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基礎演習ハンドブック初版コラム再録Part 2:週末には映画を見よう

2019 7/23 総合政策学部の皆さんへ

 『基礎演習ハンドブック』初版本から(改訂版では削除された)コラム「週末には映画を見よう」を再録しましょう。執筆された先生は、すでにご退職されましたが、在校生の皆さんにぜひ映画からいろんなことを学んで欲しいと、熱を込めてお書きです。ぜひ、ご一読ください。
       

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 映画もまた、私たちに様々な智恵や、情報を与えてくれます。最近では、小説や音楽のように、映画も長い歴史を経た“古典”として、教養という性格を帯びてきました。チャップリンや『カサブランカ』、『ローマの休日』、『七人の侍』等の“名作”は映画評論家にまかせ、個人的な好みで「ぜひ皆さんに見てもらいたい」作品を有名、無名取り混ぜて紹介しましょう。レンタルビデオ屋にあるかどうか保証しませんが。

 まず、頭に浮かぶのが『アマデウス』。モーツアルトへの冒涜との意見もありますが、あのような奇矯な人物だったのは周知の事実。モーツアルトと対立したイタリア出身の音楽家サリエリに殺されたという当時の噂(ただし映画と違って毒殺)にもとづくこの作品、音楽好きにはたまりません。オペラ『魔笛』のシーンは、パパゲーノの服装等、初演時を彷彿とさせ、全曲上演したビデオがあったら絶対欲しい。
       

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 ミュージカル映画では『屋根の上のバイオリン弾き』をあげます。ロシアでのユダヤ人迫害の歴史を背景に、主人公テビエの3人の娘がそれぞれ恋人と出会い、結婚するまでを描いています。

 しきたりを無視しても子供の気持ちを大切にしようとする主人公や、恋によって自分の将来の夢が変えられていく娘たちに感情移入しながら、アイザック・スターンのバイオリンに耳を傾けて下さい。なお、親が自分の結婚に口出しそうな場合、その反対を封じ込める究極の名せりふがあります。
       

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 『十二人の怒れる男』が有名な“裁判物”の中から、少し変わった作品を取り上げます。ジョン・フォード監督バッファロー大隊』。被告の無実が証明される過程は似ていますが、最後に意外な事実がわかり、後味がさわやかです。もっとも、人種差別等の暗い場面もはさまり、単純に楽しめる作品ではありません。主題歌も勇壮なマーチですが、なぜか涙が止まらなくなるはずです。

 “SF”ではレイ・ブラッドベリー原作『華氏451度』。読書が許されなくなった未来社会で本を守ろうとする人たちの反逆の物語です。最近、「本を読まなくなった」、「出版業界は終わりだ」などの嘆きが聞かれますが、この映画を見ると力づけられます。本などくだらないと思っている人も見て下さい。考えが変わるかもしれません。なお、この映画を見て本の大事さを感じたら、原作もお読み下さい。
       

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 最後に“アニメ”はビートルズの『イエロー・サブマリン』。この作品のぶっ飛び加減は、その後のアニメに大きな影響を与えているはず。音楽をこよなく憎むブルー・ミーニーズの首領と部下マックスの掛け合いのおもしろさ、ビートルズ・ナンバーにヘンリー・パーセルのトランペット・ボランタリーが何の違和感もなく混じっている所、何度見てもあきません。ところで、劇中歌で「64才になっても僕を愛してくれるかい」と歌った時、自分が実際にそうなることがあると思っていたのでしょうか。ジョン・レノンはともかく、他のメンバーは確か....

“ボヘミアン・ラプソディ”:ベンベヌート・チェリーニあるいはカラバッジョ、そしてスタインベック

2018 12/4 総合政策学部の皆さんへ

 数週間前に、いまや巷にその名も高いロック・スター、クイーンのボーカルフレッド・マーキュリーの壮絶な人生を描く『ボヘミアン・ラブソディ』を観てきました。ネットでは毀誉褒貶がとびかっていますが、上映4週間で興業収入33億円越え、ヒットしているようです。もちろん、映画という表現スタイルとしての評価では、同じミュージシャンの人生を描くとしても、例えば『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』、『ドリームガールズ』(歌手を描くというよりも、モータウンレコードを一代で立ち上げたベリー・ゴーディの物語というべきでしょうが)などには一歩も、二歩も及ばぬところでしょう。

 とは言え、この映画は一にも二にもファルーク・バルサラことロック・バンドクイーンのリード・ボーカルだった故フレディ・マーキュリーの霊がのりうつったかのような ラミ・マレックの熱演と、「従来のヒット曲に加えて11トラックの未公開音源(1985年7月のライヴエイドからの5トラックを含む)が収録された」という、クイーンの圧倒的なオリジナル演奏を駆使した、アルバム製作現場とライブ演奏の再現に入れ込んでしまえば、それで十分というものでしょう。

 それにしても、“ボヘミアン・ラプソディ”のフレディ作の歌詞、昔ラジオで聞いていた時には、こんな歌詞だとは思ってもみませんでした(今でもそうですが、私は英語の歌詞などどうでもよくて、ただ、音と旋律を楽しんでいただけでした)。

Mama,just killed a man,                  ママ! 一人殺っちまったよ
Put a gun against his head,                そいつの頭に銃を突きつけ
Pulled my trigger,now hes dead,              引き金を引いたのさ、そいつはたったいま死んだんだ
Mama,life had just begun,               ママ! 俺の人生は始まったばかり
But now Ive gone and thrown it all away-         でも、それも終わりさ、すべて駄目にしちまった
Mama ooo,                          ママ!
Didnt mean to make you cry-               あんたを泣かせるつもりはなかったのに
If Im not back again this time tomorrow-         明日、僕がこの時間に、戻ってこなくても
Carry on,carry on,as if nothing really matters-      何もなかったのように、そのまま生きておくれ

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 この歌詞が眼にはいったとたん、想い出したのはボヘミアン=芸術家として“殺人もやっちまった”二人のアーティスト、云うまでもなく一人はルネサンスの名彫金師/彫刻家ベンヴェヌート・チェリーニ、そしてもう一人はカラバッジョです。

 もっとも、『あしながおじさん』の主人公ジルーシャ・アボットことジュディに「チェリーニってとても愉快でございますわね? 彼はいつも朝飯前にぶらりと粗手に出ていって、ふらっと人殺しをしてくるのですもの」(新潮文庫版、松本恵子訳)とからかわれているチェリーニですから、“ボヘミアン・ラプソディ”の“俺”とは違い、人生に悩みがあったとしても、それにとらわれることなどあるわけもない。破天荒な人生を刻銘に描いた『自伝』にひもとけば、以下の通りです。

「・・・(喧嘩相手の)顔面を突き刺そうとしたとき、相手が驚き、とっさに顔をそむけたため、ちょうど耳たぶの下のところを短刀は突いた。そこへ二突き見舞っただけで、その二突き目で彼は息たえ、私の腕にぐったりもたれた。私の意図せざるところであった。よく言うが、思わず殴るときは手加減できるものではない。(中略)ユーリア街の往来を引き上げながら、どこへ行けば助るかを考えた」 (『自伝』から;古賀弘人訳、岩波文庫版)

 そう言えば、この『自伝』の“自序”には、以下の詩が書き付けてあります。

    • 苦しみに満ちたこの私の<生涯>を書き記す
    •  造化の神に感謝するために、
    •   私に魂を吹き込み、ついで守って下さったことを、
    •    ゆえに私は様ざまな高き仕事を果たし、なお生きてある。
    • あの私の非常の<運命>、にもかかわらずことなきを得た
    •  それは私の命の賜であり、格別の栄光と実力、
    •   恩寵と、勇気と、美と、このような体躯の賜物である、
    •    ゆえに私は多くの者を追い越し、私を追いこす者に追いつく
    • 心は激しく痛むばかりだ、空しくもうしなわれた
    •  あのかけがえのない時を思い知るいまは。
    •   われらのはかない想いを風が運び去る。
    •    悔いても甲斐なきことだ、それゆえ満足しよう
    • この見事なトスカーナの花園に<よく来た子(ベンヴェヌート)>として
    •  降りたった私がいま昇ってゆくのだから。

(同書から)

 こちらの詞もぜひ、フレッドに曲にしてもらいたいところですが、それはいまは詮ないこと。さて、「粋で優雅なカスティリオーネ」、「陽気で不敵なアレティーノ」、「博識で内気なアリオスト」とならび、典型的ルネサンス人「乱暴で勇敢なチェリーニ」についてモンタネリはこのように結びます。

かれはルネサンス・イタリアの冒険児の典型であった。天才と異常性格、信仰とシニズム、無暴な勇気と宮廷人の卑屈さが、かれの中に共存していた。良心も理想も持たぬかれは、この世紀の知的剛胆と道徳的汚穢を誰よりもよく体現していた。この世紀は、善であれ悪であれ、中途半端な人物、中途半端な手段を許容しなかったのであるる」(『ルネサンスの歴史(上)藤原道郎訳』より)。

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 そのチェリーニ生誕から71年後に生まれ、イタリア・ルネサンスからバロック期に入った頃に活躍したミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオもまた、中途半端では生きていけなかったかもしれません。しかし、すでにルネサンス期が過ぎ、“黒”でぬりつぶされるスペイン支配が強まったイタリアでは、おなじ「人を殺める」にせよ、チェリーニのようにはいかないのも無理ありません。

2週間を絵画制作に費やすと、その後1か月か2か月のあいだ召使を引きつれて剣を腰に下げながら町を練り歩いた。舞踏会場や居酒屋を渡り歩いて喧嘩や口論に明け暮れる日々を送っていたため、カラヴァッジョとうまく付き合うことのできる友人はほとんどいなかった」。そして、「1606年5月29日におそらく故意ではないとはいえ、ウンブリア州テルニ出身のラヌッチオ・トマゾーニという若者を殺害してしまう」(Wikipediaから)。

 殺人者としてローマを逃げ出したカラバッジョは、しかし、逃亡先のナポリ、マルタでも問題を引き起こし、かつ暗殺されかけ、ナポリからローマへと向かう旅の途中で死去したとされています。

 こちらの方が、チェリーニよりいっそ“ボヘミアン・ラプソディ”に近いかもしれません。

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 フレッド、チェリーニ、カラヴァッジョと続いて、最後の締めはアメリカの現代作家スタインベックの短編集『長い谷間(The Long Valley, 1938)』所載の『逃走』にしたいと思います。

 カリフォルニアから15マイルばかり南の海岸に面した農場に住む貧しい一家の長男ぺぺ、19になりながら、おとなしくて、やさしくて、怠け者のこの青年をおっかさんは「立派で勇敢な若者だと思っていたが、面と向かってそんなことを言ったことは一度もなかった」。

 ある日、オトナになるため、母からモンテレイで「薬と塩を買いに」一人で行ってくるように言いつかった彼は母親に「これからは何度でも、おれをひとりで出してくれていいだよ。おれはもう大人なんだから」と言うと、おっかあは「お前は脳みその足りねえひよっこだよ」と送り出します。

 その晩、戻ってきたぺぺは「顎からは、あの弱々しい線が消えてしまったようだった」。そして、人を殺してしまったので、これから逃げなければいけない、と母に告げます。

 母は「おまえは大人だ、なあ、ぺぺ、こんなことになるんじゃねえかと思っていただ」と息子に銃と残った10発ばかりの弾をわたし、逃亡へと送り出します。妹がそれに気づき、ぺぺはどこへ行くのか尋ねると、「ぺぺは旅に出るだ。ぺぺはもう大人だでな。大人としてしなきゃなんねえことがあるだ」。息子に別れを告げた母は、妹たちとともに哀歌が口に出ます「我らがうるわしきもの-いさましきもの、我らを守るもの、我らの息子は逝けり

 妹と弟は母の祈りを危機ながら、会話を交わします。
ぺぺはいつおとなになったの?」「ゆうべさ、ゆうべモンテレイだよ」
ぺぺは旅にでたんだ。もう帰ってこないよ
死んだのかい? 死んだと思うのかい?
死んじゃいないわ」「まだね

ということで、この結末を知りたい方は、是非『スタインベック短編集』(大久保康男訳、新潮文庫)を御覧下さい。

一人の兵士が何人敵兵を殺せるか?:戦争の本質について

2015 5/31 総合政策学部の皆さんへ

 本日はかなり物騒なテーマです。しばらく前に、クリント・イーストウッドの最新作にして、彼の作品にしては珍しく商業ベースに乗ってヒットしたという『アメリカン・スナイパー』を観ました。ただ、結末について最終的な結論を観客それぞれに委ねたようにも感じられます。

 主人公クリス・カイル(アメリカ海軍特殊部隊Navy Sealsの実在のスナイパー、イラク戦で公式に160人、非公式に255人を射殺)の行為が善なのか、悪なのか、あるいは・・・・、それは観る人の解釈次第、そこが余韻となるのかどうか、微妙な雰囲気です。そのあたりも、やや投げやり気味なタイトルにつながったかもしれません。

 なお、『文芸春秋』2014年10月号の『スターは楽し』連載100回記念対談で評論家の芝山幹郎と女優の洞口依子がイーストウッドを俎上に揚げていますが、「ドン・シーゲルと組んだ『白い肌の異常な夜』も素晴らしかった」と洞口が応えると、芝山が「イーストウッドは、あの映画で自分の変態性に気づいたんじゃないかな。彼はサディスティックな面もマゾヒスティックな面も、両方とも持ち合わせていますよね」と指摘、なるほどと思いました。

 一見、マッチョな塊のようなダーティ・ハリーに潜む影の部分、そのあたりが『アメリカン・スナイパー』では露わになっているかどうか微妙ですが、それだからこそアメリカ大衆に受けたのかもしれません(『アメリカン・スナイパー』は制作費$58,000,000で、興業収入[世界]が$392,858,239、ざっと6倍以上です;Wikipediaによる)。

 さて、本題に戻って、公式記録として何人殺したかがわかる任務、すなわち狙撃手(スナイパー)の記録をみれば、それはフィンランド冬戦争の英雄、 「白い死神」ことフィンランド国防陸軍少尉シモ・ヘイヘ です。小国フィンランドに襲いかかるソ連軍に対して、ソ連製モシン・ナガンM28ライフルを駆使、狙撃によって100日間で505名を射殺、このほか、サブマシンガンで200名以上を殺戮、さらにこれは公式記録だけで、記録の不備や未確認記録がさらにあるということです。一人で少なくとも700人を殺す、キルレシオが0対700、ほとんど無限大です。

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 それにしても“冬戦争”、皆さん、ご存じないですよね。数年前、全世界的にヒットしたスウェーデン映画『ドラゴン・タトゥーの女』の中で、登場人物の一人が兄について、「ナチスが好きな右翼だった。1940年には冬戦争に行った」という台詞がいきなり飛び出し、「おおっ」と思いました。

 「第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソビエト連邦がフィンランドに侵入した戦争である。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守った(Wikipedia)」という、フィンランドにとってはまったく理不尽な一方的な侵略戦争とされています。こういう事例を見せつけられると、「平和主義など、現実を観ていない夢想に過ぎない」という声が聞こえてきそうです。

 この侵略戦争を、あのヒトラーの助けまで借りて防ぎきったのがフィンランドの英雄カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(1867~1951年)です。今や“悪の権化”となっているドイツ第三帝国総統ヒトラーと侵略者ソビエト連邦共産党書記局長スターリン、この20世紀最大の独裁者二人に挟まれたマンエルヘイムにとって、彼らを手玉にとりながら、冬戦争から継続戦争と祖国を守る戦いの日々を続ける際、1日として心穏やかに過ごすことなどなかったでしょう。

 例えば、ある日、「フィンランドに対ソ連の手伝いを求める」ためにフィンランドを訪れたヒトラーに対して、マンネルヘイムはその面前でどうどうと葉巻を取り出し、火をつけます。嫌煙家であるヒトラーは(実は菜食主義者でもありました)が、自らを優位としてフィンランドに一方的な要請を押しつけるならば、必ず葉巻を消すように要求するはず・・・。息をのんだ周りの者たちの見守る中、ついにヒトラーはマンネルヘイムに「葉巻を消せ」とは口に出せず、マンネルヘイムはヒトラーを見切って、その要求を凌ぎ切ります(Wikipediaによる)。

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 そのマンネルヘイムの指揮下、フィンランド国防軍第12師団第34連隊第6中隊(通称カワウ中隊)で、積雪中の戦闘のため、純白のギリースーツをまとったヘイヘを含むフィンランド軍32名は、通称“殺戮の丘”で、ソ連軍4000人を撃退、ヘイヘは赤軍から“白い死神”、あるいは“災いなす者”などとあだ名されたとのことでした。

 なお、戦後、狙撃の秘訣を聞かれた時には「練習だ」とだけ答え(戦争前はヘイヘはケワタガモの漁師でした)、多くの敵兵を殺戮したことに後悔はしないのかとの問いには「やれと言われたことを、可能なかぎり実行したまでだ」と言ったそうです(Wikipediaによる)。

「ドイツ人は、この戦争に負けるだろう。なぜなら、彼らは戦争だけしかできないからである」:映画「フューリー」を観て

2014 12/7 総合政策学部の学生の皆さんへ

  本日は12/7、アメリカ時間では真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった日です(日付変更線の西側に位置する日本では12/8)。

 “時間”にすべてを支配される21世紀にふさわしく、詳しい時間経過をたどれば、真珠湾での戦闘開始はアメリカ海軍駆逐艦ワードが国籍不明の潜水艦(まちがいなく、真珠湾に潜行しようとする日本海軍特殊潜航艇「甲標的」5隻のうちの一隻)を撃沈したのが、現地時間で12月7日7時10分(日本時間8日午前2時40分)でした。

 なお、アジアでは日本帝国陸軍第18師団歩兵第56連隊がマレー作戦遂行のためコタバルに上陸、英印軍第8旅団と交戦したのが日本時間の12月8日午前1時30分で、こちらの方が1時間先行しています。

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 ということで、今日は久しぶりに戦争の話になります。実は、昨日、ブラピ主演の戦争映画『フューリー』を観てきました。スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』以来、いわば当たり前になった“戦場の現実”。飛び交う無数の弾丸に曳航弾が混じり、跳弾で火花がとびちり、そこら中に血が飛びちる。

 戦闘になれば、ほんの狭い窓から覗きながら戦車の巨軀(登場するM4AEシャーマン戦車は約30トン、対するドイツ軍のティーガーⅠ型戦車は57トン)を操縦するわけですから、うっかりすると友軍さえもひき殺しかねない(ブラッディ・オマハでは実際に、友軍を挽きつぶす事態が出来します)。

 敵軍、友軍、民間人でも、死体が行く手にころがっていれば、挽きつぶして進んでいく。そんな世界の話です。「世界で唯一動体保存されているあのティーガーⅠが映画に登場!」 (イギリスのボービントン戦車博物館でレストア)との謳い文句に惹かれて観たわけですが、皆さんにも是非観劇して欲しいところです。いや、国際政策志望の方は全員観た方が良いと思います、まったくの話。

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 ところで、この映画を観ながら私の脳裏によぎったのは、実は「総政のための名言集Part9雑編;ロンガネージ、漱石、そして中島みゆき」でご紹介済みのイタリア人ジャーナリスト、ロンガネージの台詞です。「#41:「1941年1月10日 イギリス人はこの戦争に勝つだろう。なぜなら、彼らは、戦争以外のことならばすべてできるからだ。ドイツ人は、この戦争に負けるだろう。なぜなら、彼らは戦争だけしかできないからである」(塩野七生『サイレント・マイノリティ』新潮社より)。

 “フューリー”の舞台は1945年4月、その4年前、第2次大戦が始まって1年半もたたない頃に記したこのロンガネージの日記の一節、大戦の行方を早くも見通した慧眼の一言、現代の総力戦とは何か? これぐらい的確に指摘している言葉もないでしょう。

 もっとも、戦車マニアだったら、1945年4月(翌月上旬にドイツ降伏)の設定ですから、ティーガーⅠからさらに一新され、Ⅴ号戦車パンターと同様に傾斜装甲が採用されたティーガーⅡを観たかったところかもしれません。しかし、複雑な設計故に量産が効かず(戦争以外はできないドイツ人!)、たった489両しか生産されなかったと言いますから、とても無理な話でしょう。

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 それにしてもドイツ人は、戦争だけはできる。「ティーガー1台に対して、シャーマンが5台なければ、対抗するな」と言われていたと聞いたことがありますが、大画面に映る姿はヘビー級ボクサー対ミドル級ボクサーぐらいの差です。

 ティーガ-が誇る88mm Kwk36L/56砲は、本来クルップ社が高射砲として開発した8.8 cm FlaK18/36/37砲で、射程2,000メートルで84mm、1,500メートルで92mm、1,000メートルで100mm、500メートルで111mmを貫通します。これでは、防盾76mm、前面装甲51mmのシャーマンは2000mの距離からでも破壊されてしまう! この88mm砲はドイツ語の音読みで“アハト アハト”の愛称でドイツ軍から絶大な信頼を寄せられます。

 一方で、M4A3E8の主砲である52口径76.2mm戦車砲M1A2では、特殊な高速撤甲弾(HVAP)でも使わない限り、ティーガーの前面装甲100mmを貫くことはおぼつかない。後ろに回り込んで、装甲の薄い側面、あるいは背後のエンジンを狙うか? リングでたたかうボクサーのような機動戦を、しかも4~5台でのチームワークで仕留めなければならない。

 映画の半ば、ブラピ率いる4台のシャーマンが、友軍を援護すべく、切所に急ぐ途上、突如、ティーガーⅠ型得意の待ち伏せ攻撃を仕掛けられます。まず、1台を仕留めてから、その巨軀をあらわにして、ゆっくり他の3両を仕留めに現れる。

 世界に冠たるティーガー乗員である以上、「負けるかもしれない」等とは絶対に思わない、いや、思った瞬間に負けてしまう! このヘビー級チャンピオンに必死に挑む3両、しかし、1台ずつ仕留められ、そして・・・・(ネタバレに注意して、ここではこの後は述べないことにしましょう)。

 つまりはこの映画は、北アフリカに上陸した時には、ルーキーだらけでドイツ軍にぼろ負け、イギリス軍からは「我々(連合軍)の中のイタリア軍だ」と言われていた連中が、いつしか『ヴィンランド・サガ』に登場のアシェラッドのような連中に変貌する、つまりはパットンの獅子吼に登場の「くそったれども」となり、かつてのスパルタのクサンティッポスのようなドイツ武装親衛隊と、ヘビー級対ミドル級の死闘を繰り広げる。

 その激闘シーンに間違って紛れ込んだ若造ノーマンがいつしか成長する、というにはあまりに早すぎる変貌を遂げざるをえない、そんな映画です(映画の終盤、生き残ったノーマンは救出に来た友軍に「お前は英雄だぜ」と言われます)。

 ちなみにティーガー対連合軍機甲師団の死闘では、1944年8月8日に戦死したナチスドイツ第1SS(武装親衛隊)装甲師団ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー所属のミハエル・ヴィットマンSS大尉が、同年6月13日フランスカーン南方のヴィレル・ボカージュにおいて、たった1両で戦闘車両27台(戦車12輌[クロムウェル5、スチュアート3、シャーマン4]、ハーフトラック10輌、カーデン・ロイド・キャリア4輌、スカウトカー1輌)を撃破したヴィレル・ボカージュの戦闘が有名です(もっとも、ヴィットマンのティーガーⅠも戦闘の終わり頃、イギリス軍の6ポンド対戦車砲で破壊されます)。

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 それでは、武装親衛隊(SS)とは何か? それにはまず『フューリー』を観て下さい。ブラピ演じるドン「ウォーダディー」コリアー軍曹が、ルーキーノーマンにたっぷり教え込むように、皆さんに解説してくれるでしょう。本作中でしばしば展開する戦場の現実、とくにブラピがハーグ陸戦条約を無視して、降参したSS等を殺していくシーンによって。

総政100本の映画Part 16:男の野望と挫折:ジョン・ヒューストンについて

2014 3/26 総合政策学部の皆さんへ

ハリウッド映画のパターンの中に、“男の野望と挫折”というテーマがあります。Wikipediaでは、「男性的で骨太なタッチの作品が多く、また、目的を持って行動する主人公たちが徒労の果てに挫折していくというストーリーをしばしば取り上げる」と評される映画監督ジョン・ヒューストンこそ、その典型とも言うべき映画作家です。

そして、この“男の野望と挫折”にもっともふさわしいものとしては2作、1948年制作、アカデミー監督賞・脚本賞を勝ち取った『黄金』(主役は自分の父親ウオルター・ヒューストン、準主役にはハードボイルド・ヒーローの誇りも微塵も見られぬ、卑屈で自己中心的なハンフリー・ボガード。傑作です!;映画番号#63)と、その30年後、本当はハンフリー・ボガードで撮りたかったノーベル文学賞作家キプリングの中編小説の映画化『王になろうとした男』(1975年;映画番号#64)をあげるべきでしょう。

同じように、男の野望を追いかけながら、さらに複雑で微妙な結末に、苦い思いをかみしめるクリント・イーストウッドが、このヒューストンへのオマージュとして制作したのが(しかし、興行的にはみごとに失敗)、1990年制作の『ホワイトハンター ブラックハート』です。なお、この作品で描かれれるヒューストンがアフリカロケを敢行した傑作は『北アフリカの女王』(この作品で、ついにボギーはアカデミー主演男優賞を獲得;映画番号#65)です。

Wikipediaでは、この作品の撮影について「リアリズムを追求するべく、アフリカで本格的なロケを敢行したこの映画の撮影は困難を極めた。天候不順でセットが流されるやら、体調悪化や病気で倒れる出演者やスタッフが続出するやらで、撮影は長引いた。にもかかわらず監督のヒューストンは、映画そっちのけでひたすらハンティングに興じる始末だった。キャサリン・ヘプバーンはこの時の監督の態度によほど憤懣やるかたなかったか、後年『アフリカの女王とわたし』という本を出版して一矢報いた」とあります。

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 それでは、「男の野望と挫折」の巨匠ヒューストンに、そのあたりを自ら語らせると、

ルイキ川の撮影基地にアフリカのどの河川でもまずお目にかかれない奇妙な船団が組まれた」「母船の後ろに4隻(の筏)が従う船体を組織し、第1の筏には、そしてこれは私の発案だったのだが、アフリカの女王号のレプリカを載せた。言い換えれば、この筏は撮影用のステージだった」。しかし、「四艘の筏はアフリカの女王号には少々荷がかちすぎていた。やむな四艘目をあきらめ、ケィティ(=キャサリーン・ヘップバーン)には私たちと同じくジャングルのなかのトイレを使ってもらった。大きな姿見はすぐに割れ、半分のサイズになった鏡もさらに割れて、最終的にはケイティは小さな破片を手鏡にしてメイキャップをおこなうようになった

 しかも、ロケ中に、肝心のアフリカの女王号が浸水で沈没してしまう! ヒューストンはアメリカまで電話をかけて、プロデューサーのサム・スピーゲルと話を交わします。

  • どんな具合だ?」「すべて順調だよ。アフリカの女王号が夜の間に沈んだのを除けば」
  • しばらく沈黙が続いた後、スピーゲルは笑い声で「アフリカの女王が沈んだ、と言ったのかと思ったよ」
  • 「そう言ったのさ」
  • 「何だって!」

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 当時、キャサリン・へップパーンは44, 5歳、とはいえ96歳という長い生涯に4度アカデミー主演女優賞に輝く彼女のキャリアでは、まだまだ中途です(1994年の“Love Affair”出演時で87歳、『アフリカの女王』の時には主演女優賞獲得はまだ1本だけ)。それでもすでに大女優、ヒューストンは彼女の1歳年長とはいえ、これまた長い監督人生は始まったばかり(最初の監督作品『マルタの鷹』からまだ10年で、相方である主演男優のハンフリー・ボガードも長い間の下積み暮らしで、堂々と主役を張るのはこれまた『マルタの鷹』のあたりからです。ヒューストンの筆を借りれば、

 「撮影時に初めて合流したときのケィティは、この映画製作そのものをいぶかしげに見ているところがあった。私のことも経験の浅い若造監督とみなしていて、そういう気持ちをとくに隠そうともしなかった。ケィティには、相手が自らを証明するまでその人物に対する不信の念を容易には解かない傾向があったのだと思う

 それで、ヒューストンは愛すべきケィティに“さし”での会談を申し込みます。ケィティが先に発言します。

  • それで、ジョン? 何をはなしあいたいというの?」
  • ケィティ、たがいの意見をぶつけてもしょうがない。まず私の言うことを黙って聞いてくれないか。私の話がすんだあとで、こちらの言い分が正しいか正しくないか決めてもらいたい
  • いいでしょう

誰が「ボス」なのか、若造(未来の巨匠)は扱いにくい大女優(やがて、さらに大女優になってしまう)に、率直に切り出します。

皆さんも、卒業して、会社や組織に入れば、否応なしに直面する“交渉”の世界ですが、きちんと身につけて下さいね。それこそがリーダーシップであり、ハリウッドの超大物プロデューサー、ダリル・ザナックの名セリフ「俺が話し終える前に、“イエス”と言うな(”Don’t Say Yes Until I Finish Talking”)」につながるものです。

ディズニーのキャラクターについて

2014 1/22 総合政策学部の皆さんへ

 先に『ドナルドの数学教室(さんすうマジック)』をご紹介しましたが、それでは皆さん、アニメのキャラは誰が好きでしょうか? と言っても、今日日(きょうび)はやたらに増えすぎているようです。そもそもディズニーのキャラはどんなものがあるのでしょうか?

 そのウォルト・ディズニー、生まれは1901年ですから、まさに20世紀の申し子、享年は65歳と10日あまりなので、それほど長生きとは言えません。職業は、Wikipediaによれば「アニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、声優、実業家、エンターテイナー」ということで、たんなるクリエーターを超越した20世紀の花形職業の一つ=プロデューサーとして、一代で巨大国際企業を作り上げた人物です。

 ちなみに彼の誕生日(1901年12月5日)に生まれた人物は、1932年ノーベル物理学賞受賞者ハイゼンベルグです。9日遅れが俳優阪妻こと阪東妻三郎(田村正和のおとっさんです)、11日遅れが文化人類学者マーガレット・ミード、22日遅れがドイツ生まれの女優マレーネ・ディートリッヒ。代わりにディズニー誕生前後に世を去った人物としては11月7日に李鴻章、12月13日に中江兆民。やはり時代の変わり目を感じます。

 まだ人生のピークに達するにはしばらくかかる、という段階はやがて20世紀前半の最大のアート・プロジューサーの一人にのしあがるロシア・バレー団創設者のディアギレフ、まだ29歳、帝室マリインスキー劇場の特別任務要員(何をする役なのでしょう?)から、罪人同様の扱いで追放されています。20世紀の現代劇の幕を開けたアルフレッド・ジャリは一つ下の28歳、すでに劇『ユビュ王』を上演して、ピークが過ぎた頃、たぶん“2リットルの葡萄酒”が朝飯だったという破滅的生活で、その死まであとたったの6年。そして、映像の幕をひらいたリュミエール兄弟が映画撮影に乗り出してから6年目(有料公開は1895年12月28日)、そんな時代です。

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 さて、ディズニーが創造したキャラとして、ミッキーは“長男”ではありません。それは、「しあわせウサギのオズワルド」なのだそうです(Wikipeidia)。ところが、このキャラを巡って、「1928年2月配給先のユニバーサル・ピクチャーズと所有権をめぐり交渉が決裂し、さらにチャールズ・ミンツによる従業員引き抜き工作によってウォルトとアブは作品を放棄」、こうして全権利とアニメーターまで失ったウォルトは、しかし工房の権利だけは確保して、不朽のキャラたる“ミッキーマウス”を創造、自らの“失った嫡出子”オズワルドまでをも圧倒してしまう、という結末に至る、と言うわけです。

 禍福はあざなう縄のごとし、人生すべて塞翁が馬、七転び八起きのディズニーの快進撃がここから始まるわけですが、この苦い経験が、ビジネス体としてのディズニー・プロダクションを特徴付ける執拗なまでの著作権の主張になってくるわけですね(眞壽田先生の知財の世界です)。

 この“失われた嫡出子”オズワルドの画像は、ユーチューブでは次のURLで観ることができるようです(http://www.youtube.com/watch?v=cfGeOT0Q3MsQ3Ms)。

 しかし、このオズワルドの画像、微妙ですね。ミッキーを見慣れた眼からすれば、“うさぎ”というより、“耳が長いネズミ”に見えてします。版権争いで、負けてしまったことが、ディズニーにとっては、そしてオズワルド/ミッキーというキャラにとっても、かえって良かったかもしれない、そんなことも考えさせられます。

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 こうしてディズニーに管理されているキャラクターの一覧はWikipediaに「ディズニーキャラクター」をどうぞ。なかなか膨大であるとは言え、ミッキーやドナルドのように、手塩にかけて育てた、というキャラはそれほど多くはないかもしれません。

 例えば、白雪姫やピーターパン、シンデレラなどの原作物も目につきます。あのバンビもまた、ハンガリー出身でユダヤ系オーストリア作家のフェーリックス・ザルテンによる童話があるそうです。なお、童話ではヨーロッパが舞台で主役はノロジカでしたが、アニメでは北米でアカシカが演じることになります。

 最後に、Wikipediaの「アメリカアニメーションの黄金時代」に登場のキャラに触れてみると、ディズニー出身者は他にグーフィー(ミッキ-シリーズから)ぐらいですね。ポパイやベティ・ブープ、バックス・バーニー等、ちょっとくだけたキャラはみんなディズニー以外の出身です。そのあたりも、おいおい紹介していきましょう。

ドナルドの数学教室(ドナルドのさんすうマジック)で、数学を学ぼう!

2013 12/28 総合政策学部の皆さんへ

 ちょっと以前の話になってしまいましたが、8月初め頃に、7大学政策系学部長懇談会という、なにやら物々しげなタイトルの集まりがありました。要するに、慶応、中央、南山、同志社、立命館、関大、そして関学、政策系学部を持っている7大学の学部長が年に一度集まって、いろいろとお話しする会合です。

 そこでお会いした慶應の総合政策学部長の方はなんと数学の先生でした。互いに理系出身者の気安さか、(向こうの総政で)数学を講義することの大変さを嘆かれるので、「リベラル・アーツの基本には数学(幾何学と代数学)が入ってるじゃないですか」と私が言うと、「こちら(慶応)では、誰もそんなことは言ってくれません」とおっしゃいます。

 それで、ついつい、「いや、そんな時こそ、“ドナルドの数学教室”を見せたら、どうですか!」とお奨めしたのが、今日のタイトル、“ドナルドの数学教室”です。ドナルド、もちろんドナルド・ダックのことです。

アヒルをモチーフにしたディズニーアニメのキャラクター」で、「人をからかうことが好き。短気な性格であり、ディズニーキャラクターの中で最も喜怒哀楽が激しい。また、自己中心的な上とても騙されやすい。そのため、短編映画などでは悲惨な目に遭って終わるオチが多く、特にチップとデールとの共演作品では、ほとんど悪役的存在として描かれ、毎回と言っていいほど散々な結末(ドナルド自身に身体的被害・財産に被害を受けるのがほとんど)で終わる。かなり短気のせいなのか、口調は子供っぽいがかなりの毒舌である

という、根っからの“悪ガキ”キャラ、言うまでもなく、“よい子”キャラのミッキーの対極です。

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 その悪ガキ、ドナルドがどうしてまた数学(さんすう)など? というわけで、例によってWikipediaを開けてみると、これまた単独の項目として掲載されているではありませんか! しかも、DVDが市販されている。ただし、Wikipediaのタイトルは現在の市販DVDのそれにのっとり、『どなるどのさんすうマジック』です。制作は1959年、ドナルドダック・シリーズの第125作(スタンダード、カラー作品)とのこと(上映時間28分)。教材として購入してもよいかもしれません。

 アメリカ公開が1959年6月26日、日本公開が翌1960年11月22日ですから、私は小学校1年か、2年の時にこれを映画館の併映短編映画で観たことになります。

粗筋ですが、Wikipediaではいたって簡単に、「ドナルドは嫌いな算数の国に迷い込むが、次第に算数が好きになっていく」とだけ書いています。しかし、40年前の記憶をたどれば、ピタゴラス学派の紹介から始まり、音楽の音の高さと数学の関係から、数学の魔宮・迷宮、ラビリンスの世界に誘い込む映像の数々、であったような記憶です。

 Wikipediaでは、「ピタゴラス教団は・・・哲学者のピタゴラスによって創設されたとされる一種の宗教結社。現在の南イタリアのロクリスに本拠を置き、数学・音楽・哲学の研究を重んじた」とあります。ピタゴラス派が、リベラル・アーツの祖であったとは、初めて知りました。

 ちなみに、「ニコニコ動画」の方では、「数学は賢い人のものだと思っていませんか? 数学は自然界のあらゆる所に存在しています。さらにはスポーツやゲームの中にも数学は溢れているのです。そんな不思議な数学の世界をドナルドと一緒に探検してみよう」というのがうたい文句です。

皆さん、興味はわきませんか? 井垣先生ならば、きっとご同意いただけるはず。

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 ということで、しばらく、ディズニーネタのシリーズもおもしろいかもしれません。 

総政100本の映画Part15:『最強のふたり』のご紹介、あるいは真に教養をもつ者はだれか? そして第6感としてのお金の使い道は?

2012 10/22 総合政策学部の皆さんへ

 久しぶりの映画紹介(1月15日の低予算映画について以来)ですが、現在、三田WMで上映中の『最強のふたり』のご紹介です。福祉、介護、移民、文化(の衝突)、そしてヨーロッパ社会に興味がある方にはうってつけの映画、それがこの『最強のふたり』かもしれません(アメリカではすでに米国版の作成が取りざたされているとのこと-『ドラゴン・タトゥーの女』のように、ハリウッド風の味付けをしてスウェーデン版の筋をなぞるだけ、ということにならねば良いですがね)。

 では、どんな映画かといえば、Wikipediaの記事を引用すると「『最強のふたり』(さいきょうのふたり、Intouchables) は、2011年のフランス映画。頸髄損傷で体が不自由な富豪と、その介護人となった貧困層の移民の若者との交流を、ときにコミカルに描いたドラマ。2011年にフランスで公開された映画の中で2番目のヒット作となった」「また、第37回セザール賞で作品・監督・主演男優・助演女優・撮影・脚本・編集・音響賞にノミネートされ、主演男優賞を受賞した」。

 ちなみに、フランス映画界最高の賞であるセザール賞の主演男優賞は、上記の富豪を演じたフランソワ・クリュゼとセネガル移民で(チンピラとしか見えない、その一方でチンピラの良さを一身に体現する)アフロ系の若者ドリスを演じたオマール・シーの二人がノミネートされ、後者が栄冠を勝ち取りました。

 とりあえず、“介護”とは何か? “生きる意志”とは何か? 移民の生活はどうか? ヨーロッパの伝統文化と新しい文化は? いろんな課題が皆さんを鍛えてくれるでしょう。

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 さて、これ以上の内容を私の口から付け加えるのは、そもそも映画に対する冒涜というべきものでしょうが、この映画にちりばめられているアイテム・情景に、ごらんになる皆さんはぜひ、気がついてくださいね。

 とくに、妻の難病、そしてその死、耐えられない現実から逃れようとして熱中したパラグライダーでの事故で、頸髄損傷で首から下が動かなくなり、「自殺する」ことさえできないフィリップ。その事故以来、ハンドルを握ることさえできないフィリップの愛車を見つけたドリスが狂喜する(免許もあやしげなくせに!)。

 マケドニアのピリッポス2世(アレクサンドロス大王の父)にもさかのぼる名前=フィリップは、たしかギリシャ語では「馬を愛する者」という意味だったのではないかと思います。そのフィリップが愛した現代の愛馬=愛車は、イタリアのスポーツカーメーカーマセラティクワトロポルテ

 1.9トンの車体に、V8DOHC、4244ccで400馬力をたたき出すこの車は、Wikipediaによれば「重量は約2トンという巨体であるが、操安性は極めてナチュラルである。さすがにライトウェイトカーと同様な軽快さはないが、コーナリング性能は巨体を意識させない程レベルが高く、ステアリングの切り込みと同時にノーズからインに入って行く感覚が伴う」なのだそうです。

 助手席にフィリップを乗せて運転するドリスの狂喜をさらに高めるようにエンジンが発する低音のリズム、そしてヴィバルディを演奏する管弦楽団をも巻き込んでしまうドリスの「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」のパフォーマンス、そして終幕間近、ふたりで車を飛ばした後の北仏ダンケルク海岸での景色。

 ちょっとした事情でフィリップから離れた間に髭だらけになって、まるでビクトル・ユーゴーのようなフィリップの髭を剃るドリスはいたずらにも、ナポレオン三世風にもそしてなんとヒトラー風にも剃り上げて、そしてかつてのフィリップの顔があらわれる・・・

 そして最後、ドーバー海峡を望むレストランでドリスがフィリップに、思いもかけず開けてあげる新しい人生の始まり・・・・・なお、この映画は実話がもとだそうです。

 ユーチューブでは予告編がでています。次のアドレスなので、関心がある方はぜひ。http://www.youtube.com/watch?v=IfHOM7dPzZA 

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 ちなみに、ドリスはアラビア語の男性名イドリスの“イ”がいつの間に欠けてしまったとのことです。映画ではさらに「イドリスはフランスに移住したときにつけられた名で、本当の名前はバカリである」と紹介されます。ちなみに、“バカリ”はスワヒリ語でも男性名です。アラビア語起源なのでしょうね。しかし、本当の教養=生きるための力はこのドリスのような者が持っているのです。

 最後に、もしこの映画のストーリーにひっかかるところがあるとすれば、それは「フィリップの“強さ”が無限(に近く見える)お金がベースだ」という点でしょうね。日本等比べるべくもない階級社会のフランスにおいて、金持ちは金持ちたることを社会から是認され、かつ期待される(それがサルコジ氏が移民2世としてひたすら駆け上がろうとした世界というわけです)。

 しかし、もちろん、サマセット・モームが指摘しているように、「お金は第6感のようなもので、これがなくてはほかの5感が動かない」。だとすれば、フィリップはその使い方をそれなりの努力(とドリスのサポート)で体得した、それがこの映画の核心かもしれません。

政策について考える:イスラームと政治Part2:トルコについて#1:国際帝国の崩壊と国民国家への脱皮の苦しみ

2012 4/19 総合政策学部の皆さんへ

 イスラームと政治のシリーズですが、例としてトルコをとりあげたいと思います。もっとも、私はトルコに行ったことはありません。

  イメージとしても、トルコ国内におけるマイノリティで反体制派に傾きがちなクルド人出身の映画監督ユルマズ・ギュネイが、獄中から撮影を指示しながら監督した傑作映画『路』(1982年度カンヌ映画祭パルム・ドール受賞)を、学生時代に京都で観たぐらいですね。

   それにしても、日本語版Wikipediaには『路』(トルコ語で“Yol”)が出ていません。以下に英語版を貼り付けましょう。英語の勉強としてください。

     Yol (Turkish for “The Road” or “The Way”) is a 1982 Yılmaz Güney film. The screenplay was written by Yılmaz Güney, and it was directed by his assistant Şerif Gören, who strictly followed Güney’s instructions, as Güney was in prison at the time. Later, when Güney escaped from prison, he took the negatives of the film and edited it in Switzerland.

     The film is a portrait of Turkey in the aftermath of the 1980 Turkish coup d’état: its people and its authorities are shown via the stories of five prisoners given a week’s home leave. The film has caused much controversy in Turkey, and was banned until 1999 due to Yılmaz Güney’s involvement rather than its content.

     Yol tells the story of several Kurdish prisoners on furlough in Turkey. Seyit Ali travels to his house and finds that his wife has betrayed him and works as a prostitute. She was caught by her family and held captive for Seyit Ali to end her life in an honor killing. Though apparently determined at first, he changes his mind when his wife starts to freeze while traveling in the snow.

     Despite his efforts to keep her alive, he eventually fails. His wife’s death relieves Seyit Ali from family pressure and he is saved from justice since she freezes but he has an internal struggle and must return to jail.

     Mehmet Salih has been arrested for his role in a heist with his brother-in-law, whom he abandoned as he was being shot by police. His in-laws want nothing to do with him, and he is finally forced to tell his wife Emine the truth. Emine and Mehmet Salih decide to run away and get on a train.

     On the train, they get caught in the toilet while having long-awaited sex with each other. They are saved from an angry mob by the train’s officers and held in a cabin before being handed over to officials. There, a young boy from Emine’s family who boarded the train shoots both Mehmet Salih and Emine.

     Ömer (Necmettin Çobanoğlu) returns to his village. Being a border village, it has a struggle with the army due to smuggling. Ömer visits and arranges to cross the border to escape prison. Though Ömer is clearly determined, he gives up after his brother is shot dead while smuggling. Through his brother’s death, Ömer has inherited the responsibilities of his brother’s wife and children as dictated by tradition.

      Each prisoner in the film suffers from a conflict that threatens his freedom, with tradition also imprisoning him.

 刑務所から仮出獄した5名のクルド系囚人たち。ある者は妻に対する名誉の殺人をせまられ、ある者は妻と一緒に伝統社会からの逃走を試みるもむなしく殺され、さらに別の男は刑務所に戻らぬことを決意する・・・・・・ 囚人たちのすべてが、自らの自由をめぐり、近代国家(トルコ)、伝統社会(クルド)、そして妻や親族との愛と葛藤に苦しんでいく・・・・・

 これらは、仮出獄中にトルコを脱走、フランスで『路』を仕上げたというギュネイの人生そのものなのです。総合政策、とくに多民族共生、民族紛争等の国際政策にご関心がある方は是非、ご一見を。

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 しかし、どうしてトルコという国家が成立したのか? ちょっと考えてみましょう。そもそも“トルコ”とは何か? 土地の名前なのか? 国なのか? 民族なのか? それとも・・・・・

 となると、もっとも広義の定義は“テュルク系民族”=“テュルク(Türk)諸語族”に属する人たちというになります(Wikipediaより)。つまり、本来、トルコは言語であり、その言葉を使う民族であったわけです。

 このテュルク系民族を英語では“ターキッシュ ピープル”、中国語では初出は“狄”或いは“翟”、そして我々にとっては世界史でおなじみの“突厥”なのですね。その突厥滅亡後、ウィグル(回紇)キルギス(堅昆)などの民族が勃興して、さらにイスラーム化されていくわけです。

 現代の英語で、このテュルクからさらに派生した言葉に“七面鳥”があります。バーボンの銘柄にも“Wild turkey”がありますが、アメリカ原産のこの鳥がなにゆえターキーなのかといえば、トルコから由来したホロホロ鳥と混同してしまったためだそうです。

 このように“トルコ”とは、本来は地名でも、国名でもなく、トルコ系の言語を話す民族が現在の地に政治的権力を構えたことがきっかけで、それが19世紀以降の“民族国家化”の風潮のなか、国名・地名として定着したとも言えそうです。

 コミックで世界を知ろうPart2で紹介の『ヒストリエ』では、主人公のエウメネスが育った都市カルディアから奴隷に売られて、黒海地方をさまよいますが、当時はもちろん、トルコなどという言葉はありえるはずもないわけですから、作中ではアジア/小アジア(アジアはアッシリア語[=アッカド語の北方方言だそうです]由来)、カッパドキア(古代ペルシア語由来)などの地名で呼ばれています。

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 さて、テュルク系民族がどのような経緯で小アジア/カッパドキアの地に住み着き、“トルコ”が定着したのか、そのあたりの機微をWikipediaに頼ると、

 1038年にはホラサーンの支配を確立しセルジューク朝を樹立した。1055年にはトゥグリル・ベクがバグダッドに入城し、アッバース朝カリフからスルタンの地位を授かった。セルジューク朝はスンナ派の庇護者としての正当性を得ると、西アジアのイスラーム圏の主導的立場となった。

 1071年マンジケルトの戦いでセルジューク朝が東ローマ帝国を破ると、アナトリアに進出し、ルーム・セルジューク朝が誕生した。ルーム・セルジューク朝の支配のもとでアナトリアのトルコ化、イスラム化が進行した。

という順番になるようです。とりあえず、セルジューク朝であれ、オスマン朝であれ、“近代的”な民族国家ではなかった、という点を強調しておきましょう。

 例えば、オスマン・トルコの皇帝は様々な理由から正規の結婚をほとんどせず(数少ない例外は、后妃ヒュッレム・ハセキ・スルタンと正式に結婚した愛妻家スレイマン大帝)、ハレムに集められた女奴隷との間で後継者を作ったため、遺伝子的にいえば、トルコ人とはいえないかもしれない、という状況になります。

 このヒュッレムにしても、実はキリスト教徒のロシアあるいはポーランド出身、通称をロクセラーナ(ロシア女)です(本名はアレクサンドラ・リソフスカ)。したがって、後継者になるセリム2世の遺伝子は半分ロシア/ポーランド人由来になるわけです。これが続けば、トルコ皇帝の身体を構成する遺伝子は、トルコ人民からどんどん離れて行ってしまうはずですね。

 そのスレイマン大帝の治世初期を支えた名宰相イブラヒム・パシャはギリシャ生まれのキリスト教徒の奴隷出身(イブラヒムはロクサーナを購入して、スレイマンに献上したといわれていますが、伝説では、その後ロクセラーナの姦計にかかって失脚、処刑されます)。

 また、軍事的にオスマン・トルコ皇帝をささえる常備軍団イエニ・チェリも、「当初はキリスト教徒の戦争捕虜からなる奴隷軍であったが、15世紀にキリスト教徒の子弟から優秀な青少年を徴集し、イスラム教に改宗させてイェニチェリなどに採用するデヴシルメ制度が考案され、定期的な人材供給が行われるようになる」といったように、国民国家における国民軍ではなく、むしろ異教徒出身で忠誠をただ一人皇帝にささげる皇帝直属軍団。

 こうして、異国人の遺伝子を受け継ぎ、異教徒出身者に支えられる皇帝の前に、全国民はひとしなみにその“才能”だけで出世が可能な帝国、身分制度の枠を超えられないヴェネツィア人を初めとするイタリア人にとって、一種のあこがれのような存在でもあったオスマン帝国が、多民族・多文化の国民に課す“柔らかな支配”、これこそが小アジアを中心に空前の領土を誇った所以でもあります。

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 そして、20世紀初頭、この多民族・多文化共生の国際帝国は、古の安倍貞任の「年を経し、糸の乱れの苦しさに」の歌のように、崩壊していきます。最終的には第1次大戦の敗戦を経て、民族国家としてのトルコ共和国が誕生する。

 しかし、その“近代的民族国家”の枠に押し込めることができない“異分子”の存在、例えば、ギリシア独立戦争以来の仇敵となったギリシア系民族、1894年~1917年に断続的に起きたとされる大虐殺をトルコ政府はいまだに認めていないアルメニア人(一説によれば150万人が殺された)、そして永遠の少数派であるクルド人=『路』の主題たちが、国民国家としてのトルコに異議を唱えます。Wikipediaの「クルド人」の項には、

 オスマン帝国の主たる後継国家であるトルコでは、共和人民党政権が単一民族主義をとったため、最近までクルド語をはじめとする少数民族の放送・教育が許可されてこなかったが、これがクルド人としての統一したアイデンティティを覚醒させることとなり、クルド人独立を掲げるクルド労働者党(クルディスタン労働者党)(PKK。トルコ及び日本政府はテロ組織と見なしている)はゲリラ攻撃を行なったので、1995年トルコ軍が労働者党施設などを攻撃、イラク領内にも侵攻し、イラク北部の労働者党拠点を攻撃した。

とあります。これが国際帝国からなんとか民族国家に変貌しながらも、国際帝国の遺産の最終処理に苦しむ現状です(同じ悩みは、ソ連の後継者であるロシアも、基本的には清朝の領土をうけついだ中華人民共和国にも存在します)

 それでは、そのあたりの説明は、どうやらto be continued・・・・・となりそうです。

総政100本の映画Part14:ビジネスとしての映画;低予算、早撮り、その他#1

2012 1/15 総合施策学部の皆さんへ

 「総政100本の映画」シリーズ、少し休みが続いていて(番外編は結構あるのですが)、映画番号が#62でストップしていたようです。今回は、映画の予算と収支について、考えましょう。

 以前、「ギリシア悲劇とその変奏Part4、あるいは総政の100本の映画Part12:“インセプション”と“アリアドネ”」で、(資本主義の鏡たるべき)低予算で高収入の映画としてデニス・ホッパー監督・出演、ピーター・フォンダ主演、怪優ジャック・ニコルソンの出世作の『イージー・ライダー』(#57)を紹介しました。製作費$340,000(当時の360円の公定レートで1億2240万円)、今日までの興行収入$60,000,000(2160億円)と紹介しましたが、映画も資本主義の世界であるからして、当然、収支が重要になってくるわけです。

 さて、“ビジネス”としての映画、逆に、収支でこけてしまった映画から始めた方がわかりやすいかもしれません。映画が失敗するとどんなおそろしい出来事が待っているか? この手の話題でいつも取り上げられる例はマイケル・チミノ監督の大作『天国の門』(残念ながら、私は未見)でしょう。1980年公開のこの巨大西部劇は、制作費4400万ドルをかけて、興行収入は348.4万ドル、なんと10分の1も回収できず、「映画災害」と呼ばれた一大事件となります(Wikipedia)。

 監督のチミノが凝りに凝った挙句、本来1100万ドルの予算が4倍近くに突出、しかも最初のバージョンは5時間30分!(あなたは映画館の椅子で5時間半耐えられますか?) これを最終的には148分に削ったため、今度は映画の構成が破たん、ついに制作会社であるチャップリン以来の名門ユナイテッド・アーティスツが倒産に追い込まれるという顛末です。この結果、チミノはめでたく“呪われた映画監督”の仲間入りを果たします。

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 ところで、“呪われた映画監督”の筆頭は、おそらくイタリアの巨匠、ミラノのビスコンティ公爵家の末裔、ルキノ・ビスコンティでしょう。ココ・シャネルの紹介でフランスの名監督ジャン・ルノワール(印象派の画家のルノワールの次男)に師事し、やがて社会主義ネオレアリズムを経て、「華麗で美術性の高い作風」に転じる彼について、映画評論家の淀川長治山田宏一、そしてフランス文学者・元東大総長の蓮實重彦の鼎談では、この風に話が展開してしまいます(『映画千夜一夜』、中央公論社)。

蓮實:ヴィスコンティがシュトロハイムと似てすごいと思うのは、ヴィスコンティもだいたいみんな制作会社をつぶしちゃうんですね。『夏の嵐』でまずイタリアの一番大きな会社をつぶしちゃうわけです、ルックスと言う会社を。(中略)
 あれでルックス社をつぶして、『ルードヴィヒ』でまたつぶしちゃうわけです。もっと小さいプロダクションですけど、もう破産しちゃうわけですね。

淀川:『ルードヴィッヒ』も贅沢だったもんなあ。でもいま聞いとって、「ええーッ」とぼく思うに、蓮實先生は、冷淡に「あれでつぶしたんです」なんて簡単に言うんだから、冷酷に(笑)。こんな人と協力したら、全部潰れるよ(笑)。潰すことにちっとも反省ないもん。中略)

蓮實:だから同じ時期のイタリアの監督たちは、「ヴィスコンティだけ金使いやがって」っていうんで、みんな怒ってるわけですね。

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 一方、予算を考えると、“早撮り”も一つの手段でしょう。もっとも、初期のサイレント映画時代は「3日で1本」というような今日では想像を絶するような撮影が普通でした。現代では、座長芝居等に残っている雰囲気ですね。脚本もなにもあったものではなく、その場で出たとこまかせで撮ってします。

 日本最初の映画スター、“目玉の松っちゃん”こと尾上松之助もこの伝で、無声映画の巨匠牧野正三に見出され、生涯に出演した映画は1000本以上、それが1904年のことで満50歳で当時としても早い死を迎える1926年まで、22年、ということは1年間にほぼ45本、ということは1週間に1本弱の撮影です! なお、私自身は、尾上松之助の映像については“地雷也”等を断片的に観ただけです。

 現代の早撮り監督と言えば、このブログでも再三登場のクリント・イーストウッドが筆頭にあげられるでしょう。ともにアカデミー作品賞に輝く『許されざる者』は撮影期間が39日、『ミリオン・ダラー・ベイビーズ』は撮影期間が37日です。もっとも、撮影に入る前の準備段階で相当の時間を使っているようです。事前準備がしっかりしていれば、本番は軽い、レポートでもECのプレゼンでも同じですよね。

 ちなみに『ミリオン・ダラー・ベイビーズ』は制作費用3000万ドル、興行収入はアメリカで1億ドル、全世界で2億1000万ドル、その数年後、ポーランド系元フォード社員の頑固な老人を演じた監督・主演映画『グラン・トリノ』は制作費用3300万ドルで、全世界の興行収入が2億7千万ドルというわけです。こうした“すご技”も、かつて『ホワイトハンター・ブラックハート』等でつまずいた(興行収入はたったの231万ドル)経験が生きているのかもしれません。

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 ちなみに、イーストウッドと師ドン・シーゲルをB級映画の世界から、一躍抜擢させた『ダーティハリー』もこうした低予算・傑作映画の一員です。そして、『ダーティ・ハリー』と同様に本来B級映画のはずなのに大ヒット、「あまりに大根なので、表情が動かないアンドロイド役に抜擢された」シュワルツェネッガーを一躍アメリカン・ヒーローに押し上げるきっかけとなった『ターミネーター』も制作費640万ドル、全米興行収入3837万ドル、全世界興行収入7837万ドルの低予算映画の鏡です。

 それにしても、“呪われた監督”マイケル・チミノは『ダーティハリー2』の脚本でイーストウッドに見出され、イーストウッド主演の『サンダーボルト』で監督デビューしたというのに、この“師弟”の変遷にはうーんとうなるばかりです(ちなみに、『サンダーボルト』は制作費400万ドル、興行収入はアメリカだけで2170万ドルときちんと収支がとれているようです)。それでは、このあたりでto be continued…..としましょう。

プロフィール


高畑由起夫
◆研究分野:生態学、自然人類学、霊長類学 ◆研究内容:主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等ですが、潮間帯の巻貝類や水生昆虫、カラス等も調べたことがあります。霊長類学の視点で、近縁...