市場への流出) → 新興資本家層の所有(あるいは、美術商を経て海外流出=「朝顔図屏風」のケース) → 相続税等への対応 → 法人化=美術館としての公開(欧米では個人所有から美術館への寄付・売却)
(to be continued)

中島みゆきの歌詞考:“買いはたく”とは? そして、願い事は叶わなったか? 叶い過ぎたか?

2017 1/11 総合政策学部の皆さんへ

 ボブ・ディランがノーベル文学賞受賞という昨今、流行歌(“はやりうた”と読んで下さいね)もめでたくアートという立ち位置を占めたわけですが、皆さんはどんな“流行歌”に衝撃を受けました? “声の質”なら、私の場合、最初の衝撃を感じたのは森進一です。彼のデビュー曲「女のためいき」(1966年、猪俣公章作曲、吉川静夫作詞)が流れてきた時、当時13歳の私は「こんな声でも歌手になれるのか!!」と驚愕したものです。世間でもおおかた「ゲテモノ」あるいは「一発屋」と酷評されていたそうです(Wikipedia)。

 その次の衝撃は私より1つ年上の中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ」を深夜ラジオで聴いた時でした。1975年9月のレコード発売で私は22歳、大学4年、翌月から卒論(ニホンザルの性行動)に取りかかる頃です。しかし、彼女の場合、声質もさることながら、“言葉使い”も縦横無尽です。例えば、「サヨナラを伝えて」は以下のように展開します(アルバム「おかえりなさい」から)。

 まさかあなたが 恋の身代わりを
  あたしに紹介してくれるために
   あとでおまえの部屋をたずねる と
    耳うちしたとは 思わなかったから
 表通りの花屋に寄って
  目に映る花を買いはたいてきた
   今ならわかる 恋の花言葉
    黄色いローズマリー
      伝えてサヨウナラ

 “花を買いはたく”! Googleでこの言葉を検索してみても、同じ表現が出てきません。ということは、日本語をあやつる人たちのなかで、中島みゆきだけの表現なのか? そうなのでしょうね。この何とも言えない、言葉の浮遊感こそが彼女の魅力の一つです。

 それにしても、あなたは何かを“買いはたいた”ことはありますか? また、それはどんな時でしょう? たぶん、“買いはたいた”時には、自分がいま何をやっているのか、意識の外かもしれません。そして、“今ならわかる”時がいつか来る、それが“別れの花言葉”なのを・・・・

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 次に紹介するのは、こちらも初期の傑作「悲しいことはいつもある」から(アルバム『私の声が聞こえますか』)、

誰も悪くはないのに
 悲しいことはいつもある
  願いごとが叶わなかったり
   願いごとが叶いすぎたり
誰も悪くはないのに
 悲しいことはいつもある

 最後の2行がリフレーンで終わる、ただこれだけの歌詞・・・・感じるのは、『コヘレト書』に匹敵するような圧倒的な透徹観! 誰が悪いのでもないのに、悲しいことは必ずある、あなたにも私にも・・・・

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 最後に、アルバム『私の声が聞こえますか』から、「あぶな坂」を(この「あぶな坂」というタイトル自体が、ほとんど言葉になりませんね)。

あぶな坂を越えたところに
 あたしは住んでいる
  坂を越えてくる人たちは
   みんな けがをしてくる
橋をこわした おまえのせいと
 口をそろえて なじるけど
  遠いふるさとで 傷ついた言いわけに
   坂を 落ちてくるのが ここからは見える

 この歌詞だけで、映画が一本撮れそうな気もします。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...