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卒論進捗

プロ野球の球団がどのような手段でITメディアを利用しているかの調査

その調査の文献を読んでいる途中の段階

関西独立リーグ(BCL)の球団広報の方とアポイントメントを取り、球団の現在のメディアの利用を教えていただく。(現在連絡中、)

  • 投稿者:藤原 翼
  • 投稿日時:2018/10/18 15:04

卒業研究計画 報告

・テーマの変更

プロ野球ファンの獲得に向けて
~地方球団増設の可能性~

・先行研究

 

  • 投稿者:西川 享良
  • 投稿日時:2018/10/18 15:00

Konishizemi Times~生活に根付く宗教~

みなさんこんにちは。

小西ゼミ3年の尾上果穂です。

いつも本ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

今回は夏季休暇中に訪れたスリランカで感じたことについて書こうと思います。

 

皆さんは、「スリランカ」と聞いてどのようなイメージが浮かびますか?

 

渡航前の私も含め、これ!といったイメージがない人がほとんどなのではないかと思います。

それもそのはず、スリランカを訪れている日本人観光客数は他のアジア圏の国と比較するととても少ないのです。

しかしスリランカ国内には、8つもある世界遺産や日本も多く輸入している紅茶など、魅力的なものも多くあります。

その中でも特に私が魅力を感じたのは、宗教の多様性です。

 

いたるところに鎮座している、華やかに飾り付けられたブッダ。

街を歩く、色とりどりの美しいサリーを着た女性。

チャペルがあるかと思えば、道の向かい側には巨大なモスク。

 

スリランカの人々の暮らしには、多様な宗教が深く根付いています。

では、実際にどのような宗教の人々が暮らしているのでしょうか。

私個人としてはインドとも近いのでイスラム教のイメージが強かったのですが、なんと仏教徒が70%も占めており、次いでヒンドゥ教やイスラム教、キリスト教が信仰されているそうです。

 

ある日、コロンボ市内でトゥクトゥクを捕まえようとしていると、「やあ、君は中国から来たの?それとも日本?」と話しかけてきたスリランカ人がいました。

「日本人だよ」と返すと、彼は唐突に、「君たちって何を信仰してるの?宗教は何?」と聞いてきました。

私は以前から異文化や宗教に関心があり、それなりに調べたり訪れたりもしていましたが、自分の宗教なんて考えたこともありませんでした。

日本人の多くは無宗教と呼ばれていることを話すと、彼は信じられないというように首を振りました。

 

憲法で信仰の自由が認められているにもかかわらず、私たち日本人の多くは日常生活の中で特定の宗教を意識することは稀です。

一方スリランカでは、決まった時間にお祈りをしたり、毎日民族衣装を着たり、当たり前のようにお酒や食べ物のルールを守ったり、彼らの生活のいたるところに信仰がありました。

宗教が身近にあることで生活が成り立っている様子を肌で感じ、自分たちと何が違うんだろう、と疑問が浮かびました。

 

彼らは神に救われているのだろうか。

毎日同じ服で嫌にならないのだろうか。

どんなに忙しい時でもお祈りするのだろうか。

 

並べてみるとほんの些細な疑問ですが、これらを理解しない限り、「スリランカを知っている」とは言えないように感じます。

もっと彼らや自分を理解するために、秋学期は異文化や宗教に触れられる授業を多く履修することにしました。

これまで何となく持っていた関心が、今後の研究テーマにもなりそうです。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

小西研究室のHPはこちらから↓

http://www.konishi-kg.org/language.html

 

 

Hello, everyone.

Thank you for visiting this blog.

I’m Kaho Onoue, a 3rd year student in Konishi seminar.

I would like to talk about what I experienced and felt in Sri Lanka that I stayed for 2 weeks during this summer vacation.

 

What is your image of Sri Lanka?

 

Same as me before visited there, most of you might say that there is nothing in particular.

That is obvious, the number of visitors from Japan is fewer than other Asian countries.

However, there are a lot of attractiveness such as 8 beautiful world heritages and famous tea that Japanese people always enjoy.

I was especially interested in diversity of religions.

 

There are so many statues of Buddha decollated with flowers and colorful clothes.

And women with beautiful saris are always walking around there.

You can also find a church and a big mosque across the street.

 

I saw many kinds of religions that well-established in each life.

Then, which kinds of religions do Sri Lankan people believe in?

Actually, before I visited there, my image of Sri Lankan religion is Islam, but there are 70% of Buddhists, 12% of Hindus, and less than 10% of Muslims and Christians.

 

One day, when I tried to take a tuk-tuk in Colombo, and one Sri Lankan man asked me, “Hey, where are you from? China? Japan?”.

I answered, “Yes I’m from Japan,” then he asked me again, “What is your religion? What do you believe in?”

I have never thought about my own religion and gods even though I have been interested in diversity of religions and cultures for few years, and I sometimes search about them or visit religious places.

I told him about Japanese people that they are called non-religious ethic, and he couldn’t understand it.

 

We are allowed freedom of religious by constitutional law, but most of Japanese people rarely care about them.

On the other hands, people always pray on the exact time, wear traditional dress every day, and follow some rules of meal and alcohol.

Their religious affect their usual life, and I wandered what the differences between us are.

 

Are they saved by their gods?

Why don’t they hate to wear same kinds of clothes every day?

Do they pray how busy they are?

 

Those are really small questions that I’m wondering after came back to Japan, but they are exactly important things to understand real Sri Lanka.

I decided to learn more about them in this semester to know them and I.

Now, I think that this kind of thing can be one of the topics to study.

 

Thank you very much for reading it all.

  • 投稿者:吉原
  • 投稿日時:2018/10/17 23:59

2018.10.16 チャペル

インドネシア交流セミナー2018参加報告
和三花菜さん(総政1年)、中嶋美結さん(総政1年)
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(参加者の声/出席票コメントより)
・私と同じ1年生にもかかわらず、内容のしっかりとした素晴らしいプレゼンテーションをみんなの前で堂々としていて尊敬しました。またインドネシアについて学べてよかったです。
・毎日英語で会話することは大変なことだと思った。でも、その分、英語のコミュニケーションスキルは確実に上がるだろうなと思った。
・私の友達がインドネシア交流セミナーを通して成長している姿を感じ取ることができました。スライドも見やすくてよく伝わってきました。
・今週課題が多く忙しくなりそうなのでチャペルでゆっくりとした時間を過ごせてよかったです。元々バリ島に行きたかったのですが、インドネシアの他の場所にも行きたくなりました。
・自分がインドネシアのことほとんど知らないと気づきました。だからこそこのようなプログラムは興味深いです。楽しみながらたくさんの貴重な体験ができるんだと分かりました。
・もともと興味があったのですが、改めてインドネシア交流セミナーに参加したいと思いました。特にCSは楽しそうでぜひ次の機会に挑戦したいです。
・日本とインドネシアの違いに興味を持った。インドネシアが約14000もの島から成っていて多言語の国家だと知り勉強になりました。

チャペルの予定はこちらのリンク先をご覧ください。

  • 投稿者:murase
  • 投稿日時:2018/10/16 21:36

最短経路問題をExcelで!

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こんにちは!井垣ゼミ14期の岡田 愛世です!

私が取り組んでいるのは”最短経路問題をExcelで解く”という課題です。

収束の意味を理解できていなかったため、

次回のゼミで再びプレゼンに挑みます!

  • 投稿者:fam26363
  • 投稿日時:2018/10/16 14:23

翻訳について番外編Part2:森山多吉郎の後輩たちに見る長崎通事の栄光と幕末キャリアプラン

2018 10/12 総合政策学部の皆さんへ

 翻訳について番外編Part1の続編、主人公は森山に江戸で英語を学んだ同じ長崎通事出身の福地源一郎(号桜痴)に交替です。福地は安政6年(1859年)、青雲の志をいだき19歳で江戸に上京、郷里の先輩森山に師事しますが、後年、『懐往事談』に書き残した回想では、

 (森山)先生は通称多吉郎とて、長崎オランダ通詞の出身、数年前より徴されて江戸に来たり。常に江戸下田の間を往復してもっぱら条約のことにかかわり、当時は外国奉行支配調べ役並格にて外交の通詞を任じ、幕府外交のことについては最も勤労を尽くしたる人なりき。(略)江戸にて英語を解し英書を読みたる人は、この森山先生と中浜万次郎氏との両人のみなりければ、余はこの先生について学びたるなり。

 もっとも、師弟たちの苦心の英語修業も、幕府から命じられたことではなく、各人の個人的努力です。『懐往事談』には同年6月、外国人居留地がある横浜(運上所=現在の税関)への出張を命じられ、(福沢と同様)福地は、以下のように気づきます。オランダ語に固執していれば、通詞としての自分の仕事は安泰ですが、どうやらそれでは済まされない。上層部は何の指示をしなくとも、自ずから勉強せざるをえない=近代的自我の誕生とも言えるかもしれません。

 英語は実際欠くべからざる用語にて、(日本語文書とオランダ語文書でのやりとりを定めた)条約を頑守してはとても双方の用便にさしつかえる」ことに気づきます。そして「余輩が少々ばかりならい覚えたる英語も、この時には大いにその便利を感じ、これよりして英語修練は外交上大切なる事務とはあいなりたり。しかれども、幕府はあえてこれを奨励することをもなさず、また、そのために修業の道を開きたる事もなかりき。

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 とは言え、すでに森山が伐り開いた道がある=個人的な興味であれ、外国語を学べば立身出世(=しがない長崎通詞から公方様直臣へ)につながる。すでにロールモデルが存在し、一つのキャリアコースが成立済みです(実を言えば、これこそ外国語で出世していく=伊藤博文、青木周蔵金子堅太郎などの明治新政府のキャリアコースにつながります)。福地はこちらのコースを選択した結果、必然的に、当時の体制派=幕藩体制の支持者にもなります。そんなかつての(先を見誤った)軽躁な日々を反省するのは、明治になって事がすべて済んでから、という始末です。

 (自分は)もとより純乎たる佐幕主義にて、いやしくも時勢許るさん限りはあくまでも幕府独裁の制を保守せんと望み、深く京都の干渉と諸藩の横暴を憎み、かの公武合体といい諸藩会議というがごとき、合議政体と幕府独裁とは両立すべきものにあらずと主張せしものなり」として、「感情に劇せらるるごとに知らずしらず持見を動揺して、条理の分別をみだし、適性の定説をあやまること、この時始まれり。

 福地はさらには慶応3年12月、主戦論に惑わされ、江戸城よりはるばる大阪に出向きながら、その幕軍が鳥羽伏見の戦に大敗、あまつさえ首領であるはずの徳川慶喜が(ほとんど誰にも知らせずに)大阪城立ち退きを決行して、海路、江戸に舞い戻る始末です! 江戸に上陸するや慶喜は謹慎中の勝海舟を呼びつけます。彼の心はすでに恭順と決し、勝にその交渉をあたらせる腹づもりだったのでしょう。急を聞いてかけつけた勝は、

 みんなは、海軍局のところへ集まって、火を焚いていた。慶喜公は、洋服で、刀をカウかけて居られた。オレはお辞儀もなにもしない。頭から、みなにサウ言うた。「アナタ方、何と言う事だ。これだから、私が言わない事ぢゃあない、もうかうなってから、どうなさる積もりだ」とひどく言った。「上様の前だから」と、人が注意したが、きかぬ風をして、十分言った。刀をコウ、ワキにかかへて大層罵った。己を切ってでもしまふかと思ったら、誰も、青菜のやうで、少しも勇気はない。かくまで弱って居るかと、己は涙のこぼれるほど嘆息したよ。(勝海舟(江藤淳・松浦玲編)『海舟語録』講談社学術文庫版)

 勝が目の当たりにした光景は、それまでの国家の体制が一気に崩れ落ちるとともに、福地をはじめとする佐幕派の希望が潰えた瞬間なのです。

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 さて、首領(=慶喜)にまんまと置き去りされた福地らは、這々の体で江戸に舞い戻りますが、慶喜や幕閣がすでに非戦に心を決したとしても、幕府韜晦という未曾有の事態に人心さだまりません。勝もここでは「裏切り者」にほかなりません。

 あるいは相率いて脱走する者もあり、あるいは、勝安房守は降伏論の主張者なれば暗殺すべし、と叫ぶ者もありて、人心ますます昂激し、ほとんど全幅の感情のみ左右せられて、道理は自他の耳にはいらざるほどのありさまにてありき。

 なお主戦論を侍してやまず、あるいは近々米国より回航すべき我が注文の軍艦(甲鉄船の東艦)を海上沖に待ち受けて受け取るべし、と同志に語わられては、これを行わんと試み、あるいは仏国によしみを通じてその調停の干渉を乞い、その言聞かれざる時は、仏国の兵力を借りて幕府に応接せしめんことを望、口に任せて説きまわりたりしが、今日より回顧すれば、実に国家と言える観念は我らが胸中にはみじんもなく、さらに将来の利害禍福を察するにいとまなかりしは、慄然としてわれながら身の毛もよだつ程にてありき。

 その日々を反省するのは、先にも言ったように、明治の御一新も軌道にのってから。振り返って見れば、かつての「論語読みの論語知らず」ぶりに、我ながらあきれますが、しかし、これは国家、国民、民族などの概念を一度に消化するためにはやむを得ぬことではあったでしょう。

 そのころはすでにいささか洋書も読みて、万国公法がどうでござるの、外国交際がかようでござるの、国家は云々、独立はかくかく、などなど、読みかじり聞きかじりにて、ずいぶん生まぎぎなる説を吐きて人を驚かし、もってみずから喜びたりしも、いまやおのれ自ら身をその境界に置くにさいしては、まったく無学無識となりて、後患がどうであろうが将来はなんとなろうが、さらに頓着するにいとまなく、ひたすら徳川氏をしてこの幕府を失わしむるが残念なりという一点に心を奪われたり。

 横浜の居留地を外国人に永代売り渡しにして軍用金を調達すべしといえば、これもって名策なりと賛成したるがごとき、今日より回顧すれば、何にして余はかくまで愚蒙にてありしかと、自らあやしまるほどにてありき。しかれども、これはあえて余一人のみにあらず。当時幕府のために主戦説を唱えたる輩はみな同様の考えにて、とうてい日暮れて道遠し、倒行して逆施せざるを得ずといえるが当時の決心たりしこと、争うべからざるの事実なり。

 なんだか、最近のWebでやたらに投稿される、その場限りの思いつきコメントを想い出してしまいますが、福地の良さはそれを素直に吐露・反省するところ。それにしても、せっかく長崎から江戸にでて、幕府の中枢にまで伸びたコネクションもキャリアもすべて無になるのは、いかにも耐え難いところであったでしょう。

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 さて、御一新後の福地はどうしたかと言えば、慶応4年閏4月(1868年5月)、江戸で『江湖新聞』を創刊して、幕臣よりジャーナリストに転じますが、「結局、政権が徳川から薩長に変わっただけではないか」という記事が筆禍となり、発禁・逮捕されてしまします。木戸孝允の取り成しでなんとか無罪放免になると、今度は「夢の舎主人」等と号して戯作に手を染めるという文筆業と、英語・仏語の翻訳・教授で身をたてます。

 ところが、明治3年には渋沢栄一の紹介で大蔵省入り、岩倉使節団の一等書記官として米欧視察後、明治7年大蔵省を退職、政府系の『東京日日新聞』にかかわり、政権系ジャーナリストになります。このあたりはめまぐるしいまでのキャリアの変遷、新時代に自分の落ち着きどころを探すのに四苦八苦というところです(オポチョニストでもあったと言えそうです)。

 明治10年代は、東京商法会議所設立にかかわり、東京府議会議員に選出、さらに政権寄りの立憲帝政党を結成しますが、これは失敗。結局、自らの見過ぎ世過ぎは手慣れた文筆行ということで、9代目市川團十郎などと演劇活動にかかわり、さらに翻訳、戯曲・小説を執筆します。明治の彼の活動では、この演劇改良運動・劇場運営(歌舞伎座の創設)、歌舞伎座の座付き作者、評論活動などにいそしみ、明治39年(1906)没します。時代の波にのりながら、波を乗りこなせずに、それでもしぶとく時代を渡りきった人生と言うべきかも知れません。

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 このどこまでも派手で、かつ“パッパラパー”な福地の人生と比べれば、はるかに堅実なのは、17歳年上で、森山とともにマクドナルドから英語を習った本木昌造(1824~75)でしょう。本木は、森山・福地が上京後の1869年、長崎製鉄所付属活版伝習所を設立します。学問の普及は、まずそのメデイアの確立から、という地に足のついた仕事ぶりです。Wikipediaによれば、

 同年グイド・フルベッキの斡旋で美華書館のウィリアム・ギャンブルから活版印刷のために活字鋳造及び組版の講習を受けた。このとき、美華書館から5種程度の活字も持ち込まれた。川田久長『活版印刷史―日本活版印刷史の研究』(1949年)ではこの伝習は1869年6月のこととするが、小宮山博史「明朝体、日本への伝播と改刻」(『本と活字の歴史事典』、2000年)では11月より翌3月までとする。

 1870年、同所を辞し、吉村家宅地(ただし吉村家屋敷を長州藩の者がたびたび使用したため萩屋敷ともいったという)、若しくは長州藩屋敷に武士への授産施設や普通教育の施設として新街新塾を設立する(ただし、陽其二が設立したものを引き受けたとの異説がある)。この塾の経営で負債が溜まり、解消の一助に新街活版製造所を設立した。ギャンブルの活字にはひらがなはなく新たに開発する必要があった。その版下は池田香稚に依頼されたものであった(この字を「和様」と呼ぶことがある)。同年、小幡正蔵、酒井三蔵、谷口黙次を送って大阪に支所を作り(後の大阪活版所)、1872年、小幡と平野を東京に派遣し長崎新塾出張活版製造所を設立させた(後の築地活版)。本木は新塾の経営が苦しくなると、製鉄所での業績回復の実績のあった平野に活版製造所の経営を任せ、平野はみるみるうちに業績を回復した。また、陽を神奈川に送り、横浜毎日新聞を創刊させたり、池田らとともに長崎新聞を創刊したりした。(Wikipedia)。

 しかし、維新後は事業がかならずしもうまくいかず、体調もすぐれないまま、本木は1875年9月3日に死去します。森山多吉郎はすでに1871年5月4日に死亡、一方、福地源一郎は『東京日日新聞』でジャーナリストとして活躍している頃にあたります。通詞キャリアコースも新旧の入れ替えがはじまります。

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 ところで、福地は御一新のみぎり、新政府との政務引き渡しの業務を果たすため、主戦論者に誘われて「脱走にくわわることあたわざりしは、今日より顧みれば余が幸いにてありき」と回想しますが、実は、長崎通詞のなかには実際に脱走に加わり、函館まで渡った者もいます。この時のほんのちょっとした決断の差が、彼らの人生を変えてしまうわけです。

 その一人、長崎通詞出身の五島英吉は戊辰戦争に身を投じ、榎本武揚や元新撰組副長土方歳三らとともに五稜郭まで転戦します。もちろん、皆さんも知っての通りの敗戦、新政府側の追求を逃れて英吉が逃げ込んだ先が函館ハリストス正教会でした。ここは「1859年(安政5年)にロシア領事のゴシケヴィッチが領事館内に聖堂を建てたのが源流」とされる「日本正教会でも伝道の最初期からの歴史を持つ最古の教会の一つ」だそうです(Wikipedia)。

 この教会にかくまわれた英吉は、ロシア人たちから料理とパンの作り方を覚え、若山惣太郎とともに1879年、在留外国人や外国船にパンや西洋料理を納める小さなレストランを開業します。この五島軒は現在でも函館他で開業中です(洋食バル 函館五島軒HP;http://hakodate-gotoken.com/gotoken/)。英吉自身はここで7年間コック長を努め、明治19年の火災で店が焼けた後、横浜に転居したとのこと。その後の英吉の消息ははっきりしないようですが、横浜に転居後も夏に避暑に訪れ、五島軒の2代目が帝国ホテルで修行する際にも協力したということです。

  • 投稿者:高畑由起夫
  • 投稿日時:2018/10/12 07:24
  • カテゴリ:国際政策に関連して, 日本の近代化, 言語・コミュニケーションについて:楽しい英語等
  • 高畑由起夫研究室

2018.10.11 チャペル

講話 李政元先生(都市政策学科)
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(参加者の声/出席票コメントより)
・「自分のものさしが本当に正しいかは分からない。そのものさしの目標が達成できていなくても大丈夫。誠実に何ごとも向き合って」という言葉で楽になった。
・マザーテレサの言葉が心に響きました。お話しを聞いて色々なことを考えました。自分のことばかりでなく他者のことをもっと考えようと思いました。明日のことで病むのではなく今日をよい1日にしたいです。
・授業もバイトも嫌だなとかシンドイと感じることがあったけど、視野を広げるためなんだと聞いて、これからそう考えようと思った。
・聖書の箇所で「思い悩むな、明日のことは明日が考える」という言葉が印象的でした。李先生の言葉と照らし合わせて学ぶことができました。
・自分にとって意味がないと思うことやしたくないと思うことも、自分にとって必要なことだと考えてがんばろうと思った。
・テストで良い点や単位を取ることがゴールじゃなくて、その学びを通して視野を広げることが大切なんだとしり、気持ちが楽になりました。
・今までの学生生活とか、今、自分が満足していないことについて考えさせられた。今の学びや人との出会いを大切にしたいと思った。

チャペルの予定はこちらのリンク先をご覧ください。

  • 投稿者:murase
  • 投稿日時:2018/10/11 22:29

輪講 議事録

テーマ:経営戦略と技術をどう結びつけるか
発表者:文凱瑩

文責 : 吉田由紀子

【PPT訂正箇所】

全体的に : 箇条書きに対して、文章が長い。キーワードや短めの文章のみを書いて口頭で補足するべき。

タイトルのフォントがスライドによって大きさが違う

p.1 名前のフォントが小さい→大きくする

学籍番号が記載されていない→記載する

 

p.3〜4 されてこなっかった→されてこなかった

p.14 「美国企業」→日本語に直す

p.15 シナジー効果→説明

 

【質問】

Q, p.9のスライドの「成功のカギ」は4つあるが、このカギ1つひとつにはどんな意味があるのか。特に「支持」とは?

A, 各部門の担当者が、経営者からの支持を得る

 

Q,『「焦点の欠如」という現象を理解する』の意味は?

A,不明

 

Q, p. 14 「三段階モデル」とは?

A,不明

 

Q,p.14 「異質の組織を包含する戦略的理論」とは?

A,不明

 

Q,最終的な筆者の主張は?

 

 

 

 

 

  • 投稿者:吉田 由紀子
  • 投稿日時:2018/10/11 16:36

卒業論文計画

独立リーグの職員様からお話を聞き、問題や原因を追究する。

 

  • 投稿者:藤原 翼
  • 投稿日時:2018/10/11 15:10

Konishizemi Times〜自分は何者なのか〜

みなさんこんにちは。小西ゼミ3回生の新坂上 眞帆です。

 

いつも本ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

今回は、夏季休暇中に留学したドイツでのエピソードを執筆したいと思います。

 

私は、今年の9月に3週間留学に行きました。初めてのヨーロッパ、更にはホームステイだったこともあり、とても緊張していましたが、スイス人のルームメイトが親切にしてくれたおかげで、大変充実した日々を過ごすことができました。

ドイツでの生活に欠かせない色々なことを教えてもらいましたが、何より彼女の言動の多くが私にとって新鮮でした。彼女の言動は一貫して「私とはどういう人間なのか」と自分自身について問い続けることを厭わなかったのです。

ある日洗濯物を一緒に干しに行く時、ふと玄関の鏡を見つめ彼女は立ち止まりました。どうしたのかと尋ねると、「私、自分の髪の毛とてもきれいで素敵だと思うの」と突然語り始めました。「でも私、自分の鼻は好きじゃない」と自分の好きな部分と嫌いな部分を交互に説明し始めたのです。私はただ呆気にとられて話を聞いていたのですが、これは外見だけでなく、自分の性格についても分析を始めました。そして気が済むと、「今度はあなたの番」と私にバトンパスしてきました。これまで自分を鏡でこんなに見つめたことはなかったので、不思議な気持ちにかられながら外見のどこが好きでどこが嫌いか、そして性格の面でもどこが好きでどこが嫌いかを伝えてみました。彼女は、私の言葉一つ一つに耳を傾け、何故嫌いなのか、何故好きなのか、どうしたらより良くなるかを尋ねてきました。

こうして1時間ほど鏡の前で2人で語り合ったあと、ようやく洗濯物の存在を思い出し、乾燥室へと向かったのです。

 

これまでに日本の友達とこのような話をした経験はありませんでした。自分の良いところと悪いところについては、何かきっかけがあって考えることがあっても、語り合えるほど日々の生活の中で考えたことはありませんでした。彼女は18歳でしたが、自分の性格を踏まえた上で将来の夢をしっかりと持っていました。また、そのために今自分が何をすべきなのかも計画しており、それらに衝撃を受けたことを今でも忘れられません。

 

なかなか日本の学生でここまで将来を見据え、自分について分析できている人は少ないのではないでしょうか。他のクラスメートも目的を明確にし、将来がハッキリしている人が多くいました。就職活動を控えた今の私は、自分の現状について分析する力が足りておらず、その結果将来への漠然とした不安を抱えています。これからは、自分の良い面と悪い面をもう一度見直し、普段から「自分が何者なのか」を説明できるように意識していきたいと思います。そうすることで、自分に自信を持つことができ、将来への不安も軽減していきたいです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

小西研究室のHPはこちらから↓

http://www.konishi-kg.org/language.html

 

 

Hello, everyone. thank you for visiting this blog.

 

My name is Maho Shinsakaue, junior student of Kwansei Gakuin University.

 

I would like to report the experience which I had in this summer.

 

During 3 weeks on September, I stayed in Munich to study German. This was the first time to visit Europe. Moreover, it was first homestay, so I was very nervous. However, thanks for a kind and friendly roommate who was from Switzerland, I could spend comfortable and enjoyable time.

She gave me much information which ware necessary for daily life in Germany, but nothing ware more interesting than her words and deeds.

She is consistently willing to pursue herself “who am I”.

One day, when I and she went to the laundry, she suddenly stopped walking and stared at the mirror in the entrance. Then she said ” Look, my hair is beautiful, isn’t it?” I was dumbfounded by her attitude, and she continued, ” But I don’t like my nose. It’s too big.” I could not say anything to her, but she kept talking, and she analyzed not only her appearance but also characters of her. Moreover, she divided them into two; which is like or strength, and which is not like or weakness. After finishing this, she said, “it’s your turn!”

I started to think about myself and listed my features about appearance and characters. She listened to my word for word and asked me why I like the aspect, why I do not like it, and how I can change them better. We talked together about an hour, and after we were satisfied, we went to the laundry room.

 

I have never had such experiences before with my friends. Without having opportunity, I did not consider and analyze much about myself in daily life. She was 18 years old, but she has already had a dream based on her characteristic. To my surprise, she has already had a plan for the dream too.

 

How many Japanese students make a plan for their future and analyze themselves like her? Other classmates in Germany also have a dream clearly.

Before starting a jobhunting, I must do self-assessment deeply. However, I have not done it enough. Therefore, I will analyze myself again, and figure out my strength and weakness. This self-assessment will lead to confidence and also be helpful to draw my better future.

 

Thank you for reading

  • 投稿者:吉原
  • 投稿日時:2018/10/10 23:56

About my life in Thailand

Thank you for visiting our blogs.

Now, I would like to introduce my life in Thailand.

 

Since August, I have studied at the Assumtion University in Thailand as an exchange student. Almost all the students in this university are Thai, and they are extremely friendly. In addition to Thai students, there are many foreign students. Thus, I can make a lot of friends over the border. The number of Japanese students are very few. As a result, I rarely use Japanese in my daily life.

 

I am interested in tourism and want to learn about tourism to realize my dreams. I hope to connect Japan to all over the world as a flight (cabin) attendant in the future. Thailand has a lot of attractions and has succeeded in tourism business. That’s why I decided to study in Thailand.

 

In this university, all classes are carried out in English and I communicate with others in English. I am taking five classes. At the beginning, I could not make a conversation in English and kept silent in the classes. However, I am gradually accustomed to the English classes and began to talk with my friends and teachers in English. I would say my English skills are improving.

 

Sometimes, I miss Japan and Japanese friends, but I enjoy studying abroad and try to improve my English skills. Living in foreign countries is more difficult than I have expected, but I guess it will become my precious memory in the future.

 

If you plan to study English or are interested in undergoing studying abroad, I recommend you study in foreign countries, like Thailand. People in Thailand are very kind. Being and studying in abroad will broaden your values and horizon.

 

Thank you for reading.

  • 投稿者:enn23867
  • 投稿日時:2018/10/09 20:49

2018.10.9 チャペル

講話 榛木恵子さん(大阪聖和教会副牧師、関西NGO協議会元事務局長)
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(参加者の声/出席票コメントより)
・NGOがプロフェッショナルだけではなくジェネラリストの仕事もあるという話が印象に残りました。社会が様々なネットワークに支えられていることがよくわかりました。
・NGOの特性や役割について詳しく学べました。特に「伝える」ということは大切なんだと先生のお話をきいて思いました。
・社会が円滑に作動するためには、行政、NGO、企業などがそれぞれの役割をしっかり果たさないといけないと思いました。
・政府とは違う立場で活動するNGOはとても重要だと思います。関わってみたいです。
・NPO法人がコンビニの数ほどあることに驚きました。NGO、NPOがそんなに身近な存在だと思っていなかった。人のために何かをする、共感を動力として社会に繋がっていくことが魅力的に感じました。自分自身の視野がまた広がりました。
・私はいままで自分がどんな社会をつくりたいかと考えることはありませんでしたが、自分の行動一つで望む世界に近づくことが可能だとわかりました。
・“自分がどんな社会をつくりたいか”ということを自分自身で考え、それを周りの人に伝え、語り合うことを学生のうちにたくさんしたいです。

チャペルの予定はこちらのリンク先をご覧ください。

  • 投稿者:murase
  • 投稿日時:2018/10/09 19:37

2018.10.4 チャペル

講話 小池洋次先生(総合政策学科)
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(参加者の声/出席票コメントより)
・歴史を長い目で見ると、世界の国々はどこかで助け合ってきた歴史があると思う。これを伝承することの大切さを感じた。
・隣国と仲が悪くなるというのは通例ですが、かかわりが深いということでもあるのでよい関係を築くための「感謝」の歴史を見つけていきたい。
・昔の人々が何に感謝していたか、というような視点は私には新しく、とても興味を持ったし平和のために考えていくべきだと思った。
・小池先生のラストチャペルに来れてよかった。チリの海軍の話、とても興味深かったです。日本史を学ぶ上で南米のことはあまり目を向けることがなかったので国際的視点をもっと持ちたいと思いました。
・昔の出来事で、感謝すべきことを受け継いでいれば、国際関係は大分違っていたのではないか、という話を聞いてこれは日本だけ、国だけの話ではないと思った。
・国と国の間に昔あったことについて、悪い歴史ばかり指摘し合って未だにいがみあう印象があるけど、良くしてもらった歴史に目を向けて感謝できる関係をつくることは大事だと思った。
・自分はお世話になった人にしっかり感謝できているか、問いかけることがある、という先生のお言葉から、自分も見直してみようと思いました。

チャペルの予定はこちらのリンク先をご覧ください。

  • 投稿者:murase
  • 投稿日時:2018/10/04 23:01

6期生フィリピンフィールドワーク(10日目)

9月11日(火)晴れ☀︎

 

午前:在フィリピン日本国大使館

 

フィリピンフィールドワーク最終日の午前中、私たちは在フィリピン日本国大使館に訪問しました。海岸通りの一等地に建っており、厳重な警備の中入館しました。

大使館の業務は主にフィリピンに滞在する邦人の保護にはじまり、ビザやパスポートの発行、国籍・戸籍の届出に関する業務、日本のODA、日本への留学の支援など多岐にわたっています。また、業務に携わる日本人職員の中には外務省のみならず、さまざまな省庁や組織、機関などから出向して来た方々がいるということでした。

大使館では、私たちのフィリピンフィールドワークの報告を行いまいた。代表して3人が訪問先、分野ごとに報告を行い、フィールドワークの成果を発表しました。

その後、小林書記官、森書記官の質疑応答や私たち側からも質問を行いまいた。書記官の話では「日本政府は草の根事業として、フィリピンの自治体や現地NGOに医療施設が少ない地方にモバイルクリニックなどの方法で医療サービスを提供している」「またフィリピンで問題となっている医療従事者不足の対策も今後考えていきたい」という話を聴くことができました。

午後:日本へ帰国

大使館の訪問を終え、私たちは空港への移動中の車の中でフィリピンの思い出を語り合ったり、最後の時間を楽しみました。

空港に着くと、このフィリピン研修で1番長くお世話になったバズさん(Mr.Bhuz)と運転手さん達に感謝を伝えました。運転手の方々はスコールの中、コンディションの悪いアスファルトであっても私たちを無事に目的地まで送っていただきました。Mr.Bhuzは私たちのフィールドワークを最後までサポートしてくれました。無事にフィールドワークを終えられたのはバズさん達のおかげでもあります。本当に感謝の気持ちが溢れました。

そして私たちは帰国の途につきました。2018年は大型台風に見舞われたため、関西国際空港が被害に遭ってしまい、私たちは中部国際空港に到着、解散となりました。

フィリピンフィールドワークを通して、フィリピンに対する理解、知識を得たことはもちろん、ゼミのメンバーのみならず他のゼミのメンバーとも仲を深めることができました。今後のリサーチフェアに向けて、一致団結する大きなきっかけとなる非常に有意義な時間を共に過ごすことができました。

これからのゼミ活動、大学生活などでは、皆で支えあいながら頑張っていきたいと思います。

(安田)

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帰国後の様子①、②

  • 投稿者:ebl24158
  • 投稿日時:2018/10/02 21:42

2018.10.2 チャペル

講話 古川靖洋先生(国際政策学科)
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(参加者の声)
・今日の話を聞き、やはり大学で学んだことが将来につながるんだと思いました。だからなおさら先生が言ったように、気になる先生の講義をとったり直接話をして自分の学科やゼミの進路を決めていきたいです。
・総政のよい所は様々なことから自分のやりたいことを選んで学べるところだと思うので、それ生かしてしっかり学科選択をしたいと思います。
・何がきっかけで自分の進む道が変わるのか分からないけど、自分から何事もトライして動いていることが大事なんだと思いました。
・大学に入って選択肢がひろがるというのは本当だなと感じています。先生との出会いが自分の将来を左右することもあるので、自分で見極めていく力をつけたいです。
・これから3年間どうやって過ごすか考えさせられました。充実した学生生活を送るために、今からいろんなことに興味をもち、本当にしたいことに近づいていきたいです。
・ゼミ選択で将来が変わってくるかもしれないと思ったら、慎重に選ばなくてはいけないと思いました。
・今までは学科のことばかり考えてゼミのことは念頭になかったのですが、学科の先生たちのことをもっと知ろうと思います。
・古川先生のお話しを聞いて学科選択・ゼミ選択が現実味を増してきました。今、自分がこれは興味がない、これはしたくないと思っていたとしても、何に対しても興味をもって努力してみる中で何か変わるかもしれない。

チャペルの予定はこちらのリンク先をご覧ください。

  • 投稿者:murase
  • 投稿日時:2018/10/02 13:57

6期生フィリピンフィールドワーク(9日目)

9月10日(月) 晴れ☀

アジア開発銀行

こんにちは!マニラ2日目のこの日は、アジア開発銀行(ADB)を訪問させて頂きました。ADBはアジア地域の諸国に開発資金を融資する国際金融機関です。

西野先生の古いご友人で、以前国連で同僚だった城石さんに終始案内して頂きました。ADBはセキュリティチェックが厳しく、中に入るまでに少し時間がかかりました。その後ADBの中に入ると、内装の美しさや大きさに驚きました。床は大理石です。ランチはADB内のカフェテリアで取ったのですが、ここには世界中の様々な料理があり、日本食のコーナーもありました!そろそろ日本食が恋しいメンバーは日本食を食べていました(笑)それぞれが自分の好きな料理を楽しむことができました。

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(筆者が食べたイタリアン)

 

その後ADBの社会セクターで活躍する内村さんと稲垣さんにお話を伺いました。

内村さんからは、中国の高齢者福祉政策についてお話して頂きました。現在中国でも高齢化が急速に進んでいて福祉や介護の需要が高まっているけれども、まだまだその分野において中国は発展途上であるため、ADBが政府や地域の自治体と連携を取りながらプロジェクトを行っているとの事でした。また、中国は介護保険制度や介護の職業訓練が未熟であるため、日本をモデルとした制度設計が必要であるとおっしゃられていました。また、介護という分野を持続可能なものにするために、長期に渡る継続したサポートが必要であるそうです。

稲垣さんからは、ADBの地域ごとへのアプローチ方法について伺いました。現在のアジアの貧困率は十数年前と比較するとかなり下がったものの、まだまだインフラが不足していることが問題であるとおっしゃられていました。また、今後のアジアのGDPは引き続き上昇していくものの、それと伴に貧富の格差も拡大していくと予想されるので、社会保障のニーズが高まるそうです。ADBとしては、環境や人への影響を最大限に考慮しながら、地域全体に良い影響を与えられるように、協力しプロジェクトを行っていくとおっしゃられていました。また、community driven development(CDD)という、開発戦略についてもお話して頂きました。これはインフラをすばやく復旧させるための戦略です。例えばフィリピン政府は1999年からこのCDDを採用しており、貧困の削減やインフラ開発を円滑に進めるために活用しています。また、この戦略によって、貸し付けた後にそれぞれのコミュニティが彼ら自身でどのように資金を使うかを計画し、プロジェクトを作ることができるそうです。

ADBの活動は単なる援助に留まらず、どうしたらより良くその国が発展していけるか、またそれは持続可能なものになるのかを考え、貸し付けると伴に協力してプロジェクトを行う点が非常におもしろいと思いました。

お二人のお話は国際協力や開発を学ぶ私たちにとって終始とても興味深く、貴重なお話を伺うことができました。

最後にはお三方から”ぜひ頑張ってADBにチャレンジしてください!”とのお声がけを頂き、今後もますます国際協力や開発について勉強していきたいと思いました。ゼミ生の中にはかなりADBに興味を持った人もいたので、いつか西野ゼミ生からADBで働いている人がいるかもしれませんね!(笑) また、城石さんからは最後にご自身の豊富な経験に基いた助言を頂き、国際社会で自分の身を守ること、危機管理の重要性を知ることができました。

城石さん、内村さん、稲垣さん、本当にありがとうございました!

 

そしてこの日はフィリピンで過ごす最後の夜だった為、マニラ湾の側にあるH2Oホテルにて夕食を頂きました☆この10日間で全員の仲が深まり、夕食中、帰りのバスの中、笑いが耐えず、とても楽しい時間を過ごすことができました。

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(ADB内の中庭での集合写真)

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(女子全員集合!)

 

今日もお読み頂きありがとうございます!残り1日の更新もお楽しみに♪

(奥田)

  • 投稿者:eyn25941
  • 投稿日時:2018/09/30 23:28

6期生フィリピンフィールドワーク(8日目)

9月9日(日)晴れ☀

午前①:Legazpi Sunday Market

午前中はまず、Legazpi Sunday Marketを訪れました。このマーケットはフィリピンの富裕層や観光客など多くの人で賑わっていて、野菜やフルーツの食べ物から伝統工芸品まで数多くのお店が並んでいます。Vizcaya Fresh!も出店していて、有機野菜を販売しています。ヌエバ・ビスカヤ州からマニラまであの道のりを毎週運んでいることに大変さを感じました。私たちは、3つのグループに分かれ、Vizcaya Fresh!で売り子をしました。Vizcaya Fresh!には多くのお客さんが有機野菜を手に取り、中には段ボール3つ分購入された方もいらっしゃいました。担当ではないときは、朝食を食べたりして、マーケットを満喫しました。

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午前②:Ayala Museum

Legazpi Sunday Marketを離れ、次にAyala Museumを訪れました。ここでは、フィリピンの歴史を再現したジオラマが展示されていて、他にも陶器や絵画が展示されていました。私たちは、フィリピンが独立に至るまでの歴史を学ぶことができました。日本がフィリピンを占領していた際、非常に残酷なことをしていたと初めて知り、知らなかったことを恥ずかしく思いました。また、それにも関わらず、なぜフィリピンは親日なのかと不思議に思いました。

Ayala Museum

午後:Uniquease(ユニカセ) ※中西・高橋・藤田以外の学生

Ayala Mall Greenbeltという迷子になるくらい大きなショッピングモールで昼食を済ませて、午後からは私が今回フィリピンフィールドワークで一番楽しみにしていたレストラン Uniqueaseへと向かいました!到着すると、代表である中村八千代さん始めスタッフの方々が明るく迎えてくださりました✨ Uniqueaseでは、まず始めに八千代さんが考案してくださったワークショップをしました!ワークショップはアイスブレイクからメインまで詰まりに詰まった内容でとても楽しい時間を過ごすことが出来ました✨私たちはワークショップを通して、お互いの過去から未来までを語り合い、今まで知ることの出来なかった部分を知ることが出来ました!ワークショップの後は、八千代さんからレストラン Uniqueaseの設立背景から現在までのお話を聞かせて頂き、改めてUniqueaseがどういう団体であるのかを知ることが出来ました!
そして、夜ご飯にはUniqueaseのスタッフの方々が心を込めて作ってくださった料理をみんなで美味しくいただきました☺ 野菜もオーガニックを使っていたり、日本食も数品出てきて、本当に美味しかったです!!
夜ご飯を済ませた後は、八千代さんやスタッフの方々にお礼を伝え、私たちはUniqueaseを出て、ホテルへ向かうため車に乗り、出発し車内から手を振ってお別れをしたのですが、八千代さんとスタッフの方々は私たちの車が見えなくなるまで手👋を振っていてくださってました😢本当に素敵な方々でした!

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午後:イントラムロス ※中西・高橋・藤田

フィリピン統治の本拠地として建設された城塞跡でありマニラの原型と言われている、イントラムロスに行きました。

イントラムロスとは、スペイン語で「壁に囲まれた街」という意味であり、かつてはマニラ湾を中心に貿易都市としても発展したが、第2次世界大戦で破壊された場所ではあるが、今なお、イントラムロス内にはスペイン統治時代からの長い歴史を伝える風景をいたる所で見ることができました。

イントラムロス①(スペイン様式が残るイントラムロスの街並み)

戦後再建されたマニラ大聖堂からイントラムロス見学は始まりました。大聖堂はローマ広場の正面に位置し、ドーム型の屋根と尖塔が特徴的で、内部は美しいステンドグラス、彫刻、モザイク、祭壇画などがあり、治安が少し悪いと言われていることを忘れてしまうくらい、多くの人で賑わい、豪華で優美な結婚式をしていました。

イントラムロス②(マニラ大聖堂+ローマ広場)

全体的にイントラムロスはマニラにいるとは思えないほどのスペイン様式の美しい街並みが印象的ではあるものの、物売りが多くいたり、物乞いをしている子供が数多くいるなどまだまだ生活水準が低い人達が暮らしており、観光地としての治安はあまり良くないと感じました。また見学の終盤に訪れた、サンオーガスティン教会は幾度もの震災や軍の侵攻を乗り越えてきた世界遺産の教会であり、マニラ大聖堂と同様に、多くの観光客が訪れる非常に美しい教会でした。そして最後にカーサ・マニラ博物館を見学。スペイン統治時代の生活様式が色濃く残っており、またお土産屋さんやカフェも併設されており、落ち着いた雰囲気が印象的でした。我々も少し歩き疲れていたので、Cafeで少し休憩。静かで人通りも少ない落ち着いた雰囲気の中、優雅な休憩することがでました。

イントラムロス③(カーサ・マニラ博物館)

マニラ全体を見ると、まだまだ観光地となる場所が少ないがその中でもイントラムロスは有名な観光地であり多くの観光客が訪れる理由がわかる程の、歴史ある魅力的な場所でした。一方、ストリートチルドレンが物乞いしているのを見ても、今の自分では何もしてあげられないことに心痛むことがあったりと、観光地としてのイントラムロスの課題も把握することができた、良い機会でした。

 

以上が8日目の報告です✨最後まで読んでくださりありがとうございます!
9日目の更新もお楽しみに!!

(西川・寺井・中西)

  • 投稿者:ebl24158
  • 投稿日時:2018/09/29 17:55

保守と革新:“革新官僚”とは誰のことか?

2018 9/29 総合政策学部の皆様へ

 最近、「自民党や維新の会は新しいことをやろうとしているので“革新”では?」、そして「共産党などは現状を守ろうとするので“保守”では?」という話題がささやかれているとのことですが(「「自民党こそリベラルで革新的」——20代の「保守・リベラル」観はこんなに変わってきている」https://www.businessinsider.jp/post-106486)、ことほどさように我々は、“保守”だとか、“革新”だと、あるいは“リベラル”等という、自分たちが使っている言葉の意味をあまり深く考えもせず、発していることが多いようです。

 というのも、かつて(今から80年ほど前には)、“革新官僚”と言えば、「1937年に内閣調査局を前身とする企画庁が、日中戦争の全面化に伴って資源局と合同して企画院に改編された際、同院を拠点として戦時統制経済の実現を図った官僚層のことをさす。のちに国家総動員法などの総動員計画の作成に当たった」(Wikipedia)だったわけで、大陸に対する軍事的傾斜を支えるべく、かつ万一、英、米、ソ連との総力戦に突入した場合に備え、国家体制を整えることに邁進することこそ“革新官僚”だったわけです。その点では“革新”というは“相対的”評価であり、「現状と異なることにもっていきたい」ぐらいの意味でしかないかもしれません。問題は「どの方向に、現状を変えたいのか?」ということにほかならないはずなのですが。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 それはさておき、昭和初期、つまり日中戦争から第2次世界大戦に突入しようという時期、どなたがその“革新官僚”の筆頭だったかと言えば、なにを隠そう、安部現首相の祖父、岸信介こそ、その巨魁にほかなりません。そして彼らは来るべき世界大戦で予想される総力戦に突入すべく、国家総動員のモデルとしたのが「ソ連の計画経済であり、秘密裡にはマルクス主義が研究されていた。現に革新官僚たちはソ連の五カ年計画方式を導入した」(Wikipedia)とされています。

 こうした流れをめざとくも読みとったのは、このブログでしばしば触れてきた阪急の実質的創設者にして、関学の上ヶ原移転でお世話になった小林一三(当時、近衛内閣の商工大臣)にほかならず、「あれはアカの発想である。役人の間にアカがいる」と主張、企画院事件によって部下の商工省事務次官の岸の首をとりますが、その後、自らも辞任に追い込まれます。

 さて、その「国家総動員」と「5ヵ年計画」の関係については、岸自身に語ってもらいましょう(出典は『岸信介の回想』講談社学術文庫版)。

岸:(ソ連の第一次5ヵ年を)初めて知った時には、ある程度のショックを受けましたね。今までわれわれのなじんでいる自由経済とはまったく違うものだし、目標を定めて、それを達成しようという意欲というか考え方に脅威を感じたことを覚えている。しかし果たしてああいうものが計画どおりにゆくものかどうかということに対しては、一つの疑問はもっていた。(こちらも革新官僚である)吉野さんはなどははっきりしていて、こんなものはできるはずがない、と吐き捨てるように言っていた。
矢次食事をする会だったかで、吉野さんはロシアの第一次五ヵ年計画を知って、ソ連は恐るに足りない、成功する可能性はない。しかしこれを俺にやらせてくれれば、必ず大成功させてみるがねと言っていたことがある(笑)。

 この吉野の豪語こそは、“官僚”としての矜持というものでしょう。そして、統制経済とは、当時の常識からすればまさに“革新”的発想だったわけです。とは言え、「ソ連恐るに足らず」とは官僚として判断力不足だったかもしれません(そのあたりは、例えば、第2次世界大戦時のソ連の戦車T-34と、日本軍の最新の主力戦車としての一式中戦車を比較すれば歴然としています)。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 さて、こうした事情を見ると、Wikipediaに“革新官僚”としてリストアップされた方々の、戦中から戦後にかけての履歴=末路はにわかに濃い陰影を帯びてきます。例えば、以下の方々は戦後になるといわゆる左派=社会主義者系として活動しており、「アカの思想だ」と喝破した逸翁こと小林一三の予言通りと言えなくもありません。

和田博雄:第1次吉田内閣で農林大臣、片山内閣で経済安定本部総務長官、物価庁長官、左派社会党政策審議会長・書記長、日本社会党政策審議会長・国際局長・副委員長
勝間田清一:1947年に社会党から立候補して衆議院議員当選、のち日本社会党委員長
帆足計:1947年、東京都選挙区から無所属で参議院議員立候補、当選。のち社会党から衆議院議員

 一方、同じ“革新官僚”ながら、自民党に続く保守政党に属し、1946年に国家総動員法が廃止されるもそののちのいわゆる1955年体制をになった方々としては、
岸信介(商工省時代は、下記吉野の部下、そして椎名の上司)
吉野信次:公職追放後、参院当選、鳩山内閣の運輸大臣。大正デモクラシーで著明な吉野作造の弟。
椎名悦三郎:商工次官から、戦後は自民党代議士、内閣官房長官、通商産業大臣、外務大臣等。
高村坂彦:衆院議員から徳山市長を経て、再び衆院議員(元外務大臣の高村正彦は4男)

 さらに、戦争から敗戦を経て、不幸な道筋(暗殺あるいは挫折)をたどった者として、

永田鉄山:陸軍省軍務局長(陸軍少将)在任中、統制派と皇道派の抗争で相沢三郎陸軍中佐に暗殺
白鳥敏夫:イタリア大使として三国同盟締結にかかわるも、敗戦後、A級戦犯として指定を受けた。巣鴨拘置所に終身禁固刑の判決が下るも、病死。

 こうしてみると、人生のある時期、“革新”という言葉でくくられても、その行く末は定かならず、様々な道行きがあるというべきかもしれません。その岸ですが、実は、東京裁判での(結局不起訴とはなるにせよ)A級戦犯被疑者から釈放されたのち、いったんは日本社会党に入党しようとします(党内からの反対で、結局、自由党に入党)。このあたりも“革新”者がこれからの道筋を選ぼうとする際の迷いのようなものを感じさせないわけでもありません。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 さて、戦前に資本主義リベラリストの小林一三が「アカ」だと評した革新官僚の一人、正木千冬は戦後の回想で「ナチスの社会経済機構なんか研究してみたり、経済統制を強化するという線で提言してみたり、いまになってみれば本当に左翼的な立場で戦争を批判していたのか、あのような資本主義の生ぬるい戦争経済じゃ駄目だから、もっと戦時統制を強化しようという促進のほうに向いていたか、はっきりしません」と漏らします。

 そして、「統制経済というのは、一歩ひっくり返せば社会主義経済に繋がりますからね」との質問に、「そう、その時分、紙一重です。迫水(迫水久常)にしても毛里(毛里英於菟)にしても、その時分の革新官僚の連中は、ほとんど紙一重ですよ。ナチス的とも言えるし、社会主義的とも言えるし、真からの資本主義を信仰していないという点で言えば、彼らもアカだったと言えるでしょう。私もそこにいたんです」と回想しているとのこと(Wikipedia)。

 しかし、こちらの方の議論でも、統制経済/計画経済はあえなくアメリカ合衆国の“資本主義”に圧倒されてしまうわけです(そのあたりは、森本忠夫『マクロ経済から見た太平洋戦争』[PHP新書]をご覧下さい)。

 こうした経緯を振り返れば、皆さんも、“保守”vs.“革新”だとか、“右翼”vs.“左翼”などのレッテル貼りを簡単に信じてはいけない、と思いませんか?

  • 投稿者:高畑由起夫
  • 投稿日時:2018/09/29 11:37

6期生フィリピンフィールドワーク(7日目)

9月8日(土)晴れ☀

この日はヌエバ・ビスカヤから八時間かけてマニラへ移動しました。ホテルを出る前にこれまでずっとお世話になっていたコーディネーターのミアとアリーとお別れをしました。我々ゼミ生からはメッセージ入りのTシャツを二人にプレゼントし、彼女たちからはメッセージ入りの折り紙をもらいました。フィリピンに来てから約一週間、一日中ずっと一緒にいたのでマニラに一緒に行けないのは本当に寂しかったです。

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この日の昼食はホテルを出て車で2時間ほど走ったところにあるチョウキンという中華のファストフード店でとりました。日本にはチョウキンのような中華のファストフード店はないので、どのメニューを注文するかとても迷いました。デザートには人気メニューである「ハロハロ」という、かき氷の上にゼリーやナタデココ、プリン、シリアルなどがトッピングされたものを食べました!

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マニラに着く前に一度サービスエリアに立ち寄って休憩しました。そこではこのフィールドワーク中何度も目にしてきたジョリビーに行ってハンバーガーとポテトを食べました。ポテトに付いてくるソースは見た目はケチャップですが、バナナから作られているので甘くて不思議な味がしました(笑)

最後に一旦マニラのホテルに荷物を置き、パコにあるロビンソンズというショッピングセンターで夕食をとりました。ここではベトナム料理の店で生春巻きやフォーなどを食べたり、スーパーマーケットでお土産を購入しました。この日は主に移動がメインでしたが、チョウキンやジョリビーなどフィリピンでしか行けないファストフード店に行けたので良かったです!(久保)

  • 投稿者:enn29873
  • 投稿日時:2018/09/28 23:36

2018.9.27 チャペル

講話 細見和志先生(学部長)
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(参加者の声/出席票コメントより)
・物事には様々な意味があって、人間は自分の「ものさし」で一方向からだけ見て判断して価値を考えてしまう。今回の話を聞いて自分もそうだなと思った。勝手に決めつけてしまうことで多くのものを失うことがあると思う。
・私も「チコちゃんに叱られる」よく見ています。おもしろいですよね!勉強になるし普段考えないことを考えられるので。カレーライスの話の回見ました、
・テレビの話すごくおもしろかったです。その番組一度見てみたいと思いました。お話を聞いて、「常識」を疑うことがいかに大切かを知りました。
・人の名前にどんな意味があるのか私もたまに気になるのでとても興味深い話でした。おおてきさんの名字の由来がとても深くて感動しました。
・一見無駄で無意味なものも、別の尺度や観点からすると全く別のものに見えてくることがあると知りました。学業にもあてはまることが多いと感じました。
・自分が思い込んでいることが必ずしも正しい事ではない、違う角度から物事を見ることも大切だと思った。

チャペルの予定はこちらのリンク先をご覧ください。

  • 投稿者:murase
  • 投稿日時:2018/09/28 10:45

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